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第4話(5)

 そして、次の日の朝。

 朝菜は憂鬱な気分に浸りながらも、学校へ向かうため自転車をこいでいた。

 昨日の夜にあった事件のせいで、また心配事が増えてしまった。

 舜と瑠のことも心配なのに、それに加え自分の心配もしなくてはいけなくなったのだ。

(・・・いくら支障がでるって言っても、ムマの仕事をしないわけにはいかないし・・・)

 でも、したらしたで昔にツボミと契約したムマと同じことになりかねない。

「はぁー・・」

 朝菜は大きな溜息をついた。

(どうなっちゃうんだろ・・・自分)

 ちなみにこの事実は、夏枝や明には話せないでいた。

 もし話したとしても、どうすることもできない。二人に余計な心配をかけてしまうだけだ。

 そんなことを考えながら、朝菜は坂道を下って行った。

 今日は街中を突っ切る道ではなく、人や車があまり通らない裏道を走っているのでスピードを上げても、さほど問題はない。

「!・・・」

 と、坂道をくだったところで何か朝菜の目にとまった。

 そこにある、ひときは大きな木・・・。その木の太い枝の上に何か白いものがある。

 ・・・いや、あれは間違いなく人だ。

「・・・──」

 朝菜は急ブレーキをかけ、自転車をとめた。

 正確にいえば、人ではなくスイマだった。

(っていうか・・・何であんなところで寝てんだろ)

 朝菜は木の上で眠っているツボミを、茫然と眺めていることしかできなかった。

「・・・」

(せっかく会えたんだし・・・)

 ツボミのことについて、いろいろ訊いてみたい。

 特に昔、ツボミと契約していたムマのこと・・・とか。

「・・ツボミ!」

 朝菜は、気持ちよさそうに眠っているツボミに声をかける。

「・・・」

 しかし、起きる気配はない。

(ほんとよく寝てるし・・・)

 スイマなのにツボミは、寝るということが大の得意らしい。

 本当に変わったスイマだ。

(いやっ・・・正確にはムマとスイマのハーフなんだよね)

「・・やば」

 腕時計の時刻が目に入った途端、朝菜は思いっきり自転車のペダルを踏み込んだ。

 よく考えてみれば、誰かとゆっくり話している時間なんてなかった。

 朝菜はツボミのことは、ひとまずは諦めて自転車を早く進めることに意識を集中させた。

 とその時・・・

「おは・・・朝菜」

 急に後方から声を掛けられた。

 同時に一気にペダルが重くなる。

 どうやら、自転車の荷台に誰かが乗ったようだ。

 朝菜は自転車をとめ、後ろを見た。

「・・・ツボミ」

 そこには、平然とした顔で荷台に座っているツボミがいる。

「一体いつ起きたの?」

「たった今」

 ツボミはそう言うと大きな欠伸をして、真っ白な髪に絡みついている小枝を手で払い落した。

「・・・」

「朝菜、自転車こがないの?」

「・・・」

 朝菜は黙って自転車から降りる。

が、ツボミは自転車の荷台から降りようとしない。

「降りちゃうの?朝菜は単純だから、わたしが乗ってもそのままこいでくれると思った・・・」

「私、そんなに単純じゃないし!」

 朝菜がそうツボミに言うと、彼女は身軽に荷台から飛び降りる。そして、朝菜をその金の瞳で見据えた。

「・・・朝菜は単純だよ?こんなわたしと、すぐに契約しちゃうなんて。・・・今さら後悔とか、してないよね?」

「─・・・」

 ツボミは瞳をすっと細める。

 朝菜はその言葉に、困惑しないわけにはいかなかった。

 後悔するのは当たり前だ。だって、ツボミの持っている支障を知ったのは、彼女と契約を終えた後だったのだから。

「っ─・・・それは、分からない。だって、すごく不安なんだよ、私。ツボミと仕事をして上手くいくかどうかっ」

 朝菜は思わず、そう言った。

 ツボミは特に表情を変化させることなく、朝菜を見ている。そして、小さく口を開いた。

「・・・怒らないの?」

「え・・・─」

 朝菜は目を見開く。

「わたしとリノのこと・・・朝菜を騙してたこと」

「─・・・」

 朝菜はツボミの意外な言葉に、口をつぐんだ。

 ・・・確かに騙されていた、ということに関してはリノやツボミを恨みたいという気持ちもある。

 でも、ツボミとリノも必死だったのだ。

 期限が迫るなかで、パートナーのムマを探すことに。

 ・・・自分の命を守ることに。

 ・・・友だちの命を守ることに。

「・・・だって、ツボミは19までに契約しないと消えちゃうんでしょ・・・?」

 ツボミは、小さく頷く。

「・・・」

「・・・」

 その後しばらくの間、沈黙が続いた。

・・・ツボミの表情が少しだけ和らいだように見えた。

「・・・朝菜ってこれからどこ行くの?」

「えっ・・・学校だけど」

「それってどこにあるの?」

「・・・あっちの方だよ」

 朝菜はツボミの質問に疑問を抱きながらも、学校がある方を指さした。

 すると、ツボミは朝菜の手首を掴む。

「!?・・・」

 そして、彼女は地面を強く蹴ると朝菜の手を引いたまま空中に飛び出した。

「!!」

 朝菜は突然の出来事に、言葉を失う。

 ツボミは朝菜のことは、気に留める様子なく近くの背の高い木にストンと足をつくと、言った。

「暇だから、学校までつれてく」

「ちょ・・ちょっと待って・・!」

 朝菜が木の枝の上に立っていることに必死になっていると、またツボミは空中に飛び出した。

「きゃぁぁぁあ!!」

・・・とても恐ろしい思いをしながらも、結局、学校まで連れてきてもらった朝菜は、安堵の溜息を洩らした。

(まぁ・・・遅刻はしなかったし・・・よかったか)

 でも、自転車は道の真ん中に置いてきてしまった。

「・・・はぁ」

(ひとまず教室はいらないと・・・)


「そう言えば、平野ちゃんの自転車、昇降口にとめてあったよ」

 放課後の掃除がおわり、教室に戻ってきた朝菜に千絵がそう言った。

「え、まじで?」

「うんー。平野ちゃん!ちゃんと駐輪場にとめておかないとダメだよ~。確かにあそこにとめておけば、帰るとき楽なんだけどねー」

 千絵は冗談っぽく笑いながらそう言う。

「あははは・・・そうだね~」

 朝菜も千絵に適当な笑いを返すと、心の中で安堵の溜息をついた。

 なぜだかは知らないが、自分の自転車はちゃんと学校に届けられたようだ。

 ・・・もしかしたら、ツボミが持ってきてくれたのかもしれない。

「平野ちゃーん、今日は一緒に帰えろー。ついでにミスド寄ってこーよ!うち、今日はなんだかお腹がすいちゃった!」

「えー・・・あー・・・」

 見ると千絵は、カバンを持ち帰る支度は整っているようだ。

 千絵は返答に困っている朝菜の腕を掴むと、それを左右にブンブン振る。

「ね!行こう!」

「うん・・・オーケー」

(本当はお昼ごはん食べすぎて、おなかはふくれてるんだけど・・・)

 そんなことを思いながら朝菜が微笑むと、千絵はぱっと笑顔になった。

「やった!」

「・・・カバン持ってきちゃうから、ちょっと待っててー」

「おーけぃ!」


 朝菜は昇降口にとめてあった自転車とともに、校門の前で千絵のことを待っていた。

 千絵の自転車がとめてある駐輪場は、昇降口から少し離れたところにあるので、ここで待ち合わせしようということになったのだ。

(ほんとよかった・・自転車戻ってきて)

 朝菜は改めてそう思う。

 もし、自転車があのままだったら、ほとんどの距離を歩いて帰ることになっていた。

「・・・」

 朝菜は、校門に次々とやってくる生徒たちへ自然と目を向ける。が、通りすぎるのは面識のない生徒ばかり。

(千絵、まだかなー。結構待ってるんだけど・・・)

「よかったね!自転車もどってきて!」

「うんっ・・よか・・・」

 が、声をかけてきた彼の姿が目に入った瞬間、朝菜は固まった。

「リノが道端にあった朝菜さんの自転車を見つけて、ここまで運んでくれたんだよ」

 彼─舜は、ニッコリと笑う。

「そっ・・・そうだったんだ」

「僕も朝菜さんに会いたくて、リノについてきちゃった!」

「!─・・」

 いつからそこにいたのか、校門の塀の上には、頭にヘッドホンを被ったリノが、微笑みながら座っている。

 朝菜はそんなリノと目が合うと、反射的に視線を外した。

 ・・・高校の校門にいるランドセルを背負った小学生の姿に、生徒たちが興味ありげな視線を送るのが分かる。

(もしかしてっ・・・)

 朝菜の心臓の鼓動はいつの間にか、早鐘のようになっていた。

 もしかして・・・舜たちはまた、朝菜の記憶を書き変ようとやってきたのだろうか。

 リノが頭にかぶったヘッドホン・・・あれがあれば、どんな状況であろうと眠りへ落とされてしまうのだ。

 舜はだまりこんでいる朝菜を、何も言わずに見ている。

 その口元には、いつもの笑顔とは違う微笑みが浮かんでいるように思えた。

「そーだ!CD貸すよー。絶対お勧めだから聴いてみてね!」

 舜は突然そう言うと、背負っていたランドセルを自分の足元におろす。そして、その中をガサガサとあさり始めた。

「舜君、CDは大丈夫だから。・・・それに、そろそろ帰った方がいいと思うよ・・・」

 朝菜は早く舜たちに帰ってもらいたく、そう言った。

 できれば一刻も早くここを離れたいが、千絵と約束をしてしまったし・・・。

 それに、こんなところにいたら、瑠に出くわす可能性だってある。

 でも、教室をでるとき瑠の机にカバンはなかったので、彼はすでに帰ったと思われるが。

 舜は朝菜の言葉に、CDを探す手を止めると不機嫌な表情を浮かべた。

「えー・・・どうして?せっかく、朝菜さんのことここで待ってたのに・・・」

「ほっ・・ほら、もう暗くなるし・・・ね。早く帰った方がいいよ」

 朝菜は曖昧に微笑みながら、何とかそう言ってみた。

 とその時、後ろから肩を叩かれた。

「平野ちゃん!お待たせっ」

 振り返ると、千絵がニコニコしながら立っていた。

「あっ千絵ー・・・!!」

 が、朝菜は千絵の後方に立っている人物に目が釘付けになる。

「西園寺君も一緒に行っていいよね?さっき、駐輪場でばったり会っちゃってさー」

 上機嫌な千絵は、後方に立っている瑠を無理やり前の方へ引っ張り出す。

 瑠の表情には、迷惑の二文字しか浮かんでいないように見えた。

(どっ・・・どうしよ!?)

 朝菜は今までにないくらい、焦った。

 今、朝菜の目の前には瑠がいて、そして後ろには・・・舜がいる。

「・・・西園寺?」

 後方からそう呟く、舜の声が聞こえた。

「あれー?どうしてこんなところに小学生?もしかして、平野ちゃんの弟だってりして!」

 舜の存在に気付いた千絵が、そんなことを訊いてくる。

「っ・・・ごめん!千絵!」

 朝菜は自転車を無理やり千絵にあずけると、瑠の腕を掴む。

 そして、駈け出した。


「あー・・・行っちゃった。どうする?舜」

 リノはそう言って、塀の上から身軽に飛び降りると、舜の隣にストンと着地する。

「もちろん、追いかけるに決まってるよ」

 そう呟く舜の瞳は、ムマのものに染め上げられている。

 リノはそんな舜を見て・・・微笑んだ。


 朝菜は人目につかない学校の裏道にやってくると、瑠の腕を離した。

 とても息苦しい。こんな本気で走ったのは、久々だ。

 息を整えながら瑠の方を見ると、彼も微かに肩で息をしていた。

「朝菜って意外に足速いんだね」

 瑠はふざけた様子で、そんなことを言う。

「・・・」

 が朝菜はそんな瑠の言葉に反応できないほど、焦っていた。

 ・・・もしかしたら、すぐに舜たちに追いつかれてしまうかもしれない。

 朝菜は必死に考える。

 どうにかして、舜から逃れる方法はないだろうか。

 きっと千絵が瑠のことを「西園寺」と呼んでしまった時点で、舜は間違いなく気付いてしまったろうから。

(・・・そうだ)

「瑠!今すぐ家に帰ってほしいんだけど・・・」

 ・・・そうしてくれれば、ひとまずは安心だ、と朝菜は思った。

 瑠は不審な目つきで朝菜を見る。

「急に走り出したと思ったら・・・今度は変なこと言いだしたね・・」

「ぜっ・・・全然そんなことないよ・・・!」

 確かに今までの自分の行動は、怪しまれて仕方ないと思うが。

 しかし、今はそんなこと気にしていられる状況ではなかった。

「どうしてそんなに焦ってるの?」

「なっ何でもないから!!それより速く・・・」

「みつけた!」

「!!」

 その声に振り返ると、少し離れたところに舜が立っていた。

 舜は走りだし、止める間もなく朝菜の横を通り過ぎると瑠に勢いよく抱きついた。

「兄さん・・・僕、ずっと会いたかったんだよ」

 朝菜は舜の言葉にゾクリとした。

 明らかに彼の声は、“会いたかった”というプラスの要素は感じられなかった。

 逆にその声は、とても冷たく恐ろしいものに感じた。

 瑠は眉を寄せ、舜を見下ろす。そして、乱暴に彼のことをひきはがした。

「・・・君・・───誰?」

 瑠は舜のことを睨みつける。

 それに対し、舜はニッコリと笑った。

「西園寺舜だよ。“兄さん”」

 瑠は一瞬、目を見開いた。がすぐに、いつもの落ち着き払った表情に戻り口元に薄い笑みを浮かべる。

「・・・まさか、俺に弟がいたとはね」

「っ─・・・」

 朝菜はその瞬間、絶望した。

 ・・・真実はすべて表に出され、もう後戻りはできなくなった。

「へぇー感動の兄弟初対面ってわけね」

「!」

 見ると、いつの間にか朝菜の隣にはリノが立っていた。

「リノ・・なんで舜君を学校に連れてきたの・・・」

 朝菜は呟くようにそう言った。

 そう・・・リノが舜を連れてこなければ、こういうことにはならなかったはずだ。

「なんでって・・・舜が一緒に行きたいって言ったからよ。・・・あれ・・・もしかして、朝菜・・・怒ってる?」

「─・・」

 朝菜は目を伏せた。

 そうか・・瑠と舜を会わせたくないというのは、自分だけの感情でリノとは関係ない。

「そーだっ・・・今日、図工の時間があったんだよね・・」

 突然、舜はそんなことを呟くとランドセルを下ろす。そして、その中からカッターを取り出した。

 しかもそれは、段ボールを切る時に使うような・・・大きなカッターだ。

「!!─・・」

 舜は俯きながら、カチカチカチとゆっくりその刃をだしていく。

「舜君!!やめなよ!!」

 朝菜は舜の方まで走り、彼が持つカッターに手を伸ばした。

 ・・・彼からカッターを取り上げれしまえば、最悪の展開にはならない、そう思ったのだが・・・・

 舜はくるりと身をひるがえし、朝菜の手から意図も簡単に逃れる。

「リノ!朝菜さんを捕まえておいて!!」

 舜がそう怒鳴ると、リノは「りょーかい」と呟き、朝菜の腕を強く掴む。

「リノ!離してよ!」

 朝菜はリノの手を振りほどこうとしたが、彼女はまったく離してくれる様子はない。

「舜・・・ここは夢のなかじゃなくて、現実、なんだから・・・やりすぎには注意してね」

 リノは朝菜の腕を掴みながら、舜にそう言った。

 舜はリノの言葉に微笑む。

「そんな言葉、この小学生には通用しないと思うよ・・・そうとう俺のことを憎んでいるみたいだしね」

 瑠は落ち着き払った瞳でリノを見た。

「・・・」

 リノは瑠の言葉に、微かに表情を曇らせる。

 瑠の態度と言葉に、朝菜は、

「瑠!!はやくここから離れてよ!!」

「・・・そんなことしたってどうせ無駄だろ。それに、そんなものじゃ俺のことは殺せないよ?」

 瑠は口元に薄い笑みを浮かべると、カッターを握りしめている舜のことを見下ろす。

「瑠っ・・」

「・・・兄さんはたくさんのことを苦しめてきたんだよ。だから、それ相当の罰を受けるべきなんだ」

 舜はカッターを振り上げた。

「っ─・・・!!」

 朝菜はリノの腕を無理やり振りほどき、舜の手首を勢いよく掴む。

 その衝撃でカッターは地面に落ちた。

 朝菜は拾い上げようとしゃがみ込んだが、それよりも早く舜がカッターへ手を伸す。そして、拾い上げると、その刃を瑠に向かって突き刺した。

「!!─」

 がその瞬間、瑠のすぐ前に現れた人物がいた。

 彼女─リノの腹部に、カッターの刃が突き刺さる。

「なっ・・・なんでっ・・・!!」

 舜は動揺の声を漏らして、カッターから手を離した。

 リノのきているセーラー服には、じんわりと血が滲み、カッターは鈍い音を立て地面へ落ちる。

 リノは表情を苦痛に歪め、地べたに蹲った。

「っ─・・・!!リノっ・・・大丈夫!?」

 舜はリノの隣へしゃがみ込む。

「・・・何も、分かってないね」

 朝菜の背後から、瑠がそう呟くのが聞こえた。

 「!・・・」

 朝菜が振り返ると、瑠はどこか冷めたような瞳で朝菜越しの舜を見ていた。

 そして、彼は何も言わずに背を向け、この場から立ち去ってしまった。

「朝菜さんっ・・・どうしよう」

 そう訴える舜の声は震えており、そしてその瞳には溢れだしそうなほどの涙がたまっていた。

 リノの服に広がっている真赤な血が目にし、朝菜の胸の鼓動は一気に早く波打つ。

「やっ・・やっぱり早く病院に行った方がっ・・・」

「あたしがそんなところに行けるわけないでしょ・・・」

 俯くリノの声は、やはり苦しそうだ。

「リノっ・・・・──」

 舜の目からは次々と涙が溢れだし、彼の頬を濡らしていく。

 朝菜は一気に怖くなった。

 もしこのまま血が止まらなかったら・・・リノはどうなってしまうんだろう。

 リノはスイマだが・・・やっぱり人間と同じように・・・。

 とその時、リノは微かに口元に笑みを作る。

「いてて・・・・さすがにちょっとキツイかも・・・」

「?─・・・」

 すると、リノは立ち上がる。

「だっ・・・大丈夫なの?」

 朝菜は立ち上がったリノにそう声をかけた。

 リノの腹部にはまだ血が滲んでおり、全く大丈夫そうには見えないが。

「忘れた?あたしはヒトじゃない」

 リノは朝菜のことを一瞥し、制服の裾を少しだけ捲って刺された部分の肌を朝菜に見せる。

 ─そこには傷跡が全くなかった。

「リノ!ごめんね・・・!!」

 その事実を見た舜は、リノに勢いよく抱きついた。

 リノは何も言わずに微笑むと、舜のことを丁寧に自分から引き離す。

 そして、静かに口を開いた。

「あたしがスイマだったからよかったけど・・・もし人間だったら・・・舜は“犯罪者”になってた・・・」

 舜はリノの言葉に小さく頷くと、目にたまっている涙を手で拭う。

 リノは静かに言葉を続けた。

「舜・・。現実はとても恐ろしい場所よ?やってしまったことは、絶対に取り返しがつかない」

「う・・・ん・・・」

 舜の目の淵にまた、涙が溜まっていく。

 リノはそんな舜を見て、小さく息をはいた。

「・・・舜。過ぎたことにこだわるのはもうやめてよ。今さらどうしようと事実は変わらないし、その事実に対する記憶も変えることはできないのよ?」

 舜はただ、目の淵に涙をためたまま、黙りこくっていた。

 リノの言葉に頷きもしなければ、反発する様子もない。

「でっでも、リノが無事でほんとによかったよ・・・」

 朝菜がとっさにそう言うと、リノと舜は同時にこちらを見た。

「うん!」

 舜はニッコリと笑う。

「・・・ねぇ朝菜。あたしに“気”くれない?」

 リノはその言葉と同時に、手のなかに白い鎌を現した。

「え・・・─」

「傷はふさがっても、まだ痛いの。気をもらえたら、痛いのも治ると思うだけどなー」

「・・・・・・」

「大丈夫よ。夢をみるほどにはとらないから」

「うー・・・分かった」

 リノがまだ苦しそうな様子なので、朝菜は仕方なくそう言った。

 舜の方を一瞥してみたが、彼はただ安心感に浸っている様子だったので、朝菜は安心する。

「ありがとうね。じゃ・・・これ」

 リノは自分の首にかかったヘッドホンを朝菜にさしだした。

「・・・・」

(何か気が引けるけど・・・仕方ないよね)

 朝菜はそう思いながらも、リノからヘッドホンを受け取りそれを頭にかぶる。

「じゃ、いただきますっ」

 ──心地よい音楽とともに、リノの声が聞こえた。

 それと同時に柔らかな眠気が、朝菜に訪れた。

(あー・・・眠い・・・)

 朝菜がふらつくと、リノが体を支えてくれたのが分かった。

 ─・・・そして、朝菜は意識を手放した。


 その日の夜・・・

 リノは甘いココアの入った缶ジュースを飲んでいた。

 舜は寝ているし、奈雪も芯もムマの仕事へ行ってしまっていて居間にはリノ一人きりだ。

 リノは小さく息をつく。

(あー・・・ほんと、今日は災難だった)

 まさか舜が、あそこまでするとは思っていなかった。

 ・・・だから嫌なのだ。やっぱりヒトは、過去にとらわれている。

 あのまま舜が瑠のことを刺していたら、きっといろいろ面倒なことになっていた。

 “現実”とはそういうところだ。

 自分の行為によって、舜は過去の囚われから抜け出せただろうか。

 過去にすがりつくのは、無意味なことと少しは理解しただろうか・・・。

 そして、舜の親たちもそうだ。

 奈雪はいつもは元気にふるまっているが、きっとその心は罪に意識で満たされている。

 時折見せる、あの表情がそれを嫌というほど表現していると感じた。

 芯は瑠の話になると、いつも不機嫌になるし・・・

 二人ともほんと分かりやすい。

(気にしすぎだって・・・─)

 リノはそう思っていた。

 奈雪から訊いたことによると・・・罪を犯したムマは血縁者(家族)によって全ての記憶を消される、ということが普通らしい。そして、掟であるらしかった。

 だから、奈雪と芯は逃げてきた。

 掟から逃れるために。・・・誰よりも大切な息子を捨ててまでも。

(あー・・違った。あのヒトたちは・・・)

 リノは最後のココアを飲みほすと、口元に笑みを作る。

 あのヒトたちは・・・

 誰よりも大切な息子を“守る”ために・・・掟から逃げてきたのだ。

「リノ」

 その声に振り返ると、隣にはいつのまにかゼンが座っていた。

「・・・もう帰ってきたんだ」

 ゼンは静かに頷く。

「芯たちはまだだけどな。外で軽食をとってから、帰るんだったよ」

「ふーん・・・」

 その後、沈黙が続く。

 ゼンは影をおとした表情のままゆっくりと口を開いた。

「あのな・・・リノ。奈雪からきいたんだけど・・・そのツバサってやつ、トイロのこと何か言ってたか?」

「特に何も」

 リノははっきりと、そう応えた。

 トイロはゼンの妹。きっとゼンは・・・。

 リノは口元に薄い笑みを浮かべた。

「トイロが消えた理由が気になるんなら、直接、瑠にでもツバサにでも訊きに行ったらいいじゃない」

 ゼンはリノの言葉に、小さく息を吐いた。

「あのなーリノ。俺はそれができないから、お前に訊いてんだよ」

「──・・・ただ単に、居場所をきかれるのが怖いんでしょ?・・・奈雪も芯も必死に逃げてきたんだしね」

 ゼンはリノの言葉に、何も言い返してくることはなかった。

 どうやら、図星だったらしい。

「・・・あっ。そうだ!これ食べる?今日、舜からおわびとして貰ったんだけどね。たくさん貰いすぎちゃったから」

 リノはそう言って、空になった缶をテーブルに置く。

 そして、ポケットをガサガサと探り、そこからあめ玉を数個、取り出した。

 ゼンはそれらを見て、曖昧に微笑む。

「俺、甘いものは・・・・」

 とその時、リノの手の上のあめ玉を誰かがつまみ上げた。

「それじゃ・・私が代わりにもらっていいかしら?」

 彼女─ミゾレは、クスリと笑うとあめ玉の包みを丁寧にはがし始めた。

「・・・・」

 リノとゼンは、あめ玉を味わっているミゾレに釘付けになる。

(この人・・・あめ玉なんかなめるんだ)

「ふふ。この味・・・とても懐かしい」

「──・・・」

「昔、学校帰りの奈雪さんによく買ってもらった・・・あの駄菓子屋さんのあめ玉と同じ味がするわ・・・」

 ミゾレは独り言のように、そう言う。

 そして、その表情は今までになく穏やかだった。

(一体何年前の話・・・?・・・って言うか・・)

「ミゾレは何の用があって、ここにきたの?」

 リノがそう問うと、ミゾレの瞳はリノの方へ動いた。

「・・・ふふ。とても大事な話が二人にあるの」

「!」

 ミゾレの視線が、リノからゼンの方へも動く。

「何?」

 リノは微かに眉を寄せた。

 いつも口数が少ないミゾレから「大事な話」があるなんて今までにないことだ。

「・・・私の言うとおりに動いてほしいの。これは貴方たちしかできないことだわ」

 ミゾレはとても穏やかな口調でそう言った。

「?・・・」

「ミゾレ・・・一体何をたくらんでるんだ?」

 ゼンは不審な目つきで、ミゾレを見据える。

 ミゾレはそれにも関わらず、口元を和らげた。

「ふふ・・・何も心配する必要はないわよ?私の言う通りに動いてくれれば・・・貴方たちの“望み”は必ず叶うから」

 とその時、居間の扉が開いた。

 ・・・居間に入ってきたのは奈雪と芯だった。

「ただいまー・・・って・・・みんなで集まってどうしたの?」

 奈雪はこちらを見て、目を丸くした。

「・・・─」

 ミゾレは奈雪を見て微笑むと、すぐに姿をかき消してしまった。


 その頃、朝菜は・・・

 ベッドの中にいた。

 と言っても、全く眠気はなく朝菜の頭の中ではいろいろな考えが渦を巻いていた。

 昼間、リノに気をとられたから目を覚ましたのは、自分の部屋だった。

 リノが眠っている朝菜を家まで運んできた、と翼が言っていた。

 翼がそのことについて、しつこく訊いてきたので、朝菜は「リノに気を分けてくれ」と言われた、とだけ説明しておいた。

(あー・・・どうしよ)

 瑠は・・・実の弟がいたと知って、何と思ったのだろうか。それに、その弟に刃を向けられて・・・。

 いつの淡々としている瑠だから、何を思っているのかなんて朝菜には分かるはずがない。

 もし、自分が瑠の立場だったら・・・そう考えただけで、心臓が凍りつく思いがした。

 それに、舜のことも気がかりだった。

 朝菜は舜の行為が今だに信じられなかった。

 なぜ舜がそんなに瑠を恨むのか、朝菜には分からない。

 ・・・リノはその理由を知っているのだろうか。

 とその時、枕もとに置いてあるケータイのアラームが音をたてた。

(もうこんな時間か・・・起きないと)

 朝菜はアラームを止めると、ゆっくりと体を起こす。

 寝起きの気分は・・・いつも以上に最悪だった。

「・・・─」

(瑠の両親、の記憶を消しちゃえば・・・)

 すべてが丸くおさまるのに。

 瑠の両親が瑠のことを捨てた、ということを忘れたくれれば、きっと彼らは瑠のことを迎えに来てくれるはずだ。

 そうする他に、その可能性はほぼないだろう。

『瑠のことを救いたいんでしょう?』

 ミゾレの言葉が、頭の中で木霊する。

 誰にも頼ろうとしない瑠の助けができるのは・・・きっと自分しかいないのだ。

「・・・」

 朝菜はぎゅっと唇を噛みしめた。


 朝菜は駐輪場に自転車をとめると、昇降口に向かった。

 今日は早めに家をでたので、時間にはだいぶ余裕がある。

 こんな心配事のある状態では、学校もさぼりたい気分になうるがそうもいかない。

(あ!)

 その時、生徒に混じって昇降口へ歩く瑠の姿を見つけた。

 昨日、あんなことがあったが、瑠もちゃんと学校へきたらしい。

 朝菜は少し、安心する。

「?・・」

(どこいくんだろ・・・)

 校舎内へ入ると思ったが、瑠は全く別の方へ進路を変えた。

 朝、校舎内へ入るまえに何か用事でもあるのだろうか。

「・・・」

 そんなことを思っている間にも、瑠は昇降口周辺から離れ、瞬く間に朝菜の視界から消えてしまった。

(何か気になるかも)

 少し迷ったが・・・朝菜は、こっそりと瑠の後をつけてみることにした。


 瑠は校舎の裏側に回ると、足を止めた。そして、辺りを用心深く見渡す。

 朝菜は瑠に気付かれないように、校舎の影にかくれながら、そんな彼のことを観察していた。

(何だろ・・・こんなところで)

 ここは一日中、あまり日が当たることなく薄暗い。それに、遠く機会も少ない場所だ。

「ここなら人もいないし、話せるよ」

 瑠がそう言うと、彼の目の前に姿を現した少年がいた。

 彼は真っ白な鎌を握りしめている。

(スイマの人・・・?)

 朝菜は彼の姿に見入る。

 朝菜にとって、初めて見るスイマだ。

「あぁ・・・ありがとな。瑠」

 彼は微笑んでそう言った。

「本当に久しぶりだね。・・・元気だった?ゼン兄ちゃん」

 瑠も微笑む。

「!!・・・」

 朝菜はその瑠の言葉で確信した。

 間違いなく彼─ゼンは、瑠の過去の関係者だ。

 ゼンは瑠の言葉に「あぁ」と頷くと、すぐに口を開いた。

「少し前までは、俺よりも小さかったのにな。本当にあっという間だよ」

 ゼンは、はははっと笑う。

「・・・そうだね。それで・・・話って何なの?」

 ゼンは瑠の言葉に、少しだけ沈黙を置いた。そして、呟くような声で言った。

「・・・トイロは、消えちまったんだよな・・・──何でかわかるか?」

 朝菜はゼンの口から発せられた、聞き覚えのある名前にドキリとする。

 確かトイロは・・・“瑠のこれから”を翼に託した人物だ。

 瑠はゼンの言葉に、少しだけ目を見開く。

「─・・・トイロは、掟を破った者として消えたんだよ」

 瑠は静かな口調のまま、言葉を続けた。

「でも、心配症のトイロのお陰で今は、違うスイマと契約できてるよ」

 瑠の表情はとても穏やかだった。

 初めて見る瑠の表情に、朝菜は驚いた。

 ・・・やっぱり瑠にとっても、トイロという人物は大切な存在だったんだ、改めてそう感じた。

 ゼンも瑠の表情を見て安心したのだろう。

 彼は「そうか・・・」と呟いて、表情を緩めた。

「・・・でも、瑠とトイロには本当に悪いことしちまったな・・・」

 ゼンは申し訳なさそうに、目を伏せた。

 瑠はそんなゼンを静かな表情のまま見下ろし、ただ沈黙を返している。

「気にしなくていいよ・・・もう、そのことに対して何の感情も持ってないし、何の期待もしてないから」

 瑠は口元に小さな笑みを作った。

 ゼンは視線をあげ、そんな瑠のことを見据えるとどこか寂しげに「そうか」と呟いた。

(瑠・・・本当なの?)

 朝菜は瑠の言葉が信じられなかった。

 そして、心の片隅がズキリと痛む。

 その後、少しの間、沈黙が続いた。

 朝菜がそんな二人のことを見守っていると、先に口を開いたのはゼンだった。

「それと・・・もう一つ、瑠に言っておきたいことがあるんだ」

「何?」

「実は・・・瑠・・お前に、弟がいるんだよ」

「・・・うん。それで?」

 ゼンは瑠の反応に、微かに眉を寄せる。

「驚かないのか?」

「この前、本人に会ったから」

 瑠はゼンの反応を楽しんでいるかのように、口元に薄い笑みを浮かべた。

 どうやらこのゼンという人物は、瑠と舜がでくわした、という事実を知らなかったらしい。

「そっ・・・そうだったのか!?あいつ、全然そんなこと言ってなかったぞ・・・」

「そうなんだ・・・なんでだろうね」

「・・・それで、瑠。お前に、弟・・・舜の意思の中に仕事に行ってほしいんだ」

 瑠はゼンの言葉に、目を見開く。

 朝菜もゼンの思わぬ発言に、ドキリとした。

「何で?」

 瑠は微かにまゆを寄せ、ゼンを見た。

「・・・瑠に知ってもらいたい事実があるんだよ。それは・・・舜の意思の中に行けば分かるはずなんだ」

 ゼンはそう言うと、ズボンのポケットから小さな紙切れを取り出した。そして、それを瑠に差し出す。

 ・・・瑠はそれを受け取った。

「俺たち今、その場所に住んでんだ・・・。そこに12時すぎあたりに来てくれれば、瞬、家にいるはずだから。・・・いいか、絶対きてくれよな」

 瑠はしばらくその紙きれを真剣な様子で見つめると、口を開いた。

「・・・分かった。行くよ」

 ゼンは瑠の答えに表情を緩めると、彼に背を向け呟いた。

「それじゃーな。・・・─それと、余計な期待、はしないでくれよ」

 そしてゼンの姿は、空気に解けるようにして消えてしまった。

 瑠はゼンの消えた空間をしばらく見つめた後、その紙きれを制服のポケットにしまい込む。

(瑠がっ・・・舜君に家に行くって・・・──)

 朝菜の鼓動は、話を聞き終えた瞬間から、だんだんと早くなっていった。

 まさか、こんなにも早く、この時がきてしまうなんて。

「!!」

 その時、瑠が朝菜の目の前に現れた。

 瑠は朝菜の顔を不審な目つきで見る。

「朝菜・・・どうしてこんなところにいるの?もしかして、さっきの話・・・立ち聞きしてた?」

「・・・──瑠、ほんとに舜君の家に行くの?」

 朝菜は心の中の不安と葛藤しながら、弱弱しい声色で呟いた。

 立ち聞きしていたと思われるより、こっちの事実を確かめることが朝菜にとって重要なことだった。

 瑠は朝菜の問いに、重い沈黙を置いてから口を開く。

「・・・行くよ。事実が何なのか気になるしね」

「私はっ・・・行かない方がいいと思うけど」

「ふーん・・・なんで?」

 必死な朝菜に対し、瑠は笑みを浮かべた。

「えっと・・・それは・・・」

(そんなとこに行ったら、親に会っちゃうかもしれないじゃん・・・)

 朝菜にとって、瑠の行動は“自分を捨てた親に自ら会いに行く”という行動とたいして変わらないものだと感じた。

 それとも瑠は・・・─

「・・・親に会いたいの?」

 瑠は朝菜の問いに目を見開いた。

 そして、苛立ちの入り混じった瞳でこちらを見る。

「何言ってんの?朝菜。俺は・・・自分を捨てた親のことなんて興味ないよ。・・・でも、朝菜のみる夢になら興味あるけどね」

「─・・・」

「そういえば最近、朝菜の夢のなかに行ってないなぁ・・・」

 瑠は瞳だけを銀色に染め上げ、淡々とした表情で朝菜を見据えた。

「いっ行かないくていいから!!」

 朝菜は踵を返す。

 やっぱり・・・ムマとしての瑠は何となく苦手だ。

 歩き出そうとしたその時、突然、瑠に腕を掴まれた。

「そんなこと言っても・・・行かせてもらうよ。・・・朝菜の見る夢は他の奴らと違って面白いからね」

「そ・・そうなんだー」

 朝菜は何とか笑顔をつくってみせる。

 瑠は手を離すと、微笑んだ。

「・・・せっかくだし、教室まで一緒に行かない?」

「・・あー・・・えーっと・・・そうだね」

 朝菜はそう言った瞬間、断れなかったことを後悔する。

 教室までの道のりが、とてつもなくながく感じたのは言うまでもなかった。


 朝菜はその日の授業中、漫画を読む余裕がないほど焦っていた。

 もちろん、授業の内容も耳から耳へと抜けていく。

 ・・・瑠が舜に会いに行くことを、何とかして止めなければ。

 絶対にいい結果なんて待っていないだろうから。

(・・・そういえば、瑠、あのスイマの人から紙きれ貰ってたよね・・・)

 たしか、あそこには舜の家の場所がかいてある、と言っていた。

「・・・そうだ!」

 朝菜は思わず叫ぶ。

 あの紙きれがなくなってしまえば、瑠は何もすることができないはずだ。

「平野ちゃーん。何?なんか思いついたの?」

 いつの間にか隣に立っていた千絵が、朝菜の顔を覗き込む。

 どうやら、いつの間にか授業は終わってたらしい。

「えー・・・あー・・何でもないから!」

 朝菜は千絵に微笑んでみせた。

「何だぁ~」

 千絵はそう言いながら、朝菜に小さなクッキーのはいった袋をさしだした。

 朝菜は「ありがと」と言って、そこからクッキーをつまみ上げそれを口に放り込む。

 千絵も朝菜と同様、クッキーを口の中に入れると言う。

「ねーねー、放課後さ、カラオケ行こうよ!今日、特別時間割で早く帰れるしさ♪」

「・・・ごめん。今日は無理かも・・」

 千絵には悪かったが、朝菜はそう言った。

 そう、今日という日を何もしないまま過ごしたらきっと後悔する。

「えぇー・・」

「ほんとごめん!・・それじゃーさ、今度の土日に行くのはどうかな?」

 千絵の不機嫌な表情に、朝菜は焦って急きょその言葉をつけたした。

「・・・仕方無いなぁ~」

 千絵は不服そうに眉を寄せたが、そう言ってくれた。

「ごめんーありがと」

 朝菜は心の中で、安堵の溜息をついた。

「・・・何かさ!最近の平野ちゃんって少し変だよね」

「え!そうかな・・・」

「この前だって、知らない小学生と会ってたかと思えば、怖い顔してどっか行っちゃうし・・・それに、今日だって何かぼーっとしてるよ?

ほらっノートもほとんどとってないじゃん!」

 千絵は朝菜のひらっきぱなしのノートを見下ろして、そう声を上げた。

 朝菜は慌てて、教科書とノートを閉じる。

「何か眠くてさー、ノートとれなかったんだよ・・・」

「もしかして!!」

 千絵はクッキーを食べることをやめると、朝菜の顔を見た。

「恋しちゃったとか!西園寺君に!!」

 千絵は明らかにショックを受けた表情を浮かべる。

「そんなことありえないし・・!!」

 朝菜は千絵の言葉よりも、その大声にドギマギした。

 そんな大声で話したら、クラスの人とか・・・瑠に聞こえてしまうではないか・・・。

「ほんとにー?」

 千絵はより一層、朝菜の顔を凝視する。

「そっか!よかった♪」

「あははは・・」

 朝菜は千絵の笑顔に、ほっと胸をなでおろした。

 とその時、授業開始のチャイムが鳴り響く。

「そうだっ。漫画かしてよ!」

「うん」

 朝菜は千絵に、机の中に入っていた漫画を数冊手渡す。

 そして、千絵はごきげんな様子で自分の席に帰って行った。

(・・・今度はちゃんとノートとらないと)

 朝菜はそう思いながら、机の上に出しっぱなしの教科書とノートを机の中にしまいこんだ。


 そして、放課後・・・。

 朝菜は五限目の授業が終わると、すぐさま席から立ち上がった。

 のろのろしていると、瑠はさっさと家に帰ってしまうだろう。

(・・・っていないし!)

 瑠の席に目を移した途端、そのことが発覚する。

 が次の瞬間には、今まさに教室からでようとする瑠を発見した。

 朝菜は急いで瑠のことを追いかけ、教室をでると彼の背中に向かって叫んだ。

「瑠!」

 瑠は朝菜の声に立ち止まると、こちらに振り返った。

 朝菜は瑠に追いつくと、すぐさま口を開く。

「あのさ・・今日、スイマの人に紙きれみたいのもらってたよね?」

「・・・」

「そこになんて書いてあったの?私にも見せてほしいなー・・・」

 朝菜は笑顔を作ろうと努力する。

 しかし瑠は、そんな朝菜を淡々とした表情で見ているだけだ。

「いいよ」

 瑠は突然そういうと、バックを下ろしその中から筆箱を取り出した。

「え・・・」

(いいんだ・・・)

 意外にあったりとした瑠のこたえに驚きつつも、彼が筆箱から取り出した紙きれを朝菜は受け取った。

「・・・・」

 朝菜はそれを慎重に広げると、そこに書かれてある文字の列にしっかりと目を通した。

「─・・・」

 そこには、住所と簡単な地図が丁寧な文字で書かれてある。

(これをどっかにやっちゃえば・・・)

 瑠は舜の家に行くことはできないはずだ。

 朝菜は思い切って、瑠に背を向ける。そして、走りだした。

「そんなことしても意味ないよ」

「!」

 瑠の声に振りかえると、彼は静かな表情でこちらを見ている。

「なくしたときのために、ケータイにメモしておいたから」

 瑠は楽しそうにそう言うと、ポケットの中のケータイを取り出す。

 そして、そのディスプレイを朝菜に見せてきた。

 そこには、朝菜が持つ紙に書かれている住所と同じものが表示されていた。

(せっかく頑張ったのにっ・・・)

「朝菜・・・よほど俺のことをとめたいみたいだね・・・」

 瑠はケータイをポケットにしまいなが、呟くように言った。

「・・・」

「朝菜が俺のこと、止める権利なんてないんじゃない?」

 その瑠の言葉に、朝菜は言いかえすことができなかった。

 心臓を冷え切った掌で掴まれたような気分になる。

 ・・・確かに自分は、瑠のことを昔から知っているわけじゃないし・・・その権利はないのかもしれない。

(でも、私は・・・)

 瑠は朝菜に背をむけ、歩きだす。

 口からだそうとした言葉は、彼の背中を見た途端、声にならないまま消えてしまった。

 そして、瑠の姿は朝菜の視界から消え失せた。

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