うそだよダーリン
会社員×会社員
『今日という今日は愛想が尽きた。もう無理、耐えらんない。さよなら』
そう記した置手紙、ひらり。テーブルの上に降らせたら、そこにいたあなたがあっという間に便箋を拾い上げ、目を通した。
一瞬で、しかめ顔になる。そして、手にした便箋をこちらにくるっと向けて一言、「どういうこと?」
その、予想をはるかに超えた過剰なリアクションに内心『おおっと!?』とおののきつつ、なんとかそ知らぬふりをして見せた。
それにしても、今時こんなにも簡単に引っかかっちゃう人っているんだなあ。そんな場合じゃないのにうっかり感心してしまうよ。
まっすぐに見返すと、気のせいじゃなくやっぱり厳しい顔のままのあなたがいる。
「……そういうことだよ」
なーんちゃって! 嘘です! と種明かしする前に、「冗談じゃない」と、荒ぶる気持ちを無理やり抑えつけてるって分かる声であなたが云う。
「せめてそう思った理由の一つも教えてくれ、でないとこっちはとても納得なんて出来ない」
テーブルの上で組まれた指は、爪の先が白くなるほど強く力をこめられてた。
――びっくりした。あ、この人も怒るんだ、なんて。いつも優しくって優しくって、ひたすら優しい人だから。
以前、彼の運転する車の前へ飛び出してきちゃった小学生の男子にだって『危ないだろ、右左ちゃんと確認してから渡らないと、大けがしてしまうよ』と強めに、でも声を荒げたりしないで言い聞かせていたくらい。私なら怒鳴ってギャン泣きさせてた自信があるよ。
ファミレスでオーダーミスでもされたのか、すっごく待たされた時も、お祭りの人込みでぎゅうぎゅう押された時だって、苛々してるのは私だけで、いつだってあなたはゆったり構えているのに。
うふふふふ。かーわいいの。
「……なんで、笑ってるんだ」
「だって、」
やだなあ。何で気が付かないかなあ。テレビでもネットでも朝からそんな話題で持ちきりじゃないですか。
今日は、四月一日だよ。だから笑って『まったく、しょうがないな。こっちがころっと騙されるようなもうちょっとましな嘘をついてくれよ』って苦笑されて、私が『なにさ!』って悔しがって、それで終わりだと思ってたのに。まさか、ころっと騙されてくれちゃうなんて。
緩んでしまう頬を自分でもどうしようもない。
私が、この人をこんなにしちゃってるんだと思うと妙な優越感がむくむく湧いてくる。
あなたはさっき組んだばかりの指をもうほどいて、今度は苛立たしげにテーブルを指先でコツコツ鳴らしている。
そんなの似合わないな、やっぱりいつものあなたがいいな。そう思いつつ、「……エイプリルフールのつもり、だったんだけど」と手紙の内容がシリアスなものではなく、でっかい釣り針だったと明かすと、「…………、………………!!!!!」とあなたは何も云わずにして心の内を明かすと云う高等技術を使ってみせてくれた。
同い年とは思えないくらい落ち着き払ってるあなたが、今私の前でテーブルに突っ伏して悶絶してる。その耳までが見たこともない程に赤い。
そんなあなたの横に行って、膝の上に置かれた握り拳をそっと撫でてふんわりと包んだら、するりと包み返された。
「びっくりさせちゃったね」
私の言葉に、俯いた頭が小さく縦に動いた。
「ここまで盛大に驚かすつもりじゃなかったんだけど、ごめんね」
少しだけテーブルから持ち上がった頭が、横にゆっくり動く。
「来年は、全然違うジャンルの嘘つくから許して」
ふっと、息で笑ったのが聞こえた。
「そうして。ほんとに、『ああ、俺捨てられるのか』って心臓痛くなったから」
頭を上げた彼だけど、余韻のように苦い顔をしていた。それ見たら、さっきまでの愉快な気持ちは一変して、彼と同じような気持ちになる。
「……ごめん」
「理由とか何とか云ってみたけど、あれ単に時間稼ぎだから。どうせそんなの聞いたって、それがどんな理由だとしても納得なんか出来る訳ないんだ」
私の手を包む手が、離さないと云わんばかりに絡められる。
大丈夫、離れないよ。座ったままのあなたにもう片方の手でぎゅっと背中から抱きついて、首元に顔を埋める。あなたって匂いまであなたらしい。私を引き付けて離さないフェロモンでも分泌されてるんじゃないかな。
匂いまで好きだなんて、重すぎると思って云えなかった。ちょっと変態入ってるっぽいし。でも、私の方が重いと思ってた気持ちは、もしかしておんなじくらいなのかも。だって、突然お別れしたいって云われたら、似たようなリアクションをする自信があるよ。
時計の針が動いて、一二時を回った。でも私たちはまだ二人ともさっきのやり取りを消化しきれてないみたい。
仲直りは、したよ。でもちょっとまだしょんぼりな気持ち。
「……さっきの話だけど、捨てられるなら私の方だよね」
そんなつもりじゃなかったとは云え、たちの悪い嘘ついたし。よくキーキー怒ってるし。
日付を跨いで、今日はもう四月二日。嘘をつく日は過ぎたから、本当のことだけを唇に乗せる。
「こんなでも、嫌いにならないで」
「なるわけない」
断言されて、図に乗ってしまう。そのままのテンションで、本音第二弾。
「すきだよ」
あんまり云ったり云われたりしないけど、断言に後押しされて云ってみたら。
「嬉しい」
「なにそれ、そこは『俺も』って返すところ!」
ほら、あなたのずれたリアクションに、また怒っちゃった。
でもあなたはにこにこ笑うだけ。そして。
「ココアいれようか?」
「うん!」
あなたの一言で、ようやくいつもの感じが戻ってきた。
怒ってたのはいれてもらうココア一杯ですぐにどうでもよくなっちゃう私を背中にべたっとくっつけたまま、あなたが椅子から立ち上がる。それに合わせてくっついてたとこがずるずると下がって、とうとう私の手は彼の胴へ回ってコアラ状態。
台所に向かうあなたに歩調を合わせて(というか、密着したままの私にあなたが歩調を合わせてくれて)いたら「歩きにくい」と、苦情を頂戴した。
「離さないって決めたから」
「極端な人だなあ」
そう呆れつつ、邪険にされる気配はない。
「じゃあ俺の会社にも得意先にもくっついてくる?」
「いいね、普段どんな風に仕事してるか興味ある」
「別に、普通だけど」
「どうかなあ、モテモテだったりして」
「よそでモテたことはないな」
会話しながら、静かに準備をするあなた。
今の私がどのマグカップ気分か的確に分かるひと。
ぎっちり詰め込んであるうちの食器棚からガチャガチャ云わさずにマグを出せるひと(私にはとても無理)。
私の好みど真ん中な甘さと温度でココアを作ってくれるひと。
回した腕にぎゅーっと力をこめたら、「ガス台使うから、離れて」ってほどかれてしまった。
「……はーい」
さっきは片時も離さない勢いだったくせにもう冷静だね。
そう思いつつダイニングの椅子でスリッパの足をパタパタ遊ばせて待っていると、マグカップ二つ持ってあなたが帰ってきた。
目の前に静かに置かれたココア。ありがと、ってお礼を云う前に「すきだよ」ってフェイント攻撃、きた。
「……うん」
云われると胸がいっぱいになるものなんだね。ロクな返しも出来ずにしみじみ味わっていたら、「『私も』って云ってくれないの?」っていたずらっぽくそう云われてしまった。
「私も!」
ほんとの気持ちだけど素直に口にするには恥ずかしすぎて、えいっとやけくそ気味に云ったら、あなたがココアにむせながら、笑った。
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