表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/14

プロローグ

 電車を降りて、駅前の雑踏に足を踏み出す。吐き出されたように人々が行き交うなか、雪村隼人はゆっくりとした足取りで改札を抜けた。

 スーツ姿の大学生──この時期の駅前にはよくいる風景の一部だが、彼の顔にはわかりやすい疲労の色が浮かんでいた。

 第一志望の企業。業界研究も企業分析も、かなり力を入れたつもりだった。


 手応えは──悪くなかった。おそらく、合否のどちらが出てもおかしくない。

 だからこそ、余計に疲れる。考えたところで結果が変わるわけでもないのに、頭の中では想定問答の反省会が延々と続いていた。


 乗り換えを経て、最寄り駅にたどり着く。そこから五分ほど歩き、ボロアパートの薄いドアを開けたとき、ようやく肩の力が抜けた。

 脱ぎ捨てるように革靴を投げ出し、カバンを床に置き、スーツの上着を背中から引き剥がす。


「飯、風呂……まあ、明日でいいか……」


 独り言の声もかすれていた。

 着替えすら放棄して、ワイシャツとスラックスのままベッドに倒れ込む。

 枕を引き寄せる余裕すらないまま、目を閉じる。まぶたの裏に残っていた駅の明かりも、街灯の光も、すぐに闇のなかへ溶けていった。


 ──その瞬間だった。


『飽きた。もはやこの世界にさしたる変化は望めぬ。

 1万人に1人、力を授ける。好きにやれ。

 最後の遊びだ。我を、楽しませよ』


 脳に直接響くような、低く、そして反響するような声だった。

 雪村はベッドの上で微かに眉をしかめる。


(……夢? にしてはリアルすぎる。……ていうか、俺、まだ寝てなかったか?)


 そのまま意識は、闇の底へと沈んでいった。


 ──翌朝。


「……ふぁ……」


 目を覚ました雪村は、軽く伸びをして、ぼんやりと天井を見上げた。

 妙にスッキリしている。昨日の疲労がまるで嘘のように抜けていた。


「寝起き良すぎ……。ていうか、身体、軽っ」


 起き上がりながら肩をまわす。筋肉が張っていたはずなのに、まるで運動した直後のような快活な感覚が残っていた。

 そして、ふと、昨夜の“声”が頭をよぎる。


──好きにやれ。

──力を授ける。


「まさかとは思うけど……あれ、夢じゃなかったってことか?」


 ゆっくりと息を吸い、拳を握る。途端に、体の芯からうねるような力が湧き上がってくるのを感じた。

 全身にみなぎるエネルギー。ただ立っているだけなのに、筋肉が内側から膨張するような感覚がある。呼吸一つにしても、空気が爆発的に取り込まれるような異様な鋭さがあった。


(……謎の声が言ってた、“1万人に1人に力を授ける”ってやつ。自分がその中に入ったなんて、信じがたいけど──)


 けれど、この力。この異常なまでの冴え。

 自分が“その一人”になっていないはずがない。疑いようもなく、確かな実感がそこにあった。


 それでいて、気持ちは驚くほど冷静だった。

 力が湧いてくる──それも、暴走ではなく、意識のもとで制御された流れだった。


 筋肉にほんの少し力を入れる。その感覚はこれまでと変わらない。違うのは、出力の規模だけだ。


 ペンを折らずに握るように、握手で相手の手を潰さないように。

 人間は普段から、自分の力を無意識に抑えて生きている。


 今の自分も、それと同じように、力を扱えている。

 ただ、ほんのわずかに力を込めるだけで、壁の一枚や床の一角を破壊できる──そんな確信がある。けれど、使い方はちゃんと、理性のもとに握っている。


 ニュースアプリを開けば、トップ記事はどれも同じ話題で埋め尽くされていた。


《深夜、日本全国で奇怪な“声”》

《幻聴? それとも……集団催眠?》

《1万人に1人、力を授ける──ネット上で証言相次ぐ》


(まあ、そうなるよな……。あの声が本当なら、日本だけで1万人近くの“力持ち”が生まれてるってことになる)


 頭を軽く振って、スマホを置く。

 時間はいつも通り、まだ授業には余裕がある。


「行くか……」


 棚の上にあった交通系ICカードを手に取り、数秒後、テーブルに戻した。


(……いや、今日は走ってみるか)


 身支度を終え、スニーカーの紐を締める。ドアを開け、冷えた空気のなかに足を踏み出す。

 人通りの少ない路地に立ち、少しだけ深呼吸をしてから、一歩、踏み出した。


 風が切れる。視界が流れる。

 地面を蹴るたびに、景色が音を立てて後ろに消えていく。


 たった二分で大学の裏門に到着した。

 まだ誰も登校しておらず、門の周辺は静かだった。

 通行人に見られたかもしれないが、おそらく、黒い影が駆け抜けたようにしか映らなかったはずだ。


(これが“力”……1万人に1人の……)


 高揚感と、ほんの少しの怖さが入り混じる。

 自分に課されたルールも制約もない。ただ、力があるというだけ。


(この世界は、これからどうなっていくんだろう。……俺は、この力を、どう使うべきなんだろうな)


 キャンパスに続く道を歩き出しながら、雪村は静かに思索を巡らせた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ