29話 人間の町に行こう
この異世界に飛ばされて、絶望の森と言われる超危険地帯で引きこもりをしてそろそろ一ヶ月になる。
肉は魔物を倒せば手に入る。木の実や果実は森の散策で見つけられるし、なんなら品質のいい薬草もゴロゴロある。人の手が物理的に入らない場所だから取りたい放題。更に野菜は家庭菜園で、魚は湖まで行けば魔物由来だが手に入る。
もう、いっそ森から出る必要性を感じなくなりつつある虎之助だが、一つ問題もある。
「素材が多すぎる」
溢れそうな素材保管庫を見て、とうとう唸る事になった。
「ご主人様は日ごとに腕を上げておられますから」
「だな。主は自分の強さを下に見ているようだが、そろそろBクラスは虐めに思えるしAクラスだって涙目だ」
一緒に物品の整理にきてくれたカフィとクリームからも呆れた声がする。
これでも兎偵察部隊を増やしたりはしているし、クラフトも多少はしているのだが……なにせ初期で既に色々家の物は揃っているし、食材についても一人分しか消費しない。だからといって家に引きこもっていられる性分でもなく、十分歩けばエンカウントする土地柄。倒せば強制的にドロップされる素材達。収集家としてドロップした物を放置すれば勿体ないお化けが出るかもしれない。
「これはもう、人の町まで売りに行くしかありませんね」
溜息をつくカフィに、虎之助も頷くより他になかった。
そういうことで人の町まで行くことになった。
その前にと、虎之助はせっせとぬいぐるみを作っている。今回はテディではなく犬だ。体高としては20センチくらいで、目は赤い。レッドキラーグリズリーの魔石から作ってある。
これに、ようやく浄化の終わった赤い魔石を入れ込み完成させ、契約をする。
『契約!』
床面に赤い魔法陣が浮かび上がり、燃え上がるような炎が一瞬ぬいぐるみを包み込んだ。
眩しさと僅かな熱に顔を庇った虎之助は、その炎の中からポンと進み出てブルブルっと体を震わせた黒い子犬に目を輝かせた。
「やぁ、ご主人! スピアーって名前ありがとう」
真っ赤な目をくりくりにして近付いてくる黒い子犬サイズのぬいぐるみが可愛くてキュンとする。動きもどこか子犬だ。元がケルベロスだとは誰も思うまい!
そう、これは以前倒したケルベロスから作られている。毛皮も余っていたし、魔石は何度も浄化しなければならなかったが無事に出来た。
体はテディのように二足歩行を前提としていないからジョイントはなし。ふさふさの黒い尻尾が揺れると微妙に赤い鱗粉が舞う。
名はスピアーとした。もう少し可愛い名前を考えたかったんだが、思い浮かばなかった。
「よろしく、スピアー」
「はい、よろしくお願いします。クリーム先輩とカフィ先輩も、よろしくお願いします!」
「うむ、よろしく」
「お願いしますね」
わふっ! という感じで挨拶をしているスピアーをクリームとカフィも受け入れていて、ちょっと安心した。
スピアーに頼みたいのはこの家と周辺の警護。ようは番犬だ。
虎之助が家を離れる頻度が増えるとこちらが手薄になる。とはいえ、この家は強固な結界の中だから安全でもあるが、神ネオから魔神や世界の異変も聞いているので念のため。カフィだけを残すのも不安だったしな。
「ってなことで準備も出来た。俺は明日から人の町を目指して物品を売ったりしてくる。その間の守りはカフィ、頼む」
「かしこまりました」
黒いもふっとした手を前にして恭しく一礼する姿は正に執事だ。
「スルトも頼む。最悪は暴れてくれ」
『使い手もなく暴れられっかよ。まぁ、俺を人前に出すのは時期尚早ってわけか』
「何せ伝説の剣だからな」
悪目立ちが過ぎるだろう。
「信玄も今回は頼むな」
頭を撫でるとちょっと不満そう。だが信玄はセラフィムスライムという回復や状態異常回復も出来る珍しい聖属性スライム。頭もいい。万が一人目について攫われたら大変だ。
「スピアーも目覚めて直ぐですまないが、この家の守りを頼む」
「はいです、ご主人!」
尻尾がパタパタしていて可愛い。それを見ながら虎之助は安心してマジックバッグに売る予定の素材を詰め込んでいく。
憂鬱なような、でも楽しみなような。
いざ、初めての異世界人世界!
◇◆◇
「まさか、森を出るのに一回野宿とは……甘く見ていたな」
クリームを肩に乗せて森を抜けた虎之助。だが前夜はなかなか疲れた。
それというのもこの森はなかなか広大で、予測が甘かった。倒木と草と苔と短時間でのエンカウント祭り。これらに案外時間を取られ夜になってしまったのだ。
夜間の活動はしていないが、クリームの提案で枝の上で体を休める事にした。地上では連戦になるからと。
下を見れば夜特有の魔物もいたのだろうが、流石に頭上にはこなかった。暗闇に光る目だけが不気味だった。
ただ、その状態で熟睡も出来ず半覚醒状態での睡眠でやや疲れている。結局早朝には移動を再開し、三時間程かけて脱出してきた所だ。
「わぁ……」
眼前に現れた光景に、思わず声が漏れる。
見渡す限りの草原だった。明るい陽光を受けて短い草は濃淡の違う緑色に光り、風に僅かにそよいでいる。
その中には踏みならしただけの道が薄茶色に続いているが、その幅はしっかりしていて、長い年月人が歩き、踏み固め、続いてきたんだと分かるものだった。
この世界に来て初めての他人に僅かに期待もある。ジンと胸に染みる感覚に奮い立って、虎之助は大きく一歩を踏み出した。
クリームを乗せたまま何でもない平原を歩く事二時間、目の前に関所が見えてきた。立派な壁に囲まれたそこは上からの鉄柵があり、衛兵らしい装備の人物が槍を持って二人立っているが……人がいない。
「ここ……だよな?」
「そのはずだが」
カフィが教えてくれた町だとは思うが人が……と思っていると、向こうもこちらに気づいたのだろう。遠目から見ても驚きが伝わり、一人が駆けてきた。
「おーい! あんた、何処から来た!」
「え?」
まだ遠いが声に敵愾心は感じない。寧ろ心配されている感じがする。クリームと顔を見合わせ、森の方を指すと近付いてきた衛兵はビクッとして更に足を速めた。
「あんた、森を越えてきたのか?」
「あぁ、そんなところだが……」
「そんな軽装でか!」
「あぁ……」
流石に森に住んでいるとは言えなかった。これもカフィに注意されたのだ。あの森に住んでいると言えば間違い無く頭おかしいと思われるだろうから、それは言わない方がいいと。
男は立ったまま膝に手を置いて息を整えている。そして、ぱっと顔を上げて虎之助を見た。
「あんた、規格外に強いか頭おかしいかのどっちだ?」
「あ……」
おそらく前者なのだが何とも言えず苦笑いの虎之助だった。
この衛兵の名前はロッド。この町の警備兵でまだ22歳だという。若い。
見た感じ好青年で人懐っこい感じもあり、虎之助に興味津々だった。
彼に連れられて関所に用意されている部屋に通され、身分証を持っていないので荷物検査と簡単な質問、訪問目的、そして犯罪歴を調べる水晶に手を置いて調べられただけで、後は通行料を銀貨1枚払う事で終わりとなった。
「そうか、こっち側は森に行く方向だから人が少なかったんだな」
色々な検査などをしている合間、ロッドともう一人、ベテランのソリッドの話を聞くとそういうことらしい。
絶望の森は危険だから監視はしなければならないが、危険故にその先に行く人は少ない。決死覚悟の商人か、危機感覚が壊れた高ランク冒険者くらいなものだそうだ。
そしてこの町の名前も分かった。最果ての町ラトマリス。この先は絶望の森が広がる、人類にとって安全が保証されている最果ての町だそうだ。
と、その森に拠点を置く虎之助は聞かされて苦笑するしかなかった。
「冒険者登録もだったよな、トラ? 場所分かるか?」
ひょっこりと顔を出したロッドに問われて首を横に振る。すると彼はニパッと笑って表に促し、関所の門を抜けた先に広がる大通りを指差した。
「この道真っ直ぐ行って左側に、デカい建物があるからそこだ。屋根は青い。表にも冒険者ギルド・ラトマリス支部って書いてあるからさ」
「分かった。ありがとうな」
素直にお礼を言うとロッドは少し照れたように笑い鼻の下を指で擦る。
「トラみたいないい男に礼言われると照れるな」
「?」
その言葉に些か引っかかりはあるが、嫌われないのは有り難い。顔に大きな傷もあるし目つきも悪いし背も高いから警戒されるのではと思っていたが、案外そうでもないようだ。
一つ懸念材料が減った気がして、そのまま少し暗い門を抜けて明るい大通りに。そうして広がる光景に、虎之助はまた声を上げた。
異世界漫画やゲームで見る光景が広がる。石畳の道が真っ直ぐ伸び、その両脇にはレンガや石造り、白壁の家が建つ。高さも大きくて三階だが、多くは二階建て。人々の服装も素朴な感じで、想像通りのものだった。
だがそれがいい! 憧れてきた世界の中に自分がいる嬉しさを噛みしめ、虎之助は目をキラキラさせながら町の中へと入っていった。
のだが、もの凄く見られていてちょっといたたまれない。その視線はおそらく肩に乗ってるクリームに向かっている。
「あのくまたんかわいぃ!」
「本当ね。どこで売っているのかしら?」
小さな子が指を差してクリームを見つめ、母親がそんな事を言う。
非売品だが……そう言われると悪い気はしない。魔石を入れなければ普通のぬいぐるみだから、需要があるなら販売してもいいかもしれない。可愛いもんなぁ、クリーム。
「っと」
そんな視線を子供達から浴びせられながら歩いていると、目的の建物が見えてきた。
硬そうな石造りの外観で三階建て。建物自体の敷地面積も大きそうなそこには表に『冒険者ギルド』と確かに書かれている。
いよいよ、冒険者デビュー。
ノブに掛けた手が止まる。異世界ファンタジーオタクだった虎之助が異世界にきて、とうとう冒険者になる。喜びと緊張が入り乱れたまま、グッと腹に力をこめてそのドアを押し開けた。




