:治す力、戦う力
床に倒れていたスーツ姿の男性に、澪はそっと手を伸ばした。意識を失ってはいたが、呼吸はある。手のひらを胸に添えると、じんわりとした温もりが内側から流れ出していくのを感じた。言葉にできない感覚――だが確かに、彼女は“何か”を送っていた。
まもなく、男が小さく呻いた。眉が動く。澪は安心したように息を吐き、すぐ隣の女性店員に向き直った。
同じように手を当てる。彼女は身じろぎし、苦しげな表情を浮かべながらも目を開けた。
「大丈夫です、今のうちに逃げて」
澪が囁くと、女性は一瞬戸惑った顔を見せたが、すぐに立ち上がり、ガラスの割れた出入口を避けるように走り去った。足取りはふらついていたが、明らかに回復していた。
その直後だった。
「おい、なにやってんだ」
低い声が飛ぶ。振り返ると、さっきまで店内を荒らしていた男たちが、奥のほうからこちらに歩いてきていた。3人とも乱れた格好で、目つきが異様に悪い。
「おいおい、女まで逃げちまってんじゃねーか」
「こいつ、女子高生じゃねえか? いいツラしてんな」
「おい、責任取ってもらうぞ?」
口々に絡んでくる言葉。澪は何も返さなかった。ただ、静かに立ち上がる。
「つーか見ろよ、あの女まだそこにいんぞ。追えば余裕じゃね?」
1人がそう言いながら、店の外へと歩き出す。
その瞬間、澪の身体が動いていた。男の行く手を遮るように立ちはだかり、肩に手をかける。
「なんだテメ――」
言い終わる前に、澪は男の腕を取り、無駄のない動きで床へと叩きつけた。コンクリートに近いタイルの床が鈍い音を立てて響き、男の呻き声が漏れる。
(殴り合いなんてしたことない。口喧嘩すら、苦手だったのに……)
澪は自分の手を見つめた。
(でも、この人たちをやっつけるのは――怖くもなんともない)
残る2人が顔を見合わせ、怒声を上げた。
「てめぇ、ナメてんのか!!」
「調子に乗んなよガキが!!」
1人が拳を振るい、もう1人が蹴りを放つ。だが、澪の視線はぶれなかった。体が自然と動く。踏み込み、腰を落とし、回し蹴りを軸足ごと受け止めて、逆にその勢いを利用して投げ飛ばす。もう1人の拳は空を切り、澪の肘打ちが鳩尾に入った。
あっという間だった。
3人とも、床に崩れ落ちていた。
「……警察、呼んだほうがいいのかな」
澪は小さく呟きながらスマホを取り出した。だが、画面を開いた指が止まる。
「警察……今、ちゃんと来てくれるのかなあ」
そのとき、床でうめいていた男の1人が笑った。
「お前もかよ……昨日、力もらったクチか? ふざけやがって……」
澪は男を見下ろす。
「でもな……東京だけで、何人いると思ってんだよ、1万人に1人がよ……」
その言葉に、澪の背筋がひやりとする。
「お、戻ってきたみてーだぜ。たっぷり、お仕置きしてもらえや」
その直後、爆音と共に風が巻いた。コンビニの外から、バイクが突っ込んでくる。異様なスピード――まるでブレーキも重力も無視しているかのようだった。
「この力、バイクでも余裕で使えるわ。まあ正直、オレ自身が速すぎてバイクいらねーんだけどな」
ヘルメットを外し、長髪を振り払う。筋肉質な体。鋭い目つき。明らかに“そっち側”の人間だった。
「……どうしたお前ら。寝てんのか?」
倒れた3人を見下ろした男が、澪に目を向ける。
「わかるぜ、なんとなく。こいつらをやったの、てめーだろ」
彼の目が、にやりと細められる。
「お前も……力、もらったな?」
澪の体が固まる。心の奥に、冷たいものが落ちてくる。
(この人……私と、同じだ)
違う。目の前の男は、暴力のためにその力を使っている。けれど、それでも――同じ力を、持っている。
「こいつらが相手にならなくてもよ……」
男は首を鳴らし、澪に歩み寄る。
「俺に勝てると思うか?」
言葉と同時に、男の拳が飛ぶ。澪は避けきれず、頬を打たれた。視界がぐらりと揺れる。
すかさず放たれた蹴り。澪は咄嗟に腕で受けたが、力の差は明白だった。吹き飛ばされ、什器にぶつかって崩れ落ちる。
立ち上がれない。痛みと恐怖が全身に染み込んでくる。
(でも、やるしかない)
澪はうずくまった姿勢のまま、両手を突き出した。
「……えいっ!!」
声とともに、何かが放たれた。男の身体が一瞬仰け反る。
「おお、なるほどな。そんなこともできんのか」
男は唇を吊り上げる。
「おら! こうかよ!!」
男が、澪のさっきの動きを真似て両手を突き出した。ふわりと体が浮いた感覚が走り、そのまま吹き飛ばされる。床を転がり、息が詰まった。
その瞬間――風が、切れた。
一陣の気配が駆け抜け、気づけば目の前にひとりの人影がいた。
雪村隼人が、澪の前に立っていた。