第1話 そこは、異界の学園
「う……うーん」
ここは、どこだ。目を覚ました健の目に飛び込んできたのは夜空の下にある、最低限の遊具しかない殺風景な公園――ではなく、見晴らしの良いテラス。
三角形のピラミッドのような形の建造物があって、どこかモダンテイストがある雰囲気を漂わせている。ここはどこかの大学の構内のように見える。空を見上げれば白い雲が浮かんでいる青い空。ということは今、昼間なのか?
それはともかく持ち物がどうなっているかが気になるところだ。まず右手で服とズボンのポケットを探る。携帯電話がちゃんと入っていた。
赤・青・黄色・緑の四色のビー玉――それぞれ炎・氷・雷・風の力を宿した宝珠も無事だ、ズボンの左のポケットにちゃんと入っていた。
背中にもちゃんと得物である長剣・エーテルセイバーと龍頭を模した盾――ヘッダーシールドがある。一番危なそうなところにあったのに、よくあの異空間の中で落とさずに済んだものだ。
「こ、ここは……?」
「ちょっとお前! レージをどこにやったの!?」
「〝魔帝〟に便乗する気は無いが……貴様は何者だ? 答えろ」
立ち上がって少し頭を掻いて、伸びをしようとするといきなり金髪紅眼の少女と銀髪ポニーテールの少女が健に絡んできたではないか。
前者は――見た目は恐らく十四歳ほどと思われるが、非常に子供っぽい。体型も子供のそれで、魔女のコスプレみたいな格好をしている。
後者は背が高くすらりとした体型。どこかの学校の制服と思われるものを着ていて、なぜかその上から肩当て・胸当て・ガントレット・白マントを装着している。しかもそれだけではなく、モデル顔負けの美貌の持ち主だった。凛とした表情と佇まいが美しい。
「れ、レージって誰のこと……? そんな人知らないよ」
「とぼけると燃やすわよ! あんたがレージをどっかにやったんでしょ!」
「だ、だから知らないってば! ってか暴力反対!」
そのまま押し倒されて金髪の少女から睨まれる健。この少女はとてもかわいらしい容姿をしているのに、今は怒っていて台無しだ。気が立っている少女は健の頬や髪を引っ張ったり、叩いたりして彼を痛めつける。
「やめろ、〝魔帝〟! やりすぎだ!」
暴行に及ぶ少女をそう呼びながら止めに入る銀髪の少女。だが〝魔帝〟は「騎士崩れは引っ込んでなさい!」と銀髪の少女を乱暴に振りほどいて退かせる。
「ふぅん、まだシラを切るっていうの? だったら……」
「ま、待って! 話を聞いてくれ! お願いだから!」
「うるさいわね!」
「うぅぅぅっ」
もがく健。自分の上からどかそうとするも〝魔帝〟の胸にうっかり触ってしまい――。
「あっ……き、君、ちっちゃいね」
「~~~~~~~~~~~~~ッ!?」
「ブヘッ!?」
まだ小さいながら柔らかかった。まだ成長期と思われるので、今後大きくなる可能性がある。だが今は、その可能性にかけている場合ではなかった。胸を触られてしまった少女は激しく憤っているではないか!
「燃やす!! 絶対燃やす!!」
健を一発ブン殴っても気がすまなかった少女は右手に黒い炎を宿らせる。そのまま手のひらを広げて放とうとするが――何を思ったか寸前でやめる。同時に炎も消えた。
「……と思ったけど、やめる」
「あ、あれ……? どして?」
「殺しちゃダメってレージに言われてるの。それがこの世界の『ルール』なんだって」
先程まであんなに興奮していた美少女が気分を落ち着かせて呟く。普段からこういうことを自重しているような雰囲気だ。この世界の『ルール』と言っていたが――健には何が何なのかサッパリ分からなかった。レージが何者なのかもこの少女のことも、銀髪の少女のことも。
「いい加減にしろ、〝魔帝〟。その者から離れろ」
「フン、お前に言われるまでもないわよ」
銀髪の少女に〝魔帝〟と呼ばれた少女が少し面倒くさそうに健からどく。伸びをしようとした途端に押し倒されて腰を抜かしていた健だったが、やっと立たせてもらえた。「ど、どうも」と健は軽く頭を下げる。
「……お前……名はなんだ?」
「僕は東條健。ケンじゃないよ」
「ふむ。健殿か……了解した。私はセレスティナ・ラハイアン・フェンサリル。『ラ・フェルデ』の聖剣十二将が一人だ」
「は、はあ……なんだかよく分からないけど、すごい人なんだね」
とりあえずここは争うより話し合いで解決しなければ。軽く自己紹介し合う健と――セレスティナ。
「わたしはリーゼロッテ・ヴァレファール。『イヴリア』の〝魔帝〟で最強よ。名乗ってやったんだからありがたく思いなさい」
「は、はい……そうするね」
胸と意地を張って名乗る金髪紅眼の少女――リーゼロッテ。威圧感より先に可憐さが出ていたが、何故か健は彼女を見て少しおびえた、というか遠慮している様子だった。この二人から『イヴリア』だとか『ラ・フェルデ』だとか、何かの名前を聞いたが健にはやはり何の事なのか理解出来なかった。
「……健殿、お前はどこから来たのだ?」
「え?」
「返答によっては……私はお前を斬らねばならなくなる」
そう言って左手に持った鞘に手をやるセレスティナ。一瞬腰が引きつった。
「ぼ、僕は日本の京都ってところから来たんだけど、あれ? ここ、日本だよね……?」
「日本? もしや、お前も異界監査局の監査官か?」
「い、異界監査局? 監査官? な、何それ……聞いたことないよ」
「む? 異界監査官ではないのか? 一般人というわけでもなさそうだし、仕方ない」
まるでそうすることがマニュアルとでもいう様子で、セレスティナは簡潔に説明してくれた。
異界監査局とは、『次元の門』という次空間の歪みから迷い込んできた異世界人を保護したり、凶暴な異世界の獣を駆除したりする組織らしい。その時に実際に異世界人や獣と相対する者が異界監査官ということだ。
当然、健はそんな組織など知るわけがない。ここは本当に日本なのだろうか?
「こっちだ。ついてこい」
行く当てはない。携帯電話はある。カネはない。とりあえず今出来る事は何だろうか。――ひとまずはこの二人についていった方が良さそうだ。そう思い、健は二人と共に歩き出す。
「まずは、誘波殿の判断を仰ぐべきか」
「イザ……ナミ? 誰、それ?」
イザナミ――健にとっては聞いたこともない名前だ。彼は聞きかじった程度の知識しか持っていないが、日本神話にそんな名前の神様がいる。でもそのイザナミではなさそうだ。
「誘波ちゃんですかぁ? それはもしかするとこ~んな姿をしているかもしれませんよ」
――おっとりとした優しげな口調。突然聴こえてきたその声は女性のものだ。少しだけ驚いて辺りを見渡すリーゼロッテと、セレス。
「ッ!? だ、誰!? いま誰かしゃべった!? ど、どこ! どこにいるの!?」
一方で健は落ち着かない様子で、辺りをキョロキョロと見回す。やけに騒がしいが、何せここは健にとっては未知の世界だ。驚いても無理はない。
「あらあら、そんなに慌てなくても大丈夫ですよぅ」
健の肩がひきつる。どこからともなく聴こえてきた女性の声に驚いたのか、それとも興奮しているのか。
そうしているうちに風が不自然に舞い――気がつけば声の主が三人の前に姿を現していた。リーゼとセレスはさほど気にしてはいないようだが、健は思わず仰天した。
「私が巷で噂の法界院誘波です。よろしくお願いしますねぇ、タケちゃん」
「うおッ! これはキタ! べべべ、べっぴんさんキタ!!」
――姿を現した声の主、法界院誘波。見た目は色鮮やかな十二単を着た十八歳くらいの美少女で、髪は緩い緑色のウェーブヘアー。瞳は澄んだ青色で、おっとりとしたにこやかな笑顔を浮かべている。そして豊満な胸。――天女だ。その十二単の下にはきっと程よい肉つきの肢体が隠されていることだろう。脱がなくてもすごいという時点で何となく想像できるはず。少なくとも健はそう見ているようだ。
「て、天女だ……間違いない!」
そんな誘波を前にして息巻く、健。ヘンな世界に飛ばされたとはいえどもいきなり美少女三人に会えたのだ、しかもそれぞれタイプの異なる為よりどりみどり。
「天女は実在したんだぁぁぁぁ!!」
急に地面に膝を突いたかと思えば、その姿勢で両腕を上げて天に向かって健が叫んだ。急に自分の知らない世界へ飛ばされたことによる極度の緊張が原因で頭のネジが吹っ飛んだのだろうか。いや、元々こうなのだ。真面目で温厚な反面、スケベで女性に目が無い。そして彼は免疫があるのかどうかもさっぱりわからないという筋金入りだ。
「はぁ? お前、いきなり何を叫んでるのよ?」
「意味のわからないやつだ。だが、どことなく桜居殿と似た空気を感じるな」
「うふふ、ずいぶん元気のいい子ですねぇ♪」
リーゼ、セレス、誘波がそれぞれ反応を示す。リーゼは眉をしかめて至極嫌そうな目で健を見ており、セレスはやや複雑そうな表情で視線を健に向けている。誘波はそこまで気にしておらず、その穏やかな笑みを崩していない。
「誘波さん! 僕、ここのこととかサッパリなんで教えていただけませんでしょうか!?」
立ち上がって誘波に詰め寄る健。彼はかなり興奮していて視線がちらりちらりと誘波の目に向けられている。もはや隠す気もないようだが、ここまで欲望に忠実だとかえって清々しささえ感じる。「あの健という男……零児とはまるで性格が逆だな」「でもレージと同じくらい退屈しなさそう」と、うしろでセレスとリーゼが話す声が聴こえる。もっとも健は二人が呟いた言葉を聞いてはいなかったようだが。
「頼まれずともそのように計らいますよ、タケちゃん。レイちゃんが消えたことも含めていろいろとお話ししたいところですが、こんな場所ではなんですね。一旦私の屋敷に向かいましょう。この学園の一号館にありますので」
「や、屋敷? この学園の中に?」
「はい。とりあえず、タケちゃんも、リーゼちゃんも、セレスちゃんも、私について来て下さいねぇ」
「タケちゃんか~。ひひひ、悪かない……うん? 何で僕の名前を?」
「風の噂で聞きました」
誘波は健の要求を呑んでくれた。――こうして健は、この学園の一号館にあるという誘波の屋敷へと向かうこととなったのだ。〝魔帝〟の少女と、凛々しく気高い騎士の少女とともに。




