第1話「奇妙な夢と奇妙な転校生」
「学校のどこかに、開かずの間があるんだって」
この噂は、学校中に広がっているようだった。
もちろん、平野 朝菜のいる、1年7組の教室にもだ。
朝菜は、授業の終了のチャイムが鳴るとパタンと漫画本を閉じた。
「朝菜~。また授業中に、漫画読んでたでしょ?」
「!」
朝菜が顔を上げると、そこにはにやにやした遥香の顔があった。
どうやら、遥香は授業中、朝菜のことを観察していたらしい。
遥香の席は、朝菜の斜め後ろ・・・つまり、観察するには一番適した位置にある。
朝菜は、遥香に適当な笑いを返すと、漫画を机の中に押し入れた。
「ほら!また笑って誤魔化す!」
「はははは」
遥香は、半ば強引に朝菜の机から漫画を引っ張りだした。
その表紙には、黒の洋服を着た女の子が箒に乗って、空を飛んでるような絵が描かれてある。
朝菜にとってはお馴染みの漫画の表紙だ。だってこの漫画は、朝菜の大好きなシリーズの第一巻。
遥香は、その表紙を流すように見た後、パラパラとページを捲る。
「その漫画、おもしろいよ!遥香も読んでみれば?」
朝菜は、ファンタジーの漫画が大好きだ。
家には数えきれないほどあるし、漫画を読まない一日など朝菜にとってありえないことだ。
「私はこういうのより、恋愛とかのほうが好きだなー」
遥香は、ため息交じりにそう言うと、漫画を閉じて机の上に置いた。
朝菜は、予想していた答えだったので、そのことは気にせず言葉を続ける。
「・・・ねぇ、遥香。あの噂知ってる?」
「あー・・。開かずの間があるとかないとか・・・」
朝菜は、遥香の言葉に頷いた。そして、笑顔で言った。
「何か、面白そうだよね!」
遥香は、朝菜の言葉に眉を寄せる。
「えー。別にどうだっていいじゃん。ただの噂だし。開かずの間なんて、ないって」
「えー・・」
朝菜は、遥香の言葉にガッカリした。
何で、遥香は簡単にそんなこと言うんだろう?
朝菜は、開かずの間は絶対にあると密かに思っている。
開かずの間には、一体何があるんだろう。考えただけでも楽しい。
しかし、そのことはあえて口には出さなかった。否、出したくなかった。言ったとしても、遥香に軽く聞き流されて、終わってしまうのがおちだ。
遥香は、自分と違いきちんと現実を生きている人だ。
一方朝菜は、いつでも漫画のような場面に出くわすことを期待している。
とその時、授業開始のチャイムが教室に響いた。
「あっ・・遥・・」
しかし、そこには遥香の姿はない。
朝菜が肩越しに振り返ると、遥香は既に自分の席に着いており、次の授業の準備をしている。
他の生徒もまだ騒がしいが、ほとんどが着席しているようだ。
(私もやらないと・・)
朝菜は、次の授業はまじめに受けようと決めて、机の中から日本史の教科書を取り出した。
・・・まだ、先生は来ない。
朝菜は、さきほどの漫画の続きを読もうと思い、机の上に置きっぱなしの漫画に手を伸ばした。
「1年7組 平野 朝菜。職員室に来るように」
校内放送がそう言った。
(――・・・また呼び出しか・・)
朝菜は、浅くため息を吐いた。
朝菜にとって呼び出しは、別に驚くことではない。呼び出しなんて、日常茶飯事だ。
漫画のことは、ばれていない自信がある。だとすると・・・・。
朝菜は、席から立ち上がると、騒がしい教室を後にした。
「平野。どうしたんだ?その髪は」
「・・・これ自毛なんです」
今、朝菜の前にいるおじさんは、先ほどの授業担当の池田先生だ。
朝菜の髪の色を見た先生は、大抵そう言う。確か、このことで呼び出されたのは、これで三回目。
池田先生は、眉をよせて朝菜の髪をじっと見る。
「本当なのか?」
「・・はい。これ遺伝なんで」
朝菜は、いつもと同じように淡々と説明した。
池田先生の目つきからして、どうやら今回はただでは帰してくれなそうな予感がする。
朝菜の髪の色は、黒ではない。金色だ。外国人でもないのに。それに瞳の色は、普通の黒だ。
池田先生は、不服そうな表情を浮かべた。
「・・・それでは目立つから、黒く染めることはできないのか?」
「・・・・」
どうやら、朝菜の予感は的中したようだ。
朝菜は、困ったように微笑んで一回だけ頷いた。・・・一応は、頷いた。
この髪の色は、母から受け継いだものだ。朝菜は、この髪色を70%は気に入っていない。理由は、単純に目立つから。しかし、あとの30%は気に入っている。理由は・・・"母から受け継いだもの"だからだ。
先生が、行ってもいいという素振りを見せた。
朝菜は内心で、安堵のため息を吐くと、先生に軽く頭をさげてから職員室を後にした。
朝菜は次の授業も、その次の授業にも身が入らなかった。
一応、シャーペンは持っているものの全く手が動いていない。
考えているのは、"開かずの間"のこと。
開かずの間。響き的に、とてもいい感じだ。いかにも漫画にでできそうな・・・。
その噂が、朝菜の学校に流れているのだ。
朝菜は嬉しかった。そして、はらはらした。
本当にあったらいいのに。もしかしたら、本当にあるかも。だって、噂があるんだから。きっと何かはあるはず。
朝菜は開かずの間を開いてみたかった。否、開けなくてもいいから、見てみたかった。
朝菜は、その日の授業が終わるとすぐに家に帰った。・・・訳ではなかった。
朝菜の自転車が向かう先は、本屋だ。
今日は確か"BLACK DOG"と"クルム"の発売日。
朝菜は本屋に入ると、迷わず漫画売り場まで足を運んだ。新刊のスペースに、それらはきちんと並んでいた。
(よっしゃ・・・)
朝菜は漫画に手を伸ばす。
「おっ!朝菜だ」
「!」
振り返るとそこには、朝菜の兄=平野 翼の姿があった。
「あ・・・お兄ちゃん」
翼は、朝菜より二つ年上の兄だ。
翼は朝菜と同じ高校に通っているが、生徒の人数が多いためか、ありがたいことに学校内ではほとんど合わない。
翼も制服を着ているので、朝菜と同じく学校帰りにこの本屋によったのだろう。
「あ!また漫画買う気なのかよ?家に何冊もあるだろー」
翼は、目の前に並んでいる漫画本の山を見ながら言った。
「家にはない本だからいいの!」
「・・ふーん」
「・・・」
どうやら翼は、朝菜の話を真剣には聞いていないようだ。
朝菜はイライラしてきた。
「いいよなー。お前らは。俺たちは受験、受験って大忙しなのにさ」
「ふーん。それじゃ、何でこんなところにいるんですかー?」
「参考書選び!朝菜と違ってえらいだろ?」
「あー!いいからあっち行ってよ!」
翼は朝菜が大声を出すのを聞くと、にやにやしながら「わかった、わかった」と言ってこの場から立ち去った。
「・・・・はー」
朝菜は、翼の姿が消えたのをしっかりと確認すると、先ほどの二冊を手に取る。
とその時、朝菜の隣に来た人の手が、朝菜と同じ"クルム"の漫画をとるのが見えた。
(あっ・・・私と同じだ・・・)
朝菜は何となく気になり、その人の顔をちらっと盗み見た。
その青年(見た目的には朝菜と同じくらいだ)は、男なのにさらさらな髪。そして、黒に近い茶の髪色しており、肌は透き通るような白さだ。
朝菜がその青年ことをチラチラ観察していると、その青年がこちらに振り向いた。
「!・・・」
朝菜はドキリとして、反射的に下を向く。
「この漫画、面白いよね」
「!」
朝菜は、驚いて顔を上げた。
そこには、微かに微笑んで朝菜を見ている先ほどの青年の姿があった。
どうやら朝菜に話しかけたらしい。
「あっ・・・うん」
朝菜は突然のことに驚いた。
知らない人に、店の中で声をかけられたのは初めてだ。
朝菜はここから早く離れたかったので、自然にこの場から立ち去ろうとした。
が、青年に背を向けた瞬間、空いているほうの手首を軽く掴まれた。
「え・・・?」
肩越しに振り返ると、先ほどの青年が、落ち着き払った表情でこちらを見据えている。
「君・・・いい夢を持ってるね」
青年の声は、小さくて薄い声だったが、朝菜の耳の奥で確かに響いた。
朝菜が目を見開いて、青年のことを見ていると、青年は朝菜の手首からゆっくりとその手を離した。その顔には、謎めいた微笑みが浮かんでいる。
(一体・・・何・・)
朝菜は、表情を引きつらせたまま、何とかこの場から離れることができた。
後ろがかなり気になったが、どうも振り向く気にはなれない。
あの青年は、気味が悪かった。
掴まれた手首に、まだその感覚が残っているように感じた。
朝菜は素早く会計をすませ、店からでた。
出来るだけあの青年のことは、頭の隅に追いやるように努力した。それに、家に帰れば漫画を読むという楽しみが待っている。あんなことは忘れられそうだ。
朝菜は、自転車にまたがるとペダルをこいだ。そして、スピードを上げ自宅にむかった。
家に帰って、茶の間を覘くと、朝菜の父親=平野 明が夕食を並べているところだった。
「ただいま」
朝菜が声をかけると、明は顔だけをこちらに向けた。
「おかえり。朝菜。今日の学校はどうだったかい?」
「別に、普通だよ」
「そうか」
これが、いつものお決まりの会話だった。
「もう夕食にするから」
「うん」
朝菜は、それだけ言うと、茶の間を後にして、二階へと続く階段を駆け上がった。
父は家事もやって、仕事もこなしている。平野家の母と言っても過言ではない存在だ。
まぁ、たまには朝菜も、それを手伝ったりしているのだが。
朝菜は、自室に入ると、鞄を机の上にドサッと置いた。
そして、電気スタンドの隣に置いてある写真に目をやった。
そこには、朝菜と翼と明が写っている。たしか、朝菜が高校に入学したときに、校門の前で撮った写真だ。
そして、別の写真から切り抜かれた、朝菜の母=夏枝の写真がその写真に貼り付けてある。
夏枝はもうこの世にはいない。朝菜が幼いころ、いなくなってしまった。
夏枝は、とても綺麗な金髪をしている。そして朝菜も。しかし、明と翼は普通の色だ。
この髪色は、朝菜だけが母から受け継いだものだ。朝菜は、そのことがとても嬉しかったりする。
だって、自分の髪色を見れば、母のことを思い出す。母の髪色を見れば、自分の髪色を思い出す。
何か繋がってる。・・・親子って感じだ。
母との記憶がほとんどない朝菜にとっては、自分の髪色は母を感じさせてくれるものだった。
朝菜が茶の間に入ると、明と翼はすでに固定の位置についていた。
二人ともテレビを見ている。テレビには、7時のニュースが流れていた。
朝菜も自分の席に腰をおろした。
目の前のテーブルには、明が作ってくれた夕食が並んでいる。
「お父さん、お兄ちゃん。早く食べようよ」
明と翼は、朝菜の声に同時にこちらに振り返った。
「おしっ。食べっか」
翼はそう言うと、箸を手に持ち、皿にのせてあるコロッケに箸を伸ばす。
明も、ビールが入ったコップに手を伸ばした。
「頂きます」
朝菜は、小声でそう言うと箸を手に持った。
「・・・・」
食べ始めた明と翼の目は、テレビ画面に注がれていた。
朝菜もつられて、テレビ画面に目をやる。
アナウンサーのお兄さんが、目を見開いてこちらに向かって話していた。
『眠ったまま意識を取り戻さなかった少女が、今日の午前八時前後に目を覚ましました。
しかし、彼女は眠る以前のことを何も覚えておらず、両親の顔も認識できない状況ということです。専門家の話しよると・・・・』
朝菜は、テレビ画面から目を離すと言った。
「何か変わった事件だねー」
「寝ぼけてるだけなんじゃねーの」
翼はテレビには興味を失くしたらしく、次々と夕飯を口に運んでいる。
ただ、明だけがテレビ画面に見入ったままだった。
「あっ。お兄ちゃん、ちゃんとお父さんのぶんも残しておかないと駄目だよ!」
翼は、まさにその時、最後の一つのコロッケに手をつけようとしているところだった。
「ちっ。ばれたか」
翼は、冗談っぽくにやにやしながらそう言った。
「・・・・はっ・・・」
(お兄ちゃんは・・・ほんと元気だなぁ・・・)
明は、テレビ画面が天気予報に切り替わると、何事もなかったかのように夕飯を口に運び始めた。
その後、しばらく沈黙が続いた。テレビだけが、明日の天気予報を伝えるために、話してしる。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
翼は、朝菜のほうに目を向けた。
朝菜は、口の中でコロッケの味を味わいながら、言葉を続けた。
「お母さんって、どういう人だったか覚えてる?」
「・・・・」
翼は、箸の動きをぴたりと止め、朝菜を見た。その眉間には、しわが寄っている。
「その話はするんじゃない!!」
「!!」
突然、明が大声をだした。
朝菜と翼は、目を見開いて明を見る。
明は、今までにない恐ろしい表情をしていた。
こんなに怒った明は初めてだ。いつもは、大声をだすことさえ滅多にないのに。
朝菜と翼は、茶碗と箸を手に持ったまま固まっていた。
そして少したつと、明の表情はみるみるうちに穏やかになった。もう、いつもの明の顔だった。
そして、明は呟くように言った。
「・・・すまん。もうその話はしないでくれるか?」
朝菜は、何がなんだか分らないまま、一回だけこくんと頷いた。
朝菜の頭の中は「どうして?」という疑問しか浮かんでこない。
朝菜は、自分の母親のことをほとんど知らないのに。ただ、少しだけでもいいから知りたいと思っただけなのに。
お母さん・・・。私、お母さんのこと、もっと知りたいよ。どんな声で話してたとか、口癖は何だったとか。自分のことをどう思っていたのかとか・・・。
朝菜は教室の自分の席に座って、いつものように漫画を読んでいた。
今は、休み時間。教室の中はとても騒がしい。
朝菜は、顔をあげて時計に目をやった。
授業開始のチャイムがなるまで、あと二分ぐらい。
(もうチャイムなっちゃう・・・)
朝菜は急いで、漫画に目を戻した。
「朝菜」
「!」
朝菜が横に振り向くと、瑠が隣の席に座りこちらを見ていた。
瑠は、とても綺麗な青年だ。さらさらな銀色の髪、そして水晶玉のような銀色の瞳。
「何?」
瑠は、体ごとこちらに向けて座っている。そして、表情はいつものように穏やかだ。
「俺・・・朝菜のことが好きなんだ」
「!・・・」
瑠はそう言ってるわりに、表情をほとんど変えていない。
朝菜は、突然のことに次の言葉がでてこなかった。
「えっ・・・!?」
瑠は微笑んだ。
そして、いきなり朝菜の後頭部に手をまわすと、朝菜の唇に軽くキスをした。
そして瑠は、朝菜の瞳をまっすぐに見た。
「俺の気持ち本気だよ。俺と付き合ってくれる・・?」
「!!」
朝菜は、反射的に頷いていた。
朝菜も瑠のことは嫌いでない。むしろ、好きに近い方だ。
「うれしいな」
瑠は、にこっと笑った。
朝菜も、瑠につられて自然と笑みがこぼれた。
「朝菜、二人だけになれるところ行こうよ」
瑠はそう言うと、朝菜の手を取り立ち上がった。
朝菜も瑠に続いて立ち上がる。
クラスの皆は、今までのことがなかったかのように、騒がしいままだ。
朝菜は瑠に促されるまま、生徒のあいだをすり抜け教室から出た。
気がつくと朝菜は、一階にある渡り廊下に立っていた。手は、隣にいる瑠の手と繋がれたままだ。
「こっち」
瑠は朝菜を促した。
そして、渡り廊下の太い柱の陰に回り込んだ。
そこには扉があった。柱に扉がついている。金属らしきものでできており、そこにはツタのような変わった模様が彫られていた。
「この扉は、俺が見つけた扉なんだ。普段は"開かずの間"なんだよ」
「・・・・」
朝菜はただその扉に見入っていた。
(開かずの間・・・?)
瑠が、その扉を片手で押すと、開かずの間は意図も簡単に開いた。
扉の中は・・・・闇だった。まるでそこに何もないかのように、扉の中は闇で染められていた。
「朝菜、はやくこっちおいでよ」
「!」
朝菜は、誰かに手を引っ張られた。否、おそらく瑠に手を引っ張られた。
扉の中から瑠の手だけが出ており、朝菜の手を力強く引っ張る。
「はやく!」
「!!」
闇から、声だけが聞こえてくる。瑠の姿は見えない。闇しか見えない。
朝菜の手を引く力は、より一層強くなる。とても力強い。
・・・この手は、本当に瑠の手なのだろうか?闇の中から聞こえてくる声は、本当に瑠の声?
真実はすべて闇の中だ。・・・闇なんて信用できない。
「はやく!」
「っ・・・!」
(怖いっ・・・!)
心臓の鼓動が速くなる。冷汗が噴き出す。手から逃げられない。掴まれてる手が痛い。
とたん、闇の中からもう一本の手が、伸びてきた。その手は、朝菜の足をなめるように掴む。
「朝菜!」
「!!」
朝菜は目を開けた。天井が見える。
朝菜は、自室のベッドに横になっていた。
「大丈夫かよ?」
声のほうに目をやると、そこには翼が心配そうな表情を浮かべて立っていた。
「お兄ちゃん・・・」
朝菜は、ゆっくりと体を起こした。
「怖い夢みた・・・・」
朝菜の心臓はまだ落ち着かなかった。ただ、とても怖かった。
「まっ。よかったな。起きられて」
「・・・」
「何怖い顔してんだよ~。ただの夢だろ?」
「・・・・うん」
翼は朝菜の頭をぐりぐりとなでると、「はやく下にこいよ」と言葉を残して、朝菜の部屋から出て行った。
まだ、手に痛みが残っている感じがする。冷汗もかいていた。
・・・・久しぶりに恐ろしい夢を見た。
朝菜は、朝食のときも夢のことが頭から離れなかった。
あの青年は誰だろう。銀の髪と銀の瞳を持つ青年。夢の中で朝菜は、その青年のことを"瑠"と呼んでいた。瑠なんて人、朝菜の知り合いにはいない。それに知らない人(夢の中では知っていたが)と、何でキスなんてしないといけないの?
それに開かずの間・・・はあった。夢の中では。その中は、本当の闇だった。何も見えなかった。
「ねぇ朝菜!」
「!」
遥香が苛立ちの混じった顔で、朝菜の顔をのぞきこんだ。
朝菜は、はっとして遥香を見る。
「さっきからおはよーって言ってたのに、聞こえなかったの?」
「あっ・・・ごめん」
朝菜は教室に入って、席についてからも夢のことを考えていたせいでぼーっとしていた。
そのせいで、遥香が来たことにも気がつかなかったらしい。
開かずの間・・・銀髪の青年・・・いかにも漫画に影響された夢だと思った。開かずの間・・・夢の中では、渡り廊下の柱の影にあった。本当にあるのだろうか。今度行ってみよう・・・・なんて。
「ほら!またぼーっとしてる」
「!・・・・はははは・・・は」
「・・・何か悩みでもあるの?」
「はは・・・別にないよ。・・・ただ、開かずの間の夢みたからさ」
遥香は、朝菜の言葉に大きく目を見開いた。そして、笑いだした。
「・・・くくっ。朝菜って夢にまでそういうの見るの?まぁ・・・学校で噂になってるけどさ・・・・。漫画の読みすぎだよっ」
「えー。別にいいじゃん。確かにそうかもしれないけど・・・」
朝菜は、遥香に図星をつかれてドキリとした。
「ははは。自分でもそう思ってんじゃん」
遥香は軽く笑うと、思いついたようにぽんっと両手を合わせた。
「そうだ!知ってる?今日、このクラスに転校生が来るんだって」
「転校生?」
朝菜のクラスに転校生が来るのは初めてだ。
どういう人だろう?男子?それとも女子?もし、女子だった友達になりたいな・・・。
とその時、担任の先生がつかつかと教室に入ってきた。先生は、後ろに転校生らしき人を従えている。
ここからではよく顔は見えないが、どうやら男子のようだ。
遥香は、先生の姿を見ると、素早く自分の席についた。
先生は、教卓の前で足を止めた。
「今日は、転校生を紹介するぞ」
先生はそう言うと、転校生に自己紹介をするよう促した。
転校生は、先生に軽く微笑むと口を開いた。
「西園寺 瑠です。これからお世話になるので、よろしくお願いします」
その人は、緊張する様子なくさらっと言った。
「!!」
(瑠って・・・夢に出てきた人と同じ名前だ・・・)
朝菜の心臓が大きな音をたてる。
これは偶然なのだろうか。それとも予知夢?・・・否、この人は銀髪ではない。普通の髪色だ。・・・きっと名前が同じだけなんだ・・・・。
その転校生の"瑠"は、男のくせに透き通るような白い肌で、髪はさらさらだった。
「・・・?」
(どっかで見たことあるような・・・)
・・・そうだ!!と朝菜は、心の中で叫んだ。
朝菜は、西園寺 瑠と会ったことがあったのだ。数日前、本屋で。朝菜の手をつかんできた変な人だ。
クラスのみんなは、ひそひそと何かを話している。
おそらく、瑠が他の男子と違う雰囲気を持っているからだろう。
瑠は、何と言うか見た目もそうだが、どこかの国の王子様のような雰囲気を持ち合わせていた。
瑠は、生徒の注目を浴びても、相変わらず大人びた表情を崩していない。
朝菜は瑠に気づかれないように、できるだけ頭を机に近づけた。
否、この髪の色だし、気づかないほうが変だと思う。
しかし朝菜は、あの青年とかかわりたくなかった。また変なことを言われるかもしれない。
瑠は、先生に指示された席に着くために、生徒の机と机の間を通って、一番うしろの席に着いた。
生徒の目は、自然と瑠に向けられている。しかし、朝菜だけは、机ばかりを見つめていた・
(話かけられませんように・・・)
「ねぇ朝菜!次、移動教室だよ!」
「!」
朝菜が顔を上げると、そこには遥香の姿があった。
いつの間にか、朝のSHRは終わっていたようだ。
遥香は、手に家庭科の教科書を持っている。
「そうだ!」
朝菜は、机の中から教科書を取り出し、筆記用具を持って席から立ち上がった。
次は家庭科なので、家庭科室に移動しなければならない。
朝菜は遥香に続いて教室を出るとき、チラッと瑠の座っている席を見た。
瑠は、クラスの男子(多分、前の席の子だ)と話している。いたって普通に。
(よかった・・・)
朝菜はすぐに視線を戻した。そして、早足で遥香に追いついた。
(このまま関わらなく、済めばいいんだけど・・・)
朝菜は、懸命にそのことを心の中で祈った。
朝菜は移動中、ある重大なことに気づいた。
次、移動する教室は家庭科室。家庭科室は、西校舎の一階。渡り廊下を通る。
夢の中で開かずの間があった場所だ。
確認するには、絶好のチャンスではないか。
朝菜は、心臓の鼓動が速くなるを感じた。こんなことは、馬鹿げていると分っている。でも、気になった。
わざわざ行くわけでもないし、太い柱の影をちょこっと覘くだけでいいのだ。
(・・・でも・・)
そんなところを遥香に見られたら、また馬鹿にされるだろう。そのことだけは、避けたかった。
遥香が、西園寺 瑠のことを話しているが、まったく頭に入ってこない。「うん」とか「そうか」などの適当な返事をして会話をしていた。
そして、朝菜は遥香に声をかけた。
「トイレ寄ってくから、先行ってていいよ」
「あっ・・・分った」
朝菜は遥香の言葉に安心すると、その場で方向転換した。とその時、遥香が朝菜を呼びとめた。
「朝菜!教科書、持って行ってあげようか?」
「・・・あっ、ありがとう」
朝菜は一瞬、どきりとして、遥香の教科書の上に自分の教科書と筆記用具を乗せた。
(ほんとは、トイレには行かないんだけど・・・)
朝菜は遥香に嘘をついて、悪い気がした。
朝菜は遥香と別れて、来た道を引き返した。他の生徒の流れと自分だけが方向が逆なので、少し違和感がある。
朝菜は、少しだけ歩いてまた方向転換すると、生徒の流れに乗った。
渡り廊下はもう目の前だ。
朝菜は自然に早足になって、渡り廊下にでた。
(多分・・・ないけど・・・)
朝菜は生徒の流れから抜け出して、太い柱の影を覗いた。
しかしそこにあったのは、コンクリートの普通の柱だった。
(やっぱりねー・・・)
夢は夢。現実は現実だ。
少しだけでも、期待していた自分が恥ずかしかった。ドキドキハラハラすることなんて学校にあるはずがない。・・・毎日が同じなんだから。
「平野さん」
「!」
朝菜が驚いて振り向くと、そこには転校生、西園寺 瑠の姿があった。
朝菜は驚いて声も出なかった。
朝菜が今いる場所は、普通に渡り廊下を歩いているだけでは、丁度、柱の影になって見えない場所だ。
(・・・もしかして・・見られてた・・?)
瑠は朝菜の姿を見て、口元だけで笑った。
「本屋のとき以来だね・・・。"クルム"は読んだ?」
「・・・」
朝菜は適当に微笑んで、この場から立ち去ろうとした。余計なことを言われる前に、ここから離れなくては。
すると突然、瑠が柱に手をついて朝菜の行く手を遮った。
「!!!」
「・・・・なんで逃げるの?」
朝菜は恐怖で固まった。
瑠の強い視線を感じる。
「逃げたわけじゃ・・・・」
朝菜の声は、小さくカサカサの声だった。瑠にきこえたかどうかも分らない。
「何で逃げるの?・・・キスまでした仲なのに」
「!!・・・」
(いったい・・・何言ってんの・・?)
「ねぇ、朝菜・・・俺の顔見てよ」
瑠はそう言うと、柱からゆっくりと手を離した。
朝菜は反射的に、瑠の顔を見た。
「!!」
瑠は、さっきまで朝菜が見ていた瑠の姿ではなかった。
流れるような銀色の髪。そして、水晶玉のような銀色の瞳。
・・・・朝菜の夢にでてきた"瑠"の姿になっていたのだ。
(こんなことって・・・)
瑠は目を見開いている朝菜を見て、微笑んだ。
すると、次の瞬間、瑠の髪が毛先から流れるようにして元どおりの色になった。
瞳の色も一瞬のうちに、元の色になる。
「さっきの色じゃ、目立っちゃうしね。普段はこの色でいるんだよ」
瑠は淡々とした口調で話している。
朝菜は目の前で起こったのことがいまだに信じられず、ただ茫然と立ち尽くしていた。
「朝菜は・・・夢に出てきた"開かずの間"が本当にあるかどうか確かめに来た。・・・そうでしょ?」
「・・・」
(何で知ってるの・・・・?)
まるで瑠が、朝菜の夢の内容を知っているかのような口ぶりだ。
瑠は言葉を続ける。
「図星・・・みたいだね。・・・でも、現実にはあるわけないよ。現実は起こることが限られている。夢の中のように、何でもありというわけにはいかないからね」
「・・・」
朝菜は瑠の言葉にカチンときた。
そんなことは分っている。
「それにその噂、流したの俺だよ」
「・・・は?」
「夢見がちな人や、好奇心が多せいな人はそういう噂を知りたがるしね。そういう人は大体"いい夢"をみるんだよ」
「?・・・」
朝菜は顔をしかめた。
(何言ってんの・・)
瑠はそこでにやりと笑みを浮かべる。
「でも、もうそのことはどうでもいいや。・・・今までにない"いい夢"を持った人がいたんだから」
とその時、授業開始を知らせるチャイムがなった。
すでに、渡り廊下には生徒の姿は見当たらない。
「・・・授業にいかないとね」
瑠はため息まじりにそう言うと、朝菜に背を向けて歩き出した。
朝菜のことは振り返らず、瑠の姿は渡り廊下から消えた。
「・・・」
(よかった・・・)
朝菜は、意外と普通に授業に行ったことに驚いたが、今は安心感のほうが大きかった。
そして、"瑠は普通ではない"そう思った。
いい夢をみるかどうかなんて、他人から見ればどうでもいいことなのに。
それに瑠は朝菜のみた夢を知っていた。
そして、あの髪の色と瞳の色・・・。
絶対に瑠は・・・・普通の人間ではない。
朝菜が教室の前まで来ると、ちょうど担当の先生が教室にはいるところだった。
(やばっ・・・)
朝菜は、急いで教室の後ろのドアへ駆けこんだ。
四人一組で座れるようになっている机の、自分の席へ行き、始まりのあいさつをしてから席に着いた。
机の上には、朝菜の教科書と筆記用具がきちんと並べておいてあった。
「・・・」
朝菜は、別の机に座っている遥香にありがとうの合図を送ろうと思い、遥香のほうを見たが、彼女はこちらを気にしている様子はない。
朝菜は、遥香から目線を外した。
(いいや。休み時間に言おう・・・)
「・・・」
朝菜はどうしても気にせずにはいられず、瑠に目線を移した。
瑠はさっきまでのことがなかったかのように、同じ机に座っている人とおしゃべりをしている。
・・・こうして見れば、普通の高校生だ。
(いったい何なの・・・・?)
瑠は、謎だらけだ。
それとも、さっき朝菜が見た瑠の姿はただの幻?
まだ朝菜は、夢の続きを見ているのでも言うのだろうか。
謎を解こうと思っても、朝菜にはとけないだろう。
朝菜は、もう瑠とは絶対に関わりたくないと思ったからだ。
「静かにしなさい」
先生がそう言うと、周りのざわめきが少しだけおさまった。しかし、まだおしゃべりに没頭している生徒もいる。
この先生はきつくは言わないということを、クラスの皆は知っていた。
先生は、それ以上は何も言わず黒板に何かを書き始めた。
「ユニバーサルデザインについて」
家庭科室に来たからといって、毎回、調理実習をやるとは限らない。
今日は、教科書の内容にそって授業をやる日だ。
(あ~ぁ・・・)
退屈な授業だ。
朝菜は、瑠のことをできるだけ頭の隅に追いやって、教科書を開いた。
瑠は、先生が黒板に文字を書き始めると、教科書とノートを机の上に開いた。
しかし、まったく授業を受ける気にはなれなかった。
・・・今夜が待ち遠しくて仕方がない。
こんな"いい夢"を持った人に会えたのは久々だ。
今までは、くだらない夢やつまらない夢を持った奴らがほとんどだった。そんな奴らの夢は、退屈しのぎにもなりはしない。
「ねぇ。瑠」
「!」
その声とほぼ同時に、トイロが瑠の隣に姿を現した。
トイロは、肩につくぐらいのしなやかな黒髪と、大きな黒い瞳の持ち主だ。そして、彼女の右肩から手首にかけて、ツタに似た黒い模様がそこに刻まれている。
「何?"スイマ"のトイロが昼間から・・・どうしたの?」
トイロは、瑠の言葉を聞くと困ったような笑顔を作って言った。
「あの・・・この部屋にいる人たちの誰か一人のでいいんだけど・・・"気"を分けてもらってもいい?
何か疲れちゃって」
「・・・いいよ。だけどそんなことは俺に聞かなくても、大丈夫だと思うんだけどな」
「・・・うん」
・・・スイマの人々は、人が起きている間に使っている力="気"を自分に取り込むことによって生きている。いわば、人の気はスイマの人々にとって、生きる源なのだ。
トイロが、両手を自分の胸の前までもってくると、その手の中に等身大の鎌が音もなく現れた。
その鎌は、トイロの髪色とは逆に、全身が真っ白だ。
スイマの鎌は、誰かを傷つけるために使うのではない。
・・・自分が生きるために使うのだ。
スイマの人々にとって、その鎌は自分の魂と言っても過言ではないだろう。
だから、トイロの使う鎌はこうも美しい色をしているのだ。と瑠は思った。
トイロは鎌を片手で持ち、身軽にジャンプすると、机の上に着地した。
・・・もちろん、トイロの姿は普通の人間には見えない。
トイロは、瑠の向かい側に座っている女子生徒に鎌を向けた。そして、彼女の体めがけて、鎌を勢いよく振り下ろした。
その鎌は彼女の体を勢いよく切り裂く。
・・・もちろん、そこから血はでていない。代わりに彼女の体からあふれ出たのは、小さな光の粒だ。
それらは、次々とトイロの体へ吸い込まれるように消えていく。
「ごちそうさま。ありがとう」
トイロは自分の姿が見えないと分っていながらも、笑顔でそう言った。
「トイロ。今夜、忘れるんじゃないぞ」
瑠は隣に着地したトイロに、できるだけ小声で言った。
「うん。分ってる」
トイロは微笑んだ。
「それじゃ・・またね」
その言葉と可愛らしい笑顔を最後に残すと、トイロはその姿をかき消した。
「・・・」
瑠は、向かい側に座っている女子生徒に目を移した。
彼女の、黒板の文字を写しているはずの右手のシャーペンはノートの上で止まっている。
そして彼女の顔は、下を向いたまま動かない。
スイマに"気"をとられると、大抵の人間は動けなくなる。そして、意識を保つのが難しくなる。
・・・彼女は眠ってしまったのだ。
朝菜は放課後になると、急いで家に帰った(瑠から一秒でも早く離れたかったからだ)。
明日から毎日、瑠と顔を合わせることになると思うと、気がめいる。
それに、瑠が"普通の人間ではない"と知っているのは、恐らく朝菜だけ。仮に他の誰かに言ったとしても、軽く流されてしまうだろう。
あの時のこと話しても、誰も信じてくれる人はまず、いない。反対に馬鹿にされて恥をかくのがおちだ。
誰でもいいから、あの時のことを話したい。自分の中だけでこの気持ちを閉じ込めていることは、朝菜にとって辛いことだった。
まるで漫画の中のような出来事だ。と朝菜は思った。
朝菜は漫画の中の世界に憧れていたが、実際そのような体験をしてみると、そんなにいいものではないことが分かった。
これからの毎日が不安になる。
あの瑠という青年は、いったい何者だろう。
なぜ朝菜だけに目をつけた?
これから、瑠と一言も話さずに学校生活を送ることはきっと無理だ。そう思った。
何が起きるか分らないという不安が、朝菜を縛り付けた。その不安が、"恐怖"に変わらないことを朝菜は懸命に願った。
朝菜は例のことを、夕食のときに思い切って話してみた。
家族の間だけなら、翼と明以外に決してこの話を聞かれることはないからだ。
明は朝菜の話が終わると、微笑んで「そうか」と言っただけだった。
・・・信じてもらえたかどうかは分らない。
翼は朝菜の話を真剣に聞いてはいたが、話が終わるとにやけた顔になって「面白い話だなー」と今にも大声をだして笑いだしそうな声で言った。
・・・多分、信じてもらえなかった。
「・・・はー」
(・・・話さなければよかったかも)
家族の反応は予想通りと言ったら予想通りだったが、いまいちしっくりこない。もっと自分の話に、興味を持ってもらいたかったというのが本音だった。
今の朝菜は・・・。
自室の机に向かっていた。
もうお風呂にも入ったし、歯も綺麗に磨いた。後は、明日学校で行う漢字の小テストの勉強をやってしまえば完璧なのだが・・・。これがなかなか進まない。
机の端に置いてある置時計に目をやった。
10時45分。・・・さっき時刻を確認した時から、三分しか進んでいない。
早く終わりにして、漫画読みたいのに。
「集中しなくちゃな・・・」
朝菜は自分に言い聞かせるためにも、そう呟いた。
朝菜の家から少し離れたところに建っているアパート。
その一室に瑠はいた。
2、3人掛けのソファに腰をおろして、本を読んでいる。
トイロはベランダにでて、夜空の星を仰いでいる。
瑠が本のページをめくる音以外、聞こえる音はなかった。
瑠は壁にかけてある時計に目をやった。
午後11時。
瑠は、満足げな笑みを浮かべると、本を閉じ立ち上がった。
「トイロ・・・そろそろ時間だ」
ベランダに立っているトイロは、肩越しに振り返ると頷いた。
トイロは部屋とベランダの間にある窓をすり抜けて、瑠の隣に来た。
「今夜も"ムマ"としての仕事を完成させるぞ。今回は久々にいい夢を見つけたからな。・・・やりがいがありそうだ」
トイロは瑠の言葉に嬉しそうに頷いた。
「それじゃ、私、行ってくるね」
トイロはその言葉を残すと、その場で姿をかき消した。
・・・ムマの仕事は、スイマがいないと成り立たない。
スイマの能力で相手を眠らせその後、ムマが、眠っている相手の意思の中へ侵入する。そして、相手の記憶を夢へと変える。
スイマは人間ではないので、どこでも移動できるし、相手が普通の人間ならば姿を見られることもない。
一方ムマは、普通の人間なので、ムマ以外の能力は使えない。しかし、それでも困ることは決してない。
ムマは相手の近くにいなくても、顔が分っていれば、いつでも相手へ侵入できる。
瑠は気合を入れるため、左の袖をたくし上げた。
そこには、トイロと同じ黒いツタの模様が刻まれている腕が見える。
この左腕は、スイマと契約した証だ。
ムマはスイマと契約しなければならない。
スイマはムマと契約しなければならない。
それらのことは、瑠たちにとっては必然なことなのだ。
トイロは、朝菜の部屋に姿を現した。
金色の髪を持った少女=朝菜は、机に向かっていた。
トイロは朝菜の顔を覗き込んだ。
「こんばんは。朝菜ちゃん」
もちろん、返事はない。
朝菜は真剣な表情で、ノートに文字を書いている。
(よしっ・・・)
トイロの手の中に、等身大の鎌が音もなく現れた。そしてそれを、しっかりと握りしめた。
「たくさん・・・もらうね」
トイロはそう呟いて、鎌を高く振り上げた。
「朝菜!」
「!」
突然、どことなく朝菜に似た黒髪の青年が部屋のドアを開いた。
その瞬間、トイロの手の中に握りしめられていた鎌は消えた。・・・・スイマの鎌は、相手が特定の条件を満たしていないと使えないのだ。
彼は、部屋の中までズカズカと入ってきた。
「!!」
その時、トイロと彼の目が合った。
「・・・・・?」
トイロは思わぬ出来事に、彼の顔を凝視した。
(もしかして見えてるの・・・?)
しかし、彼は何事もなかったかのように、トイロの目の前を通り過ぎる。
(・・・気のせいか)
朝菜と彼は、何か楽しそうに会話を始めた。
トイロはただそれを、呆然と眺めていることしかできなかった。
「どうしよ・・・」
どちらにしろ、このままでは鎌は使えない。
トイロは浅くため息を吐くと、いったん、瑠のいるアパートに引き上げるべく、この場を後にした。
「お兄ちゃん!」
「!」
朝菜がそう声をかけると、翼は驚いたように朝菜の顔を見た。
「さっきから後ろばっかり気にしてない?」
朝菜は翼がさっきまで見ていた方に、目線を送りながら言った。
翼はにやりと笑って、そのほうを指差した。
「さっきあそこに幽霊がいたんだよ」
「!」
朝菜は疑いのまなざしで翼を見た。
翼の顔は相変わらずにやけている。
「嘘でしょ!顔にやけてるし、お兄ちゃん霊感ないじゃん!」
朝菜は、幽霊系が苦手中の苦手なので、嘘を早く認めてもらいたくて強めの口調で言った。
「いやっ、マジだし」
「嘘だ!」
朝菜は半ば叫ぶように言った。
翼はそんな朝菜の様子をしばらく観察していると、朝菜のことをからかうように、今度は反対のほうを指差した。
「あっ!あっちにも幽霊が!」
「・・・」
朝菜は我慢できなくなり、勢いよく椅子から立ち上がると、翼の背中を押して部屋から出て行くよう促した。
「やめてよっ!漢字の勉強しなくちゃいけないんだから、邪魔しないで!それに、私の部屋に勝手に入ってこないで!」
翼はいつも朝菜の部屋に、何のためらいもなく入ってくる。
入るときは、ノックぐらいはしてほしいものだ。
今日の朝だって、朝菜が寝ているときに勝手に部屋に入ってきた。
(そういえば・・・何で今日の朝、お兄ちゃん私の部屋にいたんだろ。そんなに私・・・うなされてたのかな・・)
そのような考えが頭をよぎったが、今はただ、翼に部屋から出て行ってもらいたかった。
ドアの前まで行くと、突然、翼は朝菜のほうに振り返った。
「ちょっと待てよ!今夜、徹夜で俺と一緒にゲームやらないか?学校帰り、新しいRPG買って来たんだ♪」
朝菜は動きを止めると、翼の顔を見た。
「やりたいけど・・・明日、学校だし」
「何言ってんだよー。明日、祝日で休みだろ!?」
「あっ・・・」
そうだ。明日は祝日だった。てっきり明日、漢字テストがあるものだと思っていた。
「じゃ、決まりだな!早く俺の部屋に来いよ!」
翼はそう言うと、逃げるように去って行った。
(・・・まだやるとは言ってないのに・・・)
新しいゲーム・・・やりたいことはやりたいが、徹夜ということがどうも嫌だった。徹夜できたのは、大晦日ぐらいだ。
それに夜は、あったかい布団でぬくぬく眠りたい。
(まっ・・・眠くなったら寝ればいいか・・)
翼は、一階へ続く階段を駆け下りて、居間の扉を開けた。
居間では、明がノートパソコンを開き、家に持ち帰った仕事をしているらしい姿があった。
翼は明の隣に駆け寄った。
明は何事かと思い、メガネ越しの黒い瞳を見開いた。
「父さん!大変だ!!あの時のスイマが朝菜のところに来た!!」
「!・・・」
明は翼の言葉に、スッと目を細めると頷いた。
「昨日のニュースといい、朝菜の話といい、当てはまりすぎていたからな・・・」
「・・・それじゃ、やっぱりパートナーの“あいつ”は朝菜のことを狙っているのか!?」
「・・・そのことで間違いなさそうだ」
「っ・・・」
あのスイマのパートナーのあいつ・・・西園寺 瑠、は超危険人物だ。・・・消さなくていい記憶まで消去して、それをすべて夢へと変えているらしい。自分が楽しむためだけに。
そのせいで母さんは・・・
翼は唇を強く噛みしめた。
(もう・・・絶対に母さんの時のようにはさせない)
明は翼の肩にそっと手を乗せた。
「西園寺に目をつけられるとは・・・親子そろって、同じ運命にさせるわけにはいかない・・・・な」
「・・・・」
翼はゆっくりと深く頷いた。
「西園寺は・・・朝菜の言ってた転校生だ。
だから、あいつ・・・朝菜が“いい夢”を持ってるって気づいたんだ」
明はただ、翼の戸惑いの入り混じった瞳をまっすぐ見ている。
「今夜は、俺が朝菜と一緒にいる。西園寺が諦めない限り、あのスイマは朝菜のところに来る」
翼はその言葉を呟くように言うと、すっと立ち上がった。
「しかし、それじゃ・・・」
明は翼が居間から出て行く寸前で、声をかけた。
「お前の体力も、朝菜の体力も持たないぞ」
翼は、歩みを止め、肩越しに振り返ると言った。
「その前に、西園寺には諦めてもらうから。それにいざとなったら“あの方法”があるだろ?」
「しかし、その方法だと朝菜はあのことに気づいてしまうかもしれないんだぞ?そのことは、絶対に朝菜には秘密・・・」
「大丈夫!朝菜は絶対に気づかない。
俺たちが言わない限りはな」
翼はその言葉を吐き捨てるように言うと、居間から姿を消した。
「どうしたんだ?トイロ」
瑠は、数分もしないうちに姿を現したトイロにそう言った。
トイロはすまなそうに、目線を下に向ける。
「あのっ・・・朝菜ちゃんの“気”とれなかったの。なかなか条件が満たせてなくて・・・」
「・・・」
瑠はトイロの言葉に、眉間にしわを寄せた。
「大丈夫。トイロが悪いわけじゃないから」
瑠は出来るだけ、平常心を装ってそう言った。
本当は、一時も早く朝菜の夢をみてみたい。
瑠はソファにゆっくりと腰を下ろすと、トイロのことを見上げ、言った。
「もう少し時間がたったら、また行ってもらえる?」
「・・・うん。分かった」
トイロは瑠の言葉に頷いた。
午前三時・・・。
トイロは、また数分もしないうちに戻ってきた。
トイロは、瑠よりも早く口を開いた。
「ごめんなさい・・・。また駄目だったの・・・。朝菜ちゃん、お兄さんのような人と楽しそうに話してて・・・」
「・・・・今晩は、無理そうなのか?」
「・・・・うん」
トイロは、申し訳なさそうに目を伏せた。
(仕方ない・・・か・・・)
出来れば早めに仕事がしたかったが、もうすぐで夜が明けてしまう。せっかく、いい夢を持ったやつを見つけることが出来たんだから、時間はたっぷりあったほうがいいに決まってる。
それに、チャンスはいくらでもある。
明日も明後日も。
「今夜は別な奴にするか・・・。トイロ、手頃な奴を見けてこい。・・・仕事はちゃんとしないとね・・」
そして、次の日の夜・・・。
トイロは仕事を実行するために、朝菜の部屋にきた。
「!!」
しかし、朝菜の部屋は、昨日とは打って変わって照明が消えており、暗かった。
(もしかして・・・)
・・・案の定、朝菜はベッドの上で寝息をたてていた。
他のスイマに先を越されてしまったのだ。
これでトイロは仕事ができない。そして、瑠も。
ムマはパートナーのスイマが仕事をした相手でないと、仕事ができないのだ。
「!・・・」
と、朝菜の枕元に紙切れが置いておることに気づいた。
トイロは、その紙切れを手に取ると、自分の目の前まで持ってきた。
トイロは、暗闇の中で目を凝らして、そこに書いてある文字を見た。
『
オ前タチノ
思ドウリ
ニハ
サ セ ナ イ
』
(・・・これって・・)
この紙切れは、間違いなくトイロたちの仕事の邪魔をしている人物がいるということを現している。
トイロは、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
このスイマも、朝菜が“いい夢”を持っていることを知っているのだろうか。
(瑠に知らせなくちゃ・・・)