ファーストでスタートでビギニング(☆)
「ゆるり秋宵」内の「スウィートでハニーでシュガー」の二人の話です。
「クリスマスファイター!」内の「シャイニーでシマリーでブライト」、「如月・弥生」内の「タイニーでリトルでワンダー」、「夏時間、君と」内の「ラブリーでキュートでディアー」にも関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。
また、永嶋とケンカをした。原因はいつも、俺の余計なくせに足りないひと言。それをぽんと投下しては、永嶋に「沢木のバカッ!」なんて云わせてる。――ちょっと、泣くのを堪えている、その声色。
でも俺が手を差し伸べる前に彼女はくるりと踵を返し、早足で歩いて行ってしまった。
「俺、今日もまた彼女、怒らせました」
バイト先のコーヒーショップに、この店の常連さんである『黒縁さん』が仕事帰りにやって来ると、レシートや商品の受け渡しの短い時間でつい愚痴ってしまった。
黒縁さんは「君くらいの年でうまくやってる方が少ないですよ。でもそうですね、謝るなら早い方がいいと思いますよ?」と穏やかに笑んだ。
「五〇円のお返しです。――その方が、リカバリが早い、とか?」
「どうも。――あんまり遅くならない方が、こっちが謝りやすいんです。出来れば顔を見て、それが無理ならメールではなく電話で謝った方が、気持ちが伝わるかもしれませんね」
じゃ、とその人はブレンドコーヒーの載ったちいさなトレイを持ち、その長身ではすこし狭そうな二人掛けの席に腰かける。帆布のバッグからハードカバーを丁寧に取り出し、コーヒーを飲みながら読書をするのはすっかり見慣れた光景だ。
早番で上がれる日は、仕事帰りの一杯を自分に許しているんですよ、と仲良くなった頃教えてくれた。週五でバイトしている俺が黒縁さんと顔を合わせるのは大体週一、二程度。
俺よりうんと年上の人。下手したら父親くらい。でもいつもスーツじゃなく文化系男子的なカジュアルな格好のせいか若く見える。
背が高くて物静かで、バイトで高校生の俺なんかにも丁寧に接してくれる。向こうは俺の名前、胸にプレートを付けてるから多分知ってると思うけど、こちらからは尋ねたことがないので名前は知らない。だから、いつもかけてる黒縁眼鏡から、心の中で黒縁さんて呼んでる。
顔なじみになって、寒いですねとか暑いですねとか交わすようになって、そろそろ一年経つだろうか。恋愛のお悩みを話すようになったのは、つい最近。例によって例のごとく永嶋とケンカした日、そのまま仕事に入ったところにやってきた黒縁さんが『どうしました? なんだか、困った顔してますよ』と心配してくれて、『実は』と打ち明けたのがきっかけだ。その時は『悪いと思うところが自分の中にあるなら、謝った方がいいでしょうね』とやんわりアドバイスをくれた。
それでせっかく仲直り出来たのに、俺はまた。
黒縁さんの言葉に後押ししてもらって、早速その晩電話で「ごめん」って謝った。そしたら、不機嫌そうな声色――でもほんとはそこまで怒ってない――で『いいよ』って許してくれた。
永嶋とは読書傾向が結構似てて、それを足掛かりにして本の貸し合いを持ち掛けた。でも、多分向こうはそれが仲良くなるための口実だなんて今でも気付いてない。俺も、カッコ悪いから云ってない。
なんでか、永嶋のことは同じクラスになって、まだ馴染んでない時からよく分かった。
基本真面目だけど、思いきりがいいとか。
気い強そうだけど、すっげー繊細だとか。
一七にして初めて出来た彼女が、永嶋だった。多分向こうも俺が初めて。なので、色々と手探り状態だ。それに加え、俺は永嶋の気持ちの動き方や表情の下のほんとの気持ちならよくわかるのに、未だに何を云ったら怒らせるか、までには考えが至らないまま。口から出るのはあいつが怒るような言葉ばかりで、いっこ下の幼馴染にも、「ほんっと女の子のこと全然分かってないよね」と呆れられている。
この間だってそう。梅雨のはじめに体調を崩してた永嶋がようやく元気になって、悪かった顔色も元に戻って、すごいホッとした。なのにその時俺が云ったのは、「つやつやのふくふくだな」――だ。そりゃ、怒って帰るのも当たり前のことだろう。
正解は、後になってから分かる。『げっそり痩せたから心配したけど、ようやくつやつやのほっぺに戻ったな』って云えばよかったんだ。なのに、なぜそう云えなかったかといえば、――あいつの前だと、いつも緊張して余計なことばかり口走ってしまうから。そう口にするのもカッコ悪くて、伝えられないでいる。
舞い上がって、緊張して、余計なこと云って怒らせて。
謝って許してもらって、また舞い上がって。――でもそれ、いつまで続く?
進歩のない俺に、永嶋が愛想を尽くす日がリアルに想像出来て、ゾッとした。
「あ」
「こんにちは」
学校もバイトも休み、でも永嶋は一日模試を受けてる土曜の午後、偶然街中で黒縁さんにばったり会った。
「これからお仕事ですか?」
「あ、いや、俺今日は何もなくて、ぶらぶらしようかなーなんて」
「奇遇ですね、僕もです」
「へえ」
「今頃ほんとは奥さんとデートの予定だったのですが、向こうに予定が入って二時間押しになってしまって」と語る黒縁さんは、冗談なのか本気なのか気落ちした様子で、何だかかわいらしかった。そのせいかな、気が付いたら「じゃあ俺とお茶でもしますか」なんてこっちから誘ってた。
「いいんですか?」
「もちろん!――あ、迷惑でなければ、です、けど」
俺が慌ててそう云うと、黒縁さんは嬉しそうに目を細めた。
こうして、男二人でカフェでお茶をすることになった。俺が、「デートする時に行くようなお店とか、知らなくて」と漏らしたら、黒縁さんが連れて来てくれたのだ。
「こうして一度行っておけば、お店の雰囲気なんかも分かりますからね」とメニューをめくっては、「これ、お勧めです」といくつかを指差して教えてくれたりして。
こういうの永嶋好きそうだよなあ、と、オススメされた中の、フルーツをふんだんに使ったタルトの写真を眺めつつそう思っていたら、黒縁さんが「――あれから、どうでした?」とさりげなく聞いてきた。いけね、すっかりお礼云うの忘れてた。
「ありがとうございました! おかげで、助かりました」と、アドバイスが有効だったことを慌てて告げると、「よかった」なんてにこにこ顔になる。その笑顔が誰かに似てる、と思いながらも思い出せないままお店のお姉さんにオーダーをし終えると、話題は自然とまた『そのこと』になった。
「彼女さん、ちゃんと許してくれましたか」
「はい、あの日帰ってすぐに電話したんで。アドバイスがなかったら、『明日の朝に顔合わせてから』なんて悠長にしてこじれてたかも」
俺の言葉に、黒縁さんはまた「よかった」と小さく漏らした。
「つい口を出してしまって、余計な事をしたかもと後でひやひやしました。娘たちにも人の事に踏み込みすぎじゃないかって叱られましたしね」
この人の娘さんか。
きっとすごくいい子なんだろう。俺には永嶋がいるから変な気は起きないけど、そう思う。踏み込みすぎだなんて、心配までしてくれるんだもんな。でもそれって杞憂。
「そんな風に思ってたら、俺こうしてお茶とか誘ってないです」
「そうか、じゃあ実は気になってたから、もう少し聞いてみようかな」
「どうぞ? 何なら俺のスリーサイズも教えますよ」
「それは遠慮します」と苦笑した黒縁さんの質問は「彼女さんとはどれくらい?」から始まった。
「去年の向こうの誕生日前あたりからだから……八ヶ月、くらいです」
なのに相変わらず緊張→失敗を繰り返す自分に嫌気がさす。思わずため息を吐いたタイミングでドリンクが来た。向こうが頼んだロイヤルミルクティー、俺の頼んだフラペチーノ。それぞれ一口飲んだところで、黒縁さんは「どうかしましたか」って声を掛けてくれた。それが、学校の友人なら見栄張って『別に』って返してたんだろう。でも、緩やかに仲良くなっていた、学校の人間関係とはリンクしていない大人の人の前で、俺の口は素直に弱音を吐いていた。
「なんか、ほんと色々上手くいかなくて……。大事にしたいのに全然そう出来てないし、いつも笑っててほしいのに怒らせてばっかりだし」
自分でも不思議なくらい、するすると紡ぎだされるナチュラルな感情。口から出てきた言葉全部をジップロックに密封して、永嶋の前でさっと取りだせたらいいのにな。
「ちゃんといつも気持ちや思っている事は伝えていますか?」
「伝えてないです……」
気持ちなんて、最初の時に云ったのが最初で最後だ。
「どうして?」
「どうしてって……俺が、カッコ悪い男なの、バレたくなくて」
「それで彼女さんを悲しませてたらその方がカッコ悪いですよ」
黒縁さんはいつもの優しいアドバイスではなく、やや辛口の言葉をくれた。
「本心を晒すのは、恥ずかしいし怖い事です。でも、それを大事な人に伝えられないなら付き合う意味がないと、僕は思います」
「――はい」
「なんて、えらそうにしてすみません、これじゃまた娘たちに叱られてしまうかな」
おどけてくれた黒縁さんの優しさが、すこし痛い。
時折、すきだよ、と恥ずかしそうに囁く永嶋に、いつも繋いだ手を強く握り返すことしか出来なかった。俺の方がもっと好きだ、とか、云ったら幻滅されそうで怖かった。付き合う前や付き合い始めには云えてたことも、どんどん封じ込めて。
永嶋は無理に俺の気持ちを聞きだそうとはしない。でも、たまにすごく何かを聞きたそうな顔をしているのを知ってた。カッコ悪い自分を晒したくないから、それだけの理由で、俺は気付かないふりしてた。――永嶋が怒ってたのは、俺の言葉だけじゃなく、こういう態度に対してもだったのかも。
時計を見る。二時、ちょい過ぎ。永嶋が模試を受けてる会場の最寄り駅と、そこに至るまでの経路と時間をざっと計算しながら席を立つ。
「ありがとうございました! 俺、あいつに会ってきます」
伝票を取ろうとしたらさっと取り上げられた。
「行ってください。ここは僕が」
「でも、誘ったの俺なのに」
「いいから。ごちゃごちゃ云ってると、遅くなってしまいますよ、さあ」
なんだかうまく丸め込まれている気もするけど黒縁さんの云うことももっともなので、お言葉に甘えることにする。
「すいません、ごちそうさまでした!」
「健闘を祈ります」
頼もしいエールを背に受けつつ、俺は駅へと急ぐ。
急行電車に乗り込んだ。メールはしてない。まだきっと、携帯は電源を切ってるだろうから。
半端な時間の車内はまばらに席が空いていたけど、はやる気持ちが強すぎて座ってなんかいられない。ドアに凭れて立ち、窓の外の景色が飛んでいくのを見るふりしてた。
模試の会場まで地図アプリに従って一〇分ほど歩くと、私立高校らしい瀟洒な建物と荘厳な門が見えた。模試はどうやらまだ続いているようで、しんと静まり返っている。奥にグラウンドでもあるのだろうか、時折野球部らしき掛け声が聞こえてきたけど、目立って聞こえてきたのはそれくらいだ。
うちのガッコもここまでじゃなくてももうちょっとなんとかなってくれるといいよなあ、でも県立だから無理だよなあ、なんて思いながら彫刻が施されている大きな門に凭れて、携帯を弄るでも音楽を聞くでもなく、ただ忠犬のように待っていた。
しばらくするとチャイムが鳴り、椅子から立ち上がる音や楽しげな声が聞こえてきた。どうやらやっと全科目が終わったらしい。
ぞろぞろと校舎から出てくる服装には統一感がない。私服姿が多いけど、セーラー服やブレザーもちらほら。
――こんなに人がいるのに、こんなに遠いのに、自分は大して目がいい訳でもないのに。
なんですぐ見つけるかの答えなんて、分かり切ってる。
すごい美人じゃない。でもすごくきれいでかわいい。
デートの時は大抵スカートかワンピース姿だから、Tシャツにジーンズなんて気の抜けた格好は初めて見る。かわいい。
永嶋が友人とおしゃべりしながら歩いているのを眺めていたら向こうにも気付かれた。『あ』とおっきな口を開けて人の流れの中で突如足を止める永嶋。それからはっとした顔になったかと思うと、本日のコーディネートが恥しいのか友人の後ろに慌てて隠れて。遅いっつーの。
友人はやれやれといった顔をした後、永嶋の背中をこちらに向けて押し出すと手を振り、すたすたと一人で歩き始めた。門を通り過ぎる時には、俺にも笑顔で手を振って。
置いてきぼりになった永嶋は、渋々と云った様子で俺の方へと歩いてくる。普段よりずいぶんゆっくりと。時間をかけてそれでも俺の前にまで出て来てしまうと、開口一番「――なんでいるの」と聞かされた。
「来たらいけないのか?」
「いけなくはないけど……」
でもせめて事前に連絡をくれたって、と、不本意らしいTシャツをつまんで小さく漏らす。
その様子に、むくむくとなにやら温かい感情が芽生えてきた。
今までなら『カッコ悪い』と伝えないまま朽ちていたその言葉を、えいと口にしてみる。
「急に会いたくなったんだよ、悪いか」
ちらと見やれば、永嶋の顔に怖れていた侮蔑の表情はなく、顔は怒っていたもののほんのりと赤くなっており。
「悪くないね」と嘯いて、笑った。
ああ、こんな風にはにかんだ顔を見せてもらえるなら、もっと早くに伝えていればよかった。八ヶ月損した。
過去を悔やんでも仕方がないけど、ほんとにそう思った。
歩き出すと当たり前のように、永嶋から手を繋がれた。それがすこし悔しくて、普通の繋ぎ方だったのをソッコーで恋人繋ぎ、なんて呼ばれるものにする。そんな俺の余裕のなさも、やっぱり呆れられることなく受け止められた。
「どうだった? 模試」
「んーまあ、ぼちぼち。英語はそこそこいけたかな」
隣に目をやる。俺の視線に気づくやいなや、並んで歩いていたのに微妙に下がって視線から外れようとするのが面白くない。
「下がんなよ」
「下がりたいんだもん」
「かわいくないから?」
そう云い放ってから永嶋の眉間にしわが寄せられていることに気付いた俺は、慌ててまた本心を放出した。
「かわいくないカッコもかわいいから! あといっつも俺、こんなんでごめん!」
恋人繋ぎにしてる手をそのまま自分の胸元に引き寄せ、永嶋の手の甲の親指側を押し当てる。その鼓動が緊張しているものだと、こうすれば伝わるはずだ。
少女漫画や恋愛ドラマの男みたいにうまいことなんか、云えない。でも、云う。不格好でも言葉にする。
「お前といると割とこういう感じで、テンパるつーか、焦って変なことよく云うし――カッコ悪いよな、やっぱ」
口にしていくうちに自分の駄目さ加減に自分で落ち込んだ。でも永嶋は「悪くないね」なんてやっぱり嘯いて。なのに、手はさっきから嬉しげにきゅっきゅとリズミカルに握られて。
心臓はまだ暴れまくってる。今の自分は相当カッコ悪いけど、でもこっちの方がいいとよーく分かった。
永嶋が、笑っているのだ。
俺といる時、今はまだずっと笑顔をキープしてもらうのは難しいけど、いつかは。
「――そんじゃあ、まあ、これからもよろしく」
「こちらこそ、よろしく」
つきあって半年以上たつのに、やっと今日スタートラインに立ったような、そんな気がした。
黒縁さんへの報告は、俺のシフトとあちらの来店がなかなか合わず、受験を控えてバイトを辞める当日になった。
いつものようにカウンターで他の人に咎められない程度に短く「おかげさまで」とそれだけ伝えると、「よかった」とほほ笑まれた。お釣りを渡しついでに、今日で最後なこともお礼を添えて伝える。
「今までありがとうございました」
「さびしくなりますね」
「合格したらすぐ戻ってくるんで」
「朗報を、待ってます」
コーヒーの載ったトレイを持つ後姿をカウンターから眺めて、結局黒縁さんの名前聞くの忘れたなと気付く。まあ、またいつか。多分、来春に。
バイトを辞めると、夏期講習が始まるまでの期間限定で放課後と土日がフリーになった。 早速この週末、永嶋に誘われて彼女の家で勉強会だ。別にやましいことはしてないけど、親御さんに会うとなるとやっぱり緊張してしまう。
玄関先で出迎えてくれたのはお母さん。目元とか、雰囲気が永嶋に似てる。よく話題に出てくるマイペース系の妹ちゃんは、残念ながら今日は塾に行っているということで、対面は次回に持ち越しとなった。――それともう一人、俺的にラスボスな存在はどこよ。
廊下を歩きつつこっそり「お父さんは?」と聞き、「今日は仕事」と返ってきた短い返事にかなりほっとした。会いたくない訳じゃないけど、うん。
今日の永嶋は、この間のTシャツ+ジーンズと、デートの時の間ぐらいの服装。ジーンズなのは変わらないけど、裾がフリルになってる長めのカットソーは後ろの襟ぐりがすこし大きめに空いていて、リボン結びになっている。
永嶋の部屋に通されてから「似合う」といろんなものを省いてぼそっと口にすると、「あ、りがとっ」となぜかつっかえた拍子で返ってきた。顔を見合わせて、お互いに苦笑する。素直になると決めたけど、まだまだ云う方も云われる方も慣れていないのがバレバレだ。
永嶋はテレ隠しで「さ! それじゃ張り切って古文からやっつけよう!」と仕切り屋めいたテンションでテキストを出したり、携帯のタイマーをセットしたり。さすがにここで『いちいち照れんなよ』なんて混ぜっ返すのはくだらないケンカの元だとようやく分かってきたので、「はいはい」とそれに付き合う。
お宅訪問や、親御さんとの対面が自分の中の比重としては勉強よりも大きかったけれど、それでもまじめに取り組んだ。古文から始まって、タイマーが鳴ったらいったん休憩して雑談したり、おやつをつまんだり。
そうこうしているうちに、お母さんから「沢木君も晩ごはん食べて行かない?」と誘われたものの、さすがに初日からそこまで図々しくはなれずにここで帰ることにした。
玄関でスニーカーを履いて「お邪魔しました。じゃ、永嶋、また明後日学校で」「うん、今日はありがとう」と交わしたところで、がちゃがちゃと鍵の開く音。――このタイミングで、ラスボス登場かよ!
一気に緊張が高まった俺の前で、ドアが開く。
「ただいま」という優しい声、俺よりも高い身長、文化系男子的なカジュアルな服装、黒縁眼鏡。
「おや」と細めた目には、きっと間抜けヅラした俺が映ってる。
――来春を待たずして、永嶋のお父さんであるところの、黒縁さんに会ってしまった。
「かんなの彼氏は、君でしたか」
俺が知ってる黒縁さんは穏やかな人だけど、娘がらみで豹変する人ではない保証はどこにもない。『娘をたぶらかしたのは貴様か―!』なんて云われるかも、と内心びくびくしながら「は、はい!」と返事をする。でも、黒縁さんは黒縁さんのままで、嬉しそうに、でもすこし寂しそうに笑いながら「かんなをよろしく」と託された。ってか俺、この人に自分の恋愛事情を赤裸々に語っちゃったわけね! 宇宙人に記憶を消せる銃借りて、恋愛相談室だけ綺麗に消してしまいたい。
何も知らない永嶋はきょとんとして、「二人とも、もしかして知り合いなの?」なんて首をかしげている。
「俺のバイト先の常連さん」てことだけ告げて帰る訳にも行かず、現在に至るまでのささやかな交流を話すためにやっぱり夕食を戴くことになった。けど、たったひとりで乗り込んだと思っていた戦地に待ち受けていたのはラスボスではなく黒縁さんだったので、思い掛けず楽しい食事の時間を過ごせた。
永嶋と永嶋のお母さんは、俺が勝手にお父さんに『黒縁さん』とあだ名をつけていた、と告白すると二人ですごい笑ってた。黒縁さんはそれをにこにこしながら見てた。その笑顔は当たり前だけど、永嶋によく似てる。
食後のコーヒーまで図々しくいただいて、いよいよ帰るという段に、今度は帰宅してきた妹のみずほちゃんにとっつかまった。あわや再度延長戦に突入かと思いきや、「みずほ、またうちに遊びに来てもらった時にしなさい」と黒縁さんがとりなしてくれて、なんとか回避。
「じゃあ来週ネー。はい、約束―」と小指を差し出してくるみずほちゃん。つられて指きりをするとそれを見ていた永嶋が「あたしもまだなのに」と呟く。かわいすぎて、彼女の家の玄関先だというのに頬が緩みそうになってしまって大いに困った。
――ちら、と黒縁さんを見れば、そんな俺の心を分かってますよと云わんばかりのにこにこ顔。
知り合いで彼女のお父さん(こちらの手の内をよく御存じ)ってすげーやりづれえ。
でも黒縁さんだからいいか。なんて思った。
2015/09/22 誤字訂正しました。