第3話 おっぱい一本釣り
「ハハッ、すげえ。やっぱり日本だ! 床も、壁も、装飾も!!」
一号館屋上にある日本庭園。その奥に位置する誘波の屋敷に上がった健は、その内装にも歓喜の声を上げた。玄関だけでも広くて大きい。健はいちいち声を上げたりなどしていて相変わらず落ち着きが無く、リーゼはそんな健を見て面白がり、セレスからは呆れられ、誘波はやはり優雅に微笑んでいた。
それにしても、和風の屋敷というのは見慣れた光景のはずなのに健の興奮は止まらない。異世界だから元いた世界とはまた違うからか、それとも極度の緊張がかえって彼を奮い立たせているのか。やがて、廊下を歩いている途中で誘波が「こちらですぅ」と一行を居間に案内した。
「おおっ……」
襖とちゃぶ台と畳、なぜか人数分敷かれた座布団。まるで部屋の奥には『色即是空』と書かれた掛け軸。とことん和風だ。中途半端に洋風のものを置いたりはしていない為、統一感がある。
「お前、そんなにこういうのが珍しい?」
「いや、そりゃあ馴染み深いけどさ。やっぱりここ日本なんだなって思えて嬉しいんだ」
「ふーん」
目を輝かせる健に、流石に飽きてきたらしいリーゼがジト目で問いかける。健は今いるのが異世界といえども日本にいられて安心しているのだろう。誘波から順に敷かれた座布団に座っていき、最後に健が腰を下ろした。
「実はかくかくしかじかで……」
「そうだったんですか。いろいろあったんですねぇ」
居間に着いて誘波から「なぜあなたがこの世界に来てしまったのか、詳しい事情を聞かせてくれませんでしょうか?」と問われ、健は改めてこの世界に来るまでの経緯を話した。
特殊能力を駆使して戦う『エスパー』として、人々を襲う『シェイド』という怪物といつもどおりに戦っていたことと、『シェイド』の亡骸から虹色に輝く謎の結晶を発見し、その直後に空間のほころびに吸い込まれてこの見知らぬ土地に来てしまったことを。
机に置かれた虹色の結晶を見て誘波は「あらあら、綺麗ですねぇ。売ったらいくらになるんでしょうか?」と妙に嬉しげだ。リーゼもセレスも興味深そうにその結晶を見ている。誘波のようにやましいことは微塵も考えていない――はずだ。「う、売らないでよ、頼むから……」と、健は若干焦りながら呟く。
「……ところで誘波さん、異界監査局って具体的に何をやってるところなんですか? あと、この学園についてもお聞かせ願えますか」
「いいですよぉ。まず、異界監査局は異世界から迷い込んだ人たちの保護や、それに関係する被害への対処を行っている組織です。主に『次元の門』の監視を行っているんですよ」
「ぷ、ぷれ……なー、げーと?」
「世界中のあちこちに出現する次空の歪みのことです。そこから異世界人や異世界の獣が迷い込んでくる時があるのですよ。それで、その異世界の獣のことは略称として『異獣』と呼んでいます」
「は、はあ……」
誘波も『異界監査局』ならびに『伊海学園』がどのような場所かを健に教えた。『次元の門』の監視や、異世界から迷い込んだ人々の保護。異世界関係の被害への対処。それらを主な任務としている組織なのだそうだ。迷い込むのは人だけではないらしく、ときに獣も現れるらしい。『異獣』と称され、基本的には元の世界に送り返すこととなるのだが――危険度によっては排除しても構わないそうだ。
誘波は絶えずにっこりとした笑顔を浮かべてそう語ったが、おっとりとして上品な口調の中にどこか冷酷なものを感じた。健からすれば、同居中の糸居まり子から感じる冷酷な雰囲気に通ずるものがあった。たまたま健がそう感じただけかもしれないが。
伊海学園についてだが、元の世界に帰れなくなった異世界人をこの世界に馴染ませるための施設であると誘波は語る。現に多くの異世界人が通っており、地球人とさして変わらない者もいれば、そこのリーゼやセレスのように何かしら特殊な力を持った者もいるらしい。健は後者に値する。
「異世界人ではない一般の生徒も当然通っています。その辺りの交流も目的としていますから。ですが流石に異世界人と知られるのは面倒なので留学生という設定にしています。髪の色とか顔立ちとか、明らかに日本人離れしていますからねぇ」
誤魔化すことも可能ですが、と誘波は含んだ笑みを見せて付け足した。
「僕の世界も周りに髪がカラフルな人いますけどー……」
と、健は元いた世界のことを振り返りながら呟く。主に幼馴染みや同居人A(アルビノで爆乳)、同居人B(お子ちゃまと思いきや実は大人)、知り合いのたこ焼き屋(何故か自分をライバル視している)、etc――思い返せば結構いた。伊海学園が普通で、むしろそれが当たり前だった元の世界の周囲の環境が異常なのか。健はそのことで少し悩んだが、異世界なのだからその世界はそれで通常、という結論に至った。
「……ありがとうございました。だいたいわかりました、誘波さん……いえ、誘波大明神様!」
健が立ち上がり、事情を話してくれた誘波にお辞儀をする。何を血迷ったか彼女を崇めるような言葉を交えて。
「またまたぁ。私は神様じゃありませんよぉ」
「いいえ、天女でしょう! その鮮やかで艶のある髪! 透き通るような肌! そして十二単の上からでも見える大きなおっぱい!! これを天女と言わずなんというんですッ!?」
健がまたも鼻息を荒くする。元々格好悪い好意なのだが、鼻血が出ていて更に格好が悪い。当然、リーゼやセレスからは「タケルってやっぱりサルみたいで面白いわ」「もはや手遅れか……」と、冷たい視線を浴びせられた。完全に自業自得である。
「その台詞、是非ともレイちゃんに言わせてみたいですね」
「レイちゃん? そ、その人はどんな方でしょうか?」
レイちゃん――聞き慣れない名だ。健が連想したのは、私が死んでも代わりがいるとでも言いそうな『綾波』か、はたまた英語で閃光を意味する『レイ』のどっちだろう。
「タケちゃんがこの世界に飛ばされてしまったように、こちらからも異世界にトリップした人がいるのです。話を聞く限り、恐らくタケちゃんと入れ替わりで」
「その人が僕と?」
「ええ、ですので、今レイちゃんはタケちゃんの世界にいるのではないかと睨んでいます。それとレイちゃんは男ですよぅ」
レイちゃんなる人物は男だった。心の中で「なんだ、男か。チェッ」と気分を悪くするも、すぐさま健は表情を笑顔に戻す。
「すまない、健殿。唐突に異世界へ飛ばされた健殿の気持ちは私もわかるが、我々としては零児の安否が心配なのだ」
「そうよ! やっぱりお前がどっかにやったんじゃないでしょうね!」
「落ち着いてください、リーゼちゃん。タケちゃんは意外にもかなりの実力者のようですが、〝次元渡り〟に類する能力者ではありません」
「なんでわかるのよ?」
「タケちゃんの持っているビー玉、いえ、宝珠というべきでしょうか。それらから強大な属性元素の力を感じます。〝次元渡り〟能力者にはない力です。……あら? 一番強いのは"風〟のようですね。うふふ、わかってるじゃないですかぁ、タケちゃん」
「え? そ、そうでした? な、何が何やら……わかんねーっ」
健の目があらぬ方向に泳ぎだす。風のオーブが一番強いだろうとの事だが、そもそも手に入れてから日が浅い。まだ使い慣れていないしパワーも未知数。ある意味最強かもしれないが。
「別に知らなくても生きていけますから大丈夫ですよ。それよりレイちゃんを帰還させる方法がわからない以上、タケちゃん自身やあの結晶を入念に調べてみる必要がありますね。そこでタケちゃんの今後についてですが――」
「……そうだ。僕、今後どうすればいいですか?」
今後どうするか迷った健が誘波へ問う。彼も異世界から迷い込んだ身分だ。突然見知らぬ世界に来た上に、何をするべきかもわからない状況。これで言葉も通じないとなれば普通なら発狂するレベルの出来事だ。持ち前の明るさで健はその苦しみを隠している。
「うふふ、どうしますかぁ?」
「お……、お、お……おっ!」
この女、できる。会って間もない健の性格を完全に把握していたようで、十二単の胸元を自らはだけたではないか。夢が詰まった二つの果実が――たわわに実っている。きっと今が食べ頃だ。健は唾を飲んで食指を伸ばす。
「い、誘波殿、いきなりなにを!」
「いいことを思いついたのですよ、セレスちゃん。別に正気狂ったわけではありません。見ててください」
止めようとするセレスに向けられた意味深な言葉は、もはや健には聞こえていない。
「予想は……していたけど、これは予想以上だ!」
更に見えるか見えないかのギリギリのところまではだけて、たゆんと誘波の豊満な胸が揺れた。くっきりと見えた谷間がたまらない。微量だが健の鼻から血が出ている。そのうちジェット噴射でも起こしそうである。
「あ、あの……」
「なんですかぁ?」
「さ……さわ」
「おさわりしてみたいですかぁ? それとも……もっとはだけてほしいですかぁ?」
「触りたいです! そんなにあったら肩も凝ってると思うし!」
この男、やはり欲望に忠実。リーゼとセレスからすれば思春期のサルで、誘波からすればいいオモチャだ。
「残念ですが、これ以上はお見せできないのですよ」
「なにィィィッ!?」
そんな健をからかい胸元を閉じる誘波。目を丸くして仰天している健の顔がすこぶる間抜けだ。これにはリーゼも大笑いした。一方、セレスはひどく呆れた。
「続きが見たいならこちらへサインしてください。そうすればあなたは幸せになれます」
「するする! 見たい! 絶対見たい!」
健は、続き見たさに誘波から言われるがまま彼女が取り出した書類にサインしていく。――彼は何も知らずに誘波の手のひらの上で踊らされているのだ。あの誘波が完全に十二単をはだけてくれるとでも思い込んでいたのだろう、実に愉快な男である。
「アハハハハッ、なにあいつ。バカみたい」
「誘波殿、いくら人手が足りないからとはいえ、体まで張ることは……」
「え? 別にレイちゃんじゃ味わえない反応を楽しんでいるわけではありませんよ」
「この人楽しんでる!?」
手玉にとられている健を見たリーゼは腹を抱えて爆笑し、セレスは頭に手を当てて呆れた溜息を漏らす。
やがて健が書類にサインを書き終えた。
「おめでとうございます、タケちゃん! これであなたは栄えある異界監査局の監査官となりましたぁ」
「……へ?」
「うふふ。元の世界に帰る方法が見つかるまで、監査局で働いてもらいますのでそういうことでぇ」
「ええええええええええええええええぇぇぇ!?」
健がまたも仰天する。――嵌められた。策士・誘波によって完全に嵌められた。この女――あざとい。そして、できる。