あれは多分ボールなんかじゃないと思う
みんなの学校にも、「学校の七不思議」はありましたか?
音楽室のベートーヴェンの目が動くとか、夜の廊下を走る足音とか……
今思えば、どれも子どもらしい噂話だったと思います。
ただ、私が通っていた小学校のそれは、少しだけ違いました。
体育館の天井に、“顔”がある——
という話です。
体育館って、天井が高いじゃないですか。
だから時々、ボールが挟まるんです。ドッジボールとか、バレーボールとか。
誰かがふざけて投げたのか、授業中のミスなのか、原因も分からないまま、何年もそのままになっている。
私の学校にも、いくつかありました。
そのうちの一つだけが、暗い時に人の顔に見えるんです。
照明が明るいときは、ただ空気の抜けた黒ずんだボールにしか見えない。
でも、全校集会で照明を落とした時や、雨の日の薄暗い午後だけ、天井の隅にぼんやり浮かび上がる。
歪んだ輪郭。
影でできた目と口。
特に目が嫌でした。
体育館のどこから見上げても、その目がこちらを見ている気がするんです。
右からでも、真ん中からでも、左端からでも。
視線が、ぴたりと合う。
だから子どもたちは笑いながら言っていました。
「長く見たら呪われる」
「見られる前に目を逸らせ」
ある雨の日の全校集会で、私はそのルールを破りました。
校長先生の話が退屈で、ぼんやり天井を見上げていたんです。
ああ、今日もあるな。
そう思った瞬間、違和感がありました。
いつも真下を向いているはずの顔が、少しだけこちらを向いていたんです。
しかも、その目が、確かに私を見ていた。
ぞわっと鳥肌が立ちました。
目を逸らさなきゃいけない。
そう思ったのに、視線が離せない。
すると、口の部分がゆっくり横に裂けました。
笑ったみたいに。
その瞬間、前の列にいた女子児童が短く悲鳴を上げました。
同時に照明が点いて、体育館が真っ白になった。
慌てて見上げた天井には、いつもの黒ずんだボールが挟まっているだけでした。
集会の後、その子に声をかけました。
彼女は俯いたまま、小さな声で言ったんです。
「……見てた。顔、動いてた」
それからでした。
体育館に入るたび、誰かに見上げられているような感じがするようになったのは。
特に夕方。
窓の外が暗くなり始める頃、照明の届かない天井の隅が、やけに黒く見えるんです。
しかも。
“顔”を見たと言っていた子が、少しずつおかしくなっていった。
授業中でも急に天井を見上げる。
誰もいない廊下で立ち止まる。
ある日なんて、掃除中に脚立を持ち出して、体育館の壁を登ろうとしていたらしいんです。
先生に止められて、大騒ぎになったとか。
理由を聞かれても、その子はずっと、
「降ろさないと」
って繰り返していたそうです。
「あいつがまだ降りてこれないから」
結局、彼女はしばらく学校を休みました。
そして、その頃からでした。
あの“顔”が、なぜか少しずつ見えなくなっていったんです。
ぼんやり浮かんでいた輪郭が薄くなって、ある日を境に完全に消えた。
みんな安心したみたいに、その話をしなくなりました。
でも私は、顔が消えた後も、何かだけは残っている気がしていました。
照明を落とした体育館に入ると、今でも時々思うんです。
暗い天井のどこかに、まだ“いる”んじゃないかって。
卒業してかなり経った頃、地元の友人から連絡がありました。
学校の体育館を改修したらしい、と。
老朽化で、天井も全部取り替えたそうです。
挟まっていたボールも、その時に全部撤去されたらしい。
私は少し安心しました。
もうあの顔を見ることもないんだな、と。
でも、友人は妙に静かな声で続けたんです。
「あそこ、昔は墓地だったらしいよ」
学校が建つ前。
あの場所には古い共同墓地があったそうです。
工事の時、人骨も出たとか。
私は嫌な気分になって黙っていました。
すると友人が、何でもないことみたいに最後に言いました。
「そういえばさ」
「改修した後も、時々見えるらしいよ」
「……何が?」
「顔」
一瞬、言葉が出ませんでした。
友人は少し笑って、
「ボールなんか、もう一個も無いのにな」
とだけ言いました。




