ダンジョンの唸り声
ダンジョンとは、殺し尽くせども時間を経てば新しく魔物が湧いてくる穴倉である。
魔物は時に珍しい素材や武具の類を落とす事があり、更には宝箱が設置されている部屋もあって、ダンジョンに潜る者たちの目的は、魔物と戦って経験を得る事とと付随する宝に集約されていると思われている。
だがしかし、魔物との戦闘および宝の収集を目的としているのは、全体の七割ほど。残りの三割は、全く別の目的を持ってダンジョンへとやって来ているのだ。
例えばダンジョンそのものを研究するためであったり、誰にも邪魔されず怪しげな実験を行うためであったり、何かに追われた者が当面身を隠すためであったり。隠し部屋は豊富にある上、場所によっては飲み水が湧き出すフロアもある。食料を落とす魔物も数種類存在しているため、ずっと暮らすのは難しくともしばらく引き篭もる分には不自由しない。
おかげで上層の隠し部屋の半数以上は、隠し部屋と呼ばれてはいるものの、常に誰かしらに使用されている現状である。全く隠れてはいない。
その他に、案外と多いのは逢引の類だ。
地上で会うのは差し障りがあるのか、ダンジョンの中でこっそりと愛を語らうだけのものもいれば、隠し部屋で交わり始めるものたちも少なくない。中には隠し部屋ではなくダンジョンのフロアの真っ只中でおっぱじめる剛の者も居ないではなく、営みに夢中になりすぎて湧き出た魔物に殺された者たちの数も片手では済まない。一度魔物を殲滅せしめれば、部屋を出るまで魔物が湧き出すことのない隠し部屋とは違い、いつ何時魔物が沸いてくるか分からぬフロアで交わるなど、あまりに命知らずな行動であると思うのだが、そういった状態であればあるほど興奮する性質を持ったヒトはいかなる時代においても一定数存在するようだ。子供を作るためでもないようなのに、そうまでして励むなど、ヒトとはとても変わった生き物であるなとある意味で感心したものである。
さて、なぜそのような事を私が知っているかと言えば、単純な話だ。私が、ダンジョンだからである。
ダンジョンを管理する別個体という意味ではない。
正しく私はダンジョンそのものであり、ダンジョンすべてが私である。
よってダンジョンの中で起こった事全ては、必然的に私の知るところとなるのだ。
元来、外から迷い込んで来たものはみな、私の食料である。故に食料の位置を把握はしていても、それが何をしているのかについては全く感知していなかった。私の思考の全ては、いかに効率よく食料を誘い込むかという事に割かれていた。
しかし、ダンジョンとして長い年月を過ごすうち、私の中にある種の感情が生まれたのである。それはもしかしたら、知的好奇心と言い換えられる類のものかもしれない。
初めは食料調達の一環だった。
なにせヒトは外の魔物や動物たちと違い、イレギュラーな行動を取ることが多すぎた。ある者に通じた方法が、他の者には通じない。更には彼らは学習能力が高く、同じ手ばかりだと対策を取られてしまう。そんな彼らに対抗すべく、ヒトが何をしているのか、つぶさに観察してよりよい方法を模索することにした。
それを面白い、と感じ始めたのは、観察を始めてさほども経たぬ内からだった。
ヒトは全く予想外の行動をするように見えて、ヒトのタイプによってとる行動が似通っている。しかし行動パターンを見切ったと思っても、思わぬ行動に出て私の予想を覆す。
ならばこちらがこう出れば、あちらはどう出てくるか。
ただの食料調達の手段だったそれが、いつの間にやらヒトとの知恵比べに変わっていて、私は夢中で体を変化させどうにかヒトの裏をかいてやろうと奮戦した。
元より、命まで奪わずともヒトの流す血や、発する感情や魔力も食料として摂取できる。むしろ殺さずに返して、何度も足を向けるように仕向けた方が効率が良いと気づいてからは、上層から順に弱い魔物を設置してゆき、罠の類も上の方では致死性の低いものに調整した。さすれば、今まで訪れなかった弱いヒトもダンジョンに足を向けるようになり、強いヒトとは違った弱いヒトにだけ見られる行動パターンにまた興味を擽られる。
あまりに無限に階層を増やしてゆくと、百と少しを超えた所から深層に向かおうとするヒトが激減することが分かってからは、最深部は百に固定する。一番奥の部屋には強い魔物を設置して、それが倒されれば模様替えをすることにした。
さすがにある程度ダンジョンとしてのパターンを決めた頃には、ヒトの生態に目新しいものを見出す事は少なくなってゆく。全く予想外だと思っていた行動も、もっと統計的な視点から見れば予測の範疇に収まるようになっていった。
それでも時折、イレギュラーは発生するもので、そんな彼らを観察する事は依然として面白い。
近年では、突出した戦闘能力を持つ者がちらほらと現れているので、新たに階層を増やすか魔物の質を上げるか、バランスの面で少々頭を悩ませている。強いものにあわせすぎると弱いものがやってこなくなるし、かといって今までのままでは強いものにとって歯ごたえがなさすぎて、型に嵌った行動以外を見せてくれない。
強いものも弱いものも、適度に危機感を抱いてこちらが思いもよらぬ方法で、危機を脱するようなそんな難易度に調整すべく中身を作り変えることこそ、少し前までの私が心を砕いている事だった。
の、だが。
今の私は、とあるものに興味の殆どを持っていかれている。
それほどまでに私の興味を引いたのは、一人のヒトの雌であった。
(むむ、やってきたな)
ダンジョンの入り口、待ち人の気配を感じた私は、素早くダンジョン内に存在するヒトの位置を確認する。
上層には、隠し部屋も含めれば無数のヒトがいるものの、そちらは彼女に関係ないのであまり気にはしない。問題は中層から下層にかけて。
中層には、パーティーが五組。下層には誰も居ないが、中層のパーティーのひとつはおそらく、下層にまで到達する心積もりであろう。
ならばと私は、下層に届きそうなパーティーの近くに、少し強めの魔物を湧かせて足止めを試みる。必要以上に備品を消耗して、あわよくば引き返してくれれば良いと願って。
私が細々と調整する間に、彼女は凄まじい勢いで上層を突破してゆく。
上層は基本的に、模様替えをする際も大きく変えることはないから、ある程度のルートは確立している。そして最短のルートで突っ切れば一つの階を降りるのに半刻もかからない。だが彼女は半刻で三つも四つも階を下ってゆく。今日はいつもにも増して、速い。
あっという間に中層にたどり着いた彼女の勢いは、衰えることはない。普通ならば一度、休憩をとって然るべきであるのに、彼女はそのまま中層を突っ切ってゆく。私は彼女の行く手を塞がぬよう、魔物の出現率を調整しながらその行く先を追う。
中層に出現する魔物程度ならば、彼女の脅威にはならないと知っている。単身で下層まで到達する力を持つ彼女は、ダンジョンに現れるヒトの中でも上位に君臨する実力の持ち主で、トラップを見抜く祝福も得ているから、私が手を加えずとも大して問題はないだろう。
しかし、わき目も振らず下層を目指す彼女の目的が、魔物を屠ることでも宝を得る事でもないと知っているから、私は必要もないのに彼女の行く先から障害物を取り払う。早く彼女が、目的の場所にたどり着けるように。
さすがにぶっ通しでダンジョンの中を進んでいれば、いくら強い彼女であろうと疲労は感じるらしい。下層の手前で少し、彼女の歩みが鈍る。すかさず私は、休憩にちょうどよい場所を彼女の行く手に作成した。水場もきっちりと用意し、別のパーティーが近づかぬようにと更に魔物の湧き具合を調整する。
ここまで下ってくるのに、半日弱。私が多少調整をしたとはいえ、普通のヒトならば二日近くかかる道のりである。さすが彼女は強いとどこかで誇らしく思いつつ、じっとその動向を見守り続ける。
折り良く、下層を目指していたパーティーが、私の用意した魔物をどうにか打ち倒し、一度地上に戻る事を決めたようだった。これでしばらく、下層を目指す者は現れない。彼女以外には。
やがて休憩を終えた彼女は、下層へと足を踏み入れる。
さすがに足取りはやや慎重なものへと変わったが、一心に下を目指す姿勢は変わらない。完全に魔物を引っ込めてしまうと、あらぬ警戒心を抱かせる事になると学習していたので、適当に魔物を配置する。撃破するのに手間のかかる魔物とは接触を避けようとする彼女の習性を利用して、より下へ続く階段へと効率よく彼女を導く工夫も忘れない。
下層を七つほど下ったところで、彼女の動きに変化が現れた。先を目指す代わりに、何かを探すように注意深く壁面を確かめながら進んでゆく。その行動の意味を知っている私は、不自然にならぬように彼女の行く先に一つの部屋を作った。隠し部屋である。大きなフロアから直接行ける隠し部屋では、彼女の目的には適わない。故にいくつもの部屋を経由して、ようやく見つけられる場所に、いくつか隠し部屋を作成した。彼女が使わない場所は、気づかれぬように消してしまう予定だ。
そうしてしばらくして、彼女はお眼鏡に適う隠し部屋を見つけたようだ。
慎重な足取りで中に入ると、部屋の隅にぺたんと腰を下ろして、すうと大きく息を吐いた。
「ふ、う……うわあああああん!」
途端に、大きな泣き声が隠し部屋いっぱいに響き渡る。
突然の彼女の行動に、私は驚きはしない。念のためにと彼女の声が外に漏れていないことを確認し、隠し部屋の中が清浄な空気で満たされるように働くだけだ。
なぜなら、私は知っている。
彼女は、誰にも知られず泣くためだけに、わざわざ下層の隠し部屋まで足を運んでいるのだと。
初めは無論、驚いた。
下層というのは、ヒトによっては一生たどり着く事の適わぬ場所である。
その分、魔物が落とす素材も希少な物に設定しているが故に、一つでも持ち帰ればヒトがしばらく生きるに十分な食料と交換出来る筈である。よって多少無理をしてでも下層で魔物と戦い、その素材の欠片でも持ち帰ろうとするヒトは多い。ダンジョンに訪れる者の三割は、戦闘や素材の収集以外を目的としているとは言えど、下層まで踏み入れる者の中にはほぼ、居ないと言って差し支えなかった。
しかし彼女は、下層までわざわざ出向いたというのに、泣くだけ泣いただけで、あっさりと帰ってしまう。その行動の意味するところが全く理解できなくて、私はそれから彼女がダンジョンに足を踏み入れるたび、注意深くその挙動を観察し始めた。
下層の隠し部屋以外で、彼女が涙を流す姿を見たことはない。それどころか、表情を動かす所すら見ることは出来なかった。
隠し部屋の外での彼女は、何の表情も浮かべぬまま、ばさりばさりと魔物を切り捨てて、何の感慨もなく希少な素材を拾い上げて懐に収めてゆく。
戦闘人形だと影で囁かれるのが彼女のことであると知ったのは、観察を始めてすぐのことだった。
血も涙も感情もない、戦闘のためだけに生きる女、それが他のヒトの間での彼女の認識であった。
彼女が軽く唇の端を吊り上げようものなら、あっという間にそれはヒトの間に知れ渡り、何の根拠もない噂が膨らんで広まってゆく。だから仮に彼女が涙を流そうものなら、簡単に知られそうなものなのに、そのような噂は一向に聞こえてこない。つまり彼女は私の目の届かぬ、ダンジョンの外ですらも、涙を流してはいないようだとすぐに分かった。
彼女が泣ける場所が、地上のどこにもないのだと、ヒトのなかなか寄り付かぬ下層の隠し部屋まで出向くまでは、涙の一粒も流せぬのだとの結論に達するまでには、些か時間がかかった。
なぜなら私はダンジョンである。長くヒトを観察してきて、ある程度その内情を推測する事は出来るようになったとはいえ、ヒトの機微に聡い訳ではない。隠し部屋で彼女が涙を流すのを見つめること数度、そして彼女が合間にぽつりぽつりと零した泣き言を聞いてようやく、理解したのだ。
ヒトの雌の涙は、時に周りを動かす手段となり得る事を私は知っていた。
ダンジョンの中で涙を流すヒトは少なくなく、計算して涙を見せることで周りを動かす術を持った雌も居る。ヒトとは面白いものを使って他人を動かすものだと、興味深く観察したものだ。
けれど彼女は、その武器を誰にも見せることなく、誰にも見られないように隠し部屋で消費する。
案外ヒトは、誰も周りに居らぬと知れば、あまり泣かぬものである。ぴいぴいと泣いていても、誰もその声に反応せぬと分かれば、泣き止むヒトは多い。
故に私は、泣くという行為は、第三者の存在があって初めて成り立つものだと理解していた。
なのに彼女は私の理解とは全くの正反対の行動をとる。誰も居らぬと確信できるまで、決して涙を流そうとはしない。
イレギュラーは私の好む、観察対象である。
だから最初は、珍しい行動をとるヒトとして。
そして気づいた時には、目の離せぬ一人のヒトの雌として。
私は彼女を、ひたすらに見つめていた。
ダンジョンである私が言うのも何であるが、彼女はおそらく、とんでもなく不器用なのだと思われる。
その、隠し部屋以外ではぴくりとも動かぬ表情のせいで、パーティーを組んだ相手に悪感情を抱かれることも少なくなく、淡々と魔物を屠っているだけで絡まれる事も多々あるようだ。
そんな時に有用な手段を、私は知っている。泣くことである。
仮に彼女が泣いてみせれば、彼女に悪態をついた輩が動揺することであろう。可愛げがないと吐き捨てた彼らの幾人かは、彼女の涙に心変わりを余儀なくされるであろう。
涙が有効に働く場面を、私は幾つも見てきた。だからこの方法が有用であることを、全く疑ってはいない。
しかし彼女は、その方法を決して選択しようとはしない。ダンジョンである私でも分かる方法を使うことなく、悪意のある言葉を無表情で受け流すくせに実は傷ついていて、とうとう堪えられなくなっては隠し部屋に駆け込んで涙を流す。
全く非効率的であり、不器用であると言わざるを得ない。
たった一滴、涙を他人の前で流す事が出来ずに、溜めに溜めて下層へと駆けてゆく方法しか選択できないのだ。
毎回毎回、同じ方法を選ぶ彼女に、しかし私はいつまでも飽きることはなかった。
仮に同じ罠に毎度同じ方法で引っかかるヒトが居れば、進歩がないといずれ興味を失っている筈なのに、変わらない彼女への興味は尽きることがない。
それどころか、ただ見ていることしか出来ない私自身に歯がゆさすら覚える始末。
彼女が泣く傍らで、人工の精霊を作り上げたり遠い昔に失われた魔法を復活させたヒトが居たにも関わらず、そんな見ていて面白いはずの彼らよりも彼女のことが気になって仕方ない。
まるでヒトのように、彼女に好意でも抱いているかのようなそれは、私を随分と戸惑わせた。戸惑う、という感情自体、彼女を観察していて生まれたものである。
彼女を見ていると、まるで己がヒトになったようだ。
とはいってもやはり私はダンジョンであるから、ヒトのように彼女に接することなんぞ出来はしないのだが。
「ううううううう、シオンのばか……」
ぐすりぐすり、鼻を啜る彼女の口から漏れる名前には、覚えがある。
時折彼女とパーティーを組んでいた雄で、そういえば最近彼女と随分親しいようだとダンジョンに訪れるヒトが噂していたやつだ。戦闘人形をやつが口説き落とせるかなんて、賭けが密やかに行われていたのも知っている。
だがしかし、シオンという雄はしょっちゅう違う雌を連れてきては、上層の隠し部屋で交わっていた輩である。多少腕は立つが、彼女の番としては力不足である。ヒトは一対であるのが望ましいとされているようなので、そちらの面からしても彼女の相手としては問題がある。
無論彼女はそんな事分かっているものだと思っていたのだが、どうやらこの様子ではそうではなかったらしい。まったく許しがたいことだ。
次にやつがダンジョンに足を踏み入れる事があったら、密かに処分しておいてやろうと決意して、彼女の様子を見つめる。
未だぽろりぽろりと涙を流してはいるが、最初に比べたら幾分落ち着いてきているようだ。
この分だと、もうしばらくしたら水が欲しくなるに違いないと、私は隠し部屋の一つ手前の部屋に水場を作る。ついでに彼女が下層に降りたことの証明になればと、下層の魔物が落とす素材もいくらか見繕って部屋の隅に積み上げておく。
初めのうちは彼女は、突如現れた水場も積みあがった素材にも警戒して、決して手をつけようとはしてくれなかったのだが、最近は利用してくれるようになった。私の意志が多少は通じているようで、喜ばしいことである。
可能ならば彼女と言葉を交わし、出来るなら涙を流す彼女を慰める役目についてみたいのだが、さすがにそれはまだ適わない。
何しろ私はダンジョンなのである。
ヒトの言葉は理解できるが、話すことは出来ない。
なぜならば発声器官はついていないし、生み出す魔物も叫ぶ以外の声を出せるように作ってはいない。ヒトは簡単に行っているが、言葉を話すというのはなかなか難しいものだ。
だがしかし、希望が無い訳ではない。
ダンジョンで死んだヒトの体を解析して、声帯に似たものは作っている最中である。ヒトのように自在に動かすことはまだ無理であるが、単純な声ならば出せる。
――ア……アアアアア……
試しに発声してみれば、ごうごうと音が鳴り響く。言葉にはほど遠いが、悪くは無い。この分であれば、彼女と言葉を交わす日も、遠い未来ではない筈だ。
そうなれば、第一声は彼女に何と話しかけようか。
警戒心の高い彼女のこと、あまりまどろっこしいものは不審を煽る結果となりそうだから、端的にダンジョンであるということを明かすべきか。
しかしダンジョンに意思があると知れれば、驚かせてしまうかもしれないから、何かの魔物に擬態した方がよかろうか。
ひとまずは、その時まで練習中の声は彼女に届かぬように、彼女の入った隠し部屋をしっかりと遮断する。なぜなら言葉にならぬ音はかなり不恰好であるし、それを彼女に聞かれてしまうのは恥ずかしいからである。どうせなら、初めて彼女に聞かせるのは、完璧なものが望ましい。
そうして、彼女に聞かせぬようにとそれだけに気を配り、隠し部屋を眺めながら発声練習に励んだ結果。
反響して中層にまで届いた私の声がとあるパーティーの耳に入り、下層に恐ろしい魔物が発生したとの噂が生まれ、しばらくは下層が騒がしくなってしまい、彼女がなかなか泣きにやってこれない事態を引き起こしてしまうのであったが。
知らぬ私は、いつか彼女と言葉を交わす日を夢見て、せっせせっせと擬似声帯への改良を加えるのであった。