:国家の影
仙台の中心部から十五キロほど離れた郊外。
雑居ビルの一角にあるカラオケボックスは、今や営業を停止したまま放置されていた。
辰巳が案内したのは、その無人のカラオケ店だった。
「ここなら今は営業もしてねえし、人もまずこねえ。安心して話せるだろ」
電源の落ちたフロントを横目に、三人は薄暗い廊下を奥へ進む。
澪の足音がやけに響く中、雪村はふと口を開いた。
「なるほど。立地が悪いからこそ、ギフターやら犯罪者やらの手にも落ちてないってことか」
この店は個人経営の小さなカラオケチェーンだったらしい。
あの“選定日”――脳内にあの声が流れ、世界が変わり始めたあの日の翌日には営業を停止し、以降は誰も寄りつかなくなっていた。
雪村たちは一番奥の広めの部屋に入った。
テーブルとソファはそのまま残されており、照明だけがかろうじて点いた。
「一応、全室見てくる。誰か潜んでる可能性もゼロじゃない」
そう言って、雪村はすっと部屋を出た。
「……あいつ、俺と同い年の二十一なんだってな」
取り残された部屋の中で、辰巳がポツリと呟いた。
「うん。そうだよ」
澪がうなずく。
「お前は十七の高校生だろ? 二人して、なんでそんな風に動いてんだか……」
「異常なし。やっぱり誰もいなかったよ」
十秒も経たないうちに、雪村が戻ってきた。
その素早さに、辰巳はぽかんと口を開ける。
「……はえーなおい!」
「全部で二十室だったけど、誰の気配もなかった。少なくとも今は、完全に無人だ」
雪村はソファに腰を下ろし、ひと息つく。
「さっき、何か言おうとしてた?」
澪が辰巳に尋ねると、彼は少しだけ間を置き、肩をすくめた。
「……なんでもねえよ。それより、話を続けろよ」
その態度に、雪村は微かに笑みをこぼす。
まだ本題には触れていないが、辰巳の言葉には、わずかに柔らかさがにじんでいた。
(ふむ……もう、俺や澪に対する警戒は薄れつつあるな)
このまま話しても問題はなさそうだ。
仮に協力を得られなくても、知っておいてほしいことはいくつかある。
「まず、俺と澪は選定日の翌日に知り合った。それからずっと一緒に動いている」
「初めはね。ギフトを悪用するギフターとか、選定の混乱で暴れ出した悪党たちをどうにかするために、って」
澪が補足するように言い添える。
「……家族には、会いたい気持ちはあるんだけどね。心配かけてるのはわかってるし」
その言葉に、雪村が少しだけ目を伏せる。
「それでも、私もギフターだからさ。やっぱり無関係ではいられないと思ったの」
澪は選定された日のうちに、自分がギフターだと気づいていた。
けれど、その力をどう扱えばいいのか、すぐには決めきれなかった。
雪村と出会い、力を振るう意味を見つけてからは――迷わず、前を向けるようになった。
「……私、家出なんてするタイプじゃなかったんだけどなぁ」
照れくさそうに笑う澪に、辰巳は黙って目を向ける。
「そうして三日ほど経った頃からかな。俺たちの前に、ギフター狩りが来るようになった」
雪村はテーブルに向かって手をかざす。
何も触れていないのに、部屋の隅に置かれていたコップと水のピッチャーがふわりと浮かび、テーブルの上に並んだ。
「……なんでもありだな、お前は」
辰巳が呆れたように言う。
「そんな力があるなら、ギフター狩りも必死に引き込もうとしてきただろう?」
「ああ。実際、何十人と送り込まれてきたよ。全部、返り討ちにしたけどな」
淡々と語るその声に、誇張も威圧もない。
ただの事実として、それだけのことを成してきたのだ。
「その中の一人がさ。表向きはギフター狩りに協力してたけど、実は洗脳から逃れるためのフリだったんだ」
雪村は水を一口飲んで、話を続けた。
「そいつから、いろいろと情報をもらった。ギフター狩りの正式名称もな」
そう言って、雪村は一瞬だけ表情を引き締める。
「B.L.A.C.K.――Bureau for Law and Ability Control of the Kingdom。国家異能制御法務局」
「……国家、だと?」
辰巳が顔をしかめる。
「ああ。やつらは“選定”の謎を解明しようなんて気はない。
ギフターを兵器として統率し、国力を高めようとしてるんだ」
言いながら、雪村の瞳にわずかな怒りが宿る。
自分はともかく、澪のような少女までが体を張って動いているというのに。
その一方で、国は協力どころか敵対してくるのだ。
「辰巳も知ってるだろ。ブラックのやつらは手段を問わない。
とにかく、数を揃えてギフターを掌握することしか考えてない」
「……へぇ」
澪がぽつりと口を開いた。
「辰巳さんって、あんまり驚かないんですね。国家が絡んでるって、けっこう衝撃的なのに」
「まあな……ブラックが、どんな目的持ってようがクソなのは最初からわかってた」
淡々とした口調だった。
感情を抑えているのか、それとも本当に気にしていないのか。どちらにせよ、辰巳の態度は大きく変わらない。
短い沈黙が訪れる。
澪が、電源の落ちたデンモクを指でなぞった。
マイクに手を伸ばし、特に意味もなく回してみる。
「……ブラックのことは、おおかたわかった」
ようやく口を開いた辰巳が、まっすぐ雪村を見据える。
「それ以上に、わからねえことがある。……お前の異常さについて、聞かせろよ」