第1話(5)
翼はかたっぱしから朝菜のクラスの人々に電話をかけた(電話番号は、クラスの連絡網のプリントを見た)。
そして見つけた。瑠の住んでいるアパートを。
瑠の家はここからそう遠くない、市内の三丁目にあることが分かった。
「早くしねぇーと!」
翼は受話器をガチャリともとに戻すと、明のほうに振り返り言った。
明は、翼と違い、落ち着き払った表情で翼を見据えている。
「落ち着きなさい、翼。
焦りすぎると、思わぬ失敗を招くぞ」
「――・・・」
翼はこんな状況で、落ち着いていられるはずがなかった。
そんなの無理だ。もう大切な人を失いたくない。
すると、翼の手の中に等身大の白い鎌が現れた。
これは翼たちにとって、生きる源。“気”をとるための道具だ。
「じゃ、行ってくるから」
翼は背を向けて、その場から姿をかき消そうとする。
「待ちなさい。翼」
「!」
翼は明の声に、肩越しに振り返った。
そこには“スイマ”の明の姿があった。
人間のふりをしている明は、普通のそこら辺にいる父親だ。しかし、白い鎌を持ちスイマの姿に戻ると、“人間のふり”は解除される。
そしてその姿は、青年に近い。
スイマはムマと契約した時点で、年をとらなくなる。つまり、外見の年は一生変わらない。
今の父親の姿は、翼の母親=夏枝と契約したときのままだ。
「私も行くことにする」
「・・・分かった」
明は翼の隣に歩み寄った。
・・・翼は現在、18歳。そして19歳までに契約するムマを見つけないと、死ぬことになってしまう。
――掟を破った者として。
翼は若くなった明を一瞥すると、その場から姿を掻き消した。
朝菜は何とか最初の一歩を踏み出した。
“レバー”を探しに行くためにも、あの階段を登らなくては。
広くはない廊下の両側には、何個もドアがある。
(・・・・よし)
朝菜は意を決して、ゆっくりと歩き出した。
ギィーギィー・・・
朝菜が一歩踏み出すたび、その木製の廊下が嫌な音をたてて軋む。
(ぬけちゃったらどうしよ・・・)
朝菜は出来るだけ体重をかけないつもりで、慎重に歩く。
バンっ!!
「!!!」
突然、入口の扉が大きな音をたててしまった。
朝菜はその光景を見て、固まる。
(風のせいだよね・・・?)
外にいたとき、風が森の木々を揺らしていたことを朝菜は思い出した。
・・・きっとそうだ。風だ。
朝菜は前に向き直ると、今度は出来るだけ早足で進んだ。
怖くて、後ろには振り向けない。
黙々と前進していることが、今の朝菜にとって一番良い方法なのだ。
コン・・・
「!!」
何か音が聞こえた。
朝菜は瞬時にドアのほうを見る。
廊下沿いに並ぶドア、そして今、丁度朝菜の横にあったドアの中から、確かにそれは聞こえた。
・・・まるで、誰かがドアの内側からノックしているような・・・そんな音だった。
(気のせいだよね・・・?)
朝菜は、自分の早くなった鼓動を無視して、そうあるよう信じた。
朝菜はまた、歩きだした。いや、今度はあの階段を目指して、朝菜は走っていた。
コンコン・・・
次のドアを通り過ぎる一瞬、また聞こえた。
コンコンコン・・・・
まただ。
朝菜がドアの横を通り過ぎる一瞬、その音は、ドアの内側から聞こえる。
朝菜は必死に走った。そして、最後のドアの横を通り過ぎる。
「!・・・・」
今度は何も聞こえなかった。
・・・やはり、気のせいだったのだろうか。
朝菜は階段の前で歩みを止めた。
朝菜の目の前には、先が見えない暗い階段が続いている。
(怖っ・・・)
「!!?」
後ろから、誰かが立っているような気配がした。
朝菜は我慢できず、後ろに振り返った。
そこには誰もいなかった。
しかし、朝菜がさっき通り過ぎたドアが、微妙に開いている。
・・・さっきまでは、きっちりと閉まっていたはずなのに。
「っ・・・!」
朝菜は階段を駆け上がった。
もう、上に進むしか道はない。
そして朝菜は闇に包まれた。いや、確かにさっきまでも闇だったのだが、今度は本当の闇だ。
何も、見えない。
それでも朝菜は、足を止めなかった。
ただ、階段を上っている自分の足音と、その感覚だけが足の裏に伝わる。
と、視界が開けた。
「!!・・・」
朝菜の視界に広がったのは、やはり木製の廊下だった。
そして、窓があった。
それらの窓は、先ほどのドアと同じように何個も両側に並んでいる。しかし、それらは、ドアとは違い全開に開かれていた。
それらの窓からは、あの暗い森が広がっているのが見えた。
「・・・・」
朝菜は少しばかり安心した。
何も見えないよりは、何かが見えたほうがまだましだ。
朝菜は一歩踏み出すと、その景色を静かに眺める。
(早く・・・しないと)
怖くて怖くてたまらない。逃げ出したい。
(でも・・・)
レバーを見つけないと、もっと恐ろしいことが起こってしまう、そんな気がした。
「はやく窓を閉めて!!」
「!?」
突然、背後から声がした。
朝菜が声のほうに振り向く前に、その声の主が朝菜の横を通り過ぎる。
彼女は朝菜に振り向くこともせず、一番手前の窓の前で立ち止まると、すばやくそれを閉めた。
短めの黒髪を持った彼女は、朝菜のほうに振り向くと半分怒鳴るようにして言う。
「朝菜も早く閉めて!!はやくしないとアイツが来る!!」
「・・・・は!?」
彼女は全開に開かれている窓を、次々と閉めていく。
「あいつって・・・」
朝菜は眉間にしわを寄せ、呟いた。
「早くして!!」
(一体何・・・?)
朝菜は、何がなんだか分からないまま、彼女の言うとおりに一番近くにある窓を閉めた。
(あっ・・・)
この建物の一階に、明かりの燈っている部屋が一室だけ見えた。
それも、けっこう明るく燈っている。
朝菜はあの部屋に行かなくては、と思った。
あの明かりの中なら、朝菜を救い出す何かがあるかもしれない。それに・・・あの明かりに入れば、この不気味な世界から脱出できるかもしれない、そう思った。
「これで安全ね」
「!」
いつの間にか、朝菜の隣に立っていた彼女が言った。
どうやら窓は、すべて閉めたようだ。
「?・・・」
朝菜は彼女の顔を見た。顔立ちからして、朝菜と同じぐらいの年に見える。
真っ黒の瞳。
白い肌。
(誰だろ・・・この人。・・・でも、どっかで見たことあるような・・・)
「これでアイツは入ってこれないわ」
「あいつって・・・誰?」
彼女は朝菜の発言に、微かに顔色を曇らせた。
一方、朝菜は彼女の表情の理由が全く分からない。
「私も朝菜もあいつが大嫌いよ。特に朝菜の方が、苦手中の苦手ね」
(・・・私が苦手中の苦手?・・・・っていうか、何で知らない人が私のこと知ってんの?)
この世界に住んでいる人は、皆、朝菜のことを知っているのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。
「海夜。どうして私のこと知ってるの?」
(・・・!)
朝菜は自分の発言に、どきりとした。
なぜ、自分は彼女の名前を呼ぶことができるのだろうか。まったく知らないはずなのに。
彼女の名前=海夜、は自然と自分の口から発せられていた。
まるで・・・彼女のことを、ずっと昔から知っていたみたいに。
海夜は朝菜の表情とは対照的に、にっこりと笑うと言った。
「何言ってるの!朝菜と私は昔からの親友!!知ってて当たり前じゃない」
「・・・・」
朝菜は海夜の満面の笑みに、思わす自分も笑顔になりそうになった。
海夜と親友だった覚えは、もちろんない。いや、むしろ朝菜と海夜は、今日初めて出会った。
しかし、彼女の親しみやすい笑みを見ていると、昔からの親友だった気がしてくる。現に、彼女の名前も言えているではないか。・・・もしかしたら、朝菜は海夜と親友だったことを忘れているだけなのかもしれない。
・・・このおかしな空間なら、そのことも十分にありえる。
「うん・・・。私たち、親友だしね」
朝菜は当たり前のようにそう言っていた。
「でしょ!」
海夜は嬉しそうに、また笑う。
「じゃ、いつもの遊びしましょ」
「・・・・・うん」
「この遊び、本当に楽しいのよね!」
「・・・・!!」
朝菜は目を見開いた。
海夜の手にはいつの間にか、拳銃が握られているではないか。
海夜は一歩下がると、朝菜に銃口を向け、笑顔で言った。
「どっちが、相手に早く弾を当てることができるか!朝菜、意外とこれ、得意なんだよね。今度は負けないわ!」
「・・・・は!?」
朝菜は、自分の手の中に何かがあることに気づき、どきりとした。
・・・朝菜は当たり前のように、拳銃を握っているではないか。
「っ・・・・」
朝菜は初めて持つ拳銃の感覚と、思いもしない展開にその場で固まった。
「ちょっと・・・・!!」
「それじゃ・・・よーい・・・スタート!!」
バン!!
「!!」
朝菜は反射的に、横に飛びのいた。
・・・大きな音。
耳を塞ぎたい。
「っ・・・!やめてよ!あたったら死んじゃう!!」
「何言ってんの。そんなことで死ぬわけないじゃない!」
海夜は不気味な顔でそう言うと、また銃口を朝菜に向ける。
「やめてよ!!」
朝菜は必死に逃げた。
バン! バン! バン!
窓ガラスが破れる。
「朝菜も撃ってよ!じゃないとつまらないじゃない」
(このままじゃ・・・死ぬ!)
朝菜は必至の思いで、拳銃を構えた。そして、自分のうでを信じて、引き金を引いた。
バン!!
その銃弾は、海夜のすぐ横の窓ガラスを突き破る。
朝菜は初めて拳銃を使った・・・はず。
なのに・・・なんでだろう。この使いやすさは。
まるで・・・昔から拳銃を使っているような・・・そんな使い心地だった。
「さすが!朝菜。でも、最初の一発で終わらせようとするなんて、気が速いんじゃない?もっと、楽しみましょうよ」
「っ・・・!」
朝菜と海夜じゃ、まるで考え方が違う。
もうこうなったら・・・。
バン!バン!バン!
朝菜は、海夜めがけて銃弾を放った。
海夜はそれを素早く避けると、とても楽しそうに撃ってくる。
朝菜も必死の思いでそれを避ける。
・・・窓ガラスが破れる。
ミシミシミシ・・・・
「!!!」
嫌な音が聞こえたかと思うと、残っていた窓ガラスが物凄い音とともに一斉に敗れた。
数えきれないほどのガラス片が、辺りに散らばる。
・・・足の踏み場がない。
そして、気持ち悪いほどの静けさが二人を包んだ。
「あいつ、が来るわ!!」
「!?」
海夜の大声とほぼ同時に、あいつ・・・もの凄い突風が、低い唸り声とともに、破れた窓ガラスから入ってきた。
「・・・・!」
その突風は、朝菜と海夜の髪をかき上げる。
目を開いているのが辛いほどの強い風だ。
そして信じられないことに、その突風は朝菜の体を宙に浮かせた。
朝菜は、成すすべなく窓から外に投げ出される。
朝菜が驚きのあまり、目を開いた瞬間、海夜の歪んだ表情が見えた気がした。
翼は瑠のアパートの前に姿を現した。
もう既に、外は暗い。アパートの廊下の灯りも燈り始めている。
「たしかあいつの部屋は・・・」
翼は迷わず走り出した。その後に明も続く。
アパートに入り、廊下を進んで、瑠の部屋の前で足を止めた。
朝菜は無事なのか。それとも手遅れなのか。
翼は早くなる自分の鼓動を感じながら、目の前のドアを通り抜けた。
「!!!」
そして、目に入った。
ソファに寄りかかり、動いていない朝菜の姿が。そして、その傍らに立っているスイマの姿が。
「朝菜!」
翼はそう叫ぶと、朝菜の隣に駆け寄った。
朝菜は目を覚まさない。
「翼。この姿では、朝菜に声も聞こえないし、姿も見えない・・・・」
「じゃ、そうすればいいんだよ!?」
翼は朝菜を見たまま、明の声とは対照的に力強い口調で言った。
「人間の姿になって朝菜を起こそうとしても、どうせこのスイマが邪魔をするだろ!?」
翼はこのスイマ=トイロのことを睨みつける。
トイロは一瞬、翼の言葉に怯えたように見えたが、翼の瞳をしっかりと見据え言った。
「・・・瑠の仕事の邪魔を、させるわけにはいかないから・・・」
「・・・・」
するとトイロは朝菜に容赦なく鎌を振りおろす。
「やめろ!」
翼がそう叫ぶ頃には、朝菜の体から光の粒があふれ出していた。
それは見る見るうちに、トイロのほうに流れていき、彼女の中へと消えていく。
「っ・・・・」
翼はトイロのほうに素早く振り向くと、鎌の柄を彼女の首に勢いよく押しつけた。そしてトイロを、そのまま強く壁に押さえつける。
「もう俺は・・・手遅れなのか!?」
翼は必死だった。
トイロはその黒髪で表情を隠し、俯いたまま黙っている。
「やめなさい。翼」
明はそう言うと、翼の鎌をトイロの首から引き離した。
「・・・この鎌は、こういうことに使うもんじゃない」
「・・・・分ってるよっ」
翼は呟いた。
・・・どうして明はこういう時にも、冷静にいられるんだ?
翼はこうも必死で、自分でも分かるぐらい取り乱しているのに。
「それに悪いのはこの子じゃない」
「・・・・」
・・・そう。こう場合、悪いのはムマのほうだ。しかし、その手伝いをこのスイマがしているのは事実。
だから翼は、自分の感情が抑えきれなかった。
「ごめんなさい。・・・私も瑠があの時、いきすぎたことをしたのは分ってるの」
「!・・・」
翼と明は同時にトイロを見た。
トイロは、いまだに目を伏せたままで、その口はギュッと閉じられていた。
「でも・・・私のパートナーは瑠。瑠は私にとって大切な存在だから、これ以上・・・のことは言えない。・・・言いたくないの」
トイロは今にも壊れてしまいそうな声だったが、しっかりとその言葉を口にした。
そして沈黙・・・・。
翼は思った。
確かに誰だって、大切な人の悪いことは口にしたくない。ましてや、他人の前で口にするなんてもってのほかだ。・・・・しかし、だからと言って西園寺のしたことを認めていいわけではない。
「じゃ・・何で・・・そんなに大切な人なら、そのことがいけないことだって、ちゃんと言ってやんなかったんだよ!?
・・・もし、お前がちゃんと言ってれば、俺の母さんだって・・・ああなることはなかったのに!!」
翼は必死に叫んだ。
もう過ぎ去ってしまったことは、どうにもならないことは分かっていた。
悔しい。過去に戻りたい。
時の流れは残酷だ。一度間違ってしまったら、一生戻れない。間違ったと分かっていながらも、引き返せない。
ただ、後悔という名の足跡を残して進むしか道は残ってないんだ。
「勝手なこと言わないで!!」
「!」
突然そう叫んだトイロに、翼と明は目を見開いた。
「あの時の瑠に、そんなこと言えるわけない・・・。言えるわけないよっ・・・!」
顔を上げたトイロの表情は、とても苦しそうに歪んでいた。
「!・・・・」
明はその手から鎌を消すと、目を伏せ低い声で言う。
「過ぎてしまったことを言うな。・・・ただ、自分たちが苦しい思いをするだけだ。・・・分かるな?」
「分かってるよ!そんなこと!でも・・・」
「私は今でも苦しいのっ・・・」
トイロは翼の言葉を遮るようにして叫んだ。
しかしトイロは俯いていた。そして、震えた息を漏らしながら、口を開いた。
「知ってる・・・?過去の瑠に何があったか・・・。瑠は・・・両親に捨てられたんだよっ・・・」