第54話 「弱点……?」
普段よりも勢いよく迫ってくる手に思わず身を震わせた私が目に映ったか、手がビタリと止まる。
私が見ている中、少し戸惑ったように中空で揺れた大きな手が今度はゆっくりと傍に寄って。私の身体に指先を伸ばして触れてきた。手の向こうにあるアルベヌの顔を見上げれば、少し不機嫌そうな色の瞳がこちらを見下ろしているのが視界に映る。
「……小鳥、先程の続きだ」
あぁ、はい。
言われた言葉にそう言えばまだ実践中……? だったな、と思って頭の中で思わず返事を返してしまう。持っていた空のカップを台座に置いて、それを見た彼が私の身体を柔く握りこんで持ち上げた。
おそらく彼のカップにまたお茶か、カップを温めるためのお湯か。どちらかが注がれているのか水音が聞こえる。そんな音を聴きながらも、私は彼の手のひらに座らせられてまた撫で回され始めた。今度は羽根を中心的に触られて、まだ慣れきらない感覚に身じろぐと上から押さえつけられる。
「すまんな。先程解消されたはずの苛立ちが戻ってきた……また触らせてもらうぞ」
声量的にボソリとした感じで呟かれた言葉に、お好きにどうぞ、と嘆息混じりの吐息をこっそりと零して力を抜いて身を任せることにした。せっかく機嫌は回復してたのに……それを感知したらしい私を包む手が、内に捕らえている小さな身体を咀嚼するかのように緩急をつけて揉み始める。
身体全体を揉みしだかれて、流れるように被さってる手が移動して両翼を纏めて片手で束ねられて揉まれ。放されたと思ったらゆるく開かれているんだろう指を背中と羽根をかすめるように、なぞるように滑らせてくる。ゾワゾワする感覚に変な声が出そうになるが唇を噛んで耐えた。
待って撫で方! これはイレインさんよりタチ悪い気がする!!
抗議の意を示すように羽根で背中にある指を打ち据えるも、大して痛くもなんともないようで。彼からすれば私から触れてきたような感覚なのか、その羽根をまた捕まえては指先を羽毛に埋めてとしてくるような感触がやってくる。
声を上げれないので視線を私を撫で回す彼に向ければ、嗜虐心を隠す気もない瞳で見下ろされていて。視線が合ったのを理解したらしいその瞳が愉しげにうっそりと細められた。この人はもう!
思わず声を出しかけたところで、大きなふたつの指先が両頬を挟むように摘んでくる。
「〜〜〜っ!」
「良い反応をするな……? あぁ心地よいのか? ん?」
ムニムニと絶妙な力加減で顔を揉まれて、睨むしか出来ない私にからかうような声を投げてくるアルベヌの姿を見て。私がもう少しこちらも考えて欲しい、と抗議するように羽根をバサバサと今まで以上に暴れさせれば鱗粉が舞い散った。思わぬ動きだったのか手が離されて、その大きな目が1度瞬くも。すぐにまた私を妖しく見下ろして、その顔をゆっくりと寄せてきた。
「なんだ、魔力まで馳走してくれるのか? ……良い子だなぁ?」
愉しそうに喉奥で笑いを零しつつ片翼を摘まむ彼にそのまま軽く引っ張られ、上から軽く羽根が甘噛みされる。強弱をつけて羽根の関節部をしばらくやわやわと噛まれるような感触のあとに、ぬぢゅ、と粘着質で奇妙な音が響いた。柔らな羽毛に舌が差し込まれ這わされている。彼がふざけて食べる真似をしていると理解すると同時に、ひと際強いゾワリとした感触。痛い、とかじゃない。背筋がこう、何とも言えない違和感と不快感。いや何これわからないからこそ怖いんだけど。
「――……り」
なんかヤダ。やめさせたい。羽根から離したい。羽根。コレそういえば魔力が実体化させてるって言ってた。操作したら消せる? 前みたいに実体ない感じにできるんだろうか。
「――……とり? ……フォノカっ!」
「っ!?」
近すぎる位置で聞こえた声に思わず息を呑んで弾かれたようにそちらを見れば、すごく近い位置にアルベヌの顔があった。先ほど羽根を噛まれていたからまぁ当然。
私が反応したことを察したか、ゆるりと顔が少しばかり離れていく。眉根が寄せられた懸念の顔を浮かべる彼を見上げ、相当意識というか思考が飛んでたんだなと理解した。ごめんなさい。
さっき感じた感覚は嘘みたいに引いてるけど、実体化している羽根の湿り気を感知すると少し落ち着かなかった。舐められたりするのは割と慣れてきているはずなのになんで、と自分でも不思議に感じる。
「……調子に乗りすぎたか。痛かったか? 怖かったか?」
「……――」
囁くような声量で問われるそれに瞳を瞬かせ。もう手を離されていて自由になった羽根を見て動かせば、湿っているところ以外からはまた鱗粉が燐光として舞った。
何となく彼を見上げ直して、私ですらよく分かっていないのだと眺めていて気付いたのか。指先が私の頭に伸ばされて数度撫でられる。
「今までと違う反応だったぞ。顔色も少し悪くなってしまったな……怖がらせた、というところか」
アルベヌが申し訳なさそうに言葉を紡いで私を宥めようと頭や背中を撫でる。羽根には触れようとしてこなかったのがありがたい。微妙に湿っているところにあの感覚が残っているから。
なんか身体が固まって動き難い感覚を感じる。少し震える手で顔に触れてきた指先に触ると、かすかな震えを感知したのか大きな顔の眉根が先ほど以上に寄せられた。
「……なん、かね……噛まれるのは、平気だったけど……羽根に舌、いれたよね」
「っ! ああ、嫌だったか?」
私の声がやっと聞こえたことに安堵したのか、少し表情が崩れた。そのまま問われたことに私は顔に触れてくる指先に頭を預けるようにしながら少し視線をさまよわせ、あまりいい気分のする言葉ではないだろうなと思いつつも彼に視線を戻して。そのまま口を動かす。
「なんというか……気持ち悪い……? 不快感みたいな……やめてほしいって気持ちだけがすごくて」
「不快感? ……っ、あぁ、なるほど。そういうことか……恐ろしかったな。すまん」
私の言葉に少し考える素振りをしたアルベヌが、やがてハッとしたように私の羽根をほんの少し注視した後に謝罪を投げてくる。
何かに気づいたらしいアルベヌに私がひたすら視線を向けていれば、彼は自身が舐めて湿らせた私の羽根の部位を指先で擦るように撫でる。
舐められるよりはマシだがあのゾワリとした感覚はやってくる。私が身を震わせたのを見れば、彼は瞳を僅かに伏せるように細めた。
「小妖精は自然の魔力そのものが凝り固まった存在。そう言ったな?」
確認するような言葉に、私が首を動かして是を示す。彼もそれに返事をするかのように一度瞳を閉じ切ってからまた開いて見せた。
羽根から手が離され、私の身体を労わろうとするかのように頭から背中を指先が滑って撫で始められる。
「お前の魔力量はおそらくその種の中では随一だ。故に、体全体に他の奴より魔力が多く循環されている。それゆえに……弱点にもなる」
「弱点……?」
「あぁ。魔力の循環を阻害されれば間違いなくお前は死にやすい上、魔力にのみ作用する毒などの薬を使用されても危険だ。魔力が多ければ多いほど効果は上がるからな」
魔力にのみ作用する毒って何それ怖すぎない? 解毒できるの?
思わず声を小さくこぼしてしまった私に応えた彼の言葉に、少し気持ちが落ち着いてきたからか。脳内でツッコめる余裕はできてきた。私のそんな様子に気づいているのかいないのか、後ろを撫でる指の動きは止まらなかった。
「魔力は髪や体毛など、柔らなものに大量に蓄積されやすい。お前の髪は短いからな……その分、背中のその立派な翼に魔力がほぼ詰まっているんだろう。お前のそれは、今はもう羽先まで実体化しているからな」
魔力ってどの世界でも髪に貯まりやすいものなのか。私の世界でもよく魔法使いが髪の毛を対価に寄越せとか言うお話はあったな、と変な方向に思考が飛んでしまう。
「考えなしに触り、先ほどに至ってはふざけて食んでしまっていたが……魔力はお前の命そのものだ。それが多量に含まれているところを無遠慮に許可なく扱った上に貪ろうとしたのだ。まさに心臓を食まれている心地であったろう?」
アルベヌの言葉を理解するのに少しだけ時間がかかった気がする。
魔力が尽きるまで私は生きる可能性があるとアルベヌは確かに言っていた。裏を返せば、魔力が故意であろうが事故であろうが。一瞬で無くなるような事態になれば打つ手もなく死ぬということ。
これを念頭に置いて考えて。魔力が循環できるようになってから重たくなった、それだけ魔力が大量に含まれている実体化した羽根。私の今の心臓はどうやら剥き出しのこの羽根らしいということに至った。
羽根は触られてこそいたが、舐められたのは初めてだったような気がする。
許可した上で気構えが出来ていれば多少マシだったかもしれないが、許可なく口に含まれたことで生存本能が出てきた……というところ、らしい。間違ってなければ。
こそこそとした声量で声を投げてくるアルベヌの手の上で、撫でるのをやめて横に添えられる形になっていたもう片方の手のひらに脱力するように身を預ける。そのまま彼を見上げれば、彼は私をジッと見下ろしていて。背を預けている手のひらから伸びる指が私の身体を包むと持ち上げて、その手に寝転がされるような向きに動かされたところで手指が開かれた。
手の上で見つめられる中、起き上がれば大きな反対の指先が伸ばされるも触れるか触れないかのところで躊躇するように止まる。前もこんなことあったなぁと考えて私が手を伸ばすが、私が触れる前にその指は離れて行った。思わずアルベヌを見上げれば、何とも言えないような顔で口角を僅かに持ち上げている顔が見下ろしてきている。
「……あんなことをしても怒りもしないとは。泣き叫んでもおかしくはなかったろうに」
少し呆れたような……けれど少し柔らかい声色でそう呟いては、空いた手でテーブルの上の何かをもって持ち上げて。私の方へと寄せてくる動きをする。
視界に見えるようになったそれは、久しぶりの紅茶が掬われたティースプーンだった。
「少し冷めてしまったが、茶会の続きといこうか……我と共に休んでくれるのだろう?」
言葉と共に、口元に寄せられるスプーンに注がれる紅茶。私は彼とそれを交互に見上げてから、そのスプーンに自分の手を添えて口をつけて啜ることで是を示すのだった。