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第3話(7)





 大通りに面した道を、朝菜は自転車に乗って走っていた。

 時々すれ違う自転車も、朝に比べとても少ない。

 きっとみんな家に帰って、それぞれの時間を過ごしているのだろう。

 そんなことを考えて走っていると・・・

「あ!」

 朝菜はブレーキをかけて自転車を止めた。そして肩越しに振り返る。

「瑠!」

 そう、さっきすれ違った人物は瑠だった。

 暗かったので、すれ違ってから初めて気づいたのだ。

 瑠も朝菜の声に歩みを止め、こちらを見た。

 朝菜は急いで自転車から降り、それをおして瑠のもとまで歩みよる。

「瑠のこと、迎えに行こうと思ってたんだけど、丁度会えてよかった・・・」

「・・・迎えなんて必要ないのに」

 瑠はそう呟くと、歩き出す。

「だって!瑠、くるの遅いし」

 朝菜は瑠の発言に、動揺せずにはいられなかったが、とっさにそう言葉を返した。

「・・・」

「・・・」

 そして、朝菜と瑠は歩き出す。

 朝菜は、訪れた沈黙に焦りを感じた。

 通りを走る車の音と、自転車の車輪の回る音だけが二人の空間を支配する。

(・・・何か話さないと!)

 二人だけの沈黙はどうも苦手だ。

「えっと、あのさー・・・」

「朝菜、よかったの?」

 瑠は歩みを緩めないまま、朝菜を見る。

「?・・・何が?」

「ムマになっちゃって」

 瑠の口元には、面白がっている笑みは浮かんでおらず、ただ静かな瞳で朝菜を見ていた。

「・・・」

 朝菜はそんな瑠の問いに戸惑いを感じながらも、口を開く。

「・・・まだ、分からないよ」

「俺は嫌だな。ムマなんて」

「!」

 朝菜は瑠の言葉にドキリとした。

 やっぱり瑠は・・・苦しいのだ。

 朝菜は分かっていた。でも、分かっていただけ。

 ・・・瑠になんて言葉をかければいいのだろう。

「・・・どうして?」

 朝菜の口から発せられた言葉は、結局はそれだけだった。

 そう、自分は瑠が苦しんでいると分かっているだけで、瑠の本当の気持ちなんて何一つ分からない。

「朝菜も・・・スイマと契約を結んで・・・仕事、をすればそのうち分かるよ」

「どうせ“望む夢”なんてみれやしないから」

「え?」

 瑠が視線を外し呟いた言葉は、小さすぎてよく聞き取ることができなかった。

 そして、また二人を包む沈黙。

 瑠はまだ・・・元気なないようだ。

(いや・・・もともと元気って感じのタイプではないんだけど・・・)

 何と言うか・・・今の瑠は、機嫌がよくない。

「朝菜。俺と一緒に来て」

 瑠は朝菜の手を引っぱり、来た道を引きかえそうとする。

「ちょっと・・・!」

 朝菜は自転車から引き離された。

 支えのなくなった自転車が、音をたて地面に倒れる。

「瑠!どこ行く気!?」

 瑠の誘導に従うしかない朝菜は、彼の後頭部を見ながら必死にそう言った。

「・・・さぁどこだろうね」

「・・・」

(どうしよ・・・)

 朝菜は焦った。

 自転車も倒したまま来てしまったし、家では瑠を待っている夏枝、明、翼がいる。

「ねぇ瑠!ひとまずうちに行こうよ!みんな待ってるし」

「そうなんだ」

「そうなんだってっ・・・」

 どうやら瑠は朝菜の家に行く気はないらしい。

 朝菜はただ、転ばないよう、瑠の足取りについていくだけで精一杯だった。


「もし、センパイが本当に俺とパートナーになる気があるなら、ここまでくるはずだろ?」

「・・・瑠はお兄ちゃんのこと、信用してないんだ?」

 朝菜と瑠は本屋にいた。

 学校の近くにある、いつも朝菜が漫画を買いに行っている本屋だ。

 BGMと人のざわめきで満ちている店内は、今の朝菜にとっては居心地がいい。さっきの沈黙より数倍ましだ。

「・・・でも、来ようとしても場所が分からなくちゃ・・・」

 朝菜は漫画売場で足をとめた瑠に、呟くようにそう言う。

「・・・だからそこ、だよ」

「──・・・」

 朝菜は目の前に並ぶ漫画が気にならないほど、焦っていた。

 まさか瑠が、翼をためすようなことをするなんて。

「トイロは心配症だから、センパイにそう頼んだのは分かる。でも、本当のところ、センパイはどう思ってるんだろうね・・・」

 瑠は目の前に敷き詰められた漫画に視線を走らせながら、そう呟いた。

「トイロって・・・」

(そういえば・・・)

 前に翼が、スイマの頼みをきくだのどうだの言っていた気がする。どうやらそのスイマの名前は“トイロ”というらしい。

「トイロは、朝菜の気が大好きなスイマ・・・俺のパートナーだったスイマだよ。今はもういないけどね」

「──・・・」

 瑠は短い沈黙の後、棚から視線を外し、朝菜を見た。

「ねぇ朝菜・・・ケータイで家に連絡してよ。“瑠は他のパートナーを見つけたから、センパイとは契約しない”って言ってったって」

 瑠はニヤリと笑みを浮かべる。

「・・・は?」

 朝菜は瑠の信じがたい発言に、自分の耳を疑った。

「・・・だってそんなこと言ったら・・・お兄ちゃん、ここに来ないじゃん!」

「だったらそれまでだね。自分で契約するって言っておいて、すぐに諦めるやつなんて信用できないし」

「──・・・」

 朝菜は後悔した。

 瑠の迎えなんて翼に行かせるべきだったのだ。そうしたら、瑠の翼に対する印象も少しはよくなったかもしれないのに。

 瑠が不審な目つきでこちらを見ているのが分かる。

(どうしよ・・・)

 朝菜にとって、瑠に契約相手がいなくなることは一大事だ。

 それに・・・瑠は、翼がここに来なかったとしたら・・・どうするのだろう。他のスイマを見つけるのだろうか・・・それとも・・・。

 朝菜は、何の漫画があるのか観察するふりをしながら、瑠の痛すぎる視線から必死に逃げる。

「朝菜、速くしてくれる?」

「・・・瑠、お兄ちゃんのこと、信用しても大丈夫だと思うよ?もし、ここに来なかったとしても、お兄ちゃん・・・ほら、鈍感なだけだし!」

「そんなこと関係ないよ。はやくしてよ。朝菜」

「・・・」

 どうやら瑠には何も言っても無駄なようだ。

「─・・」

 朝菜は最後の賭けにでることにした。それは・・・

「ごめん、瑠。私、今、ケータイ持ってないんだよ・・・」

 もちろん、ケータイはポケットに入っているのだが。

「・・・そっか」

 瑠は短い沈黙の後、そう呟く。

 そして瑠はズボンのポケットから何かを取り出し、それを朝菜につきだした。

「じゃ、俺の使っていいから」

「・・・」

(そうきたか・・・)

 朝菜は断るわけにもいかず、瑠からしぶしぶシルバーのケータイを受け取った。

 もう、ここまできてしまったからには、家に電話をかけるしか手段はない。

「・・・」

 朝菜は不安が渦巻くなか、ケータイを開く。

 そのディスプレイには簡易な時計しか表示されておらず、少し物足りない。

「やっぱ外にでようか。ここだと周りがうるさいし」

「!」

 瑠は朝菜にそう言うと、横を通り過ぎ出入り口の方へ向かった。

(そこまで慎重になるんだ・・・)

 朝菜はそう思いながらも、ケータイを握ったまま瑠の背中を追いかけた。


「さぁどうぞ」

 瑠はケータイを握ったままの朝菜にそう言った。

「・・・」

 朝菜と瑠は店の前の駐輪スペース付近まで、足を運んでいた。

 自転車は数台止めてあるが、そこに自分たちの以外の人の姿は見当たらない。

「分かったから!」

 朝菜はこちらを観察している瑠に向かって、強めの口調でそう言った。

「ちゃんと俺の言っていたことも言うんだよ」

「大丈夫だから!」

 本当は翼に嘘なんてつきたくなかったが、瑠がこんなに近くにいてはそう言うしかない。

 朝菜はケータイを開くと、家の電話番号をゆっくりと入力する。

 ピ・ピ・・ピ・・ピ・・・

 ボタンを押している間にも、朝菜の鼓動は強く波打っていた。

「・・・」

 そして、最後のボタンを押し、ケータイを耳元にあてる。

 少しの間の後、プルルと呼び出し音が聞こえてきた。

 朝菜は瑠に背を向けて誰かが電話にでるのをじっと待つ。

『はい、平野ですけど』

 翼が電話にでた。

「・・・私だけど」

『おっ。朝菜かー!どうした?西園寺には会えたか?』

「・・・会えたんだけど」

 朝菜はそこで言葉をとめる。

 ─背後から瑠の強い視線を感じた。

「会えたんだけどっ・・・瑠、他のパートナー・・・見つけたんだって・・・」

 自分の声はとても弱弱しく、それが嘘だとばれてしまいそうに感じた。

『まっ・・・まじか!?』

 翼の声は明らかに動揺している。

「・・・」

 朝菜は翼の言葉に「本当だよ」と返す気にはなれず、ただ黙っているしか出来なかった。

 翼は本当に・・・自分の言葉を本気にしてしまうのだろうか。

『それじゃ・・・だめだ!俺は・・・頼まれたんだよ・・・』

「・・・」

 ・・・翼は“トイロに頼まれた”だけの理由で、瑠と契約を結ぶつもりなのだろうか。

 今、ここで確かめてみなければ・・・

『それより朝菜!本当なのかよ!?西園寺が他のパートナーを見つけたって!!』

「えっと・・・」

 朝菜が翼の問いつめに戸惑っていると、突然、瑠が朝菜の手からケータイを抜き取った。

「!!」

「センパイ。俺はもう大丈夫ですよ」

 瑠はその言葉を早口で言うと、ケータイの通話を切ってしまった。

「─・・・」

(やばい・・・)

 朝菜はケータイをポケットに入れている瑠を、茫然と眺めているしかできない。

 翼は瑠の言った“大丈夫”を本気にしてしまったかもしれないと朝菜は思った。

 本当は、全然大丈夫ではないのに。

「さぁ・・・どうなるかな?」

 瑠は薄い笑みを口元につくる。

「どうなるかなって・・・!!瑠はいいの!?トイロさんの頼みをきいてあげなくても!!トイロさんは瑠のことが心配で、お兄ちゃんに頼んだんでしょ・・・それに、瑠もはやくパートナーをみつけた方がいいんじゃないの・・・?」

「頼みをきくのはセンパイの方だよ。それにはやくパートナーを見つけないといけないのは、俺じゃなくてセンパイの方だ」

「──・・・」

 必死になって朝菜の並べた言葉は、迷いのない瑠の発言によっていとも簡単に否定されてしまった。

 瑠は何を思っているのだろう。

 パートナーの残した言葉も簡単に受け入れようとしないし、翼や自分の言葉も受け入れようとしない。

 ・・・みんな、瑠のことを助けようとしているのに。

 彼にとってそれは“否定したいもの”でしかないのだろうか。

 朝菜はそう思わずにはいられなかった。


 その頃、平野家では・・・

「まじかよっ・・・」

 翼は受話器を置くと、そう呟いた。

 まさか西園寺が他のパートナーを見つけてしまったなんて。

 これではトイロとの約束が守れない。それに、他のスイマとパートナーを組んでしまったら・・・また西園寺は同じことを繰り返してしまうということも・・・

「どうしたの?朝菜からだったんでしょ」

 受話器の前で立ちつくしている翼の後ろから、夏枝が声をかけた。

「そうなんだけど・・・」

 翼は夏枝の方に振り返ると、そう言って言葉をつまらせる。

「─・・・」

 夏枝は普通ではない翼の様子に気づいたらしく、こちらに早足で歩みよってきた。

 翼は夏枝が歩みを止める前に口を開く。

「西園寺がパートナーを見つけたらしいんだ・・・」

 夏枝は翼の言葉に少しばかり表情を動かした。その瞳には、驚きが入り混じっているように見える。

「・・・どうするの?翼は」

「─・・・」

(俺は・・・)

 西園寺のパートナーが見つかれば、それでいいのだろうか。

 席について本を読んでいた明が顔をあげ、こちらを見る。

 目の前では、夏枝の金の瞳がこちらを見据える。

「俺はっ・・・──」

 そして翼は、決断した。


 朝菜と瑠は、また店内の漫画コーナーに戻っていた。

 瑠は相変わらず、並べてある漫画を手にとってはその表紙と裏表紙に目を通して、もとの位置に戻すことを繰り返している。

「・・・」

 朝菜はそんな瑠のことを横目で観察しているだけで、何もできないままその場に立ちつくしていた。

(私が・・・どうにかしないと)

 翼は絶対に瑠の言葉を信じてしまっただろう。

 そして、翼が瑠のもとへこなかったら・・・翼は瑠と契約できない。それに加え、命の危機がすぐそばまで迫ってしまう。

(あっ・・・!)

 瑠が本棚の裏の方へまわった。それに、彼はこちらを気にしている様子もない。

(今だっ・・・)

 朝菜は瑠に気付かれないうちに、漫画コーナーから抜け出す。そして店の出入り口に向かって駆け出した。


 朝菜は自動車ドアを通り抜けて、外へでた。

 雑音がおさまったと同時に、冷たい空気が朝菜の頬をなでる。

(よしっ。一端、家に帰って、お兄ちゃんを無理やりでも連れてこよう・・・そうすれば・・)

「あ!」

 朝菜は駐輪場に向かおうとした足をピタリととめた。

 ・・・ここに自転車はなかった。

 瑠に無理やり、この本屋に連れてこられたせいで自転車は道の真ん中に倒れたままだ。

(最悪だ!)

 朝菜はまだ自転車がそこにあることを願いながら、急いで本屋を後にした。


 朝菜は息を切らしながら夜道を走る。

 ・・・こんなに走ったのなんてかなり久々だ。

 瑠は、朝菜がいなくなったことにまだ気付いていないだろうか。

 朝菜はそうであることを願いながら、ひたすら足を動かす。

「!」

 とそのとき、歩道の真ん中に倒れている黒い影が目に映った。

 ・・・自分の自転車だ。

(よかった・・・ちゃんとあった)

 朝菜は歩調を緩める。

「!!」

 しかし、次の瞬間には朝菜の心臓は早鐘のようになった。

 向こうから来た人影が、朝菜の自転車に手をかけ、それを起き上がらせようとしている。

 このままでは持っていかれてしまうではないか。

「すみません!それ、私の自転車なんです!」

 朝菜はとっさにそう言った。

 それと同時に、その人影の動きがとまる。そして、その人はこちらに目を向ける。

「朝菜?」

「!・・・」

 朝菜はその人が発した声に聴き覚えがあった。この声は間違いなく・・・

「お母さん・・・」

 近くまで来て、やっと彼女の顔を認識することができた。

「朝菜、こんなところに自転車置きっぱなしにして・・・どうしたの?」

「えっと・・・いろいろあったんだよ」

 朝菜はもごもごとそう言いながら、夏枝から自転車を受け取る。

「おっお母さんこそ、何でこんなところにいるの?」

 すると突然、夏枝の隣に翼が姿を現した。

 朝菜は翼の突然の登場に思わずビクリとする。

 ・・・そうだ。翼はスイマであって人間ではないから、姿を消すのも現すのも自由なのだ。

「朝菜!西園寺はどこだ?」

「え・・・」

 翼は必死な様子で辺りを見渡す。

「いやっ・・・ここに瑠はいないんだけど・・・」

 そう、ここに瑠はいない。朝菜は瑠から離れるため、そして翼を瑠のところまで連れて行くため、ここまで走ってきたのだ。

「朝菜・・・瑠君はどうしたの?翼一人じゃ心配だから、私もここまで来たんだよ」

「朝菜ー、西園寺はどこだ!?」

「瑠は・・・」

 と、そのとき、後方からきた自転車が朝菜の隣で止まった。

「!!」

 その自転車に乗っている人の横顔が目に入った瞬間、朝菜は固まる。

 落ち着き払った表情を浮かべている彼は・・・間違いなく瑠だ。

「瑠・・・」

 朝菜は瑠の突然の登場に、内心かなり焦っていた。が、次に発すべき言葉を、朝菜は必死に探した。

「瑠・・・お兄ちゃんは・・・瑠を探してここまで来たんだよ。だよね?お兄ちゃん・・・」

 朝菜は翼に視線を送る。

 その時、口を開いたのは翼ではなかった。

「久しぶりだね、瑠君。・・・おおきくなったね」

 夏枝の声はとても穏やかだ、そして、その表情も。

「!─・・・」

 朝菜は夏枝の穏やかすぎる表情に、動揺せずにはいられない。

 だって夏枝は“大切なもの”を奪った張本人を目の前にしているのだから。

 瑠はその夏枝の言葉に、大きく目を見開く。そして、彼女から顔を背けた。

「母さん・・・何でそんなこと言うんだよ?」

 翼の呟く声が朝菜の耳に届いた。

「よし!瑠君にも会えたわけだし、家に帰ろうか!」

 夏枝はにっこりと笑う。

「俺のこと・・・憎んでないの?」

 瑠の声は弱々しいが、その瞳はしっかりと夏枝のことをとらえている。

 少しの沈黙。

 そして・・・

「今は・・・ね」

 夏枝は踵を返し、歩き出す。

 翼は表情を引き締めたように見えたが、それは一瞬のことですぐに笑顔になった。

「それじゃー、帰っか!」

 翼も夏枝の横に並んで、来た道を引き返す。

「・・・瑠も行こう?」

 朝菜はこの場から動こうとしない瑠に、そっと声をかけた。

 瑠はこちらに振り向きもしない。

 とその時、瑠は夏枝と翼とは逆の方へ自転車の向きを変えた。

「・・・瑠、行かないの!?」

「やっぱり、行かない」

「!!──・・・」

(なんでっ・・・)

 夏枝も翼も瑠のことを受けいれようとしているのに。そして・・・自分も“ムマ”だった瑠・・・“ムマ”としての瑠を、受け入れようとしているのに。

 それなのに・・・

「なんでいつも瑠はそうなの!?いつもいつも・・・!!お母さんもお兄ちゃんも・・・必死に瑠のことを受け入れようとしているのに。・・・それってそうそう簡単にできるもんじゃないのに!だから・・・瑠も・・・──少しは絶えて・・・?」

 朝菜は心の奥底にたまっていたものを、全てはきだした。

 意外にそれは自分の思っていた以上に、あっけないことだった。が、次に朝菜の心を満たしたのは少しの後悔。

「あっ・・・ごめん。瑠も今までいろんなことに、耐えてきたと思うんだけど・・・」

 朝菜はとっさにそう言葉を付け加えた。

 ・・・瑠は朝菜の言葉に怒ってしまっただろうか・・・。

「・・・分かった。行くよ」

「!」

 瑠は自転車から降りると、呟くようにそう言った。

 その顔にはいつものような笑みは浮かんでいない。

(やっぱり・・・怒っちゃった?)

 朝菜は、自転車を押して歩いている瑠の斜め後ろを黙々と歩く。

 ・・・沈黙が痛かった。


 瑠は苛立っていた。

 ・・・何で夏枝はあんなことを言ったんだ?“おおきくなったね”と。

 自分の身近には、そう言ってくれる人はもういない、そう思っていたのに。それなのに、自分を憎んでいるはずの彼女がその言葉を発した。

 こんなこと・・・ありえない。なんで夏枝は自分に笑顔を見せるんだ?

(ありえない・・・)

 しかし瑠は朝菜に続いて、平野家の家へと足を踏み入れていた。

 夏枝がいることを知っていたら、ここには絶対に来なかったのに。

 いつもは無関心に見える朝菜が、珍しく必死に見えた。

 それに耐えることなんて、自分にとって楽なことだ。だからこの苛立ちも、それが過ぎるまで耐えてやろうじゃないか。

「そこの部屋だよ・・・」

 先に靴を脱いだ朝菜は、玄関に立ちそう言った。

 その金の瞳には不安が入り混じっていることがよく分かる。

「分かったよ」

 瑠は朝菜の横を通り過ぎ、その部屋へと入った。

「!!」

 途端に、テーブルの上に並べられたたくさんの食事が目に入る。

 瑠は自分の目を疑った。

「西園寺!たくさん食ってけよ!!まさか、平野家と夕飯が食べられるなんて、思いもしなかっただろー!?」

 翼はドカっと椅子に腰かけて、瑠に笑いかけた。

「・・・──」

 瑠は辺りをぐるりと見渡す。

 テーブルの前にある椅子に腰かけて、にこにこしている翼。

 微笑みながら、マグカップに飲み物を注いでいる夏枝。

 奥の席に腰かけ、穏やかな表情でこちらを見る明。

 自分の隣に立ち、不器用な笑顔を作る朝菜。

「こんなの・・・ありえない」

 瑠は探していたのだ。惨めな世界から離れることのできる夢を。

 夢なんて単純でくだらないものばかり。でも、惨めではない。不幸でもない。

「ありえなくないよ」

 夏枝はそう言うと、テーブルから離れ瑠に近づいてきた。そして、後ろから瑠の肩を押す。

「さ!瑠君も座ってよ」

「こんなの・・・くだらない!!くだらなすぎる!!・・・俺はこんなこと望んでない。こんなことされなくても、俺がムマである限りいくらでも幸せを見る方法はあるんだよ?」

 瑠は夏枝から離れると、口元に笑みを作ってみせる。

 この場の雰囲気が、一瞬で重くなったのを感じた。

「そのことは、知ってるよ」

 夏枝の口調は、自分とは違い穏やかなままだ。

 夏枝は言葉を続ける。

「それに・・・私はあの日・・・涙を流しながら、私のことを眠らせたスイマと、そのパートナーの幼いムマのことを知ってるんだよ」

「!!」

「あの時の・・・瑠君は、両親のことを求めていたよね・・・」

 瑠は夏枝の口から発せられた言葉に、大きく目を見開く。

(何でそんなことっ・・・)

「瑠君が施設にいたとき・・・仕事に行ったことがあったんだ。瑠君の意思の中にね。そこで・・・すべての真実を知っちゃったんだ」

 瑠は思った。夏枝はすべてを知っている。

 だって自分は、会えない両親を思い、そして夢の中でさえ会えなくて、朝起きては、こぼれそうな涙を一生懸命こらえていた。

 だって自分の隣にはトイロがいた。

 トイロは、幼い瑠を、必死に必死に励ましてくれたのだ。・・・だから、瑠は絶対に泣かなかった。

 それなのに・・・

「──・・・」

 瑠の目から涙がこぼれた。

 とても悔しい。

 トイロにさえ言えなかった気持ちを、夏枝は知っていた。

 夏枝が、瑠のとても大切な何かを粉々に打ち砕いていたことを、今、知った。

「・・・そんな記憶、消してやる」

 瑠はその髪とその瞳をムマのものに変化させる。そして、夏枝を強く睨みつけた。

「瑠!やめてよ!!・・・お母さんは瑠に何もしてないのに!!記憶は・・・そう簡単に消していいもんじゃないよっ・・・」

 朝菜は瑠と夏枝の間に割って入り、こちらを見てそう叫ぶ。

 しかし瑠はそんな朝菜のことでさえ、憎しみをこめた目で見た。

「・・・いいんだよ。記憶を消すなんてことは簡単なんだよ。それに、簡単に消していいものだ」

「・・・」

「・・・そうだ。朝菜の夢は退屈しのぎに丁度いいんだよね。朝菜もすべて、忘れればいいよ。そうすればそれだけ、いい夢が生まれるし」

 瑠の言葉に、朝菜は怯えたように目を伏せた。

「・・・」

 瑠はそんな朝菜から目を外すと、翼を見る。そして、彼の方へ歩み寄った。

 翼はそんな瑠を見て、その場から立ち上がる。

 今、瑠の心を満たしているのは、悔しさ、惨めさ、たったそれだけ。

「センパイ。俺と契約してくれるんでしょ」

「・・・」

 翼は瑠の言葉に、ただ沈黙を返すだけだ。が、次の瞬間、彼はニッと笑った。

「あぁ。もちろん!」

 翼は右の袖をたくしあげる。

 そこにはスイマの印が刻み込まれた腕が見えた。

「・・・」

「ほらっ」

 翼はその手を瑠に差し出してきた。

 瑠は躊躇わなかった。

 動揺した朝菜の声が背後から聞こえる。

 瑠はそれを空気のように聞き流し、翼の手を握った。

 翼もその手を、待ってましたとばかりに強く握る。

「・・・契約成立!」

 翼がその言葉を発したのとほぼ同時に、二人の手の間から淡い光が漏れた。

 すると、翼の腕に刻み込まれている印が静かに波打つ。

「─・・・」

 瑠はその光景に、懐かしさを感じずにはいられない。

 ・・・そう、自分はトイロとも同じように契約した。

 あの時は、先の未来が楽しくて明るいものだと信じて疑っていなかった。

 そう思っている間にも、そのツタに似た黒い印は瑠の腕の方まで伸びてくる。そして、その印は瑠と翼の手の境目ですっとちぎれ・・・印は瑠のものとなった。

「・・・──」

(でも、今は・・・)

 瑠は俯く。

 そう、あの時とはまったく違う。・・・想いも、状況も。何もかもが違っている。

「さてと!」

「!」

 顔をあげると、白い鎌を持った翼と目が合った。

「・・・」

 瑠は口元をつりあがる。

 あの時とは全く違う。でも・・・自分は今までのように、ムマとしての力が戻った。

 だから・・・今までと同じようにやっていけばいいことの話だ。

「西園寺!母さんと朝菜・・・どっちにするんだ?」

 翼はその鎌を朝菜、夏枝へと向ける。

「・・・」

「って・・・そんなことするわけねーだろ!!!」

「!!」

 翼はその手から白い鎌をかき消し、代わりにそのこぶしで瑠の頬を力いっぱい殴ってきた。

 瑠は思わぬ衝撃に床へと倒れる。

「っ・・・──!!」

「ほんとにバカだよ!!お前はっ!」

 翼は瑠のことを見下ろして、そう叫んだ。

「トイロがどんな気持ちで消えていったか・・・知ってるか!?」

「──・・・」

 瑠は平常心を装って、ゆっくり立ち上がる。できるだけ床から視線を外さずに。

少しでも顔をあげたら、この苦しみに歪んだ顔があらわになってしまうだろうから。

「トイロはな・・・お前が変わるのをただ待っていたんだよ。ずっとずーっと待ってたんだよ。お前の“最低な行動”に口だしすることもしなくてな」

「・・・」

「・・・トイロは本当に優しいやつだよな?確かにトイロは、掟を破った者として消えた。・・・本当にそうだと思うか?あのスイマは全てを自分のせいにして・・・そして、“大切な瑠”のためを思って消えていったんだぞ?」

「!!─・・・」

 瑠はただ沈黙を返すことが精一杯だった。

 トイロが翼に自分のことを頼んだことは知っていた。・・・それは瑠にとって嬉しいこと、ではなかった。

 トイロの想いはずっと昔から感じていたのだ。トイロは自分のことを想って、心配してくれていると、ずっと昔から瑠は知っていた。

 トイロは自分が“全ての記憶を夢へと変える”ということをしても、ただいつもと同じようにニコッと笑うだけ。それが悪いことだと知っていたはずなのに。

 ・・・やっぱりトイロは自分のことを大切に想ってくれている、そのときも瑠は、やっぱりそう思うだけしかしなかった。

 本当は違かったのに。

 想いだけじゃなかったのに。

 その微笑みは、願いだった。叫びだった。そして・・・トイロにとっての苦しみだった。

「ごめん・・・トイロ」

 瑠は俯いた。

「苦しませて・・・ごめん」

 瑠は唇をかみしめる。

 こんな残酷なことがあるだろうか。

 「ごめん」も「ありがとう」も伝えることができない。伝えるチャンスはいくらでもあったはずなのに。・・・自分は何も知らずに過ごしていた。

「まっでも、今日から俺がパートナーになったわけだし・・・」

「瑠君」

 翼の言葉を遮り、夏枝が瑠の方へ歩み寄る。

 翼は一瞬、ムッとした表情を浮かべたが、何も言うことはなかった。

「瑠君の気持ちを知っちゃって・・・とても悪いと思う。でもね・・・だからこそ、私たちに頼ってほしいの」

「・・・」

「それに、くだらなくない。トイロちゃんの想いは。だからさ、くだらないことだらけかもしれないけど・・・これからは大丈夫なんじゃない?」

 夏枝はニッコリと笑った。

「!・・・──」

 瑠は思わず、その夏枝の表情に釘つけになる。

 やっぱり似ている──・・・自分の母と。

「今までよく頑張ったね」

 夏枝は当たり前のように、その言葉を口にした。

 瑠は驚きを隠せなかった。

 ・・・まさか、その言葉を言われることがこんなにも嬉しくて安心できるものだったなんて。

 すると夏枝はしゃがみ込み、瑠の肩にそっと片方の手を乗せた。そして、瑠の耳に届くぎりぎりの声で呟いた。

「私はね、瑠君の両親はそのうち瑠君に会いに来てくれると思うの。まぁ、私も母親だしね。なんとなくなんだけど」

「─・・・」

 瑠は立ち上がった夏枝を見た。彼女は微笑んでいた。

 瑠は小さく頷く。・・・頷くことができた。

 そうか。すべてがすべてくだらないわけじゃない。

 トイロの想いも、トイロに伝えられなかったこの気持ちも。

(トイロは心配症だからね・・・)

 だから、その想いに少しでも応えてあげよう。瑠はそう思った。

「これからよろしくな!“瑠”!」

 翼は瑠に笑いかける。そして、親しげに肩を組んできた。

「・・・俺はセンパイのこと“翼”なんて呼ばないよ?」

 瑠はそう言って翼から離れる。・・・そして、微笑んだ。



 ここは朝菜の家とは全く別の場所・・・。

「ねぇ、知ってる?トイロのこと」

 今は真夜中。ミゾレの背景には、静まり返った住宅街と小さな月がポツリと浮かんだ空が広がる。

 ゼンは久々に聴いたトイロという名前に思わずドキリとした。

 そう、妹のトイロは“あの日”以来、一度も会っていない。いや・・・正確に言えば、一度も話していない。

 芯があの二人と会おうとしなくても、自分だけは時々二人の様子を見に行っていたのだ。

 もちろん、そのことは芯には秘密にしているが。

「トイロのことって・・・何だ?」

 ゼンはミゾレの方に近づくべく、隣りの家の屋根に飛び移った。

「ふふ。ゼンは知らないんだ?」

 ミゾレは微笑む。

「・・・いいから教えてくれ!」

 トイロに何があったのか。ゼンの鼓動はいつの間にか速めに波打つ。

「・・・訊いて後悔しない?」

「あぁ!!」

 ミゾレはゼンの瞳をしっかりととらえる。そして言った。

「・・・トイロは消えた」

「──・・・!!・・・消えたって・・・」

 ミゾレの口から発せられた言葉はゼンにとって、非現実なことだった。

 ミゾレはゼンから視線を外す。

「・・・そのままの意味。トイロはこの世界から消滅し、もう一生会えないってこと」

 ミゾレはその言葉をサラリと言うと、ゼンに背を向ける。そして、手に白い鎌を現した。

「そろそろ食事の時間ね・・・」

 ミゾレはこの場から立ち去ろうとする。が、肩越しにこちらに振り返った。

「・・・奈雪さんたちは、そのこと知ってるかしら?」

「・・・」

 ゼンはミゾレの言葉をきちんと聞くことでさえできなかった。

 ・・・まさか、トイロが──・・・。

 ミゾレはゼンの返事を訊けなくても、その口元に満足げな笑みを浮かべる。

 そして、その姿を搔き消した。





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