第84話「撃ってくるがいい」
光が視界を塗りつぶして暫くしてから頭を振ったと同時に、鼻に突く刺激臭にも似た腐敗臭を感じる。
それに思わず瞳を開けて、視界に入ってくるのは私の血に汚れた服と足。自然と顔を俯けてしまっていたらしい。そしてアルベヌの手の肌だろう肌色の床。さっきの空間の時と同じ体勢。
顔を動かして上を見上げれば、アルベヌはすでに顔を上げて私の後ろ側を見ているようだった。
「ほう? お前がすでに来ていたか。イレイン」
「っ! 陛下! ご無事で!?」
アルベヌの上げた声に、イレインさんの安否を確認する言葉が返される。
私もそちらを見れば、こちらを振り返っている形で少し先に立っているイレインさんと、その向こう側でこちらを呆然と見つめるフェレノラの姿があった。
どうも、少し時間は進んでいたらしいがそこまで酷い進みではなかったようで、少し安心する。戻ってこれたことに私が安堵の息を吐いたところで、私の身体に重力が思いっきり掛かって、視界が一気に高くなった。
歩く動きには慣れてきたけど、彼が立ち上がる時に生まれるこの上昇の感覚には慣れる気がまったくしない……私が頭を押さえれば、後ろから慣れ親しんできた重みが背を擦るように触れてくる。
「我とフォノはこの通り無事だ」
「は……あぁもう、何事かと思ったではないですか。合流に来たら天属性の魔力が爆発的に膨れ上がったのでそっちに向かったはいいものの。妙な揺れる光に包まれた、同様に光る水色っぽい柱が立ってて貴方の……いえ、貴方たちの姿はない。
目の前にいたこの娘っ子が出て来いとか叫んでこの柱を攻撃しださなかったら、私はしばらく放置を決め込んでいましたよ?」
「ほぉ? それからどの程度経った?」
「そんなに時間は過ぎてませんよ。数分にもなりません」
「……ククッ、なるほど。我らは結構あの中で過ごしていたように思うが……さすが、お前のための聖域だ。お前の望むタイミングに帰ってきたということだな? なぁフォノカ」
イレインさんのの言葉にアルベヌが少し思案をしながら愉しげに言葉を紡ぎ、私の頭をつついてくる。
アルベヌを見上げてからイレインさんを見て、私が肩を竦める様子を見たイレインさんが首を傾ける中で。
「嘘でしょ……この短時間でなんで魔王が復活してんの……? 散々痛めつけて、フラフラだったのに……!」
フェレノラの愕然とした声に、二人の雰囲気がピリ付いた。私も、唇を引き結んでそちらを見つめる。
彼女は信じられないものを見る目でアルベヌをただ注視して、ケガが本当に治っていると悟ったんだろう。私をギッと睨み付けてきたようだった。
「信じられない……! 天属性が、闇属性を助けるなんて……!」
「信じようが信じまいが。結果は目の前にあるぞ小娘。先ほどはあまり相対したことのない魔力故に後れを取ったが……次はない」
アルベヌが私を触っていた手を自身の顔の横に持っていき、バキリといつかのように音を鳴らした。実際、腹立たしいとか言ってたし。内心で相当怒っていたのかもしれない。
その様子にフェレノラがたじろいだ。さすがに五体満足の上に大柄な美丈夫の怒った姿は怖いものがあるらしい。普段なら可哀想にとか思うところだが、私もこの子には思うところがあるのでそのまま彼女を見つめるだけに留めていた。
「ボクも何とか逸らすのが精一杯だったから、戻ってきてくれて助かりましたよ陛下。ずっと続いてたら危なかったかもで。
借り物とはいえ、なんてったって天属性の魔力。相手にしたことない上、しかも質は一番の属性だから力負けするんですよねぇ」
「ハッ。受け流せているなら上等ではないか。我はコレの前で無様を晒されたのだ……あぁまったく。己が情けない」
イレインさんの軽口のような現状報告にアルベヌが私を乗せた手を軽くイレインさんに向かってゆらりと揺らして見せる。その動きに思わず彼の手のひらに両手をついてバランスを取りながら彼を見上げるが、彼は冷えた瞳でフェレノラを見つめているだけのようだった。苛立ちどころか雰囲気からして激怒のようである。
思わずひぇ、と声を上げてしまったが仕方ないと思ってほしい。小さいからこそ大きい生き物の表に出ている負の感情は、どうも威圧感やら何やらを叩きつけてきているような気分になってくるのだ。たとえそれが私に向いているものでないとしても。
そんな中で、ガランと何かが転がる音。そちらを見れば、フェレノラが両手に魔道具を持っていた。今まで片手に握っていた杖が床に転がっているのを見て、何をと思ったところで、目を見開く。
両手に持たれている魔道具から出ている魔力が、彼女の前で大きな塊になりつつある。周りに飛んでいる燐光もそれに巻き込まれているというか、吸収されているように見えた。
「情けないなら情けないままでいればよかったのよ……! 天属性と、闇の属性なら、天属性が勝つのは決まってるんだから……!!」
「おっとぉ。こりゃちょっとボクにはきついかも……!」
「一気に終わらせようという腹か。先ほど言ったはずだがな……次はないと」
焦燥に顔を染めたフェレノラの向こうにあった魔道具は、もうない。つまり、両手に持つあれらが最後の魔力をためた魔道具。
天属性の魔力を一気に使った攻撃を仕掛けて、アルベヌたちを倒そうとしているんだと理解したのはさすがに私だけではないようで、イレインさんが少し困ったような声を上げた。
アルベヌもそれを見てだろう。冷たい声色でも呆れを混ぜた言葉を吐き捨てた後に、ゆっくりと。イレインさんの前に行くように歩んだ。
「陛下!?」
「お前では無理なら我が行くしかなかろう? それにこちらには、かの存在のお気に入りもいるからな」
「はい……? お気に入り……?」
アルベヌの言葉に唐突に何言いだしてんだと言いたげなイレインさんの声が呟かれるが、そりゃそうもなる。私も渋面を作った。いや私のことなのはわかるんだけど、唐突にお気に入りとか言われましてもね? ……いやほんと、私も訳が分からないよ。
「……さて小娘……お前のそのとっておきらしい一撃。あえて受けてやろうではないか」
私が思わず遠い目をしている中、アルベヌがフェレノラに言葉を投げ、指を鳴らす。
瞬間、今までのとは違う防御膜が周りに形成されていた。普段は薄黄色っぽい半透明のシャボン玉みたいな膜のような物なのに。
今回は黒い色の、向こうがかろうじて見えるくらいの鱗のような。そんなもので作られた球体のようだった。
「今しがた作り上げた我の最高クラスの防御魔法だ。即席だが効力の保証はしよう。なにせ我の魔力を半分はつぎ込んでいる。故に、我はこれしか使わん。撃ってくるがいい」
アルベヌの言葉に、私とイレインさんがぎょっとして彼を見上げたり見つめたりするのも仕方ないだろう。
攻撃はせずに防御だけで勝ってやると豪語しているその姿に、イレインさんが思わずアルベヌの肩を後ろから掴んでいた。私の身体もその動きで揺られるものの、魔法を構築してから戻ってきたアルベヌの片手に支えられて落下するようなことはなかった。
「ちょっと! それならボクが腕犠牲にしてでも止めてますからその隙に――」
「――っ、こ、まで……!」
イレインさんの言葉を遮るように響いた、怒りに震える声。そちらを私がそろりと振り返れば、見えにくいがフェレノラが顔を怒りに染めてアルベヌを睨み付けているような姿が目に入った。
美人の怒り顔は怖いというが、エルレの血が混ざってるだけあってなかなかどうして、その通りのようである。防御膜で見えにくいからというのもあるかもだけど、私の目には怖い。
よく分かんないけど、アルベヌが作り上げたこの防御膜はたぶん闇属性で向こうが使おうとしてる魔法の属性は天属性。属性の相性とかがもしあるのなら、そうなってくると流石に防御だけは……と私が思ってアルベヌに口を開こうとした矢先に。
「どこまでもバカにして……! 吹き飛んじゃいなさいッ!!」
フェレノラの怒声と同時に、魔力球が勢いよく投げつけられて、防御膜とそれがぶつかった。ギャリガリとすごく嫌な音を立てて削り合っているようで、私は思わず両耳を塞いでアルベヌの手の上で身を丸くする。
「ッ! 陛下!!」
「――……ふむ……」
丸められた私の背を彼が指先で撫でてきた。音はうるさいが顔を上げて彼を見上げれば、イレインさんがアルベヌの前に身を盾にするように立ち位置を無理に変えてくるのも気にせず。一点をジッと見つめ続けている様子で。
そちらを私が見れば、魔力球も結界も、いまだどちらも互角というかのように反発しあっているような。そんな様子を見つめているらしかった。
「……あぁ、やはりそうか」
彼が何かを悟ったように呟いたと同時に、ミシ、ピシと黒い鱗状の壁に亀裂が入りだす。
イレインさんが短剣を構え直し、そんな彼を見た後でアルベヌは私をゆっくりと見下ろしてきた。
「……フォノカ。あれには何も感じるものはないのか」
「え」
「これは、純粋な天属性の魔力だ。アレの魔力は混ざっていない」
言われる言葉に、何を言い出してるのかと思うが、亀裂から球と同色の燐光がひとつ入って、ふわりと傍に飛んでくるのを見て。それが私にくっついて、溶け消える。
呼ばれてる感じはない。魔法として行使されてるからだろうか。でも、ひとつ。思い出したことがある。
ちょっと習ったことと現状は違うが、チェルルさんに教わった、特殊な魔力の扱い方。
空気中の魔力。自分のものでは無い魔力にも、自分の魔力を混ぜる必要があること。
行使中の魔法を、乗っ取られたりすることがないように。
でも、アルベヌは今こう言った。
この魔法に、フェレノラの魔力は無いと。
私が目を見開いて、彼を見上げる。彼は私を見下ろしていた瞳を、ゆるりと静かに細めた。
「許す。好きに動け」
彼の言葉に私は何を望まれてるか理解はするも、やり方がよく分からない。口を開こうとしたところで、ピシッとまたヒビが入る音にそちらを眺めた。防御膜に亀裂が広がっているのが見えて。
あまり時間もなさそうに感じた。