8 婆様
民宿で受付を済ませ、男女別それぞれの大部屋に荷物を置くと、すぐに全員で外に出て言われたとおりに隣の青木先生の実家へ向かった。
「まずは婆様に挨拶だ」
俺たちは家にあがらせてもらい、青木先生の先導で縁側のようになっている廊下を歩いて木の扉の前に来た。
「婆様」
先生が声をかけると、扉の中から凛とした声がした。
「どうぞ」
気品にあふれる、澄み渡った声だった。
先生が扉を開けた。部屋の奥に車いすに座った婆様は、にこにこ笑いながら部屋に入ってくる俺たちを迎えた。
「ようこそおいでなさった」
婆様はひとりひとりの顔を見て目を合わせ、微笑んでいる。
そして俺友目があったとき、俺の目からは大粒の涙がこぼれていた。
あちらの世界ではすでに大学生になっていた頃に、婆様の高次元への転移を見送った。婆様は神幽られたのだ。一般的な言葉で言うと、婆様の葬儀にも参列している。
この三次元現界では二度と会えないはずだった婆様が、今目の前でほほ笑んでいる。
俺は言葉が出なかった。すると婆様は言った。
「山下さんもご苦労なことですね。大変でしょうけど、よろしくお願いします」
俺は直感で閃いた。
やはり婆様は何もかもご存じなのだ。俺が並行世界から転移してきて今ここにいることも、全部通じておられる。
だが、俺のこんな様子を周りは奇異に思うだろうと、俺は思わずほかの部員たちを見た。
だがなんと、女子たちに加え杉本までが婆様を見て目を潤ませていた。もちろん俺は、そのことをすべて了承している。
「とりあえず温泉入って食事をして、夜にはまたここに来なさい」
婆様は慈愛に満ちた声でそう言った。
民宿へ戻る途中、俺は分かってい入るけれど一応女子たちに聞いてみた。
「さっき、婆様を見て泣いていたよね」
自分が号泣していたことは棚に上げてだ。
「あのさ」
ピアノちゃんが代表して歩きながら答えた。
「私たちはあのお婆様と初対面のはずなのに、なんか懐かしいって電流が走ったんです。ずっとずっと前から知っている人のような気がして。そして、やっと会えたって感じだったんです」
「前世で会っていたのかなあ」
呟くように美穂が言った。いや、そんな前世とかそういうのじゃなくて、実はあの婆様とは……と、俺は言いそうになったけれどやめた。ここでは沈黙を貫いた。
食事の時間はまだ先だというので、俺たちは民宿二階の温泉に入ることにした。まだ明るいうちに温泉には入った方がいいと民宿のおばさんが言うので、なんでかなと思いながらも言うとおりにした。
浴室に入ると、おばさんの言葉が納得できた。浴室の奥に温泉の浴槽があるのだが、その上には大きく窓が設けられている。その窓から、樹海の木々の上に大きく富士山がそびえて見えるのだ。
「おお」
一緒に入った男性陣も、皆歓声を挙げていた。これなら確かに明るいうちに入らないと、暗くなってからではせっかくの富士山が見えない。女子風呂も隣にたぶん同じような作りで作られているであろうから、同じように富士山が見えているはずだ。
お湯もいい湯だった。
そのあと食事は郷土の料理なども出て、かなりのボリュームだ。みんな電車の中の続きで、はしゃぎながら料理を味わった。
今はみんな高校生なのだし、この世界では俺も肉体的には高校生なのだから、当然と言えば当然だがアルコールはなしで、魂は成人している俺としてはちょっと物足りなかった。
食事の後に夜のお供にコンビニに何か買いに行こうとか女子が言い出したが、民宿のおばさんに聞くとこの樹海の中の民宿村にはコンビニはなく、いちばん近いところで車で4分くらいのところに地元店舗のコンビニがあるという。聞いたこともない名前だった。歩いたら30分はかかるというのであきらめた。
そして食事後は、約束もあったので隣の青木先生の実家にみんなでぞろぞろと移動した。
「婆様がお待ちですよ」
出迎えてくれた先生のお父さんが、にこにこと中へと案内してくれた。
「おじゃましま~す」
俺たちは口々にそういうと、中に入った。通されたのは客間と思われる和室だった。その奥に婆様は車いすに乗ったまま座っていた。
「皆さんどうぞ、適当に座ってください」
「はい」
俺たちは並ぶでもなく、適当に婆様の方を向いて思い思いのところに畳の上にじかに座った。
もちろん青木先生とエーデル先生も同席している。
「どうぞ、足をお楽にしてください」
婆様はこれ以上にないというほどにこにこして、優しく言ってくれた。皆、恐縮しながらも、言葉に甘えて楽な姿勢となった。
「皆さん、遠くから、ご苦労様ですね。特に杉本さん、朝倉さん、幸野さん、竹本さん、筒井さん、そしてエーデル先生は初めてお会いしますね」
婆様はひとりひとりの顔を見て、正確にその名前を言った。名前を呼ばれた人はただ茫然と、ぽかんとして口を開けていた。
エーデル先生は外国人だし杉本は名前を呼ばれた中で唯一の男子だからすぐにわかると思うが、それ以外の名前を憶えていることには驚きだ。ただ、名前くらいは事前に婆様にとっては孫である青木先生から聞いていたかもしれないが、初対面で名前と顔が一致しているというのはさすが婆様だ。
俺だけがそう思っているわけではなく、島村先生や悟も婆様なら当然だという顔でうなずき、むしろ驚いている杉本君や女子たちの姿を楽しんでいるようでさえあった。
「皆さんは、同じ高校の同じ部活でがんばっておられるのですね」
「はい」
悟が代表して勢い良く返事をした。これまではただ雑談して帰るだけの部活だったが、たしかに最近はまじめに看板通りの超古代文化を研究している。研究といっても、青木先生の話を聞くだけなのだが。
「部活といっても部員という枠はなくて、任意で集まっているだけなので、団体とも言い難いですけど」
「それでいいのです」
婆様は悟の説明に、ゆっくりうなずいた。
「あなたがたには未来に向かって大いなる使命があります。でもそういう人たちが組織を作って団体となると、ろくなことがありませんから」
みんな、よく分からないという顔でうなずいていた。特に今回、婆様とは初対面の人たちはいぶかしそうな顔をしていた。
「婆様」
島村先輩が声を挙げた。
「未来に向かってということですけれど、これから世の中はどうなっていくのですか?」
婆様はうなずいた。
「誰でも未来ということについて、不安を感じているのはもっともなことです。でも未来というのは、定まってはいませんよ。今の状況がどうなのかによって、どのような未来も存在し得ます」
皆、静まり返った。そして婆様の次の言葉に引き込まれようと構えている。
「ただ言えることは、これから宇宙は大変革の時を迎えます。もちろん地球もです」
皆はさらに息をのんだ。静寂を破って、島村先輩が顔を挙げた。
「いわゆる最後の審判ってことですか?」
婆様はまたにっこりと笑んで、島村先輩を見た。
「たしかに、世界人類は選別の時を迎えるでしょう。でもそれは今あなたが頭の中で考えたような、実のなった麦の穂は刈り取られ、実のならなかった麦は火の中に投げ入れられるというようなことではありません。裁きとは違います」
島村先輩は、はっとしたような顔をした。婆様はみんなのほうを見て続けた。
「選別は行われます。でもそれは誰かが来て人類を選ぶということではありません。一人ひとりがみな自分で、己のあるべき姿を選んでいくということです」
「そのためには、何をすればいいのですか?」
杉本君が聞く。婆様はゆっくりうなずいた。
「それは私が伝えるべきことではありません。また、他の誰かがこう言っていたからとか、こんな情報を得たからとそれを鵜呑みにすることでもありません。たとえそれが聖雄聖者や先哲の教えであっても、また身近な尊敬すべき師の言葉や書籍であっても、最近はマスコミやインターネットの動画やSNSを通してであっても、です」
「信じてはいけないということですか?」
さらに杉本君が聞く。
「信じるのはかまいませんが、その前に判断することです。それらはすべて他人の声ですね。あなたの覚醒は他人によってではなく、あなた自身によって行われることです。すべてはあなたの中にあります。なぜなら、あなたの魂はもう宇宙とつながっているからです。今はとにかく情報量が多い、つまり選択肢が無限にある時代です。そういったいろいろな情報に対して、どれが正しいかと考えたらただ混乱するだけです。この中で、今受験生の方が多いですね」
婆様は正確に俺と悟、杉本、チャコ、美貴を見た。
「入学テストも、昨今は選択肢問題によるマークシートの出題が主流ですね」
こんな高齢のご老人がなぜそんなことまで知っているのだろうかという疑問の波動が、俺以外の受験生の連中から伝わってくる。俺はただ、大きくうなずいていた。
「選択肢問題というのは、どれが正解だろうかと考えるとどれもが正解に見えるように作られているのです。だから正解を考えてはいけないのです。ただ、入学試験には、正解というものがあります。でも、人類の魂の覚醒には、すべての人に共通の正解はありません。ですから、入ってくる情報はあくまで参考であって、すべてを選ぶのは自分自身なのです。自分自身の内なる声、直感によってなのです。直感とは一瞬の閃きです。その時に正解を考えてはいけません。何が正しいかではなく、何が自分にとって納得がいくか、違和感がないかです。答えを出そうとはせず、整合性を求めてください」
まだみんな、首をかしげているようだ。その様子を見て、婆様はまた笑った。
「来るべき宇宙の大変革に向かって、今はその準備をする時です。そのために何をするべきかは、先ほど申しましたように私が指示することではありません。ただ、いくつかのヒントを示すことならできます。あとはその実践を通して、ご自分の内なる声、直感に従ってください。覚醒した魂は次元上昇を迎えますが、そうでない魂は現状に留まることになります。ただし、間違えてはいけないのは、決してそれは善と悪に振り分けられるというような裁きではないということ。覚醒しない魂が悪というわけではないのです」
しばらくまた、沈黙が流れた。そこに存在するのは婆様の笑顔と愛の波動だけのようにも感じられた。
「あのう」
声を挙げたのはエーデル先生だった。
「救世主、メシアは現れないのでしょうか?」
エーデル先生をただの外国人の英語の先生だと思っていたみんなは、少し驚いたような顔でエーデル先生を見た。俺だけが内心うなずいていた。
婆様もニコリと笑って、エーデル先生を見た。
やがて婆様は、再び口を開いた。
「救世主とは、どういう存在ですか?」
今度は逆に、婆様の方からエーデル先生に聞いた。
「人類を救って、天の国へ導いてくださるお方。私の民族は長いこと、その救世主を待ち望んでいます」
エーデルさんに向かって、婆様は最高の微笑みで何度もうなずいた。そして全員を見た。
「そういった意味での救世主は、今後も来ません。最近は宗教を打ち建てる人が、自分こそメシア、救世主だと主張している人も多いですね。でも、真の救世主は人類をおんぶにだっこで救いの道に連れて行くことはしません。それを、自分について来ればもう大丈夫、あなたは救われるなんて言う人がいても、それについて行ったらろくなことがありません。いや、危険です」
エーデル先生は少しうなだれて、がっかりした表情だ。それでも婆様の笑顔は続く。
「もし、真の救世主が来るとしたら、それはあなたがた自身です」
皆、「え?」という表情で互いを見た。
「あなたを救う救世主という意味です。あなたを救いに導きける救世主は、それはあなたがた自身なのです。つまり、自分を救えるのは自分しかいないということです」
分かったような分からないような顔で、誰もが一応はうなずいていた。
「すべてが自分の魂、自分の内なる声に従って進めばよいのです」
「あのう」
悟が手を挙げた。
「自分の内なる声って、どうやって聞いたらいいのですか?」
婆様は微笑んだままうなずいた。
「これも、私が答えを教えて差し上げるべきものではありません。ただ、いくつかのヒントならば、これからお話ししようかと思います」
皆、息をのんだ、実際には同じ位置に座ったままだが、心は一斉に婆様に向かって近づいていった。
夜もだいぶ更けてきていた。それでも、魂が躍動するような時間は、まだまだ進んでいた。まるで時間など存在しないかのようでもあった。




