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小林達也:働きたくないでござる

 古びたソファに体を沈め、薄汚れたリモコンを指で弄びながら、男はパチンコ店の休憩スペースでテレビをぼんやり眺めていた。


 名前は小林達也。年齢は二十五。だが、その疲れきった表情と伸び放題の無精ひげは、実年齢以上の老け込みを感じさせた。


 「……あれから、もう一週間かよ」


 壁掛けの液晶画面では、政府の緊急会見が中継されている。記者の声に紛れて、小林が小さく呟く。“あれから”とは、あの日、あの声が突然頭に響いた時のことだった。


 『飽きた。大きな変化も望めない。だから力をやる。好きにやれ』


 政府側の会見は、事態の混乱を抑えようと必死だった。


 「何者が、いかなる手段で国民の脳に直接語りかけたのか……現在も判明しておりません。他国との連携を図り、原因の究明を進めております」


 小林はあくび混じりにテレビを見やり、足を組み替えた。


 「ご存じの通り、一定の確率で異常な能力を獲得した者が現れております。我が国では、あの“声”の発言通り、およそ一万人に一人の割合で力を得たものと推定されております」


 会見は続き、具体的な対応策や、いくつかの事例を挙げながら市民への注意を呼びかけていた。


 「能力の名称について、政府としては『選定特異能力』と定義づけ、この能力を保持する者を『選定特異能力保持者』と呼称する方針を固めました」


 「選定特異能力保持者、ねぇ……」


 小林が鼻で笑い、ペットボトルのお茶をひと口すする。


 「長ったらしい上に、なんか偉そうな響きだよな。ネットじゃとっくに“ギフター”で定着してんのに」


 そう、あの声以降、世間は大混乱に陥った。力を得た者のすべてが悪に走ったわけではないが、中には破壊や暴力に快感を覚え、衝動のままに暴れ出す者もいた。ごく一部とはいえ、その力は圧倒的で、たった一人を制圧するのに国家規模の動員が必要とされるほどだった。


 小林達也――ギフターの一人である彼は、少し違っていた。


 力を得たその日から、彼は会社を無断で欠勤した。誰にも連絡せず、ただひたすら――楽をすることだけを考えていた。


 「稼ごう稼ごうっと」


 立ち上がりながら、手元のスマホを開く。競馬中継が映し出されていた。オッズの動き、馬体の気配、馬主の発言。断片的な情報の一つひとつが、頭の中で形を成す。


 小林に宿った力は、直感や感覚に強く作用していた。それはまるで、“答えのほうから頭に飛び込んでくる”ような力だった。


 「この7番……今日来るな」


 誰かに教えられたわけではない。ただ“わかる”のだ。


 パチンコホールに戻り、彼はさっきまで打っていたスロット台に腰を下ろす。光と音の中で、設定差のわずかな違いを感じ取り、勝てる台を選んでいた。


 「殴ったり蹴ったりなんて、ガラじゃねえんだよなあ。俺は俺のやり方で、ギフトを活かす」


 暴力も支配も面倒だった。小林にとって、力とは“楽に金を稼ぐための便利ツール”にすぎなかった。


 『ギフターによっては、回復系に向いている者もいれば、破壊系に長けている者もいる――』


 最近のSNSではそんな噂も広まりつつあった。誰かが自分の得意分野を試したのだろう。


 「俺に向いてたのが、“楽して得する”方向だったってだけさ。……感謝するぜ、謎の声さんよ」


 スマホが震え、ポケットの中で小さく光った。小林は無造作に取り出して、画面に目を落とす。


 『ギフターによるギフター狩りが相次ぐ 政府対応に遅れ』


 「またかよ……」


 眉間にしわを寄せながら記事を開く。力を持った者たちが、別の力を持った者を襲い、拘束・洗脳・あるいは殺害しているという。


 「勘弁してくれよ……頼んでもらったもんでもねえじゃん」


 苦々しく呟きながら、背筋にゾクリと悪寒が走った。


 ――来る。


 肌が粟立ち、空気の密度が変わったように感じた。


 「ギフターの……気配……? いや、ちょっと待て……なんだ、この圧」


 小林は振り向き、スロットホールの外に目を向けた。だが、そこには誰の姿もない。


 だが、小林には“わかった”。明確に“そこに”いると――

 ギフターの中でも、感覚に特化した自分だからこそ察知できた気配だった。


 ――屋根の上。


 建物の向かい。三階建てのビルの屋上に、黒い影が佇んでいた。


 その存在を目にした瞬間、小林の心臓が跳ねた。


 「……ヤバい。ヤバいヤバいヤバい」


 影――雪村隼人は、一度だけこちらを見やると、屋根伝いに静かに姿を消した。


 小林は、しばらくその場から動けなかった。足が竦み、全身が汗ばんでいる。


 「な、なんなんだよ……いまの……ギフター、なのか……?」


 鼓動が耳の奥で反響する。


 直感が告げていた。“あれ”は次元が違う、と。


 「……帰ろう。帰って……今日はもう寝よう」


 心底恐怖した様子で、小林は椅子から跳ねるように立ち上がる。


 打っていた台は、フリーズを引いたばかりだった。

 だが、彼は振り返らず、そのまま足早に出口へと向かった。

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