第21話 光臨王サンレックス一世
「アキト、ウマになって!」
「絵本読んでアキト!」
「アキト、かるたで遊ぶ!」
女児特有の高音が我の鼓膜に流れ込む。
フランソワが三歳を迎えて数カ月。月での感覚に慣れた我にとって時の流れは一瞬の瞬きに等しい。しかしこれまでの日々は仙術の鍛錬に身を置いていた百年よりも濃厚で、忘れられない体感。
蝶よ花よと育てられ、身も心も成長したフランソワは最早「テトテト」と擬音では収まらないほど元気に城内を駆け回っている。
言語の習得も家庭教師が驚くほど早い。事あるごとに我の裾を引っ張る彼女の語彙の端々には、母親譲りの聡明さと父親譲りの…良くも悪くも人を振り回す強引さが秘められている。
自我が芽生えてなお、彼女の我に対する執着は衰えることを知らない。彼女の近くに控えていないと途端に、その桜のような愛らしい頬は雷雲を詰めたように膨らみ、機嫌を損ねてしまう。
親馬鹿のサンチェンスは「三歳になればパパの凄さがわかるはずだ!」と豪語して贈った特注のサークレットよりも、我が自作したクマのぬいぐるみの方が彼女の好みだったようで、寝床の特等席を占めている。
家臣やメイドたちがサークレットの虚無感に満ちた輝きを憐れみ、床に膝を突く主君の背中にそっと溜息をつく。それはヴァニシア公爵邸において、もはや季節の移ろいと同じくらい必然的な日常となっていた。
滑稽とも言える平和を謳歌する我らであったが、その裏側で王国の情勢は急速に変革を迎えていた。
一年前、王都で執り行われた戴冠式の記憶は未だに我の記憶に焼き付いている。
新国王改め『光臨王サンレックス一世』
長らく空位であった王位の継承を埋めた若き王を、護衛としてサンチェンスと王都まで随行し、式典を遠景から見据えた。
第二王妃の長男として生を受けた彼は熾烈な権力闘争を勝ち残り、並み居る継承者たちを蹴落として玉座へと辿り着いた。サンレックス王という存在を表すなら眉目秀麗に頭脳明晰、民衆を惹きつける柔和な微笑の持ち主。誰もが理想の賢王として疑わぬもの。双眸の奥には陽光を遮断した深淵のような虚無が潜んでいた。
何より仙気で感じ取った新国王を纏う気配は、異質なものだった。まるで…餓えた獣が理性の檻に閉じ込め、想像敵が油断するのをじっと待っているかのような底冷えする、狂気。
「アキト、君にはどう見えた?」
戴冠式の帰り道、馬車の中でサンチェンスが声を潜めて我に尋ねたことがある。
「恐れながら…底が見えぬ器。隙を伺って利権を削ごうと、虎視眈々と狙ってくると愚考します」
月面の修行で世界樹と精神を繋がり四方八方の国の在り方を観察してきた直感を素直に打ち明けた。
「そうか…なるほど」
不敬罪に問われても可笑しくない発言にサンチェンスはただ静かに目を伏せた。
しかし我の予想は奇しくも夢物語として終わらなかった。即位から始まった光臨王の統治はまさに異質で鮮やかな中央権力。サンレックス王は王家の権限を絶対的なものへと拡大すべく、牙を剥き始めた。
王の狙いは明白。ヴァニシア公爵家をはじめ、独自の特権と経済力を保持する高位貴族の弱体化。王家は『王国の法の一本化』を大義名分に、公爵家が有してきた独占特権を剥奪していった。交易の要であった関税や利権は正当な法の手続きという化けの皮を被って、国庫へと吸い上げられていく。
それだけに留まらず、王は第二の矢を放った。
『国民の利便と王国の繁栄』を掲げた大規模な街道の修築や魔道具インフラの整備、さらに他国と接している辺境砦の増強といった巨額の費用を要する公共事業を高位貴族へ依頼…否、厳命したのだ。
人員は王家から派遣されるが費用はすべて貴族の持ち出し。もし断れば王命違背、あるいは民への背信として爵位剥奪の口実を与えてしまう。
民衆の大半は王を神のごとく崇め称え、派閥に組した貴族たちは着々と力を付けていく。
だがサンチェンスという男は、手をこまねいて漫然と収奪を許すほど柔な青年ではない。彼が打った一手は…王室の目が届かぬ広大な大海原、海上貿易の刷新。
惜しみなく投じられた航海技術により建造された大型交易船は新たな海路を切り拓き、南方の列島諸国との取引を爆発的に増大させた。公爵家の懐を潤す黒字が波と共に流れ込み続けたのだ。
さらにサンチェンスは巧妙なやり口でヴァニシア家が秘匿してきた魔道具技術の扱いに改変をもたらした。
王家から派遣された役人たちが、躍起になって魔道具工房を接収せんと目を光らせる中。サンチェンスは大胆にも、現在まで積み上げてきた最先端の魔道具技術を意図的に解体、分割し、各地の信頼置ける寄子の低位貴族たちへと密かに委託したのである。
光臨王サンレックス一世が打ち出した新政権だが、一見華々しく見えたが、その内実は決して順風満帆とは言い難かった。
急進的な改革によって没落した貴族たちの恨み、王座への執着を捨てきれぬ第三王妃派による凶行。他にも多種多様な火種が降り注いだらしいが、しがない剣客に過ぎぬ我の耳には、まさに風に乗って届く断片的な噂話に過ぎない。
場面は現在に移る。公爵邸の空気は以前にも増して瑞々しく、活気に満ちている。
遊び疲れて腕の中でスヤスヤと眠るフランソワの重みを感じながら、我は穏やかな陽光が差し込む回廊を歩いていた。ここ数カ月、公爵邸には福音に満ち溢れていた。
突き当たりにある育児室へと足を運ぶ。魔道具で温度調整された部屋には、生まれたばかりの赤子を慈しむように見守るシェヘラザードの姿があった。
「あら、アキト。フランソワは寝てしまったの?」
「はい。庭園で蝶を追いかけ回し、最後は力尽きました。天晴な戦いぶりでしたよ」
「まぁ!有り余る娘の元気っぷりは誰に似たのかしら?」
我の冗談に、シェヘラザードはクスクスと上品に笑う。眠り姫をシェヘラザードに預けた我はベビーベッドに眠る小さな赤子を一瞥する。
サンチェンスとシェヘラザードの間に生まれた待望の第二子、嫡男のサンフィエット。
「(確か古代語で、太陽と精霊に祝福されし者という意味だったはず)」
一礼して部屋を退いた我は次代の子を守るため、光たちを脅かす全ての嵐を斬り伏せる覚悟を新たにしたのであった。




