6 古代文明研鑽の日々
四月はどの部活も新入生勧誘で大盛り上がりの季節だ。だが、この超古代文明研究会は新入生勧誘活動は一切しない。そんな活動はしなくても、今ここにいるメンバーは因縁の糸を手繰り寄せて何となく吹き寄せられてきた。
だから例年よりもかなり早く咲いた校庭の桜が散ってしまう頃になっても、新入生はひとりも入ってこなかった。
その代わりに、エーデル先生が吹き寄せられてきたのだ。
青木先生の蔵書は「神代の世界史」と表紙には書かれていた。かなり分厚いハードカバーだ。
「これは『古事記』や『日本書紀』以前の日本の古い歴史が書いてあるんです」
俺たちはもう慣れっこだが、エーデル先生は目を輝かせて覗き込んでいる。
「エーデル先生、これ、わかるんですか?」
混ぜ返すように悟が聞く。エーデル先生はにこりと笑った。そして言った。
「全然わからない」
皆で一斉にこけた。青木先生も苦笑していた。
「でも、『古事記』と『日本書紀』なら読みました。英語訳ですけど」
「じゃあ、話は早い。『古事記』などだと神武天皇から始まって、日本の皇統は一つ。今の天皇陛下で126代目ということになってますね」
「万世一系」
エーデル先生はそんなことを言うので、みんなで驚いた。よくそんな言葉知っているなあと思う。
「万世一系って何ですか?」
むしろ日本人である美穂がそんな質問をする。だが、みんなその質問にうなずいているのだ。
「ひとつの王朝が一つの血筋で代々受け継がれてきたということ」
青木先生が説明してくれる。
「こんな一つの王朝が二千年にもわたって続いている国はほかにはない。まさにギネスものだ。ところがこの『神代の世界史』では神武天皇から始まる王朝は神倭朝といって、この国、いや太古は全世界には二十六の皇統があって、神倭朝は二十七番目の皇統ということになる」
我われにとっては青木先生から何度も聞かされた話だが、エーデルさんは目を丸くしている。そしてうれしそうに笑う。
「おもしろい、すごくおもしろい」
「この『神代の世界史』という本はどうやってできたんですか?」
杉本が聞く。彼はまだこの研究会に出入りするようになってから日が浅いので、あまり青木先生の話を聞いたことがなかったようだ。
「北陸のとある神社の宮司さんだった宮内家に代々伝わってきた古文書があったんだけど、その原本は戦時中の空襲で焼けてしまったんだ。でもその内容を当時の宮司さんが現代の漢字と仮名交じりで書き残していたのがこの本だよ」
「じゃあ、元の文書は漢字や仮名じゃなかったんですか?」
杉本はさらに掘り下げて聴いている。
「元の『宮内文献』はすべて漢字以前のこの国の特有の文字、つまり神代文字とか神代文字とかいわれる文字で書かれてたんだ」
青木先生が主に杉本に説明している間も、エーデルさんはその本をどんどんめくって読んでいた。本人は分からないと言っていたし実際分からないのだろうけれど、何か惹かれるところがあったらしい。
だが、俺は知っている。
この文献の特に最初の方、地球や人類が誕生する以前のいわば「天神七代」の時代は、俺の高次元の世界での実体験と照らし合わせると若干違うところがある。だが今は、そのことは言わずに俺は沈黙していた。
それから毎日エーデル先生は放課後には部室を訪れ、『神代の世界史』をもとに『宮内文献』の内容について青木先生から話を聞いた。もちろん俺たち部のメンバーも全員、一緒になって聞いている。
あの文化祭の時以来、この部活もただの雑談部ではなく、看板通りの本当の「超古代文明研究会」になったようだ。
杉本が不思議がっていたのは、このような話の内容を話してくれる青木先生が、実は歴史の先生でも何でもなく理科の先生だということだった。
だが、時には理科の先生らしいことも言う。
「この文献の歴史のよれば、皇統第一代の天日豊本葦牙気皇主朝から現代まで何十億年もの歴史になる」
「でも」
エーデルさんは青木先生を見る。
「人類の発生はそんなに古くはないでしょう?」
「いや、それが古いですよ。実は地球が誕生してからこの地上に人類がいなかった時代はないんです」
「だって、昔は恐竜が」
ピアノちゃんこと竹本ひろみが口をはさんだ。
「人類は恐竜とも共存していた。ところで竹本さん、怖い顔を描けって言われたらどんな顔を描く?」
「うーん、目が吊り上がって、口が耳元まであって……。あの鬼のお面のような」
「そう、その般若のお面って、何かに似てない?」
「あ、恐竜?」
「そう。人類のDNAの中に刷り込まれた恐ろしい顔は、今竹本さんが言ったような顔。それって恐竜の顔なんだね。恐竜と戦って生活していた時の記憶が深層心理の中に残っているんだ。それで、人を黙らせるときはなんて言う?」
「シーっ! ですね」
「そう。なんでシーって言ったらみんな静かになるんだろう?」
「なんでですか?」
今度は杉本が聞いた。
「言霊の『シ』の静めるという働きもあるけれど、これもまた恐竜の鳴き声なんだ」
「恐竜ってガオーって鳴くんじゃないんですか?」
谷口大翔が聞く。
「違う。映画とかに出てくる恐竜は確かにガオーって鳴いているけど、あれはどう聞いたって哺乳類の鳴き声だよね。恐竜はどちらかというと今の爬虫類に近いんだから鳴き声はガオーッじゃなくて『シーーーッ、シーーーッ』って感じだったはずだ。それがまた人類の深層意識に記憶として残っていて、現代でも恐竜の鳴き声をまねして恐竜の恐怖を思い出させることによって他人を黙らせているんだ。だから、人を黙らせるときの『シーっ』は言語に関係なく、万国共通なんだよ。そうですよね、エーデル先生」
「はい、私の国でも同じ、“シーッ”と言います」
「そうですよね」
満足そうに青木先生もうなずいていた。
こんなふうに、時には俺にとっても初めて聞く話もあったから、毎日青木先生の話を聞くのも退屈しなかった。
「話がそれたけど」
青木先生の話はまだ続く。
「今の天皇陛下に至る神倭朝は二十七番目の皇統と言ったけど、その前の各皇統はいわゆる『古事記』の神代巻に登場する神々と同じ名前なんです」
「どういうことですか?」
さすが『古事記』を読破したというエーデル先生だけあって、話にのめり込んでいく。
「つまりは、何代にもわたって長く続いた皇統を『古事記』はお一方の神様として表現しているということです。例えば、今の神倭朝は今の天皇陛下まで126代続いています。『古事記』では神武天皇の父とされている武鵜葺草葺不合命は鵜葺草葺不合朝という王朝で、74代続いています」
「そんなに長く?」
「そしておもしろいことにそれぞれの天皇、太古では天皇と書いて『すめらみことと』と読むんですけど、それぞれのスメラミコトのお名前と在位年代が記されています。それを合計すると約四万年前に鵜葺草葺不合朝は始まったことになる。それって、学術的にはネアンデルタール人が現生人類と交代したという時期と年代が一致するんです」
「ええ?」
「もっとも、そんな進化論は仮説にすぎないのだし、その進化の年代は諸説あって決まっていませんけどね。でも決して人類はアメーバやサルから進化したものではなく、創造されたときからずっと現生人類なんですよ」
「それは私もそう思います。でも日本では、進化論は絶対的に正しいと思われているので驚きました」
「ですよね。それで、それ以前の皇統は代々の天皇のお名前はありませんけれど、不合朝の一つ前の彦火火出見朝は八代、その前の天仁仁杵朝は五代と代の数だけ書いてあります。ただし年数は彦火火出見朝は163万年、天仁仁杵朝は131万年続いたとされています」
「Oh, my God!」
そんな言葉を発して、エーデル先生は驚いていた。
「皇統第二十二代天疎日向津比売朝は十一代で期間は170万年」
エーデル先生はもう言葉を失っていた。そんなエーデル先生の驚きを、青木先生はわざと面白がっているようにも見えた。
もちろん部員全員が同席しているわけだけれど、もうこの二人だけでなんだか和気あいあいとした世界を作り上げているようだ。それもそのはず、俺はこの二人の行く末をすでに知っているのだ。
時には、話題が他の話に行くこともあった。
ちょうど去年の今ごろ、俺がまださくら川高校にいたころから始まった大国ローシートゥによる隣接国家への軍事行動も収まるどころか激しさを増している。そのあたりの国際情勢を、エーデル先生の口から語ってもらった。英語の授業では、そんな話は一切しない。
もう一つの並行世界での俺の記憶では、あと二年もすれば世界中に戦乱は広まって大変なことになり、また自然災害も多発するのだが、果たしてこちらの世界はどうなるのだろうかと思ってしまう。
そんな感じで研鑽の日々が続き、あっという間に夏になった。
期末試験が終わっても、夏休みまではまだ間がある。そんな時に話題になったのが、コロナ禍で縮小開催されていたこの市の夏祭りが、四年ぶりに従来の規模で開催されることになったということだ。
もちろん俺はコロナ禍前の夏祭りの規模など知らない。去年の夏に島村先輩に誘われて部のメンバーで先輩の地元の小さな神社の小規模な夏祭りなら出かけた記憶がある。
こちらの世界では去年のことだけども、その後長くあちらの世界で暮らしてきた俺にとってはもう六年前の出来事だ。記憶があるといってもあいまいだった。
聞くと、この夏祭りは柏木二大祭りともいわれているようで、かなり大規模な祭りなのだそうだ。
もう試験も終わったことだし。部のみんなで行こうじゃないかという話になったのも自然だ。
当然、もう卒業した島村先輩も呼び出し、さらには青木先生、そしてエーデル先生もが同行することになった。
「屋台やお囃子なんかよりも、まずは祭りの本当の行事である祈願祭に行くべきだ」
思った通りに島村先輩はそう主張した。神祭りとは本来神前で神職による祝詞奏上などの式典が主体であり、人々がお祭りといってすぐに連想する屋台や神輿、出店などは付随的なものだという。
この話は、前にも聞いたことがあるような気がする。
祈願祭は祭り初日の土曜日で、この日は市内の大通りで屋台巡行も行われるという。ここでいう屋台とはお祭りのお菓子とか焼きそばとかを売るいわゆる出店のことではなく、お囃子の人たちを乗せて大通りを練り歩くいわば山車のことなのだそうだ。
ところが祈願祭と屋台巡行のある初日は、俺たちの学校は模試で全員登校ということになった。先輩の話では、二日目が本祭りなのだから初日の昼間は登校日になってもあまりみんな文句は言わないと思うということだった。そもそもが、去年まではコロナ禍のせいで祈願祭のみ行われてほとんど祭りは中断状態にあったそうだから、今の生徒は中学生の時以来ということになる。
そこでやはり祈願祭だけは参列したいという先輩に付き合って、俺は模試は受けないことにした。俺には特殊事情があって、つまり見た目は高校生でも中身は高校教員の俺なのだから今さら模試は必要ない。
他のみんなは学校で模試を受けてもらうことにして、俺と島村先輩は二人で祈願祭が行われる神社に向かった。式典は昼前くらいからだという。
神社は大通りから細い路地を入った奥にある小ぢんまりとした神社であるのに驚いた。こんな小さな神社の祭礼が、全市挙げての一大行事なのだ。
路地の奥の小さな鳥居の内側は小さな神社、というか祠があって、その前に丸椅子が並べられてお年寄りたちが整列して座っている。屋台を出している各町の町内会長さんらしい。だいたい十人ほどいる。ほかに地元のケーブルテレビ局の動画配信のカメラも入っている。
晴れていれば参列者は炎天下に座っていることになったが、空は曇っている。朝のうちに雨もぱらついていたが、今は雨は降っていない。ただ、日は照っていなくても十分に蒸し暑かった。
一般の人は式典中は鳥居の中に入れない。狭い路地に立って見物することになるが、大通りの祭りの喧騒を離れて本物の「祭り」であるこの鳥居の外にいる一般人は俺と島村先輩のほかは二、三人だけだった。
「神社は現界では小さくても、神霊界では巨大な黄金神殿だったりするんだよ」
島村先輩が、俺にそっと耳打ちする。そのこともいつか聞いたことがある気がした。ただ、それが正しいことは、俺はもう熟知していた。
だが、ここでは驚いたふりをしてうなずいておいた。そしてこの神社の御祭神の御名を聞いて、俺は驚いた。
素戔嗚尊様だという。俺が正月に初詣をしたさくら川の神社と同じ御祭神だ。この神社に鎮座ましましているのが本当に素戔嗚尊様かどうかは別として、なんだか因縁を感じる。
やがて、祠の隣に設置された巨大な和太鼓が打ち鳴らされた。その隣にはお神輿もあるが、これは祭りの期間だけここに展示されているだけで、人々が担いで練り歩くことはないらしい。
神主さんが祠の階の上にあがり、神前で祝詞を奏上しお祓いを始めた。参列者はみんな起立して頭を下げていた。俺と島村先輩も同じように頭を下げた。
それから、町内会長さん一人ずつ玉串を捧げて参拝する。式典は一時間くらいだった。
それから俺と島村先輩は、祭りの喧騒でごった返している大通りへと戻った。柏木駅からの中央通りと銀座通りが広小路で合流して大通りとなって柏木河原まで続く。立ち並ぶ焦点の軒下にはずっと同じ提灯が下がり、大通りではすでに多くの屋台の巡行が始まっている。その様子は京都の祇園祭りの山鉾巡行のようだが、そんなに大きいものではない。
それぞれに五人ほどの祭りの法被を着た人が乗っていて、すべてに巨大な和太鼓がついており、小さな太鼓、摺鉦、笛などで祇園囃子が演奏されて実ににぎやかだ。
それを多くの人が取り囲んでいる。
驚いたのはそのお囃子の人たちは「乗っている」のではなかった。屋台は床板がなくて底が抜けており、お囃子の人びとはその中に入って引かれている屋台とともにきながらお囃子を奏でているのだ。
喧騒を避けて、俺と先輩は昼食がてらに近くの食堂に入った。
「康生は初めてだよね。すごい人出だろ」
先輩は笑っていた。
「はい。去年はなかったんですよね」
「四年ぶりの復活だから、みんなこれまで以上に盛り上がってる」
「カトリックの司祭を目指している僕が神社に参拝したことには、驚かないんだね」
先輩の目は穏やかに微笑んでいた。俺は首を軽く横に振った。
「いえ、別に」
たしかに、そのようなことを不思議に思う俺ではない。
「実はローマの教皇様から、日本人の信徒が日本の神社に参拝するのは宗教行為ではないといって認められているんだ」
「そうなんですか?」
「もっとも、戦時中の話だけどね。今の日本のカトリックの司祭も信徒も、その話は全く知らないだろうな」
そして食事をしながら、ふと思い出したように先輩は言った。
「今年の合宿はどうするんだ?」
「まだ、その話は出ていないですね」
ここでいう去年は、あの朝日が峰ハイランドでキャンプをした。実にいろいろなことがったことは覚えている。去年なんだけど俺にとっては六年前だから。
「悟はどう考えているんでしょうかね」
「今年はいっそのこと、樹海の婆様のところで合宿ってのはどうかい?」
「はい。青木先生のご実家のお婆様ですね、いいかもしれませんね」
俺は心底、それは妙案だと思った。同時に、俺の心は高鳴った。そうだ、婆様はこちらの世界ではまだ生きておられるんだという、そんな当たり前のことに今さらながら気づいた。だから胸が熱くなったのだ。
もう一度、現界に生きておられる婆様に会える。
島村先輩は続ける。
「去年のように山登りなら天応山でもできるし、去年は大雨で中止になったバーベキューが今年こそやりたいなら柏木河原でいくらでもできる。でも、俺たち男子はみんな去年婆様と会ったけれど、その時は女子連中はいなかったからね」
たしかにこちらの世界ではチャコや美貴、ピアノちゃんと美穂はまだ婆様と会っていない。
「今日の夜にでも聞いてみましょう」
それでとりあえず話はまとまった。このは一度先輩と俺は解散して、夕方にまた会う。そのときは超古代文明研のメンバーが全員集まって祭りを楽しむことになっている。
話はその時に持ち越しとなった。




