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公爵令息と伯爵令嬢の政略でも恋愛でもない結婚

 カイロ・グランヴィル公爵令息は白銀の髪と薄水色の瞳を持つ物静かな青年だった。背中の中ほどまで伸ばした銀糸の髪と日に焼けない白い肌は先祖返り……エルフの血によるものだと言われている。

 常に冷静で表情がほとんど動かず笑うこともない。学生時代はその微笑みを見た者には幸運が訪れるとまで言われていた。

 現在は二十歳。ほんの数時間前に自身の結婚式を終えたばかりだ。

 美しい公爵令息の花嫁となった少女の名はクレア・オーリア伯爵令嬢。建国の頃より伯爵位を賜り五百年の歴史を持つ由緒正しい伯爵家。

 クレアもまた物静かなことで有名な少女だった。はちみつ色の巻き毛に深い湖を思わせる瑠璃色の瞳。背はあまり高くなく華奢で可愛らしい。年は十八歳。

 クレアの貴族学園卒業を待って王都の大聖堂で結婚式が行われ、披露宴は公爵家が王都に複数持つタウンハウスのひとつで行われた。その屋敷がそのまま若い夫婦の新居となる。しばらくは二人きりの生活を楽しみたいだろうというグランヴィル公爵家の判断だった。

 クレアはグランヴィル公爵夫人が自身の息子……、物静かで消極的な三男カイロのために捜した令嬢で、公爵夫人が婚約者候補を探す際に最も気にした点が野心家であるかないかだった。

 国内に五家しかない公爵家は遡れば王家の血筋でもある。ひとつ何かの運命が狂えば王位に関わる可能性があるし、領地は広大で収入も侯爵家以下とは桁が異なる。高価なドレスや宝石を買い漁るための資産ではない。領地を維持し、領民の暮らしを守るために公爵家はある。

 そのため普段の公爵家の暮らしぶりは貴族にしては質素なものだった。公爵夫人も屋敷内では着心地の良い身体を締め付けない簡素なドレスで過ごす。食事も品の良い食材が使われていたが量は少なくしてもらっている。食べきれないほどの料理は無駄なものだ。使用人達に「毎日、我々の食べ残しを食べろ」というのも……、中には喜ぶ使用人もいるらしく、うっかり理由を耳にして鳥肌が立った。

「カイロ様か口をつけたものを私が食べたら、関節キスではないかしら」

 嬉々として話していた若いメイドに深い考えはないと信じたいが、あってもなくても公爵家のメイドとしては品がなさすぎる。「男爵家か商人の家でなら働けるかも」と遠回しに書いた紹介状を持たせてクビにした。

 ガツガツとしたご令嬢ではカインが怖がると思い、家柄や資産よりもご令嬢本人の性格を重視して捜した。結果、最終候補として残った四人のうちの一人がクレア・オーリア伯爵令嬢だった。

 他の三人も性格はおとなしかったが、あらゆる条件で最良だったのがクレアだった。

 一番爵位が高い家のご令嬢は侯爵家であったが、おとなしすぎて屋敷から一歩も外に出たことがないと聞く。深窓の令嬢どころか、窓に近寄ることもないとのこと。グランヴィル公爵夫人であっても本人と会うどころか一目見ることも叶わなかった。本当に存在しているのかどうかも怪しいが、時々、友人が屋敷に訪れていると報告があった。

 偶然にもカイロの婚約者候補となった四人は友人同士らしく、引きこもりの侯爵令嬢の元に月に一度集まっていた。共通点は趣味が読書や刺繍、小物作りで、華やかな社交界は苦手。

 他家でのお茶会では聞き役に回っており、話しかけられれば答えるスタンス。積極的に場をリードすることはない。

 類は友を呼ぶというものなのだろう。

 残る候補者は伯爵家が二人、子爵家が一人。公爵家との婚姻と考えれば伯爵家のほうが望ましい。伯爵家の二人はどちらも素晴らしい女性であったが、一人は婚約が内定しているとの情報が入った。関係が良好な相手との婚約ならば、公爵家がわざわざ割って入って恨みを買う必要はない。

 最後に残った一人がクレア・オーリア伯爵令嬢で家柄は良く容姿も美しい。学園での成績も優秀で教師からの評判も上々。

 婚約者どころか親しい男性もいないが、女友達とカフェに行く程度の社交性はある。毎月、少なくない量の本を買っているが、ドレスや宝石には一切興味を示さない。あまりにも無頓着であるためオーリア伯爵夫人が買い揃えているとのこと。

 グランヴィル公爵夫人は情報を集めた後、自分の目でも確認をしていた。

 聡明で可愛らしいご令嬢だ。爵位が下の相手にも丁寧に接し、爵位が上の者に媚びへつらうこともない。服装などは伯爵夫人の見立てであるせいか若い令嬢にしては地味だが、カイロは派手な装いを苦手としているため問題ない。

 カイロが苦手としているものは派手な装いの令嬢ではなく、派手な装いをした積極的で押しの強い令嬢だが、地味な装いの令嬢も時々、偶然を装ってえげつない手法で近づいてくるため油断できない。

「なんというか……、平坦な子ね」

 それがグランヴィル公爵夫人のクレアに対する感想だった。感情の起伏が見えず常にほほ笑みを維持して、誰に対しても一定の距離感で接している。

 カイロの結婚相手に求めるものは国一番の美しさではないし、地位や名声も必要ない。ただカイロの横に立ち、カイロを煩わせることなく淡々と日常生活を送れるかどうかだけ。

 グランヴィル公爵夫人は一年をかけて調べた後、オーリア伯爵家に見合いの席を設けてほしいと連絡を入れた。一年間の調査で気になる点がないわけでもなかったが、婚約者候補から外すほどの問題ではないと判断した。読書が好きすぎるだけで実害はない。

 公爵家からの申し出を伯爵家が断ることは難しいため、クレア嬢に婚約者、もしくはそれに近い相手がいるのなら見合いを断ってもいいと書き添えた。

 結果、見合いは成立し、カイロとクレアの相性も悪くないようだった。

 カイロが十八歳の時から始まった婚約者探しは一年で区切りを迎え、十九歳で婚約、そして二十歳で結婚へと至った。

 カイロ・グランヴィルは結婚相手を選んだ母の人選に間違いはないと思っていたし、クレア・オーリアは年齢的に誰かと結婚しなくてはいけないことを理解していた。

 婚約から結婚までの間に会った回数は十二回、お茶会はきっかり二時間。

「随分とおとなしい令嬢だが、ガツガツと迫って来るような女性でなければ十分だ。会話が成立して意思の疎通はできている」

 カイロが自身の侍従であるフェナーにそう言うとフェナーも苦笑しながら頷く。

「今までのご令嬢達はカイロ様の顔しか見ていないと言うか、顔に突撃してくると言うか……、すっごい勢いで迫って来ましたよね」

「クレア嬢が婚約者になってからは公の場での突撃が減ったから、だいぶ対処が楽になったな」

 人目がある場所で突撃されるとこちらも人目を気にした対応をしなくてはいけない。若い女性を振り払い突き飛ばすのは紳士的な態度ではないため穏便に引き離す必要があった。しかし人目がない場所ならば不審者として護衛騎士に任せられる。

 クレアにはそういった熱意がカケラもない。お茶会での会話は婚約から結婚までの予定や必要な物、結婚的に誰を招待するかの相談事で、結婚の記念に贈られるアクセサリーや結婚式のドレスに関してはグランヴィル公爵家に「希望はない」と丸投げしてきた。

 結婚に夢も希望もないようだ。

「私との結婚が実は嫌なのかと今でも思っているよ」

 カイロの言葉にフェナーが首を傾げる。

「でも、クレア嬢って時々、じっとカイロ様の顔を見てますよね」

「それなんだが……、なんというかまるで観察者のような視線なんだ。恋愛的な熱っぽさがまるでない」

「カイロ様の顔って芸術的な美しさって言われているから、芸術鑑賞みていなものですかねぇ」

「そうだとも、違うとも言いにくいな。理由はわからないが……、まぁ、熱に浮かされたような様子ではないから気にしないことにした」

 カイロも愛や恋を夢見てはいない。幼い頃からあらゆる年代の女性達に迫られてきたせいで、そこにあるのは甘酸っぱい恋心ではなく醜い欲望だけだと知っていた。

 公爵家の他の家族達も美男美女揃いで人目を引く華やかな容姿をしている。なのに犯罪紛いのことが起きるのはカイロが圧倒的に多かった。

 カイロの二人の兄は男らしい体格で今は騎士団に所属している。父の引退に合わせて長男が公爵家を引き継ぎ、二男は騎士団に残り、将来的には騎士団長へと昇り詰めるだろう。

 三男であるカイロは兄達に比べるとひ弱で、日差しにも弱かった。長時間、外にいると火傷のように皮膚が爛れるため騎士になることは早々に諦めた。

 魔力量は多いが攻撃魔法は苦手で、性格も争いに向いていない。しかし領民のためになることをしたかったので、薬師を目指した。薬草栽培は庭師に任せることになるが、薬草を乾燥させて調合することは室内でできる。

 父が薬師としての技術を教えられる家庭教師を探してくれたので、貴族学園に通う前から学ぶことができた。

 カイロは自分が恵まれていることを自覚していたから、公爵家の一員として家族に協力できることはしたかった。

 自分の仕事の邪魔をせずに公爵家の一員として品位を保っていられるのならば、結婚相手は誰でも良いと本気で考えていた。

 そうして迎えた結婚式の日。

 美しい新郎新婦に招待客は感嘆のため息をこぼし、家族達は安心したようにホッと息をついた。

 若い夫婦は新居で行われた披露パーティを笑顔で乗り切り、招待客全員を見送った。

 最後の客が帰った瞬間、二人とも真顔になる。

「さすがに疲れた。今夜は自分の部屋でゆっくり眠りたいのだが、クレア嬢はどう思う?」

「カイロ様に賛同いたします。今すぐ、自分のベッドにダイブしたいです」

「ではそういうことで」

「おやすみなさいませ」

 深夜、二人は玄関で解散し、自室に直行した。

 初夜はいいのだろうか?と思った使用人もいたが、まぁ……、主人はすこし変わったところがあるから。と、公爵家の使用人もクレイが連れてきた伯爵家の使用人も深く考えないことにした。

 それよりもパーティの片付けをしなければいけない。特に料理、飲み物の残りと飾られた生花。そろそろ秋という季節だが、寒いと感じる気温ではない。食べ物や生花が腐りでもしたら悲惨だ。

 新居にいる住み込みの使用人は護衛騎士以外では二十人。担当外の者も協力して後片付けを進めた。

 護衛騎士は護衛騎士で働いていた。カイロの結婚を認められない令嬢や身分のよくわからない男性や女性が何人か屋敷の周辺をうろついていたせいだ。

 身分のよくわからない……と騎士達が思った理由は服装や立ち居振る舞いで。平民が着るような服装でありながらしっかりとした化粧に整えられた髪だったり、何故か黒装束だったり、結婚式で花嫁が着るような豪奢なドレス姿だったり。

「カイロ様は結婚してもおかしな輩を引き寄せるな」

 一人の騎士がぼやくと、別の騎士が笑う。

「でも花嫁は普通に可愛らしいご令嬢だったな。浮ついたところもなくてさ」

「カイロ様の顔に惑わされないってすごいよなぁ。クレア様の好みからカイロ様は外れているのかな」

 そんな話をしながら淡々と仕事をこなす。騎士達の仕事は屋敷内に不審者を立ち入らせないこと。しばらくは周囲が騒がしいだろうからと騎士の数が増やされている。八人態勢で三交代制だ。

 騎士達の頑張りにより、カイロ達はぐっすりと眠ることができた。

 翌日から一週間は新居での生活を整えるために使うつもりで、カイロはクレアには家のことをある程度任せようと思っていた。

 屋敷内での分担をどうするか、予算なども決めてしまいたかったので食事の席ではなく午後にカイロの執務室にクレアを呼んだ。

「ここで生活を始める前に、君に話しておきたいことがある」

 そう切り出したカイロに何故かクレアは目をキラキラと輝かせ、そして満面の笑みで言い放った。

「それでカイロ様の愛するお方はどちらにいらっしゃいますの!?」

 カイロとカイロの後ろに控えていたフェナーが揃って思考を停止させた。


 クレア・オーリア伯爵令嬢は読書が趣味だった。本が好きすぎて、読んだ本の挿絵を勝手に描いてしまうほどの妄想力もあった。

 しかし伝統のある伯爵家の娘。さすがに外で興奮して我を忘れることはない。

 あくまでも家の中だけの趣味としていたがとある侯爵令嬢と知り合ってからはその令嬢の家でも趣味を全開にしていた。

 侯爵令嬢は病弱でおとなしい……という設定で、裏では平民のふりをして小説を出版社に持ち込んでいた。その出版社はとある伯爵家がオーナーで、出版社内にある女性向けの恋愛小説編集部を管理しているのがとある子爵家だった。

 オーナーである伯爵家の娘も隠れて小説を書いており、子爵家の娘は好きな小説の小物作りを趣味としていた。

 知り合うべくして知り合った四人は月に一度か二度集まって、小説の構想を話し合ったり、挿絵や小物で販売促進のアイデアを出し合っていた。

 実際、クレアが描いた絵が書店で飾られたりもしている。クレアは美しい男女を描くことを最も得意としており、恋愛小説にぴったりのイメージ画であると作者達にも好評だった。

 だが趣味はあくまでも趣味。これで生計を立てて一人暮らしをする勇気はないし、伯爵家の娘としての対面もある。家族を悲しませてまで自分の我を通すつもりはなかった。

 だからグランヴィル公爵家からの縁談も素直に受け入れた。お相手は輝かんばかりの美青年だ。会って断られることもあるだろうと思っていたが、何が良かったのか婚約が調ってしまった。

 ただ見合い相手に会っても事務的に必要なことを話すだけで、この人と結婚をする……といったあまい空気が一切ない。

 政略結婚ではないため、クレアが嫌なら断ることができると両親から聞かされていた。

 クレアは美しいカイロの顔を見つめながらいろいろと考えた。何故、クレアが選ばれたのか?伝統しかない伯爵家の娘で、世間の評価は「物静かな令嬢」。三男とはいえ人気の美青年で公爵家であれば、相手は選び放題なはず。

 クレアは表面上は平静を保ったまま、脳内であれやこれやと考えた。ものすごい勢いで考えまくった。結果、これはもう恋愛小説でよくあるパターンであると結論付けた。

 グランヴィル公爵家に反対されている身分の低い恋人がいて、そんな恋人がいても受け入れてくれるお飾りの妻が必要だったに違いない。

 グランヴィル公爵家に逆らうほどの家格も資産も発言力もない家で、スルー力の高いおとなしい娘。そういった意味ならクレア以上の適任者はいない。

 そもそもクレアは生身の男性には興味がない。美しい男性は好きだが、題材として好きなだけで、題材について語り合うのは好きだが、題材と語り合うのは何か違うと考えていた。

 カイロに関しても見ているだけで満足していた。

 いや……、できれば侍従と内緒話とかしてほしい。そして二人が視線を合わせてほほ笑みあっていたら一生推せる。などと、不埒な妄想を真顔で捗らせていた。

 カイロと出会ってから結婚までの一年で妄想は盛りに盛られて誰にも止められない域に達していた。そこにカイロが定番の台詞を言ってしまった。

「ここで生活を始める前に、君に話しておきたいことがある。私が君を愛することはない」

 と言われて(※言ってない)クレアは「来た!」と狂喜乱舞した。

 まさか、小説で読んでいた出来事が本当にあるなんて!

 といった喜びのあまり、つい、言ってしまった。

「それでカイロ様の愛するお方はどちらにいらっしゃいますの?どんな方かしら。きっとカイロ様にお似合いの可愛らしい方なのでしょうね。お年は?男爵家のご令嬢ですか?」

 小説でよくある身分が男爵家の私生児であるためそう聞くと、戸惑ったように「男爵家……は関係ないな」とカイロが答えた。

「まぁ、では平民ですか?食堂の看板娘、花屋の娘、それともパン屋かしら」

「え、違……、待て、何の話をしている?」

 カイロは本当にクレアが何を言っているのか理解していなかった。この一年間で一度も見せたことがないほどキラキラしたクレアの表情だ。正直、可愛いなと思ってしまったせいで台詞が頭に入ってこない。ただ、楽しそうな顔で何やら不穏なことを言われていることはなんとなく察せられた。

「隠さなくてもよろしいですわ。えぇ、当てて見せますとも。カイロ様は薬師としてお仕事をされておりますものね。秘密の恋人はズバリ、薬師ギルドの受付嬢ではないでしょうか?」

 秘密の恋人?そんなものはいないし、薬師ギルドでの自分の担当は初老の男性だ。つい反射的に答えてしまう。

「違うっ」

「あぁ、残念。もしかして……、人妻だったりしますの?」

 大抵のことは許容範囲内であるクレアだったが、さすがに不倫は応援できない。カイロの秘密の恋人は応援できる相手であってほしい。

 そう……、できればカイロの背後に立つ侍従のような美青年なら百点満点、合格だ。

 その勢いのまま妄想を膨らませて悲鳴を上げながら叫ぶ。

「どうしましょう、私、フェナー様とカイロ様が視線を合わせただけでもドキドキしますのに、本当に二人が……、二人が……」

 この娘、何を言っているのだ?

 カイロとフェナーは困惑しながら視線を合わせた。カイロは「通訳を頼む」という気持ちで、フェナーは「助っ人として伯爵家から来た使用人を誰か呼びましょうか?」と確認しようとして。

 困惑しつつ、見つめ合った主従にクレアはますますテンションが爆上がりした。

 瞬間、執務室の扉が乱暴にノックされて、伯爵家からクレアについてきたメイドが部屋に飛び込んできた。

「お嬢様、王国暦二百五十年目に起きた出来事は?」

「……辺境伯領でスタンピードが起きて、大変な被害となりましたわ!」

「王国暦百三十年」

「隣国と平和協定が結ばれましたわ。隣国の第二王女殿下が我が国の第一王子殿下と婚姻し……」

 徐々にクレアの表情が落ち着いてきた。冷静さを取り戻したようだ。

「申し訳ございません。お嬢様は一度、こうなるとなかなか元に戻らないため介入いたしました」

 謝罪するメイドにカイロは「助かった」と答える。

「それで……、クレア嬢は何故、あんなにも興奮していたんだ?」

 カイロに冷静に聞かれて、クレアに死にそうな顔になった。

 妄想は妄想でしかなく、実際、自分の夫となった美青年と、侍従であるフェナーが恋仲だと本気で思っていたわけではない。ただ秘密の恋人が下位貴族でも平民でもなく仕事の取引先でもないと言われてしまったため、残る可能性は……と脳内で盛り上がってしまっただけ。

 そういった恥ずかしい妄想をいちいち冷静に突っ込まれながら説明する羽目に陥り、クレアは死んだ魚のような目になりつつも生真面目に質問に答え続けた。

 やっと納得できたのか、カイロは最後に「私とフェナーはそのような関係ではない」とクレアに釘を刺した。それにはクレアも素直に頷き謝罪した。

「それで……、私が話したかったことだが。これからこの屋敷で夫婦として生活をしていくのだから、屋敷内での役割分担や予算について相談をしたかった」

 なんと真面目な話だった。と、内心驚きつつクレアは改めて謝罪した。

「カイロ様のビジュアルがあまりに美しすぎて、すっかり惑わされていたようです」

「では早く慣れるように二人で過ごす時間を増やそう。私は屋敷内で仕事をしているから食事の時間がずれることは滅多にないし、夜中まで働くこともない。クレアな屋敷内のことを任せるが、夕食後は仕事をしないように」

 カイロの提案は常識的なものだったのでクレアも受け入れた。これから夫婦となり一生を共にするのだ。いがみ合うよりは仲良く平和に暮らしたい。

 そして時々、萌えを提供されたい。

 クレアは懲りずに脳内で妄想をし始めていた。そんなクレアを見て、カイロは苦笑する。

 また邪なことを考えていそうだが、自分も「クレアとの初夜が楽しみだな」などと邪なことを考えているため見逃すことにした。

 それにクレアの場合はカイロに限定されているわけでもないようで、麗しい人を見ると勝手に妄想してしまうようだ。

「クールビューティなカイロ様に言って欲しい台詞ベストスリーのうちのひとつだったのでつい興奮してしまいました」

「ここで生活を始める前に、君に話しておきたいことがある。私が君を愛することはない……だったか。君を愛さないとは言ってないよね」

「そう……でしたかしらね」

「これから一緒に過ごすうちに愛するかもしれないだろう?」

「それは……、無理しなくても大丈夫ですよ。私はこの通り、一人でも脳内で楽しく生活できるタイプなので」

「クレア嬢はそうかもしれないが、私はできれば現実世界で夫婦仲良く暮らしたいと思っている」

 カイロの微笑みにクレアが眩しそうに目を細めた。

「慣れるまでに時間がかかりそうです……」

「まぁ、慣れなくても構わないよ。クレア嬢のリアクションは面白いから」


 カイロとクレアの結婚はグランヴィル公爵夫人が考えていたよりもうまくいった。

 クレアはジャンル問わずに本を読んでいたため薬草等の植物に関する知識の下地ができており、種の取り寄せや薬草栽培で困ることがほとんどなかった。また絵心があったので、薬草畑で働く使用人達が困らないように栽培方法や保存方法を図説付きで壁に貼っていた。

 妄想スイッチが入っていない時のクレアは優秀で、妄想スイッチが入っている時は面白かった。時々一人でにまにま笑っている。その顔を見てカイロも笑っている。

 クレアがふとカイロに視線を向けて、照れたように頬を染めた。

「クレア、どうしたの?」

 問いかけたカイロにクレアが答える。

「学生時代、カイロの微笑みを見ることができたら幸運が訪れるって噂があって……、噂は本当だったなと思ったの。カイロの微笑みって破壊力がとてつもないわ」

 クレアが幸せならカイロも幸せだ。屋敷内ではカイロもにこにこと笑顔で過ごしたが、屋敷外では良からぬ者達を寄せ付けないために相変わらず無表情だった。

「私の微笑みで幸運を手にすることができるなんて言われたら、クレア以外に笑いたくない」

 そんなカイロの台詞にクレアが笑う。笑いながら……。

「でも、時々はフェナーに笑いかけてもいいのよ」

 と、ブレないことを言い、カイロを笑わせフェナーに頭を抱えさせた。

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