編みこみ
昔から、鏡を見ていると前後の距離感が掴めない。髪を前にやってるのだか後ろにやってるのだか分からなくて混乱する。不器用だと自称する母が子供の頃は髪を整えてくれていたのだが、あれは美しかった。
当然なのだが、お洒落をしたい年頃の娘にとっては鏡が全てである。
ああでもないこうでもないとさっきから格闘している。まだかと父親が急かすのも当然、ここは共有の洗面台だ。
お父さんが使うと洗面所が臭くなるのよ!と憤る反抗期の娘は、それでもおとなしく鏡の部屋を出際に父親を睨みつけるのであった。
その翌年家を出た娘は、殊勝にも父の日に父親に香水を贈る。父親は喜んで毎日付けすぎるのだが、理由は前述の父親の加齢臭。娘は久し振りに会った父親から、自分が選んだ香水の匂いがしてニンマリする。それもそのはず、その香水は父親が購読している雑誌にサンプルが付いていて娘が気に入った香り。父親につけてほしいと娘が願った香りでありまた父親に合わないはずがないのだ。
不器用な娘の大学の学生証には、父親にそっくりの顔が写っている。娘は、父親と同じ大学に入れなかったことこそコンプレックスだが、両親譲りの美貌は誰もが認める。自分はさほどでもないと写真を見るたびに落ち込むのだが、誰もが褒める父親譲りの大きな目と快活な性格は大変なものであった。父親が余りにも口にするので娘も自分の団子鼻を気にしてみたものの、それを補って余りある魅力が娘にはある。
そのお陰で色んな誘惑に負けた娘が、とうとう結婚する。
腕を組んでバージンロードを歩く練習をしようと持ちかける娘にいいよと断る父親を母親が説き伏せ、父と娘はホテルの絨毯の上をぎこちなく歩いた。
そして結婚式当日。
ドアが開いた瞬間娘は涙ぐんだ。理由は分からない。きっとバージンロードを目の前にした娘にしか分からない。何を思ったわけでもなく、娘の胸に色んな思いが一度に去来した。
嫁に行くのだ、この父から離れて夫の元へ行くのだと感じたわけではない。ただ、目の前の暖色の光と花が、彼女の未来を指していた。そして娘は父と共に深々と頭を下げた。
余興もない、スライドショーもなく可愛い幼少期の写真が入ったアルバムが回されるだけのアットホームな披露宴で、
「朝のメールはもういらないね」
と父親に言われて、寂しくなる娘。そう、父親は娘が家を出てから欠かさず毎朝メールを送りつづけていたのだ。
暖かな陽光の中、プロの手で綺麗に仕上げられた娘に父親が
「いつもそのぐらい化粧したらいいのに」
と言う。父親は知らない、娘がどう頑張ってもアイライナーもマスカラも目の下に落ちてしまうからいつも薄化粧なことに。
娘が適当に仕上げた花嫁の手紙で涙ぐむ父親を、従兄のカメラは逃さなかった。
そして娘は後日写真を見て知る。父親と娘の身長差こそ、背の高い娘には望むべくもなかった男性との理想の身長差であることを。
お父さんの隣の私が一番綺麗だった。
娘は今日もそんな話を茶飲み話にするのであった。