第5話 監査官のお仕事
「ッ!!」
市街地の北部。そこには既に人っ子ひとりおらず、閑散とした雰囲気が漂っている。『次元の門』を観測した監査局の局員たちが、先に人払いを行ったからだ。
「すっげー、ホントにチョチョイのパーで着いちゃった。超速いジェット機みたいだった」
誘波の言葉は冗談ではなく、本当に一瞬で目的地まで飛んでしまった。速すぎて思わず感心してしまうほどだ。
「ていうか、僕はここでなにをすればいいんだ?」
戸惑いながらも健は思い出す。誘波から聞いた異界監査局の仕事を。
「えっと、確か『次元の門』ってやつの監視だったっけ? 確かそう言ってたよな……」
そしてそこから出てくるかもしれない異世界人や異世界の獣の相手をする、確か誘波はそのように言っていた。しかしよく考えてみれば、具体的にどうすればいいのか全然聞いていない。
「ムンボォォォォォォウ!!」
「なにッ!?」
その時、聞き覚えのない獣の咆哮が健の耳朶を打った。
「……異獣って奴か!」
困惑顔だった彼は瞬時に真剣な表情になる。未知の脅威――いつどこから襲ってくるかもわからない敵と戦い、人々を守るのが彼らエスパーの使命なのだ。誰よりもそれを望んでいた彼の思いは、はじめてエスパーとなったときからブレてはいない。死ぬかもしれない恐怖と、その恐怖によって失われる笑顔――彼はそれを守りたい一心で戦い続けてきたのだ。
「どこだ、どこにいる?」
唇を噛みしめ、辺りを探る健。彼の頭上を急に影が横切った。空を見上げれば、そこには――水色を基調とした体色で平べったく大きな体、ヒレは黄色で丸い目がついている魚――つまりマンボウのような怪物だった。
「マンボウ!?」
「ムンボォォォォォォウ!!」
マンボウの怪物が口からピンク色の光線を吐いて地上にいる健を狙う。火花を散らして弾けとび、ときには爆発も引き起こした。しかし健はことごとくそれをかわす。
「ムンボウゥ~~~~!!」
「わっ!」
かわして一息ついていたところに一発。それを盾で防いだ健だが、感じたことがひとつある。このままだと街をメチャクチャにされて焦土にされてしまう――と。そのくらいこのマンボウの異獣は危険なのである。
「こいつ、結構ヤバイ! 早くなんとかしないと……」
「ムンボウゥ~~!?」
空中に浮かぶ水色のマンボウと対峙し、睨みを利かせる健。が、そのマンボウの体が急に黒い炎に包まれて燃え出した。
「情けないわね! こんなザコ相手に何をやってんのよ」
マンボウを黒い炎で火あぶりにしたのは、黒衣の少女。リーゼロッテだ。勝ち誇ったようなしたり顔を浮かべている。
「リーゼロッテ! ありがとう、助かったよ」
「〝魔帝〟で〝最強〟のわたしにかかれば、こんなヤツわけないわ」
愛嬌のある口調でしゃべりながら、リーゼロッテはマンボウを焼き尽くそうとする。骨も残さない勢いだった。
「アッハハハハハハハハッ! イヴリアの魔獣にそっくりだけど、大したことないのもそっくりね!」
「ムンボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ!!」
悪魔のように哄笑を発し、炎の威力をより強いものにしたときには、マンボウの異獣は消し炭となって風に流れていた。――〝魔帝〟で〝最強〟なのは、口だけではなかった。慢心にそれを裏打ちするだけの実力が伴っていたのだ。
「すごいね、さっきのマンボウがあっという間に焼き魚どころか灰になっちゃった」
「当然じゃない。〝魔帝〟で〝最強〟なんだもん」
「君はそればっかりだなっ」
「なによ! 本当なんだからいいじゃない!」
「あちちちちちちちちちちち!!」
彼女の口癖をからかった健だが、黒い炎を灯した右手で強烈なビンタを受けて火がつきのた打ち回る。火はすぐに消えたが、健は痛そうに頬を押さえている。
「無事か、健殿?」
「セレスティナ! 君も来てくれたんだ!」
「誘波殿が、健殿を心配して私たちを送り込んだのだ」
銀髪のポニーテールを靡かせるセレスティナが簡潔に事情を説明する。
「感謝しなさい。もちろんそこの騎士崩れじゃなくて、このわたしにね」
「恩着せがましいぞ、〝魔帝〟リーゼロッテ」
「うるさいわね。騎士崩れは黙ってなさい」
「貴様!」
健の目の前で救援に来てくれた二人が言い争いを始める。健は、「まあまあ、落ち着いてよ。敵はやっつけたんだしさ。誘波さんのところに帰ろう」と、二人をなだめる、渋々言い争いをやめて、リーゼロッテとセレスティナは健のそばにつく。
「そういや帰りはどうすんだろう。誘波さん、屋敷まで送ってくれないかなー」
独り言を呟いて首を傾げる健。その間に――周囲の景色が陽炎のようなものによって歪む。
「なんだ、陽炎か? いや違う……空間が歪んでるのか?」
「空間の歪み……『次元の門』か! 健殿、気をつけた方がいい」
「今度はもうちょっと楽しませてくれるのが出てほしいわね」
異変に気付いた健とセレスティナが、真剣な顔で呟く。しかしリーゼロッテは自信満々でまだまだやる気だ。
『タケちゃん、リーゼちゃん、セレスちゃん、聞こえますか?』
「誘波さん!?」
三人の元に誘波の声が届く。これも風の力の一環だ。簡単に言えば、テレパシーのような感じで離れているものと話すことが出来る能力である。これを応用しての諜報活動などもお手の物というわけだ。
『同じ場所で『門』がまた開こうとしているようです。先程、急に陽炎が見えましたよね?』
「見えました、でもとくに暑くはないです」
『それが『門』が出現する兆候なんですよ。おかしいですねぇ、こういうことって普段は滅多に無いことなのですが……とにかく、気を抜かないでください。監査官の仕事は、アレを監視することですから』
健が顔を引きつらせながら唾を呑む。全体的に緊迫していて、健もセレスティナも表情が固い。リーゼロッテは、「それがどうした」と言わんばかりにふてぶてしく笑っている。
強者の余裕か、ただの慢心かは本人が一番よく知っている。
「はい!」
『タケちゃんに死なれると、せっかく手に入れたコマが減っちゃいますからねぇ』
「ひっ、僕をコマ扱い!?」
『あはっ。冗談ですよ♪』
「よかったぁ……」
このとき、誘波がおっとりした口調でさり気なく恐ろしい事を口走ったため健は身がすくんだが、冗談であると聞いて胸を撫で下ろした。セレスティナは健に「誘波殿は場の空気を和らげようとしたんだ」と言い聞かせる。リーゼロッテは、「ふん、お前は役立たずだからすぐ捨てられちゃうかもね」と、余計な一言を挟んだ。セレスティナはもちろん、流石の健もリーゼロッテの一言に眉を顰めた。
「〝魔帝〟リーゼロッテ、健殿に失礼だぞ! だいたい貴様は……」
「あのね、世の中言っていいことと悪いことがあるんだぞ。君はもうちょっと口を慎んだ方がいい!」
「へえ、わたしに口答えする気? なんなら決闘する? 暇潰しにはなりそうだし」
「そんな言い方じゃ友達できないよ、わかってる!?」
「なによ、タケルのくせに偉そうね!」
セレスティナの言葉を遮るように健がリーゼロッテを叱るが、当の彼女は聞く耳など持たず健をなじる。彼女のことを思って言った言葉を突っぱねたのだ。
『仲がいいのはわかりましたが、ケンカはそこまでにしてくださいねぇ。どうやら、また何かが門をくぐって来るようです』
「!?」
誘波がそう伝えると同時に、そのタイミングを見計らったかのように空間の歪みが発生する。
――ずっと見続けていたら酔ってしまいそうなその歪みこそが、この世界と異世界とを繋ぐ『次元の門』だ。
そこから、体のパーツが裂けた容姿をした人型の何かが現れた。しかも、群れで。
複眼があって、口はギザギザで耳元に当たる部分まで裂けていて、体は個体ごとに色が違う。白いものから、青いもの、赤いものに緑色のもの。紫色のものも――色とりどりだがかえって不気味だ。細身なのもなおさら得体の知れない不気味さを引き立てる。
「ギチッ」
わかりやすく言えばエイリアンを髣髴させる姿をしたカラフルな怪物たち。健たちは緊迫した表情で対峙している。リーゼロッテだけは過剰なまでの自信からふてぶてしい表情のままだが。
「くっ、新手か!」
『タケちゃん、早まらないでくださいね。あのような姿をしていても、話の通じる"人〟かもしれないのです。まずは対話を試みてください。そしてたとえ〝人〟でなくても、可能な限り元の世界に戻してあげることです。先程の異獣は既に門が閉ざされてしまったので排除するしかありませんでしたが』
「まずは対話ね……わかりました」
ここにはここのルールがある。自分の世界のようにいつものノリで相手を倒していいわけではない。相手は必ずしも、人に害を成す怪物とは限らない。――それを確信した健は唇を噛みしめて、凛とした姿勢で対話に臨む。
「えっと、はじめまして。僕は東條健って言うんだけど、あの、君達はどこから来たの?」
――一瞬で凛々しい表情が崩れた。緊張から苦い笑いを浮かべ怪しい挙動をしながら、健はエイリアンのような容姿の異人に話しかける。意思疎通は可能なはずだ。出来る限りはそうして相手を元の世界に送り返さなくてはならない。
「ギチッ」
「いや、そうじゃなくて……どこから来たのかって聞いてるんだけど、僕の言ってることわかる?」
エイリアンの群れのうち、白い体の個体が発達した腕を健たちに向ける。どうやら威嚇しているようだ。
「……おかしい、僕の言葉が通じてないのか? 『言意の調べ』があれば異世界の人とも話せるんじゃなかったのか?」
「お前のそれ、壊れてるんじゃないの?」
「何を言うんだ、誘波さんが僕にガラクタを押し付けるようなことをわざわざするはずがない!」
「でも前にレージに渡してたのは壊れてたけど?」
「じゃあ君はあのエイリアンみたいなのがなに言ってんのかわかる?」
「ううん、全然」
「えー……ってことは……」
健だけでなくリーゼロッテの『言意の調べ』でもエイリアンの言葉はわからない。ということは考えられる事はひとつ――彼らは、獣。
「ギチィ! キシャアアアアアアアアア!!」
エイリアンのような異獣の群れが一斉に奇声を上げ、その脚部がうごめいたかと思えば――刃のように鋭い四つの足に変形した。禍々しく気持ち悪い形状はまるで虫の節を髣髴させる。そういえば、彼らの容姿はどこか虫のように見える。
「ギシャア!!」
「ひえっ!?」
異獣の群れが四脚で地上をすばやく動き回る。虫が苦手なものにはきつい光景だ。さっさと片付けたいところだが、残念ながらこの場には殺虫剤もスリッパも新聞紙もホウ酸団子もゴキブリホイホイもない。――この世の地獄だ。
「ッ……!」
話して分からぬならやむを得ない。三人が身構え、目つきを鋭くして臨戦態勢に入る。
「ギギッ!!」
異獣の白い個体と紫の個体の右腕がうごめき、なんと変形した。少し小ぶりな機関銃――サブマシンガンだ。サブマシンガンとなった右腕から何発も弾を放ち、健たちを攻撃する!
「あわわわわわっ!!」
「落ち着け健殿!」
「わ、わかってるけど!」
盾を構えてうしろにいるリーゼロッテとセレスティナを守りつつ、健が慌しく足踏みする。突然の発砲に驚いたのだろうか。それだけでなく、青い個体の腕からはチェーンソーが飛び出し、赤色の個体の腕がバーナーに形を変え、緑色の個体の腕は電気を帯びた巨大なハサミのような武器になった。――凄まじい殺意を感じられる。殺るか、殺られるか――もはやそれしかないというのだろうか。
『あらぁ、ずいぶん凶暴な人たちですねぇ。乱暴は困りますねぇ……』
「い、誘波さん! こういうときはどうすればいいですか!?」
『話が通じないなら、『門』が開いているうちに元の世界へ返してあげてください。うっかりで殺したりなんかしたらもってのほかですよ』
「わかりました! でも、門が閉まってる時は?」
『人気のあるところに着く前に、なんとしてでも取り押さえてください。状況にもよりますが、先程のように排除してくれても構いません』
「はいっ! その辺は自分で判断してくださいってことですね!! わかりました!!」
こういうときはなにをすればいいか誘波へ何度か質問し、確証を得られた健は威勢良く返事をする。そこにチェーンソーで切りかかってきた青い異獣の攻撃を長剣で弾き返し、たじろがせる。赤い個体のバーナーから放たれた火炎を盾で防ぎ、途切れたところを切り上げてひるませる。身の危険を感じたか、異獣たちは体をひきつらせうしろへ退いた。
「タケル!?」
「奮発して、急にどうしたんだ!」
果敢に敵へ挑む姿に、リーゼロッテとセレスティナは驚愕していた。
「僕だって男だ、君たちの役に立たないと。それにカッコ悪いところばっかり見せるわけにもいかないんだよね!」
「ふん、お前だけ楽しもうなんてわたしが許さないわ」
「水臭いぞ、健殿。私も手伝おう!」
「そう来なくっちゃ!」
――普段はだらしないが、やるときはやる。それが東條健という男の性分だ。図らずも、彼の言葉は元々やる気だったリーゼロッテとセレスティナを鼓舞させた。並び立つ三人に対するは、武装した異世界の住人。――人々が襲われる前に彼らを元の世界に送り返すか、或いは――討伐する。それが異界監査官の仕事だ。




