時を駆ける寅ちゃん
高校生×高校生
男子に人気のお洒落雑誌の街角スナップでグランプリとやらになったとたん、学校での彼の評価がぐるっとひっくり返った。ちょっと前までかわりもん扱い&敬遠されてたってのに、今じゃ知らない人まで自称『彼の友達』だ。
そんな周囲の掌返しに私が呆れまくっても、横で飄々としている男の子。
それが、私の彼氏の菊池寅彦。
寅ちゃんはひょろっとしてて色白のTHE少年チックな外見の持ち主だ。でも超が五つ付くくらいアホな人でもある。
『E.T.』のDVDをみてよーし自分も自転車で空を飛ぶぞと思うのは、小学校低学年までにしておいてほしい。今日の放課後、全力で川に向かって漕ぐ、見覚えのある自転車を橋の上からたまたま見た私の心臓は嫌な音を立てたよ。
当たり前だけどCGも魔法も使えない寅ちゃんの自転車は、漕いだままの勢いで川にぽとんと落っこちた。
春とは云え、水温はまだ遊泳に適した温度ではもちろんない。清流とは云い難いその川面に「冷たいいいい!」と顔を出してから、寅ちゃんは自転車を引きずって岸に上がってきた。
引き上げた自転車は私が押して帰った。寅ちゃんあっちもこっちもけがしてるし。せっかくのかわいい顔も、悪くない制服姿も水ですっかり台無しだ。学ランなんか、濡れたせいで水面をぷかぷか流れてた桜の花びらがピンクのヒョウ柄みたいに付きまくってる。
片方の足を庇ってひょこひょこ歩きながら「駄目だったかー」と暢気に笑う寅ちゃんと、無言でお怒りモードな私。けが人に合わせてゆっくり歩いてたから、一五分は無言だったかな。それでようやく私が怒ってるって気付いたらしく、菊池家に着く直前になって慌てて笑い顔を引っ込めた。遅いっ!
ようやくたどり着いた寅ちゃんのおうちへお邪魔すると、真っ先に奴をお風呂に入らせた。ちなみに私は寅ちゃんママさんから『潤ちゃん、いつもバカ息子の面倒を見てくれてありがとうね。私が仕事でいない時でも、いつでも上がってくれて構わないから』と、合い鍵とそれを行使する権利を戴いている。――アハンウフンな危惧は全くされていないらしい。のんびりな寅ちゃんはキスしただけで真っ赤になっちゃうので、こっちの方が正直焦れてる。
汚れを落とし、あったまって出てきた寅ちゃんは、洗われて毛がぺったんこになった犬みたくしょぼんとして、大人しく怪我を消毒されながら「じゅんじゅんごめん」と小さく口にした。
「迷惑かけるつもりじゃなかったけど、また迷惑かけちゃった」
あんまりしょぼくれてたから、『なんであんな事したの!』って怒る気が丸ごとそがれた。救急箱の蓋を静かに閉めながら、「今更でしょ、知らないとこで勝手に死に掛けられるよりよっぽどいいよ」と半分本気で返す。
「でも、なんであんな事したのか聞いてもいい?」
私が優しく笑顔で問いかけると、寅ちゃんはかえって怖がった。失礼な。
「い、『E.T.』を、みて」
「んんー?」
「自分も、そろそろ空くらい飛べるかなって……」
「アホかー!!!!!」
結局『寝言は寝ても云うな』『そう思うならせめて妄想だけじゃなく何か努力をしろ』等々、叱ると云うより感情に任せて怒りまくった私がひとしきり言葉を吐き尽くすと、怒られてた筈の当の本人は「やっぱり優しいじゅんじゅんはらしくなくて怖いね。怒ってる方がいいよ」とのほほんと所感を述べたので黙ってその頭を叩いた。おいしいスイカみたいな音がした。
「富岡さん、昨日も大変だったみたいねー?」
翌日の昼休み中、さっそく私にそう声を掛けてきたのは評判が男高女低で有名な同級生の桜井さんだ。――相変わらず、耳が随分と早い事。もちろん、さっきの言葉も心配して掛けてくれてる訳じゃない。
「おかげさまで」
バナナミルク味のブリックパックの最後の一口を勢いよく吸い上げてわざと嫌な音を出す。それを聞こえないふりして、彼女はまた話しかけてきた。
「でも、菊池君には富岡さんがついてないとね」
「……何が云いたいの」
「ううん、大変そうだけど頑張ってって事」
じゃあねーと云いたいだけ云って去っていくフローラルの香り(悔しいけど仄かにいい匂い)。
廊下で待ってたオトモダチに『ねえ、あの変人の彼女に何云ってたの』と聞かれて『別に―?でもマジ趣味悪いよね』とか私に聞こえるように云ってるあたり、外見はかわいいのにほんと性格の悪い女だ。
繰り返すけど、寅ちゃんの見てくれは悪くない。むしろ中身に比べたら超優良。彼女として色ボケ加点はしてないし、むしろ奴の日ごろの行いから見積もり評価は低く抑えてる自覚がある。
『風の谷のナウシカ』を観たあと『だいじょうぶ、ほらこわくない』がしたくて近所の土佐犬に手を差し出し、あやうくがぶりと噛まれそうになったり、許可もとらずに学校の廊下で長―いドミノ倒しをしようなんて思わなければ、性格だって温厚な、普通にその辺にいる暢気な男の子だ。
なので、その行動を目の当たりにしていない人――一学期のはじめにちらほらいる――は『ちょっと変わってるけど、かわいいから』と告白してきたりする。
桜井さんはもっと積極的で、人気のいない教室に寅ちゃんを呼び出して告白しながらおもむろに制服のブラウスのボタンを外し始めたんだそうだ。それをみて喜ぶどころか寅ちゃんときたら『イヤー! コワイ!』と教室を飛び出して、保健委員の仕事で備品チェックをしていた私のところへ泣きつきに来たから、彼女のプライドはズタズタになったんだろう。それ以来、何かっていうと絡まれるし、寅ちゃんのやらかしはすぐに悪意を持って広められる。
なのに桜井さん(ほんとはさん付けなんかしたくもないけど)ときたら、桜の季節が終わった頃になんとかグランプリで寅ちゃんが有名になった途端、ころっと態度を変えてきた。
こちらにではない、地元のタウン誌からの取材に積極的に応じたり、『呟き』なんかで外に向かって仲良しアピールをするのだ。
『寅ちゃんは、変わってるけどすっごいいい子なんです』なんて、彼女にだけは云って欲しくない。
『この間も、『E.T.』をみて自転車で空を飛ぼうとしたくらい、純粋なんですよ。かわいいでしょ?』って、あん時『高三にもなってヤバいよねアイツ』って嗤って、頭の横で人差し指くるくる回してたの誰だよ。
彼女が言葉を連ねれば連ねる程、寅ちゃんの輪郭はぶれる。
『かっこよくってかわいくって純粋』な寅ちゃんの上っ面だけが、世間に広まってく。
タウン誌や地元のテレビ局の取材をいくつか受けた後、寅ちゃんと桜井さんが二人いっしょに、グランプリをとった例の雑誌のインタビューを学校の教室で受ける事になった。 よっぽど先に帰ろうかと思ったけど、寅ちゃんの『じゅんじゅんがここにいてくれないと泣いちゃう』という訴えに絆されて、インタビュー会場である教室の片隅に留まっている。
窓は開けっぱなしだから、外から入ってくる風でカーテンが時折ふわふわと舞う。
暖かいし、いい陽気。こんな日には寅ちゃんと自転車で川っぺりに行ってレジャーシート敷いて、のんびりごろごろしてたいよ(もちろん女子なのでUV対策はきっちりして)と思いつつ、ライトをガンガン焚かれた教室で桜井さんと一緒に、何だか仲良さげに見える寅ちゃんを見る。――よくみると、少―しずつ体の距離を縮めてくる彼女から、詰められた分だけ律儀に距離を取っていた。
インタビューで聞こえてくるのは、桜井さんの口から飛び出すニセモノの美辞麗句。
「寅ちゃんはすーっごいピュアな生き物なんですよ」
「赤ちゃんみたいな目で見られると、なんだかドキッとするんです。無自覚怖い(笑)」
「みんなのアイドルですよ。愛され系男子ですね」
――なんてのを聞いているうちに、どんどん寅ちゃんの顔は曇っていく。
とうとう、インタビューの途中、カメラがバシャバシャとシャッターを切っているというのに立ち上がり、「じゅんじゅん」とまっすぐこちらを見て声を掛けてきた。カメラマンさんやインタビュアーさんが止める間もなく、ずいずいと私のところまで上履きの足を進める。そして、窓枠にもたれて高見の見物してた私の手を取った。そのおっきな目のふちに溜まっている涙は決壊寸前だ。
「じゅんじゅん」
「ん?」
「もう、帰ろ? 俺やだ、大事じゃない人にベタベタされるのも、全然違うこと云われるのも、俺の云ったことを全然違くされちゃうのも」
「ん、わかった」
これまで取材を受けるたびに憂鬱そうにため息を吐きつつも、寅ちゃんは頑張って一つ一つに丁寧に答えていた。でも、丁寧に返した言葉が丁寧に伝えられるとは限らなくて、時にはいいように切り取られ、時にはまるっきりの嘘を流されて。
でもそれはあくまで寅ちゃんの事だし寅ちゃん以外の誰に迷惑をかけている訳でもないから、あえて私からは「やめる?」なんて聞いてあげなかった。寅ちゃんにチラチラ見られても我慢してた。
でもはっきり口に出して云ったなら、私はそれを最優先で尊重するよ。
「いいよ、帰ろ」
私が苦笑してもう片方の手で頬を撫でると、寅ちゃんはぱっと笑顔になる。そして後ろを向くと「そういう訳なのでごめんなさい、さようなら」と謝って、それから私にがばっと抱きついてきた。
「こら、ここ学校」と云ってみたところで効力がないのは何度も公開ハグされてるから知っている。案の定、「でも家に帰るまでの気力ないから充電させてよ」なんてますますすり寄られた。ため息一つで許してしまう自分も何だかねえ。甘やかし過ぎという自覚はあるけど、べったべたに甘やかすのは嫌いじゃない。だから、「寅の甘ったれ」って言葉も笑って云って、それを受け取る寅ちゃんも「うん」って笑ってた。ハハ、ギャラリーの皆さんの目が点だよ。
寅ちゃんの匂いを吸い込む。思ったよりも男くさい。なのに手ェ出してこないって何事よ、と前に聞いたら『大事にしたいんだよ、好きな女の子なんだから』と勝手に大事なもの指定されてしまって、自分がたいそうなわがままを云ってるような気にさせられたっけ。
でも焦れるのよ。こんな風にベタベタするようになってもう何年も経つのに、寅ちゃんときたらいつまで経ってもジェントルマンで、熱い吐息の一つも漏らしてくれない。きっと二人のはじめては、我慢きかなくなった私が奴の馬乗りになってだな、とちっともロマンチックじゃない想像がやけにリアルに描けた。
それにしても。
「――充電、まだおわんない?」
「まだ」
「そろそろ離して」
「んー、もうちょっと」
「帰ったらコーヒーゼリー作ってあげるから」
「じゃあ帰る!」
ねじまきのおもちゃがねじをいっぱいまで回したみたいに急に元気になった寅ちゃんは、ぴょんと跳ねるように私から離れると、廊下ではなく窓から外に飛び出した。
「こら、寅!」
「こっちの方が早いもん!」
地べたには足を付かず、律儀にコンクリの上の下足禁止ゾーンだけをちゃきちゃきと小走りして昇降口に向かう寅ちゃん。まったく、自由な人だ。
でもただ自由なんじゃなくて、ほんとは周りに上手く合わせられない自分の事を苦痛にも思ってるし、『菊池君て変だよね』って云われる事にまだいちいち傷付いてる。
開き直っていいんだよ。寅ちゃんはとんでもないけど、一緒にいると楽しいんだよ。
バカばっかりしてるし、周りに迷惑もかけるけどね、決して誰かを傷つけたりしない。
そんな寅ちゃんのね、私一番傍にいて、怒ってるのがけっこう好きなの。今だって身一つで飛び出した寅ちゃんの、机に置きっぱになってためちゃくちゃ軽いリュック(教科書は全て置き勉だ)を持ち上げて『しょーがないなあ!』って思ってるとこ。
――さ、そろそろ私も行かないと、ローファーに履き替え済みの寅ちゃんがきっと昇降口で壁に凭れて、足の先をぱたぱたしながら待ってる。
私はくるりと振り向いて皆さんに一礼した。
「すみません、本人もああ云ってますし、取材はこれきりで終わりにさせてくださいね」
「え、ちょ、ちょっと!」
「桜井さんも、もう寅ちゃんにいじわるするのやめてね」
それに対する返事はなかったけど、まあいいやと廊下を歩く。
ずっと、笑顔でちくちく嫌味云ってきた桜井さんは、もしかして本当に寅ちゃんを今でも好きなのかな、とも思う。あの嘘んこと決めつけてた言葉はもしかして彼女の素直な気持ちなのかも知れない。でもだからといって自分を振った相手に意地悪していい訳じゃない。
もっと真正面から当たってくれたら『恋の好敵手』として寅ちゃんを巡ってバトってたかもね。そして、もしかしたら寅ちゃんはそっちに行っちゃってたかも。
でも今、寅ちゃんの隣は私のものだ。望んで、望まれてここにいる。それを譲る気なんかないよ。
趣味悪いとか悪食とか云われても、それしきじゃ私の心にいかなる傷も付きはしない。
傷を付けられるとするならそれはきっと、寅ちゃんだけ。そして奴は絶対絶対、私の心を傷つけない。それで自分が傷ついてもね。
私のお母さんは、あんまりいい噂のない寅ちゃんとのお付き合いを歓迎してはいない。お姉ちゃんもそうだったけど、こっちはグランプリ後に掌返しした組だ。『彼女のあんたならサインもらえるでしょ』って顔合わすたびしつこいけど、サインなんてもらってくる訳ないじゃん。寅ちゃんは優しいから『俺なんかのサインでいいなら』って云うに違いないって知ってる。でも、私がイヤだもん。今はチヤホヤしてても、それもメディアに出なくなったらこっちに押し寄せていた掌は、またくるりと帰っていくんだろうし。
のんびりさんだけどだいぶ困った発想の持ち主で、ふわふわな夢を見ながら生きてるみたいな寅ちゃん。
そんな周りの声や態度のいっさいがっさいを上皿天秤の片方に乗せて、もう片方に寅ちゃんを乗せたら、私の天秤は寅ちゃんの側にガーン! と傾くって決まってる。いつでも、揺れる余地なんてなしで。
今はまだやる事なす事失敗続きだけど、いつか寅ちゃんは時を駆けるかもしれない。
隣にいるとつい、そんなバカげた夢をいっしょに見たくなっちゃう。手を繋いだらいっしょに空を飛べるかも、なんてリアリストな私らしくもないけど。
廊下を歩きながら膨らませていた妄想は、昇降口で私を待っていた寅ちゃん(思った通り、足先をぱたぱたしてた)がパッと笑顔になった事でいったんおしまい。さあ、帰り道、ご褒美のコーヒーゼリーを作るべく一緒にスーパーへ買い出しに行きましょう。
寅ちゃんちょこっと出演→ https://ncode.syosetu.com/n7313bz/30/
「ハルショカ」内37話に二人の続きが、39話に桜井さんの話があります。