第4話(2)
朝菜は自宅に到着すると、いつもの場所に自転車をとめた。
(結局、会えなかったか・・・)
一通り、学校付近は自転車で走り回ったが、リノに会うことはできなかった。
そのせいで、もうすっかり太陽は沈みかけている。
「はぁぁ・・・」
朝菜は深い溜息をついた。
─・・・なんだかとても疲れてしまった。
自転車の籠から鞄を取り出し、肩にかける。そして玄関に向かった。
「やっとみつけた!」
「!」
朝菜は聞き覚えのある声にはっとし、振り返る。
「リノ・・・ちゃん」
そこにはリノの姿があった。
・・・まさか、リノから合いに来てくれるなんて。
「朝菜。ちゃんづけはやめてよね!あたし、そーいうキャラじゃないし」
「え・・・わかった」
(・・・今が返すチャンスだっ)
朝菜はバックを開けると、急いでヘッドホンを取り出し、リノに差し出す。
「やっぱり、あんたが持ってたのね・・・」
リノは安心しきった表情を浮かべる。
「これ、舜からもらった大切なものだから、なくしたらどうしよーかと思ってたの」
「・・・」
リノは朝菜からヘッドホンを受け取ると、それを自分の首にかけた。そして、満足げに微笑む。
「・・・その・・・舜って誰なの?」
朝菜はリノが時々口にする、この名前が少し気になっていた。
リノは朝菜の言葉に、薄い笑みを口元に作る。
「舜はあたしのパートナー。もちろん“仕事”のね」
「・・・そうなんだ」
「・・・」
「・・・」
「・・ねぇ」
「?」
リノは突然、真剣味のある表情を浮かべた。
「褪せた記憶は・・・夢と同じだと思わない?」
「・・・は?」
朝菜はリノが発した不自然な言葉に眉を寄せる。
「リノ・・・それってどういう・・・」
「でも、あの子は違うみたい」
「?・・・」
するとリノは、ヘッドホンを首からゆっくりと外した。
「いい曲だったでしょ?もう一度、聴いてみて」
「!・・・いやっ私はもういい・・・」
(っていうか・・・そのヘッドホンつけると・・・)
スイマの鎌が使える状態になってしまう。
リノは自分を眠らすつもりなのだろうか。
・・・が、リノは朝菜の言葉を聞く様子なく、ヘッドホンを朝菜の頭にすぽっと被せた。
「!・・・やめてよっ」
朝菜はヘッドホンを外そうとするが、その手をリノに捕まれてしまう。
「!?」
朝菜がリノの行動に戸惑っている間にも、その音楽は頭の中に流れ込んでくる。
「─!!」
そして、リノの鎌は朝菜の体を大きく切り裂いた。
「!・・・」
朝菜は目を覚ました。そして、それと同時に体を起こす。
(ここ・・・何処!?)
朝菜は今まで自分が寝ていたベッドから足を下ろすと、辺りをキョロキョロ見渡す。
見た限り、ここは誰かの部屋らしい。
落ち着いた色のカーテンに、大きな勉強机。その隣にある本棚の上にのっているMDプレイヤーからは、今はやりのアップテンポの音楽が流れていた。
(誰の部屋??)
朝菜はひとまず、部屋をぐるりと一周してみる。
「・・・」
そして、閉めきっているカーテンを少し開いて、外の様子を窺って見た。
(もう真っ暗・・・)
すでに外は、夜になっていた。
ここから見える、家の窓や街灯も柔らかい光を灯している。
(っていうか・・・本当にここどこ?)
朝菜の目に映る景色は自分の知るものではなかった。
「・・・」
朝菜はカーテンをもとに戻すと、この状況から抜け出す方法を必死に考えた。
リノがなぜ自分をここまで連れてきたか・・・分からないが、あまりよくない感じがする。
(だとしたらっ・・・)
「?・・・」
部屋の真ん中に小さなテーブルがあった。
その上に広げてある一枚の紙に朝菜の目がとまる。
いや・・・正確には、その紙に書いてある文字に目がとまった。
「犠牲者リスト・・・?」
とても・・・いやな感じだ。
朝菜の心臓の鼓動は、一気に早くなる。
そこには、氏名、住所など細かい個人情報が書かれてあるようだ。
「!・・・」
朝菜は見覚えのある名前が目に入って、思わず紙を手に取る。
(これって・・・─)
「あーそれ、見ちゃったんだ」
突然、リノが朝菜の前に現れた。
朝菜は思わず固まる。
「まっ別にいいんだけどね」
リノは少しだけ笑うと、朝菜から紙を抜き取った。そして、紙面に目を走らせる。
するとすぐ、リノはリストをまた朝菜に見せてきた。
「平野夏枝・・・彼女ってあんたの知り合い?」
「・・・」
リノが指で示したところは、間違いなく自分の母親の名前が記されている。
朝菜は戸惑った。
なぜこんなリストに、母の名前が・・・?
犠牲って・・・何の?
「ちょっと、朝菜―。聞いてる!?」
「・・・」
「もしかして、知りあいじゃなかった?名字が同じだから、もしかしたらって・・・舜に頼まれたんだけど」
「犠牲って何の・・・?」
自分の声は思いの他、動揺が隠しきれていない。
とその時、部屋の扉から小学生くらいの男の子が入ってきた。
「!!・・・」
朝菜は思わず彼を凝視する。
銀の髪に銀の瞳・・・彼は間違いなくムマだ。
「舜、彼女が平野朝菜」
リノはリストをテーブルの上に戻すと、そう口にした。
「そろそろ来てくれるかなーって思ってたんだ!」
彼─舜は、ニコッと笑うと手に持っているお菓子やカップが乗ったおぼんを、テーブルに置いた。
そして、朝菜に笑いかける。
「はじめましてー!朝菜さん」
「は・・・はじめまして」
朝菜は何とかそう返すことができた。
「まぁー座ってよ」
「・・・」
舜はその場に腰を下ろす。
朝菜も戸惑いながら、テーブルの前に腰をおろした。
少しの沈黙。
・・・今、部屋を満たしているのはMDプレイヤーから流れてくる音楽だけだ。
「朝菜さん。この曲、いいと思わない?」
「えっ・・・あ・・・そうだね」
いい曲かどうかなんて、判断できるほどよく聞いていたわけではないが、朝菜はとりあえずそう言っておく。
「やっぱりそうだよね!僕、この曲がこのアルバムの中で一番好きなんだー」
舜は嬉しさいっぱいの表情で、また笑う。
「はははー・・・」
(って言うか、話したいのはそのことじゃなくて・・・)
朝菜は助けを求めて、勉強机の上に腰を下しているリノに目をやった。
リノは朝菜の視線に気付いて、口を開く。
「で、朝菜。平野夏枝はあんたの知り合いなの?」
「・・・私の母親だけど」
リノと舜の表情が大きく動いた。
それと同時に、そのことを言ってしまってよかったのか・・・そのような考えが頭の中でチラついた。
「やったー!!」
突然、舜がそう言って朝菜に抱きついてくる。
「!?・・・」
朝菜は思わぬ出来事に目を丸くした。
・・・何がそんなに嬉しいのだろうか。
舜は朝菜から離れると、
「それじゃ、もちろん西園寺瑠のことを恨んでるよね?」
「は・・・?」
(何で瑠・・・?)
朝菜は顔をしかめる。
まさかこの舜という男の子が、瑠の名前を口にするなんて。
「だって、そのリストに載っているってことは、朝菜さんのお母さん、西園寺瑠に記憶を消されちゃったんでしょー?」
「!!・・・」
今、このリストの意味が明らかになった。
このリストの犠牲者というのは・・・瑠が過去に犯した罪の塊。
舜が期待に満ちたまなざしで、こちらを見てくる。
「・・・私のお母さんは、記憶、消されてなかったよ。もう・・・全部思いだしたし」
朝菜は舜の表情を窺った。
舜はキョトンとし「そうなんだ」と呟いた。
「・・・でも、どっちにしろ、自分と同じ“ムマ”がそんな最低なことをするなんて許せないよね!?」
舜は今までと違い、力強い声で朝菜に問いかける。
「っ・・─」
朝菜は許せない、と言えるはずがなかった。
確かに瑠は、夏枝・・・そして、自分の記憶をも消そうとした。でも・・・。
「舜君・・・私は・・・」
「瞬―!そろそろ仕事の時間じゃないのー!?」
下の階から、その声が聞こえてきた。
舜はそれに「はーい!」と返事をすると、朝菜に笑いかける。
「朝菜さん、続きはまた今度ね」
「・・・」
舜が立ち上ったのと同時に、リノが口を開いた。
「あー舜、あたし、朝菜のこと家まで送って行くから!だかた、ちょっと待ってて」
「うん!分かった」
リノは机の上から降りると、窓の方に歩み寄る。そして、カーテンをバッと開いた。
「朝菜。帰ろうか?」
リノは肩越しに振り、朝菜を見る。
「あっ・・・うん」
リノはそのまま窓を通り抜け、外へでて、朝菜はその場で立ちあがる。
「朝菜さん。夜道は危ないから気をつけてね」
朝菜が窓を開けようとしたところで、舜がそう口にした。
「・・・」
振り返ると、そこには満面の笑みの舜がいる。
・・・朝菜も何とか笑顔を返すと、窓を開けた。
すると、ベランダには自分の靴がきちんと用意されている。
「・・・」
(っていうか・・・・)
「私、玄関からじゃないと、帰れないんだけど・・・」
今思えば、自分はリノのように、屋根の上を移動できるわけではないのに、ベランダから家に帰ることなんてできない。
すると、ベランダの柵の上に乗っているリノが手を差し伸べてきた。
「朝菜。あたしの手、握ってくれる?そうすれば、早く家に帰してあげるから」
「!・・・分かった」
朝菜は慌てて靴を履き終えると、差しのべられた手をしっかりと握った。
リノは微笑んで、朝菜の手を握りかえす。
その瞬間、リノは力一杯、飛んだ。
「!!・・・」
朝菜は驚いて、声もでなかった。
今、自分はベランダの柵を飛び越えた。そして、隣の家の屋根よりも高く、あがっていく。
リノと手を繋ぐだけで、自分はこんなこともできるんだ。
足の裏から、手の指の先まで、夜の風が伝う。
「朝菜!ちゃんと前見て!!」
「!?」
リノの声にハッとした瞬間、目の前に太い木の枝が迫っていることに気付いた。
朝菜はそれを避けようとするが・・・
「う``・・・」
見事、木の枝は、朝菜の額に直撃した。
「だっ・・・大丈夫?」
リノは肩越しに振り返り、ギョッとした顔をする。そして、朝菜の手を引いたまま、足の下の方にあった枝の上に上手く着地した。
朝菜も痛めた額に顔をしかめながら、リノの隣で足をつく。
・・・とても、足場が不安定だ。
「朝菜。ひとまず座ったら?」
「・・・うん」
朝菜はリノに手を借りながら、腰を下ろす。
リノもその場に腰を下ろすと、朝菜の顔を覗き込んできた。
「うわ・・・血でてる」
「え``?」
朝菜は前髪を分けて、額に触れてみた。
その瞬間、嫌な感触が。
触れた指先を確認してみると、案の定、そこには赤い血が広がっている。
「・・まーでも、少し切れただけみたいだから、大丈夫でしょ?」
リノは溜息混じりにそう言って、朝菜から視線を外した。
「あー・・・うん」
(最悪だー・・)
まさか、こんな目立つところに傷ができてしまうなんて。
「あっ。そうだ」
リノは何かを思いついたように、制服のポケットから何かを取り出す。
「昼間の絆創膏が余ってたんだよね」
リノは絆創膏のパッケージをビリビリとはがすと、それを朝菜の額に貼り付けようとする。
「まさか、あんたに2回も怪我させちゃうなんてねー。ホント、やんなっちゃったって感じ!」
「あはは・・・大丈夫だよ!」
朝菜は断るに断れず、リノに絆創膏を貼ってもらった。
(まぁでも・・・すぐに治るよね)
「あたしねー時々ここに座って、街の様子を眺めるの」
リノは口元に笑みを浮かべ、そんなことを口にした。
「そうなんだ・・・」
朝菜も木々の間から見える街の様子に、目を向けた。
今、気づいたが、ここは通学路にある街路所の上のようだ。
見慣れた場所だが、こうして眺めると、また違った景色に見えて新鮮さを感じる。
「人間って・・・どうして過去にすがりつくの?」
「え?」
朝菜はリノの突然の言葉に、彼女を見る。
リノはどこか冷めたような眼で、遠くの街並を眺めていた。
「舜もそう。・・・舜も過去にすがりついて、あんなに必死になってるし。で、その気持ちを“誰のためでもない音楽”で間際らしている。あーくだらない・・・ってあたしは思うんだけど」
リノは街並みを見据えたまま、そう口にした。
「え・・・」
リノの言葉には、トゲがあるように聞こえる。
朝菜はその言葉に、焦りを感じていた。
リノの本音は、朝菜が思っている以上に厳しいものだった。
「過去なんて人間のみる夢と同じぐらいくだらない。・・・朝菜はどう思う?」
リノはその目を朝菜に向けた。
「・・・えっと」
朝菜の頭に浮かんだのは、瑠の顔。
・・・きっと瑠にとって、過去は切っても切れないものだ。
いや・・・瑠だけではなく、自分にとっても・・・誰にとっても切っても切れない大切な時間だ。
そんな時間は、決して・・・
「過去は・・・くだらなくないと思うよ」
リノは朝菜の言葉にハッとした。
「あっそうだよね・・・朝菜はムマだけど、人間だしね!」
「・・・」
「舜もさー・・・お兄さんが過去にしたことをすごく気にしてて・・・で、あんなに必死なわけ」
リノは「はー」と大きな溜息をつく。
「え・・・?お兄さん・・・」
「そーなの。西園寺舜のお兄さんは、西園寺瑠・・・会ったことのないお兄さんのことなんて、気にする必要ないのにね」
「・・・」
(瑠に弟なんていたんだ・・・)
しかも、リノの話からして、舜は瑠にあったことがないらしいから・・・瑠も舜に会ったことがないということになる。
というか・・・瑠は幼い時、両親と離れたんだから・・・
(知らないよね・・・弟がいるってこと)
「あっ!舜のこと待たせてるんだった」
リノはそう言って、立ち上がる。そして、朝菜に手を差し伸べてきた。
「それじゃ、そろそろ行こうか!」
「うっうん」
朝菜はいろいろな考えが渦巻く中、リノの手を取る。
リノは自分に優しくしてくれている・・・でも、自分とはまったく違う、朝菜は改めてそう思った。
「朝菜―どこ行ってたんだよ?」
玄関の戸を開けて、家に上がったとき、2階から降りてきた翼がそう言った。
朝菜はその瞬間、何を言うか即座に考えた。
本当のことを言うと、いろいろと面倒なことになりそうだし・・・ここはひとまず・・
「・・・友だちの家に行ってたら、遅くなった」
「そっか。俺たちはもう夕飯食べ終わったから、残ってるおかずチンして食えよっ・・・だって母さんが」
「・・・分かった」
朝菜は翼の横を通り過ぎ、キッチンへ向かう。
・・・どうも瑠の弟の存在を知ってから、もやもやが心の中を埋め尽くしていた。
(しかも・・舜君、瑠のことをあまり・・・っていうか、かなりよく思ってなかったよね・・・)
朝菜は大きな溜息をつく。
「朝菜ー溜息なんてついて!どうした?」
「・・・」
そこにはまだ、翼の姿がある。
「お兄ちゃんはいつも元気でいいよね・・・」
朝菜はニコニコしている翼の表情を見て、本気でそんなことを思った。
「そんなことないぞ!?・・・ゲームでかなーり苦戦してた敵を倒すことができたからっ・・・今はたまたま元気なんだ!」
「そっかー」
(私にとっては、いつも元気に見えるけど・・)
朝菜はニコニコしている翼から視線を外して、居間に足を踏み入れる。
・・・テーブルの上には、自分の分の夕食がきちんと用意されていた。
その時、朝菜はあることを思い出す。
「・・・ねぇお兄ちゃん」
「ん?」
階段をのぼろうとしていた翼は、足をとめた。
朝菜はバックを居間に置いてから、翼に歩み寄る。
「もし・・・お兄ちゃんに会ったことのない弟がいたら、どうする・・・?」
翼は朝菜の問いに眉を寄せた。
「はぁ?なんでそんなこと訊くんだよ?」
「別にいいじゃん!・・・で、どうするの?」
「・・・」
翼は考える仕草をすると、口を開いた。
「まー・・・会いにいきてーって思うかもな」
「・・・もし、その弟が自分のことを嫌ってることが分かって・・・それでも会いに行きたいと思う?」
「うーん・・・そうだったら、会いに行く気はしないなぁ」
「・・・」
(・・・やっぱ、そう思うよね)
朝菜は少し安心した。
どうせ、会う気がしないんなら、瑠に“そのこと”を話す必要は・・・ないと思うし。
「そうか!分かった」
朝菜は翼にそれだけ言うと、居間へひきかえした。
そのことは瑠に言う必要はない、と自分に言い聞かせて。
その日の真夜中・・・
翼は瑠の家にいた。
仕事の時間の少し前に、翼はいつも瑠の家に行くようにしているのだが、どうやら今日は早く来すぎてしまったようだ。
そのせいで、翼はかなり後悔していた。
瑠は翼が速く来ようが、来まいが、仕事の時間までは自分の時間を満喫しているのだ(ソファに座って漫画を読んでいる)。
だから、翼は・・・
(暇だっ・・・!!)
瑠は翼が部屋に姿を現した瞬間だけ、こちらに目を向ける。が、その後は漫画を読むことに没頭してしまう始末だった。
「・・・」
沈黙が苦手な翼は、ひとまず部屋の中を歩きまわってみる。が、この嫌な沈黙は紛れることはない。
(よし・・・ここは楽しい話でもして、この場の雰囲気を盛り上げっか!)
翼は足を止めると瑠を見た。
「瑠!どんな漫画読んでるんだ?面白いか!?」
沈黙・・・。
翼がその沈黙に焦りを感じ始めたとき、瑠はゆっくりと顔を上げる。
「何?さっき何か言った?」
「なっ・・・!!」
翼は真面目にショックを受けた。
せっかく、雰囲気を盛り上げるために頑張っているのに・・・!
それに、パートナー同士なのだから、少しは仲良くしようとは思わないのかっ。こいつはっ。
翼はそう思いながらも、次に言うべき楽しい話題を頭をフル回転させて考える。
「そっそう言えば、今日、朝菜が変なこと言ったんだよな」
・・・その言葉に、瑠は漫画から目を外し、こちらを見た。
翼は内心、ホッとしながら言葉を続ける。
「もし、自分に会ったことのない弟がいたらどうする?って訊いてきたんだよ。変だよなー!まっ・・・きっと、読んだ漫画にそういうのが・・・」
とその時、翼はあることに気付いた。
瑠の表情がいつもと違う。
「・・・朝菜がそう言ったんだ」
瑠は翼の目をしっかりと見据えた。
「そうだけど・・・」
「ふーん」
瑠は漫画を閉じると、それをテーブルの上に置き立ち上がる。
「もし俺に会ったことのない弟がいたら・・・俺は・・そいつに・・・」
瑠はそこまで口にすると、言葉を止めた。と同時に、口元に笑みを作る。
「さて・・仕事に行こうか。センパイ」
「・・・」
翼はまた、後悔していた。
どうやらこの話題は、瑠にとってタブーだったようだ。
彼の今までとは違う表情を見れば、嫌でもそのことが分かった。
(あ~何も話さなければよかった!!)
朝菜は待合室のような場所にいた。
それほど広くはなく、ちょうど自室ぐらいの広さだ。
白い壁には寂しげな雰囲気のある、青い花の絵がポツリと飾られている。そして、部屋の中央には使いこまれた様子のテーブルとイスが何脚か。
朝菜はそんな椅子のうちの一脚に座っていた。
朝菜以外、椅子に座っている人はいない。
しかし、部屋の出入り口付近には、朝菜と同じぐらいの歳の女の子が3人いた。
彼女たちは、ひそひそと何かを話している。
(何話してるんだろう・・・)
丁度、ここからでは彼女たちの表情を見ることはできず、楽しい話題なのか、そうでないのかさえも分からない。
(っていうか・・・)
なぜ、自分がここにいるのかさえ、今の朝菜には分らなかった。
ただ分かるのは、“何かをここであの女の子たちと一緒に待っている”ということだけ。
何のためにここに来たのか、何をここで待っているのか、いくら考えてもその答えは浮かんでこない。
その時・・・出入り口の扉が勢いよく開いた。
「あなたたちの番よ!」
扉をあけるなり、そう叫んだ女の子の顔を見て、朝菜はドキリとする。
(海夜じゃん・・・)
海夜はこんなところで、何をしているのだろうか。
というか、彼女は本当に海夜なのだろうか。
あんなに焦っている海夜なんて、今まで見たことない。
海夜は出入り口付近にいた女の子たちに、速く部屋からでるよう促している。
女の子たちは、騒ぎながら部屋からでていき、海夜はそれを見届けると椅子に座ったままの朝菜に目を向けた。
「朝菜も速くして!速くしないと大変なことになるわよ!!」
「は・・・?」
海夜は今だに状況がつかめず、ポカンと口を開ける。
「ほらっ速く!」
海夜は朝菜の方に大股で歩みより、朝菜の手首を引っ張った。
朝菜は頭が混乱するなか、立ち上がって言った。
「一体何があるの!?」
「今さら何言ってるの!?」
海夜は朝菜の問いに、苛立った声でそう返した。そして、朝菜の背中をぐいぐいと押す。
「走って!」
「・・・」
朝菜は海夜に促されるまま、走りだした。
・・・海夜の様子を見る限り、走る他なかった。
部屋から出て、廊下を走る。
白い壁に、暗いグレーの床。
「あの人があんなに怒った姿、見たことない・・・」
朝菜の隣を走っている海夜が、そう呟くのが確かに聞えた。
彼女は明らかに、恐怖の表情を浮かべている。
すると、周りの景色が一変した。
「!!」
朝菜はいつの間にか人だかりのなかにいた。
辺りは人のざわめきで満たされ、すぐ目の前には、向こう側の敷地に立ち入りを禁止する鉛色の柵が立ち連なっている。
「あの人があんなに“膨れ上がる”なんて・・・そうとう怒っているのね・・」
海夜の声が背後から聞こえた。
「!─・・・」
朝菜は目の前の光景に大きく目を見開く。
柵の向こう側にある、広々としたフィールド。そして、その中央には何か、がいた。
あれは・・・人間だ。
但し、普通の人間の倍以上はあるだろう巨大な体。それは、太っているとは表現できないほどパンパンに膨れ上がっている状態だった。
(なにあれ・・・本当に人間なのっ・・・?)
あまりに奇妙な光景に、朝菜の額から嫌な汗が一気に噴き出す。
“あれ”は少したりともあの場から動かないし、目が開いているのか、息をしているのかさえもここからでは遠すぎて確認することができなかった。
「あの人が怒っているのは、朝菜がのろのろしていたせいよ。はやくどうにかして!!」
後ろにいる海夜が、朝菜の背中をぐいぐいと押す。
「どうにかしてって言われてもっ・・・」
朝菜はこの場に留まろうとしたが、海夜の強い力のせいでどんどん前へと押されてしまう。そして、朝菜は柵の中に追いやられた。
「!・・・─」
確かにそこに柵があるのに、朝菜は柵をすり抜けたのだ。
(何で・・・!?)
朝菜は瞬時に振り返った。
鉛色の柵の向こう側には、海夜がいた。
海夜以外の人々は、朝菜がフィールドに入った瞬間、歓声をあげたが、海夜だけは憐れみの入り混じった表情でこちらを見据えていた。
しかし、今の朝菜は、そのことよりも、柵の向こう側の人々の活気に戸惑いを隠せない状況だった。
なぜ人々は、あんなに楽しそうなのだろう。
「!!」
その時、気配、を感じた。
振り返るとそこには、膨れ上がった“あれ”がいた。
朝菜は突然のことに、恐怖で固まる。
「朝菜!」
「!・・・」
朝菜は海夜の声にはっとし、この場から離れようと駆けだした・・・が、床を蹴る力が強すぎて空中に投げ出される。
朝菜は妙にゆっくりとしたスピードに空中を漂い、上へのぼる。
(こんなのっ・・・ありえない!!)
と、目の前に柵のてっぺんが見えてきた。
朝菜はそこに、足をかけてみる。
このまま空中を漂っていても、天井にぶつかるだけだろうから。
「・・・」
朝菜はあっけなく、細い柵の上に立つことができていた。
バランスをとる、とらないの問題ではなく、まるで床に足をついているように、足の裏にはなんの違和感も感じない。
朝菜はひとまず、安堵していた。
こんな高い柵の上に立っていれば“あれ”も追ってこないだろう。
「朝菜さん!」
聞き覚えのある声がした。
横に振り向くと、そこには舜がいた。
舜は柵に腰かけ、足をブラブラさせながらニコリと笑う。
「朝菜さんの夢ってすごくユニークなんだね!」
「・・・ってことは、ここは夢の中なの?」
朝菜は突然の彼の登場にドキリとしたが、とっさにそう訊いた。
・・・朝菜の耳に、まだ人々の歓声は入ってくるし、見下ろせばあれ、が威圧感たっぷりでそこにいるのに。
「うん、そうだよ。あれ・・・気付いてなかったんだ?」
「・・・」
すると、舜は何かに気付いたように突然立ち上がった。
「ちょっといい?」
舜はそう言うと、朝菜の手を取る。
「え、何・・?」
朝菜は何事かと思っていると、舜は朝菜の服の袖を少しだけめくる。
「やっぱり契約してないんだね」
舜は朝菜の手首辺りを見てそう言うと、手を離した。
「ねー何で契約しないの?ムマの仕事ってすごく楽しいのに」
舜は興味津津の表情で朝菜を見上げる。
(何でって訊かれても・・・)
朝菜は舜の視線から逃げるべく、視線を横へずらす。
自分がムマだと知ったのは、つい最近のことだし、それにそこまで詳しいことは舜に話したくないというのが朝菜の本音だ。
「いろいろあるんだよ・・・って言うか、ムマの仕事ってそんなに楽しいの?」
「うん!」
「・・・」
夏枝や明が、自分にムマだということを知らせなかったから・・・てっきりムマの仕事はよくないことが多いと思っていた。しかし、そうでもないらしい。
「だってこの世界は、何でもできるんだよ?だから、なーんにも我慢する必要なんてないんだ!」
舜はとても幸せそうに笑う。
朝菜はとても嬉しそうな舜を見て「そうなんだ・・・」という他なかった。
「朝菜さん!見てみて!」
舜はそう言いながら立ちあがると、細い柵の上から片足を離し、もう一方の足だけでそこに立つ。
「ちょ・・・危ないって!」
夢の中だと分かっていても、とても見ていられない光景だ。
この柵の上から、床まではけっこうな距離がある。
舜は朝菜の言葉は気にする様子なく、また笑顔を見せる。
「ほらっこんなこともできちゃうんだ!」
舜は柵の上から大きくジャンプすると、空中で一回転する。そして、落ちる寸前で柵を両手で掴み、その上に逆立ちをしている状態になった。
「すごっ・・」
朝菜は逆立ちをしたままの舜に、ただただ見入ることしかできない。
すると、舜が柵から片手を離し、今度はくるくるとバク転を始める。
舜はそのまま柵の上をくるくるバク転をしながら移動し・・・そして、彼の体はその勢いのまま空中に投げ出された。
「あっ・・・!!」
舜は空中をくるくる回りながら、ゆっくりと下降する。その時、彼の背中から大きな白い翼がはえた。
翼がはえた瞬間、舜の回転はとまり彼の体はフワリと浮きあがる。
「・・・」
(本当に何でもできるんだ・・・)
開いた口が塞がらない状態とはきっと、今の自分のことだろう。
舜は大きな翼をはばたかせ、朝菜のもとへやってくる。
「舜君・・・すごいね」
朝菜がそう言うと、舜は朝菜の目線の高さまでフワリと下りてきた。
「そーぉ?」
舜は満足げな笑みを浮かべる。
「ねぇねぇ・・・私にもそういうこと、できる?」
朝菜はそう舜に問いかけた。
あのような大きな翼で空を飛べるなんて、できたとしても夢のなかだけだ。
「それじゃ、やってみる?」
舜は微笑む。そして、朝菜の背中を強く押した。
「っ・・・!!」
朝菜はバランスを崩す。
「きゃぁぁ!!」
そして、頭から真っ逆さまに落下した。
(やばいっ・・・死ぬ!!)
と思ったが・・・。
(ここは夢の中だよねっ。だから死なないよ!!)
と自分に言い聞かせた。
(でも、どっちにしろ・・・・このままだと・・・)
朝菜は、その光景を想像し、恐怖で頭がいっぱいになった。
朝菜の体は、止まることを知らずどんどん下へ落ちていく。
・・・きっと、もうすぐ床に激突するんだ。
朝菜は覚悟を決めて、目を力強くつぶった。
その時・・・
「朝菜さーん」
舜の声が、遠くから聞こえた。
朝菜はハッとして、目を開ける。
(何か変だよね・・・)
さっきから、しばらくの間、落ち続けているはずなのに・・・まだ、床に激突しない。
朝菜の目に映ったのは、すごいスピードで景色が下へ流れている光景だった。
・・・朝菜は今もまだ、落ち続けている。
「朝菜さん。何で飛ばないの?」
視界の下から、舜が顔をだした。
「怖くて、そんなこと考えている余裕ないよっ」
朝菜は強く、そう言う。
急に突き落されたら、誰だって頭が真っ白になるだろう。
「えっ朝菜さんって夢が怖いの?」
舜は朝菜の発言に驚いたようだ。
「・・・」
・・・そうだ。舜はムマなのだ。
まだ、ムマの仕事の経験がない自分と、仕事に慣れている舜とでは、夢に対する感覚が違って当たり前だ。
「何だー。それならそうと、早く言ってよ~。待って。今、終わらすから!」
舜は背中から、翼をかき消す。と同時に、彼も朝菜の隣を落下し始める。
すごいスピードにも関わらず、舜は平然な顔をしながら片方の手を、胸の前へ持ってきた。
その瞬間、彼の手の中に、背丈以上もある大きな鎌が姿を現した。
(あっ・・・)
朝菜はその鎌に見覚えがあった。
確か・・・記憶の鎖を切り裂くときに使う鎌だ。
舜はその鎌を大きく振り上げる。そして、目の前の空間を大きく切った。
「!!」
朝菜は奇妙な光景に目を見開く。
彼の鎌は空中を切ったはずなのに・・・
確かに何か、を切っていた。
鎌が切った空間は、まるで紙を乱暴に破った跡のようになっていた。
「舜君・・・!!これって・・・!?」
「だいじょうぶっ」
舜はその裂け目に手をかける。そして、勢いよくそれを横に引き裂いた。
「!!」
その裂け目は、あっと言う間に広がる。そして、裂け目の向こう側には、真っ白の光が見えた。
「うっ・・・」
朝菜はあまりの眩しさに目を閉じ、掌で目をかばう。
少しの間、落下する感覚と眩しすぎる光が溢れている感覚は消えなかった。
「!?・・」
すると、朝菜の足裏に感覚が広がった。
落ちる感覚はいつの間にか消え、自分は何所かに立っている。
「─・・・」
朝菜はそっと目を開いた。
自分は今、真っ白の空間に立っていた。上も下も横も真っ白な空間に。
そして、やはりその空間には大量の鎖が絡みついている。
「ここの空間は、夢、には影響されないから大丈夫だよ」
後ろに振り返ると、そこには鎖の一つに腰かけている舜がいる。
彼はニコリと笑った。
「そーだ!朝菜さんに話したいことがあったんだ」
「え?なに?」
舜は、鎖からポーンと飛び降りると、朝菜の目の前に着地する。
「・・・僕たち、今、西園寺瑠のせいで記憶を失った人たちのことを探しているんだ」
舜の口から発せられた、瑠の名前を聞き、朝菜はまたドキリとした。
それでも、朝菜はそのことを気付かれないよう、平然な表情を見せて言う。
「そ、そうなんだ。・・・なんでそんなことしてるの?」
舜は朝菜の言葉に、微かに表情を曇らせる。
「そんなの決まってるよ!犠牲になった人たちの記憶を修復するためだよっ」
「え・・・!?そんなこと、できるの?」
・・・それなら、瑠の過去の過ちを取り消すことができるかもしれない。
・・・そうしたら、瑠の背負うものが多少なりとも軽くなるかもしれない。
「うん、できるよ。記憶の鎖が消されたとしても、それカケラは残ってるってことが分かったんだ。
少しでもカケラが見つかれば、記憶の鎖を作り直すことができるんだよっ。すごいよね!」
「・・・・作り直すって・・・その人が忘れちゃったことを思い出すことができるってことだよね?」
舜は少し間を置く。
「違うよ」
「・・・は?」
舜は不機嫌な顔のまま口を開いた。
「そんなことできないよ。だから、カケラから新しい記憶にリサイクルするんだ」
「・・・」
朝菜は次に発する言葉を失った。
(いやっ・・・それって・・・けっこうやばいことだよね?)
舜が言う、新しい記憶というのは嘘の記憶ということになる。
想い出や、今までの記憶があってこそ、今の自分がいるのだ。
それを嘘にするなんてこと・・・
「えーっと・・・そのリサイクルが済んだ人はいるの?」
「うん!たくさんいるよー」
「えっ・・・」
舜は何の悪気もなさそうに笑う。
が、朝菜は硬直していた。
嘘の記憶を作られることは、記憶を消されることより嫌なものだと朝菜は思う。・・・その記憶にもよるが。
「・・・だから、朝菜さんには僕たちに協力してほしいんだ!朝菜さんのお母さんも、西園寺瑠の被害者だよね?
ね?僕たちが会えたのも何かの縁だよ!だかた、一緒に頑張ろうよー。これで西園寺瑠のことを見返すことができるよ!絶対に!」
「ちょっと待って!私は・・」
「ありがとう!朝菜さん!」
舜は朝菜の方に手を伸ばし、そのまま勢いよく抱きついてくる。
「舜君!私はっ・・」
「あっ、目ざまし時計が鳴ってるよ。そろそろ起きた方がいいよ」
「は?」
すると、何処からともなく、ケータイのアラーム音が聞こえてきた。
とても聞き慣れている音だ。毎朝、この音で目が覚める。
「あっ、そうだね。そろそろ起きないと」
「それじゃ、朝菜さん。詳しい話はまたあとでね」
すると、舜は朝菜から手を離した。
──・・・・朝菜は目を覚ました。
枕もとでは、ケータイがアラーム音を鳴らしている。
(なんだぁー夢か。よかった)
そう安心感に浸りながら、朝菜は手を伸ばしアラームを止めた。そして、体を起こしベッドからおりた。
(あー・・・かなり変な夢みたな・・・)
朝菜は薄暗い部屋を歩くと、閉めきったカーテンを開く。
途端、朝の光が部屋全体を満たした。
「・・・」
朝菜は嫌な予感がした。
あれは夢だけど・・・夢じゃない?
いや・・・やっぱりただの夢?
「ただの夢だよね・・・」
朝菜はそう呟いて自分を納得させる。
絶対に自分は、舜とあんな約束をしなかった。
絶対に舜は、嘘の記憶を作りだすなんてことやっていない。
そう、あれらは全て夢だったんだ。
絶対に。