春先に逢いましょう
会社員×会社員
潤んだ瞳で、弱った恋人が「夏南―」と甘えてくる。
こてんと肩に乗せられた重みが嬉しい、と思った瞬間、勢いよく上げられた頭と、五連発で出されたくしゃみと、鼻水をかむ音。そう。
恋人は只今、絶賛花粉症中。
いつもはこんなんじゃない。誠二さんは何でも一人でやっちゃうし、週末だってお友達とやれトレッキングだやれキャンプだと、一年の殆どを元気に過ごしちゃう人なんだけど。
春先のこの時期だけは、薬を飲んでもどうにもならずに、おうちに籠っている。
普段隙のない人がソファでぐだぐだになっている様はどうしようもなく萌える、とは、苦しんでいる本人には申し訳なくてとても伝えられない。
しかし洟かんでてもマスクしててもかっこいいなこの人は。
さて。そんなわけで、平時は割と放置され気味の私(体動かすのとかアウトドアとか苦手だからいいんだけど)が、この季節は誠二さんを占有して、お世話させてもらうことになる。
所構わずくしゃみ連発の人に変わって、おそるおそる大っきいSUV(誠二さんは別に大っきくないよって笑うけど、普段軽に乗り慣れてる人間には大っきいんだってば)を運転したり。
平日は仕事で気を張ってる分、余計にぐだぐだになっちゃう週末は、誠二さんちの面倒を見たり。
ちょいとお高い保湿のティッシュや、花粉に効くと云う甜茶を誠二さんちにもうちにも用意してみたり。
眠くなる成分の入っている薬と、にもかかわらず鼻づまりのせいで夜あまり眠れなくて、始終うつらうつらしている人がだるそうな声で「こんなんなのに、俺の傍にいてもらってごめんな」とまだ気をつかって来る。
「いーんだよ、ゆっくりお休み誠二」とお母さん風に云うと「手ぇ出しにくくなること云うのやめて」といやがられた。
ソファの肘おきに頭を乗せて、座ったまま横になった誠二さんの腕を、子供を寝かしつけるように優しくポンポンして、こっそり私も打ち明ける。
「あのね、語弊があるかもだけど、一緒にいられて、お世話出来るの嫌いじゃないよ」
「……そっか、ならよかった」
結構この時期ふられる率が高くて、と普段は聞けない過去情報まで吐露してくれた。
「だから、またこれが原因で夏南にふられたら俺立ち上がれないと思って」
「私にふられたら、立ち上がれなくなっちゃうの誠二さん」
「なっちゃいますよ」
横になったまま、ずずず、と噛まれる洟の音。確かに、人に弱みを見せるのが苦手で負けず嫌いのこの人がこんなよわよわになったとこを見たら、『ええー』ってなっちゃう女の人の気持ちもわからなくはない、けれど。
そんな人がだよ、私にそんな姿を不本意ながらも見せてくれるって云うのは、信頼されているようで嬉しいと思う。大体、弱っててもかっこよさにかわりはないし。情けないのにかっこいいってどんだけ欲目入ってんだろうとは思うけど。
「去年も面倒みたけど、別に別れ話とかにならなかったじゃない」
「いや、去年は我慢してて今年はもう無理よ! ってなるかもしれないし」
「なりません」
「……」
「ぜぇぇぇったい、なんないから、安心して甘えてちょうだい」
「……ん」
じゃあこっち来て、と手招きされてソファに座ると、今まで肩に来てた重みは、腿の上。
「男の憧れ、ひざまくらー」と妙な節をつけて誠二さんが嬉しそうに洟をかむ。その前髪をかき混ぜてたらくすぐったそうな顔した。潤んだ瞳と、目が合う。大丈夫、私なら仮に誠二さんがティッシュを鼻輪状態にして鼻に突っこんでてもかっこいいわーってときめく自信がある。まあ、本人の美意識がそれを許さないだろうけども。
「誠二さんの目と鼻をとって、洗ってあげられたらいいのにねえ」
「そん時は、是非部屋干しでよろしく」
「もちろん」
外に干したらハクション連発じゃないの。分かってるよそれくらい。
「早くこの季節が終わるといいね」
「でもそしたらこうしてお世話してもらえなくなるんだろ?」
「誠二さんが何でも一人で出来ちゃうしお友達と外に遊びに行くからでしょー!」
自分の仕打ちを棚に上げた発言に薄い頬をつねったら、手を包まれた。
「夏南も、くればいい」
「……ヤダ。知ってるでしょ、アウトドア苦手」
アウトドアなとこって虫がいるし体育会系っぽいの嫌いだし。なのになんでこの人を好きになっちゃったかなあ。
「俺がちゃんと面倒見てやるから」
「他の人が彼女さん連れて来てないのに私一人だけ行ったらみんな気を遣っちゃうでしょー」
それが一番苦手な理由だ。ぽつんになるのもやだけどヘンに輪を乱すのはもっといや。
「二人で行くのは」
「何にしてもアウトドアはナシにして。二人でいても虫は現れるじゃん」
「アウトドアじゃなくて、普通に旅行ならいい?」
「……それならおっけー」
じゃあどこ行く? と途端に楽しそうな顔をする誠二さんだけど、旅行の打ち合わせをする前にとろとろと眠ってしまった。ひゃー、笑ったまま寝てるよこの人。どんだけ私の心を打ちぬいたら気が済むんだ。
冷蔵庫の中には、わざわざ昨日の夜閉店間際のデパートに駆け込んで買ってきてくれた、期間限定の春スイーツ。へろへろのよわよわになってても、私がこのおうちに来る時には必ず用意してくれるそれらは、苺のモンブランだったり、桜の紅茶だったり、色々。そんなとこが、たくさんある好きな点の一つだけど。
「……気ぃつかわないでいいから、早く帰っておいで、誠二―」
こっちはお母さんモードで、心配しちゃうわよ。
私には何でもない、むしろ過ごしやすい毎日も、誠二さんにはきっと辛い日々。雨の日は少しほっとして、風の強い日は今頃くしゃみ連発かなあって仕事中にも気になっちゃう。まあ、私が気にしてもよくなりはしないけど、彼女だしそれくらいはいいだろう。
そんな風に、過ごす春先。
新しい年度になって、桜が咲いて桜が散るとだんだんにくしゃみの数が減ってきて、やっと誠二さんの受難の季節は終わった。
「今年も、お世話になりました」
「今年も、面倒見させてもらえてよかったです」
二人して神妙にごあいさつした。
あのぐだぐだな誠二さんにまた一年会えないのは寂しいけど。と、一年後も続いてるって前提な自分。――続いてるよね。私達、続くよね。
通常を取り戻した誠二さんに私が付け入る隙なんかなくてちょっと遠く感じるから、そんな風に不安になった。そしたら、「来年もよろしく」って云われちゃった。――その一言にすんごくホッとしてしまった自分が、なんか悔しい。
そして、一年後じゃないと会えないと思ってたぐだぐだ誠二さんには、「仕事でミスった」とか、「やなことあった」とかで、思ったよりわりとちょいちょい会うことが出来てる。今まではそんなのなかったんだけど、『安心して甘えて』発言がよかったらしい。
「夏南―」と手招きされ、リクエストどおりひざまくらをすると、いつもはきりっとしてる誠二さんがふにゃんて柔らかい笑顔になる。嬉しい。
旅行はまだ検討中。すーぐアウトドア系のお楽しみをぶっこんで来ようとする誠二さん――ゴムボートで川下り体験だとか、バーベキューだとか――と、あくまで街歩きの観光にしたい私との攻防戦が続いているから。
でも甘えられて「ちょっとも、駄目?」とか云われたら「うっ……ちょ、ちょっとだけだよ!」ってなりそうで怖い。
というか、結局そうなった。うーん我ながらなんたるチョロさよ。
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