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Ascension  作者: John B.Rabitan
第2部 並行世界
23/25

10 価値あるもの

 婆様は微笑んで俺たちを一人ひとり見ているだけなので、ついにチャコが口を開いた。


「婆様、私たちの価値って何なのですか?」


「それは」


 ようやく婆様は口を開いた。


「あなた方が今ここにいること。この世界の存在していること。その存在自体がいちばん大きな価値なのです」


 分かったような分からないような感じなので、皆じっと婆様を見つめた。

 すると突然、婆様は大きく声を挙げて愉快そうに笑った。


「皆さん、怖いですよ」


「え?」


 誰もが、すぐにな婆様の言葉が理解できなかった。


「あなた方の顔です。そんな怖い顔で私を睨まないでください」


「いえ、そんな、睨んでるなんて」


 慌てて島村先輩が弁明した。婆様はさらに笑った。


「もちろん、皆さんがそんな怒って怖い顔をしているわけではないことは分かっています。皆さん、真剣なんですね。真剣に私の言葉を聴こうとしてくださっている。でも真剣なだけに顔がこわばって、怖い顔になってしまっているのですよ」


 皆、互いの顔をも合わせていた。確かに真剣さのあまり悲壮な顔つきになっているのに気づき、ピアノちゃんと美穂などはぷっと噴き出していた。


「皆さんにお聞きします。相手が自分に何か頼むとき、どんな顔で頼んできたら聞いてあげようと思いますか?」


「それは笑顔ですよね」


 杉本が答えた。婆様はうなずく。


「そうです。ものを頼む時だけではなく、挨拶するとき、あとは接客業の方がお客様に接するとき、基本は笑顔です。普段からいつもニコニコしている人は、見ていても気持ちいいですよね」


「はいたしかに。電車に一人で乗っている人が、一人でニヤニヤしていたら気持ち悪いですけれど、軽く微笑みを含んだ顔でいると幸せそうに見えますし、いい人だなあってイメージは湧きます」


 杉本の言葉に、皆が同調した。


「それは神様に対しても同じです」


 皆がハッとした顔をした。


「それなのに、みんな神社でお参りするときは、真剣にお参りしている人ほどすごい形相になっています」


「教会でのミサでも、みんな真剣ですから、微笑んで祈る人はあまりいませんね」


 島村先輩が言うと、悟も言葉をつなげた。


「たしかに。ほほ笑んで坐禅を組む人もいませんし、笑顔でお経をあげる坊さんもいません」


「ではあなたが神様の立場になったら、微笑んで祈る人と悲壮な顔で祈る人と、どっちが好感を持つでしょうか」


「笑顔ですかね。僕たちは神様ではありませんからよくわかりませんけど」


 島村先輩が、首をかしげながら言う。実はここにいるみんなの魂が神霊の分魂であることはすでに俺は知っているけれど、みんなはまだこの時点のこの段階ではその自覚に至っていない時だ。


「神様の世界、高次元界ではそこにいる生命体というか意識体、いわば御神霊は基本的に笑顔ですよ。上の次元に行くほど笑顔の度合いが増します」


「でも、キリストが笑っているイメージってなかなかないですけれど」


 島村先輩が言う。


「たしかに、絵画とかのイエス様は笑っていませんね。でもそれは、後世の人が作り上げたイメージです。本物にエス様はいつもニコニコされていて、周りの使徒たちも笑顔が絶えないそんな集団だったはずです。暗い顔をしてあなたがたは世の光であるなどと言って愛とか真理とか説いても、誰も聞きませんよ。釈尊とてそうです」


「え?」


 悟が驚きの声を挙げた。


「にこやかに微笑んでいる釈迦牟尼仏なんて想像できない」


 婆様は声をあげて笑った。


「たしかに、仏像は笑っていませんけれど、肉身をもってこの世におられたときの釈尊は間違いなく笑顔の絶えない人だったはずです。最初は難行苦行をして悟りを開こうとしましたけれど、スジャータという娘が差し出したミルクで体を癒し、その時釈尊は娘ににっこりと微笑まれたのです。そのにっこりと笑った笑顔こそが、釈尊が悟りを開いたもととなったんですね」


「ああ、そんな話は初めて聞きますけれど、でもなんかすごく納得いきます」


「心に刺さったら、実践することをお勧めしますよ」


 やっとみんな、笑顔でうなずいた。

 だが、少し間を置いてから、さらに婆様は言った。


「ただ、あくまでお勧めです。ああしなさい、こうしなさいということは、私は言いません。ヒントを与えただけですから、あとは皆さんそれぞれの魂の声を聴いて、直感を信じてください。これはマナーの話でも宗教的な戒律の話でもありません。あくまで高次元世界の法則にのっとってお話しをしていますけれど、それとて私が言ったからとてまるまる鵜呑みにしないように。あくまで参考にといいますか、極端な話、私が考えたフィクションだと思ってそれを楽しむくらいでいいんですよ。ただ、気になった場合は、自分で検証するという態度をお忘れなくね。これは今世間に、特にマスコミやネット上にあふれかえっている情報に関しても同じことです。すべて鵜呑みにしないで、自分で検証してください」


 部屋には柱の上に大きな時計がしつらえてあった。何気なくそれを見ると、もう夜の九時半を過ぎていた。

 俺は島村先輩と青木先生を見た。島村先輩はすぐにうなずき、婆様に向かって言った。


「本当に素晴らしい話をまことにありがとうござました」


「いえいえ、どういたしまして。私も皆さんとお話しできてうれしかったです。若いかたたちと接するのって、とてもいいことです。生命が若返ります」


 島村先輩もはにかんだ笑いとなった。


「ただ、『ありがとう』の言霊ですけれど、『ありがとうございました』では完了形になってしまいます。でも、感謝の想念は過去のものでも完了するものでもありません。今現在のものなのです。ですから『ありがとうござました』というのは、語源から考えてもおかしな日本語ですね」


「ああ」


 チャコが大きくうなずいた。


「じゃあこれからは、どんなシチュエーションでも『ありがとうござます』で通した方がいいのですね」


「私はそう思いますけれど、あとはあなたの魂の声に従ってください」


「ではそろそろ、時間も遅いことですし」


 島村先輩がそう言って青木先生を見ると、先生もうなずいていた。


「では最後に」


 婆様はさらに話を続けた。


「最後に、いいことをお話ししましょう。願いが叶う秘訣です」


 これはみんな興味津々で、一度は立ち上がりかけたが、またもとの畳の上に座った。そして、婆様の次の言葉を待った。


「皆さんは、それぞれ心に願いがあるでしょう。でも、なかなかそれが実現しないって思っていませんか?」


 表面的にはそれにうなずくものはなかった。だが、誰もが「たしかに」と心の中で思っているその波動は、俺にも伝わってきた。婆様にも当然伝わっているだろう。だから、婆様はうなずきながらにっこりほほ笑んだ。


「よく想念は物質化する、想いは現実化すると言われてますけど、自分の願いはいつまでたっても実現しないと思っていますね。それはなぜでしょう」


 皆少し首をかしげながら、黙っていた。その姿に、婆様はますますほほ笑んだ。


「それはですね、願いが実現しないという想念が物質化しているからですよ。いつまでたっても思う通りにならない、祈っても祈っても聞いてくださらない、そう思い続けている限り思う通りにならないし、祈りは聞いてもらえません。思う通りにならないという思いが、現実化しているだけなんですよ」


「ああ!」


 何人かがハッと何かに気づいたような顔をして、口をぽかんと開けた。


「願いがかなうにはどうしたらいいか。もうわかりますね。願いがかなわない、かなっていないという思いを捨てることです。願いをかなえていただきたい、という思いを捨てることです。願いをかなえていただきたいと願うのは、その願いが叶っていないという思いがあるから、それが現実化して願いがかなわないのです」


 皆、息をのんでいる。


「いいですか。心に願いを持つな、何も願うなと言っているのではありませんよ。願いがあるなら、こうなりたいということがあるなら、それがすでに実現した状況を強く念じて胸がわくわくする思いを感じるのです。もう願いはかなったと、喜びを味わうのです。そして感謝するのです」


 婆様は、俺たちの顔をさっと見渡した。


「例えば皆さんは身近なこととして、成績を上げた、いい大学に合格したいということがあるでしょう。合格祈願に神社などにお参りに行く場合もあるでしょう。でもその時に、合格させてくださいではなく、すでに合格通知を手に大喜びしている自分を強く思い描いて、その喜びを深く味わって、そしてそのことを感謝するのです。もちろん、合格するためには勉強しないといけませんが、そういう祈りの仕方に切り替えれば、自然と合格できるような勉強をするようになるのです」


 みんな胸のつかえが降りたような顔だ。美貴やチャコなどは、目に涙さえ浮かべている。


「さあ、皆さん、笑顔を忘れていますよ。喜ぶんです。祈るときは、こうしてくださいではなく、もうすでに聞いていただけた、実現したと強く念じて感謝するのです。民俗学の方でよく言われますが、日本の農村では予祝儀礼というのがあります。春のうちに、その年の秋の豊作を先に祝ってしまうのです。昔の人は、この法則を知っていたんですね」


 皆、やっと笑顔を取り戻した。満面の笑顔に涙の筋を光らせているメンバーも多い。


「これもご参考までに。裏付けはご自分の実践でなさってください」


 今度はこれで本当にお開きとなった。


「婆様、ありがとうございます」


 皆口々に礼を言うと、婆様もさらににっこりほほ笑んだ。


「お話を聞いてくださり、ありがとうござます」


 婆様はそのまま車いすのまま部屋を出て行った。


 すでに夜半近かった。民宿に戻った俺たちは、夜のディスカッションや余興ではしゃぐよりも、婆様の話の余韻に浸りながらも旅の疲れもあって早々に男女各自の部屋に引き揚げて眠りについた。


 翌朝、俺たちは少し寝坊していた。

 ただの旅行ではなくあくまで部活の合宿なのだから、決められた時間通りに行動しなければいけないはずなので、寝坊はあくまでうっかりしていたからだ。

 だが、それほど大幅に寝坊することもなく、俺たちは青木先生の声で目覚めた。青木先生はこの民宿に宿泊していなかったけれど、なにしろ家が隣なのだからご近所づきあいで出入り自由なのだ。


「みんな、表に出てごらん。富士山が綺麗だ。女子たちはもう外にいるよ」


 そんな声に目覚めさせられた俺たちは、眠い目をこすりながら表に出た。昼になるとそれなりに気温が上昇するだろうが、今はまだ高原特有の空気がひんやりとしている。

 民宿の外の駐車場に出ると、すぐに目に入ったのが樹海越しに見える富士山だった。木々に阻まれてその全容は見せてはおらず、木立の上から少しその頭をのぞかせている程度だ。


「朝食前に少し歩こう」


 青木先生に促されて、俺たちは雑談をしながらぞろぞろと歩き始めた。ふだんは青木先生のスーツにネクタイ、盛夏のこの頃でも白いワイシャツのクールビズ姿しか見たことのない俺たちは、短パンにTシャツというラフな格好の先生が新鮮でもあった。


「先生、どこに行くんですか?」


 青木先生のすぐ後ろを歩いていた美貴が、先生に聞いた。だが、男子陣は何となく行先が分かっていたようだった。

 二、三分くらい歩いて、樹海の中の集落からはみ出したような部分に出た。まずは廃墟のような二階建ての建物があるが、その二階部分で隣の建物と繋がった渡り廊下の下をくぐっていくと、広々としたグランドがあった。入口には立ち入り禁止の黄色いテープが貼られていたが、先生はお構いなしに入っていく。


「ここね、今は廃校になった小学校の跡地だよ」


 悟が周りを歩いていた女子たちに説明する。


「青木先生が出た小学校なんだって」


「へえ」


 女子たちは興味深そうだ。杉本以外の他の男子は皆ここに来ている。この世界での去年の夏、このグランドで夜に満天の星を眺めたものだ。

 俺自身はあちらの世界でこの集落にはもう何度も来ているけれど、このグランドに来るのは俺がまだこちらの世界にいたあの時以来だ。

 あの時は夜だったのでよくわからなかったが、こんな風景だったのだ。

 そしてグランドの向こうの樹海の木々の上に、ここではかなりはっきりと富士山は頭をのぞかせていた。


「君たちはラッキーなんだよ」


 歩きながら、ふいに青木先生は言った。


「ここからはいつでも富士山が見えるというわけではないんだ」


「え? こんなに近いのに?」


 ピアノちゃんが言う。


「冬だときれいに見える日が多いけれど、この夏だとむしろ富士山が見える日の方が少ない。まず雨が降っていたら完全アウトだけど、どんなに晴れていても富士山周辺だけ雲が湧いていて見えないって日も多いんだ」


「だからラッキーなのですね」


 杉本が言う。青木先生もにっこりとうなずいた。笑うと目元あたりが孫だけあってやはり婆様に似ている。


「そう。昨日も今日もこんなにはっきりと富士山が見えるのは、夏だと珍しい」


 そう言いながらも、青木先生は立ち止まった。そして富士山を見ている。みんなも同じように立ち止まり、同じように富士山の方を向いて立っている形になった。何人かがスマホを出して富士山の姿を撮ったり、女子たちは二、三人ずつ自分たちも入って自撮りなどを始めた。

 だが、いちばんはしゃいでいたのはエーデル先生だったりした。

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