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ハルショカ  作者: たむら
season1
19/59

雨の檻(☆)


会社員×会社員

「クリスマスファイター!」内の「サンタガール日記」及び「如月・弥生」内の「チョコレート対決」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います。


 朝にチェックした天気予報では、この時期にしては珍しく帰りの時間に雨マークは付いていなかったはずだ。ただし、『大気が不安定になっているので、急な雨にご注意ください』と確かに気象予報士が云っていたなと、きびきび動くワイパーを眺めている間にようやく思い出した。

「まいったね」と、さして参った様子も見せずに小田(おだ)さんは口にする。だから私もさして参っていないくせに「まいりましたね」と返した。

 本当は、小田さんの運転する車に二人きりという状況に、小躍りしていた。

 一〇〇メートル前方には、もうずっと下りっぱなしの遮断機。

 目の前にも後ろにもずらりと並ぶ車の列のそのただなかに、私たちはいる。

 離脱できる横道もこの先にはないから、いつ開くかわからない踏切に向かって真っすぐ『前へならえ』で待機していた。


 梅雨にしては少々激しい雨の中、駅へと歩きで向かおうとしていたら、お夜食の買い出しで社用車を出す小田さん――会社が入っている工業団地には、スーパーもコンビニもない――が「ついでだから駅まで送るよ」と申し出てくれた。駅まで行くバスは今しがた出ていったばかりで、次の便が出るのは三〇分後。ストッキングの足をわざわざダルメシアンにする趣味はないのでありがたく同乗させてもらい、さらに駅の反対口、通勤で利用しているバスの停留所のあるロータリーまで送ってもらうことにまでなった。――なのに、車はあと少しのところで動かない。


 雨にくぐもりながらも、ずっと響いている踏切の音。ひくーくラジオから流れている音楽は、誰のなんて云う曲だろう。

 エアコンの吹き出し口がそっぽを向いているのが目についた。だから、直接肌に当たらないのか。

 ――なんてアレコレ考えているのは余裕があるからじゃない。誰だって気になっている異性と車内で半ば閉じ込め状態になってたらこんな風にどうでもいいことばっかり目まぐるしく考えちゃうんじゃないかと思う。

 そうつまりこの状況は棚からぼた餅が五つも六つも落ちてきているようなものなのだ、私にとっては。


 小田さんは開発室の人で、同じ社屋にいても普段うちの課とはほぼ接点がなくて、特に個人的な連絡先も知らなくて、だからこんな風になるのも初めてだ。

 新人研修で各部署を体験させてもらった二年前、開発室で小田さんに色々とお世話になった時に、多分もう恋だった。でも当時は就職したばかりで『年上』だとか『社会人』だとか、そういうタグに魅かれてるだけかもしれない、と自分を諌めた。しかも相手は一日限定の先輩で、知っているのは九時から五時の七時間からさらにお昼休憩をひいた分だけだ。それにこの二年間ずっと小田さんのことを一途に思ってたわけじゃない。付き合いかけた人もいるし合コンにだって出てみた(結果は振るわなかったけど)。

 でも今こうして、『社会人』や『年上』にも慣れた自分でもう一度小田さんを見て、やっぱり好きは好きで間違いなかったなあ、と思う。



 変人たちの巣窟として名高い開発室に、一日とはいえお世話になるのはとても気が重かった。総務、経理、営業と回った各部署で『開発室はほんっと大変だから、頑張ってねー』と口々に言われてしまえば、新人がブルーにならない訳がない。

 実際、私と同期が二人で始業一五分前におそるおそるドアをノックしても、誰一人として返事をくれなかった。このまま待っていても仕方ないと開き直って入室し、「すみません、」と声を発し、入口で所在なく佇んでいても、やっぱり誰一人関心を示すことはなかった。


 呪文にしか聞こえない言葉をノンストップで交し合う人たち、ディスプレイを見ながら超絶技巧な何かを弾いているのかと思う程の高速タッチで入力をしている人たち。

 圧倒されてつい見惚れていたら背後でドアが開き、「どうしたの? 新人研修の人かな?」とおっとりした声で話しかけてくれる人がようやく現れた。それが、小田さんだ。

「ごめんね、今日来るって分かってたんだけどちょっと今、皆忙しい時期で、正直新入社員の面倒なんか見られるかっていう状況で」と赤裸々にぶっちゃけられた。

「って云っても、俺もそのうちの一人だからずっとついてレクチャーもしてあげられないんだけど」と申し訳なさそうに笑う、その笑顔が何かの矢になって、私の心にすとんと刺さった。

「お手伝いします」

 気が付いたらそう口走っていた。

「何でもします。伝票整理でも、お掃除でも。やることなくなったら会社紹介のDVDでも見てます」

 一日ごとに部署を回るのは、自分の所属以外の部署への理解を深め、ひいては円滑に仕事を進めるためだ。その部署が忙しいのに、さらに足手まといになんかなりたくない。

 ここの雰囲気は掴めた。開発室の詳細は、やっていることが開発なだけに話が専門的で(言葉は呪文だし)、なおかつまだ部外者には話せないこともあるだろうし、提出するレポートに詳細を記さなくても差しさわりはないだろう。つまりある程度は自由に動ける。そう踏んだ。


 最初こそ小田さんは「研修で来たのにそんな事させられない」って渋ってたけど、私と同期が『要ファイリング! 溜め込まないこと!』とでかでかとテプラされてた引き出しに手を掛け、ぎっちぎちに詰まっていた伝票を取り出したところで、「……会社ごと、日付順に分けてもらえる?」と折れてくれた。

 その後は、自身のお仕事をしながら様子を見てくれる小田さんに、わからないところを聞きながら伝票整理をして、誰も手を付けないまま無法地帯になっていたエリアを片付けして、掃除をして、お茶を入れて。

 午後からは触っていいものだけ書類のファイリングをして、業界新聞や専門誌に付箋を貼ったまま放置されてた記事をスクラップして、余った時間で会社紹介のDVDを見て。

 来た時にはガン無視だった人たちにも、最後には「すごい、引き出しが軽い!」だの、「何このキレイさ! 会社みたい!」だの喜ばれてしまった。


「ありがとう」

「いえ、こちらこそ! どこ行っても厄介者オーラがすごかったので、今日は楽しかったです」

 小田さんがお礼を口にして、同期が素直に感想を述べて、三人で笑った。

「――じゃ、引き続き、明日からも頑張って」

 その言葉で、もうここに居られないことを知る。

 妙にものすごくぐいぐいと後ろ髪をひかれた。でも、まだまだまだまだ(以下略)忙しそうな室内に残っていられる訳もなく、三〇分に一本のバスの時間も差し迫っていたので、同期と急ぎ足で社屋を出た。

 ――それだけのこと。でも、忘れられずにいたこと。


 同じ社屋にいながら、その後はたまに遭遇した社食や廊下で挨拶を交わす程度だった。次にじっくりと会話を交わす機会も、今のところ見当たらない。だから当たって砕けたところで今後困るとすれば、忘年会で席が近かったら気まずいといった程度。――だからって、そんな、告白なんて致しませんよ。

 思いがけず二人きりというこの状況に、告白する方へ心が揺れたがってるのはわかるけど、二年もひそかにじっくり煮込み続けていた気持ちはそこまで簡単に手放せやしない。

 なので、暴走してしまいそうな心に唆されて取り返しのつかない言葉を口走ってしまう前に、どうでもいいことをぺらぺら喋ってしまおうと決めた。

「小田、さん」

「ん、なに?」

 エンジンはかかっているものの車自体は動いていないから、小田さんは私の問いかけに顔を向けてくれて、それだけでうわあと口から心臓が出そうになる。――世間話でこの場を持たそうと思っていたのに、うっかりと今一番気になっていることを聞いてしまった。

「お、お付き合いしてる人っていますか?」

「え? 俺?」 きょとんとされて、我に返る。その顔を見て、ようやく自分のしでかしたことに気付いた。

「すいません、プライベートなことでしたね。失礼しました!」

「いやいいよ、別に。いません」

 何云わせてんの私。小田さんが優しいから笑ってくれたし答えてもくれたけど、これが短気で口の悪いうちの兄だったら、『あ゛? 俺が誰かと付き合ってたとしてそれがお前に関係ある事か?』ってけちょんけちょんにやり込められているだろうし、会社でも場合によってはセクハラって注意されかねないのに。――こんなこと聞いたりして、常識ない人だなって呆れられたかもしれない。 

 落ち込んでしまった私を見かねてか、小田さんは軽い口調で「立木(たちき)さんは真面目だなあ」ってほめて? くれたけど。

「真面目だったらそもそもこんな立ち入ったことをうっかりで聞いたりしません」

「ほら、そういうのを気にする時点で真面目だって云ってるの。じゃ、お返しにこっちからも聞こうかな。立木さん、彼氏はいるの?」

「――いません」

「じゃあ俺とお揃いだね。イヤなお揃いだけど」

「でもなんだか心強いです」

 ようやく少し笑ったら、小田さんも笑い返してくれた。


「――立木さん、お兄さんがお店やってるよね」

 不意にそう告げられて、びっくりしてしまった。二年前、三時休憩の時の世間話の中で『そういえば』と話したことをこちらはよく覚えていたけどまさか小田さんも覚えていてくれてただなんて、――変に期待してしまいたくなるからやめてほしい、けど。

 口角は素直に上がり、声は弾んだものになった。だって、嬉しい。

「はい! 駅前の商店街のパティスリーです」

「知ってます。そこのケーキ、大好きなんだ」

「――ありがとうございます」

 身内を褒められて、しかも褒めてくれたのが好きな人って、二重に嬉しい。

 兄はとにかく口の悪い人だけど、あの人の作るスイーツは性格が反映されていないらしく、どれも優しい味がする。

 そう口にしたら、小田さんが「好きなんだね」ってにこにこした。

「スイーツ『は』好きです」

「スイーツ『も』でしょう?」

「勘弁してください、社会人にもなってお兄ちゃん好き設定は痛々しいですよ」

「確かに、ブラコンで彼氏ナシはちょっと引くなあ」

「小田さんひどい……」

「嘘だよ、引いてない」

 その言葉をどうとらえたらいいんだろう。文字通り、あ、引かれてないんだラッキー! って思っていいってこと? それともただの社交辞令?

 難しいなあ。

 気の利いたコメント返しも出来なくって、曖昧に笑いながら「――踏切開きませんね」って、何度目かの言葉を口にした。

「開かないねえ。雨もすごいねえ」

「なんか、閉じ込められてるみたいですよね」

「立木さんがゾンビだったら俺はもう食われて死んでるパターンだね」

「え、なんでゾンビ設定ですか!」

 プンプン怒ったふりをしたら、「ごめんごめん」と笑われた。――なんだろう。なんか。


 いい、雰囲気、な気がしてしまう。

 また変に期待してしまう。いやいやいや。ない。ないからソレ。

 雨音にも負けない勢いで高鳴る胸をぎゅっと押さえて落ち着け、と念じていたら、「どうしたの? 気持ち悪い?」と心配されてしまった。

「――大丈夫、です」

「あんまりそう見えないなあ」

「車酔いじゃあ、ないので」

「じゃあ、何?」

「――」

「俺には、云えない?」

 その口調は、ちょっと不満げな響きに聞こえてしまって、『そうです』って答えればいいのに、すっかり慌ててしまった。

「あの、小田さんを信じてないとかではなくてですね、」

「うん」

「仕事のことでもないですし」

「うん、でも云ったら楽になることもあるでしょう」

 楽になるのか、そうでないのかそれはあなた次第なんです。

 こっちに選択権はないんです。

 そう思ったら、悲しくなりつつちょっと八つ当たりしたくなった。

「なんでそんなに気にするんですか?」

「気になるから」

 だーっ! これだから開発室の人(へんじん)は! こっちは小田さんの発言をいい方へいい方へ解釈したいんだから、これじゃ言葉が圧倒的に足りないでしょ。何が気になるの。なんで気になるの。ちゃんと伝えて、浮ついた私を冷静にさせてくださいよ。

 って思ってる時点で、もう冷静じゃない。

 こっちばっかりやきもきしてる。伝えたら小田さんが気にするんじゃないかなとか恋が終わっちゃうとか気を揉んでる自分がばかみたいだ。

「聞いたら後悔しますよきっと」

「それは聞いてから考えよう」

「ってなんで云わされるような流れになってますかね!? あぶないあぶない!」

「ほんとに真面目だなあ、立木さんは」

「真面目だったら仕事で会社来てるのに小田さんステキとか考えませんから」

「え、素敵なの俺」

「聞き返さないで流してくださいよ、もう!」

 結局ぽろっとこんなの云っちゃう私も私だし、聞き返してくる小田さんも小田さんだ。

 ああもう、晴れてたらここでバーン! と車を降りちゃうんだけどな。雨、すごいしな。


 異性へ向ける好意をチラ見せしてしまったあとは、もう小田さんの顔が見られなかった。だって迷惑げな顔されてたら凹む。

 なんとか云ってよ好きでも嫌いでも興味なしでも。何か示してもらえなかったら、私の気持ちもこの車と同じにいつまでも立ち往生したままだって云うのに。そう思うけど、私の想像するいいことも悪いことも何一つ、起きやしない。ってことはやっぱりそうか、望み薄なのか。


 なら、もういい。

 当たって、砕けてやろうじゃないの。

 妙な決意とテンションが、私を告白する方へ、大きく前進させた。

「あの、ですね。私、小田さんをですね、」

 その言葉を弾倉に込めて撃鉄を起こしたところで、不意に小田さんがラジオのボリュームを上げた。

「ごめんね、ラジオでこの踏切のこと何か云ってないかと思って」と、そのまま地元のラジオ局の交通情報に耳を傾けてしまった。仕方なく私も右に倣えで同じように耳をそばだてる。ほどなく欲しい情報が得られた。どうやら信号機の故障があったらしく、復旧にはまだ少し時間がかかりそう、との事だった。

「ごめんね、親切のつもりだけどかえって迷惑かけちゃったね」

「いえ、それより小田さんも、いつもならお夜食の買い出しだけだったはずがとんだご迷惑をかけてしまって」

 二人してペコペコ謝り合って、それから笑いあった。

「悪いのはとりあえず俺たちのせいじゃないよね」

「はい」

 ――流された、のかな?

『でも気のせいかも』と、『まさかね』の間を心がぐるぐるしながら、それでももう一度勇気を振り絞った。

「小田さん、あの、私、」

「ちょっと待って」

 小田さんがエンジンを切る。とたんに、エンジンもラジオもワイパーも黙り込んで、雨と踏切の音だけになる。

「まだしばらくこの状態が続くみたいだからとりあえず一回連絡入れよう」と小田さんは会社に電話をして、私も家に連絡を入れて、それから。


 雨の音を、聞いた。聞いているうちに、自分が車の外に出て勢いのよいシャワー状態の雨に頭から打たれたみたいに、だんだんに頭と決意が冷えてきた。

 ――二回も遮られたら、小田さんの気持ちのありようが未熟者の自分にもさすがにわかる。人の気持ちを知りたがったくせに言わせないとか、なんなんだ。がっかりだよ。

 これ以上真っ向から立ち向かう気にはならず、撃鉄を起こした気持ちにはすごすごと安全装置を掛けた。

 ああもうほんとに車降りちゃおうかなあ。足がダルメシアンになっちゃっても誰もそんなの気にしないよ今なら。

 捨て鉢な気持ちで通勤用バッグを手にした時、「ごめん」と小田さんが小さく呟いた。

「今、君が何か大事な事を伝えてくれようとしていたの、分かってた。分かった上で、遮った」

「――はい」

 そう云いながら、ため息が出る。一緒に体の中の空気も全部もれちゃったんじゃないかというくらいに力が抜けて、車を出るつもりだったのに深くシートに沈み込んでしまった。

 これ以上小田さんの言葉を聞きたくない。今すぐ寝ちゃえたらいいのに。

 あいにくそこまで寝つきがよくない私は、ただじっと雨に洗われるまま拭われることのないフロントガラスにうつる、ぼんやりと滲んだ景色を眺めるでもなく眺めていた。

「でも君の気持ちを躱したくてそうしたんじゃなくって、つまり、」

 小田さんはそう口にすると一度黙り、それから私の方にぐるりと上半身を向けて、きっぱりと云った。

「告白は、自分からしたくて」

 ――ぱぁん。

 この場に似つかわしくない乾いた破裂音がして、土砂降りの雨空を一瞬で引き裂いた。そう思うほどの衝撃。


 勘違いするようなこと云って惑わす気ならやめて下さい。

 これ以上傷付きたくなくて抗議しようと向けた目は、小田さんの静かな目と合うと怒りの火をたやすく消されてしまう。

「立木さんのことが、好きなんだ。多分まだ君を俺は少ししか知らないと思うけど、それでも」

 ぱぁん、ぱぁん。信じられない言葉を連射されて、喜びに心がぼうっとしつつもじゃあなぜ、と思う。

「――遮るなんてひどいじゃないですか」

「うん、ごめん。でもそれには理由があって」

「聞きたくないです」

「聞いて」

 ささやかな私の抵抗は、そっとためらいがちに手の甲に触れられたことであっさり止んでしまった。もう少し頑張んなさいよ。好きな人だからって弱すぎだよさっきから。

 お手をされたように乗せられたままの指先を払う事も出来ないでいると、小田さんが「聞いてくれる?」と恐る恐るもう一度同じ言葉を舌に乗せた。

「――聞いて、あげます」

 ちょっと高飛車に云ってみたって、小田さんはムッとするどころかホッとした様子で「ありがとう」なんてお礼まで口にした。

「この車は開発室のなんだけど、外向けだけでなく内側に向けても車載カメラがついてて、エンジンが回ってる状態だとやり取りがばっちり残るんだ」

「!」

 ってことは、あれもこれも記録済みってことか!

 慌てて車に乗ってからのやり取りを三倍速で全部思い出して、あとで何かあって見られても決定的なことは云ってないし恥ずかしいことも多分してないからセーフ、と胸をなでおろす。

「せっかくの大事なことを、車載カメラなんかに残しておきたくなかったから、ごめん」

「いえ、むしろありがとうございました……」

 そして気付く。今はエンジンを切っていると。

 この人は私を好きで私もこの人が好きでそれで今は両思いって奴なのでは。

 手の甲を見る。待てをキープしたまま次の命令を待ってるみたいな小田さんが、まだ私を見つめていた。

「返事を、もらえる?」

「――もう知ってるんじゃないですか」

「でも聞きたい。ちゃんと」

 そんな風に静かにじっと見つめられながら好きな男性に請われて、ノーと言える女子はどれくらいいるのかな。


 穏やかで優しくて、でもびっくりするほどダイレクトな瞬間も、あって。そのどれもが、好き。

 こんなに緊張しててきちんと伝えられてるか、自分でもよくわからない。

 ちいさなちいさな言葉はきっと雨音と踏切の音に紛れたはず。でも小田さんは『聞こえなかったからもう一度』なんていじわるは云わずに「ありがとう」って、今度こそ受け取ってくれた。

 でもそれだけじゃ足りない。知りたい。

「あの、小田さんは私のどこが好きなんですか?」

「数字がね、」

「は?」

「二年前、レポートに書き込んでた数字が、今にも踊り出しそうに楽しげでかわいかったんだよね。3とか、5なんか特に」

 やっぱりそう云う変なとこに引っかかっちゃうアンテナ持ちなところは、さすがに開発室の人(へんじん)だ。

「じゃあ、数字を奇麗に書いてたら、今こうしてないってことですかね」

 好きな理由が手書きの数字だなんてやっぱりちょっと悔しいから、意地悪してみた。

「それはただのきっかけだから。ほかにもほっぺたつつきたいくらいかわいいな、とか、小柄なのによく働くな、とかいろいろあったよ」

 それってなんだか自分が欲しいような甘い台詞とはちょっとずれてるような気がするんだけど、――まあ、いいか。

 嫌われてたら悲しかったけど、そうじゃないし。むしろ逆だし。数字とほっぺと働きっぷりだけど。


 互いのスマホのポートを向い合せにして連絡先を交すと、エアコンを切って数分しか経っていないのに、もうじっとりと汗をかいてしまった。

「そろそろエンジン掛けるよ」

 と云うことは、プライベートな会話はこれでおしまいという事だ。

「はーい」とお返事をすると、またエンジンのボタンが押されて、静かに車が眠りから覚める。


 車内での状況は激変したものの、相変わらず雨は凄いし、踏切は下りっぱなし。

「まいったね」

「まいりましたね」と交わす二人は、きっと隠しきれない笑顔で録画されている事だろう。特に私。


 踏切が開いて、駅で下されたらすぐに小田さんへメッセージを送ろう。思いきり熱烈な奴。

 それを見る時、どんな顔をしているのか気になる。車載カメラ、チェックできたらいいのになあ。

 相変わらずまだまだ開きそうにない踏切の手前の車の中でそんなことを考えて、私はひっそりと笑った。






「ハルショカ」内38話に続きがあります。

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