8 婆様の式年祭
翌日もよく晴れていた。
起きるとすぐに彼らが泊まっている部屋から富士山の朝焼けの姿がはっきりと見えた。
ものすごく近く感じる。
民宿を出て、隣の青木家にぞろぞろと向かっていた彼らは、皆その富士山の姿に思わず足を止めた。
その時である。
――地球生命体と宇宙をつなぐパイプライン。だから日本の象徴というだけでなく、地球の象徴――
そんな声が心の中ではっきりと響いた。懐かしさを覚える、慈愛に満ちた声だった。
誰の心というわけでもない。青木家で待っている拓也とエーデル夫妻を除くここにいた九人すべての心に響く声だった。
彼らは互いに顔を見合わせた。そして、言葉に出して言わなくても同じメッセージが同時に彼らの心に響いたことは、明白に了解し合えた。だから彼らは互いにうなずいた。そしてその声が誰の声かも彼らはすでに十分すぎるほどわかっていたから、誰もそれを口にしなかった。
青木家に着くと、二階の広間ですでに婆様の式年祭の準備はできていた。
彼らの服装は特別なものではなく、いつものカジュアルないでたちだ。コートやジャケットを脱いでハンガーにかけると、広間に整列して座った。
「久しぶりだな、この部屋も」
悟がふと呟いた。由紀乃もうなずく。
「懐かしいね」
「前にここに集まった時以来、いろいろなことがあった」
美貴も言う。その隣の大輝もうなずいた。
「最後は婆様のお葬式の神葬祭の時以来ですね」
そこへ拓也の父の恭平が、スーツの上に白い帷子をつけて入ってきた。皆が正座して姿勢を正すと、拓也の母の則子、拓也、エーデルの順に入ってきて上座に並ぶ。
最初に恭平が、右側前方から参列者の方を向いて立った。
「今日は皆さん、お集まりくださってありがとうございます。本来ならば昨年親戚が集まってこの場で盛大に母の、皆さんがいう婆様の三年祭が行われまして、来年は五年祭になります。つまり、今年は四年目で四年祭などというのはないのです。一般では今年は五回忌ということになりますけれど三回忌の次は七回忌でして、五回忌などというのはないのと同じです」
皆黙って、うなずいて聞いていた。
「でも正規の式年祭ですと多くの親戚も集まりますから、皆さんとだけ親しくお話しすることもできません。ですので式年祭のない今年にお集まり頂きました」
たしかに司式は恭平がやるようで、神社の神主さんなども呼んではいないようだ。恭平の話は続く。
「いつもの式年祭は親戚の手前やるようなもので、母の魂は今どこにいて何をしているかは皆さんもご存じのとおりです。普通の人のように幽界で修行などしてはおりません。母は幽界誕生したのではなく、神幽られたのです。ですから、普通の式年祭の内容通りには行いません」
それだけ言うと、恭平は前方右端に左を向き、参列者とは横向きになる形で座った。そしてそれと向かう形で左端に拓也が、同じく帷子を着て座った。
最前列の悟も、作務衣の上に先ほど則子から渡された帷子をつけている。
中央にはここだけ仏式の仏壇があるが本尊などはなく、中央に黒塗り金文字の「青木家先祖代々之零位」と書かれた位牌が祀られている。仏壇の中はほかに生花の花瓶があるだけで、あとは何もなかった。上部に取り付けられた蛍光灯が中を明るく照らしている。
婆様の位牌も霊璽もなく、代わりに仏壇の下に遺影が飾られていた。一般の神式とも違うこの祭り方は、婆様の魂が特別なものであった証拠だ。
場に静寂が流れた。やがて拓也が口上を始めた。
「ただ今より、青木つる刀自之命の四年祭を執り行わせていただきます」
少し間をおいて恭平がゆっくりと立ち上がり、婆様の遺影の前まで進むと、遺影に向かって静かに座った。
そして手を三つ打って鳴らすと、参列者たちは一様に頭を下げた。
「おふくろ。今日はおふくろと深くかかわったみんなが集まってくれましたよ」
それは祝詞でも祭詞でもなく、もちろん読経でもなく、まるで生きてそこに座っている人に向かって話すような話し方で語りかけていた。
「はるか古代レムリアゆかりのムーの子たちが集ってくれましたぞ。この光の戦士たちを、これからも導いてください」
それから恭平は立ち上がってもとの座に戻って座り、代わりに悟が立ち上がった。先ほどのこの座に着いたときに、則子から作法は聞いていた。
そもそもその時に悟が冗談交じりに、笑って言った。
「こちらの法事は神式ということですから、坊主は出る幕なしですね」
それを聞いた則子も笑って、そして悟に言ったのだ。
「じゃあ、あなた、一つ大役をお願いします」
そのひと言でこの役目が決まった。
悟は先程恭平が座っていた婆様の遺影前の席に座り、懐から紙を取り出した。参列者も先ほど配られた紙を出して開いている。
「弥栄聖観音」
悟の言葉が響いた。そのあとは全員が紙を見ながら唱和する。
「此土に現れまし給いては、法身大日如来、アミダと化し、又或時は観世音菩薩となりて仏界に救いの業をなし給ひぬ……。大慈大悲や陽と陰、タテヨコ十文字結んで堅くホドケずば、大和の力天に満ち大地に溢れ、瑞雲は空に靉き、万華馥郁地に薫り、五風十雨の狂い地には無く、五穀豊穣漁りは豊かに栄ゆるも天ヶ下、歓ぎ賑う声々は、人類エデンの花園に……。正観音天の岩戸に押しかくし……、右手に物界洗礼の 火に燃ゆコーランの剣かざし左の御手大愛の、如意宝珠の玉見せ給い……ノアの洪水前夜祭 暴逆世に充ちてしてう世に、さも似たりな霊火の洗礼前夜祭。光に普く人草は、釈迦キリストも伝え得ず、惜しくも去りて二、三千歳洗礼前夜の狂奏に、踊り狂えるものにさえ 真理の峯を陽に照し……」
けっこう長かった。全部で五分くらいの内容だった。だが参列者たちの魂にはどんどん響いていく。宗教の祈りの言葉のようではあるが、そこには宗教を超越した神霊界の真理が読み込まれていることを誰もが感じていた。
そのあと、階下の和室で、則子とエーデルによってごちそうが並べられた。
「こんな豪華なお食事、頂けるんですか」
ひょうきんな新司の言葉に、皆がにこやかに笑っていた。
そうして、まだ昼間ではあったけれど、ビールも出てちょっとした宴会が始まった。仏式でいう精進落としに当たる直来だ。
まずは献杯。それからいろいろと話が弾んだ。さすがに昨夜の民宿での、学生時代のコンパの再現のような飲み会とは、雰囲気がだいぶ違った。
「式年祭っていっても、あれだけなのですね」
グラスを口に運びながら、美貴が言った。
「いや、うちは特別だべ。正式な式年祭でもないし」
そう言いながら、恭平は一同に食事を勧める。
「確かに仏式の法事とは全然違いましたけれど、神式とも違うということですか?」
悟がまだしゃべっている間に、由紀乃が悟に酌をする。
「ほら、悟君。もうすぐお酒は一切飲めなくなるんだから、今日のうちに飲んで」
「ああ、ありがとう」
酌を受けて、悟はまだ話を続けた。
「普通の法事のような堅苦しさや緊張がなくてよかったですよ」
「そりゃあそうだ」
恭平もニコニコ顔だ。
「そもそもがこの集まり自体が、宗教行事ではない。そんなことやったってお袋には意味ないでしょ」
「たしかに。婆様はもう婆様の魂をご自身の分魂として降ろされた、その御本体の御神霊に収容されていますから」
「そうですね」
陽太の言葉に大輝もうなずいた。
「たぶん今ごろはそうだろうなんていうレベルの話じゃなくって、僕たちはその事実を知ってますからね」
「婆様は、この三次元界におられたときから、徹底的に宗教色を排除しておられたね。それが高次元からの指示であるということで。決して宗教を打ち立ててはならないと繰り返し言っておられた」
「婆様ほどの高次元とのコンタクトも頻繁にされていた方なら、ご立教あそばして宗教を打ち立てるくらいやろうと思えばできたでしょうね」
大翔が話に入る。拓也がうなずいた。
「でも決してそれはなさらなかった。僕らにも厳と言われたからね」
「それはイエス様も同じ」
陽太が言った。
「カトリックの神学生の立場でこんなことを言うのもなんだけど、ここでしか言えないから言うけれど、イエス様は自分の教えを絶対に宗教にしてはならないと思われてたんだ。当時の宗教といえばユダヤ教だけど、自分の教えをユダヤ教のようにしてはならないと使徒たちにもきつく言われていた」
「たしかに」
エーデルが話に入った。
「かつての私ならそれを聞いて複雑な思いだったでしょうけれど、今ならわかります」
「釈尊もそうです」
悟はもう、かなり顔が赤くなっていた。
「釈尊はブッダ・サンガー、つまり精舎という弟子たちの集団は作りましたけれど、バラモン教のような宗教にしようとは考えていなかった」
「つまりは」
恭平がまとめる。
「弟子たちをはじめ後の世の人たちが勝手にキリスト教とか仏教という宗教にしてしまったということだべ。イエス様やお釈迦様の意に反して」
「その通りです。教会でこんな話はできませんけど」
陽太がうなずくと、悟も同調する。
「確かに、僕もお寺ではこんな話はできませんね」
そして一同で笑った。
「それにしても」
ひろみがグラスを置いて話に入る。
「もしかして婆様がお出ましくださるかとも思いましたけど、今日はそれはなかったですね」
「確かに、婆様があちらに帰られてから直接的にお出ましになったことはないね」
拓也が言うと、大輝もうなずいた。
「そのようなことをされて、ますますご自身が神格化されて宗教になってしまうことをよほど懸念されているんですね、婆様は」
「でもたった一度だけ、ピアノちゃんの依代ではなく夢というかたちで、ここにいる全員にメッセージをくださいましたね」
大翔が言う。全員がうなずいた。美穂が言った。
「あの、富士山の噴火の前ね」
「実際噴火といっても、世の中が騒いだほどには大したことなかったけど」
そういうひろみを、拓也は見た。
「確かに、大したことはなかったけれど、それは抑えられたってことだよね、婆様のお蔭で」
みんな大きくうなずいた。




