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第4話(3)

 朝菜はすっきりしない気持ちのまま、自転車をこいでいた。

 空はいつもと同じ青色なのに、朝菜の心はそうもいかない。─・・・今にも雨が降ってきそうだ。

「はー・・・」

 それもこれも今日みた夢が原因なのは、嫌というほど分かっていた。

(まさか舜君があんなことしてるなんて・・・リノは知ってるのかな、そのこと・・)

「・・・」

(違うって・・・!!あれはただの夢なんだからっ)

 朝菜はそう考えなおして、自分を無理やり納得させる。

 そんなことを幾度か繰り返し、朝菜は学校の近くまで自転車を進めていた。

(あっ・・・もうこんなとこか)

 いろいろ考えを巡らせていたせいで、いつもより早くここまできたように感じた。

 だが・・・

(あれっ・・・何か人がいないような)

 いつもなら、徒歩や自分と同じ自転車で学校にくる人たちが多少なりともいるはずなのに。

 朝菜が今、自転車を走らせている学校の正門に続く道には人影が見当たらなかった。

「・・・!」

 朝菜は嫌な予感がして、腕時計を見る。

 だから、みんないないんだ。

 早く着いたと感じたのは、どうやら自分の思い違いだったようだ。

 どうやら自分は、いろいろ考えていたせいでいつも以上にゆっくりと自転車をこいでいたらしい。

「あ~最悪だ」

 朝菜は間に合わないと分かっていながらも、必死にペダルをこぐ。

 とその時、学校の方からチャイムが聞こえてきた。

「はぁ」

(やっぱり無理だったか・・・)

 最近、遅刻することが多いのは気のせいだろうか」

 朝菜は諦めて、いつもと同じペースでペダルをこぐことにした。

 朝菜とすれ違うのは、時々車道を走る車やバイクだけで、学生の姿はやっぱり見当たらない。

(あー・・・せめて遅刻仲間がいたら、心強いのに・・・)

「・・・え!?」

 思わぬ事態が発生した。

 さっきすれ違ったバイク・・その運転手が手を伸ばしてきたと思ったら、ひったくられたのだ。バッグを。

 朝菜は急ブレーキをかけて、自転車をとめると振り返る。

(あの中にはっ・・・最近買ったばかりの漫画が入ってるのに!!)

「!・・・─」

 バイクはエンジン音をたて、この場から去っていくが、バックの中身の一部(教科書数冊)は、すぐ近くの地面にバラまかれている状態だった。

 きっとチャックがないバッグだったので、ひったくられた衝撃で中から飛び出したのだろう。

 朝菜は自転車から降りて、バイクの行く先を目で追う。

 バイクの後姿はまだ見えていたが、朝菜は追うこともできずこの場に立ちつくしている他なかった。

(どうしよっ・・・)

 あの中には漫画の他にも、財布(お金はあまり入っていない)とか、学生証が入っているのに。

 でも、下手に追ったら、バイクに乗ったあいつが逆ギレして襲ってくるかもしれない。もしかしらた、殺されてしまうかも。

 物騒な世の中だし。うん・・・追うのは止めておこう。

 朝菜はひとまず、足元に落ちたままの教科書を拾うべく、この場にしゃがみこむ。

「はぁ・・・」

 今日は朝から溜息ばかりついている気がする。

 教科書を一冊ずつ拾い上げて、胸にかかえながら朝菜はそう思った。

(っていうか・・・ほんとやばいな・・・)

 バッグを持たずに学校に行ったとしても、自分にできることは何もない。

 朝菜はすべての教科書を拾い上げ、立ち上がった。

(でも・・・学校行かないのもやばいし・・・)

「!!!」

 次の瞬間、目に入った光景を見て、朝菜は固まった。

 目の前には、あのひったくり犯がいたのだ。

 いつの間に、戻ってきたのだろう。

 ひったくり犯はバイクから降り、顔全体がすっぽりと隠れるヘルメットはそのままで・・・朝菜の方に大股で歩み寄った。

(もうだめだっ・・・)

「お前に間違いない!!金髪ボブの女子高生!!」

 ひったくり犯はヘルメットの中からそう叫ぶと、ジャケットの内ポケットに手を入れ、何かをごそごそと探し始めた。

「新友の敵、とってやる!!」

 ひったくり犯はそこから素早く何かを取り出し、それを朝菜に向けた。

「!!!」

 それはナイフだった。

 太陽の光に反射して、その刃がギラリと光る。

「え!?・・・ちょっと・・・!!?新友の敵って・・!!?」

 意味が全く分からない。

「とぼけんじゃねぇぇぇ──!!」

 ひったくり犯は、ナイフを高々と振り上げる。

「きゃぁぁ!!」

 朝菜はこの場から全力疾走で逃げだした。

 状況が全くのみこめないが、逃げなくては殺される。

 今までにないくらい、朝菜は必死に足を動かした。

 心臓がドクドクと音をたてる。

(誰かっ・・・助けてっ・・・)

 運悪く、周りには人が見当たらなかった。

 朝菜は学校と反対の方へ逃げてしまったことを、今さらになって後悔する。

 振り返ることすら、怖くてできなかった。

 だが、あいつが追ってくることは確かだ。

 何を言っているかは聞く余裕もないが、何かを叫びながら、あいつは追いかけてくる。

「っ・・・!!」

 きっと街の方に行けば、誰かはいるはずだ。

 朝菜はひっくり返りそうになりながらも、十字路を右に曲がる。

 次の瞬間、瑠の姿が目に飛び込んできた。

「!!」

 朝菜は瑠と正面衝突するのを何とか避けて、足を止めると登校中の彼に助けを求めた。

「助けて!!」

 瑠は朝菜の方に振りかえると、不思議そうに眉をよせる。

 とその時、曲がり角の向こうからひったくり犯がやってきた。

「!!」

 ひったくり犯は丁度、曲がり角に立っていた瑠を、避けることができずに、彼の背中に勢いよくぶつかった。

 瑠は勢いに負けて、コンクリートの道にドサリと倒れる。

 ひったくり犯も瑠と同様、勢いよく道に倒れた。

「いってー・・・!!こんなとこに突っ立ってんじゃねー!!」

 ひったくり犯はそう怒鳴る。

「・・・あっ!」

 丁度、朝菜の足元にひったくり犯のナイフが滑り込んできた。

 朝菜はひったくり犯がこちらを向く前に、そのナイフを拾い上げ道路の向こう側に投げておく。

(こっこれなら・・・少しは安全だ)

「瑠・・・!!瑠なのか!?」

 朝菜がその声に振り返ると、ひったくり犯が、まだ道に倒れこんでいる瑠を見下ろしていた。

 瑠は汚れを払い落しながら立ちあがると、より一層不審な目つきでひったくり犯を見る。

(もしかしてこの二人って知り合いなの?)

 朝菜は思わぬ展開に、ドギマギしていた。

「瑠!俺だよ!施設で仲よかっただろ!?俺ら!」

 ひったくり犯は、瑠に思いだしてもらうよう必死だ。

「・・・それ、外してもらわないと顔見えないんだけど」

 瑠はボソリと呟く。

「しまった!」

 そして、ひったくり犯・・・いや、自分のことを殺そうとした人物の顔をしっかりと確認することができた。

 栗色の髪に丸々とした大きな瞳。典型的な丸顔。

 一見すると、おふざけが過ぎているただの中学生にしか見えない。

「凪・・・!!」

 瑠は顔が明らかになったその人物を見て、目を見開く。

「瑠・・・ちゃんと生きててくれたんだなーー!!俺はてっきり、この女に殺されたものかと・・」

 ひったくり犯─凪は、朝菜のことを睨みつけた。

 朝菜はドキリとして、思わず目を伏せる。

(一体、何言ってんの・・・?)

 ほんと、意味不明だ。

 瑠は少しの間、何も言わず朝菜を見ていたが、やがてその目を凪の方へ向ける。

「凪・・・どうして俺が、朝菜に殺されたって思ったの?」

「はぁ?そりゃー・・・きいたからだ!んで、この写真をもとに、その朝菜って犯人を探してたんだよ。ずっと前からな。お前の敵をうつために」

 凪はポケットの中から、紙きれを取り出すとそれを瑠に見せる。

 朝菜もそれがよく見える位置に移動した。

「・・・」

 そこには白黒コピーされた自分の写真が。それは、中学の卒業アルバムの個人写真だ。

「はぁー。この写真を手に入れるために、どれだけ苦労したことか」

 凪は大袈裟な溜息をつく。

「でも、本当によかった!!またこうして、お前と会えたわけだしな」

 凪は瑠と肩を組み、とても嬉しそうに笑う。

 瑠もそれに微笑みを返した。

「凪、今は何してるの?」

 瑠がそう問いかけると、凪は瑠から腕を離した。

「近くのファミレスで働いてるぜぃ。お前みたく頭がよかったら、高校にでも行けたんだろーけど」

「高校に通ってるからって、それがいいわけじゃないだろ」

「はー?でも、俺からしたら・・・」

 朝菜は踵を返し、歩き出した。

 自分を殺そうとした人の近くにいたくないし、それに一限目が始まる前には教室に入りたい。

 朝菜はさっき曲がった十字路をまた曲がり、学校へ向かう道を歩きはじめる。

「あっ・・・そうだ」

 朝菜は重要なことを思い出した。

 ひったくり犯が瑠の友だちなら、ひったくられた鞄を返してもらえるかもしれない。

 朝菜は来た道を引き返し、話しこんでいる二人に声をかけた。

「あのー・・・かばん、返してくれない?」

 二人は話すことをやめ、朝菜を見る。

「凪、朝菜のかばんをどうかしたの?」

 凪は瑠にそう訊かれても、朝菜のことを睨んだまま口を開いた。

「たまたますれ違ったやつが“瑠を殺した犯人”だったから、かばんを引ったくてやったんだよ!でも、それだけじゃ、怒りが収まらなくてな・・・」

「─・・・」

 とその時、凪が朝菜に手を伸ばしてきた。そして、次の瞬間、勢いよく襟首を掴まれた。

「!!?」

「俺がどんな思いで過ごしてきたか知ってるか!?ここは一発殴っておかないと、気がすまねー!!」

 凪はおおきな拳を高く振り上げる。

 朝菜はあまりの恐怖に思わず、目をつぶった。・・・・が、少したっても何も起こらない。

「あっ・・・」

 そこにはリノがいた。

 リノはヘッドホンを、眠ってしまった凪の頭から外し、それを自分の首にかける。

「ごめん。朝菜」

 リノはまだキラキラとした光の粒が周りを漂うなか、そう申し訳なさそうに言った。

「え、何が?」

 朝菜は突然のリノの登場に内心、焦っていた。

 隣に立っている瑠はリノと面識がないし、それに・・・・

「すべて、舜のせいなの。だから、この凪って人は悪くない」

 リノは眠ってしまった凪を静かに一瞥する。

「えっ・・・舜君のせいって・・・もしかして・・・──」

 朝菜は今日みた夢のことを思い出した。

 舜は砕かれてしまった記憶の鎖のカケラを集めて、新しい記憶にリサイクルすると言っていた。

 やっぱりあれはただの夢ではなかった。

 凪は造られた記憶によって苦しみ、そしてその結果、自分は殺されかけたのだ。

「・・・リノは、舜君が“あのこと”やってるって知ってるんだ・・・」

 それならどうして、リノは舜のことを止めないのだろう。

「え?なんで朝菜が知ってるの?」

 リノは朝菜の言葉に驚いている。

「舜君が言ってたから・・・夢のなかで」

「そういうことね・・・呆れるでしょ?舜のやってること」

「・・・」

 リノは浅く溜息をつき、苦笑いを浮かべた。

(呆れるっていうより・・)

 リノはあまり深刻には考えないらしいが、舜がやっていることは明らかにやばいことだ。

 過去が変わることにより、今が変わり気持ちも変わる。

 それは人にとっては当たり前なことなのに・・・。

「!・・・」

 そのとき、朝菜は瑠がリノのことを不審な目つきで見ていることに気付いた。

(って言うか・・・もうこれ以上、瑠にこの話を訊かれるのはやばい・・・)

 瑠に、実の弟がいると知られてしまうかもしれないし、何より舜が瑠のことをよく思っていることを知られたくない。

 そう思った朝菜は、瑠に、

「瑠はそろそろ学校行ったら・・・?ほら、チャイムなっちゃったけど、一時限目始まる前には教室入った方がいいと思うし・・・」

 瑠は朝菜の言葉に、口を開く。が、瑠より先に言葉を発したのはリノだった。

「・・・りゅう!?もしかして、あんたって西園寺瑠?」

「そうだけど」

「あ``!!」

 やってしまった、と朝菜は思った。

 リノは瞬のパートナー。このこと、を何も言わずに過ごしてくれるということなんてあるだろうか。

「ふーん・・・あんたがね・・・。面影があったから、もしかしたらって思ってたんだけど、こんな偶然ってあるのね」

「─・・・」

「ところで・・・朝菜は彼と仲良し、らしいけど・・・そのこと、舜には話してないみたいね」

 リノは瑠から目を離すと、新しく知った事実を楽しんでいるかのような表情を朝菜に向ける。

「・・・」

 朝菜は黙るしかなかった。

 もしリノが、このことを舜に話してしまったらどうなるだろう。

 舜はきっと朝菜に対して、怒りの感情を持つかもしれない。そして、憎むべき瑠に直接合って、懲らしめてやろうと考えるかもしれない。

「・・・それじゃ、リノ。うちらそろそろ学校行くね」

 朝菜は早く、リノとの会話を終わらせたかった。

 もうこれ以上、瑠に不審がられるのは嫌だ。

「・・・君、俺のことなんか知ってるみたいけど・・・誰?」

 瑠はわずかに眉を寄せ、リノを見ている。

「あたし?・・・見てのとおり、ただのスイマだけど?ちなみに、仕事のパートナーは舜って名前」

 リノはクスリと笑ってそう言った。

「その変なヘッドホンを使うスイマを、ただのスイマというのはおかしいと思うんだけどな」

 瑠はリノに対抗するように、口元を吊り上げる。

「瑠!早く学校行こう!?」

 朝菜は瑠の背中に回り込み、彼の背中をグイグイと押して速く歩くよう必死に促した。

(このままじゃ、リノが何言いだすか分からないしっ)

 そして、朝菜と瑠は半ば逃げるように、リノの前から立ち去った。


「・・・」

 リノは十字路の先に姿を消した二人を見送る。

「朝菜は舜の味方ってわけじゃないみたいね・・・面白くなってきた」

 リノは口元に笑みを浮かべると、その場から姿をかき消した。


「凪の記憶がおかしいのは、その舜って人のせいなんだ?」

「!・・・」

 隣を歩く瑠は、突然そう言うと立ちどまる。

 そこには、真剣味をおびた瑠の顔があった。

「う・・・うん。でも、うちらには関係ないよね。今回は、凪君が記憶を変えられて、ひどいめにあったけど・・・・」

 朝菜は曖昧に笑って見せる。

 ・・・本当は、ひどい目にあったのは自分もなのだが。

 それでも瑠は、表情を動かすことなく言葉を続ける。

「で、そのパートナーが、あの変な道具を持った女子高生のふりをしたスイマってわけだ」

「うん・・・そうだね・・・」

 朝菜はできるならば、この場からすぐに逃げ出したかった。

 これ以上、あの二人のことを瑠に探り入れられるのは困る。

 その事実は、今の瑠にとって、必要ないことなのに。

 ・・・瑠に過去を思い出させるような事実は・・・必要ない。もうこれ以上、辛い思いをしちゃだめだ。

 すると、瑠の表情が陰った。

「ほんと凪は災難だね。俺にも記憶を消されて、その上、嘘の記憶まで作られるなんて」

「─・・・」

 朝菜はそう言う瑠から、自然と視線を外した。

 ・・・やっぱり瑠は、過去の行為を後悔しているみたいだ。

 朝菜にはその気持ちを、理解したくてもできなかった。

 一体、彼はどのくらいの後悔とか悲しみとか思いとかを心の中に留めているのだろう。

「瑠・・・私が言うから。舜君に。・・・そういうことはやめてって」

 そう、今の自分にできることと言ったらそれしかない。

 リノは舜の行為を、くだらない、としか思ってなさそうだし、舜の行為を知り止めることをできるのは自分しかいないのだ。

 瑠は朝菜の言葉に驚いたようだ。そして、口元に薄い笑みを浮かべる。

「いいよ。やんなくても。凪の友だちは俺だし」

「えっ─・・・」

「それに朝菜は“いい夢”を持ってるから、そういうムマには関わらない方がいいと思うよ?

俺がそうだったように、そいつも朝菜の夢を狙ってくるかもしれないしね・・・俺がどうにかするから、そういつのことは」

 瑠の落ち着き払った表情と言葉に、朝菜の心臓の鼓動は早鐘のようになる。

「瑠は何もしないで。お願いだから!!」

 自分の大声に自分で驚いた。

「・・・私、学校行かないと」

 そして朝菜はこの場から駈け出す。

 瑠が舜と会うことは、絶対にあっては駄目だ。そして、それは瑠が実の両親に会うことに直接繋がってしまう。

 瑠は両親に捨てられた。

 だから、そんな親が温かく瑠を迎えてくれるはずがない。

 そんなことになったら、瑠の未来を信じて消えていったトイロさんの想いはどうなるの・・・!?

 朝菜は不安でたまらなかった。


 そして、その日の深夜・・・。

 朝菜の家とは、まったく別の場所・・・。

「トイロちゃんが消えたって本当なの!?ミゾレ!」

「えぇ」

 奈雪がムマの仕事を終えリビングでくつろいでいると、パートナーのミゾレが自分の前に姿を現した。

 そのことでも珍しいことなのに、彼女の口からから発せられた事実は信じがたいことだった。

「それは・・・どうして・・・─」

 もう随分と長い間、合っていない息子の姿が頭の中でチラつく。

「私には分らないわ・・・トイロが消えた理由も、彼が今どうしているかも」

 ミゾレは奈雪の隣に腰を下ろすと、こちらを見て微笑んだ。

 ・・・契約を終えたスイマが消えるときは、パートナーのムマが死んだとき、もしくは他のスイマの鎌で切り裂かれたときだ。

「・・・─」

「いいの?確かめなくて」

 ミゾレは奈雪の体に寄りかかり、ボソリと言った。

 すると、奈雪は立ち上がりミゾレのことを見下ろす。

「私たちはあの子を捨てたのよ?何で今さらそんなことを訊くの?」

「気にしてたのは奈雪さんじゃない」

 ミゾレはその容姿には似合わない、落ち着きはらった表情を奈雪に見せる。

 少しの沈黙・・・

「はぁーほんと、ミゾレにはかなわないわ。こんなに小さいのに、いつも落ち着いてる」

 奈雪は苦笑し、またミゾレの隣に座り直した。

「ふふっ。私の年齢は見ためじゃないから」

「・・・羨ましいわぁー」

 奈雪は大袈裟な溜息をつく。

 あの日・・・自分が瑠のことを捨てた日、から彼の名前は西園寺家ではでることがなかった。

 舜には、兄がいること彼が犯した罪などをすべて話した。

 舜には兄のようになってほしくなかったから。

 そのことについて、舜はどう思っているのだろう。・・・きっと、ショックを与えてしまったことは、間違いないと思う。

 あの時の舜の表情を見れば。

「・・・ミゾレ」

「なぁに、奈雪さん」

「あの子の居場所が分かったとしても・・また分かっているとしても、私たちには絶対に話さないでね」

 奈雪はミゾレを見据え、しっかりとそう口にする。

 “迷い”が伝わらないように。

 ミゾレはそれに少しの沈黙を置いた後、小さく「えぇ」と言った。そして、すぐに彼女は姿を消してしまう。

 誰もいなくなったリビング。

 閉められたカーテンの外は、夜から少しずつ朝へ変わりつつある。

 しかし奈雪は、カーテンを閉め切ったまま暗いリビングに一人でいた。

「─・・・私の記憶も消してくれればいいのに」

 奈雪は唇を噛みしめ、目の淵に溜まった涙を手で拭った。


 その頃、朝菜は・・・

 ベッドの中で寝返りを打っていた。

 目覚まし時計の代わりにしているケータイで、今の時刻を確認する。

AM 5:26

(はやく起き過ぎちゃった・・・)

 アラームが鳴るまでは、まだ1時間ぐらいはある。

 朝菜は2度寝をしようと目をつぶった。

・・・が、またその目を開く。

(こういうときに限って、ぱっちりと目が覚めるんだよな・・)

 と言っても、早く起きても暇なのでベッドの中でごろごろすることに決めた。

「─・・・」

 そんな時、朝菜の頭の中を支配するのは昨日の出来事。

 瑠は、舜のことを探りいれることはしないだろうか。

 あの時はただ、吐き捨てるように言っただけだったので、今度はちゃんとそのことを、瑠に伝えた方がいいかもしれない。

(っていうか・・・舜君の方が問題だよね)

 あの自由な男の子が、朝菜の話をよく聞いてあのリサイクルな行為を止めるとはあまり思えない。

「朝菜。悩んでるみたいね」

「!?」

 朝菜は突然の声にベッドから飛び起きる。

(誰・・・!?)

 朝菜の目に飛び込んできたのは、勉強机の前に立つ、中学生ぐらいの女の子だ。

「誰なの!?」

 ここは確かに現実なのに、知らない女の子が突然現れた。これは、かつてない異常事態だ。

 彼女は微笑む。

「ふふっ。私はミゾレ。瑠の母親のパートナーのスイマよ」

「!!─・・・」

(瑠のお母さんの・・・)

 大きく心臓が波打った。

 瑠の母親のパートナーが、なぜ自分の部屋に・・・?

「瑠って可哀そうな子よね。両親に捨てられるなんて」

 ミゾレはそう言いながら、ゆっくりと朝菜に近づくとストンとベッドの上に腰かけた。

 それと同時に、彼女のポニーテールに結わえた髪がパサリと揺れる。

「・・・どうして─・・・」

「トイロの兄から、あなたのことはきいている。運がよかったんじゃない?瑠に記憶を消されなく済んで」

「!!─・・・」

 朝菜は彼女のことを必死に理解しようとした。

 彼女─ミゾレは、トイロと瑠の関係者だ。そして、過去の瑠、今の瑠の状況さえもよく理解しているように思われる。

 きっと自分よりも。

 黙りこくっている朝菜に対して、ミゾレはその大人びた表情を崩そうとはしない。

 と、ミゾレが朝菜の手を取った。

「!」

 自分より小さいミゾレの掌はひんやりと冷たい。

 そして、彼女は朝菜の服の袖を少しだけたくしあげる。

「やっぱり契約してないのね」

 ミゾレはそう口にすると、朝菜から手を離した。

「・・・」

「可哀そうな瑠を救う方法があるってこと、朝菜は気づいてる?」

「え・・・!?」

(ミゾレは瑠を救う方法を知っている・・・?)

「一体、何・・・?」

 朝菜は迷わずそう訊いた。

 瑠が舜のことを探りいれる前に、早く知りたかった。

「瑠の両親、の記憶を消しちゃえばいいのよ」

「!!」

「瑠を捨てなかったことにすれば、あの二人は何の躊躇いもなく瑠のことを迎えに来てくれる・・・そう思わない?」

「!・・・それはそうだけど・・」

 そんなこと絶対にダメだと朝菜は思う。

 他人の記憶を勝手にいじるなんてこと、絶対にダメだ。

 それに今の自分には、そんな力なんてない。

「朝菜と契約したがっているスイマなんていくらでもいるわ。望めば、すぐに契約なんてできる」

 ミゾレは口元を緩める。そして、片方の手で、朝菜の肩から手首をなぞるそうになでた。

「そして、この腕に契約の証は刻まれ、朝菜は完璧なムマになることができるのよ?」

「!!・・・私はっ契約したとしても、他人の記憶は勝手にいじらない!!」

 朝菜は思わずミゾレの手を振りほどく。すると、ミゾレはその表情から笑みを消した。

「そう・・・・でも、朝菜は瑠のことを救いたいんでしょう?」

「・・・そうだけど」

「瑠の両親をよく知ってる私が言ってるのよ?・・・大丈夫。このことは誰にも言わないから」

「・・・─」

 ミゾレが何を考え、そう言うのか朝菜には理解できなかった。

 それとも・・・ミゾレも瑠のことを救いたいと思ってる・・・?

 ミゾレは微笑んでいた。しかし、その瞳は悲しみで満ちている・・・そう感じたのは朝菜の気のせいだろうか。

「・・・─」

「瑠が真実に気づてしまうのは、時間の問題よ」

(そうだ・・・のんびりと考えている時間はないんだった・・・)

 もしかしたら、ちょっとしたきっかけで、瑠は真実に気付いてしまうかもしれない。

 朝菜は急に怖くなった。

「私っ・・・」

 そう言いかけて目を上げると、そこにはミゾレの姿はなかった。

(・・・いなくなっちゃったし)

 ミゾレは非常識なことを言っている・・・本当にそうなのだろうか。

 ミゾレも確かに瑠のことを想っている。

 そう、彼女も私と同じ気持ちを抱いてるんだ。


 朝菜はいろいろな考えを頭に巡らせながら、階段をおりていった。

 “人の記憶を消す”という行為は決して悪いことではないんだろうか・・・。

 もし、嫌な記憶を忘れることができるならば、それは人にとって幸せなことになるのではないだろうか・・・。

(それに・・・早くパートナーを見つけたい)

 パートナーのスイマを見つけてしまえば、焦りからは解放されるのだ。

 勇気のない自分はなかなかそれができずにいた。だから、何か特別な理由がないと契約への一歩を踏み出せないと思う。

 ・・・でも、理由が見つけられたかもしれない。

 いや、みつかった。

 瑠の両親、記憶を消すという理由が。

 朝菜は一階におりると、洗面所に向かう。そして、顔を洗うと居間に入った。

「・・・」

 居間には誰もいなかった。

 きっと明は、仕事に行ってしまって、夏枝も仕事だろう(もう夏枝は仕事に復帰したらしく、今日は早番といっていた)。

 翼は・・・自室でゲームでもやっているのかもしれない(大学生になった翼は、高校のときよりも登校時刻が遅いようだ)。

「今日は遅刻しないようにしないと・・」

 朝菜はテレビの上に置いてある時計に目をやった。

AM:6:03

(今日は余裕だっ)

 早く起きてしまったせいで、今日は十分に時間がある。

 これで遅刻の心配もない。

(早起きするのもたまにはいいかも・・・)

 朝菜は初めてそう思った。


 のんびりと朝ごはんと食べ、のんびりと着替えていると、あっと言う間に時間は過ぎた。

(そろそろ行くかな~)

 朝菜はカバンを持ち、自室からでる。

「あっ・・・」

 すると丁度、翼も自室からでるところだった。

「朝菜~もう学校行く時間なんだなー。オレはまだ時間あるけど!」

 翼はニコニコと笑う。

「そっかー」

 翼はいつも朝から機嫌がいい。

 朝菜はそんな翼の横を通り過ぎて、階段を降りようとする。

 とその時、声を掛けられた。

「そーいえば、ここら辺で仕事をしているスイマたちが噂してたぞ!まだ契約をしてない女子高生のムマがいるってな」

「ふーん・・・・」

「それ、朝菜のことだと思うんだけどなー」

 朝菜は翼の言葉に、階段を降りようとしていた足を引っ込め、彼の方に振り返った。

「え、何で私?」

 ただ平凡に日々を過ごしていただけなのに、なぜ噂なんてされるのだろうか。

「ん~スイマたちは、できる限り若いムマと契約したんだよ。契約した時点でスイマの寿命は例外がない限り、ムマと同じになるからな。誰だって長生きはしたいだろー?」

「そうだね・・」

「だっから、契約してないスイマたちは必死こいて、できる限り若いムマを探している!

 突然ムマになったやつは、そうそういないし・・・しかも朝菜はまだまだ若いし・・・まぁそういうわけだ」

「ふーん・・・」

 朝菜は思わぬ事実に驚いたが、それと同時に安心感が心を満たしていた。

 それなら早く、パートナーを見つけられそうだ。

 そして・・・早く瑠のことを救うことができる。

「じゃ、私学校行くね」

「おう!いってらー」

 朝菜は階段を駆け降りた。

 もう少しでムマとしての生活が始まることに、期待を膨らませながら。


 授業中・・・。

 5限目。日本史の授業。

 すでに先生は、黒板にたくさんの文字を並べているが、朝菜はそれをノートに写すこともままならない事態に陥っていた。

 その理由は、教室にリノがいるからだ。

 リノは白い鎌を振りまわし、クラスメイトたちの気をとっては満足げな笑みを浮かべる。

 そのお蔭で、クラスの大半は授業中にも関わらず眠りこけている状態だった。

(かなり気になるんですけどっ・・・)

 幸いなことに、日本史の先生は、生徒が寝ていても気にする様子なく授業を続けているので、教科書の内容自体は上手い具合に進んでいるようだ。

「ねぇ。朝菜。西園寺瑠ってどんな人?どうやって知り合ったの?」

「─・・・」

 リノは食事を終えると、今度は朝菜の横に立ちそんなことばかり訊いてくる。

 が朝菜は、そんな質問に答えるつもりなんてさらさらなかった。

「リノ。私と瑠が友だちだってこと、舜君に言わないでね。絶対にっ」

 朝菜は周りの席の子たちが寝ているので、なんとかそう言うことができた。

 もちろん小声で話さないといけないのだが。

 リノはそれに面白がっているような笑みを浮かべる。

「どうしてそう言うわけ?ばれちゃまずいことでもあるの?」

「だって瞬君は瑠のことが嫌いなんだよね・・・。だからっ私が瑠と友だちだってしったら、舜君ショック受けると思うんだけど」

 リノは朝菜の話を聞きながら、隣にある机へ腰を下ろすと足を組む。

「理由はそれだけ?」

 そしてリノは微笑んで朝菜を見た。

「そう・・・だけど」

 しかし、実際には他にも気になることがたくさんある。

 ・・・瑠に関することはあまりリノに話したくなかった。

「ふーん・・・別にいいじゃない。それぐらい言っちゃっても」

 リノは明らかに不満そうだ。

「駄目!絶対やめてねっ」

 朝菜は強く言った。

 もし、そんなことなんてされたら舜は何をするか分からない。

 人の記憶を簡単にいじってしまう彼なのだから、少しでも不満なことがあると怒りの矛先を朝菜に向ける可能性だって十分にある。

「・・・分かった。朝菜がそこまで言うなら黙っておいてあげてもいいけど・・・」

 そこでリノはニコリと笑う。

「あたしが紹介したスイマと契約してくれることを条件でね」

「・・・は?」

 朝菜は思いもしなかったリノの言葉に、目を丸くした。

「あたしの友だちに、まだ契約してない子がいるの!別にいいでしょ。どうせ朝菜も契約しないといけないんだし」

「・・・─」

(まぁ確かにそうなんだけど)

「・・そのリノの友だちって、どんな子なの?」

「朝菜が想像するような悪い子じゃないから。歳も近いし、仲良くなれると思うけどね」

「・・・そうなんだ」

 早く契約相手をきめてしまえば、焦りからも解放される。

 ・・・これはチャンスだ。

「分かった。その子と契約するから、舜君には何も話さないでね」

「やった!ありがと。朝菜。・・・じゃ、日が沈んだ後、この近くに公園あったでしょ、そこで待ってるから」

 リノはその言葉を言い終えたと同時に姿をかき消してしまった。

(よかった・・・やっと行ってくれた)

 朝菜はまたシャーペンを握る。

 ・・・リノの友だちのスイマがどういう子か気になった。

 自分と気が合う子だったらいいな、朝菜はそう思いながら黒板の続きをノートにとり始めた。

 とその時、授業終了のチャイムが教室に鳴り響く。

 先生は教科書を閉じ、「今日はここまで」と言うと、そそくさと教室から出て行った。

(やっと終わったー)

 チャイムと同時にクラスの人たちはやっと起きたようだ。

 教室はあっと言う間にざわめきで満たされる。

「ずいぶんと大食いなスイマがいたみたいだね」

 教科書を机の中に押し込んでいると、そう話しかけれた。

「あー・・・そうだね」

 朝菜はいつの間にか隣に立っていた瑠に驚きながらも、曖昧に微笑む。

「俺が思うに、朝菜が話してたのはこの前の朝会った、女子高生のふりをしたスイマだろ?」

「・・・多分」

 朝菜は言葉を濁して言ってみる。

「否定しないってことはそうなのか。・・・朝菜、俺がこの前言ったこともう忘れたの?」

「・・・」

「あのスイマに関わっても、ろくなことにはならないって言ったんだよ」

 瑠は苛立ちの混じった表情で朝菜を見る。

(・・・もしかして私のこと、心配してる・・・?)

 しかしもしそうだとしても、朝菜にも心配事があるのだ。

 せっかくリノがスイマを紹介してくれるのだから、みすみすこのチャンスを逃すわけにはいかない。

 ・・・朝菜がそんなことを考えて、黙りこくっていると、瑠はそそくさと自分の席へ戻って行った。

「・・・はぁ」

(まぁ・・あの瑠が私のこと、心配するはずないよね)

「平野ちゃーん。次、移動教室だよー」

「うん!」

 教室の出入り口に立つ千絵は、すでに教科書を手に持ち準備を済ませていた。

 朝菜も机から理科の教科書を引きだすと、千絵のもと向かった。

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