第23話 魔法の教師 後半
「姫様、本当によろしいのですか?旦那様と応接室でお待ちにならなくて」
「くどいわよアキト。私の魔法指南役になるかもしれない人物だもの。お父様が面談される前にわたくしが直接その器を確かめるのは当然の権利でしょう?」
正面玄関の前、我が差した日傘の影に身を寄せたフランソワが懐中時計を覗き込む。銀の盤面で重なり合った二本の針は天を指している。間もなく来客を乗せた馬車が到着する刻限だ。
「アキトが魔法を使えれば講師など不要なのだけど、過ぎた贅沢な悩みかしら」
「弁解の余地もございません姫様。某の不徳の極みにございます」
「別に責めてなどいないわ、ないものねだりをしても始まらないもの。それに私たちしか使えない仙気の訓練で十二分に貢献しているの」
我から溢れ出す仙気を呼吸とともに取り込み、健やかに育ったフランソワ。彼女はいつしか、自然界に遍在する仙気エネルギーさえも自らの手足のように操る術を身に着けていた。
日頃から仙気に浸る環境にあったとはいえ、体内に宿る魔力と仙気を完全に等分し、調和させるその技術はまさに天賦の才が成せる業であった。例えるなら一つのティーポットから黄金色の紅茶と、清らかな緑茶を同時に混ざり合うことなく注ぎ分ける芸当。
事実、我には魔法の類が一切使えない。
厳密に言えば、生物が持つ魔力や魔道具の探知は可能だが、魔法を詠唱して発動させることが実現不可能な事象だった。
原因は判然としない。
この世界の外から来た異分子であるためか、あるいは仙術に全リソースを捧げた代償か。はたまた…もっと別の因果が働いているのか、我に知る由もない。
「姫様の才華は某を上回ります。成人を迎える頃には仙術の一つや二つ習得なさるでしょう」
我の言葉に嘘偽りはない。
「本当かしら?アキトは『気づけばできていた』なんて事も無げに言っていたけれど。ある日突然、瞬発的に天啓のように理解してしまうなんて。わたくしに想像もつかない感覚よ」
「自由自在に仙気を御せるだけでも十分に御立派です。そのまま鍛錬を重ねれば、無意識に呼吸をするように自ずと覚えますよ」
そう言って、フランソワに励ましを送る。
彼女も我が歯の浮くような世辞を口にしているのではなく、研ぎ澄まされた感覚が事実を告げているのだと理解しているのだろう。我の確信に裏打ちされた言葉が嬉しかったのか、満足げに彼女の頬が春の蕾がほころぶように柔らかく緩んだ。
その時だった。
石畳を叩く規則正しい蹄の音が大門から轟く。見えてきた陽光を反射して輝く黒塗りの馬車が、円環を滑るように進んで我らの正面でぴたりと止まった。
先に降りた御者が恭しく扉を開いた瞬間、車内から溢れ出した肌を刺すような濃厚で禍々しい魔力の波動。
「姫様、某の後ろに」
「不要よ、アキトは下がりなさい」
護衛として反射的に前へ出ようとした我を、フランソワの凛とした声で制した。
馬車から現れたのは、常人には測り知れぬ深淵をその瞳に宿した一人の女性。夜の闇を物質化したような漆黒のドレス着た女性が、ゆっくりと地に足を下ろした刹那、周囲の魔素が悲鳴を上げて霧散し、あらゆる光を吸い込むような重圧が辺りを支配していく。
紫がかった艶やかな黒髪が風に吹かれて揺らめく。彼女が歩みを進めるたびに、波立つその髪は溢れ出した魔力の余波を受けて怪しく光を弾いている。
「…ほう、面白い。ヴァニシア家には卓越した剣士が存在すると聞いていたが、まさか人ならざる化け物だとは。公爵もなかなか粋な趣味をお持ちで」
女性の双眸がまず我を射抜くと三日月のような、残酷で美しい笑みを浮かべた。声のトーンは耳の奥で直接囁かれる呪文のように甘く、冷たい。
端正な顔立ちの彼女が纏う異様さは、その魔力だけに留まらない。
身体の至る所に付けた装飾品の全てが魔力を帯びた魔道具。耳元で揺れる黒真珠のピアス、胸元に鎮座した呪いを制限する紫水晶のペンデュラム、指に嵌められた大粒の魔宝石には過剰なまでの魔力を強引に封じ込めている。装飾品一つで立派な屋敷が買える値段だろう。
前に出たフランソワが両手を腰に当て、尖った小さな顎を上げて優雅な口調で答える。
「貴方がお父様の招いたご指導を賜る魔法使いかしら?サンチェンス・フォン・ヴァニシア公爵の長女、フランソワ・フォン・ヴァニシアよ!直答を許すわ」
「あら?丁寧な挨拶どうも、小さなお嬢さん。私はエピステミア魔術連盟国所属、第九階席のドミニクス・エイリントン。以後、お見知りおきを」
フランソワの自己紹介に優雅な所作で返答した女性…ドミニクス。だが、瞳の奥で魔力の回路が急速に回転するのが視えた。彼女は一瞬にして見抜いたのだ、五歳のフランソワに魔力と未知の力が黄金の比率で調和しているという、奇跡の証明が。
「なるほどね…公爵が莫大な報酬を積んでまで師事したい理由が判明したわ。この貴女を導けるのは、確かに私以外にはおりませんでしょうね」
ドミニクスは獲物を見定めた蛇のような恍惚とした笑みを浮かべると、ドレスの裾を掴んで流れるような動作で一礼した。指先が動くたび、精緻な銀細工の隙間から魔力が陽炎のように立ち上がる。
「本日から、貴女の内に眠る誰もが魅了するその美しい感味を最高純度の力へと研ぎ澄ますわ。覚悟はできていらっしゃる、小さなお嬢さん?」
「当然よ。わたくしを誰だと思っているの!」
ドミニクスの威圧を真正面から受け流し、不敵に言い放つフランソワ。我は静かに彼女の気配を読み取っていた。
「(この女性、ただの魔法使いではないな)」
エピステミア連盟国は多くの魔法使いが集まって出来た国家。その頂点に君臨するのが、数字を冠した称号を持つ魔法使いたち。階席を与えられた十二人の魔法使いは『魔導師』と称えられ、その実力は小国を一夜にして焦土に変える戦略級の戦力と同義であると周囲の諸国からは恐れられている。
「さて…アキトとか言ったかしら、化け物さん?あなたもそんなに殺気を飛ばさないで。これから嫌というほど長い付き合いになるのだから。ねえ、仲良くしましょう?」
ドミニクスは視線だけ此方に投げると潤んだ瞳で我の輪郭をなぞり、悪戯っぽく唇を舐める。どうやら厄介な相手に目を付けられたようだ。
この出会いが永い関係の始まりになるとは――この時の我は、まだ知る由もなかった。




