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第4話(6)


 朝菜は心の中の不安と戦いながら、自宅の玄関の扉を開いた。

 ・・・自転車をこぎながら、何とか瑠をとめる方法はないかと考えた結果、ある方法を思いついた。

 それは、翼に瑠をとめてもらうこと、だ。

 瑠の目的が舜の意思のなかに行くことならば、パートナーのスイマの翼の協力がなければそれは実行できない。

 そう・・・すべては、翼の考え次第で決まる。

(もう帰ってきてるだっ)

 朝菜は玄関に翼の靴があることを確認すると、家へとあがる。

 ・・・自分が瑠の行動を止める権利があるかなんて分からない。

 でも、そんなこと関係ないと朝菜は思う。

 もう瑠には、両親の関係で傷ついてほしくなかったし、それにあの時みたいに落ち込んだ瑠の顔なんてみたくない。

 何かが起こったあと、後悔するだけでは何も変わらない。

 今、自分ができることをしなければ・・・きっと、後悔してしまうから。

 朝菜は鞄を自分の部屋へ放り込み、そして翼の部屋の前に立った。

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

 朝菜はそう声をかけるのと同時に、部屋の扉を開いた。

 翼はテレビの前であぐらをかき、ゲームのコントローラーを握っている。

 そのテレビからは、コミカルな音楽がながれていた。

「おっ朝菜―。帰ってきたのか。どうだ?一緒にゲームでも・・・」

「ねぇ。頼みがあるんだけど・・」

 朝菜は翼の隣に腰をおろした。

「・・・どうした?」

 翼は朝菜の雰囲気を察したのか、コントローラーを床に置き朝菜をみる。

「瑠に弟がいること、お兄ちゃんは知ってる?舜君っていうんだけど」

「あぁ。あの生意気な奴だなっ。そもそもあいつらのせいで、朝菜が危ないめにあって・・」

「それで!瑠が舜君のところに仕事に行くつもりでいるんだけど・・・行かないように言ってもらえないかな?」

 朝菜がそうお願いすると、翼が表情を曇らせた。

「なんでだ?」

「そっそれは・・・」

「理由はなんであれ・・・だめだ。悪いけどな」

「は?なんでっ?」

 翼は言いにくそうに、より表情を歪める。

「スイマはムマの仕事の邪魔はできないんだよ。どんな理由があってもな・・・」

「!─・・・」

 朝菜は翼の言葉に、何も言い返すことができなかった。

 納得できないと思っても、翼の表情を見てしまったら・・・何も言えない。

 きっとそのことは、翼たちのなかでは“守るべきこと”なのかもしれない。

「・・・そうか」

 朝菜は呟くような返事をする。

 翼ならどうにかしてくれる、という期待は見事に打ち砕かれてしまった。

 翼は自分のことのように、困った表情を浮かべていた。

 朝菜はそんな翼から、顔を背けると静かに部屋を後にした。

(あー・・・どうしよ)

 朝菜は不安で胸を一杯にさせて、翼の部屋のドアをパタリと閉める。

 やっぱり他の人に頼らず、自分で解決する他ないようだ。

(って言ってもどうすれば・・・)

 朝菜は頭をひねりながら、自室に足を踏み入れる。

 その時、部屋のなかにいるツボミが目にとまった。

 しかも彼女は、朝菜のベッドに寝転がり漫画を読んでかなりくつろいでいる状態だ。

「ツボミ・・・ここ、私の部屋なんだけど・・」

 朝菜の言葉に、ツボミは顔だけをこちらに向け、表情をピクリとも動かさずに言った。

「朝菜はわたしのパートナー。だからいいじゃない。部屋でくつろぐぐらい」

「・・・ツボミってすごいね(ある意味)」

 そんなツボミの態度を注意する気にもなれず、朝菜は勉強机の椅子に腰をおろした。

 ツボミは相変わらず漫画を読むことに集中している。

(こんなんで上手くやっていけるのかな・・・)

 朝菜は本気で心配だった。

(・・それにしても、本当に真っ白だな)

 ベッドの上に寝そべっているツボミの姿をみて、朝菜は改めてそう感じた。

 その背中の真ん中まであるサラサラな髪も、裾が短めなワンピースも、細い足を包み込んでいるハイソックスも・・・

 すべてが真っ白だ。汚れの一つも見当たらない。

 その白さは、まるで現実世界からかけ離れている。

(スイマとムマのハーフなだけに、服の趣味も変わっているとか・・・)

「朝菜、何考えてるの?」

「!」

 はっとして声の方を見ると、ツボミがベッドの上に座ってこちらを見ていた。

 どうやら、ツボミの漫画タイムは終わったらしい。

「朝菜、何か考えてる顔してた」

「どうでもいいことだよー」

 朝菜は、はははと笑って見せる。

「・・・」

 だが、ツボミはまだ何か言いたげに金の瞳でこちらをじっと見ていた。

「・・・朝菜はりゅーのことを止めたいんでしょ。さっき隣の部屋にいる、変なスイマと話してたの聞えた」

「え・・」

(変なスイマってお兄ちゃんのことだよね・・・って言うか・・・)

「わたし、いいこと思いついた。朝菜が舜とリノの家に行けばいいと思う。

りゅーが来る前に、朝菜が舜の意思の中に行っちゃえば、りゅーは諦めるんじゃない?」

「あっ・・・確かに・・・」

 他の人を気にしなそうなツボミが、朝菜に助言をしてくれるなんて意外だった。

 でも、その方法だと・・・

「でも、ツボミが気をとった人には“支障”がでちゃうんだよね?」

 朝菜はそのことが一番気がかりだった。

 夢に取り込まれて、現実に帰ってこれなくなるのはゴメンだ。

 ツボミはその疑問にも、淡々とした様子でこたえる。

「大丈夫。今日は何か調子がいい」

「・・・──本当に大丈夫なの・・?」

「うん。わたし、舜とリノの家知ってるよ?また、連れてってあげる」

「・・・うん。じゃ、お願いするね」

 ここはツボミのことを信じて、舜の家に行ってみようと思った。

 それに、舜の意思の中に行く前に、瑠のことを止めることができるかもしれない。

 朝菜は机の上の置時計に目を移す。

〈PM 5:52〉

 もうこんな時刻になってしまったのだから、どっちにしろ確実に止める方法は舜の家にいくしかないのだ。

「それじゃ・・ツボミ・・」

 朝菜はツボミがいるはずの場所に、振り返る。

 が、そこには彼女の姿はなかった。

(いつのまにかいなくなっちゃったし・・・まっ夜になったらきてくれるよね・・)

 外はほぼ太陽が沈んでしまい、夜が近づいてきている。

 朝菜は立ち上がり窓に近づくと、淡いオレンジ色のカーテンをさっと閉めた。

(どうか上手くいくますように・・)


 朝菜は落ち着かない気持ちで夕食を済ませ、二階に上がると落ち着かない気持ちで感じのテキストをひらいていた(明日は学校で感じの小テストがある)。

 内容が頭に入っていないことは分かっていたが、別に気にしなかった。

 何度も時計を確認し、夜中が近付いていることを実感するたび、ますます落ち着いていられなかった。

 今の時刻は・・・約10時。

(確か・・・あのスイマの人は・・)

 12時ぐらいに来てくれるように瑠に言っていた。

 だから、その前には舜の家に行くようにしたいと朝菜は思った。

 ・・・ツボミはまだ姿を現さない。


 約1時間後・・・

 今の時刻、約11:00。

 ツボミはまだ姿を現さない。

 朝菜は我慢できなくなり、椅子からバッと立ち上がった。

(ツボミっ・・・遅いなーっ。そろそろ行きたいのに)

 朝菜はクローゼットの中から、厚めの上着を引っ張り出すとそれに腕を通した。

 春といっても、まだ夜中は寒かった。

 いつでもツボミがきてもいいように、朝菜は準備万全の状態で彼女を待つことにした。


 そして、また一時間後・・・。

 あと、2、3分もすれば、12時になってしまう。

「あーっ!何でこないの?」

 ・・・もしかして、忘れちゃってるとか。

 朝菜の頭の中に、この前の朝のような・・・ツボミが木の上でスヤスヤと眠っているような光景が浮かぶ。

(どうしよっ・・・探しに行った方がいいの・・・?)

 朝菜は座っていることもできず、部屋の中をいったり来たりする。

 その時、朝菜のすぐ前に白いものが現れた。

 歩きまわっていた朝菜は、それに思いっきりぶつかってしまう。

「朝菜、そろそろ行く?」

 数歩下がってみると、ツボミがいつの表情でこちらを見ていた。

「ツボミ・・・遅いよっ・・今まで何やってたの?」

「・・・昼寝」

「・・・」

(やっぱりか・・・っていうか、この時間じゃ昼寝って言わないし)

 ツボミは何の悪気もないような表情だ。

 文句の一つも言いたくなるが、ここは早く舜の家に行かなくては手遅れになってしまう。

 朝菜はそう判断し、口を開いた。

「それじゃ・・・早く行こう!」

 ツボミは朝菜の言葉にコクンと頷く。

 朝菜が早速、玄関に向かおうとしたそのとき、ツボミに腕を掴まれた。

「!・・・」

「こっち。早く行きたいんでしょ」

 ツボミはそう言うと、ぐいぐい朝菜の手を引き、そして窓の前までやってきた。

「もしかして・・・」

 朝菜は嫌な予感がした。

 ツボミは朝菜の手を離し、カーテンを開けるとこちらに振り返る。

「屋根の上とか、木の上を使った方が早く行ける」

「確かにそうだよねー・・・」

 朝菜にとってこの移動手段はとても恐ろしいものだ。

 移動中は、ずっと生きた心地がしない。

(でも、早く行きたし・・・)

 そう考えている間にも、ツボミは朝菜の手首を強く掴んできた。

 そして・・・走り出したと思ったら、朝菜の体はツボミと一緒に空中に投げ出される。

 朝菜はできるだけ、下を見ないようにしてツボミに続き、隣の屋根のへ着地した。

「こわっ・・・」

 真夜中であるため、周辺の家々の明かりが少ない。

 そのためだろうか。少し前にリノとこうした時よりも、より一層恐怖を感じる。

 ツボミはそんな朝菜の感情は関係なしに、夜の闇の中を身軽に移動していった。

 ・・・次の着地を上手くできるかの心配を何度か繰り返し・・・やっとツボミは、ある家の屋根の上でその動きをとめた。

「ついたの・・・?」

 朝菜はそのあることを願って、ツボミにそう問いかける。

 ツボミは朝菜から手を離し、こちらに振り返った。

「ついた。あの家」

 ツボミが指さしたのは、すぐ隣にある二階建ての家だ。

(そういえばこんな家だったかも・・確か舜君の部屋は・・・)

 朝菜はドギマギしながら、確認する。

 今、自分がいる場所の前にある部屋だ。

「よかった・・・まだおきてる・・」

 舜の部屋の窓からは、柔らかな光が漏れ、まだ他のスイマが来てないことが分かった。

「ツボミ・・・じゃ、あの部屋に・・」

 その時、後ろから人のいる気配がした。

 朝菜はドキリとして、振り返る。

 そこには、瑠と翼の姿があった。

「朝菜もきたんだなー・・」

 白い鎌を握りしめている翼は、笑顔を作ろうと頑張っている様子だがその笑顔は引きつりまくっている。

 朝菜はそんな翼のことよりも、彼の後方に立っている瑠に目が釘付けになっていた。

「朝菜、俺のこと邪魔しにきたの?」

 瑠は表情に影を落とし、その銀の瞳をギラつかせ朝菜を見ていた。

「っ・・・─」

「うん。邪魔しにきた。そうだよね?朝菜」

「ちょっと!ツボミっ・・・!」

 朝菜は焦りまくった。

 だが、もう遅い。

 ツボミの一言で、この場の雰囲気がより最悪なものになる。

 瑠は、口元をつり上げた。

「邪魔ねぇ・・・?ムマになったばかりの朝菜が、俺の邪魔なんかできるの?」

 瑠は口元を緩めずに、ゆっくりと朝菜に詰め寄ってくる。

「やってみないと分からないじゃん・・!!」

 近寄ってきた瑠の目を見ることはせず、朝菜はできるだけ強い口調で言い返した。

「それに・・・金の瞳のスイマと契約しちゃって本当に大丈夫なの?」

 瑠はツボミの方へ視線を動かすと、静かにそう言う。

「それはっ・・・大丈夫だよ」

 本当は不安で一杯だったが、朝菜は強くそう言って見せた。

 それに、ツボミの目の前で彼女を傷つけるようなことは言いたくない。

 すると、その瞬間、翼が二人の隣をすばやく横切った。

「!!お兄ちゃん!待って!!」

 朝菜は翼のことを止めようと、駈け出す。

「っ・・!!」

 だが、瑠に足かけされ勢いよく転んでしまった。

 翼はそんな朝菜を苦しそうな表情で一瞥すると、舜の部屋の前のベランダに身軽に移動した。

「待って!お願いだから!」

 朝菜は必死になってそう叫び、立ち上がろうとした。

 が、なかなか立ち上げれない。

「痛・・・」

 安定しない足場で転んだためか、右膝にひどいすり傷を負ってしまったようだ。

 ツボミはそんな朝菜のことを見ると、次に舜の部屋の方へ目線を移動する。

 そして、その場から勢いよくジャンプすると、舜の部屋の前のベランダに着地し、翼の後を追って部屋の中に姿を消した。

「朝菜・・・もう諦めたほうがいいよ」

 瑠は朝菜を見下ろし、静かな声でそう呟いた。

 朝菜は唇をかみしめる。

「瑠はっ・・・何の期待もしてないんじゃないの・・・!?それなのに、何でっ・・・こんなところまでくるの?」

「昼間も言っただろ?・・ゼン兄ちゃんの言う“事実”が何なのか気になるからだよ。それに、実の弟がどんな夢をみるか気にならないわけじゃないしね・・・」

 そして、瑠はより声を低くして言った。

「朝菜こそ、何でこんなに必死になってんの?俺には分からないな」

「─・・・」

 瑠は朝菜から視線を外し、舜の部屋の方を見た。

 そこの部屋には、翼とツボミが入って行ったが未だに二人がでてくる様子はない。

 そして・・・朝菜はゆっくりと口を開いた。

「私は・・怖いの!!瑠が両親と会っちゃうのがっ」

 瑠は朝菜の言葉に、こちらに視線を戻す。

 その瞳には、先ほどとは違う真剣味のある表情が浮かんでいるように見えた。

 朝菜はそんな瑠を見据えると、

「瑠・・・私だったら、自分のことを捨てた親のいる家になんて・・・──怖くていけなよ・・・」

 瑠は驚いたように、少しだけ目を見開いた。が、それはすぐに鋭くなる。

「・・・俺はそんなに臆病じゃないし・・・怖いことなんて何もない!」

 とその時、翼が舜の部屋からでてきた。

 瑠はそんな翼の姿を確認すると、すぐさま朝菜に背を向ける。

「・・・」

 そして、瑠はこちらに来た翼とともに舜の部屋の前のベランダまで身軽に移動した。

 瑠は・・・こちらに振り返ることは一回もなく・・・舜の部屋のなかへ姿を消してしまった。

「朝菜、邪魔、しなくていいの?」

 いつの間にか朝菜の隣に座っていたツボミは、淡々と朝菜に問いかける。

「ツボミ・・・──舜君の気を先にとったのはお兄ちゃんなんだよね?」

「・・・」

「だから、私には何もできないよ」

 朝菜は半ば放心状態でそう呟いた。

 そう、パートナーのスイマのツボミが、他のスイマより先にターゲットの気をとらないと、自分はもう意思の中にはいけない。

 ・・・瑠は本当に「何も怖くない」のだろうか。

 改めて知ることになってしまった瑠の気持ちに、朝菜は絶望に似た感情を持った。

 それは、自分にとっても意外なこと、だった。

 本当は・・・瑠に「怖い」と言ってほしかったんだ。

 自分のことを捨てた両親と会うのが怖い、と。

 もし、そうだったとしたら瑠に「両親と一緒に暮らせる未来」があったのかもしれない。そしれは、小さな可能性だけど、あったかもしれないのに。

 ツボミは黙りこくっている朝菜の横で、沈黙を守っている。

 と、彼女は突然立ち上がった。

「朝菜、行こう」

 ツボミは朝菜の腕を掴み、立ち上がらせようとする。

「・・・」

「りゅーは朝菜みたく“単純”じゃないんだよね?」

「?・・・」

 朝菜はおとしていた目線をツボミの方へ向ける。

 彼女はいつもと何の変りもない、金の瞳で朝菜のことをじっと見ていた。

「単純じゃないなら、ほんとの気持ち言わないよ?」

「!─・・・」

 そうだ・・・。瑠は自分の気持ちを朝菜にぶつけてきたことが全くなかった。

 パートナーが消えてしまったときだって、朝菜の前では涙を流さなかったし、ましてや「さびしい」とか「つらい」なんて言葉も、言わなかった。

 彼の口から発せられる言葉は、朝菜を困らせることばかりで・・・本当は辛かったはずなのに。寂しかったはずなのに。

(ずっと一緒にいた人が消えちゃって・・・苦しくない人なんて絶対にいないっ・・・)

 朝菜はツボミの肩をかりて、痛む膝をかばいながらゆっくりと立ち上がった。

 朝菜は思った。

 自分以外の人の“本当の気持ち”なんて分かりっこない。

 口からでてく言葉は、本当の気持ちをかたどっているとは限らない。

 それならば・・・。

 瑠が両新と会わないようにするのではなく、瑠と両親が幸せに会える方法を考えたい。

「行く?」

 ツボミの静かな声が、耳元できこえた。

「うん・・・行ってみる」

 朝菜も静かな返事をした。

 そして、次の瞬間、朝菜はツボミとともに空中にとびだす。

 風が朝菜の髪を大きくかき上げたかと思うと、二人は同時に舜の部屋の前のベランダに足をついた。

「!・・・」

 その瞬間、部屋の中の様子が朝菜の目に飛び込んできた。

 部屋の照明は明るい。

 それに舜は“起きていた”。

「お前!何で起きてんだよ!?さっき、俺が気をもらったはずなのに・・・」

 翼は混乱している様子だ。

 彼の隣に立つ瑠は、不穏は目つきで舜のことを見ている。

 舜はその二人とは対照的に、にっこりと笑った。

「スイマのお兄さんたちが、僕のところに仕事にくるって・・・知ってたよ?そんなの嫌だから、リノに起こしてもらったんだよ」

 舜は瑠のことを見据える。

 その口元には、いつもの可愛らしい笑みは浮かんでおらず、いつも瑠が浮かべているような・・・不気味な笑みが浮かんでいた。

(瑠たちが仕事にくるって知ってたって・・・──)

 朝菜の心臓がバクバクと激しく波打つ。

 そのせいで、この場から一歩も動けず、ただ立ちつくしていることしかできなかった。

 ─・・・この家の場所を教え、瑠に「舜のところに仕事に行ってくれ」と頼んだのは、あのゼンという名のスイマだ。

(何で・・・)

 本当に舜の意思の中へ行ってほしかったら、彼にはそんなこと伝えるはずないのに・・・。

 とその時、瑠の背後にリノが音もなく現れた。

 彼女の手には“あのヘッドホン”が握られている。

 朝菜はドキリとして叫んだ。

「りゅ・・」

 が、背後にいたツボミに口元を手で押さえつけられ、それは叫びにならないまま終わる。

「黙ってて」

「!!─・・・」

 ツボミの声はいつも以上に冷たかった。

 それと同時に、リノは瑠にヘッドホンをすばやく被せる。・・・瑠が抵抗するまえに、リノは彼の体を白い鎌で大きく切り裂いてしまった。

 ・・・キラキラした光の粒が、瑠の体から溢れだす。

 そして、彼はその銀の瞳をゆっくりと閉じ、床に崩れるようにして倒れた。

 翼はその光景を見て、表情を硬直させている。

「っ─・・・」

 ツボミは何も言わず、朝菜から手を離してくれたが・・・もう、どうすることもできなかった。

 ただ、目の前で起こったことが信じられず、そして絶望した。

「やったー!!ありがとーリノ!」

 舜は深い眠りに落ちてしまった瑠と、立ち尽くすしかできない翼の間をパタパタと走りぬけ、リノにだきつく。

「そんなことぐらい、お安いご用よ」

 リノは、白い鎌を握ったままニコリと笑った。

「何なんだよっ!お前ら!!俺たちはただ仕事にきただけだ!何でこんなことっ・・・──」

「あんた、バカね。・・・まだ気付かないの?あんたたちは、あたしたちの作戦に引っかかったのよ。もう─・・そりゃー見事にね」

「!!?」

 舜はリノから離れると、穏やかな瞳で翼のことを見上げて言った。

「僕、今まで西園寺瑠の犠牲になった人たちを救いたいんだよ。

西園寺瑠が今までのことをすべて忘れて・・・いっそ、ムマだったことも忘れて・・・人だったことも忘れちゃえば、今まで犠牲になったたくさんの人たちの想いは、少しだけど救えるんだ。

僕が、犠牲になった人たちの敵をとってあげるんだよ?ね?いいことするでしょ、僕」

 舜は満足げに微笑んだ。

「正気かっ・・・!?お前!!そんなことしたって・・・」

 とその時、リノが大きく鎌を振り上げる。

「!!」

 翼はリノの白い鎌を間一髪のところでよけた。

「あんたがここにいると邪魔なの!」

 リノは容赦なしに、鎌をブンブン翼に向かって振り回す。

 翼は「うおっ」と叫んで、後ずさりしながら、上手く鎌を避けていった。

 朝菜は見ていられない光景に、思わず、

「リノっ、やめてよ!!」

「朝菜!あんたも邪魔しないでね!」

 とその時、リノの鎌が翼の肩をわずかにかする。

 そこからは、血ではなくパラパラと光の粒がこぼれ出した。

「っ─・・」

 ベランダまで追いつめられた翼は、切られた部分を手でおさえ、丁度、朝菜の隣でひざをつく。

「お兄ちゃん・・!!大丈夫!?」

 翼はまだ苦しそうな表情を浮かべ、そして、切られた部分の手の指の間からは光の粒が漏れだしていた。

 朝菜は焦った。

 まさか、リノがここまでするなんて。

「ねぇーリノ!僕、いってくるね」

 リノは舜の言葉に、彼の方を肩越しに振り返った。

「あー分かった!」

 銀の髪と瞳の舜は、リノのヘッドホンを被ったまま眠りに落ちている瑠の前に立つ。

 舜は、瑠のことを見下ろす。そして・・・彼の姿は空気に解けるようにして消えてしまった。

 リノは舜が姿を消したのを見届けると、手に持っていた白い鎌をかき消す。そして、口元にわずかな笑みを浮かべた。

「リノ。邪魔しないなら、朝菜もここにいていいんだよね?」

「え?・・・そうね。別に構わないけど」

 リノは朝菜の後方にいるツボミにそっけなくそう言った。

「・・・は?」

 朝菜は目を丸くする。

(ここにいてもいいって─・・・??)

 すると、リノは朝菜の方に目を向けた。

「どうだった?あたしの演技。・・・必死に見えた?

舜も頭のいい子だからね。騙すにはこれぐらいしないと」

 朝菜は思わぬリノの言葉に、目をパチクリさせる。

「え!?演技だったの?」

 リノは満足げに微笑んだ。

「そうよ?その様子じゃ、あたしの演技は完璧だったみたいねー。あっ・・・でも、びっくりさせちゃったことは謝るわ」

「・・・」

「ツボミも協力してくれてありがとうね」

「うん」

「つーかっ!演技だったんなら、俺がケガする必要なんてねーだろー!?もう少しで、消えちまうところだったんだぞー!?」

 翼がそう怒鳴る。

「あーごめん。あんたがそこまで鈍いとは思わなかったから。あんたが、あたしの鎌にあたるなんて、あたしにも予想外だったのよ。だから、多めに見てよ。

あっそれと、早く誰かの気をわけてもらった方がいいわよ。あんまり長くそうしていると、動けなくなっちゃうから」

「あのなぁー・・・あんな早く鎌を振りまわしたら誰だって・・・」

「ねぇ。ツバサ。わたしの気、いる?」

 翼はツボミの言葉に、彼女の方に振り返った。

 朝菜もほぼ同時に、ツボミのことを見る。

「わたし、半分はムマだから、朝菜みたく眠れるよ。・・・それに、わたしの気をとったって、誰も怒らない」

 ツボミはそう言い終えると、スタスタと舜のベッドの前に移動して、そこに腰かけた。

「はい」

 翼は、そんなツボミのことを見て、目を見開く。そして、よろよろと立ち上がった。

「・・・─そうだな。それじゃ、もらうぞ」

 翼はツボミの前まで、ゆっくりと移動すると、手の中に白い鎌を現した。そして、大きく振り上げる。

 ツボミはそんな翼の様子を臆する様子なく、見ていた。

 翼は、そんなツボミと目があったのか、わずかに顔を背けると鎌を振り下ろした。

 ・・・ツボミの体からは、たくさんの光の粒が現れ、彼女はすっと目を閉じる。

 そして、体をベッドに横にした。

「・・・」

 気持ちよさそうに小さな寝息をたてはじめたツボミを見て、朝菜は思った。

(ツボミ・・・ただ、寝たかっただけじゃ・・・)

 そんなことを考えていると、光の粒はあっという間に翼の体の中へ消え・・・そして、肩にある傷口もふさがったようだ。

「ふぅーよかったよかった。意外にこいつ、いい奴なんだな」

 翼はとても満足そうだ。

「ツボミ、半分はスイマなのに・・・ほんと、寝るのが好きなのよね。いつでもどこでも寝ちゃうし」

 リノは呆れ気味にそう呟いた。

(─・・・はやく瑠のことを起こさないとっ)

 朝菜はそう思い、瑠のもとへ駆け寄る。

 ・・・はやく起こさないと、舜にすべての記憶を消されてしまう。

「朝菜、瑠のこと起こさないでね」

 後方からリノにそう言われ、ドキリとし彼女の方へ振り替える。

「何でっ?早く起こさないとっ・・・」

「あたしたちが、舜のことを瑠の意思の中に行くように仕向けたの。─・・だから大丈夫よ?」

「─・・・ほんとに?」

 朝菜は不安だった。

 リノがパートナーの舜のことを騙すようなことをする必要があるのか、朝菜には分からない。

 リノは、朝菜の不安が入り混じった問いにも涼しげな表情で「えぇ」と言った。

「どうしてリノは舜君のことを─・・・そう仕向けたの?」

 リノはその質問に、少し間をおく。

「・・・まぁ、正確に言えば、そう仕向けたのはあたしだけじゃないの。あたしはミゾレに言われてそうしただけ。

・・・そうすれば、あたしの望みは叶うって言うからさ。それに、あたしの望みは舜がお兄さんの記憶を消すことじゃないし」

「!─・・・」

 朝菜はミゾレという名前に、思わず反応する。

 確かミゾレは、瑠の母親のパートナーのスイマだ。

 ・・・ミゾレは瑠を救う方法を教え、朝菜はツボミと契約した。

 彼女が、普通のスイマじゃないと知らずに。

「・・・それでっ!どうして朝菜までここにきたの?ほんと、朝菜たちがくるなんて予想外で、これでも焦ってたのよ?」

「そうだ!俺も焦ったぞ!?」

 リノと翼が同じような表情を浮かべ、言う。

 その言葉に、朝菜も焦った。

「それは・・・」

「ふふ・・・上手くいったようね」

「!」

 その声の方を見ると、部屋のドアの前には・・・長い髪をポニーテールに結わえたスイマ・・・ミゾレの姿があった。


 その頃、舜は・・・

 真っ白の空間に立っていた。

 見渡せば見えるのは、大量の鎖。その他は何も存在しない。

 音も風も空気も、すべてがこの真っ白の空間に取り込まれているように感じた。

 舜はそんな空間に一人で立つなか、手の中に大きな鎌を現す。

(最初にあの鎖を消そう・・・)

 舜は目についた、人気は大きくがっちりとした鎖に向かい、地面を思いっきり蹴った。

 舜の体はフワリと浮きあがり、丁度、その鎖の前にある小さめの鎖の前に足をついた。

 舜はじっとその大きな鎖を見据える。

 その鎖からは、たくさんの小さな鎖が連なっており、この大きな鎖を消してしまえば他の鎖を消すことはたやすいことだ、と思った。

 舜は闇色の鎌を大きく振り上げる。

(もうこれで・・・!!西園寺瑠はすべてを忘れちゃうんだっ)

 そして、鎌を勢いよく振り下ろした。が・・・

「!?」

 鎌の刃は鎖に触れる寸前で、止まっている。いや・・・どんなに力をこめても、舜の鎌はその鎖の表面に触れることができない。

 まるで、磁石同士が反発しているように、その鎖は鎌を強い力ではじき返そうとしているように思える。

「・・わっ!!」

 舜は勢いに負けて、後ろにはじき返されてしまった。

 しかし舜は、地面に落ちる前に体勢をくるりと立て直すと、地に足をつく。

(何で壊せないの・・・!?)

 今まで壊せなかった鎖なんてない。

 きっとこれは、何かの間違いだ。舜は自分にそう言い聞かせる。

(今度はもっと近い位置からやってみよう)

 舜はそう思い、また空中に飛び出した。

 そして今度は、さきほど壊そうとした鎖に足をついた。

「!─・・・」

 その瞬間、足元がふらつく。それと同時に、目の前が真っ暗になり、気がつくと舜はどこか知らない場所に立っていた。

 あたりはうす暗く、目の前にある白いシーツが引かれたシンプルなベッドには、幼い男の子が座っていた。

 男の子越しにある窓にも、真っ白のカーテンがひかれている。

 ・・・きっとここは、病院のような施設に違いない、舜はそう思った。

「!─・・・」

 舜はドキリとした。

 ベッドに座っている音の子は・・・自分と似ていた。

 しかし、男の子の方が自分よりもずいぶんと幼い。

 彼はベッドに座ったまま、目の前の空間を静かに見つめている。

 その表情は全く子供らしさが感じられない、暗い影が落ちた表情だ。

 とその時、男の子の目の前にしなやかな黒髪を持った少女の・・・スイマが現れた。

「瑠・・・何であの時、両新がいないなんて嘘、ついたのっ・・?」

 少女のスイマは目の淵にうっすらと涙をためて、そう言った。

 舜はその言葉で確信する。

(きっとここは・・・西園寺瑠の記憶の中なんだっ・・・)

 ・・・記憶を消そうとして、記憶に飲み込まれてしまった・・・。

 どうしてかは分からないが、どっちにしろ、夢も記憶もこの世界では同じようなものだ。

 放っておいても、いずれ終わるし簡単に抜け出せる。

 だから、このままあいつの過去を見物するのも悪くないと思った。

「トイロ・・・僕、嘘なんてついてないよ・・・。もう、お父さんもお母さんもいなくなっちゃったんだよ。だから、もういないんだよ」

 瑠は少女のスイマ・・・トイロに向かって静かな表情のままそう呟く。

「なんでっ・・・!?私、二人がどこにいるか探してくるよ?だから、そんなこと言わないで・・・一緒に行こうよっ二人のところに・・・」

 トイロは俯き、声を震わせている。

「もうだめなんだよ!!」

 瑠は先ほどの声色とは逆に、そう声を張り上げた。

 その声に、トイロは小さく体を震わせる。

 ・・・奈雪は、瑠と暮らせなくなったと言っていた。どうやら、この記憶はその直後のものらしい。

 アイツがあんな最悪なことをしなければ、奈雪は一緒に暮らせなくなった責任を感じて苦しむ必要もなかった。

「─・・・」

 この記憶を見る限り、瑠は奈雪や芯と一緒に暮らすことをすでに諦めてしまっている。

 両親のことをすぐに諦めてしまう瑠の気持ちなんて、舜には全く理解できなかったし、したくもなかった。

 きっと瑠は、両親のことをそれほど大切に思ってなったんだ。

 その後、二人の間に沈黙が続く。

「トイロ・・僕、もう寝るよ」

 瑠はトイロの方は、見ずに呟くとベッドに体を倒した。

「・・・うん・・・」

 トイロはそんな瑠のことを、悲しそうな瞳で見下ろすと何も言わないまま姿をかき消した。

 そして・・・瑠一人だけになってしまった空間・・・

 瑠は、背を向けていた体を寝返りうち、こちらに向ける。

 舜は瑠の表情が見えた瞬間、ドキリとした。

 彼は目の淵に、溢れだしそうなほどの涙をためていたのだ。

 ・・・その涙は、瑠は瞬きをするとそこから溢れだし、彼の頬を湿らせる。

 瑠は、唇をぎゅっと噛みしめて、涙が流れないよう必死になっている様子だ。

(さっきはあんなに怒鳴ってたのに・・・)

 トイロが去った途端、瑠の表情はガラリと変わった。

 舜は幼い瑠の顔を、じっと見つめる。

 瑠の目からは、次から次へと涙が伝っていた。

(もしかして・・・あのスイマの前では泣くのを我慢してた?)

「─・・・」

 舜は意外な瑠の行動に、驚いた。

 なぜ瑠はこうも苦しそうに涙を流すのだろう。

 舜の中に存在している瑠は、両親を苦しめる者、でしかないのに。

 どうして、そんな奴がこんなにも苦しそうに涙を流しているんだ・・・?

 本当に苦しくて辛い思いをしているのは、僕の母さんと父さんなのに!!

 とその時、周りの景色が歪んだ。その歪みは、徐々に激しくなり、何があるかも分からない状態になる。

「!!・・・」

 その瞬間、景色は一変した。

 舜はまた、知らない場所に立っていた。

(今度は何の記憶だろう?)

 意思の中はとても不安定な空間だ。そのせいで、違う時間の記憶に移動してしまったようだ。

 舜は辺りを見渡す。

 ここは広い部屋のようだ。

 照明は消えており、部屋の中は暗い。そして、そこには多くの布団がひかれていた。

 そこの布団には、子供たちがすやすやと眠っている。

「・・・」

 が、眠っていない子供が一人。

 銀の髪を持った幼い瑠は、壁際にひかれた布団の上に座り、壁に背中を預けている。

 ・・・彼の目からは、また涙が溢れていた。

「っ─・・・ごめんね・・・凪君。僕が記憶を消しちゃったせいだよね・・・」

 瑠は力強くそう言って、涙を手で拭う。

「全部、僕のせいなんだ」

 瑠はひざを抱え、その中に顔をうずめる。

 そして、肩を震わせより苦しそうに泣きはじめた。

「・・・」

 舜はその光景を、半ば信じられない心境で見ていた。

 今分かったこと、それはアイツが他人の記憶を消したことを後悔している・・・ということだ。

 しかも、こうも苦しそうに、たった一人で涙なんて流している。

 ・・・優しく背中をさすってくれる人物は、ここにはいない。

 アイツはたった一人で・・・──。

(なんでっ・・・──)

 舜は唇を強く噛みしめていた。

 なんでこうもアイツは“最低な人物”ではないんだ・・・?

(・・・こんな記憶みたくない)

 その時、瑠の隣に先ほどの記憶にもいたスイマ・・・トイロが現れた。

 トイロは瑠に寄り添うように座ると、そっと彼の手に触れる。

 瑠はその瞬間、泣くことを止め掌で涙を拭った。そして、何事もなかったようにトイロの方へ振り向き微笑みを浮かべる。

「どうしたの?トイロ」

「瑠・・・─」

 トイロは瞳をうるませ、瑠を見た。

 とその時、また景色が歪む。

(早く抜け出さなきゃ・・・!!)

 もう、あいつの記憶をみるなんて嫌だ。

 なぜだか胸が苦しくなる。

 僕は、あいつのことが大嫌いなのに。

 きっとこんな気持ちになるのは、あいつと僕が兄弟で似ているからなんだ・・・。

 “似ているから”それだけなんだ・・・。

 そのとき、辺りの景色が真っ暗になった。

「!・・・」

 舜はドキリとする。

 真っ暗で何も見えない。

 こんなこと、今まで一度もなかったのに・・・──。

『さよなら。瑠』

 突然、その言葉が頭の中で響いた。

「!?・・」

 その言葉はまるで、自分に投げかけられたように、胸に深く突き刺さった。

 そして、目の前に景色が広がる。

 開かない扉。明かりの消えた家。激しい雨音。

(怖いっ・・!!)

 一瞬にして、舜の心は闇に包まれる。

 なんでこんな気持ちになるか、分からない。

 それなのに、自分の体は寒くもないのにガタガタと震えだす。

(誰かっ・・・助けて!!)


「上手くいったって・・・?」

 朝菜は突然、現れたミゾレにドギマギしながらそう訪ねた。

「私が考えていた作戦のこと」

 ミゾレは静かにそう応える。そして、こちらに歩み寄ると、眠っている瑠の前にそっとしゃがみこんだ。

「この子は昔から、眠っている顔が一番かわいいわ・・・」

 ミゾレは静かにそう呟くと、瑠の頭をそっとなでる。

 朝菜はその光景に思わず、目を見開いた。

「ちょっと!ミゾレ。そういうことは他でやってくれるー?」

 リノは苦笑いを浮かべながらそう言った。

 ミゾレはそれに、ただ静かな笑みを浮かべ立ち上がると、朝菜の方へ目を向ける。

「いらっしゃい。朝菜・・・ちゃんと契約は済んだかしら?」

「!?」

 ミゾレは、契約の証が刻み込まれている方の朝菜の腕へ目線を移動させる。

「朝菜はツボミと契約したのよね」

 何も言えない朝菜に代わり、リノがそう答えた。

「お前らのせいでな!」

 翼はリノの言葉が不服だったらしく、そう付け加える。

「・・・もしかして、ミゾレのいう作戦っていうのに・・・“私がここにくる”っていうのも含まれてたの?」

 朝菜はミゾレの言葉に違和感を持ち、恐る恐るそうきいた。

 ミゾレはそれに「ふふ」と笑う。

「・・・だって朝菜は瑠のことが心配なんでしょう?私が思った通り、朝菜もここに現れたわ・・・」

「!!」

「・・・ゼンの望み“トイロが消えた理由を知る”ということも達成された。そして・・・舜ももう“過去にすがりつく”ということはしなくなると思うわ・・・リノ」

 ミゾレは朝菜の後方に立つ、リノの方へ視線を投げた。

「・・・」

 ミゾレは、また朝菜の方へ視線を戻す。

「そして、私の望み・・・瑠の母親・・・奈雪さんが幸せになる、ことも、もうすぐ達成される」

「え・・・?」

 ミゾレの表情がふんわりと柔らかくなる。

 彼女がこんな幸せそうな表情をするなんて意外だ、朝菜はそう思った。

「そのために、少し外に出ててくれないかしら?」

 ミゾレがそう言ったのと同時に、後方に立っていたリノに手を引っ張られる。

「え?なんで・・・?」

「何なんだよ!?」

「いいから!」

 リノは朝菜と、そして翼も一緒にベランダの方へぐいぐいと引っ張っていく。

 朝菜と翼がベランダへ出せれたと同時に、部屋の扉がゆっくりと開いた。

「!・・・」

 朝菜は家の人に見られたらまずいと思い、とっさにベランダのはじの方へ身を潜めた。そして、室内の様子をうかがい見る。

 翼も朝菜の後ろに立って、中の様子をうかがっているようだ。

(あっ・・─)

 部屋の中に入ってきたのは、夏枝と同じ歳ぐらいの金色の髪と、瞳を持った女性だ。

「奈雪さん・・・」

 ミゾレはその女性を見て、呟いた。

(瑠のお母さんだっ!)

 朝菜は初めて見る、瑠の母親の姿に目が釘付けになる。

 そして、信じられなかった。

 瑠の母親は今、十年以上離れていた息子・・・瑠、の目の前に現れたのだ。

「!─・・」

 朝菜ははっとした。

 瑠の母親は、泣いていた。ただ静かに、その瞳から涙を流し立っている。

「ミゾレ・・・私のために・・ありがとうね」

 瑠の母親─奈雪は、微笑みながらミゾレにそう言うとゆっくりと歩き出す。

 ミゾレはその言葉のあと、わずかに表情を緩め、そして何も言わずに姿をかき消してしまった。

 奈雪は瑠の前にゆっくりとしゃがみこみ・・・彼の背に腕をまわす。そして、彼女は涙で頬を濡らしながら瑠をそっと抱きしめた。

「もうこんなにおおきくなっちゃったのね・・・──瑠」

 眠ったままの瑠の背中を抱きとめている奈雪の腕は、わずかに震えている。

「っ─・・・」

 その光景を目の前にした朝菜の目にも、いつのまにか涙が溜まっていた。

 眠ったままの瑠は、奈雪を抱きかえすことはない。しかし、奈雪の腕はそれを気にする様子もなく、瑠の背中をしっかりと抱きしめている。

 そう─・・・瑠は今までちゃんと“愛されていた”。

(瑠・・・よかったね・・・)

 奈雪は瑠を抱きしめたまま、言う。

「ごめんね・・・私たちは、瑠と会うことはできない。でもっ・・・──少しの間だけ、そばにいさせてね・・・」

 そんな二人の様子を少し離れたところで見ていたリノは、穏やかな顔で微笑んでいた。

「・・・よかったな」

 翼が朝菜に耳打ちする。

「うん・・・」

 朝菜は瑠と奈雪の姿を見ながら、唇をぎゅっと結んでコクンと頷いた。

(本当によかった・・・)

「じゃー俺は帰っかなー」

 翼は最後に奈雪の姿を見て、微笑むと、朝菜の隣から姿をかき消した。

「・・・」

(帰っちゃったし・・・)

 瑠のことを置き去りにしてよいのだろうか・・・そんなことを考えていると、首筋にひやりとしたものが触れた。

「!!」

 朝菜は自分の目を疑う。

 ・・・自分の首筋につきけられていたのは、大きな鎌の刃だった。

「次はあなたの番だわ。朝菜」

 その鎌を握りしているミゾレは、低い声でそう言う。

「奈雪さんの“苦しみの記憶”を消して。そうしないと、私たちが朝菜の記憶を消すわよ・・・?」

 ミゾレは静かな瞳で、朝菜を見据える。

 そこには、いつもの謎めいた笑みは浮かんでいない。

「っ・・・なんでそんなことする必要あるのっ?」

 朝菜は必死にそう言った。

 とても怖かったが、ミゾレの言葉は絶対に間違ってる。

「・・・朝菜には分からないでしょうね・・・奈雪さんがどれだけ苦しみ続けたか」

「・・・」

 朝菜はミゾレの鎌の刃から逃れるために、一歩後ずさる。

 それでもミゾレは、朝菜も見据えたままだ。

 朝菜はおそるおそる口を開いた。

「確かに分からない・・・でも、だめだよ!」

「─・・・」

「確かに記憶を消したら楽になるかもしれないけどっ──、そんなことしたらきっと・・・瑠のお母さんは今みたく、瑠のこと大切に思うことができなくなっちゃうよ・・」

 そう・・・奈雪はたくさん苦しんで、瑠のことを想ってきたから今、こうして会えたのだ。・・・きっと、そうだ。

「─・・・」

 ミゾレはほとんど表情を動かさず、ただ朝菜を見ている。

「・・・今、ここで会えた。それでいいじゃない」

 ミゾレは淡々とそう口にした。

「─・・」

「─・・・」

「はいっ、没収~!」

 その言葉と同時に、隣に姿を現したリノがミゾレの鎌を取り上げた。

 持ち主を離れた鎌は、リノの手の中であっと言うまに消えてしまう。

「!・・・リノっ!」

 朝菜が思わずそう声を上げると、リノは微笑みベランダの柵の上に身軽に腰をおろして足を組む。

「ミゾレ。ヒトはそんなに単純な生きものじゃないのよ。そうよね?朝菜」

「うん・・・」

「まっ要するに、かなり面倒くさい生き者だってことなんだけど」

「ははは・・・」

 すると、リノはミゾレを見た。

「だから、ヒトである奈雪も苦しみの記憶を消したって幸せになると限らないわけ」

 ミゾレはリノの言葉に目を伏せる。

「・・・──そうかしら。私には分からないわ」

「ミゾレは奈雪以外のヒトをほとんど知らないでしょ?だからじゃない」

「・・・」

 ミゾレはリノの言葉をきいても、まだ目を伏せたままだ。

 すると、ミゾレは口元を緩める。

「・・・そうね。私はリノみたく人間のことをよく知らないわ」

 その言葉を呟くと、ミゾレは朝菜の前から姿をかき消してしまった。

「・・・」

「さてっ。朝菜、そろそろ帰ったら?」

 リノはベランダの柵の上から、朝菜の前に身軽に着地する。

「うん。でも、瑠が・・・」

 朝菜はまたそっと部屋の中をのぞきこむ。

「!・・・舜君」

 朝菜はその時、いつの間にか瑠の意思の中から戻ってきた舜が部屋の中にいることに気付いた。

 舜は瞳の中に、溢れだしそうなほどの涙をためて瑠と奈雪の近くに座り込んでいる。

「舜・・・もどってきたのね・・・。あの様子からして、お兄さんの意思の中で何かあったようね」

「え・・?」

 リノにはめずらしい、静かな表情を彼女は浮かべている。

「これで、舜のお兄さんに対する思いは変わるでしょうね。それに、奈雪と瑠のあんな様子を目の前にしちゃったし・・・舜は変われるわよ」

 リノは嬉しそうに微笑んだ。

 舜は、きっと瑠の意思のなかで大切な何かを知った。朝菜はそう確信した。

 それにリノのこんなに嬉しそうな表情は初めて見た。

「瑠のことはゼンにまかすとして・・・朝菜はあたしが家まで送ってあげる」

「・・・・分かった。ありがとう」

 舜も瑠の意思のなかから無事、帰ってきたし・・・それに、自分がここにいてももう出来ることはない。瑠とお母さんのあの姿を見ることができただけで、もう十分だ。

 朝菜は差し出されたリノの手をとる。

「じゃーいきますか。今度はちゃんと前見ててね」

「うん」

 そして、朝菜とリノは夜の街中に飛び出した。


 次の日・・・の朝。

「瑠!・・おはよう」

 朝菜は前を歩いていた瑠に、追いつくと彼の隣で自転車をとめる。

 瑠は朝菜の方を見ると、静か声で「おはよう」と返した。

「朝菜・・・今日はずいぶんと機嫌がいいみたいだね」

「え・・・そうかな~」

 確かに・・・今の自分はいつもよりは気分がよかった。

 夜のことがあり帰りが遅くなって、いつもよりだいぶ睡眠時間は少なかったが、それにも関わらず気持ちが軽い。

 その理由は・・・もちろん分かっている。

(そういえば、瑠はあのとき寝ちゃってたから・・・知らないんだよね・・・)

 こんなにも大切で、安心できることなのに。

 そのことをどうやって瑠に伝えればいいのだろうか・・・。

「夜、何があったか朝菜は知ってるの?」

 瑠はやっぱり朝菜にそう訊いてきた。

 朝菜はドキリとする。

(奈雪さんの気持ちが瑠にちゃんと伝わるようにしなきゃ・・・!)

「瑠・・・あのあと・・」

「おはよーお二人さん」

 その声に振り向くと、そこにはいつものセーラー服に学生かばんを持ったリノが立っていた。

「おはよー・・・リノ」

 今度は何の用事があるのかと思って返事をした朝菜。

 すると、リノの影から小学生がピョンと姿を現した。

「おはよう!朝菜さん、兄さん」

 舜は黒のランドセルを背負って、そう言うとにこっと笑う。

「舜がどうしてもあんたと話したいっていうから、学校行く前に連れてきたのよ」

 リノは微笑みながら、瑠を見た。

 だが、瑠は不審な目つきでリノを見ている。

「えーっと・・・瑠。リノは舜君の仕事のパートナーで・・・少なくとも悪い人ではないから・・」

「少なくともって何よ?」

 リノの言葉に、朝菜は「はははー」と笑う。

「はじめに言っておくけど・・・あたしも舜も、それに西園寺家のみんなもあんたの敵じゃない。だから、もう何も心配しないで?」

 リノは瑠のことを見据えて、静かにそう言うと、スカートのポケットから白い便せんをとりだした。

 それを瑠にさしだす。

「あんたの両親からよ」

 瑠は大きく目を見開いた。

 そして、朝菜も驚きを隠せなかった。

 ・・・瑠はただ、リノが差し出した便せんに視線をおくっている。

 その瞳には、大きな戸惑いが入り混じっていることが朝菜にも分かった。

「奈雪と芯は、本当の気持ちと今までの事実をこの手紙に綴ったって言ってたわ」

 するとリノは、不安げな瞳で、

「お願いだから・・・受け取ってくれる?」

「・・・──」

「瑠、受け取ってあげて・・・」

 朝菜も必死にそう言うことしかできなかった。

 ・・・きっと、この手紙には、瑠がしらなくちゃいけないことがたくさんつまっている。

「・・・分かった」

 瑠は一言だけそう言うと、手紙に手を伸ばす。そして、リノから手紙を受けとった。

「ありがとうね・・・」

 リノは安心したように微笑み、「今度は舜の番よ」と言って彼のことを見る。

 舜は少しだけ黙って俯いた後、瑠に向かった深く頭を下げた。

「兄さんっ・・・今まで・・・本当にごめんなさい」

 舜はその言葉を残すと、逃げるようにこの場から走り去ってしまった。

 少しの間。そして・・・

「じゃ、そういうことだから」

 リノは笑顔でそう言うと、この場から姿をかき消した。



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