第2話「幼い二人の優しくて残酷な物語」
約10年前・・・
瑠(当時6歳)は、通っている幼稚園のある一室で両親の迎えを待っていた。
広くはない部屋の隅にあるテレビには、子どもたちが退屈しないよう、アニメのビデオが流されている。
「瑠君のお母さんはいつ来るの?」
瑠の隣に座っている瑠の友だち=凪が声をかけてきた。
「僕は、お父さんが迎えに来てくれる。お仕事で遅くなるって言ってたから、まだこれないと思う。
凪君のお母さんはいつ頃くるの?」
既にこの部屋には、二人しか残っていない。他の友だちは皆、帰ってしまったのだ。
「僕のお母さんはね・・・」
「凪君、お母さんが迎えにきたわよー」
先生が部屋の入口で、凪のことを呼んだ。
凪は勢いよく立ちあがると「じゃーなー」と言って、駆け足で部屋を出て行ってしまった。
(また僕が最後か・・・)
でも、気にしない。
もうそろそろ迎えに来てくれる時間だ。
瑠はごろんと床に横になった。
広くない部屋だが、瑠一人になってしまった今では、いつもの何倍も広く感じる。見飽きたビデオの音も、一人の時はなぜか心地よく聞こえた。
「瑠君、お父さんが来たわよー」
「!・・・はーい!」
(来たっ・・・)
瑠は飛ぶようにして起き上がると、黄色の鞄を持ち、駆け足で部屋を後にした。
瑠は父の車を見つけると、後部座席のドアを開け中に乗り込んだ。
「お帰り。瑠」
「ただいま。お父さん」
瑠の父親=芯は運転席に座りながら、肩越しに振り返り瑠を見た。
瑠はそんな芯を見て、にこっと笑った。
そして、車は自宅へ向かって出発する。
見慣れた街並み。
いつもの車の中のにおい。
それらは皆、後少しで家に帰れるということを示していた。
「お父さんー。いつもこれしてると暑いよ」
瑠はそう言うと、カツラを両手で取り外した。
そのカツラの下には、瑠の本当の髪・・・銀色の髪がある。
瑠はそのカツラを鞄の中に、乱暴に押し込んだ。
芯は運転をしながら、言う。
「瑠はまだ髪色までは変えられないだろ。しばらくはそれで我慢すること!」
「・・・・」
瑠は芯の言葉を軽く聞き流すと、目を二、三回パチクリさせた。するとたちまち、その瞳は透き通るような銀色になる。
「そんな色、友だちには見せられないだろ?」
「・・・うん」
もちろん、そのことは分かっている。
自分の家族はみな、変わった瞳の色と髪の色を持っている。
もちろん世の中では、変わりものはいい目ではみられない。
だから、瑠たちの家族は、それを外では隠して生活している。
瑠はそのことをわざわざ隠すのは嫌だったが、家族の人が皆そうしているので、自分も我慢しようと思った。
「瑠もあと少しで小学校入学だな」
「うん」
そう、瑠はあと少しで地元の小学校に入学する。
今月には卒園式があり、来月には小学校一年生だ。
瑠は楽しみで仕方なかった。小学校生活も、もちろんそうだが、小学生になると“仕事”ができる。
瑠は前々から父や母がやっている仕事を、自分もやってみたくてたまらなかった。そして、小学校へ入学するのと同時に、仕事をやるのを許されているのだ。
「ほんとにできるのかー!?瑠にムマの仕事なんて」
その声が聞こえたのと同時に、瑠の隣の座席に父のパートナーのスイマ=ゼンが姿を現した。
「ゼン兄ちゃん・・・。僕、楽しみにしてるのにそんなこと言わないでよ」
瑠はムッとした顔でゼンを見る。
「ごめんごめん。ただ俺は心配なだけなんだよ」
ゼンは、はははっ、と笑いながらくしゃくしゃと瑠の髪をかきまわした。
「・・・・・」
「ゼン。心配する必要なんてないぞ。瑠にならできる。お父さん似だからな」
「芯のやつ、また言ってるよ!それほど自分の腕に自信があるんだなー」
「俺はそんなに自惚れているつもりはない!」
「・・・おいおい。父親っていうのはなー、子どもが小さい時は自分のことを“お父さん”って言わなくちゃいけないんだぞ?」
瑠はゼンの言葉にぴくりと反応する。
「僕は小さくない!」
ゼンは瑠のその言葉に、少しばかり驚きの表情を見せた。しかし、その瞳はすぐに幸せそうに歪む。そしてゼンは、優しい声で言った。
「だな。瑠は小さくなんてないよな」
運転している芯も、瑠の隣に座っているゼンも、楽しそうに笑っていた。
「ただいまー」
瑠は自宅に帰ると、玄関の扉を開けそう叫んだ。
「お帰りー」
居間の方から、いつものように瑠の母=奈雪の声が聞こえた。
瑠は靴を脱ぎすて、居間へどたばたとかけこむ。
後から「こら!靴揃えろ」という芯の声が聞こえたが、「分った~」と言い返しただけで、瑠は奈雪の隣のソファに腰をおろした。
奈雪はとても綺麗な金の瞳と金の髪を持っている。
瑠と芯は銀色なのに、どうして奈雪は金色なのだろう。瑠はそのことを昔、奈雪に「何でお母さんは僕たちとは違う色なの?」と質問したときがあった。
奈雪はそれに「ムマの人は昔から女の人が金で、男の人が銀なのよ」と教えてくれた。
「僕もお母さんと同じ色がよかったな」
瑠は、隣で本を開いている奈雪にそう言った。
奈雪はその顔を瑠に向け、苦笑する。
「何言ってるの!瑠は男の子なんだから、そっちの色のほうが似合うわよ。それに、お母さんは瑠やお父さんみたいな色のほうが、好きなんだから」
「そうなの!?」
奈雪はにっこりと笑った。
「そうよー」
瑠は母に気に入ってもらうことができ、嬉しかった。
思わず笑みがこぼれる。
「それから、瑠!」
奈雪は本を閉じ、立ち上がると瑠を見下ろした。
「靴はちゃんと揃えてくるのよ」
「・・・はーい」
瑠の期待とは逆に、奈雪の口にした言葉はそれだった。やはり奈雪は、芯が瑠に向かって言った言葉をきちんと耳に入れてたらしい。
奈雪は本をソファの隣に置いてある本棚にもどすと、そのまま台所にむかう。
瑠も渋々立ち上がり、玄関にむかった。
(面倒くさい・・・)
瑠はそんなことを思いながら、裏返しになった靴を元通りにする。そして、きちんと両方の靴を揃えると芯の大きな靴の隣にそれを並べた。
「瑠、ちょっと俺と話さないか?」
「!」
横を見ると、そこにはゼンがあぐらをかいて微笑みながらこちらを見ている姿があった。
「・・・いーよ?」
(なんの話だろう・・・)
「よし!それじゃ、外で話すか」
ゼンはそう言いながら、立ち上がる。そして、ゼンは瑠の両脇に手を入れ、そのまま瑠を持ち上げた。
「わぁー・・!」
瑠は突然のことに驚いて、思わずそう声を漏らす。
そしてゼンは自分の肩に瑠を座らせ、肩車をした。
「瑠、さっき上手に靴並べられたもんな。崩しちゃうの勿体ないだろ」
「ありがとー。ゼン兄ちゃん!」
瑠はゼンの頭をぎゅっと抱きしめた。
ゼンの髪は自分と違って真っ黒で、顔を埋めると目をつぶっているときみたいだ。
「おいおい~。これじゃ前が見えねーよ!」
どうやら、瑠の腕がゼンの目を隠してしまっているらしい。
「あははは」
瑠は、ゼンの目からぱっと腕を離した。そして、ゼン首の周りに腕をまわす。
「こいつ~、笑いやがったなっ」
「笑ってないよ!」
「こらっ。嘘つくな」
「ははっ」
ゼンは苦笑すると、玄関の扉をゆっくりと開ける。そして二人は外へでた。
既に外は夕焼け色に染まり、家の庭にも淡いオレンジ色がかかっている。
ゼンは庭の隅にある、手造りのブランコに瑠を座らせた。
このブランコは、瑠がもっと幼いときに、父が作ってくれたものだ。
今では、ロープの色もすっかり色褪せてしまっており、板の部分もロープと同様すっかり色あせている。
しかし、太いロープで、父が太い枝にそれをしっかりと括りつけていたのを瑠は見ていたので、壊れることはないだろうと瑠は思った。
ゼンはブランコが括り付けられている木の幹に寄りかかると言った。
「瑠、ムマの仕事をするには、パートナーのスイマと契約しなくちゃいけない、っていうのは分かってるよな?」
「うん、知ってるよ」
瑠はロープを握りしめ、靴下の足をぶらつかせる。
ゼンは瑠の言葉に頷くと、言葉を続けた。
「・・・パートナーを誰にするか決まってるのか?」
「うーん・・・と、お父さんとお母さんが決めてくれるんだって」
ゼンは少しだけ目を見開いて瑠を見た。
「じゃ、まだ決まったわけではないんだな!?」
「うん」
瑠はゼンの声色が変わったことに気づき、足の動きを止め彼の顔を見る。
ゼンは真剣な声色のまま言った。
「瑠のパートナーさ・・・俺の妹にしないか!?
・・・・妹さ、そろそろ15になんのに、まだパートナーを見つけられないんだよ・・・」
「・・・うん。いいよ」
「ほんとか!?」
ゼンは身を前に乗り出す。
瑠は少しばかり眉間にしわを寄せる。
「でも、お父さんとお母さんに聞いてみないと分からない・・・
「・・・・」
ゼンはどうしても、自分の妹のトイロを瑠のパートナーにしてやりたかった。
トイロは消極的な性格で、人と話したり人と仲よくなったりするのも得意な方ではない。そんなトイロが、19までにちゃんとパートナーを見つけられるか、ゼンは心配でならなかった。
・・・それに、パートナーが自分のパートナーの子どもだったら、トイロも少しは安心できるだろう。
「・・・それじゃ、俺がお父さんに聞いてくるからな」
「・・・うん」
「俺がなんだって?」
「!」
いつからそこにいたのか、木の影から、芯がすっと姿を現した。
芯は真剣な眼差しで、ゼンを見る。
「・・・・」
ゼンは突然のことに驚いたらしく、その口を閉ざしている。
瑠はとっさに口を開いた。
「僕の仕事のパートナー、ゼン兄ちゃんの妹さんがいいの」
「そう。さっき俺が、瑠にそう言ったんだ。瑠のパートナー、まだ決まってないって聞いたからさ」
ゼンは一歩、芯のほうに歩み寄りそう言った。
「・・・・」
「・・・・」
瑠とゼンは沈黙のなか、芯の答えをじっと待った。
芯は口をきゅっと閉じ、何かを考えている。そして、腕組をすると口を開いた。
「・・・ゼンの妹はちゃんとした子なんだろうな?」
「・・・トイロは、優しくていい奴だと思うけど」
ゼンは思った。
少なくともトイロは、芯が思っているような“ダメな子”ではないと。しかし、トイロは全てがちゃんとしていると言ったらそれは違った。だから、ゼンはそう言うことにした。
「わかった。・・・その子を瑠のパートナーにする」
「本当か!?」
ゼンは目を見開く。
芯はそんなゼンの姿を見て、微笑むと言った。
「ゼンの妹なら、きちんとやってくれそうだしな」
「おう。トイロならきっと上手くやれるよ!」
「よかったね!ゼン兄ちゃん」
瑠も嬉しかった。きっとゼンの妹は、ゼンと同じように優しい人に違いないだろう。そのお陰で、もっと仕事をするのが楽しみになった。
すると芯は、そっと瑠の頭に手を乗せた。
「もうそろそろ夕食だ。家に入りなさい」
「はーい」
瑠は芯の顔を見て、にっこりと笑う。
「それじゃ、芯。仕事のときにな」
ゼンは明るくそう言って、瑠に笑いかけた後、その場で姿をかき消した。
もう、庭全体はオレンジ色から、暗闇へと染まりつつある。
瑠と芯は、そんな庭を後にして、光が溢れる家のなかへ入った。