4 初詣
美羽が塾の冬期講習から帰ってきてからは、その受験勉強の指導に明け暮れる毎日となった。こんな時に俺の中の教師魂が燃えてくる。
塾はJRの駅の近くにあるようでバスで15分だが、そのバスが致命的に本数が少ない。だから美羽はいつも自転車で通っていた。自転車でだと30分くらいかかり、近いとは言えないけれどそんなに極端に遠い訳でもない。
実は歩いて五分くらいのところにも一軒だけ塾はあるけれど、とにかく小さな塾で、評判的にもちょっと首をかしげてしまう感じなので美羽は駅近くまで通うことにしたという。そこにはいくつか塾があって、選択の余地もある。
そんな日々を過ごすうちにすぐに年越しとなって、新しい年を迎えた。
元旦の朝食で毎年屠蘇の杯を交わ酢。まずは親父、そしておふくろ、そのあとに俺と美羽の順だが、なぜかおふくろで屠蘇は終わりとなった。
考えてみれば、こちらの世界では俺も美羽もまだ未成年なのだ。
そのあと、例年親父からひと言ある。
「まあ、そのなんだ。今年は本当にいろいろあったけど、でも結局去年と同じで四人で正月を迎えることができた。めでたい。そしてありがたい。まずはお母さんに感謝だな」
おふくろは照れて笑っている。でも俺は、本当にそうだと思った。当たり前が当たり前であること、それがいちばん感謝すべきことなのだ。
そのあと、近所の神社に初詣に行くことになった。美羽は四人でと言っていたが、俺はそんな美羽に耳打ちした。
「二人きりにさせてあげよう」
俺も本当は四人で行きたかった。年を重ねるにつれ、こういうイベントはだんだんと友達同士で行くようになり、家族で出かけるのは少なくなるからだ。だがここはやはり遠慮した。
外の空気は張り詰めるように冷たかった。それでもよく晴れていて、今は氷点下だが日中は十三度まで気温が上がる暖かな元日になるという予報だった。
息を白く凍らせながら、俺たちは歩いた。人通りも少ない。たまに見かける小さな子供連れの家族は、同じ方向へと向かっている。皆、同じ神社に初詣に行くようだ。
神社まで歩いて五分とかからない。
昔の五街道の宿場町でもあり城下町でもあった集落から脇道へ折れると、落ち着いた雰囲気がある。道は細いけれど、武家屋敷のような塀が続く。その下に側溝というには少し広いけれど川というには細すぎる溝があっる。一応御用堀という名前もついているから、お堀なのだろう。しかも、流れの中には色とりどりの鯉が泳いでいたりする。
すぐに右手に神社の入り口が見えた。もうかなりの人がそこを目指している。鳥居はそれほど大きくもない石の鳥居だ。
鳥居を一礼してくぐって、ほんの少し左右を住宅に挟まれた短い道を進むと石段が始まる。その石段の下の左右に太くてがっしりとした二本の欅の木がそびえていて圧巻だ。
短い石段を上がるとちょっとした広場があって、その広場の右奥には赤い鳥居の小さな祠がある。そこにもお参りしている人もいるが、そう多くはない。
その脇からこんもりとした木々の丘の上へと次の石段が始まる。先ほどの石段よりは長いけれど、そんなに長い石段というわけでもなかった。石段の中央は手すりで区切られて、登る人と降る人の流れを分けている。
それを登りきった左右には狛犬があった。そこから拝殿まで平らな参道が十数メートルほど続くけれど、そのあたりからもう参拝の人が並び始めていた。
「今年もずいぶん来てるね」
美羽がその列を見て呟いた。俺もうなずいて。美羽とともに列に並んだ。
「地域の小さな神社のようだけど、正月にはけっこう遠くからも来るんだよね、ここ」
並んでいる人は圧倒的に地元の人という感じの人が多いけれど、ちらほらと遠出して来たという感じの服装の人も見える。さすがに外国人の姿はない。
「そうなんだ。そんな神社が家から歩いて五分のところにあるなんて、ありがたいよね」
「そうだな。普段はほとんど人もいなくて、神主さんでさえ週に一回くらいしかいないような村の神社って感じだけどな。さすがにもう村じゃないけど」
美羽はクスッと笑った。列は少しずつ前へと動いている。もう俺たちの後ろにはかなりの人が並んでいる。
「でもこれが本来の初詣の姿だよ」
「そうなの?」
「本来は初詣というのは自分の家から歩いて行ける距離にある、近くの神社にお参りに行くものだったんだよ。大きな神社やお寺にどっと人が集まるなんて現象は、明治になってからだな」
「へえ、そうなんだ、意外」
「だって考えてみな。江戸時代ってバスも電車も車もないんだよ。自然と歩いて行ける距離にしか行かれないじゃん」
「あ、そうか。遠くの大きな有名な神社に行くようになったのは、電車ができてからってことだね」
そんなことを話しているうちに、次の狛犬の間を抜けるとぱっと空間が広がって拝殿前の広場になった。拝殿までもうすぐだ。
神前の広場は普段ならば左手に小ぢんまりとした神輿倉があってその脇に手を洗う手水場があるだけだが、今はその神輿倉の前の広場にはテントが縦に長く並べて設けられている。そこが臨時のお札やお守りなどの授与所だ。その前はお参りが終わった人たちで人だかりだった。
拝殿が近づいてきた。
「ここの神様ってどんな神様?」
美羽が聞く。俺はちょっと笑った。
「なんだよ。それも知らないで毎年お参りしてたんか?」
「書いてあるけど、見てもわからないんだもの」
「素戔嗚尊様と奥様の櫛稲田姫様。古事記では高天原では天照大御神様の弟神様でめっちゃ乱暴な神様で高天原を追放されたんだけど、そのあと追放された先の出雲の国で八岐大蛇を対峙して一躍英雄になった神様だよ」
「へえ、知らなかった」
「その八岐大蛇から助けたお姫様が、奥様の櫛稲田姫様だ」
「お兄ちゃん、詳しいね」
「一応、表面的な話だ。神社の御祭神っていうのは、その神社に書いてある神様とは違うって場合も多いんだ。そもそも神様のお名前って、人間が勝手につけたものだからね。神様も、この拝殿の後ろに本殿があるんだけど、そこに座っておられるわけではない」
「じゃ、どこにいるの?」
「神界とか神霊界というところ」
「天国みたいなとこ?」
「まあ、そうかな」
俺は少し苦笑した。実体験として高次元のハセリミ神界を見聞してきた俺だ。だが、これ以上美羽やこの三次元の地球に暮らす人々に話しても通じないだろうから、そういうことにしておいた。
「じゃあ、なんで神社にお参りするん?」
「神社の御神体が神様と線でつながっている。俺が美羽とスマホでビデオ通話すると、スマホに向かって話しかければ俺に通じるだろ? でも、スマホは俺じゃないよな」
「じゃあ、神社ってスマホ?」
俺はさらに苦笑を強めた。
「まあ、そうかも。でも、もうちょっと神聖な場所だけどな」
間もなく参拝の順番だ。かつてはお賽銭を放り投げる人も多かったが、最近はかなり減ってきているような気がする。きちんと恭しく賽銭箱に入れる人が目立つ。
「お参りはお願いごとじゃなくて感謝を伝えるんだよ。まずは自分の住所と名前を言って、一年間無事に過ごさせていただけたこと、無事に年を越させていただけたこと、今日お参りさせていただいていることに感謝の言葉を、周りの人には聞こえないくらいの小さな声で、でも言葉に出して言った方がいい」
「言霊ね」
「よく知ってるな」
「最近、みんな言霊ってよく言ったりするよ。学校のみんなも」
そんなことを言いながら、順番が回ってきた。
お参りが終わって、俺と美羽はお札の授与所のテントの方に行って、おみくじを引いたりしていた。美羽は大吉、俺は小吉だった。美羽はウサギのお守りを買っていた。
その時、近くにいた女子高校生という感じの三人組のうち、ボブの子が俺をさっと見た。
「あれ? 山下先輩?」
見ると、見知った顔だ。
「えっと、鎌田さん? だよね?」
「はい」
さくら川高校の一つ後輩の、一年生の鎌田聖香だ。小さな学校なので三学年全員が顔見知りだったりする。
「先輩って、転校したんですよね?」
「まあ、その、正月の帰省ってとこ」
「ご家族で引っ越したんじゃなくて?」
「まあ、そのへんはいろいろあって」
俺が言葉を濁していると、鎌田さんは俺の隣の美羽を見た。
「妹さん?」
「あ、はい。妹の美羽です」
美羽は自分で名乗った。
「そうそう、聞いてた、裕香から。山下先輩に妹さんがいるって」
そういえばこの鎌田さんって、隣の家にいた俺の幼なじみで、引っ越していった裕香といちばん仲のいい友だちだった。
「裕香も転校しちゃったらしいな」
俺が話題ついでに言うと、聖香もにこやかにうなずいた。
「どんどん減っていっちゃいますね。実は私ももうすぐ転校するんですよ」
「そうなんだ。ご家族で?」
「はい、一家そろって都会へ。そういう人多いですよ。先輩のクラスだった人もかなり減ってますよ。みんな、転校しちゃって」
「へえ、誰が?」
「伊藤さんと西村さん、それと鷲尾さん」
「鷲尾さんも?」
「はい。クラス委員長だった鈴木さんともう一人の鈴木さんも」
「まじかよ、じゃあ、今あの学校スカスカじゃん」
「そうなんです。近いうちに廃校になるっじゃないかって噂まであって、そうなったら青凌高校と合併かな?」
「ちょっと待って」
俺はその話を制して、隣の美羽をちらりと見た。これからさくら川高校を目ざそうとしている美羽にこんな話はちょっとと思ったのだが、当の美羽はにこにこ笑っている。
ただ、その聖香の話は確かに現実味をもって感じられるのであった。
聖香たちとはそこで別れた。
だがそのあと、俺は不思議なことに気がついた。
あちらの世界では俺が大学生になって帰省した時に裕香と聖香のコンビの音楽ユニットを通して、当時青凌高校の生徒だった竹本ひろみや筒井美穂と知り合ったのだ。こちらの世界では裕香も聖香もそれぞれ都会へと引っ越してしまうのなら、ピアノちゃんこと竹本ひろみや筒井美穂とは知り合えなくなる。
だが心配ご無用! こちらの世界では二人とも同じ高校の同じ超古代文明研究会の仲間としてすでに一緒にいて、ほぼ毎日顔をああせている。もうすでに知り合っているのだ。
杉本大輝君もあちらの世界では、最初は俺のクラスメートの鷲尾さんの彼氏ということで出会った。でも鷲尾さんも転校してしまってもういない。でもその杉本君も、こちらでは俺のクラスメートで最近は超古代文明研究会の部員となった。こちらでは鷲尾さんと杉本君はどちらも存在はしているけれど、二人は何の接点もない。互いに見ず知らずの人ということになる。
つまりは俺がピアノちゃんたちや杉本君と出会う接点という役目を聖香も鷲尾さんも失ってしまっているのだから、俺から離れていってしまった。
人と人との出会いなどの縁というものは、見えない力でコントロールされているんだなという気がした。
「お兄ちゃん、黙り込んで何を考えているの?」
俺はそんなことを考えながら歩いていたので、美羽には黙り込んでいると見えたようだ。
「いや、何でもない」
俺はわざと笑んで見せた。
参道をもと来た方へと進み、石段の下りの列の方のいちばん上に立った。さくら川の町がここからは一望できる。田舎とはいっても決して農村ではなく、程よい感じの田舎町だ。自然は豊富だけど集落も多い。
人の流れに押されて、俺と美羽はそんな風景を眺めながら石段を下りて行った。
正月三賀日を実家、そう名実ともに実家となった家で過ごし、俺と親父は元住んでいたアパートに向かった。親父はとりあえずあと三か月そこに住んで実家に戻る。そのあとは俺の一人暮らしになる。
帰りの電車の中で、俺は音楽を聴きながら景色を見ていた。例によって親父はボックスシートの向かいの席で寝ている。
俺が最初普通にこの世界で生活していた時は、まさかこんな日が来るとは思ってもいなかった。親父とおふくろはずっと離婚したままだと思ってた。だから俺がこの町に来ることも二度とないと思っていた。
だが、こんな日が来る前に、俺はあちらの並行世界へと移動してしまった。そちらでは両親は最初から離婚などしておらず仲睦まじく過ごしていたし、俺は転校もしていなかった。
そしてこちらの世界は……俺が存在しないことによってゆがみが生じてきた、とケルブは言っていた。そのゆがみを正すためということで、俺は再度こちらの世界に送り込まれた。
それによってなのかどうかわからないが、あれよあれよという間に親父とおふくろの離婚は解消した。しかも、実はもともと離婚はしていなかったという形で。
こうして、こちらの世界もあちらの世界に近づいた。
だが、俺は何もしていない。親父とおふくろを復縁させようといろいろと工作をしたなどということも一切やっていない。ただ、いただけである。いただけで、親父たちが復縁したという知らせが向こうから飛び込んできた。
つまりは俺は何もしなくていい、ただ存在するだけで価値があるとケルブが言っていたのはこういうことかと思う。
あとは、今の学校に帰ってから、三学期になってから超古代文明研究会のメンバーとどう接していくかだ。もちろん何もしなくていいことは分かっているが、年度が替わればそれぞれの環境も変わることになる。
ま、考えないようにしようと、俺はまた窓外に流れる景色を眺め続けた。




