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第4話(4)

 そして夜・・・

 朝菜はリノと待ち合わせをしている公園へ向かっていた。

 いろいろと面倒なことになりそう(特に翼の反応が)なので、家族の人にはすべて終わってから話そうと思った。

「友だちと夕食に行く」と言って家をでたので、家に帰って真実を話したらみんな驚くに違いない。

 朝菜の歩いている道は静まりかえっていた。

 まだ8時と早い時刻だが、ここは裏道なのでもうほとんど車は通らない。

(緊張するかも・・)

 リノの友だちとはどんな子なのだろう。

 久々のこの感情で、朝菜の胸はいっぱいだった。

 ・・・少し歩くと、例の公園に到着した。

 公園内に歩みを進めて辺りを見渡す。

(まだ来てないか・・・)

 外灯がポツリと立っているここは、昼間と比べ物にならないくらい寂しい雰囲気がある。

(早くこないかな)

 とその時・・・

「朝菜さーん!」

 声がしたかと思うと、突然後ろから抱きつかれた。

 朝菜は驚き、振り返る。

 そこには、満面の笑みの舜の姿があった。

「朝菜さん!ちゃんと来てくれたんだねー。嬉しいなぁ!」

 舜はそう言って、朝菜から離れる。

「うん、約束したしね」

 朝菜は銀の瞳と髪の舜に、ドギマギしながらそうこたえた。

 ・・・やっぱり彼のその姿は、まだ慣れない。

「ツボミさん、この人が平野朝菜さんだよ」

 舜はキョロキョロと辺りを見渡す。

 が、周りには誰の姿もない。

「・・・?」

「おかしいなぁ。公園についたときは一緒だったのに!本当だよ、朝菜さん!」

「うん・・」

 どうやらツボミという名のスイマらしいが、彼女(名前からして)はここにいないらしい。

 一体、彼女はどこに行ってしまったんだろう。

「ツボミさん、どこ行っちゃたんだろ。朝菜さん、一緒に探してくれる?」

 舜は小さく溜息をついた。

 その時、後ろにある木の葉がガサガサと音をたてた。

「え!何!?」

 朝菜は思わずそう声を上げ、その木を凝視する。

「あ!ツボミさん、あんなところにいたんだ!」

 舜はそう言って、その木の方に駆け寄った。と同時に、木の上から一人の女の子が落ちてくる。

 彼女の体は、体勢を立て直さず地面へ落下した。

「ツボミさん!大丈夫?」

 舜はツボミの方へ駆け寄り、彼女の頭や服にくっついたままの木の葉を払い落した。

「この木はほんと、寝心地が悪い・・・」

 ツボミは不満そうにそう呟くと、ゆっくりと立ち上がる。

「ツボミさん、木の上はベッドじゃないっていつもリノが言ってたよね?」

 舜は困ったようにそう言ったが、その言葉をツボミが真剣に聴いている様子はなかった。

「・・・」

(あの人がツボミさんか・・・)

 それにしても・・・本当にスイマなのだろうか。

 彼女の腰まで届く髪の毛は、雪のように真っ白だ。それに服も。

 ・・・彼女の服は、明らかに現代の世界にはマッチしていない、全身が真っ白のワンピース。

 朝菜がそんなことを考えていると、こちらに振りかった舜が手招きした。

「あっ・・」

 朝菜は二人の方へ駆け寄る。

「朝菜さん!この人がリノの友だちの・・・」

「ツボミ」

 ツボミは舜の言葉を遮り、自分の名前だけを口にする。

「はっ・・・はじめまして。私は・・」

「朝菜・・・だよね?」

 今度は自分の言葉が遮られた、ツボミはその金の瞳でこちらを見据える。

「・・・うん、そうだよ」

 朝菜はツボミの言葉に動揺しながらも、何とか笑って見せた。

「!・・・」

(っていうか・・・この瞳の色って・・・─)

 明らかにスイマのものではない。

 自分と同じ金の瞳は・・・間違いなく、ムマのものだ。

「・・・わたしと契約してくれるってほんとだよね?朝菜」

 ツボミは淡々とした口調で、朝菜に問いかける。

「──・・ツボミ・・・は・・・本当にスイマなんだよね・・・?」

 朝菜が控えめにそう訊くと、ツボミの瞳に一瞬だけ不安の影がおちた・・・ような気がした。

「もちろんだよ!ツボミさんはリノの友だちだし・・・スイマだよ!」

 朝菜の問いにこたえたのは、ツボミではなく舜だった。

「!・・・だって金の瞳ってムマの・・」

「これが証拠だよ?」

 ツボミは突然そう言うと、胸の前に自分の手をもってくる。

 次の瞬間、彼女の手の中に現れたのは全身が真っ白の大きな鎌だった。

「それって・・・スイマの人が使う鎌・・・」

「そう」

 ツボミは頷く。

 どうやらツボミや舜の言葉に嘘はないようだ。

(ならどうして・・・)

「細かいことは気にしなくていいよ。さっ・・・はやくはやく!」

 舜は朝菜の気持ちを察したのか、笑顔でそう言うと手を掴んでくる。

 そして、朝菜の手をツボミの前に差し出すように持ち上げた。

「ちょっと!舜君、ツボミは本当にスイマなんだよね?変わった目の色してるけど・・」

 朝菜は慌てて舜とツボミに問いかけた。

「そうだよ!スイマは僕たちみたいな人間じゃないから、瞳の色な何色だって関係ないんだよー?」

「・・・──そうなんだ」

 朝菜はそう言いながら、ツボミの方へ目線を移した。

 ─彼女の表情に、特別な変化はみられない。

 と、ツボミは口を開いた。

「・・・朝菜。これからよろしくね」

「う・・・うん。よろしく」

 ツボミは無表情のまま言ってきたが、そんな言葉がもらえたことが朝菜は嬉しかった。

 ツボミは手を朝菜に差し出す。その腕には・・・スイマの証、が刻まれていた。

 舜はそれと同時に、朝菜から手を離した。

「・・・」

(これから本当に契約するんだ・・・)

 差し出されたツボミの手を見て、朝菜はゴクリと息をのんだ。

 翼と瑠が契約したとき、スイマはムマの、ムマはスイマの手をしっかりと握った。

 そして今、自分はスイマであるツボミの手を握りしめようとしている。

「朝菜さーん!どうしたの?」

「大丈夫・・・!何でもないよ」

 舜の声におされ、朝菜はついにツボミの手を握りしめた。

 ・・・ツボミの手は、やわらかくてひんやりした。

 ツボミの方も、朝菜の手を握りかえしてくる。・・・強く、しっかりと。

「あったかいね?朝菜の手」

 ツボミは独り言のように、そう呟いた。

「・・・」

 朝菜は念のため、小さく頷く。

 少しの沈黙。

「契約成立」

 ツボミがその言葉を発した瞬間、二人のつないだ手の間から淡い光が漏れた。

 そして、スイマの印が静かに波打つ。

 ・・・それは、あっと言う間だった。

 ツタのようなスイマの印の先端が、ツボミの手の上を伸びていき・・それは、すぐに朝菜の肌の方まで伸びてくる。

 そして、ツタの成長は朝菜の肩で止まると、それはツボミと朝菜の手の境目でスッとちぎれた。

「─・・・」

 そして、印は完全に朝菜のものになった。

 朝菜はそのことを自分の肌に触れ、しっかりと確かめる。

 とその時、どこからともなく心地よい音楽が聞こえてきた。

 ・・・幼い頃、よく耳にした懐かしくてすこし寂しくなるような・・・そんな曲。

 そして、朝菜は意識を手放した。

「あたしがいつ、朝菜の味方だって言った?」

 木の上から、フワリと舜の隣に着地したリノは、薄い笑みを浮かべてそう言った。

 その手には大きな白色の鎌が握られている。

 完全に眠らされた朝菜は、その言葉に気付くはずもない。

「・・・単純だね?朝菜」

 ツボミは朝菜のことを見下ろし、小さく溜息をつく。

「ねーリノ!西園寺瑠と友だちだってこと、秘密にしてた朝菜さんが悪いんだよね!!僕はアイツのことが大嫌いなのに!」

「・・・そうね」

 リノは少しだけ笑みを浮かべて見せた。

 朝菜は自分が舜のパートナーと分かっていながら、こんなところまでノコノコと一人でやってきた。

 何の疑いもせずに。

 なんてバカなのだろう。少しは疑うということをしたらいいのに。

 と、舜は、リノに抱きつき銀の瞳でこちらを見上げた。

「リノ。朝菜さんに西園寺瑠のことを大大だーい嫌いになってもらえばいいよね?そして、僕たちのことを大大だーい好きになってもらえばいいんだ」

「・・・そうする予定で、ここに朝菜を呼んだんでしょ」

「うん!」

 舜はニッコリと笑い、リノから離れる。

「わたしみたいな変わり者のスイマと契約するなんて、朝菜も変わってるね・・・」

 ツボミはリノを見ずに、呟くような声で言った。

「まぁー朝菜のことだから、なーんにも知らなかったんでしょうね。でも、そんなムマでも契約できてよかったでしょ?」

「うん」

 ツボミは無表情の顔で、小さく頷く。

「朝菜さんの夢って、すごくユニークなんだよー?楽しみだなぁ~」

「ふーん。そうなの?でも、やることやってはやく帰ってきてね」

 リノは微笑みながら、とても嬉しそうな舜にそう言う。

「うん!気をつけるよー」

「・・・誰か来た」

「!」

 ツボミの言葉に、はっとしてリノは周囲を見渡す。

「おい!お前ら何してんだよ!?」

 彼はそう叫びながら、こちらに走ってくる。

「誰だろ?リノたちのことが見えるなんて」

 舜は首をかしげた。

「!・・・」

 そして、彼は息を切らしながらリノたちの前に立つ。

「朝菜!!」

 彼は驚きの声をあげ、朝菜の方へ近寄ろうと足を踏み出した。

 が、それをリノが手に持っている白い鎌で素早く遮った。

「あたしたちの邪魔、しないでくれる?」

 リノはそのスイマのことを睨みつける。

 ・・・ここで朝菜が起きるようなことがあれば、全てが無駄になってしまう。

「お兄さん、誰?」

 舜もリノと同様、彼のことを刺すような目つきで見た。

 彼はリノと舜のことを見て、わずかに表情を歪めると口を開いた。

「・・・瑠が朝菜のことを見張っておけって言うから、何かと思えばっ・・・!!お前たちこそ誰だよ!?朝菜をこんなところで眠らせるなんて」

 リノは彼が発した“瑠”という名前に自分の耳を疑った。

 このスイマも西園寺瑠と知り合いなのだろうか。

「あたしたちが訊いてるの。あんたが誰のなのか」

 リノの問いつめに、彼は不服そうな表情を浮かべ言った。

「・・・俺は平野翼。朝菜の兄で・・・」

「・・スイマのお兄さんも西園寺瑠と友だちなんだね?」

 舜はニッコリと笑う。

「でもねーこれから朝菜さんには、西園寺瑠のことを大嫌いになってもらうんだよ!」

「き・・・記憶をいじるつもりなのか!?」

 舜の言葉に翼の目の色が変わった。

 舜は微笑む。

「僕はアイツみたく失敗なんてしないよ?全部、記憶を消しちゃうなんてそんなバカなまね、絶対にしないから。だから、安心して?朝菜さんのお兄さん!」

「っ─!」

 翼はリノの鎌を押しのけ、舜の行為を止めよとする。

 がその瞬間、リノは鎌の刃先を翼の首元に突きつけた。

「これ以上、動かないことね。この鎌はあたしたちにとって凶器になる。・・・そうでしょ?」

 リノの言葉と行為に、翼の動きがとまった。

「ありがとーリノ」

 そして、舜はその姿をかき消してしまった。

「くっそ!!」

 翼はリノが鎌をかき消した瞬間、朝菜へ駆け寄り彼女の体を大きく揺さぶった。

「おい!起きろ!!朝菜!」

「無駄だから。普段より多めに気をもらったから、しばらくの間は起きないし」

 リノは翼の背中に向かって、そう強めの口調で言った。そして、口元に笑みを浮かべる。

「あんたも瑠の知り合いらしいケド・・・あんまり舜の前で、その名前を口にしない方がいいわよ?彼を怒らせるだけだから」

「・・・──」

 翼は眠った朝菜の前でしばらく黙りこくっていたが、リノの言葉が終わったあと、こちらに向き直り、

「瑠は知り合いじゃない・・・俺のパートナーのムマだ!」

「!─・・・」

 リノは思わぬ事実に驚かされた。

 トイロが消えたという話はきいていたが、瑠が再び契約したという話はきいていなかった。

「・・・ふーん。瑠はこんな奴と契約したのね」

「な・・・!?つ・・つーか、お前ら瑠とどういう関係なんだよ!?お前らのことなんて、あいつから一度も聞いてねーぞ!?」

「・・・あたしのパートナーは“西園寺”舜。舜はお兄さんのことを、誰よりも大嫌いなムマよ」

 リノの言葉に翼の表情が大きく動く。

 その表情は驚き以外、何ものでもない。

 ・・・驚くのも当たり前だ。

 瑠のパートナーであっても・・・いや、瑠自身でもその事実は知るはずもないのだから。

「それともう一つお知らせ」

 リノはその言葉を付け加えると、後方に立っているツボミの方へ目をやる。

 ツボミは伏せている瞼を持ち上げ、その金の瞳で翼のことを見据えた。そして、静かに口を開く。

「・・・わたしの契約者は朝菜」

「・・・契約者!?」

 翼はそう口走った後、起きる気配のない朝菜の手を取りその服をたくしあげた。

 ・・・そこの腕には、しっかりと契約の証、が刻まれている。

「何なんだよっ?これ!!まさかお前らが無理やりに・・・」

「勝手なこと言わないでくれる?朝菜は自ら望んで契約を交わした・・・どうでしょ?ミボミ」

 ツボミはリノの言葉に、一回だけ頷く。

「ならどうして朝菜はこんなことになったんだ!?こんな人気のないところに呼び出して・・・!!お前らは朝菜を騙してたんじゃないのかよ!?」

 翼はリノのことを見ながら、そう怒鳴る。

 リノはそんな翼に半分呆れながら口を開いた。

「簡単にあたしのこと信じちゃう朝菜が悪いのよ。・・・あっでも、ツボミと契約してくれた朝菜には感謝してるのよ?ツボミが消えちゃうなんてあたし、嫌だし」

「っ──・・・何で朝菜が“金の瞳のスイマ”なんかと・・・!!」

「・・・」

「・・・わたし、まだ消えたくなかったから」

 表情を歪めている翼の横で、ツボミはそう呟いた。

「だからって・・・──」

「それと可能性はあるよ?」

「は?」

 ツボミはその瞳を伏せ、言葉を続ける。

「・・朝菜が舜の行為から、逃げることのできる可能性」

 ツボミの言葉を耳にした途端、翼の表情が一変した。

 が、リノは顔をしかめる。

 ツボミはすぐに口を開いた。

「朝菜が夢の中でも“自分がムマ”だと認識していれば、舜を意志のなかから追いだすことができる・・・かも」

「それっ・・・マジが!?」

「うん」

「・・・はぁー・・・ツボミ。余計なこと言わなくていいのに」

 リノは小さく溜息をつく。

 確かにツボミの言うことは事実だが、何も今、ここで言う必要はない・・・リノはそう思う。

「でも、舜にはそう簡単に勝てるはずがないし」

 リノは低めの声で呟くと、翼は小さく微笑んで言った。

「そりゃーどうだかな!」



 理科室での授業が終わり、教室に入ろうとした朝菜は誰かに声を掛けられた。

「朝菜っ。知ってる?あのこと」

「え?あのことって何?」

 遥香は、教室の出入り口で立ち止まっている朝菜の手を引き、その場から移動させる。

「なんだ・・・知らないの?

・・・昨日の殺人事件・・あったでしょ。その犯人がこの学校の生徒らしいんだって!」

「え!?うそっ・・」

 朝菜は昨日の夜、ニュース番組でながれていた事件を思い出す。

 アスファルトに広がる、乾いた血痕。繰り返し映し出される、被害者の写真。

 まさか、その犯人がこんな身近にいるなんて。

 ・・・しかも、自分と同じ学校の生徒だなんて。

 遥香は、真剣味のかる声色で言葉を続けた。

「それからっ・・・友だちから聞いたんだけど、その犯人、殺害に使った凶器をまだ“大事に”持ち歩いているらしいんだよ・・・。

もしかしたら、この学校でまた事件を起こすつもりなのかも」

 朝菜は遥香の言葉に息をのむ。

「怖っ・・・」

 とその時、授業開始のチャイムが鳴り響いた。

 同時に、廊下にたまっておしゃべりをしていた生徒たちは次々と教室へ入っている。

「だから朝菜も気をつけるんだよ!」

 遥香もその言葉を残すと、慌てた様子で教室へ戻って行った。

「・・・─」

 そして朝菜も、先生が来る前に教室へ急いで戻る。

 途端に目にとまったのは、黒板に大きく書かれた文字。

「自習・・・」

 どうりでみんな、騒がしいわけだ。

(ラッキーだな・・)

 丁度この時間は、朝菜の嫌いな数学の授業だったのだ。

 朝菜はこの時間、どのように過ごすかを考えながら自分の席へ向かった。

(まだ読んでない漫画あるし・・それ、読んでよーかな)

 朝菜は自分の席へ着くと、理科の教科書を机の中にしまい込む。

 ・・・それにしても、そんな恐ろしい事件の犯人が学校にいるなんて信じがたい事実だ。

 先生たちは・・・その事実を知らないのだろうか。もし、知っているのなら、生徒たちを安全な場所へ移動させるとか・・・そのようなことをやってくれてもおかしくないのに。

「ねぇー平野ちゃん!」

「!」

 声の方へ振り返ると、そこには千絵がにこにこしながら立っていた。

「あー・・千絵。どうしたの?」

「理科室に忘れものしちゃった!とりに行くのつきあって!」

「いいよー」

(どうせ自習だしね・・・)

 教室の外にでても、何の問題もないだろう。

「ありがとっ」

 千絵は笑顔でそう言う。

「いえいえー」

 朝菜は席から立ち上がると、千絵とともに騒がしい教室をあとにした。

 廊下にでた途端、辺りは一気に静かになる。

 さっきまでの騒がしさが、まるで嘘のようだ。

 そんな静まり返った廊下を、朝菜は千絵と二人で歩いて行く。

「千絵、理科室に何忘れたの?」

 特に話題がなかった朝菜は、千絵にそんなことを訊いてみる。

「ん~、とっても“大事な”ものだよー。肌身離さず持ち歩いてたんだけど、ついうっかり忘れちゃった」

 千絵は微笑む。

「・・・そうなんだっ」

 朝菜も微笑みを返した。

「・・・」

「・・」

 そして、沈黙が二人を支配する。

(千絵・・・どうしたんだろ?)

 朝菜は千絵の様子がいつもと違うと感じた。

 いつもなら、自分が話す余裕がないほどにおしゃべりするのに、階段を上がっている途中も、千絵は黙ったままだ。

「・・・」

 階段を登りきればすぐに理科室だが、朝菜は沈黙に耐えきれず口を開いた。

「そうだっ・・・千絵、知ってる?あのこと」

「えー?知らないよー?何?」

 朝菜は千絵と足を揃えて、階段を登りきった。

 もう理科室は目の前だ。

「昨日、この近くで殺人事件あったじゃん・・・その犯人がこの学校の生徒なんだって!」

 千絵は朝菜の言葉に突然、立ち止まった。

「?・・・千絵、どうしたの?」

 千絵の表情からは、笑みが消え去りその代りあるのは暗い影が落ちた表情だ。

「ち・・・」

 とその時、後ろから誰かに腕を引っ張られた。

「!!」

 その人は、朝菜の腕を引っ張ったまま、どんどん理科室から離れていく。

「ちょっと・・・!!」

 その人は、朝菜の腕を引いたまま階段を駆け降り、そして立ち止まった。

「瑠・・・どうしたの?一体」

 こちらに振り返った瑠を見て、朝菜はすぐに疑問をぶつける。

 千絵の様子がおかしかったのに・・・瑠が無理やり引っ張ったせいで、千絵だけ理科室の前に置いてきてしまったではないか。

「・・・危なかったね。朝菜」

 瑠は目を伏せながら、静かに言う。

「・・・は?」

(一体何が・・・?)

 朝菜には意味が分からなかった。

「知らなかったの?・・・アイツは殺人者だよ」

「!?」

 朝菜は、思わぬ瑠の言葉に固まった。

「え・・・──?」

 まさか。あの千絵が?

 とその時、瑠が朝菜の背中に手をまわす。そして、そのまま自分の方へ引き寄せた。

「!!・・・」

「朝菜は無事でホントよかったよ」

 瑠は独り言のように、そう言う。

 朝菜は瑠の行動と言葉に、より一層混乱した。

(こんなことって・・・──)

「・・・何てこと、俺が言うわけないよね?」

「!?」

 その瞬間、朝菜の首元に何かひやりとしたものが触れた。

 朝菜はドキリとする。

 ・・・─それは、大きな鎌の刃だった。

 まるで、死神が持っているような大きく真っ黒な鎌を瑠は握りしめている。

「っ・・・──!」

 朝菜は反射的に瑠から離れた。

 瑠はさっきまで朝菜がいた空間をその大きな鎌で切り裂くと、口元を吊り上げる。

「楽しかったなー。人を殺るの」

 瑠は信じがたい言葉を当たり前のように口にした。

「一瞬でもオレのことを信じた?

そうだとしたら、最低だよ。朝菜の友だちが殺人者なんてそんなことあるわけないし」

「──・・・っ」

 その言葉で、朝菜の心は混乱から絶望へと姿を変える。

「俺のことを楽しませてよ!朝菜!!」

 瑠はその言葉とともに、鎌を大きく振り上げた。

「やめてよ・・・!瑠!!」

 朝菜の叫び声は意味をなさず、瑠は力強く鎌を振り下ろす。

「っ・・・!」

 朝菜はそれを間一髪で避けると、走りだした。

 逃げなくては・・・本当に殺されてしまう。

 朝菜は必死に足を動かした。

・・・しかし、気のせいだろうか。

いくら必死に足を動かしても、なかなか前に進むことができない。

 それに自分の足は、いつも以上に重く、まるで足におもりをくくりつけているみたいだ。

 とその時、朝菜は床にあった何かによって滑って転んだ。

 ─・・・見ると、足元の床には水が広がっていた。

(やばいっ・・・はやく逃げないと!)

 朝菜は急いで立ち上がる・・が、目の前には瑠がたっていた。

「!!・・・」

 瑠は大きく鎌を振りおろす。

 ギリギリで避けた朝菜のすぐ横をかすった鎌の刃は、近くにあった手洗い場の鏡を砕きわった。

 その瞬間、何かが変わった。

「!!─・・・」

 すべての音が消え去り、目の前に映る景色がスローモーションに移り変わる。

 朝菜の目の前をゆっくりと横切る鏡の破片。

 そこに映る自分の姿。

 ・・・自分は当たり前のように忘れていた。

 自分の瞳が金色だったこと。・・・自分がムマであること。

 鏡の破片は、バラバラと朝菜の足元に落ちていく。

(ここは・・・夢のなかだ)

 そう気付いた瞬間、この世界のすべてが違和感で満たされていた。

 こんなおかしな世界、現実ではあるはずないではないか。

 スローモーションから、もとの速さに戻る景色。

 薄い笑みを浮かべている瑠は、朝菜の体を鎌で切り裂いた。

 しかし、その鎌は朝菜の体を通り抜ける。

「!!」

 その瞬間、目の前の景色に大きな亀裂が走った。

それと同時に、周りの光景が静止画になったかと思うと・・・それらは、砕けた。

(そうだ・・私は、舜君たちと公園で会って・・・)

 自分はツボミと契約した。

 しかしその直後・・・眠ってしまったのだ。

 その理由は分かっていた。・・・認めたくないが、リノに無理やり眠らされたのだろう。

(でも何で・・・)

 そのようなことを考えている間にも、周りの光景はバラバラになり消えていく。

 その代りに現れたのは、真っ白の空間だ。

 その空間には・・・やはり、大量の鎖が絡みついている。

「あ・・・!」

 そして、鎖の前に立たずんでいるムマは、間違いなく舜だった。

 彼は、表情を引き締め闇色の鎌を両手で握っていた。

「・・・」

 が朝菜は普通ではない彼の表情に、ゾクリとした。

 いつもはにこやかな彼なのに・・・今の表情はいつもとは違い、何だかとても怖い。

 と、舜は、大きく鎌を振り上げる。

「!!」

 朝菜は、それを引き金としてとっさに口を開いた。

「舜君!」

 舜は朝菜の声にビクリと反応し、その鎌を静かに下ろす。

「・・・あと少しで、西園寺瑠との記憶が消せたのに・・・残念だなぁ・・・」

「え・・・!?」

(瑠との記憶を消すって・・・──)

 舜は近くにある鎖に飛び乗ると、手に持っている鎌をかき消す。そして、鎖の上と飛び移りながらこちらに移動すると、朝菜の前にストンと飛び降りた。

「僕の大嫌いなアイツの記憶を、僕との楽しい思いでにリサイクルしよーと思ったんだよ!

朝菜さんもそっちの方が嬉しいよね。だって朝菜さんのお母さんもアイツの被害をうけたんだしね?」

「!!・・・やめて!お母さんは記憶、消されてないし!!それに、私の記憶なんだし・・・勝手なこと、しないでよっ」

 朝菜は舜がそのような行為をしようとしたなんて、ショックだった。

 なぜ舜は、そこまで瑠を嫌うのだろうか。

 会ったこともない兄なのに。

 舜は、不満そうにキュッと唇を結ぶ。

「朝菜さんも勝手だよ!!何で西園寺瑠と友だちだってこと、僕に黙ってたの!?

朝菜さんは、最初っからアイツの味方だったんだ!」

 舜はその瞳を怒りの色に染めあげると、手の中に闇色の鎌を現した。そして、近くにある鎖めがけて、大きく鎌を振り上げる。

「!!」

 朝菜は瞬間的に舜の鎌の柄を掴み、何とかその動きを止める。

 舜の力は意外に強く、鎌の動きを止めているので精一杯だった。

「お願いだから!やめてよ!舜君!!」

「やだっ!!」

 舜は突然、鎌を手の中からかき消す。

 支えのなくなった朝菜は、そのままの勢いで下に倒れてしまった。

「っ─・・」

 朝菜が舜の方へ目をやったときには、彼はすでに闇色の鎌を手に握っていた。

 そして、彼は記憶の鎖めがけて素早く鎌を振り下ろす。

「やめて!!!」

 朝菜は今までにない、大声でそう叫んだ。

「!?」

 その直後、舜にある変化が現れた。

 彼の振り下ろした鎌は、鎖に当たる寸前でピタリと止まっていた。

 が、止まったのは鎌だけではない。舜自身もまるで、時間がとまったかのように固まっていた。

(何これ・・・)

 朝菜は混乱する。たしかに「やめて」とは言ったが、このやめ方、は明らかにおかしい。

 ・・・舜の身に、一体何が起きたというのだろうか。

「!!」

 すると、舜の姿が少しずつ薄くなりはじめた。

 彼の姿は、空気に解けるように少しずつ少しずつ、消えていく。

(どうしよっ・・!?)

 朝菜は立ち上がり、舜のもとへ駆け寄ろうとした。

 とその時、視界が闇色に染まる・・・・

 ・・・──朝菜は目を覚ました。

「朝菜!!」

 その途端、翼の顔が視界に飛び込んでくる。

「お兄ちゃん・・・」

(よかった・・・夢から抜け出せた・・・)

 翼の顔と、彼の背景に広がる夜の公園を見て朝菜はそう確信した。

「朝菜、無事だったんだよな?」

 体を起こした朝菜に、翼に心配そうにそう問う。

「うん・・・大丈夫」

 舜に記憶を消されそうになったが、何とかそうならずに済んだ。

 ・・・かなり危なかったが。

「そっかーよかった!」

 翼は大袈裟な溜息をついた。

「・・・・」

 朝菜は立ち上がり、服についた砂汚れを手で払い落す。

 ・・・朝菜は、翼のように安心しきった気分には、どうしてもなれなかった。

 ─・・・舜たちは、自分のことを騙していた。

 その事実は朝菜にとって、ショックなことに違いないのだ。

 リノは舜に、瑠と朝菜が友だちだということを言ってしまったらしい。

 その結果、舜は朝菜が思っていた以上に怒り、そしてこんなめにあった。

(どうしよ・・・)

 舜がこれから、おとなしくしている保障はどこにもない。

 それに・・・

 朝菜は袖をまくり、そこに契約の証が刻まれていることを確認する。

 朝菜は後悔した。

(何でもっとよく考えて契約しなかったんだろ・・・)

 瑠に舜の存在がばれるのが嫌で、自分は焦っていたのだ。

 舜たちのことが信用できなくなった今、この繋がりは朝菜の不安を大きくさせるものになってしまった。

「まさか朝菜が、金の瞳のスイマと契約しちまうなんてなっ。まっ・・・でも、今さらどうすることもできないしな・・・」

 翼は声のトーンを落として言った。

「えっ・・ツボミと契約しちゃ・・・やっぱりまずかったの?」

 朝菜はスイマらしくない、ツボミの容姿が気になっていた。

 やっぱりそんなツボミには、特別な理由があったのだろうか。

 いろいろなマイナスの考えが、朝菜の頭を駆け巡る。

 翼は朝菜の問いに答えにくそうに、眉間にしわを寄せた。

「んー・・・あのスイマは・・・──」

「えっ!?・・・何?」

 なかなか応えてくれない翼に朝菜の頭の中は不安で一杯になった。

 そして、翼は引きつった笑顔を浮かべる。

「やっぱり全然問題ないから大丈夫だ!」

「・・・」

「・・・」

「嘘でしょ!?ほんとのこと教えてよ!!」

 朝菜は必死になる。

 いくら最悪の情報でも、ツボミと契約したからには知らなければならないのだ。

「ほんとにいいのか・・・?聞いたらきっと朝菜・・・」

「・・・大丈夫だよ!」

 朝菜は強めに言った。

 翼は少しの沈黙の後、伏せていた目を朝菜に向ける。

「朝菜が契約しちまったアイツは普通じゃない・・・。だから、他のスイマもムマもアイツのことは、特別視してるんだよな」

「普通じゃないのは、何となく感じたけど。だってツボミ、金の瞳だったし」

 普通ではないことは、朝菜も分かっていた。

 けれど、もしかしたら自分の勘違いだという気持ちが捨てられなかった。

「あぁ。そうだな!・・・アイツは、スイマとムマのハーフなわけだし」

「えっ!・・・じゃぁ、スイマでもあるし、ムマでもあるってことなの?」

「そーいうことだなー」

「・・・それじゃ・・・そんなに問題ないんじゃない・・?」

 いくらハーフだと言っても、スイマであることは事実なんだし。

 すると、翼は表情を曇らせる。

「うーん・・・それはだな・・・」

「ホント、朝菜って何もしらないのね」

「!」

 気がつくと、隣にはリノの姿があった。

「おっお前!まだいたのかよ!?」

「別にいいでしょ」

 リノは翼に微笑みを見せる。

「・・・」

「この人がだらだらしてて話さないから、あたしがツボミについて教えてあげる」

 リノは朝菜を見る。

「─・・リノ。どうしてっ・・・!?」

 朝菜は、リノの姿を見て唇を噛みしめた。

 自分は、リノのことを信じていたのに、リノはこうも簡単に朝菜のことを裏切れる。

「ごめんね。朝菜。あたしはツボミのことを助けたかった・・・・─それに、舜の味方でいたかったのよ」

「・・・・」

 朝菜は俯いた。

 騙されてしまったことはとても悔しくて情けないが、リノの言っていることは間違っていない。

「それで・・・──何なの?ツボミのことって」

 朝菜は顔を上げずに、必死の思いでそう訊いた。

 もっとリノに言いたいことはあったが、今はツボミのことについて知りたかったからだ。

 翼は不安げな表情で朝菜を見たが、特に何も言ってくることはなかった。

 リノは今の状況に満足したように微笑む。

「えーっとね・・・実は、朝菜と契約する前に、ツボミと契約したムマがいたの」

「え・・・!?」

 朝菜は思わぬリノの言葉に顔を上げる。

「でも、そのムマは突然消え、ツボミと仕事をすることができなくなった・・」

「消えたって・・・どうして?」

「ツボミは完全なスイマじゃないうえ、ムマの能力もあるから、気をとった人間に“支障”がでちゃうの。

で、必然的にツボミのパートナーのムマは、その人間の意思の中へ仕事に行くことになる」

「・・・それで?」

「・・・仕事に行ったムマは、その支障のせいで夢のなかに閉じ込められちゃう。やがて、閉じ込められたムマは、現実がどのようなものか忘れ・・・夢、の一部になっちゃうの」

「!?・・・」

「少なくとも、まえにツボミと契約したムマはそうだった」

 リノはどこか寂しげにそう言った。

 朝菜は困惑するしかなかった。

 まさか、ツボミがそんな事実を隠し持ってたなんて。

「っ─・・・」

 ドクドクの心臓が波打った。

 朝菜の額に嫌な汗がにじむ。

「じゃ・・・私、ツボミと仕事なんてできないよ!」

 夢に取り込まれるということは、間違いなく現実世界での“死”を現す。

「それは無理よ」

 リノは即答した。そして、すぐに言葉を続けた。

「あんたたちが人間の記憶を整理しないと、人はあっと言う間に壊れちゃうのよ?」

「それは分かってるけどっ・・・ツボミがそんなスイマだってこと知らなかったし」

 そして、朝菜は口を紡ぐ。

 そう・・・分かっていたらツボミと契約なんてしなかった。

「じゃー朝菜!!そのツボミってやつには悪いけど、契約を解消してもられば・・・」

 翼は絶望に染まりつつ朝菜を助けるように、早口でその言葉を並べた。

 すると、リノの表情はみるみるうちに怒りへと染まっていく。

「絶対ダメ!!そんなことしたら・・・─もうツボミには時間がないのよ!!」

「・・・少しでも時間があれば、別にいいだろ!?

そもそも朝菜を騙して契約させたんだから、契約を解消されても文句は言えないはずだ」

 リノは翼を睨みつける。

「・・・ダメ。ツボミには本当に時間がないんだし・・・」

 リノはそう呟くと、今度は朝菜のことをしっかりと見据えた。

「絶対に契約は解消しないでね。朝菜」

「っ─・・・」

 朝菜はリノの強すぎる視線に目を伏せた。

 本当は今すぐに「ツボミと契約を解消する」と言いたかった。

 けれど・・・言えなかった。

 きっとリノも、なかなか契約相手が決まらないツボミが心配でたまらなかったのだ。

 自分が、なかなか契約相手が決まらない翼のことが心配だったように。

 騙させるように契約をしてしまったからと言って・・・自分はツボミを見捨てるような行為ができるのだろうか・・・。

「・・・!」

 気配が消えたと思い視線を上げると、そこにはリノの姿はなった。

「朝菜。契約は解消してもらうんだよな?」

「・・・・」

 リノの真剣な眼差しが、頭の中から離れなかった。


「舜。機嫌なおしてよ。ここは現実なんだから、上手くいかないことの一つや二つ、仕方ないんじゃない?」

 リノは、さっき立ち寄ったファーストフード店で購入したハンバーガーを頬張りながら、隣を歩いている舜にそう言った。

 舜は相変わらず、その不機嫌な表情を崩そうとしない。

「せっかく朝菜さんに協力してもらおーと思ったのにっ・・・」

 すると舜は、ズボンのポケットから四角く折りたたんである紙を取り出し、それを広げる。

「1、2、3・・・ほら!まだ32人も残ってるんだよ!まだこんなにたくさんの記憶をリサイクルしなくちゃいけないなんて・・・大変だなぁ・・・」

 舜は、はぁーと大きな溜息をついた。

「・・・」

 リノは食べ終えたハンバーガーのパッケージをクシャクシャと丸める。そして、舜の手に持っている“犠牲者リスト”を半ば呆れ気味に見下ろした。

(それなら、最初っからそんなことやらなければいいのに・・・)

 過ぎ去ってしまったことに、こんなにもこだわるなんてリノの中ではありえないことだった。

「まぁーでも、朝菜はあたしの友だちのツボミと契約したんだし、会おうとすればいつでも会えるんじゃない?」

「うーん・・・そうなんだけどさぁ」

「次に会ったとき、朝菜に頼んでみれば?」

「・・・」

 そのこだわりによって、ツボミが朝菜と契約するきっかけになったのだ。

 その面に関しては、本当によかったと思った。

(それに・・・朝菜には契約を解消するなんてこと絶対に無理だし)

 リノは今までの付き合いで、朝菜が“相手が傷つくことを言えない人”だということを理解したのだ。

 だから・・・ツボミの目の前で「契約を解消して」なんてこと、絶対に言えるはずがない。

「ねぇ・・・リノ」

 舜は低い声でそう言うと、突然立ち止まる。

「何?」

 リノも立ち止まり、舜を見た。

「!─・・・」

 舜は真剣味のある眼差しで、リノのことを見上げている。

 明らかにさっきまでとは、様子が違かった。

「リノさぁ・・・僕のやってること、くだらないと思ってるでしょ」

「!─・・・そんなこと思ってないけど」

 リノは即答した。

 どうやらリノの思っていることを、感じ取っていたようだ。

 舜は表情に影を落としたまま、言葉を続けた。

「西園寺瑠の罪を恨んでるのは、僕だけじゃない。母さんは、アイツのせいで毎日悲しそうな顔をするんだ」

「・・・」

 すると、舜はニッコリと笑う。

「だから僕は、もっとたくさん頑張らないといけないんだ!・・・リノも一緒に頑張ろーね!」

「そうね」

 リノも何とか舜に笑みを返した。

 そして二人は歩きだす。

「・・・そうだ!舜、ハンバーガー食べる?もう一つ余ってるんだけど」

 リノは紙袋の中から、ハンバーガーを取り出すしそれを舜に差し出した。

「え~僕はいいや!家に帰ったら夕飯なんだよ!?」

「舜は男のくせに、胃袋が小さいのね」

 リノはクスリと笑って、ハンバーガーを紙袋に戻した。

「胃袋の大きさに男も女も関係ないよ!」

 舜は頬を大きく膨らませる。

 ・・・人間は過去にこだわるが、その分大切な何かを持っているのだろう・・・リノはそう思った。


 その日の真夜中・・・

「瑠はツバサって奴と契約したみたいよ」

 リノは奈雪と芯がムマの仕事から帰った時を見計らって、そう言った。

 きっとこの情報は、直接ツバサに会うことになってしまった、自分しか知らないことだろう。

 トイロが消えたということはミゾレから聞いて知っていたが、その後の情報は入ってこなかった。

 だから、新しい情報をいち早く二人に知らせたかったのだ。

「それは本当なの!?リノちゃん!」

 奈雪は靴を脱ぎすてると、リノのもとへ駆けよる。

 リノは頷いた。

「本人が言ってたし・・・本当だと思う」

「そう・・・よかった」

 奈雪は表情を緩め、微笑んだ。

「それでっ!そのツバサって子はどんな子だったの?」

 奈雪は表情をクルリと変え、今度は興味津津な様子でリノに問いかける。

「そんなことを知っても、今の俺たちには関係ないことだろう」

 リノが奈雪の問いに答えるまえに、芯が低い声でそう言った。

 芯は靴を脱ぐと、奈雪とリノの間をすり抜ける。

「・・・そうね」

 奈雪は芯が目の前を通り過ぎるとき、小さくそう呟いた。

 芯はそのままこちらに振り返ることなく、居間のドアを開け中へ入って行った。

「・・・」

 瑠に関係する話をすると、芯はいつもこうだ、とリノは思った。

 必ず詳しく訊こうともしないし、むしろリノの話を遮ろうとする。

「・・・芯は瑠に関する話をすると、いつもこうね」

 リノがボソリと呟くと、奈雪が口を開いた。

「芯も辛いみたいね。・・・瑠に会いに行けないってことが」

「!・・・──」

「ホント、あの人は素直じゃないわねー」

 奈雪は苦笑する。

「・・・奈雪も。何で会いに行かないの?舜の前で辛そうな顔をするぐらいだったら、さっさと会いに行けばいいのに」

 ・・・そう、舜はきっと奈雪や芯が思っている以上に、兄の罪を気にしているし、奈雪と芯の気持ちを気にかけている。

 奈雪はリノの言葉に苦笑することをやめると、目を伏せる。

「会いに行かないんじゃなくて、行けないのよ」

「─・・・捨てたなんてそんなこと、“会いに行けない”理由にはなってないんじゃない?理由が捨てたってだけなら、いつでも会いに行くことはできるはずよね?」

「・・・」

 奈雪はリノの言葉に口を閉ざした。

 そして、少しの沈黙の後、小さく溜息をつく。

「はぁー・・何でリノちゃんはそんなに鋭いのかしら。・・・確かに会いに行けない理由は他にもあるわ」

「・・・その理由って何?」

「・・・─」

 奈雪は困ったような笑みを浮かべた。

「リノちゃん・・・そのことは私たちの問題よ」

 奈雪はリノから視線を外すと、居間へ向かって歩き出す。

 そして、居間のドアに手をかけた。

「その理由って・・・ムマの掟と関係あるの?」

 リノは奈雪が居間に入ってしまうまえに、そう訊いた。

 ・・・奈雪たちがこんなにも苦しそうなのは、きっと何か縛られているものがあるのだろう。

 奈雪はドアにかけた手をピタリと止める。

 そして、こちらに振り返りリノを見た。

 その表情はどこか、諦めが入り混じっているように見える。

 奈雪は小さく頷いたあと、ドアにかけた手を下ろしゆっくりと口を開いた。

「わかったわ・・・リノちゃんには全て教えてあげる」

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