第4話(1)
そして・・・春。
朝菜はショックで動けなかった。
黒板に貼り出されたクラス分けの名簿・・・。
(遥香と別のクラスになっちゃった・・・)
自分は2-7。遥香は2-5。
遥香とは一番の友だちで、2年になってからもぜったい同じクラスになれると信じていたのに。
朝菜の周りでは、クラスメイトたちがそれぞれのクラス分けの結果を見て、いつも以上に騒いでいる。
「朝菜と別のクラスだね・・・」
「・・・うん」
いつからそこにいたのか、朝菜の隣には遥香がいた。彼女は困ったような笑みを浮かべている。
「でも、遊びに行くから大丈夫!」
遥香は朝菜の両肩に手を置いて、うんうんと笑顔で頷いた。
「うん・・・」
「平野ちゃーん!」
その声とともに、千絵が朝菜の背中にすごい勢いで抱きついてきた。
朝菜は思わず、前のめりになる。
「千絵ー危ないよ」
「ごめんごめん。って言うか平野ちゃん!うちと同じクラスだね!これからも仲良くしてねー」
「えっ・・・千絵、同じクラスだったんだ!」
朝菜は千絵に振り返る。
「そーだよ。2年7組!」
「・・・」
(よかった・・・)
遥香と離れてしまったことは残念だったが、千絵と同じクラスだったことにひとまずは安心できた。
「もちろん、遥香のクラスにも遊びに行くからね!」
千絵はそう言って、遥香にも抱きつく。
「はいはい。ありがとうね」
遥香も軽く千絵の背中に手をまわした。
「あ!!」
朝菜はあることに気付いて、そう叫ぶ。
遥香と千絵が?マークを浮かべ、こちらを見た。
(そういえば瑠は、何組なんだろ)
できれば、瑠と別のクラスになれた方が、余計な気を使わずに済むのだが。
「どうしたの?朝菜・・・」
「うん・・・ちょっと気になることが・・・」
朝菜は人がまばらになった黒板の前に、視線を移した。
どうやらほとんどの人は、自分のクラスを確認できたらしい。
「あ」
そこにはクラス分けを確認している瑠の姿があった。
とその時、千絵が言った。
「嬉しいことに!西園寺君もうちと同じクラスなんだよね♪」
「え``!」
(千絵が瑠と同じクラスってことは・・・)
朝菜は千絵と同じクラス=朝菜は瑠と同じクラスってことだ。
「西園寺君!これからもよろしくねー!」
千絵は瑠に届くぐらいの大声で、そう叫ぶ。
瑠はこちらに振り返った。
「・・・こちらこそよろしく」
瑠はニヤリと笑う。そして、彼はその場からスタスタと立ち去った。
「よろしくだって!ちょー嬉しいんですけどっ」
「あはは・・・よかったじゃん」
(って言うか・・・明かに、私に対して言ってたよね・・・)
朝菜は心の中で大きな溜息をついた。
瑠のよろしくは、どうも嫌な予感がする。
「しかもっ笑ってたよ~」
「いや、あれは笑ったとは言わないと思うけど・・・」
千絵は朝菜の言葉を全くと言っていいほど、聴いている様子はない。
「千絵!少しは落ち着きなさい」
遥香は千絵のはしゃぎぶりを見て、浅く溜息をついた。
「うちはこれでも落ち着いてるよー?」
「・・・」
これから、また新しい一年が始まる。・・・そう、いろいろなことに対して、去年とは全く違った一年が。
「朝菜!私と契約して!」
昇降口をでたところ、誰かに呼びとめられた。
「!」
振り返ると、そこには白い鎌を持った海夜の姿があった。
「え!?」
朝菜は焦った。
急にそんなこと言われても・・・分からない。
それに今、この瞬間、命の危機が迫っているスイマがいるかもしれないのに。こんなところで簡単に、海夜との契約を決めてしまってよいのだろうか。
「まだ・・・分からないよ」
朝菜は俯きながらそう呟いた。
「いいから早くして!!」
海夜は、朝菜の返事は関係なしにスイマの印が刻み込まれている方の手で、朝菜の手を握ってきた。
「やめてよ!」
朝菜は手を振りほどく。しかしその瞬間、やってしまったと後悔し、朝菜は俯いた。
「朝菜・・・私と契約してくれないんだ?」
「・・・」
「それじゃ、私の代わりに消えてくれる?」
「!!」
朝菜は、はっとして顔を上げる。
「──!!」
目の前には銃口があった。
「海夜・・・?」
朝菜の声は今までになく震え、絶望に満ちていた。
銃口越しの海夜の顔が、哀しみに歪む。
「バイバイ。朝菜」
耳が裂けるような音がしたと同時に、目の前は真赤な色で染められた・・・。
「!!」
朝菜は目を開けた。
枕もとにあるケータイが、不快なアラーム音を鳴らし続けている。
(夢・・・か・・・)
朝菜は腕を伸ばして、アラーム音を止めた。
すごく嫌な夢だった。
早まった鼓動を落ち着かせるため、朝菜はベッドの中で大きく息を吐く。
自分がムマだと分かり、スイマと契約をしなければならないと知ったときから、このような焦らせる夢を見る回数が多くなった。
実際、朝菜は焦っていたのだが。
「スイマはパートナーのムマを必死に探している」
朝菜は、翼が言ったその言葉を忘れることはできなかった。
(・・・そろそろ起きないと)
朝菜はすっきりしない気持ちのまま、ベッドから足をおろした。
一階におりると、居間には翼がいた。
翼はすでに朝食を終えたらしく、食後のココアを飲んでいる。そして、今の翼は・・・スーツ姿だ。
「そう言えば今日って、大学の入学式なんだっけ・・・」
朝菜は初めて見る翼のスーツ姿を観察しながら、独り言のように言った。
「おはよー朝菜!そうだな、今日は待ちに待った入学式の日なんだよっ」
「・・・お兄ちゃんがスーツ着てるって・・・なんか変な感じ」
翼は飲み終えたマグカップを持ち、立ち上がる。
「なんだよー変って!」
「・・・」
翼は苦笑しながら、朝菜の目の前を通り過ぎるとキッチンでそのマグカップをすすぎ始めた。
一方、朝菜はテーブルの前にある椅子を引くと、そこにドカッと腰掛ける。
と、ある疑問が頭に浮かんだ。
「お兄ちゃんってスイマなのに・・・どうして大学まで行くの?」
そう、人間でなければ、“こっちのこと”なんて関係ないはずだ。
「特別な理由はないけど、あえて言うなら・・・趣味だなー」
翼は水道の水をとめる。
「え・・・趣味なの?」
まさかあの翼が学校に行く(勉強する)ことが、趣味だなんて・・・何か意外だ。
「きっと大学は、高校よりも楽しいところに違いない!!」
「そっかー・・・」
「・・・朝菜、今日も変な夢みたんだな?」
朝菜は翼の言葉に、ビニール袋の中でパンを探していた手をピタリととめる。
「・・・まぁ・・・いつものことだけど」
どうやら翼は、朝菜が夢をみた、ということを分かっていたらしい。
翼は朝菜の隣までくると、また口を開いた。
「普通、ムマはあまり夢はみなんだけどなっ。朝菜も大変だなー」
「はは・・・」
とその時、居間の扉がゆっくりと開いた。
「翼、そろそろでかけるよ」
夏枝はそう言いながら、部屋に足を踏み入れる。
「おぅ!」
翼は小走りでソファに駆け寄り、そこにある黒のバッグを手に持った。
「それじゃ、行ってくる!」
「朝菜、家でるときは玄関の鍵、ちゃんと閉めてね」
二人はそれぞれにそう言うと、居間からでていった。
朝菜は「はーい」と返事をして、時計の方に目を移す。
7:45。
(私もそろそろ行かないと・・・)
(やばい・・・遅れる)
朝菜は、自転車を走らせている途中、そう思った。
腕時計の針は、チャイムが鳴る約10分前をさしていた。
翼と話してしまったうえ、今日、起きるのが遅かった。だから、朝食を抜いてきたのに遅れるなんて最悪だ。
「・・・こっちの道の方が近いよね」
いつもなら、車の少ない裏道を通るのだが、今日は街中を突っ切って学校に向かうことにした。
朝菜はいつもの本屋の前を、スピードを上げて通過する。そして、大きな交差点を曲がろうとしたとき・・・
「!!」
目の前に自転車に乗った女性が現れた。
「──!!」
朝菜は反射的にブレーキを握ったが、間にあわなかった。
朝菜は、その自転車と正面衝突してしまう。
自転車の籠からはバッグが飛び出し、自転車と朝菜自身も地面に勢いよく倒れた。
(いった・・・)
やってしまった、と朝菜は思った。
こんな人通りの多い交差点で、スピードをだして曲がれば、次どうなるか予想できたはずなのに。
「すみません・・・!」
朝菜はぶつかった相手に向かってそう言ったが、そこには相手の倒れた自転車と投げ出されたバッグしかなかった。
「あれ?」
朝菜は立ち上がると、掌についた汚れと膝についた汚れを払い落し、辺りを見渡した。
ちゃんと謝らないといけないはずなのに・・・彼女はどこに行ってしまったのだろうか。
「大丈夫!?」
「!!」
突然、後ろから声をかけられた。
弾かれたように振り向くと、そこには自転車で正面衝突した相手が立っていた。
「あ・・・大丈夫です」
朝菜はそう言いながら、彼女のことを観察する。
大人びた顔立ちに、栗色のストリートヘアー・・・そして、耳には大きなヘッドホン。
「本当に大丈夫なの?」
彼女はヘッドホンを外して、首にかける。そして、朝菜のことを頭から足の先まで観察するように視線を動かした。
「だっ大丈夫です」
朝菜は彼女の観察ぶりに、無意識のうちにその場で固まる。
「・・・」
「・・・あんた嘘つきね」
「・・・は?」
朝菜は彼女の発した言葉に、自分の耳を疑った。
(嘘つきって・・・)
朝菜がその場に茫然と立ち尽くしていると、彼女が朝菜の腕を引っ張った。
「あたしと一緒にきてくれる?」
「えっ・・・ちょっと・・・私、学校が・・・」
朝菜は彼女の力に抵抗して、この場に留まろうとした。
しかし、それも虚しく・・・
「あたしも学校さぼるし・・・。だから、そこんとこは心配する必要なし」
彼女は朝菜を引っぱる。
朝菜はこの場から離れてしまう前に、何とかバッグの方に手を伸ばして、それを持つことに成功した。
その直後、彼女は朝菜を連れて街中を黙々と歩きだす。
(自転車が・・・)
また置き去りにしてしまった自転車が遠ざかっていくのを、朝菜は見ていることしかできなかった。
朝菜は、彼女に街中のファーストフード店まで連れてこられた。
彼女は出入口付近の席に、朝菜を無理やり座らせると、自分のその隣に腰を下ろす。
「・・・」
朝菜は今の事態に、不安と焦りを感じていた。
腕時計を確認する。
(あーぁ・・・もう完全に遅刻だ)
この時刻になってしまったのだから、いっそのこそ上手い言い訳でも考えておいた方が無難だ、と朝菜は思った。
「けが、したでしょ」
「!」
彼女は絆創膏を朝菜に差し出した。
「えっ・・・」
「ひざ、血でてかから」
朝菜は彼女の言葉に、自分の膝に視線を落とす。
「・・・」
今まで気付かなかったが、そこにはすり傷ができていた。微かに血が滲んでいる。
「はい、これ」
「あ・・・ありがとう」
朝菜は戸惑いがちに、彼女から絆創膏を受け取った。
そして、膝にそれを張り付ける。
(もしかして・・・わざわざこのためにここまで来たんじゃ・・・)
だとしたら、かなりいい人だ。
「さってと、今日はチーズバーガーにしようかな」
彼女はそう言って立ち上がると、バッグの中の財布を手に持つ。
「・・・」
(やっぱ、食べるため・・・か。っていうか朝からチーズバーガーって・・・)
朝菜も朝食は食べ損ねたが、朝肩ハンバーガーなんて食べる気にはなれなかった。
(っていうか学校いかないといけないし・・・)
朝菜は立ち上がって、鞄を肩にかけた。そして、彼女の後姿に向かって声をかける。
「私、そろそろ学校に・・・」
彼女はこちらに振り返った。
「買ってる間、あたしの鞄、見ててもらってもいい?」
そして、彼女はそそくさとレジの方へ行ってしまった。
「・・・」
(少しの間からいいか・・・)
彼女の言葉は、淡々としており、断りずらい雰囲気があった。
それに、あと少し遅れてもどうせ遅刻ということには変わりないんだし。
「あたしが食べ終わるまで、つきあってもらってもいい?」
「・・・」
「あんたの制服、桜ヶ丘高校だよね?あたしの学校も、そっちの方にあるの。途中まで一緒に行こうよ」
「・・・うん」
(はやく学校行きたいのに・・・)
しかし、朝菜は断ることができない。
そんな自分に呆れながらも、朝菜はぼーっと彼女が食べ終えるのをひたすら待つ。
(・・・どんな音楽、聴いてんだろ)
朝菜は彼女の首にかかったままのヘッドホンを見て、なんとなくそう思った。
朝菜は、好きなアーティストというやつはいない。しかし、好きな曲を見つけると、ケータイから音楽をダウンロードするぐらいはやっていた。
「ねぇ。どんな曲きいてるの?」
朝菜は思い切って、彼女にそう質問する。
彼女は食べるのをやめると、朝菜を見た。
「あんた、音楽に興味あるの?」
彼女は少しだけ嬉しそうだ。
「うん・・・まぁ少し」
「ふーん」
すると彼女は、手に持っていたチーズバーガーをトレーの上に置く。そして、ヘッドホンを首から外した。
「聞かせてあげるから」
「えっいいの?」
「もちろん」
彼女は微笑んで立ち上げると、朝菜の後方に立った。そして、ヘッドホンを朝菜の頭にゆっくりと被せる。
とその時、彼女が耳元で囁いた。
「でも、気をつけて。オンガクはこの世界からあんたを引き離す」
「え?」
次の瞬間、周りを音楽で満たされた。周りの雑音は、全く聞えない。
・・・とても心地よい。
(何ていう曲だろう・・・)
朝菜は目を閉じ、その音楽に神経を集中させた。
「・・・!」
朝菜は目を覚ました。
周りをキョロキョロ見渡す。
─・・・ここは街中のファーストフード店の中だった。
(うそっ・・・寝ちゃったし・・・)
朝菜は耳にかかったままのヘッドホンを外す。
隣には、あの人の姿はなかった。
(ヘッドホン・・・返しそびれちゃった)
そして次の瞬間、朝菜はある重大なことを思い出す。
自分はどのくらい眠ってしまったのだろう。
恐る恐る腕時計に目をやった。
PM1:12
「最悪だ・・・」
すでに学校では、昼休みが過ぎ、午後の授業が始まっている。
「・・・はぁ」
もういいや。どうでも。
でも、学校には行った方がいいよね・・・?
(っていうか・・・これ、返さないと)
朝菜は名前も聞きそびれた、あの人のヘッドホンをバッグの中にしまっておく。
また会える確証なんてもちろんないが、ここに置きっぱなしにするわけにもいかないし、自分が預かっておいた方がよさそうだ。
・・・あの人は、朝菜に声もかけないでいなくなってしまうし、それにかなり寝過したし・・・。
「はぁ・・・」
朝菜は大きな溜息をつくと、店を後にした。
朝菜は春の日差しが降り注ぐ街中を、黙々と歩いていた。
めざすは自転車を置き去りにしてしまった交差点。
(ちゃんとあるかな・・・)
この前は夕方だったが、今度は昼間だ。
しかも、人どおりの多い交差点のど真ん中に自転車はある。
・・・そのままである確率は、かなり低い。
「!!」
朝菜は歩みを早めた。
そして、今まさに目の前で起こっている不自然な状態に釘付けになる。
道路のはじに停まっている車・・・その上に人がいたのだ。
(あれ・・・人形じゃないよね?人だよね・・・!?)
朝菜は足を速める。
・・・だんだんとその光景がはっきりと分かるようになってきた。
やっぱり人だ。間違いなく。
だって車の上に腰かけて暇そうにしている人物は、間違いなくあの人だ。
・・・そう、朝菜のことをファーストフード店に置き去りにした人物。
朝菜はその車の前で立ち止まる。
彼女は朝菜に気付いてないのか・・・こちらを見ようともしない。
「・・・なんで車の上にいるの?」
朝菜は一番疑問に思っていることを口にした。
彼女は驚いた様子でこちらを見た。そして、たいして興味のなさそうな顔で朝菜を見下ろす。
「あっ、さっきはごちそーさま・・・・って、あんたあたしのこと見えてるの!?今は姿見せてないのに」
「?・・・」
彼女は車の上から飛び降りると、朝菜の目の前に着地する。そして、じっと朝菜の目を見た。
「もしかして・・・あんた、ムマだったの?」
「!・・・そうだけど」
朝菜はその瞬間、確信した。
(この人・・・絶対に・・・)
「スイマだよね?」
彼女はそれに「そーだよ」と答える。
そして、手に白い鎌を現すとその刃先朝菜に近づけた。
「あんたの“気”すごーくおいしかった。もう、チーズバーガーなんて比べ物にならないくらい。また貰ってもいい?」
彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「・・・ってお腹いっぱいだからもういらないけどね」
「・・・あはは」
朝菜は何かとか笑ってみせる。
・・・この人がお腹いっぱい食べたせいで、自分は学校に大遅刻するはめになるのだが。
「そーいえば、あんたの名前、なんていうの?せっかくだから聞いといてあげる」
「・・・平野朝菜っていうだけど・・・あなたの名前・・・」
「朝菜ね。まぁ聞いといたからには、覚えておくことにするよ」
彼女は満足そうに微笑んだが、朝菜はそういかない。
・・・家族以外のスイマに会ったことは初めてなので、名前ぐらいは聞いておきたい。
「・・あなたの名前はなんていうの?」
・・・今度はちゃんと最後まで言えた。
「あー・・・あたしはリノ。まぁ適当に覚えておいて」
「・・・」
(リノちゃんか・・・)
他にもいろいろ聞きたいことはあるが、ひとまずは学校に行かなくては。
「朝菜の自転車、そこの店の駐輪場にとめておいたから。さすがにあのままってわけにはいかないしね」
リノはいつも朝菜が行く本屋を指さした。
「・・・ありがとう」
朝菜はほっと胸をなでおろす。
もうこれで自転車の心配はしなくてよさそうだ。
「じゃーあたしは、舜が学校終わるまで、街ん中ぶらぶらすることにするから。・・・あんたはちゃんと学校行きなよー?人間なんだし」
リノはその手から鎌をかき消す。
「分かってるし・・・大丈夫だよ」
そしてリノは、朝菜の前から姿をかき消した。
(・・・いいなーリノちゃんは)
おそらくリノも翼と同様、“遊び”として学校に通っているんだろう。
朝菜はそんな二人が少し羨ましく思えた。
その時、通りすがる人々が朝菜に不審な視線を送っていることに気付いた。
そして、そんな人々との一人と目があう。
「!・・・」
朝菜は反射的に目を伏せた。
(っていうか・・・はたから見て、私って独り言言ってるおかしなひとじゃん・・・)
朝菜はその場から離れるために、早足で歩きだす。
・・・顔が熱くなるのを感じた。
(あー・・もう絶対に街中では、スイマの人と話さないっ)
朝菜はそう、心に決めた。
朝菜は自転車にまたがった。そして、スピードをあげ学校に向かう。
「はぁー・・・」
朝菜はペダルをこぎながら、深い溜息をついた。
考えるのは、遅刻をどんな理由にするか、だ。やはり一番無難なのは「寝てました」と言うこと。
(どっちにしろ・・・寝てたわけだし)
まぁ、街中の店で、という言葉を付け加えなければ、面倒くさいことにならないことは確かだ。
(よし・・・それでいいや!)
朝菜は腕時計を確認する。
このまま行けば、丁度休み時間に教室に入ることができそうだ。
朝菜は急いで2の7の教室のドアを開けた。
すぐさま教室の時計に目をやると、授業開始の約2分前だ。
朝菜は安堵の溜息をつくと、自分の席へ向かう。そして、崩れるようにして椅子に腰をおろした。
「疲れた・・・」
自転車のペダルを必死にこいで、階段を全力で駆け上がればさすがにきつい。
「平野ちゃーん。こんな時間に学校来るなんてどうしたのー?」
席に着くや否や、千絵が朝菜のもとへやってきた。
その手には、誰かから貰ったらしいポッキーが握られている。
「あー・・・いろいろあったんだよ」
朝菜は苦笑しながらそう言った。
「えーいろいろって何?」
千絵はポッキーを口にくわえ、ボリボリと食べ始める。
「いろいろはいろいろだよー・・・」
朝菜は大きく息をつくと、額を机の上にゴツンとつけた。
・・・なんだかとても疲れてしまった。
「平野ちゃん、何か疲れてるねー・・」
とその時、5限目の授業開始のチャイムが教室に鳴り響く。
それとほぼ同時に、先生が前の出入り口から入ってきた。
千絵や他の生徒は自分の席に向かったが、朝菜は席から立ち上がる。
(先生に理由、言いに行かないと・・・)
朝菜は先生が教卓の前に立つ直前に、彼のもとへ駆け寄った。
国語の担任はクラスの担任でもあるので、この先生(池田先生)に言えば事足りる。
「あのっ・・・先生・・・」
「おー平野。今来たのか」
池田先生は出席簿を教卓の上に置いてから、言葉を続けた。
「それで遅刻の理由はなんだ?」
「・・・えっと、寝坊です」
「・・・」
先生は無言のまま、出席簿を開く。
(もう行っていいんだよね)
・・・どうも池田先生は苦手だ。
ほとんど怒ったことはないが、その分、何を考えているか分かりづらいところがある。
朝菜は先生に背を向けると、机と机の間を通って自分の席に向かった。
「!・・・」
とその時、席に座っている瑠と目があう。
ここからでは遠い席・・・廊下側の一番後ろの席に座っているくせに、瑠はこちらを観察していたようだ。
その表情は無表情に近いが、口元には薄い笑みが浮かんでいるように見える。
「・・・はぁ」
(っていうか・・・こっち見ないでほしいんだけど)
朝菜は瑠のことは気にしないようにして、自分の席についた。
瑠の正体は分かったが、あの時と今とで自分と瑠との関係に変化があったというわけではないと思う。
(まぁ・・・でも、私もムマになったわけだし・・・瑠は“先輩”ってことになるのかも)
そう考えると、とても変な感じだ。
「今日は209ページの3段目からだー」
先生のその言葉を耳した後、朝菜は慌てて鞄から教科書と取り出す。
「あっ・・・!」
カバンのチャックと開けた途端、目に入ったものは見覚えのあるヘッドホン。─・・・リノのものだ。
彼女がスイマだという事実に気を取られて、これを返すのを忘れていた。
(・・・駄目じゃん!)
リノは街中をぶらぶらすると言っていた。もしかしたら、学校が終わった後にでも行けば、会えるかもしれない。
「・・・」
(そう言えば、なんの曲だったんだろ)
とても心地よくて・・・そんな曲だったことしか覚えていない。
朝菜はヘッドホンに繋がれているウォークマンのボタンを押してみた。
「・・・」
が、その小さなディスプレイには何も表示されていない。
「おーい。平野。続きを読むんだ」
「!」
朝菜は突然かけられた言葉にハッとする。
慌てて国語の教科書を開いたが・・・
(一体、どこから・・・?)
全く別のことを考えていたので、どこから読んでいいのか分からない。
「平野ちゃーん!211ページの2段目からだよー」
前の方の席に座っている千絵が、こちらを見ながらそう叫ぶように言う。
・・・朝菜は慌ててそのページを開いた。
(あーやっぱ、授業はちゃんと聞くべきだ)
そして、放課後・・・で、下校時間。
「朝菜!どう?新しいクラスは。もう慣れた?」
遥香が教室にやってきた。
「・・・けっこう慣れたよー。でも、担任がまたあの先生だかたちょっと嫌かも・・・」
遥香は朝菜の言葉に苦笑し、それに「私もあの先生苦手だよ」と付け加える。
朝菜はカバンを肩にかけた。
「遥香ー。どうせなら、昇降口まで一緒に行こう?」
「あっそうだね!」
そして、二人は騒がしい教室を後にした。
朝菜は遥香と昇降口に別れると、駐輪場へ向かう。
(・・・今日は街中を通って帰ろう)
そう、もしかしたらリノに会えるかもしれない。
朝菜は自転車の籠に鞄を入れると、ハンドルに手を伸ばす。
「その鞄、何が入ってるの?」
「あっ・・・この鞄には・・・」
朝菜はそこで言葉をとめた。
今、まさに朝菜に話しかけてきた人物は自分の後ろに立っている瑠だった。
「普通に教科書とかが入ってるんだけど・・・」
朝菜は突然の瑠の登場にドギマギする。
瑠は朝菜の返事に一瞬、間を置いた。
「違うよ。・・・授業中に見てたやつだよ」
「あー・・・別に楽しいもんじゃないよ。ただのヘッドホンだし」
朝菜はチャックを半分だけ開いて、そのヘッドホンを瑠に見せてみる。
途端、瑠の表情が少しだけ陰った。
「それ、ちょっと貸して」
「?」
朝菜は瑠に言わるがまま、ヘッドホンを彼に手渡した。
「・・・このヘッドホンには不思議な力があるらしい」
瑠はヘッドホンを上から見たり、下から見たりして、ぼそりとそう口にした。
「・・・え・・・不思議な力って・・・」
朝菜は瑠の思わぬ言葉に眉を寄せた。
「朝菜は気づかなかったんだ」
「・・・」
「それじゃ・・・今からやってみようか」
「やって見せるって・・・」
すると、突然、瑠が言った。
「センパイ!」
そして、辺りをぐるりと見渡す。
「?・・・」
朝菜も瑠に続いて周りを見渡すが、これといった変化はない。
「・・・トイロは呼んだらすぐ来てくれたのに・・・」
「なっ何だよ?」
すると、翼が瑠の隣に姿を現した。
彼の表情は明らかに迷惑そうだ。
「あっお兄ちゃん」
翼は朝菜の方に目をやると、二カッと笑う。
「おー朝菜もいたのか!」
「大学の入学式は終わったの?」
「終わった終わった・・・でな!家でくつろいでたらこいつが・・・」
翼は瑠を一瞥する。
と瑠が口を開いた。
「センパイ。あの人の気、とって」
「!」
朝菜は瑠の言葉にドキリとする。
瑠の視線の先にいるのは、駐輪場から自転車をだそうとしている同じクラスの男子生徒だ。
「あのなー瑠。言っていい冗談と悪い冗談ってのが・・・」
瑠は翼の言葉を聞こうともせず、その男子生徒の方に歩み寄る。そして、手に持ったままのヘッドホンを彼の頭にスポッと被せた。
(一体、何やってんの??)
と朝菜は思ったが、ことの成行きをこの場で見守ることにした。
(だって何か面白そうだし・・)
瑠はその男子生徒に笑顔にしては不気味な笑顔で笑いかける。
「それいい曲だから、聴いてみなよ」
「何なんだよ!急に・・・」
男子生徒は瑠の突然の行動に驚いたようだが、そのままヘッドホンから流れてくる音楽にじっと耳を澄ましている。
とその時、翼の目の前に白い鎌が音もなく現れた。
「!?」
「・・・何なんだ?」
翼は戸惑いの声を漏らしながら、その鎌を手にとる。
すると、瑠が言った。
「・・・センパイの鎌が、こいつの気をとれって言ってるんだよ」
翼はその言葉に眉を寄せる。
「ってことは、そいつは“条件を満たしている”ってことになんのか・・・!?」
「そういうことだね」
「・・・」
朝菜はあの時のことを思い出していた。
あのヘッドホンをして・・・そして、自分は眠ってしまったのだ。
「ちょーど腹減ってたし・・・いいか!」
翼はとても嬉しそうだ。そして、男子生徒のところまで身軽に移動すると、大きく鎌を振り上げる。そして切り裂いた。
「あっ・・・」
その男子生徒は自転車の荷台に頭をぶつけると、そのまま地面へ倒れた。
(変な音したし・・・かなり痛そうなんだけど)
朝菜はそう思ったが、瑠はまったく気にする様子なくその男子生徒からヘッドホンを抜き取る。
たくさんの光の粒が翼に流れてくる中、瑠は口を開いた。
「これ・・・便利な道具だね。これさえ使えば、スイマはいつでも人の気がとれるってわけだ・・・─あ、センパイはもう帰っていいよ」
「な!?俺はもう用なしかよ!?」
瑠は翼の言葉にコクンと頷く。
一瞬の間・・・そして
「まっせっかくだし、一緒に家に帰ろう!朝菜!」
「え・・・」
翼は手に持っていた鎌をかき消すと、朝菜の隣に並ぶ。
朝菜は困った。
自分にはリノを探すという予定が入っているのに。それに・・・翼と一緒に帰るなんて・・・面倒くさい。
「お兄ちゃん・・・瞬間移動?できるんだし、それで帰ればいいじゃん」
翼は朝菜の言葉に明らかにショックを受けた顔をした。
「そっか!そうだよな!!」
そして、翼はその場から姿をかき消す。
「・・・」
(お兄ちゃん・・・怒ってないよね・・・?)
「どうして朝菜がそんなもの持ってるの?」
朝菜ははっとして、瑠の方へ目をやった。
「これ・・・私のじゃなくて、他の人のなんだけど・・・」
朝菜は瑠からヘッドホンを受け取る。
と瑠は、ニヤリと笑った。
「あやしげな道具を持った奴と知り合いになったんだね」
「!・・・」
瑠は朝菜に背を向ける。そして、そのまま学校内から出て行った。
(・・・そんなに怪しい?)
朝菜にとって、このヘッドホンより瑠の笑みの方が、よっぽど怪しいもの感じるのだが。
それに、スイマにとってこの道具は便利なものに他ないだろう。
朝菜は、ヘッドホンを鞄の中に戻す。
「・・・そのままじゃさすがにやばいよね・・・」
朝菜はしゃがみ込むと、眠りこけている男子生徒の肩を大きく揺さぶった。
「ん・・・あ・・?」
彼はゆっくりと目を開けると、痛めた後頭部を手で押さえながら体を起こす。
「・・・おはよー」
朝菜はその言葉だけを言うと、すぐさま自転車を駐輪場からだす。そして、またがると急いでこの場を後にした。