お見合いの場で「おまえは好みではない」と言われた令嬢の攻防戦
勢いあまって書いてしまいました。
短編なので世界観の設定とか、いろいろと省略しています。
十七歳になったキャスリンはこれから婚約するかもしれない男性と初顔合わせをする。つまり、お見合いのようなものだ。しかも相手はこのソクラス国の第二王子、アーノルドである。
第二王子は国の経済の先を読む力に長け、国王や兄王子からも一目置かれる存在だ。
ソクラス国の財務状況を担っているのは、まだ二十歳にもならないこの第二王子だとも言われている。そういった賛辞を集めているのに、社交の場には一切姿を現さない。
そのため幻の王子とも呼ばれているのだが、なぜか社交界における彼の評判はよろしくない。
どこどこの令嬢を弄んだだの、どこどこの令嬢を脅しただの、どこどこの令嬢を……と女性に対する変な噂が絶えない男なのだ。
そんな彼と噂になった令嬢に話を聞こうとすれば「あんな男、思い出したくもない」とでも言うかのように口をつぐみ、震え始める。それほどまで拒絶されてしまえば、それ以上の話は聞き出せそうにない。それは彼女たちの心の傷をえぐるような行為に該当する。
だから、彼の悪い噂を払拭してくれるような人物は誰一人いない。いや、このような状況を見せつけられれば、令嬢たちに同情が集まり、アーノルドの悪評は高まるばかり。
いくら頭脳はよくても性格が……という話は社交の場に瞬く間に広がり、彼を擁護する一派と彼を心よく思っていない一派に分かれている。もちろん擁護する派は彼の能力を買っており、よく思っていない派は彼の女癖の悪さを嘆いている。
そんな男性とキャスリンは婚約する、かもしれない。それをかけて、これから顔を合わせるのだ。
キャスリンは北の辺境を治めるセリーナ辺境伯の娘。北の大地に住む彼女の肌は雪のように白い。漆黒の髪は腰まで真っすぐに伸びており、煌々とした太陽の光によって艶やかに輝いている。ふっくらとした唇は愛らしく、宝石を思わせるような碧眼。
レースがふんだんにあしらわれている薄紅色のドレスは、彼女の愛らしさをいっそう際立たせる。
アーノルドが幻の王子と呼ばれているなら、キャスリンだって幻の雪の妖精姫と言われていた。
それは、彼女が北の辺境から滅多に出てこないからだ。社交の場に顔を出したのはキャスリンのデビュタントのときのみ。会場にいた男性は、その愛らしい姿に目を奪われた。
しかし大柄な辺境伯が常にキャスリンの側に張り付いていたため、彼女をダンスに誘えた男はいない。
またそれとなく彼女に求婚する者もいたようだが、その縁談は彼女の父親であるセリーナ辺境伯によって粉々に握り潰されている。
だからセリーナ辺境伯は、娘を溺愛しておりどこにも嫁がせたくないのだという噂も社交界には広がっていた。それも相成って、彼女は幻の雪の妖精姫と呼ばれているのだ。
そんな能力と悪評が高い王子と、幻の雪の妖精姫。
二人の初顔合わせとして選ばれた場所は王城の庭園にある円筒形の屋根が可愛らしい東屋。色とりどりの花に囲まれ爽やかな風を受ければ、自然と話もはずむだろうと、彼らを取り巻く人たちはそう考えたようだ。
「お初にお目にかかります。キャスリン・セリーナでございます」
手本のような完璧な挨拶をこなした彼女を、真っ黒いフードと仮面で顔を覆った男がジロリと睨みつける。仮面から見える紫眼だけが、唯一わかる彼の特徴。こういった華やかな場でありながらも、彼は仮面をとろうとはしない。その仮面の男がアーノルドである。
彼はすでに席についており、白い丸テーブルに肘をついてキャスリンに鋭い視線を向け続ける。
キャスリンは決して時間に遅れたわけではない。だから、このように威嚇される心あたりなどまったくない。となれば、彼はキャスリンの存在そのものが気に食わないのだろう。
仮面越しだというのに、そんな雰囲気をひしひしと感じとった。
「俺がアーノルド・ソクラス。おまえもかわいそうな女だな。俺と婚約、つまり結婚しろと言われたわけだろ?」
もちろん、アーノルドは自己紹介をする間も仮面を外さなかった。素顔を見られては困る理由があるのだろうか。
「かわいそう? わたくしはかわいそうではありませんわ。この縁談を受けたのはわたくしの意思ですから」
小首を傾け、小鳥がさえずるような声でキャスリンはそう言った。
「おまえのような美姫なら、何も俺のところでなくても、他にもいい縁談があるだろう?」
「まぁ、美姫だなんて。お褒めいただきありがとうございます」
「一般的な感想だ。いくら他の男がおまえを美姫だと褒めたたえようが、おまえは俺の好みではない」
アーノルドの言葉に、キャスリンは大きく眼を見開いた。これは彼からの拒絶の言葉である。
「左様でございますか」
「俺と結婚してもいいことなど何もないぞ? 次期国王は兄上だ。兄上が立太子の儀を終えれば、俺は臣下にくだる」
「アーノルド殿下が臣下だなんて、これほど心強いことはございませんね」
またアーノルドはギロリとキャスリンに鋭い視線を向けた。
「おまえは俺と結婚したいのか?」
「それは難しい質問ですね。わたくしはこの縁談を父から聞きました。結婚したいかどうかと聞かれると、結婚そのものに興味はございません」
「だったら、この不毛なお茶会は終了だ」
「ですが、わたくしは殿下に興味がございます。不毛なお茶会に付き合っていただけませんか? まずは席についてもよろしいでしょうか?」
「好きにしろ」
拒絶されなかっただけ、よかったのかもしれない。
「失礼いたします」
キャスリンが白い可愛らしい椅子に座ろうとすると、どこからともなく侍女がやってきて椅子をひいてくれた。ふわふわとしたスカートであるため、介添えしてくれるのは助かる。
侍女は二人の前にお茶とお菓子が並んだスタンドをおいていき、どこかに消えた。
「人払いしてある。俺への暴言を好きなだけ吐くといい」
「まぁ、暴言だなんて。わたくしがアーノルド殿下に暴言を吐く理由はございません」
「今はなくとも、これからあるかもしれないだろう? この縁談、セリーナ辺境伯の狙いは金か?」
アーノルドがそう思っても仕方あるまい。何よりもアーノルドが国庫の実権を握っているのではと、まことしやかに囁かれている。
「いいえ。国のお金には興味はございません。殿下が思っているよりも、我がセリーナ領は潤っておりますの。殿下に嫌われたらセリーナ領の独立を父に進言いたします。それくらいの資産はありますから」
「それは脅しか?」
キャスリンはにっこりと微笑んで白磁のカップに手を伸ばす。
「さぁ、どうでしょう?」
アーノルドが仮面の下で舌打ちをする。
「おまえの狙いはなんなんだ? たいてい、俺が拒絶した時点で他の令嬢は怒って帰っていったというのに。まぁ、それでも俺の顔を見れば、おまえもこの縁談を断りたくなるはずだ」
アーノルドはフードを脱ぎ自身の顔を覆っている仮面に手をかける。フードの下からは、青みのかかった美しい銀色の髪が現れた。これは王族に見られる髪色の特徴。
「アーノルド殿下のお顔を拝見できるのですね?」
「ふん。おまえもこの顔を見たら、どうせ悲鳴を上げて去っていくのだろう?」
仮面の下から現れたアーノルドの素顔。それは、銀色の鱗のようなものによってびっしりと額と頬を覆われていた。
「これでわかったか? 俺と結婚すればこのような男と子作りせねばならない。おまえの役目は俺の血を絶やさず残すこと。お互い、薬を飲み、無理矢理高めあって交わるだけだ。おまえが痛い、やめろと言ってもやめない。俺は獣になっておまえの腹に精を注ぐ。おまえが、孕むまでな」
それでもキャスリンは、何も言わずにアーノルドを真っすぐに見つめている。
「お、おい。そんなに見るな」
慌てて仮面をつけようとするアーノルドの手を、キャスリンはガシッと掴んだ。
「もっとあなたの素顔を見せてください」
「や、やめろ」
恥ずかしげに顔を伏せるアーノルドは、耳の下を真っ赤に染めている。首元まで赤い。
「俺の顔はこんなんだ。だから社交の場にも一切出ない。だが、おまえは若く美しい。着飾って、そういった華やかな場にも出たいだろう?」
若いとアーノルドは口にしたが、アーノルドだってキャスリンとの年はさほど変わりはない。
「いいえ。わたくしも社交の場は苦手です。そういった催し物に参加するより……。あ、申し訳ありません。これ以上は父からとめられておりました」
「だが、これでわかっただろう? こんな醜い俺と美しいおまえでは釣り合わない。おまえの評判を落とすようなものだ」
「殿下はわたくしのことを案じてくださったのですね?」
だから嫌われるような醜い言葉をわざと口にしたのだろう。
顔をもっとよく見せてくださいと、キャスリンはアーノルドの顔をのぞき込む。
「や、やめろ。こんな醜い姿は見せたくない」
「わたくしは殿下を醜いだなんて、一言も申しておりません。それは殿下がご自分でそう思っていらっしゃるだけでは?」
キャスリンは絹の手袋を外し、素手でアーノルドの頬をなで始める。ざらりとした感触が指の先から伝わってくる。これは、鱗のようなものではなく鱗そのものだ。
「これは、神竜の力によるものですね? 父が言っていたとおりです。さすがアーノルド殿下。神竜に愛されていますね」
その言葉でアーノルドの表情が少し和らいだ。
「な、なんだと? これは、皮膚病ではないのか?」
「えぇ、違います。これはソクラス国を昔から守護している神竜の力によるものです」
ソクラス国は神竜を信仰している。神竜とは竜族の中でも上位に位置する竜。他には天竜や魔竜などと呼ばれる竜も存在し、それぞれどこかの国の信仰対象となっている。
「そんなこと、誰も言わなかった。俺が十歳になったとき、突然、顔がこのような鱗で覆われた。医師は、何かの皮膚病だろうと」
「そうですね。医師からみれば皮膚病に見えるでしょう。ですが、わずかに神竜の力を感じます。ですからこれは、神竜の力によるもの。殿下がその力をご自分のものにされたときには、この鱗も吸収されます」
「治るのか?」
「治るという表現は的確ではございません。消えるもしくは吸収されるといったほうが正しいかと」
キャスリンはアーノルドの頬をゆっくりと愛でるように触れる。
「おまえに触れられると、痛みがやわらぐ感じがする」
紫眼が気持ちよさそうに細められた。
「やはり、痛むのですね?」
「あぁ、たまにな」
「医師は痛み止めの薬を処方していた、で間違いありませんね? この部分に塗り薬などは?」
「塗り薬はないと言われた。我慢できないほど痛むときだけ薬を飲むように言われていたから、恐らくそれが痛み止めなのだろう」
アーノルドのほうから、キャスリンの手に触れてきた。そしてもっと頬をなでるようにと誘ってくる。
「おまえの指、思っていたよりも硬いな」
「殿下。そういうことは心の中で思っても口に出してはなりません」
「す、すまない」
先ほどまでのアーノルドは、キャスリンを威嚇する番犬のようだったのに、今ではすっかりと懐いた小型犬に見える。
「どうかわたくしを殿下の側においていただけないでしょうか? わたくしの顔が好みでないと言うのであれば、寝所を共にする必要はございません。社交の場に出るなと言うならわたくしも出ません。必要なときだけ、お側に呼んでくだされば」
アーノルドは困ったように眉尻を下げた。
「すまない。おまえには気を遣わせているな。好みではない、というのは、まぁ、そういうことだ。いや、だが、顔や姿よりも大事なものがある」
そういうことがどういうことか、キャスリンは気になった。
本当に好みではない。もしくは、嫌われるためにわざとそう言った。
だが、アーノルドの反応を見れば、これは恐らく前者だ。
彼はキャスリンの見た目を好んでいないというのは紛れもない事実。予想外の答えではあるが、結果としてはキャスリンが望む方向に向かうだろう。
あとは、どこで押して引くかが問題だ。
「それよりも、おまえはなぜそのようなことを知っている?」
「そのようなこと?」
キャスリンは小首を傾げる。
「神竜のことだ」
「あぁ、そのことですね。昔から竜には巫女と呼ばれる世話人がついております。その巫女の血を引くのがセリーナ辺境伯とされておりまして。なにやら初代の巫女が当時の辺境伯と恋に落ちたとか、そんな言い伝えがあるのです。昔々の話ではございますが」
「つまり、おまえがその巫女の血を引くと?」
どうでしょう? とキャスリンは曖昧に返事をした。それは好みではないと言われた仕返しのつもりでもある。
突然、その場に一人の騎士が飛び込んできた。身にまとう騎士服から判断するに、セリーナ領の騎士だとわかる。
いくら人払いをしているとはいえ、有事の際はまた別。
「何事だ」
腹から響くような声でそう尋ねたのはキャスリンだった。
「お嬢。古竜です」
膝をつき頭を垂れる騎士は、端的に報告した。
「古竜だと? まさかこれほど早く現れるとは思ってもいなかった」
答えたのはもちろんキャスリンだ。
「どういうことだ?」
慌てたアーノルドが問う。彼はいつの間にか仮面をつけていた。よっぽどあの顔を他人には見られたくないらしい。
「殿下がわたくしと子作りするとかおっしゃるからですよ。ただでさえ神竜の目覚めは古竜にとっては敵のような存在だというのに。神竜が巫女と交われば、古竜にとってはさらなる脅威になるのです」
そこでキャスリンは騎士に顔を向ける。
「おまえは殿下をお守りしろ。私の弓を寄越せ」
駆け付けた騎士は、キャスリンの行動を読んでいたかのようにすぐに弓を手渡す。
「いや、ちょっと待て。あ、おい……」
キャスリンの変貌ぶりを、アーノルドはしっかりと目にしていた。
彼女は、黒くて艶やかな髪を頭のてっぺんで乱雑に一つに結わえ、薄紅色のドレスを翻しながら弓を構える。
今までの可憐な姿とは異なり、勇ましさがあふれる佇まいだ。
――ギャオォー!!
変な叫び声に釣られてアーノルドが空を見上げれば、大きな鳥のような、羽ばたく黒い何かがいる。
キャスリンが天に向かって弓を力強く引き、矢は空に放たれた。真っすぐに飛んでいく矢は、その飛翔する黒い塊の翼に見事命中する。
バランスを崩した黒い塊は、地面に向かって落ちてきた。さらにキャスリンはそれに向かって矢を放つ。
――ドサッ。
途中からは重力に従って落ちてきた黒いものは、地面に叩きつけられた。
「父上はどこに?」
「はい。陛下に謁見しておりましたが、すぐにこちらに向かうとのこと」
「遅い。父上もとうとう耄碌したな」
キャスリンは振り返り、アーノルドを見やる。
「殿下。お怪我はありませんか?」
「あ、あぁ」
アーノルドは呆けたような顔をしながら、キャスリンから視線を離さない。
「えぇと。では、アーノルド殿下。わたくしは殿下のお眼鏡にかなわなかったということで……この縁談はなかったことでよろしいですよね。そして、今見たことはお忘れください。お願いですから、絶対に父には言わないでください……それでは、失礼します」
古竜がすぐに姿を見せたのは予想外ではあったが、縁談を切り上げるタイミングとしてはよかったのかもしれない。
一つに結わえた髪をさっとほどき、先ほどまでの幻の雪の妖精姫のキャスリンが姿を現す。
「いや、あ、おい。ちょっと待て」
アーノルドは慌てて立ち上がり、逃げ去る彼女の腕を掴まえた。
「で、殿下……?」
「あ、いや……縁談の件だが、なかったことにはさせたくない」
彼は番犬と小型犬が混じったような瞳で、キャスリンを見下ろしてくる。
「ですが、殿下はわたくしを好みではないと、そう、おっしゃいましたよね?」
「あぁ。幻の雪の妖精姫のキャスリン・セリーナは好みではない。今のおまえの話し方も好きではない」
アーノルドはキャスリンを好みではない、好きではないと、はっきりと口にしているというのに、縁談をなかったことにしたくないというのは、いったいどういうことか。
「……だが、先ほどのおまえの姿は美しい」
「う、美しい……ですか?」
今まで、キャスリンに向かってそのような言葉をかけてきた男性はいない。
「あぁ。古竜に矢を向けたあの凛々しい姿。惚れた」
「ほ……惚れた?」
もちろん、好きだの惚れた腫れただの言われたのも初めてだ。
「できれば、話し方も……先ほどのような、くだけ話し方のほうが好みだ」
そこまで言われてしまえば、今度はキャスリンが顔を赤くする番だった。
「お嬢。古竜は我々で回収いたしますので、どうぞお見合いの続きを」
空気を読んだ騎士は、さっとその場を立ち去った。
「おまえの騎士はなかなか気が利くな。では、不毛な茶会の続きをしようではないか?」
「え、と……殿下?」
「俺のことはアーノルドでいい。俺もおまえをキャスリンと呼ぶ。いや、キャスと呼んでもいいか?」
それは家族が使うキャスリンの愛称だ。
「申し訳ございません。わたくしには何が何やらさっぱりと理解ができません」
「その話し方だ。それは嫌いだ」
仮面の向こう側から、アーノルドは睨みつけてきた。
「ですが、人前に出るときは猫を十匹かぶるようにと父から言われまして……」
「なるほど。幻の雪の妖精姫は、キャスが猫を十匹かぶった姿だったということか」
アーノルドの言葉は正しい。
本来のキャスリンの姿は、漆黒の髪を一つに結わえ、馬に乗って弓を射るような女性だ。言葉づかいも淑女とは言えないようなもの。これは父親と二つ年上の兄の影響が大きい。だから母親は嘆いていたのだ。
さすがにそのままの姿で社交の場には連れ出せないと思ったセリーナ辺境伯、及び辺境伯夫人は、立ち居振る舞いや言葉づかいを直すようにとしつこいくらいに叩き込んだ。
その結果、できあがったのは妖精姫と呼ばれるキャスリンだ。
彼女が社交の場に出ないのは、いつボロが出てしまうかと両親がひやひやしているためでもある。
デビュタント時にぴったりと父親がキャスリンに張り付いていたのもそれが理由だった。
だが、今回アーノルドとの縁談をセリーナ辺境伯が持ってきたのは、国王からの打診というのもあったが、アーノルド自身も社交の場に顔を出さないという理由が大きかった。
また、国王からアーノルドの身の話を聞いた辺境伯は、彼と神竜の関係を疑っていた。となれば、巫女の血を引くキャスリンは彼の相手に相応しいだろう。
やっと彼女に相応しい相手が見つかった。辺境伯と夫人は手を取り合って喜んだ。
それでも問題はあった。
キャスリンの性格だ。
いつものキャスリンのままアーノルドと会ったら、絶対にドン引きされる。だから絶対に淑女のように振舞うようにと、両親からはきつく強くしつこく言われたのだ。
「キャス、俺に気を遣う必要はない。不敬とは言わない。何よりも俺たちは恋人同士、いや婚約者同士」
「いや、まだ婚約していないが……あ、申し訳ありません」
こうやって意識しなければ、ついつい素のキャスリンが出てしまう。
「だから、言っただろ。俺に気を遣う必要はない。猫を十匹かぶる必要はない。全部脱いでくれ」
「全部脱げって……エロ魔人か!」
「はははは。やはりおまえは面白いな」
そうやってなんとか話が盛り上がろうとしていたところに慌てて駆け付けてきたのは大柄な男、セリーナ辺境伯だった。キャスリンは父親似なのだろう。黒い髪に碧眼は二人の共通点だ。
「殿下! 古竜が現れたと聞きましたが、ご無事ですか」
ドシドシと足音を響かせるような走り方で大男が東屋へと近づいてくる。
「セリーナ辺境伯か。久しいな。以前、会ったのは……」
「えぇ。もう忘却の彼方で覚えておりませんが……ご無事で何より……」
「父上も年を取って、耄碌したものだな。このようなことになることなど、わかっていただろうが」
キャスリンが低い声で言えば、驚いた父親が目を丸くした。
「きゃ、きゃ、キャスリン……殿下の前ではあれほど振舞い方、いや言葉遣いに気をつけろと……」
わなわなと震えている。それによって東屋まで共振するのではないかと思えるほど、震えている。
「父上。もう殿下はすべてを知っている。私が今まで猫を十匹かぶっていたのもバレバレだ」
「殿下、娘の非礼をお詫び申し上げます」
辺境伯はいきなり地面に膝をついて腰を折れば、頭を地面すれすれまで下げる。
「いや。気にするな。俺がキャスに許可を出した。な?」
そこでアーノルドはキャスリンの腰に手をまわし、抱き寄せた。
「むやみに触れるな、このエロ魔人」
キャスリンは、アーノルドの手をパサリと叩き落す。
「なんだ? 先ほどはおまえのほうからこうやって俺に触れてきただろう?」
キャスリンの手をとったアーノルドは、その手を愛おしそうに自らの頬に近づける。
「な、なるほど? お二人の関係はそこまで進展したと……では、この縁談は……」
「あぁ。俺はキャスリンを妻にする」
「承知しました。では陛下にはそのようにお伝えいたします」
すっと立ち上がった辺境伯は、またドタドタと慌てて走り去っていく。
「おい。待て、私は返事をしていない……」
去り行く父の背にキャスリンは声をかけてみたが、もちろんその声は届かない。
「どうした? キャス。先ほどはおまえのほうから、俺の側に置いてほしいと言っていたではないか」
「それは……これを知られる前の話だからだ。あれで断られたら、破断になったとしても父上から怒られないと思ったからな」
ふんっと鼻息荒く答えたキャスリンは、渇いた喉を潤すために白磁のカップに手を伸ばす。冷め切ったお茶は、舌の上に渋みが残った。
「なんだ? あまり見るな」
キャスリンの所作の一つ一つを見逃さないとでもいうかのように、アーノルドは熱い視線を向けてくる。
「髪、結ばないのか?」
「ん?」
「俺は、先ほどの髪型のほうが好きだ。それに、お茶を飲むのにも邪魔だろう? よし、俺が結わえてやる」
先ほどキャスリンが使ったリボンを目ざとく見つけたアーノルドは、彼女の背後に立つと、黒くて滑らかな髪に触れる。
そして慣れた手つきで、手櫛で髪を整え、一つに縛り上げてしまった。
「おまえ……気持ち悪いくらいに器用だな」
「なるほど。キャスは不器用なんだな。だから、さきほどはぼさぼさに結わえていたのか」
図星だ。
「こんな不器用な女を側に置いても、おまえになんのメリットもないだろう? それに、神竜と巫女がそろえば、また古竜が攻撃を仕掛けてくるかもしれん」
「それがわかっていれば、こちらにだって対処のしようがあるだろう。それに、キャスが側にいれば安心だ」
ん? と、キャスリンは片眉を上げる。
「古竜がやってきたとしても、キャスが先ほどのように弓で射抜いてくれるのだろう?」
それはキャスリンを信頼していると、遠回しに言っているようなもの。
「キャスリン・セリーナ。どうかアーノルド・ソクラスと結婚していただけませんか?」
いきなり手をとり、そのようなことを真顔で言う彼は卑怯だろう。
甘い言葉をささやかれたこともないキャスリンにとっては、顔から火が出る思いだ。
「お、おまえ……卑怯だぞ」
「どこがだ」
「私を好みではないと言ってみたり、惚れたとか言ってみたり。挙句、ここで求婚か?」
「けじめはきっちりとつけるべきだろう?」
「そうかもしれないが……」
それ以上言葉が続かず、キャスリンはどうしたものかと考える。
まさか、この縁談が整うとは思ってもいなかった。相手に寄り添ったのに振られた、という展開を思い描いていたのだ。
これは今までのアーノルドの悪評を聞けば、どんなに寄り添ってもぼろくそに捨てられるだろうと思っていたのに。
まさか、素のキャスリンを好きだと口にするとは予想外だった。
「どうせ、キャスもいつかは結婚しなければならないのだろう?」
アーノルドの言葉は否定できない。両親は、最悪の場合は、辺境伯領の騎士らから相手を探そうとしていた。彼らであれば、キャスリンの素を知っているからだ。それを知ったうえで「お嬢様、お嬢様」「お嬢、お嬢」と慕ってくれている。
そんな彼らと目の前のアーノルド。
「社交の場には出なくてもいいのだな?」
「なんだ? それは結婚に対する条件か? そうだな。俺の顔がこれだからな。夫をおいて妻だけ社交の場に出たとなれば、変な噂が立つ。だから、そういうところに俺を置いていくことは許さない」
つまり、出なくていいと遠回しに言っている。こうやっていちいち遠回しに言うところは、素直でない男だ。
「おまえの前ではこのままの私でいいのだな?」
「ああ。むしろ猫を十匹かぶられたほうが、気持ち悪くて仕方ない。鳥肌ものだ」
「おまえの女の趣味を疑いたくなるな」
だから今まで会った女性は、彼の好みではなかったのだろう。社交界で名を聞くような彼女らは、キャスリンとはいろんな意味で真逆の女性たちだ。
「キャスだって人のことを言えないだろう? 俺の醜い顔を見ても、平気な顔をしている」
そこでもう一度、アーノルドは仮面を外した。
「それは、神竜の力によるものだとわかっているからな。巫女が浄化すれば、その力が吸収されると言われている」
「ほら、やはりキャスは俺の運命の女性ではないか」
言ってからしまったと思ったキャスリンだが、もう遅い。
「あきらめろ、キャス。俺はおまえを手放す気はない」
「普段の私のままでいいと言うのであれば、私もおまえを受け入れよう。いや、受け入れるしかないようだな……」
キャスリンはとうとう諦めた。だが、それだって悪い気はしていないのだ。素直でないところはキャスリンも同じだった。
「だが、キャス。人前に出るときは猫を十匹かぶってもらうぞ?」
「それだと話が違うだろ?」
「俺は嫉妬深いんだ。本当のおまえを知るのは俺だけでいい」
そう言った彼は、すばやくキャスリンを抱き寄せ、頬に唇を寄せた。
「……?!」
何をされたのかわからないキャスリンは、驚きの目でアーノルドを見つめたのだった。
【おわり】
このあと二人は、古竜からの襲撃を受けながらも無事に婚約する予定。
そして顔の鱗が消えたアーノルドはもちろんそれなりの美丈夫だった。←だけど、この顔を見て「おまえのその顔は好みではない」とキャスリンに仕返しされる。というオチ。
そんでもって、神竜の力を手にいれたアーノルドは、二人の幸せな新婚生活のために、古竜が巣くう場所へと乗り込む……かもしれない。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
☆を押しての応援やブクマしていただけると喜びます。