キセイ本能 〜 廃ホテルでヤッてはいけない……っ!〜
「敦ぃ、肝試し行こうぜ」
パチンコ屋で遭遇した裕也がタバコを咥えながら言った。
ガシャガシャと耳障りな音が、ドロっとした気分を広げていく。
「せっかく夏なんだし、敦も行こうよ」
凛々子が茶色の髪をかきあげてフェロモンをばら撒く。夜の彼女の色っぽさを思い出して、視線を逸らす。
「あー……」
――どうしようか?
控え目に行ってあまり行きたくはないが、凛々子がいるならできれば行きたい――運が良ければありつけるからだ。
「え? こえーの? ダッサー」
「いや、行かなとは行ってねーよ!」
「じゃあ行こー。どうせ当たってないんでしょ?」
「……五千すってマス」
「あーらら」
「後で焼肉奢ってやろーか?」
裕也の発言にムッとしてしまうが、抑える。今月の残りの食費はあと三千円なので、正直奢って貰えた方が助かった。
「あざーっすぅ! やっぱ持つべき友達は金持ちの友達っすねー!」
「良いけどテンション、ウザっww」
「じゃあ行こー」
凛々子が俺と裕也の腕を掴み、お店から連れ出していく。腕に胸が当たるので、少し興奮してしまうが、そこは懸命に誤魔化す。
裕也の車に乗せられ、連れて行かれたのは地元でも有名な廃ラブホテルだった。
焼肉をのんびり食べた後なので、日の長い夏でもいい加減暗くなっている時間。まだ深夜ではないだけマシだった。
「ここって、確か行方不明者が出るって噂のとこだよな?」
「そうそう、十年前に男が女を殺してホテルの貯水タンクで一緒に死んでるのが見つかったとこ」
「うわぁ、ドロドロした話」
街外れの山の中にあるホテルは、山に呑まれて山と一緒になり始めている。駐車場だった場所も、草だらけでホテルに近付くのに苦労した。
「不気味だわ……」
「ビビってんの?」
「ビビってねーし!」
廃ホテルの屋上を見上げる。ここからは見えないが、あのどこかに例の貯水タンクがあるはずだ。
――見つかってから新しいやつに替えてるだろうけど、なんか嫌だな……。
わざわざホテル名も替えたらしいが、事件後は心霊現象が多発したらしく、結局廃業してしまった不運なラブホテル……そのフロントに足を踏み入れる。
――そういえば、中学の時、絶対ここに行くなって噂があったな……。
噂だけが出回って、出処不明だったけど……。
スマホのライトで廃屋内を照らしながら歩く。
俺達以外に人はいない。カビっぽい湿った臭いが辺りに立ち込め蒸し暑い。
「うひょー、こえー」
「やっぱり怖いんじゃねぇか」
「いや、普通に怖いって」
「裕也は怖くないの?」
「オレは怖くねー」
裕也がドヤ顔でキメるが、たぶん怖がってる。だって、俺達から離れない。普段ならいきがって何か破壊していそうなタイミングだ。
「落書きが多いねー」
凛々子の澄んだ声が吸い込まれるように、ラブボの闇に消えていく。
カサッ
パリ
カラン
俺達が移動する度に音が生まれては、闇に吸われていく。
――不審者いねーよな?
俺の現実的な不安を他所に、裕也も凛々子もホテルの奥へ吸い込まれるように進んでいく。
個室のドアを開けては、中を散策し廊下に戻る。
「何も出ないね」なんて笑いながら、最近購入したカメラ付きの耳垢取りの感想とか雑談しながら、意外と綺麗なままの廃ホテルを進む。
ギィィ
不快な音と共に、二階の一番奥の扉を開ける。
「この部屋、意外とキレイねー」
凛々子が楽しそうに座ったベッドは、確かに他の部屋に比べると小綺麗だった。
誰にも荒らされていないのか、廃業してから家具や内装品がそのままの状態で年月が経過した――そんな印象だった。
裕也が嬉しそうに凛々子の隣に座ると、腰を撫で回し始める。そして徐に顔を近付けると、凛々子とべろちゅーを始めた。
――えぇ……こんなところで盛んの? マジで?
凛々子が片手で俺に「来ないの?」と誘う。横目で俺を見る凛々子の色っぽい姿に、俺の理性は恐怖を捨てた。
「あー、シャワー使えるかなー?」
「使えんのか?」
「まぁ、ためしてみたら分かんじゃん?」
ことが終わると凛々子はいつもシャワーを浴びたがる。今回も例外ではなかった。
「あ、水ならでるー。きもちー」
嬉しそうに言う凛々子の声が風呂場から聞こえた。
シャ――
パシャピチャ
バシャ
ビチャ……
「うわっ! ウソっ!! おぇっ」
びちゃびちゃびちゃびちゃ
「どうした?!」
「凛々子!」
浴室に駆け寄ると、酷い腐敗臭が充満していた。
「ゔおえっ」
「ゔろろろろ」
三人ともあまりの激臭に焼肉を嘔吐する。
無我夢中で、シャワーのコックを閉めて、臭いの元が増えるのを止めたが、換気扇が止まっているので臭いは全く消えない。
凛々子は臭いの元であるドブのようなものを頭から被ったらしい、胃が空っぽになるまで吐き続けた。
――最悪、口に少し入った……。
結局はまた吐いているので関係はなさそうなのだが、やはり気分がいいものではない。
三人で満身創痍になりながら、ベッドのシーツ等で出来るだけ凛々子の身体を拭い、廃ラブホテルから脱出した。
――やっぱり、廃ホテルでヤることじゃない。
賢者モードになってから言うのもアレだけど。
凛々子を下宿先のアパートに送り届け、車が汚れないようにシーツでグルグル巻にしたのを解放する。
気絶した凛々子の身体を綺麗にして一息ついた頃には、夜が明け始める時間だった。
「一回帰るわー。車も掃除してぇし」
「わかった」
「凛々子を頼んだ……あー最悪……クソッ。だからシャワー浴びんなっつったのによ……」
毒づきながら出ていく裕也を見送り、俺は凛々子の傍で仮眠を取ることにする。
――疲れた。だから、行きたくなかったんだ……。クソが。
目蓋を閉じるとあっという間に意識が暗闇に消えていった。
カサッ
カサカサ
妙な音で意識が浮上する。
ビニール袋にゴキブリが触れた音のように感じて飛び起きるが、ざっと見渡してもゴキブリはいない。
「――はぁ」
ゴキブリというか、虫全般が大の苦手な俺は小さな音に敏感だった。いつも、こんな音がする時は、大抵どこかに虫がいる。
カリカリ……
音はどこからが響いてくる。
――どこだ?
臨戦態勢で音の出処を探していると、凛々子が目を開け――
「あ、おは――」
「おヴェっ!」
嘔吐した。
黄緑色の液体が、可愛らしいピンクのチェックの布団に飛び散る。
「うわぁあああ! 大丈夫!?」
「ゔぅ……ぉえっ」
なおも嘔吐く凛々子の背中を撫でながら、ゴミ箱を手繰り寄せて抱えさせる。
「大丈夫?」
「……くさぃ」
「え?」
「……くさい、きのぅの においが まだ する……」
「大丈夫、気のせいだ、俺達が綺麗に洗ったから!」
凛々子は長い茶色の髪を鼻に引き寄せて嗅ぎ――
「おえっ」
ゴミ箱に黄緑色の液体を吐き出す。
「嘘、良い匂いなのに?!」
凛々子の髪を嗅ぐが、いつも通りの良い匂いに戻っている。
「――シャワー、あびてくる……」
ふらふらと立ち上がりシャワーに向かう凛々子の姿が、ゾンビの様に見えて少し寒気がした。
「大丈夫?」
「ダイジョウブ。かえっていいよ、ありがと」
起きて無事を見届けてから帰ろうかと思ったけど、尋常じゃない凛々子の姿にしり込みしてしまう。
「心配だから、シャワー出るまで待ってる」
「出ても今日はヤレないよ? キブンじゃない、ムリ」
「そんなこと考えてねーよ!」
「……そウ?」
真っ青な顔をしたまま、凛々子は脱衣場に消えていった。
「……」
待つとは言ったものの、やることが無い。暇だ。つまりスマホを弄る。
――あー、今日は昼からだな……。
現在午前十一時。大学の午前分の講義の出席はもうとっくに諦めている。
シャー
少し遠くでシャワーの音がする。
パシャピチャ
カサ
パシャパシャ
カカカカカカカ
「?!」
不穏な音に飛び上がるが、虫の姿はどこにも見当たらない。
――いや、こえーよ。俺は霊より身近な虫の方が怖いんだよ!
無事にシャワーを出てきた凛々子を確認してから、俺は逃げるように凛々子の家を出た。凛々子の様子は尋常じゃなかったが、シャワーから出ると気絶したように寝始めたからまぁいいだろう。
自分の下宿先にたどり着くと、玄関に座り込み、長いため息を吐く。
やっと安全な場所に帰って来れた気がした。
カンカンカンカン
誰かがアパートの外階段を登ってくる音がする。
コッコッコッ
真っ直ぐ歩いてきて、俺の部屋の前で止まった。
「――?」
――誰か来る予定あったっけ? それとも何か宅配あったかな?
ピンポーン
玄関にいたので、そのまま扉を開けた。
「――はい。あれ?」
扉を開くが誰もいない。確かに誰かが歩いて来た音はしたのに。疑問に思いつつ、扉を閉め、鍵まで閉める。
お昼ご飯をささっと済ませて、大学に向かう準備をしていると
カサッ
「――嘘だろ?!」
あの音に俺は飛び上がる。自宅まで安全圏ではなくなってしまった。
――バルルンやらねーと!!
大学の帰りに買いに行くことを決め、昼食の食器も洗わないまま足早に下宿先を出た。
「――あれ、輝樹来てねぇの?」
輝樹のダチに声をかけると、ダチは首を捻った。
「なんか、さっき帰ったんだよ。体調が悪くなったって」
「来週試験なのに大丈夫なんかな?」
――あいつのノート分かりやすいから、コピーさせてもらおうとしてたんだけどなぁ……。
ぼーっとしながら程々に講義を受け、次の講義の教室に行く。次の講義は裕也も凛々子も受けている講義なのに、案の定二人は来ていなかった。
――大丈夫かよ。来週試験なのに。
裕也はまだ頭がいいからある程度は大丈夫だが、凛々子はあまり良くないから心配だ。留年も心配になってくる。
本日最後の講義を受け、帰り道にホームセンターに寄ると、スマホにチャットが来ていた。
「お、輝樹じゃん」
輝樹:変なところ行ってない?
要領が掴めないメッセージに「?」となる。
敦:どういうこと?
輝樹:だから、肝試しとか行った?
敦:あ……七ツ釜の廃ラブホ行った。昨日
輝樹:あそこ行くなって中学のとき噂なかった? なんで行ったの
敦:なんだよ、ダチとちょっと行っただけじゃん
輝樹の責めるようなメッセージに頭をガリガリ引っ掻く。
敦:俺がダチとどこ行こうが関係ねーじゃん
ピコンとURLが送られてくる。サイトを確認すると少し遠いところにある神社だった。
輝樹:この神社にすぐに、できれば今日中にでも行った方がいい
敦:なんだよ、なんか連れて来てるっていいたいの?
輝樹:そうだよ
喧嘩腰かつ、冗談半分で言ったセリフに肯定が返ってきて背筋が凍る。
輝樹:隠してたんだけど、僕視えるんだ
輝樹:今日田中君を見た時にヤバいの連れてたから、ちょっと一緒に講義受けれなかった
敦:おいおい、冗談やめろって……
輝樹:あそこは本当にヤバいから
輝樹:今日中、遅くても明日中にでも行った方がいい。命に関わるよ
輝樹:一緒に行った友達も連れてってね
敦:マジかよww
言葉を残すだけ残して、輝樹からの返信は途絶えた。
そして思い出す――誰もいなかった玄関を……。
――あれ、俺、招き入れたんじゃ……?
カリカリカリカリ
またあの音がする。
俺は急いで殺虫用品と塩を買って帰宅した。無け無しの金が吹っ飛んだが、パチンコで飛ばしているのでどうしようもねー。
「おいおい、嘘だろ」
玄関を開けて呆然とする。
ブーン ブーン フォン フォン
大きなハエが十匹以上、部屋の中を飛び回っていた。
「クソが――っ!!」
ブチ切れながら、早速殺虫スプレーを噴射する。
キッチンのシンクを覗くと、昼間食べた食器に大量に蛆が蠢いていた。
「ムリムリムリムリムリムリムリ」
出来るだけ見ないようにしながら、食器ごとゴミ袋に捨てる。
急いでバルルンを設置して部屋を出た。
バルルンが終わるまでの間は、凛々子の様子を見に行くことにした。
凛々子の下宿先は比較的近い。夕方の薄暗い道をサンダルで歩いて向かう。
ザリッザリッ――
ざりざり――
ザリッザリッザリッ
ざりざりざり
「……」
虫騒動で忘れていたが、ふと輝樹の話を思い出してしまう。
ザリッザリッ
ざりざり
寒気がした。誰か後ろから着いてきている気がして、恐る恐る振り返る。仕事帰りのサラリーマン風の男性がいた。
「はぁ――……」
安心したのも束の間、立ち止まっていることに気がつく。
「……」
何となく、後ろを振り返りながら歩いてみる。
ザリッザリッ
ざりざり
「〜〜っ!!」
総毛立つ。よく見ると、顔は暗くてよく見えないが俺を見ている気がする……。
「――っ!!」
もう羞恥心も捨てて走った。しかし、男も走って着いてくる。
――怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
なんで原チャで来なかったんだ! と自分に後悔しながら凛々子の下宿先に走り込む。不用心にも鍵がかかっていない玄関を素早く閉めると、土間に座り込んだ。
「ハッハッハッ――」
呼吸が上手いことできない。浅い呼吸を繰り返すうちに、少し落ち着いた。
足音は止んだ。その事に大きなため息が漏れた。
しかしながら、おかしい。
凛々子がいるはずなのに、部屋は真っ暗だ。
いつもならこんなテンションで部屋に入り込もうものなら、笑われるものだが……。
「――うわっ、きっつ!」
鼻の奥に突き刺すような臭いの暴力を受け、目眩がした。いつも付けている香水を部屋中に吹き付けた様なドギツさ。窓を開けて換気したいが、さっきの男のこともあり、窓を開けたくない。
「り、凛々子……?」
恐る恐る暗闇の奥に声をかけると、ガサゴソと音がした。
「大丈夫?」
声をかけながら部屋に上がり込む。手探りで電気を点ける。
「うわぁ、何これ?!」
カーペットに長い髪の毛が散乱していた。
よく見ると見覚えのある綺麗な茶色の髪――凛々子の髪だ。慌ててベッドを見ると、スキンヘッドになった凛々子がいた。青白い顔で、眩しそうに顔を歪めている。
「髪の毛、どうしたの?!」
「――においが とれなくて……」
蚊の鳴くような声で凛々子は言う。
「でも、どうして? 大事にしてたじゃん?」
「においが ムリだって言ってんだろ!!」
突如の怒声に一歩後退る。凛々子は、怒鳴り終えた瞬間に、また電池が切れたように布団に倒れ込む。
「ごめん――大丈夫? ご飯食べた?」
髪の毛を集めてゴミ箱に丁寧に捨てながら話しかける。このまま話しかけないと、また気絶してしまう気がして不安だった。
「おなか すいてないの……きもちわるい。ずっとムカムカしてる」
凛々子の額に手を当てる。熱はなさそう、というかむしろ冷た過ぎて不安になる。
「――きょうは、ムリよ?」
「――は?」
何のことを言っているのか分からず、少し考えてから、ヤることだと気がつく――いつも盛ってばかりの猿じゃねーよと一瞬怒ったが、よく思い出してみると来る度にヤッていたので反省した。
「今日はそんなつもりねーよ……何か食う? お粥作ろうか?」
「いらない」
凛々子は布団に顔を埋める。「そっか――」一日経ったけど、この様子は尋常じゃない。病院に連れていった方がいい気がする。でも、その前に
「明日さ、お祓い行かね? 裕也と一緒に。中学のダチにオススメ聞いたからさ」
「……お祓い?」
凛々子の声音が変わった気がした。ギョッとして振り向くと、凛々子が俺をじっと見ている。そっと腕を布団から出してきて俺の股間をなぞりだす。
こんな状況なのに秒で硬くなり始めるおれの股間――やっぱり性欲猿かもしんねー……。
「今日は無理って言ってなかった?」
「気が変わったの――」
凛々子が起き上がり、俺の首に腕を絡める。膝の上に乗りかかってくると、濃厚な口付けをしてきた。艶かしい音が部屋に広がる。
昂った興奮に身を任せ、凛々子に触れるが何か違和感がある。
今日の凛々子はいつも以上に積極的で、端的に言うとエロかった。喘ぎ方もいつもより激しいというか、別人のような声で、動きも違う。いつもは、俺が抱かせて貰ってるという感じなのだが、今日は俺が抱かれてる感じがした――というか、いつも以上の刺激に夢中になった。
何回戦も繰り広げ、気が付けば外が明るくなり始める。最後にフィニッシュすると、彼女は気絶するように寝た。
「おい、試験真近なのに大学はいいのかよ?」
「……」
「あ――その前にお祓いだった。今日はお祓い行くぞ」
「……」
揺らしても、軽く叩いてもピクリともしない彼女に溜息をつきつつ、裕也に連絡して無理矢理車に乗せて連れて行くことを決める。
――裕也、既読になんねーな……。
チャットを確認するが、昨日別れてから一度も既読になっていない。それはそれで心配になってくる。
昨晩の男を思い出して身震いする。まだ外は薄暗い、完全に明るくなってから帰ろう。
カサッ
カサカサ
「――っ!」
例の音に思わず跳ね上がる。
――いや、帰る! 一応ちょっと明るいし、大丈夫だろ!!
「――後で迎えに来るからな!」
寝ている彼女に一応声をかけると、俺は全速力で下宿先に帰った。
しかしながら、裕也とは一向に連絡がつかない。電話しても電源が切れているようで繋がらない。彼女をおぶさってでも連れて行くか? 電車で? と思いながら、支度を整えて彼女の下宿先にまた戻る。
ガチャ
相変わらず鍵はかかっていない。普段なら一応はかけているのに。
濃厚過ぎる香水の臭いに顔を歪めながら、部屋に入る。
「おーい、裕也と連絡つかないから、とりあえず俺達だけでも行こう――え?」
さっきまで寝ていたはずの彼女は、ベッドにいなかった。
しんとした部屋には、俺の気配と虫の気配しかしない。
「おい! いるか?!」
バタバタと彼女を探すが、部屋のどこにもいない。
――困ったな……。
ガチャ
「ひっ!」
いきなり玄関のドアが開いて驚く。
「あ――なんだ裕也、未読スルーすんなよ……あと凛々子しらね?」
裕也は俺なんて見えていないように、虚ろな目をしたまま部屋に入ってきて辺りを見渡す。
「りりこ……?」
「いねーみたい。裕也も知らねーの?」
「いない……」
「おい、裕也、どーした?!」
そのまま出ていこうとする裕也の肩を掴むが、裕也は俺なんて存在しないように、肩を揺さぶり手を振り払う。
「おい、お祓い行こうぜ? ダチに教えてもらったんだ!」
「どこだ……?」
「おい! おいって!!」
そのまま裕也は亡霊のように出ていった。
――どうしよう、俺だけでもまずは行くか?
頭を掻きながら、トボトボと駅に向かった。
カサカサ
カリッ
もう虫の音が脳に刻まれているのか、外でもするようになってきた。ゲンナリする。俺も一度病院に行った方がいいのかもしれない。
虫の音をイヤホンの音楽で誤魔化しつつ、電車とバスを乗り継ぎ言われた通りの神社に行く。
社務所へ行くと、禰宜らしき男性が俺をみて目を見開いた。瞬く間に顔色が悪くなり始める。
「君は……何をしたの?」
「その、肝試しで、七ツ釜ってところの廃ホテルに……」
おじさんは顔を歪めて、少し涙ぐんだ目をした。
「すまない、無理だ……なんで、若者は安易に行ってはいけないところに行くんだ……」
「えっ……」
依頼をする前からの無理発言に、頭が真っ白になる。おじさんはさらに顔色が悪くなっていっているんだけど、俺も同じくらい顔色が悪くなったと思う。
「じゃあ、俺はどうすれば……」
そしておじさんは紙に住所を書いて俺に渡してくる。
「ここに、行ってみなさい……ここで無理なら、もうそれは、祓えない」
「え……」
「できるだけ早く、可能なら今日中に……向かいなさい。一応向こうにも、電話は、入れておくから……」
住所を見る。遠い、遠すぎる。もはや地方が違う。今日だってギリギリの予算だったのに、そんなところ即日で行けない……。
「でも、お金が……」
「お金より命の方が大事だ」
「でも……」と言っていたところで、おじさんが倒れ込んだ。「オロロロロ」と口から何かを大量に吐き出す。白っぽい。ご飯に食べた白米かと思ったが、それらは蠢いているように見えた。
「――ひぃ!!」
「すまない……私には、君が憑けているものが、強すぎて、耐えられない……」
血の涙を流し始めた禰宜さんに、
「……ごめんなさい! ごめんなさい!!」とひたすら謝罪すると、慌てて社務所をかけ出た。
――どうしよう。
神社の鳥居の前で呆然と立ち尽くす。
――今日中とか、無理だって。
裕也が車で連れて行ってくれれば話は別だが、何せ俺はパチンコでお金をスってしまっている。残金の食費も今日の電車賃と殺虫グッズで吹き飛んだ。
――どうしたら……。
「……あれ?」
気が付けば脚が動いていて、下宿先に帰っていた。
時間がスキップしたような感覚に、頭がバグる。
しかももう夜だ。俺は今日一日、一体何をしていたんだ?
ベッドの上に散らかった生臭いティッシュ。数え切れない程のティッシュを一つの大きなボールにまとめてゴミ箱にダンクシュートした。
カサカサカサカサ
「――はぁ?!」
昨日バルルンをしたばかりなのに、もう虫が湧いていることに戦慄する。
殺虫スプレーを持って臨戦態勢に入るが、どこにも姿は現れない。
――カサッ
カサカサカサカサ
カササササササ
「――ん?」
これって、俺の耳からしてないか?
その事に気がついた瞬間、手足の温度が氷点下になった気がした。
バタバタと先日買ったばかりのカメラ付き耳掻きを取り出して、耳に突っ込む。
左耳は綺麗だった。
右耳は――
「うわぁぁぁあああああああああっ!!」
スマホの画面越しに、小さな蜘蛛と目があった。
勢いで耳掻きを壊してしまう。
――ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ!
――死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! いや、死んだ方がマシ!!
耳に指を突っ込む。
当たり前だが届かない。
でも不快感が止まらない。蜘蛛という存在が自分の耳の中にあるという事実だけで、何も考えられなくなる。
早く取り出したくて、耳の周りを掻きむしるが指に血が着くだけで、蜘蛛が出てくる気配はない。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
カサッ
カサカサカサカサ
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
うるさいと、隣の部屋から壁ドンされる。
いや、ムリ。こんなの発狂しない方がムリ!!
だって、自分の耳に蜘蛛があああああああああああ!!
「あああああああ! いっそ殺してくれぇ!!」
ドンドンドン
隣の部屋から注意が響く。
「うるせぇ!! 耳にくもがっ! くもがいんだよぉぉぉぉぉ!!!」
壁に向かって叫ぶと、今度は玄関から音がした。
「うるせぇ! 何時だと思ってんだ!! キメてんじゃねぇぞ!!」
「……!!」
救世主かと思った。明らかにドスが効いた、怖いお兄さんの救世主。
バタバタと絡まる脚で玄関に駆け寄り急いで開けると、不機嫌そうな厳ついお兄さんがギョっとした顔で俺を見た。
「だずげでぐだざいっ!!」
「?!?! 何キメた?!」
「ミミっ、ミミにクモが!!」
「はぁ? 耳に蜘蛛ぉ??」
素っ頓狂な声を上げて、お兄さんは俺の耳を見た。
カリッ
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!! ゔごいだ!!」
「落ち着け、落ち着け……お前うるせぇから、ちょっと部屋上がんぞ?」
お兄さんは俺の肩を掴んで部屋に押し込めると、その辺からティッシュを引っ張りだして俺の涙や鼻水や涎や血を雑にだけど拭いてくれた。
カサカサ
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
「こっちだな? ちょっと見るぞ?」
「はっいっ!」
お兄さんがスマホのライトで耳の奥を照らすように覗く。
「うわー、マジでいたよ」と小声で呟くので、更に俺は泣き叫んだ。
「うわぁぁぁあああああああ!!」
「まてまて、落ち着け! 指でほじるな! 潰れるだろ!」
お兄さんの言葉に、耳の中でぐちゃぐちゃになった蜘蛛を想像してしまう。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛、出して! 早く出して下さい!! オレっ、虫が、大の苦手でっ!! 死にたいっ!!」
「男が虫ごときで泣き叫ぶんじゃねぇ!」
「でもッ、でもッ!」
「夜間診療の病院連れてってやるから、財布出してこい!」
お兄さんの助けの手にバタバタと財布を出すが、はたりと気がつく。
「すみません、お金が……」
「カーッ!! 金欠学生かよ! もういい! 出してやるから、マイナンバーだけ持って来い!」
「さすがに十割負担は無理だからな!」と怒りながらお兄さんは言うが、もう仏にしか見えなかった。
「ありがとうございます、ありがとうございます」と拝み倒しながら外に出る。
「ひっ」
アパートの俺の部屋の前辺りに、あの男がいた。近付いては来ないし、相変わらず顔は見えないが、じっと俺を見つめている。思わずお兄さんにくっつく。
「どうした? 男にくっつかれても嬉しくねーぞ?」
「いえ、何でもないです……」
「お前、何も変なのやってねーよな?」
「ないですないです!」
慌てて車に乗り込ませてもらい、夜間診療をしている病院に連れて行ってもらった。
正直、病院での記憶はほとんどない。半狂乱になってお兄さんに拘束された記憶はぼんやりと残ってるけど……。
「また何か困ったことがあったら声かけていいからな。できる範囲で助けてやる」
「ありがとうございます……病院代と、ラーメンと一万まで……!」
「もうそれはいいつってんだろ! あ、でもな、夜騒ぐのはやめろ! マジで次の日の仕事に響くから、やめろ!」
「すみません、うるさかったら、遠慮なくいつも通りにドンドンしてください」
斎藤さんはツカツカと俺に歩み寄ると、慣れた手つきで首を絞めてきた。
「ドンドンされる前に、すんな! わかったか!」
「ごめんなさい! 分かりました……!」
「じゃっ、お休み」
「今日は本当にありがとうございました!!」
ヒラヒラと手を振り、斎藤さんは部屋に戻っていく。斎藤さんの優しさでちょっと泣きそうだった。
……ザリ
「?!」
背後の音に振り向くと、階段からあの男らしき脚が覗いていた。
――こえーよ!!
慌てて部屋に逃げ込むと、俺はしっかりとドアの鍵を閉めた。
倒れ込むように布団に入ると、一瞬で眠りに落ちた。
クチャ
ネチョ クチャ
「――っ?!」
股間の刺激に意識が覚醒する。
起き上がろうとしたが、動かない――金縛りだと瞬時に理解した。何とか視線だけ下に向けると、仰向けに寝ている俺の股間辺りに誰かがいる。それが俺のアソコを咥えていた。
よく見ると、それはスキンヘッドになった凛々子のように思えた。
ネチョ クチャ クチャ クチャ――
「――っ」
激しい快感が俺を支配する。
上がる脈拍、早くなる呼吸――あっという間に俺は果てたのに、凛々子のような女はまだ俺のアソコを咥え続ける。
――もういいから! 満足だから――うっ!!
夢現で何度も果てさせられる。
数え切れない程イった後、やっと気絶して寝ることができた。
チュンチュン
遠くでスズメの朝の集会が聞こえる。
「……」
寝起きは最悪だった。部屋に充満した生臭い臭いが俺を絶望させる。
「うわー……マジかよ」
控え目に言って、布団が白濁の液体でベタベタだった。
現実を直視したくなくて、俺は布団の前に座り込む。
ポリポリと無意識に腕を掻いていたことに気がつく。
――ダニか?
腕に何ヶ所も虫刺されの跡があった。そりゃあ、あんな廃ホテルで致したんだ。ダニに噛まれていてもおかしくはない。
「はぁ……」
ため息をつきながら、シーツを洗い、幸いにも天気が良かったので、布団を外に干して大学に向かう。
全く疲れが取れていなかったので、大学の講義はどれも爆睡してしまった。試験前の大事な講義なのに、これで単位を落としてしまったら、目も当てられない。俺の場合は留年イコール大学中退なので、留年だけは避けなければいけない。
――今日も、凛々子と裕也いなかったな……。
ムズムズするシリを掻きながら、三人用のグループチャットを開く。相変わらず、既読はゼロだった。
帰宅するついでに凛々子の下宿先にも行く。鍵はまだかかっていない。玄関を開けると咽る程の香水の臭いはそのままだ。
「おーい」
部屋に入るが誰もいない。ふと、テーブルを見ると、凛々子のスマートフォンが乗っていた。
「おいおい、どこ行ったんだ……?」
スマホのパスワードは知っていたので、そのままロックを解除する。最後のチャット履歴が裕也になっていた。
裕也:ついた
それだけだった――つまり、裕也が彼女を迎えに来て、そのままどこかへ連れていったことになる。俺の連絡はスルーして。
「――はぁ」
――まぁ、いいけどさ。
ボリボリボリボリ
無意識の間に身体中を掻きむしっている。お陰で今日は引っかき傷ばかりが増えていく。
シリの穴まで痒かったが、流石にそこは傷つけないように我慢した。
鍵を開けっ放しにするのはあまりに不用心なので、裕也に凛々子の部屋の鍵は俺が預かっている旨を連絡して、帰宅する。
「はぁ――」
一人下宿先で落胆していると、お腹が痛くなってきた。泣きっ面に蜂だ。ノロノロとトイレに行き、思いの丈をぶちまける。
ひと通り出した後シリを拭いていると、何やらシリから垂れていることに気がついた。
「――ん?」
股を覗くと、白っぽい紐状のものが俺のシリから垂れている。
――何これキモっ!!
トイレットペーパーで厳重に武装しながら、シリから垂れる謎の紐を引っ張っていく。穴が引っ張られる感覚に気持ち悪さを堪えながら引っ張るが、なかなか終わらない……。
一メートルくらいだろうか? それくらい引っ張るとやっと紐が全て出た。
――昨日のラーメンに変なの混ざってたか??
いやいや、こんな長いラーメン食べたら気がつく。
しかもなかなか丈夫だ。ラーメンに混入は有り得ない。
「……」
俺は見なかったことにして、水を流した。
ボリボリ
膿んでなお痒い湿疹を、さらに掻くのでさらに悪化する。
いつの間にか、俺の身体は常に汁を流す斑なものになっていた。
ボリボリ
自宅にいると、意識がある間はぼーっと身体中を掻きむしり、気がつくとティッシュに囲まれている。そして夜は金縛りと淫夢でうなされる。
寝不足が続く日々に、いつの間にか試験の日が始まり、試験に出席しないまま一日が終わっている。
――あぁ、りゅーねんだ……。
そんなことを考えるが、もはやどうでもよかった。
ボリボリボリ
皮膚の下で何かが蠢いている気がする。
ボリボリ
ビチャっ
「……」
膿んだ皮膚の下から、蛆のようなものが出てきた。
「……?」
摘んで見つめ、ゴミ箱に捨てる。
ボリボリボリボリ
ビチャっ
また出てきた。うっとうしい。
もうどれくらい、身体から出てきた蛆をゴミ箱に捨てたかわからない。ぼーっとする頭でゴミ箱を確認すると、蛆でゴミ箱が蠢いていた。
――かなりいたんだな。
絶えず皮膚の下で何かが蠢いているせいで、とにかく痒い。目の奥や頭まで痒い。
頭もついでに掻きむしると、ぶちぶちと髪の毛がよく抜けた。
何も食べないまま、ぼーっと虚空を見つめていると、ふと、あの廃ホテルが恋しくなった。
――あぁ、ゆーやとりりこ はあそこにいる。
あそこの、あの場所に。
直感的にそう思い、ゆっくりと立ち上がった。
裸足のまま原チャにのり、廃ホテルに行く。
案の定、廃ホテルの駐車場に裕也の車があった。
――おれを おいていくなよ……。
寂しいじゃんか。友達だろ?
ゆらゆらと歩きながら、知らないはずの廃ホテルを迷いなく歩き進む。自分がどこに行くべきか、本能的にわかっていた。
カンカンカンカン
気が付けば、廃ホテルの屋上にいた。貯水タンクの上に上り、空いた蓋の中を覗く。とても香しい、腐敗臭が鼻を刺激する。
「おれだけ おいてくなよ……」
ドロドロの貯水タンクに浮かぶ二人に拗ねる。二人が笑った気がした。いつもの色気のある笑みで、凛々子が手招きした気がする。
ドブンッ
躊躇わずに中に入る。温かいドロドロが身体にまとまりついて心地良い。
――あぁ、おれも これでひとつになれる……。
ゆっくりと暗くなる視界で、最期の思考がまともに動く。
――やっぱり、廃ホテルでヤるのはダメだったな……。
貯水タンクの上から覗く、男女の影が嬉しそうに肩を揺らしたのが見えた。
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