女子ならみんな知ってること(☆)
高校生×高校生
「クリスマスファイター!」内の「Fighter!」や「ゆるり秋宵」の「逃げ出す小鳥」などに関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。
信号機がヘドバンするほど風の強い日。制服のスカートは、三年への進級を期にちょっとだけ短くしてた。
両手で前後ろ、スカートをサンドイッチにして歩けばいいんだろうけど駅までそれで二〇分歩くのはなかなかの行程だ。四苦八苦しながら下校する人たちを教室の窓越しに目撃しておののいていると、後ろから「どうした?」と男子に声を掛けられた。ふりむくと、同じクラスの安田君が『陸部魂』と大きく染め抜かれたTシャツにハーフパンツ姿で立っている。こんな日でも部活あるんだ、すごいな。
「いやあ、帰りたいんだけど風、すごくって」
スカートの下にジャージを履いて、いわゆる『はにわスタイル』で帰るのがこの場合の模範解答なんだろうけど、昨日の体育で思いっきり汚したので今日はジャージを持ってきてないし、はて困った。
うーんと腕組みしてたら、「帰りに履いてけ」と差し出された青い物体。――学年ジャージの、ズボン。
「え」
「本多さん歩けないだろ、ソレでコレじゃ」と、私のスカートを人差し指で、続いて親指で窓の外を示した。
「でも、ないと困るでしょ安田君も」
「もう五月だし寒くないから履かないし、部活のジャージもあるし。ついでに云うとそもそもそれ履いてないから汚れてもないんで安心して」
「別にそれはいいんだけど」
あの風の中を歩いて帰る身には喉から手が出るほどありがたい申し出だったことは確かだ。でも初めて同じクラスになった安田君とはまだこんな貸し借りが出来るほど親しくもないというのにそれに飛びついてしまうのはちょっと、と思ったその時。
ひときわ大きな風がぐわっと唸りながら教室の目の前の中庭を薙ぎ払うようにして過ぎて行った。それ見て、遠慮とかおしゃれ心とかがあっという間にぺしゃんこになる。机の上に置かれてたジャージをおそるおそる掴んで、「――じゃあ、かりちゃう、ね」と宣言すると、安田君は手を大きく一度ひらっとさせて「おー」と云いながら教室を出て行った。
借りたジャージを履く。私よりだいぶおっきい安田君のジャージのサイズは男子のLだ。――ウエストに紐が付いててよかった。でないと、せっかく履いても歩き出す前にコントみたいにすとんと落ちちゃってたところだ。
当り前だけど女子Mより長いそいつは、足首に裾をあわせると私の胸まである。くるくる巻き上げてたら、折り返し部分が団子のように丸くなってしまった。それがかわいくないとかは、もうどうでもいい。かわいくしてたってこの風じゃ意味ないし。
そう開き直ってよかった。
安田君のジャージのおかげでフリーになった両手は、右から左から強力なドライヤーでブローされたみたいなショートボブの髪を風からかばうことが出来た。もちろん、ひらひらしてたのはスカートも同じで、だけど私や私と同じようなスタイルの数人は気にせずぐんぐん歩けたから、次からお天気おねえさんが『強風に注意!』って云ってた日は今日みたいにジャージ履いて帰ろうと決意した。
きっとすっかり埃にまみれてしまったであろうそれを洗濯して、ちょうどお姉ちゃんが作ったクッキーがあったのでお礼に沿えて翌日お返ししたら、ジャージを洗って返したことよりクッキーがめちゃくちゃ喜ばれた。OLさんの作ったクッキーって、それだけで男子高校生には価値があるみたいだ。しかもお姉ちゃんの手作りはそれで彼氏がゲットできたほどおいしいしね(私も大好きだ!)。
それまでは挨拶はするっていう程度だった安田君と話すようになって分かったのは、彼がそれはそれは面倒見のいい人だってこと。私みたく借り物した子もいるし、捜し物を一緒に捜索してもらった子もいる。いつだったか、校長先生まで「この間は世話になったね」なんてわざわざ教室までお礼を云いにきていたっけ。
「安田君はみんなのお父さんみたいだねえ」と感心すると、「校長先生を筆頭に手の掛かる子ばっかで大変だよ」なんて云うから笑った。
「そういえば校長先生にはどんなお世話をしてあげたの」
「体育祭の教職員リレーに出たいって云うから、練習メニュー組んで四月の頭に一週間ばかし集中で見てた」
なんでもなさそうに、云うけれど。
「だって部活あったでしょう、ふつうに」
「ああ、ちょうどあんとき肉離れ起こして部活は休んでたんだよ、でなきゃいくら何でもそこまで面倒見らんない」
「そっかー、だから校長先生あんなに走れたんだね」
「ずっと自主練もしてたみたいだしな」
ハンプティダンプティにそっくりであだ名もそのまま『ハンプティ』な校長が体育祭で見せた走りは、走りというより弾んで歩いてるみたいだった。そんな訳で教職員リレーでの校長チームの順位は予想通り最下位だったけど、終始にこにこ顔で走ったハンプティにはどのチームの誰よりも大きな拍手を送られた。なのに、誰も――自分も、その走りに貢献したコーチがいたって知らなかったのは、なんだかすごく悔しい。
「俺が教えたんだぜーって云えばよかったのに」と私が口をとがらせても安田君は「別にいいよ」と笑うだけ。
「じゃあ勝手に表彰する。はい、記念品」とチロルをいっこあげたら「お、ありがと」って少しうれしそうに笑った。欲のない人だな。
ジャージを借りて以来、私が安田君の手を煩わせる機会はなかった。残念ながら、またまた面倒をみてもらう羽目になっちゃったのは、ハンプティが大活躍だった体育祭の後、全校遠足のハイキングの途中。
この日はあいにくお天気がよすぎて、強烈な日差しがジャージの生地越しに肌を刺しまくってた。ようやく到着した山のてっぺんで、持参したペットボトルを麦茶の保冷ホルダーから取り出す。まだちゃんと冷たいそいつをおでこやほっぺやジャージの袖をまくった腕にぴとっとつけて、それから勢いよく飲んだ。一気に半分くらい、いっちゃったかな。熱中症予防にはちょびちょびのむのがいいってわかってるけど、この麦茶がおいしいから悪いんだ、なんて責任転嫁までして。
飲み終えてふう、と一息ついた時、鼻から生温い液体がつるっと勢いよく出てきた。あれあれ鼻水、と押さえた指先が赤く染まっててびっくりする。
うそっ、この歳になって、鼻血?!
どうしよう鼻血出た時って頭下げるんだっけ上げるんだっけとあわあわしてたら、「本多さん、落ち着け」と聞き覚えのある声を掛けられて、それだけで不審な動きも気持ちもすっと収まる。
安田君はリュックの中からポケットティッシュを出すと一枚引き抜き、それで私の鼻の下をそっと拭った。どうやら鼻に詰めはしないみたい。クラスメイトの男子にそこまでやられたら軽く死ねるのでそうならずに済んでほんとによかった。
「ここ、こうして押さえとけ」と手を掴まれそのまま小鼻に当てると、ピアノのレッスンかなにかで手の形を教える時のように、私の親指と人差し指は安田君のそれに覆われた。きゅっと小さく加えられた圧力は、多分鼻に同じ分だけ力を掛けろということだろう。
「こうしてると止まるから」
「ん、ありがと」
少しだけ下を向いた状態で、そのまま座れるところまで誘導された。
どしたのーと声を掛けてくれる子には、安田君が「鼻血」と端的に答えてくれた。
ならんでベンチに座って、取り留めのない話をした。好きなマンガだとか。家族構成だとか。
「え、安田君て四人兄弟の一番上なの?」
「本多さんは一番下―って感じするよな見るからに」
「――なんかバカにされてる気がする」
「してない。印象を述べただけ」
「だからそれが!」
「お姉さんとお兄さんにめちゃくちゃ愛されてそうってことだよ」
「愛されてるかどうかは知らないけど、お姉ちゃんには餌付けされてるし、お兄ちゃんにも前はよくあちこち連れてってもらってたよ」
「今は?」
「彼女さんいるから」
「うち捨てられたのか」
「ちょっと、うちの兄をひどい人みたいに云わないでよ!」
じゃれ合いのような会話は、小鼻を押さえていた手を「もうそろそろ止まってると思う」と外されたことで急に取り上げられた。
「先生には云っとくけど、無理すんなよ」と仲のいい男子のところへさっさと戻ってしまう体操着の背中に、薄情者! なんて思ってしまう。だって。
楽しかったんだよ。あんな風に他愛ない話がって笑うかもしれないけど。
もうちょっとおしゃべりしたかった。二人で。
つまんないようなことだって拾って話を繋いでくれた、あんなに慌ててたのにあの声聞いたら安心して落ち着いちゃった、それをとくべつにしちゃ、いけない?
そんな風に一人で怒って――ちがうな、悲しくなってしまうその理由は、わざわざ五〇字以内で述べなくたって女子ならみんな知ってる。
「うえええ」
ざわざわしてる朝の教室で上げたなっさけない声を、例によって安田君はきっちりキャッチして、私の机のとこまで来てくれた。あんまり迷惑かけたくないんだけどなあ。
「本多さん、どうした」
「……や、なんでも」
「なんでもなくて『うっええええ』なんて恐ろしい声出すのか」
わざと地を這うような低音で強調されたその声に、思わず顰め面してしまうよ。
「そんな訳ないでしょ!」
「じゃあどんな訳だよ」
「……や、別に大したことないし……」
だってさ、手の掛かる奴だとか思われたくないじゃん。ちゃんとしてると思われたいじゃん。――今更かもだけど。
「ふーん」
「ほっほ、はひふんほ」
しらを切ったら席に戻るかと思った安田君は、そのおっきな両手でとつぜん私の両頬をきゅうっとプレスした。
「放して欲しい?」
こくこく。
「じゃー何困ってるか、云うよな?」
――横に振ろうとした顔は、頬をはさんでるその両手で正面にきっちり戻されるもんだから。
こく。
渋々小さく頷いたら、やっと解放された。
「もう、安田君私が女子だっていう意識ないでしょひどいなー」
触られたというよりは押しつぶされてたほっぺ肉(おかげでときめきもしない!)の形を元に戻すように、てのひらでマッサージした。
無言で人の机の横に腕組みして立って、私が口を開くのを待ってる安田君。そうやって高いとこから威圧しないでくれる? 約束したんだからちゃんと云うってば。
「――朝、家のテーブルの上にパックのジュースあったからラッキーって思ってよく見ないで持って来たら野菜ジュースで、私飲めないからそれで」
「『うっええええ』か」
「『うえええ』だけどね」
訂正を入れつつ、リュックの中から出したブツを見せる。紫色のパッケージにはベリーも何種か描かれていて、だから早とちりな私の脳みそはベリー系のミックスジュースだと思っちゃったのだ。
「もうすごいがっかりよ」
はああああと大きくため息を吐くと、なにやら笑いを堪えて変な顔になってる安田君。
「何よ」
「いやなんでも」
「くだらなくて悪かったねー」
「別にそうは云ってない。飲まないなら、これ俺もらってもいい?」
「あ、もう好きなだけ持ってって!」
「一本だけだろうが」
じゃあ遠慮なく、とスイングしてきた手が、猛禽類みたいにぱしっと野菜ジュースをさらう。
周りにもあんまり野菜ジュース大好き! って子はいないから正直助かった。いくらなんでも捨てるのはもったいなくて、あのままだったらそれこそ『うっええええ』って云いながら飲んでただろうから。最近のはそこまでまずくないよ、むしろおいしいよってお姉ちゃんは笑うけど、野菜の味がするんだもん、ジュースなのに。
「ありがとねー」
私の言葉に安田君は「いいって。困った女子がいたら助けるのが男子ってもんだ」なんてまじめな顔のままそんなことを云うのでつい笑ってしまった。いつも男子だって校長先生だって助けてるのに、ね。
戻って行った自分の席にその縦長のパッケージを置くと、安田君はふらりと教室を出て行ってしまう。それから二、三分で戻ってきたと思ったら、また私の机の真横へ。
「――もう困ってることはなんもないっすよ」
そう自己申告したら、「残念だな」なんて心にもないことを云われた。つうかこの人一体何しに来たのかなと思ってたら。
「ジュース、飲みたかったんだろ」の言葉と同時に机へ置かれたパックは、朝間違えたのとよく似た色合い。赤や紫のベリーが描かれてて、さらに『期間限定ベリーフルーツミックス』の文字がおどっている。
「へ?」
「そういうのが飲みたかったんじゃないの」
「え、いやそうだけど」
「野菜ジュースもらったから、お返し」
「え、いやいやそんな訳には」
「なんで」
「迷惑ばっかりかけといて、もらえないよー……」
ジャージに鼻血に野菜ジュース。
末っ子だからでなんでも許されるのは、家族の中だけの話だ。
いくら面倒見のいい安田君だって、私のだめさ具合に仏の顔のカウントはもうゼロじゃないかな。
そう思うと、情けなくて俯いてしまう。
ひやり。
後頭部に、なんか乗せられた。
「――何」
「今買ってきたジュース」
「こら、飲み物で遊ばない!」
私がお母さんみたいに怒りつつ、乗せられたパックを落ちないようにそっと手で掴んでから安田君を見上げると。
「迷惑じゃないよ」
「――」
「本多さんは手ぇかかるけど、迷惑じゃない」
それだけ云って、すたすたと歩いていってしまった。
えっと?
つまり?
もっと手がかりが欲しくてつい目で追いかけた。
席に着いた安田君がそれに気付いて優しく笑った。
途端、私の心臓がジャンプした。
それが答えだって、女子ならみんな知ってる。
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