7
地図を広げ、指で現在地をなぞる。
戦闘直後で感覚が鈍っているのか、一瞬だけ位置の把握に手間取ったが、すぐに思い出した。第三階層のセーフティエリアは、ここからそう遠くないはずだ。
セーフティエリアとは、ダンジョン内に点在するモンスターが生まれない空間のことである。ただ、生まれないというだけでモンスターが侵入してくることはあるため、完全に安全だとは言い切れないが、気を休めることができないダンジョン内では非常に重宝する場所なのだ。
「……この先の分岐を左。少し進んだ先にセーフティエリアがあるから、ひとまずそこまで行って休憩しよう」
そう言うと、リリアが隣から地図を覗き込んでくる。
「そうね、あたしはまだ大丈夫だけどアレンはけっこうしんどいわよね?」
そう言われて改めて自分の調子を確認する。
さっきの二体同時戦で、怪我こそないものの体力はかなり削られている。勝てたのは連携が噛み合ったからで、同じ状況がもう一度来た場合、今度も乗り切れる保証はない。
僕は地図を折りたたみ、通路の奥へ視線を向ける。
「とりあえず、戦闘は極力避けてセーフティエリアまで行こう。」
「了解。索敵はあまり得意じゃないからそっちは任せて大丈夫?」
「うん、そのくらいなら大丈夫だよ」
方針を決め、僕たちは歩き出した。
先ほどまでと同じ通路のはずなのに、感じる圧は明らかに違う。オークの連続出現が、この階層の危険度を改めて突きつけてきていた。
3階層では先ほどのオークや、オークよりも動きは遅いが大きな体躯と驚異的な回復力を誇るトロール、他にも狼系の徒党を組むモンスターが出現する。
それだけ種類の違うモンスターがいて互いに争わないのは不思議だが、地上のモンスターとは違いダンジョンとはそういうものになっている。理由は分からないが、そういうものだと思っておけばいいだろう。
この街に来てから約一年が経つ。三階層に初めて来てからは半年。半年間、それより先に進めずにいた。それはさっきもあったように、魔物が複数対で同時に出てきたり、連戦が続くため1人ではどうしても体力の限界が来てしまうというものがある。
──無理はしない。僕が村にいた頃、モンスターや獣を狩る上で絶対にそれだけは決めていた。そう、決めたはずなのに、頭の片隅では別の考えが浮かんでいる。
さっきの戦闘では、あの二体を相手にしても崩れなかった。しかも戦闘が終わってから不意打ちのような形で始まったにも関わらず、だ。
危険ではあったが、対処はできた。偶然ではなく、再現できる形で。
「ねえ、アレン」
不意にリリアが口を開く。
「さっきの戦い、どう思った?」
「どうって?」
「そのまま。いけそう? それとも、やっぱり厳しい?」
少しだけ考える。
感覚だけで答えるなら、“いける”。だが、それをそのまま口にするのは違う気がした。
「……紙一重だった」
正直な評価を口にする。
「一つ判断を間違えれば、どっちかがやられてた可能性はある気がした」
「うん、それは私も思った」
リリアはあっさり頷いた。
その上で、少しだけ声の調子を変える。
「それでも、勝ったわ」
足が止まる。
振り返ると、リリアはまっすぐこちらを見ていた。
「怖かったけど、無理だとは思わなかった。むしろちゃんとやれば2人でも通用するって思えた」
その言葉に、さっき自分が感じていたものと同じ感覚を見つける。
「ただ、それを“余裕がある”って意味で捉えるのは危険だと思う。今の僕たちは、まだギリギリのラインにいる」
「うん、分かってる」
軽さはない。ちゃんと理解した上での返事。
「だからさ」
リリアは少しだけ笑う。
「休んだあと、どうするか決めよ?」
「……どうするか、っていうと?」
「このまま下を目指すか、それともこの階層で慣らすか」
俺は少しだけ視線を逸らし、通路の奥を見る。
自分一人では挑戦できなかった先、そこに対する興味が確かにある。
「普通に考えれば、この階層で経験を積むべきだな」
「うん、安全なのはそっち」
「敵の傾向も分かってきたし、安定して狩れるようになればリスクも減る」
そこまで言って、一度言葉を切る。
リリアは何も言わず、続きを待っていた。
「……ただ」
ゆっくりと息を吐く。
「今の感覚を維持できるうちに、もう少し先を見たいって気持ちもあるよ」
リリアの表情が、わずかに明るくなる。
「無茶はしない。少しでも危険だと判断したら、すぐ引く。その前提なら――進む価値はあると思う」
しばらくの沈黙の後、リリアは小さく頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれから何回かモンスターと遭遇したり、時々モンスターを回避するために迂回したりして、思ったより時間がかかったがセーフティエリアに到着した。円形になっている広い空間には探索者たちが腰を下ろし、装備を整えたり食事を取ったりしている。中には簡易的な布を広げ、簡易な露店のようなものを開いている者もいた。
少し露店を覗いてみると、中年の男が木箱の上にナイフなどの装備や薬品やらを並べていた。
「ポーションに、解毒薬……あとこれ、簡易修理キットかしら」
「地上よりは少し高いけど、緊急時には助かるよね。僕も何度か利用させてもらったことがあるよ」
それこそ三階層に進んだばかりの頃、僕はオークに初めて遭遇して命からがら逃げ伸びたこがある。
ちゃんと事前に下調べをしたけれども、実際に経験してみると想像以上に厄介なモンスターだった。
そこで僕はオークの攻撃によりボロボロになり、セーフティエリアでポーションを購入し、休憩してから地上に戻ったのだ。
「とりあえず、あそこで休憩しましょ」
リリアが他の探索者達から少し離れた壁際を指さし、二人で腰を下ろす。
僕は水筒を取り出し、ぬるくなった水を乾いた喉奥に流し込んだ。
「やっぱり消耗してるわね。顔に疲れたって書いてあるわよ?」
「やっぱりわかる?」
「そりゃね、パーティだもの」
そう言ってリリアが笑いながら、肩にかけたポーチから干し肉を差し出してくる。
「ありがとう、リリア」
受け取った干し肉を口に運ぶ。硬くてとても美味しいなんて言えたものじゃないけど、噛むたびに塩気が広がりじわじわと体に力が戻ってくるのが分かる。隣ではリリアも同じように食べながら、ぼんやりと周囲を眺めていた。
ダンジョンの中でこうもゆっくりできるなんて不思議な感じだけど、それがセーフティエリアだ。
それから四階層の情報を少し共有し、そろそろ出発しようと腰を上げたところで頭上から野太い声に話しかけられた。
「なあ、ちょっといいか」
ふと前を見ると、そこには三人組の探索者が立っていた。
僕に話しかけてきたのは、一番先頭にいるスキンヘッドの皮鎧を着た中年の大男だろう。顔には何かするどいもので引っかかれたような古傷があり、優しそうな瞳をしているがその眼光は鋭い。
「俺たち、さっきのあんんたたちの戦いを少し見させてもらってたんだ。いいチームワークだったが、パーティーはずっと二人で組んでいるのか?」
「いえ、昨日組んだばかりです」
僕は冷静にそう返したが、内心はほっとひと安心、というところだった。
なんせダンジョンでパーティーを組むのは初めてのことであるし、うまくやれているかどこかで不安には思っていたのだ。第三者から褒められるのは悪い気はしない。
大男は僕の返答に少し驚いたように目を見開いた。
「本当か!?それにしては素晴らしい立ち回りだったな。俺も前衛として参考にしたいくらいだったぜ。えーと、お前さん名前は…」
「そんな、まだまだです。僕はアレンって言います。あなたの名前は?」
大男は手に持っていた斧を肩に担いで言った。
「俺はガレスってんだ。こう見えても結構力持ちなんだぜ?」
そうして、肩に担いだ斧を上げ下げして見せてくる。力持ちなのは見た目通りであり冗談なのは分かる。そんなに警戒しなくてもよさそうだ。
「単刀直入に言う。俺たちと一緒に四階層に行かないか?」
その言葉に、リリアがぴくりと反応する。
「……四階層?」
「ああ」
男は頷き、後ろの二人に軽く顎をしゃくった。
「見ての通り三人パーティーなんだが、今回は少し火力が欲しくてな。さっきの戦いを見て声をかけさせてもらった」
視線が自然とリリアへ向く。
「後衛の魔法、威力も精度も十分だ。中々魔法使いってのは希少なんでな…当然報酬も払うぜ?」
褒められたリリアは腕を組んで黙って聞いている。
「報酬は折半――とはいかんが、六対四でどうだ。こっち三人で六、あんたたち二人で四」
妥当なラインだと思う。僕は四階層に行ったことがないし、リリアと二人だけで潜るというのは正直不安もある。ここで恐らくベテランであろうパーティーと一緒に先の階層に行けるというのは、悪い話じゃないと思う。
などと考えていると、リリアが組んでいた腕を解いてガレスさんに質問する。
「……目的は?」
「四階層で出てくるモンスターの素材採取の依頼なんだがな、相手はエルダープラントだ」
その話を聞いて僕はこの男が話しかけてきた理由に納得する。
エルダープラントは植物型のモンスターで、歩き回る木…と説明をするのが早いだろうか。彼らは四階層に生える痩せた低木に擬態しており、個体数も少ないため少し遭遇が難しいのである。
今回火力が欲しいというのは、エルダープラントは見た目とは裏腹な硬い表皮を持つため、倒すのが難しい…というか、時間がかかるためだろう。
リリアがちらりとこちらを見て小声で耳打ちしてきた。
「どうする?私は特に問題ないし、アレンも四階層に行ったことないんだからお世話になるのはありだと思うわよ。エルダープラントも、私の炎魔法ならなんなく倒せるしね」
僕としても今回の依頼は渡りに船、といったところであるためガレスさんの提案に乗ることにした。
「分かりました。同行させていただきます」
「よし、決まりだな」
男は満足そうに頷き、手を差し出した。
「改めて名乗らせてもらうぜ。俺はガレス。斧で戦う軽戦士ってとこだな。こっちはパーティーメンバーのリンスとチュールだ」
よろしくお願いします。と後ろの二人がガレスに続いて手を差し伸べてくる。リンスは槍と盾を持った瘦せ型の男で、チュールと呼ばれた金髪の女性は弓矢をその背に背負っている。
「リリア。魔法使いをやっているわ。私たちの戦闘を見てたならわかると思うけど、炎魔法を使った遠距離からの攻撃がメインよ」
それぞれ簡単に名乗り合う。
握手を交わした瞬間、即席の五人パーティーが成立した。
「出発はすぐでいいか?」
「問題ないです。ちょうど僕たちも出発しようと思ってたところだったので」
短いやり取りの後、全員がそれぞれ装備を整えたのを確認してガレスさんが口を開く。
「それじゃあ、出発するぞ!忘れ物はないな!」
そんな一言とともに、僕たちはセーフティエリアを後にした。
まずは四階層へと続く階段を目指し、その後はいよいよ僕の知らない世界だ。
何が待っているんだろうというワクワクと、そして少しの緊張を持って僕はガレスさん達の後ろについて行くのだった。




