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Ascension  作者: John B.Rabitan
第1部 霊峰
3/13

3 白富士

 年の瀬も押し迫り、由紀乃が運転するスズキ・ワゴンRは圏央道を南へと向かっていた。助手席には美貴が、後部座席には悟がその巨体を座らせている。いつもの作務衣さむえだ。

 

「昼頃には談合坂に着くかな?」


 ハンドルを握ったまま由紀乃が言った時、車はトンネルに入った。この区間はやたらトンネルが多い。トンネルというよりもほとんど地下を走っている状態だ。


いてれば大丈夫じゃない?」


 助手席の美貴が言う。年の瀬とはいっても、年末の帰省ラッシュが始まるまではまだ日数があるだろう。

 空はよく晴れていた。典型的な西高東低の冬型気圧配置だ。ただ、それほど寒くはない。今年だけでなく、ここ数年毎年暖冬が続いている。その代わり、夏の猛暑は年々記録を更新していた。

 朝の十時に自宅を出発した由紀乃はまず例のお寺に行って悟を拾い、それからすぐに最寄りのインターから自動車には乗らずに隣町まで一般道を走って、美貴を乗せてから圏央道に入っている。

 美貴が乗った時点でそれまで助手席にいた悟は座を美貴に譲って、後部シートに移った。


「私のプレイリスト、かけていい?」


 出発前に美貴が聞くので、由紀乃は笑顔で承諾した。美貴は由紀乃の車のカーナビのオーディオ機能を操作して、自分のスマホのブルートゥースとペアリングさせた。


「え? クラシック? まじ?」


 悟が不思議そうな顔をした。流れてきたのはバッハの「G線上のアリア」だ。


「特に運転するときには落ちつくのよ」


「たまにはいいね、こういうのも」


 由紀乃が笑って言った。


 三十分ほど走ったジャンクションで東京から来た幹線高速に乗る。ここまでは前の車と後続車との間はかなりの車間距離があって、すいすいと走ってきたという感じだ。幹線高速も全く混んではいなかった。

 すぐに高速は山間に入り、左手の低いところに小さな湖を見ながら今度はちゃんと山をくぐる長いトンネルを抜け、ジャンクションからまた三十分とちょっとで大きなサービスエリアに入った。

 満車ではなかったけれど、いている駐車スペースを探すのが少し苦労した。


 「ちょうど一時間だね」


 シートベルトを外し、ドアを開けて外に出た美貴が言った。由紀乃も悟も車から出てきた。

 駐車スペースの建物と反対側の、本線越しの向こうには大きな山がそびえ圧を感じさせる。

 中は土産物を売るスペースよりも大部分がフードコートが占めていた。

 三人はそれぞれ好みの店で食事を選んだ。由紀乃と美貴はパスタ、悟はカツ丼だった。


「修行が始まったら二年間は一切の肉も魚も食べられなくなるから、今のうちに食べとくんだ」 


 聞かれもしないのに、悟がそう説明していた。

 食事の後、少し売店をのぞいたりしてから三人は車に戻った。


「運転換わろうか?」


 乗る前に美貴が由紀乃に行ったが、由紀乃は首を横に振った。


「大丈夫、大丈夫。ありがとう」


「俺もそう言いたいところだけど、三年以上車運転してない」


「あ、それは遠慮しとく」


 由紀乃の言葉に三人で大笑いした。

 結局そのまま由紀乃がハンドルを握り、黄色いスズキ・ワゴンRを発進させた。このまま道も混んでいなくて順調に行けば、一時間もかからずに目的地には着くはずだ。

 そのまま幹線高速を西へ十分くらい走ると、大きく左へ分岐するジャンクションがある。標識に従って分岐点を左へ進むと、しばらくは本線と並行して走っていたが次第に大きく左にカーブして本線から離れる。この先は自動車道の視線となる。

 さらに進むと最初は行く手の山の向こうに控えめに霊峰が顔をのぞかせた。だが次第に高速道路の前方に忽然とその巨体を現して、どっしりと居座るようになった。

 

「おお」


 ほぼ同時に三人とも歓声を上げた。


「なんか私たち、富士山に吸い込まれていくようね」


 ハンドルを握りながらも、由紀乃がそうつぶやいた。


「確かに。間違いなく富士山に向かっていく、どんどん引き寄せられる」


「今は全身が真っ白で、上のほうだけ冠雪してるイメージ通りの富士山とは違うけど、これはこれできれいよね」


「すごいパワーだ」


 後部シートから悟も、シートベルトに逆らわない程度に身を乗り出している。


「俺、浪人してた時は一年間ずっと富士山のそばで暮らしてたけど、やはりあらためて見るとそのエネルギーはすごいな」


「ね。パワーが降り注いでくるよね」


「でも、昔よりも確実にパワーは増幅されてる。あの頃と同じじゃない」


 悟のそんな声も載せて、車は一目散に霊峰の元へと疾走していた。


     ※     ※     ※


 特急かいじ15号から切り離された富士回遊15号は、定刻通りに終着駅に到着した。白いボディーに上部にはブルーのラインが入り、窓枠は黒だ。

 二つ手前の駅で進行方向が逆になり、乗客たちの視線からは後ろ向きに走って生きたことになる。

 多くの観光客とともにホームに降り立った筒井美穂と竹本ひろみは人の波に乗ってホームの端まで歩いた。ホームの先端がスロープとなって線路を横切る踏切に降りる。その踏切を渡ったところに駅舎があって改札もある。終着駅ならではの構造だ。


「うわすごいね。外国人ばっかりじゃん」


 改札を出たところで小さな駅舎内にあふれる人々を見て、美穂が感嘆の声を挙げた。皆観光客のようだけれど、日本人を探すのに苦労するくらいだ。約半分がヨーロッパ系の白人、そして東洋人の団体も負けてはいない。

 そんな人々をかき分け、二人は駅舎の外に出た。オレンジ瓦の三角屋根の、山小屋風の駅舎だ。

 その駅舎を出て右の方へ行き、タクシー乗り場を抜けると茶色い旧式の電車が一両、モニュメントとして置かれている。その脇にはなぜか、神社もないのに赤い鳥居があった。

 その電車の向こうは駐車場となっていて、そこが指定された待ち合わせ場所だ。


「あ、拓也さん」


 ひろみが気づいて手を振った。駐車場に車を停めて待っていると思っていた青木拓也は、車から降りて二人をここでで待っていてくれていた。


「わざわざありがとうございます」


「助かります。駐車場の中を車探さなきゃと思っていたので」


 拓也もにこりと笑った。


「いやあ、遠い所ご苦労さまだったね。何時に家出た?」


「最寄駅を出たのが七時半ごろでした」


 ひろみが答えた。拓也は少し驚きの表情を見せた。 


「しかし変わったね、二人とも。やっぱ芸能人ともなるとオーラが違ってくる」


「やだもう。デビューするのは来年ですよ」


 美穂が照れて大笑いした。拓也も笑った。 


「来年って言ったって、もうすぐ来年だよ」


「そっか」


「ま、もうすぐお昼だし、食事しながらそのへんの話も聞こうか」


「エーデルさんは?」


 ひろみの問いに、拓也は駐車場を示した。


「車で待ってる」


 拓也のブラウンのトヨタ・ルーミーは一番道路沿いに停めてあった。今まで気づかなかったが、ここまで来ると駅舎の向こうに大きく白く雪化粧した霊峰がそびえているのが見えた。


「わ、きれい」


 ひろみが思わずスマホのカメラを向けていた。

 ファミリーカーの助手席には拓也の妻のエーデルがニコニコして二人を迎えた。


「ああ。奥さん、お久しぶり」


 美穂に言われて、中東系の美人のエーデルもまた照れて笑った。


「奥さんなんて、昔の通りにエーデルさんでいいのよ」


「だって奥さんだもの」


「新婚さんの車にお邪魔するのも悪いけど、よろしくお願いします」


 ひろみがそう言った後、拓也に促されて二人は後部シートに入った。


 拓也はルーミーを発進させた。まずは左折して、駅を左手に見ながらそのまま進む。道は片側一車線でそう広くはなく、左右は落ち着いた民家やたまに商店が並ぶ。ここは観光地という雰囲気はまだなかった。

 時折大型ドラッグストアやコンビニもある。


「何食べたい?」


 運転しながら拓也は後部座席を見ずにひろみたちに聞いた。


「何でもいいです」


 ひろみがすぐ答えたけれど、隣の美穂は小声で遠慮がちに言った。


「せっかく来たのでできれば地元のものを」


「わかった。この町だと蕎麦が有名だけど、この県だとやはりほうとうかな」


「それがいいです」


 ひろみが答えた。


「了解」


 そこでときどき東京にもよくあるチェーンのファミリーレストランなどもあったが、拓也はそれらはスルーして車を走らせた。

 やがて大きな交差点があって、そこを右折した。今度は県道のようで、同じ片側一車線だけれどもかなり広く感じられた。

 遠くには緑の木々に覆われた低い丘陵が横たわっているのが見えた。


「この季節、本当だったら山はあんな緑じゃないよなあ」


 運転しながら、拓也がつぶやいた。助手席のエーデルが拓也を見る。


「そうね。まるで夏みたいに緑が眩しいくらい」


「二、三年前からこうなんだよな」


 拓也は独り言のように呟いた。


 駅を出てから三、四分くらいで、右手に小さいけれども「ほうとう・天ぷら」という看板が見えた。拓也は徐行した。看板の後ろに車が十台ほど停められる駐車場があり、三角屋根の小ぢんまりとした平屋の店はその奥だ。モダンな外壁だった。

 道の右側にあり、対向車線の交通量も多いので、右折してその駐車場に入るにはしばらく待ってタイミングを計らなければならなかった。幸いここだけ上下車線の間に安全地帯があり、そこで右折の機会を待って停車しても、後続の車への影響はなかった。

 なんとか車が途切れたのを見計らって駐車場に入った。駐車場にはすでに六台ほど停まっていた。

 店の入り口に、写真入りのメニューの立て看板があった。

 その脇にタッチパネル式の受付機があって、人数を入力してスタートボタンをタッチして番号札を受け取るのだが待ち時間なしで入れた。

 中に入ると玄関には胡蝶蘭の鉢植えがあり、店内はL字型になっていた。入ってまっすぐのスペースにはいす六基のテーブルが二つ、四基のテーブルが二つ配置され、右側が五人ほど座れるカウンター席だ。カウンター席の前は厨房で、大きく設けられた窓から厨房がよく見える。

 スペースの中央には客席ではない小さなテーブルがあって、生花や観葉植物の鉢が置かれていた。

 入口の右側のスペースは窓のある壁に沿ってソファー席で、テーブルの向かい側にいすが二基ずつ配されている。

 L字型の角の柱には裏表ある丸時計がその側面を柱に固定する形で立体的につけられていて、まっすのスペースと右側のスペースの両方から裏と表で時計を見ることができる。

 店内は程よく混んでいたが、四人は窓際の四人がけのテーブルに席を取ることができた。外国人も多かった。

 厨房の前のカウンター席の反対側の壁は全体が透明なガラス戸になっていて店内は明るく、外の駐車場がよく見えた。

 現代的で真新しくきれいな内装で、スペースの中央だけではなく室内のあちこちに観葉植物の鉢が置かれていた。

 メニューを見るとほうとうだけでも焼き豚ほうとうや豚肉ほうとう、きのこほうとう、キムチほうとうなどある。ほかに蕎麦や馬刺し定食やとんかつ定食など選択肢は豊富だ。そのメニューにもすべて英語表記が添えられている。

 四人とも同じ豚肉ほうとうを注文した。注文はQRコードを読み取ってのスマホでの注文だった。


「ところで君たちは来年、いよいよ芸能人なんだよね」


 食事が来るまでの間、駐車場のところで話した話題を、拓也はまた持ち出した。


「そんな大げさな」


 美穂が照れて笑ったけれど、拓也は突っ込む。


「え? 違うの?」


「いえ、違いませんけど」


 ひろみが恐る恐る言った。


「今までインディーズでCD出したりライブやったりしてたんですけど、芸能プロダクションの目に留まって。オーディション受けてみないかって」


「それで合格?」


「はい」


 遠慮がちにひろみはうなずいた。


「それで、四月からは故郷を引き払って東京に活動拠点が移ることになります」


「じゃあ、私たちと同じ東京ね。近くなるね」


 エーデルも嬉しそうだ。


「でも、プロのミュージシャンになったら雲の上の人になって、かえって遠くなるんじゃないか」


 拓也の言葉にひろみも美穂も手を顔の前で横に振った。


「「そんなことないです」」


 見事にハモっていた。それがおかしくて四人で一斉に笑った。


「プロデビューしても、私たちはこれまでと同じです。みんなとの関係も変わらないです」


 ひろみが力説したところで、注文した豚肉ほうとうが四人分運ばれてきた。昼の部は二時で閉店なので、その旨の了解を店員は求めてから去っていった。



 食事を終えた四人は再び拓也の車に乗った。

 拓也は元来た方に戻るのではなく、ここまでの進行方向に向かって先に進んだ。

 やがて左右の視界が開けた。大きくて長い橋に差し掛かった。橋の左右は川ではなくどちらも湖だ。つまり湖に架かる橋なのだ。特に左側の湖の方が大きかった。山に囲まれて満々と講師をたたえている。橋の高さがかなりあるので、遠くまで見渡せた。

 富士山は左後方へと移っている。

 かなり時間をかけて橋を渡り終えると、左側に湖を見ての湖畔の道路となった。

 この辺へ来るとかなり観光地ぽくなってきて、多くの観光客が集団で歩いている。だが、それはほとんどが外国人だった。おそらくクリスマス休暇を利用して日本に来ているのだろう。

 ところが道の左右から次第に民家も建物も消えていき、時々観光施設やコンビニ、レストランが点在するだけとなった。左手はずっと湖で道はずっと湖畔を走っているわけではないが、ほぼ近くに湖はあった。

 そしてここからは湖越しに真っ白な霊峰がものすごい迫力でその巨体をのぞかせ、それがいつまでもついてきた。

 そんなころからだんだんと道は渋滞し始めた。車の列に混ざって路線バスや大型観光バスの姿も見える。なにしろ片側一車線だから追越しをかけることもできない。

 時には停車を呼びなくされるほどの渋滞だった。


「混んでますねえ」


 ひろみが後部シートから呟いた。拓也の顔は見えないが笑ったようだ。


「そのうち、なんでこんなに混んでいるかわかるよ」


 その声から笑ったことは分かった。

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