第10話 繋がる世界
健とセレスティナは、風の力を遠隔操作した誘波に拾われて誘波邸へと戻った。そこで二人を出迎えた誘波の顔は、仲間の命さえなんとも思わないような冷酷非情の司令官、などというものとは程遠い、優しげで慈愛に満ちたものだった。リーゼロッテは、腕を組んで鼻で笑うような顔をしており、レランジェは無表情で出迎えた。彼女らには考えや気持ちの――ブレがない。
「……誘波さん、僕はあなたのこと誤解してました。それとその……勝手に飛び出したりして、ごめんなさい」
「お帰りなさい。もう気にしなくてもいいですよ」
かしこまった様子で頭を下げて謝罪する健だが、誘波からやさしい言葉をかけてもらうと安堵したか、顔を上げて温和な顔となった。それだけ彼の身を案じていたからかセレスティナも安心している。
「タケル、おまえって立ち直りが早いのね。でも、レージはタケルみたいにウジウジ悩んだりはしなかったわよ」
「そっか。零児はやっぱり強かったんだ」
「タケルもタケルでサルみたいでおもしろい奴だと思ってるけどね」
「む~~。言ったなあ!」
相変わらず態度の大きいリーゼロッテからは毒舌に近い言葉を浴びせられたが健は怒らず、笑い飛ばした。苦しむな。零児という男は普段からリーゼロッテをはじめ周囲の人物には苦労させられていたのだ。このくらいでなんだ。笑って許してやれ。と、健は自分に言い聞かせていた。
「……そ、そうだ。大事な話があるっておっしゃられていたような……」
「はい。知りたいでしょう。実はですね……」
健に話そうと思っていた大事なことを話そうとした誘波。しかし、そのとき、健の腹の虫が鳴った。彼だけでなく、誘波もだ。息を吸って少し間を置いて、誘波はにっこり笑う。
「……まずは、ごはんにしましょう~♪」
――夕食の時間だ。健にとっては、この世界に来てから二日目の夕食にありつけたことになる。
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その後、誘波は屋敷で雇っている一流シェフに料理を作らせ、それを夕食として全員で食することとなった。和食だ。基本の白飯に味付け海苔、刺身からサバの煮付け、など――健にとっては自分が元いた世界でもよく馴染んだものばかりだ。
「う、うめぇ~~! さすが、一流の味!!」
「うむ。この生魚には少し抵抗があるが、確かにどれも絶品だ」
「イザナミのところの料理は相変わらず美味いわね。ま、レランジェのほうが上だけど」
「そう言っていただけたこと感謝安定です。マスター」
「レランジェさんはお料理上手なの?」
白飯を海苔と一緒に食べながら、健はリーゼロッテと話しているレランジェに問うた。機械人形……とはいっても限りなく人間に近い彼女だが、ゆえに食べ物は口にしない。
「レランジェはそこら辺の料理人とは違うのよ。お前も食えばわかるわ」
「昇天安定のカレーライスがオススメ安定です」
「……いや、遠慮しときます。ハイ」
レランジェが自分にその料理を作ってくれた時のことを妄想した健だが、直感で何か怪しいものを感じ取ったのか、健は苦笑いをしながらリーゼロッテに返事をした。白峯――もとい、白峰零児という男が普段からいかに苦労に苦労を重ねているか、健はまたひとつ理解することができた。
「あらあらぁ。うふふ」
そういう光景を見守るのも誘波という女の仕事のひとつだ。白峰零児をいじくっているためか、彼からは普段から憎まれ口を叩かれているという彼女だが、なんだかんだで指揮官としては優れているし(少々おかしなところがあるといえども)時に慈悲深く、時に厳しい人柄から、信頼は篤い。
「誘波殿、なにか鳴っていないか?」
「おやぁ……?」
Prrrrr! Prrrr!
セレスティナに言われて誘波は懐に手を伸ばす。携帯電話の着信音が鳴っていた。誘波は食事中の健たちに、「すみませぇん、少し席を外しますねぇ」と、和室を出た。何か大事な話でもするのだろう。と、空気を読み取った健はいったん箸を休め、和室を出る誘波を労う視線を送った。完全に誘波が和室から出たことを確認すると、再び箸をつけ始めた。
しかし、小松菜と一緒に煮られた油揚げ(の、きざみ)を取ろうとすると、リーゼロッテの持っていた箸と健の持っていた箸とがぶつかった。
「あっ……」
「なによ。これはわたしがもらうんだからその箸どけなさいよ」
「っ……むううう~~」
「文句あんの?」
「いや……別にないけど言い方がちょっとキツすぎるんじゃないの?」
難色を示した健がリーゼロッテの口の聞き方を注意する。これにより、おかずの取り合いが始まった――。リーゼロッテが健の箸を押し退けて油揚げを取ろうとする。この無意味な争いを終わらせようと、健はリーゼロッテの箸をどけて油揚げの最後のひとつを取ろうとした。しかし、リーゼロッテは「い゛ーっ」と歯軋りして健の前に飛び出て強引に油揚げを箸で摘まもうとした。
「うっ!」
「えっ! ちょ、アブラアゲが飛んだァーッ!?」
油揚げがその煽りを受けて、宙へ思い切り放り出された。床に落としてしまっては味わえなくなる――。そうなる前に取らねば!
健とリーゼは、油揚げを確保するべく同時に動いた。しかし、二人の体は油揚げではなくお互いに接触してしまい――健は、リーゼロッテの大事なところに手を出してしまった。リーゼロッテの胸が健の手に当たってしまったのだ。
「あ……」
「~~~~ッ!? お前ェェ……」
柔らかい感触が手を通して伝わってくる。ただ、健にはそんなつもりはなかったのだ。油揚げを落としてはならぬ。
落としたらもったいない。自分が蒔いた種だ。自分の手で解決しなければならない。そう思っての行動だったのだ――。それが裏目に出てしまうとはなんと不運なことか。
「またやってくれたわね……このアホおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「アイエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ~~~~ッ!?」
当然リーゼロッテの気持ちは、今どきのギャル風に言うと「激おこプンプン丸!」であり、健はリーゼロッテから殴る蹴るの暴行を受けた。詳細は伏せるが、いともたやすく行われるえげつない報復であったことに違いはない。サツバツ! コワイ!
「まったく、お前たちは静かに食事できないのか?」
「マスター、レランジェも加勢安定ですか?」
健を助ける様子もなく食事を続けるセレスティナ。その横で徒手空拳の構えを取るレランジェ。どうやら今の健の味方はここにはいないらしい。
「はい、タケちゃんなら今……リーゼちゃんのおっぱいを触ってしまってボコボコにされていますねぇ。どうやら二回目だったようで、リーゼちゃん物凄く怒ってます」
そこへ襖を開けて誘波が現れた。誰かと電話をしているようだ。しかもその親しげな口調から察するに、話している相手は知り合いと見える。
「ちょっとイザナミ! のんきに電話してないでコイツをなんとかしなさいよ!」
「そうしたいところですけど今手が離せないんですよぅ、リーゼちゃん。それでレイちゃん、タケちゃんになにかご用件でしょうか?」
「「「!?」」」
レイちゃん――!? レイちゃんというのが誰のことを指すのかは、リーゼロッテとセレスティナ、レランジェの三名がよく知っている。健もなんとなくだが誰のあだ名か察しがついていた。
レランジェと誘波以外は著しく動揺し、リーゼロッテはその手を休めた。
「了解です。少々お待ちください」
「れ……レージ!? レージと話してるの!?」
「どういうことだ、誘波殿。零児は今、健殿の世界にいるはずでは?」
「どうやら、タケちゃんがいた世界と私たちの世界が電話によってつながったようです」
「え? ぼ、僕の世界とこの世界がですか!?」
「はぁい♪」
誘波が言うには、この世界からかけた電話が健の世界とつながったようだ。向こうには今、零児がいる。もしかするとアルヴィーやみゆきたちも一緒かもしれない。そうだったら白峰零児だけでなく、彼女たちとも話が出来るはずだ――。
「タケちゃんの世界の方がお話ししたいそうですが、代わりますか?」
「はいっ! でも、いいんですか。せっかく零児って人の声聴けたのにここで僕に交代しちゃって」
「構いませんよぅ。ですが、お話が終わっても切らないでくださいねぇ」
誘波は快く電話を健に代わることにした。零児とは後から話すようだ。誘波から精一杯の好意を受け取った健は嬉々として携帯電話を受け取った。リーゼロッテはそのうしろで「レージ! レージと話したい! 話をさせなさいよー!」と、騒いでいた。
「もしもし! 東條健ですが!!」
「おお、確かにつながった! その声は健か!? 健、お主なのだな!? 無事だったか?」
「こっちもつながった! しかもその声はアルヴィー! ……うん、無事だよ。もう二日目くらいだけどなんとかやれてるよ」
「そうか……みゆき殿、交代するぞ」
電話をかけて最初に健に語りかけてきたのは、パートナーのアルヴィーだった。健にとって聞き慣れた凛々しくも色っぽいハスキーボイスが聞こえることが、こうも心の底から愛おしく聞こえるのは二日間も会えていないからだろうか。健の近況を聞けて安心したアルヴィーは、みゆきと電話を代わった。
「健くん? わたしだよ、みゆき! 元気してる?」
「みゆきか!? 元気元気! 僕がいなくて寂しくなかった?」
「うん! 零児さんも零児さんで面白いところあるわよ」
「そっか~」
「それからねー……えっ、ちょ、まり子ちゃんなにすんのやめっ」
次の相手は幼馴染であるみゆきだ。思い人であるためか健もみゆきもお互いに嬉々とした様子で話し合うが、その最中――まり子が無理矢理電話を代わったようで、途中でみゆきの声が切れた。
「ふおおおおおおお! た、健お兄ちゃん! 無事なのよね! わたしたちすっごい心配してたのよ! ねえ、そっちではどう? うまくいってる?」
「わ、わかった。わかったから落ち着いて」
「こっちにはいま零児さんってお兄さんが来てるんだけど、この人がまたまじめすぎてつまんない男なの。お兄ちゃん、いつになってもいいけどなるべく早く帰ってきてね!」
「うわー、ひっでえ言い方されてるな零児さん……」
「あ、不破さんと電話代わるね」
まり子は無邪気な口調でいともたやすくえげつないことを言うだけ言って、健の安否を気遣うことも言い残すと不破に電話を代わった。
「よぉ東條! こっちに白峰零児ってヤツが来てるのはもう知ってるよな? そいつがオレの日頃の愚痴を聞いてくれてさ、一緒に一晩飲み明かしてだなー……」
「はいはーい。次の方どうぞー」
「おいおいそりゃないぜ!? お前さりげなくひどいことするよなァ!!」
久々に声を聞けたが、まあ、不破さんの扱いはこんなものでいいだろう。とでも言いたげに健は不破へ次の相手に電話を代わるように告げた。
「健さん!」
「その声は葛城さん!? 葛城さんもいるの!?」
「はい、観光で京都に来ていまして。それより本物の健さんですよね!?」
「なに言ってんの葛城さん、東條健はこの世に僕ひとりしかいないよー」
「失礼しました。パラレルワールドですので、別の健さんかもしれないと不安がありましたの。一刻も早くあなたがこちらへ戻ってこられることを祈っております」
「葛城さんも、皆も。零児さんとはうまくやれてるかな」
「はい。なんとかやれてます。零児さんと健さんが元の世界に戻れるように、わたくしたちも尽力しています」
「そうかー。ありがとう。僕の方でも見つけてみせるよ、帰る方法」
「はい! 白峯さんと電話代わりますね」
今度は不破から葛城へと代わった。相手が相手だけに、健も真面目そうな態度と口調で話をしている。しばらくして、白峰とばりへと電話が回された。
「はーい! 東條くん、そっちでの暮らしはどう?」
「白峯さん! 異世界監査局ってところに拾ってもらって、異世界に関するお仕事をさせてもらっています」
「そっか。あたしね、今東條くんと零児くんがお互いの世界に帰る方法を探してるからね。もしその方法がわかって、またこっちとそっちがつながったら連絡するわ!」
「……ありがとうございます!! それじゃあ、また……」
「もういいのかな? じゃあ、お達者でね」
――そこで久方ぶりの仲間たちとの短い会話を終え、健は皆の顔を思い浮かべながら自然に電話を切った。
「なに切ってんのよぉおおおッ!?」
「あっ……」
無意識に通話を切ってしまった健にリーゼロッテが激昂した。誘波が携帯を健から受け取りもう一度白峰零児にかけるが――どうやらつながらなかったようだ。
「うふふ、タケちゃん、ちょっと隣の部屋でいいことしましょうか♪」
「い、いいい誘波さん笑顔が黒いんですけどいいことってなんでしょうかッ!?」
「タケちゃんにはMの素質があると思うのです」
「あひえぇー!?」
その夜、健の行方を知る者はいたとかいなかったとか。