5 それぞれの進路
新学期になった。
三学期は例年、あっという間に過ぎていく。部では島村陽太先輩が卒業する。
今は三年生は自主登校となって毎日学校に来なくてもいいことになっているが、島村先輩は部活の時間だけは登校して部室に顔を出した。
「先輩。卒業されたらどうするんですか?」
幸野美貴がさらりと聞いた。ほぼみんなが集まっている部室で、雑談ついでにという感じでだ。
たしかに島村先輩は受験勉強をしているふうでもなく、またどこかの大学に合格したという知らせも何も受けていない。
「いやあ、悟に触発されてね」
半分笑いながら、島村先輩は言う。「え?」という感じで、悟君は顔を挙げた。
「悟は依然、自分を都内の仏教系の大学に入れて坊さんにしようとしているお父さんとけんかばかりしてるって言ってたよね」
「はい。でも考えが変わったんです。今の宗教を建て直すためには、俺自身が宗教の中に入り込んで内部から変えていく、そんな使命を感じまして」
「そう。そうとも言っていたよね。俺も同じだ。ただ僕の場合は家族全員がカトリックだから、そちらの道を進む」
「教会の牧師さんって、どうなったらなれるんですか?」
悟が聞く。島村先輩は少し笑った。
「カトリックは牧師じゃなくって神父っていうんだよ。職名は司祭だけどね。教区司祭の場合は、まずは神学校に入らないといけない」
「教区司祭って、他にもあるんですか?」
美貴の質問に、島村先輩は答えていった。
「修道会司祭っていうのもあるけど、そちらはコネとかもっといろいろ大変みたいなんだ」
「じゃあ、島村先輩は、その神学校というのが進学先ですか?」
チャコの問いに、島村先輩は首を横に振った。
「いや。神学校は二十二歳にならないと入れない」
「え? じゃあ」
杉本君が顔を挙げた。
「大学に行ってもいいじゃないですか」
「たしかにね。都内には神学部というのがある大学もあるけど偏差値高くて、僕には無理だ。そっちに行ってしまうと、そこは修道会経営の大学だからその修道会司祭にってことになっちゃうんだ。だからといって、ほかの大学に行って別に勉強したくもないことを学ぶ必要も感じないしね」
「じゃあ、二十二歳になるまでは?」
一年生の谷口大翔が聞く。
「アルバイトしながら教会での奉仕活動に専念するさ」
これで島村先輩の進路は分かった。悟や俺などの二年生組も、そろそろ志望を固めないといけない。悟が目指す大学なら偏差値的にも中堅だから悟の頑張り次第では手が届くだろう。
「私は看護学校。看護師になる」
不意に美貴が言った。みんな驚いた。初出しの情報だった。少なくともみんなには。だが俺は、こちらの世界がだんだんとあちらの世界に近づいていくのを感じていた。
「それはいいね。僕たちには治癒魔法がある。それと医学とを十字に組めば、すごい奇跡が起こるかもしれない」
島村先輩もうなずいている。
杉本も都内のまあ可能性は十分にあると思われる大学名と、滑り止めの大学名をいくつか挙げた。
あとは俺とチャコだ。
俺は決まっている。あちらの世界と違う道を進んだら、俺がここに存在している意味がない。
はっきり言ってこの学校はさくら川高校よりも偏差値は少し低い。
「無謀だな」
遅れて入ってきて俺たちの話を聞いていた青木先生も言った。
「だが、がんばり次第ではなんとかなるかもな。過去にこの学校から国立に進んだものも、多くはないけれど少しはいる」
「はい。がんばります」
俺には勝算があった。それは、俺はあちらの世界ですでにあの大学を受験しているのだ。そして合格している。つまり、入試に何が出るか、記憶はうっすらとはしているけれど、一応は知っているのだ。
それから俺はチャコを見た。チャコも同じ大学に進んでもらわないと困る。世界線が崩れてしまう。だが、俺の口からそれを言うわけにはいかない。
「私も!」
チャコは激しく言った。そして俺を見てほほ笑んだ。
「康生君と一緒のところがいい」
何度も言うが、こちらの世界ではまだチャコは俺の彼女でも何でもない。だが、並行世界を越えても、やはり魂はつながっているのだ。
「よし、二人は俺が徹底的に指導してやる」
そう言って青木先生は、大きく笑った。
それからはまた日常が始まったが、三学期は本当にあっという間に過ぎていく。
そして、超古代文明研究会のメンバーのこれからが、ことごとくあちらの世界と共振し始めている。
俺は別に何もしていない。島村先輩にカトリックの司祭を目指すべく神学校に行くようにとか、悟に親への犯行をやめて仏教系大学へ行けとか。美貴に看護師を目ざせとか、チャコに俺と同じ大学に進めとかは俺はみじんも言ってはいない。だが、すべてが自然の流れでそうなっていくのだ。
やはり俺が「存在している」というだけでそうなっていくのだろうか?
そして俺の両親も、悟の親子もそうだが、全体的に争いから調和の方向へと流れができている。争い、競争、恐怖と不安から、俺の周りだけどんどん愛と共存、希望に満ちた世界へと流れていく。
もう一度言うが、俺は何もしていない。
二月の下旬には期末考査があり、それから少し休みになる。そして三月になってすぐに卒業式だ。
島村先輩が巣立っていく。でも俺たちと先輩との絆が切れることはないことは、俺はよく知っている。
在校生も式典には臨んでいるが、最後の卒業生の退場で俺は島村先輩と目が合った。先輩はにこりと笑ってくれた。超古代文明研究会のほかのメンバーはそれぞれ別々に座っているが、その全員と先輩は目を合わせたことだろう。
ところが、その退場する卒業生の列に、もう一人目が合った存在があった。
現代文化研究会の城田さんだ。不思議とかつてのどす黒いオーラは感じない。だが、笑顔も見せずに俺と目も合わさず、真顔で退場していった。
そして思った通りそれで島村先輩とお別れというわけではなく、その式の後のホームルームが終わってから部室に集まっていた俺たちのところへ、胸に花をつけたまま島村先輩が顔を出した。
「外で親が待ってるから長居はできないけど」
島村先輩はそう言いながらも、しっかりと話し込んでから帰っていった。島村先輩も加わった俺たちののLINEグループもそのままだからいつでも連絡はとれるし、会おうと思えばいつでも会えることになる。
そしてすぐ一週間後には、美羽の受験当日となる。もちろん俺は不安も感じていないし、そわそわもしていない。ただひたすら、合格の連絡を待つだけだ。そしてさらに一週間後、美羽の喜びに弾んだ声での電話がかかってきた。
すぐに学校も春休みになったので俺は一度帰省し、美羽を直接祝った。
ちょうどそのころ、桜が満開だった。今年は例年よりもかなり、いや異常なほど早く三月中旬にはこの地方の開花宣言が出た。そして三月の下旬にはもう満開だったのだ。
実家で過ごすうちに、俺は気になることがあった。
超古代文明研究会のメンバーは、そのままあちらの世界で俺と行動をともにした光の戦士たちだ。だが一人欠けている。欠けているというか、こちらの世界ではまだ出会っていないメンバーが一人いるのだ。
島村先輩は卒業したけれどつながりはあるので、欠けたとは思わない。
もう具体的にその存在を思い浮かべている。確かに、こちらの世界ではまだ出会っていない人だ。
その人がその人だけに、新入生の後輩として入ってくるということはあり得ない。
だが、俺はだからといって何もしない。いや、しようがない。そのうち流れができるはずだと思っていた。
新学期になった。
俺とチャコ、美貴、悟、杉本はそろって三年生になった。
そして教室内でも、室内でのマスク着用は個人の判断に任せるということになり、これまでのような強制ではなくなった。だからといってみんなが一斉にマスクを外したわけではなく、まだ大部分のクラスメートや先生たちもマスクをしている。ただ、その中でぽつん、ポツンとマスクをしない人が現れ始めたという程度だ。
教室の換気、入り口隣の手指消毒用アルコールの設置はそのままだ。
そして、最初の英語の授業で、俺は思わず声をあげてしまった。
若い女性の英語教師と共に入ってきた中東系の顔をした外国人の、やはり若い新人女性教師がちらりと俺を見た。俺は何ごともなかったように驚きを抑えた。
授業の始まる挨拶を終えた後、英語教師は教卓で言った。
「引き続き私が皆さんの英語を担当します。また、こいつかよと思ってるでしょ」
笑顔で教師が言うとクラスのみんなはながら否定の声を上げ、そして生徒がわずか十二人しかいない教室内は拍手で満ちた。
「皆さんは特進クラスですから、去年までと違って大いに鍛えていきますので覚悟してくださいね」
にこやかに言うわりには厳しい内容のことを言う。またもや、教室内には拍手が沸き上がった。
特進クラスとは、本来なら合格後の入学前に志願して選考を受けて編入が許されるクラスになると説明を受けた。だが、なにしろ今年から新設されるコースで去年まではなかったのだから、旧一年、旧二年の各学年で志願募集と選考が行われた。
新設だから、俺が知らなかったわけだ。今年入学した新入生が特進クラスに入ると、三年間クラス替えがないことになるらしい。
そして俺もチャコも、国立大志望ということで志願することにした。そしてみごとに選考に合格した。俺たちは三年生だから、一年限りの特進クラスとなる。
そんな特進クラスでの最初の授業が英語コミュニケーションだったが、担当教員は去年までと同じ。だがその隣には先ほど英語の先生とともに入ってきた外国人のALT教員(外国語指導助手)がいる。
俺が見て驚いたのは、そのALT教員だ。
「まず皆さんに紹介します」
英語教師は、隣に立っているALT教員を示した。
「今年からこの学校に来られたALTのエーデル先生です」
新人教師は始業式で全校生徒に紹介されるが、ALTまでは紹介はない。だからここにいる生徒にとっては初めて見る顔だ。マスクをしているから全体の容姿はわからないまでも、中東系の美人であることはすぐにわかる。
だが俺はその素顔を知り尽くしている。あのエーデルさんだ。
あちらの世界の光の戦士のうち、こちらの世界ではまだ出会っていない唯一の存在だった。
今やっとここで巡り合えた。
だが、こちらの世界のエーデル先生にとっては、俺はこのクラスの十二人の初対面の生徒の一人にすぎない。
「エーデルです。私はミツライムという国から来ました」
流暢な日本語だ。
「ミツライムはムスリムの国です。でも私はムスリムではありません」
そのへんの事情も、俺は詳しく知っている。ミツライムに住んではいるが、彼女はイェフディ人、つまりヤハドゥートゥの教徒だ。だが、白人ではなく中東系の顔をしている。そのあたりの歴史的背景も俺は熟知している。
「私が日本語を勉強するのはとても大変でした。ですから、皆さんが英語を勉強するのに苦労していることもよくわかります。これからは一緒に苦労して、一緒に勉強していきましょう」
クラス内に、また拍手が起こった。
「でも私の日本語を皆さんが聞くのは、これが最後です。皆さんは私を、日本語が分からない人だと思ってください」
「だったら最初から日本語をしゃべらないで、日本語が分からないふりをしていればいいじゃないですか」
男子生徒の一人が、笑いながらも鋭いことを言った。それでもエーデル先生は笑っていた。
「それは人をだますこと、うそをつくことだからよくないですね」
「正直! かっこいい!」
女子生徒の一人が声をあげて、教室内はまた笑いに包まれた。俺も一緒に笑っていたが、俺とチャコだけは、エーデル先生の日本語を聞くのがこれで最後ではなかった。
放課後、俺もチャコもいつものように超古代文明研究会の部室でほかのメンバーたちといつもの雑談をしていた。
そこに俺が直感で予感していた通り、エーデル先生が現れた。青木先生と一緒に部室に入ってきたのだ。
「え?」
最初にチャコが声を挙げた。ほかにも何人かエーデル先生が来る授業を受けているメンバーもいて、やはり驚きの顔をしていた。そうでない人たちは、エーデル先生とは初対面だ。
「こちらは今年からALTとして来られたエーデル先生だ」
そんなエーデル先生と初対面の生徒たちに向かって、青木先生が紹介してくれた。
「なんでもエーデル先生は、日本の古代文化、特に古代文献に興味がおありだということで、僕がこの部活の存在を教えたんだ」
「はじめましてと、そうでない人もいますけれど、エーデルです。日本の古代文明のこと、教えてください」
ここでは普通に日本語でエーデル先生はしゃべっていた。
「そんなぁ。一応超古代文明研究会なんて看板出してますけど、実質はただの雑談部ですよ」
島村先輩の跡を継いで今は部長になっている悟が言った。
青木先生が笑って「こら」と言った。
「エーデル先生が来られたからには、部活名にふさわしい活動もやっていくぞ 。去年の文化祭には、ちゃんとピラミッドパワーの展示やったじゃないか」
ところがエーデル先生は部室内を見回し、本棚に並べられていた多くの漫画本に目を止めた。
「ああ、日本の漫画、ありますね。私、日本漫画やアニメ、とても好きです」
なぜかエーデル先生は目を輝かせている。
「アニメは日本が世界に誇る素晴らしい文化です」
青木先生は一つ咳払いをして、漫画本によって本棚の隅に追いやられていた自分の蔵書の古めかしい分厚い本を取り出してきた。




