15話 身体強化
翌日、虎之助はもう一つの課題である鍛錬と身体強化を習得すべく裏庭へと出ていた。
この家の裏庭は広く、薬草や野菜を栽培しているらしい畑と木の実の成る果樹、そして小さいながらも温室が石畳の道で繋がっている。
他は芝生だった。
その芝生の所に腰を下ろした虎之助の前にクリームが座り、愛らしい黒い目に師匠の貫禄を滲ませ腕を組んだ。
「では、身体強化魔法について伝授しよう。これは『魔法』と言っているが厳密には魔法ではない。ただ、魔力が関係しているからこう言われているだけだ」
激渋い声で言われると背筋が伸びる。相手は白いもふもふの可愛らしいテディなのだが。
側には何かあった時の為にカフィも控えているが、敢えて今は何も言わない様子だ。
「まず、主は魔力というものを正しく認識できているか?」
「? いや、なんとなくだな」
元々は魔法など存在しない日本から転移してきたのだから、意識はしていない。ただ、この世界にきて二日程が経過して魔法も使ったので多少言いたい事も分かると思う。
水魔法や火魔法を使う時、手が内側から熱くなるのを感じる。熱量としては過剰ではなくほんのりと、食堂などで温かなおしぼりを使うくらいの温もりだ。だが、明らかに使用時はそのくらい体感温度が上がっている。
正直な所を言うと、クリームは腕組みのまま深く頷いた。
「ではまず、自分の中の魔力を正確に認識するところから始めよう」
そういうことで、まずは瞑想のような所から始まった。
曰く、魔力とは心臓を中心として全身に巡っているとのこと。それこそ頭の天辺からつま先まで。そしてその経路は血の巡る経路、ようは血管と同じだという。
魔法を使う時に手が温かく感じるのは、使おうと思う場所に魔力が集まるから。
「目を閉じて、深い息をしていくと落ち着いてくる。己の内面を探り、意識を魔力の流れに持っていくと関知できるかと思うが」
そう言われたので、とりあえずやってみる事にする。
爽やかな風が心地よく吹く中、芝生の上に胡座をかき、膝の上に手を上にして置く。深く吐き、吸って目を閉じて気持ちを落ち着けていく。この瞬間が、虎之助は好きだ。
昔、祖父が刀を教えてくれていた。当時はまだ小学生だっただろうか。あらゆる武術を習い事のように日替わりで教え込まれていた時だ。そして祖父は武術は精神の鍛錬も必要だと言う人だった。
特訓を始める前と後の十五分程、こうして瞑想していた。あの当時は畳みの上だったが。
目を閉じて数分、深い呼吸をしていく中で心臓の音が耳につくようになる。同時に今までの瞑想とは違う感覚もあった。熱が二つ、感じられる。その一つはまるで光のようなのだ。
胸の辺りからふわりと明るいものが全身を一定の速さで巡っている。それは血が全身を巡るのと同じように滞る事がない。
「認識できたか?」
「あぁ、おそらく。この、光のような流れが魔力か」
意識をしてみれば確かに指先、足先、頭の方にもちゃんと巡っている。だが、今はこれが何か作用しているようには思えない。
「身体強化というのは、その全身を巡る魔力を意識的に加速させる事を言うのだ」
「加速?」
また難しい事を言う。それはつまり、自分の意識で血流を速めろと言っているのと大差がないと思う。
……いや、できるのか? 運動や呼吸法で血流を速めたり、逆に落ち着ける事が出来るはずだ。それが出来るなら、魔力も。
「肉体の持つ強度というのは一定まで行くと限界がくる。筋力なども同じだ。身体強化はそこに魔力を上乗せすることで足りない部分を補いつつ、傷つきやすい体を保護する役割もある」
『人の体は脆いですからね。どうしても魔物相手に立ち回るには限界があるのです。身体強化は筋肉の増強、それによる加速的な速さやパワーをもたらすばかりではなく、これらを行う事で傷つく肉体の防御も行ってくれるのです』
二人の説明によれば、これはかなり破格の技術だ。虎之助の目下の課題は魔物の分厚い外装や肉、骨を断ちきるパワー。俊敏性や跳躍力には問題はなかっただろう。
ここをクリアしていかなければ次の目標に手が届かない。
だが、イメージ……魔力を加速させるイメージが難しい。流れるプールの速度ボタンを上げるような感じを想像したが……いや、加速はしているように感じるが緩やかすぎる。末端がほんのりと温かくなるが、足りないと感じる。
もっと瞬間的に加速できるもの。魔力を打ち出すような……!
思い出したのは夏祭りだった。虎之助はこれで祭りというのが好きだ。華やかな雰囲気も、そこで食べる屋台飯も好きだが、中でも幼い頃からスマートボールが好きだった。
玉を穴に入れて、棒を引いて打ち出す。すると玉が弾かれて加速し、あちこちのピンにぶつかったりしながら穴に落ちていく。単純だが、これで何時間でも遊べた。
これが、いいんじゃないか? 魔力を玉と置き換えて、心臓を棒とする。そこから玉を打ち出すように――っ!
瞬間、ドクンと心臓が大きく音を立てた気がした。打ち出された魔力は加速しながら全身を巡る。すると魔力が通った箇所が一瞬すごい熱を帯びた。
「おぉ! 主は才があるな!」
クリームが手を叩いて褒めてくれるし、カフィも何処か誇らしげにしている。だが、これでは一瞬過ぎる。もっと断続的に、一定の間隔を保ったまま魔力を打ち出さなければ。
だがこれ、難しい。直ぐに息切れがしそうだし、一定のリズムというのも乱れる。何か自然に導けるやり方が。
考え、カッと目を開けた虎之助はその場で腕立て伏せの状態になる。そして、歌いながら突如腕立てを始めた。
「もっしもっし亀よ~亀さんよ~♪」
「「!」」
朗々とした成人男性の声で歌われる童謡にクリームとカフィは引いた。だが、これは虎之助にとって最適なタイミングの取り方だ。
これは心臓マッサージの方法としても知られている。一分間に百回圧迫できる。それと同じで考えればいい。歌詞のタイミングで魔力を打ち出す。少し苦しくても繰り返していくと全身が汗をかく程の熱を帯びていく。
更に同じタイミングで筋トレもしてきた。全てをリンクさせられる。
「あっ、主ストップだ! そんなに魔力を回しては逆に体に障る! 一度しっかりと加速がつけばある程度は一定の速度でいられる!」
徐々に体から蜃気楼の様な揺らめきを放つ虎之助をクリームが止める。目の前に来て大きく手を振りながらワタワタするのはとても愛らしく癒される。そう思い手を緩めた虎之助は、彼の言葉が嘘ではないと直ぐに分かった。
風呂でグルグルと湯をかき混ぜた時、一定の間その渦が消えないように体を巡る魔力の速さは保てている。
体が軽いというか、ソワソワ落ち着かない。動かしてみたくてウズウズする。
その衝動を抑えられないまま、トントンと数回地を蹴った虎之助はそのまま強く地面を蹴って跳躍した。
瞬間、体は真上へとグングン登っていく。だが、恐怖すら感じる加速からフッと抜けた時に目の前に広がった世界は、これまで見てきたものとは明らかに違った。
背の高い森の木々の、更に上にいる。眼前には深い森と、その更に向こうにある平原。そして道。何処かの町に通じていそうだ。
そして見つけた、青い水を湛えた開けた場所を。
フッと無重力が消えた瞬間体は地上に引っ張られる。だがここは上手く勢いを殺して着地した。その衝撃は足裏から頭の上まできたがそれだけ。怪我もしていない。
「主!」
近付いてきたクリームが心配そうな顔をする。見ればカフィもだ。
そんな様子が少し嬉しいと感じるのは、案じてくれる優しさを受け取ったからだろう。
「大丈夫か?」
問われ、少ししょぼくれたクリームの両脇に手を入れてそのまま抱き上げる。これに声を上げたクリームだが気にもせず、虎之助は愛らしいぬいぐるみの頭を撫でた。
「平気だ。ありがとうな、クリーム」
「むぅ、それは良かったがこの状況は何やら恥ずかしい」
『良いではありませんか、ぬいぐるみなのですし』
「そうなのだがな」
解せぬ、という様子のクリームを笑い、ひとまず休憩。これを無理なく、意識せずともできるようにならなければならない。
前途は多難、だが明かりも見える。だからこそ進めると、虎之助は笑みを見せるのだった。