第5話 「ごめんなさい……!!」
ひっ、と思わず私が息をのんだ瞬間だった。
「お前は我とどういう関係を結んだ! 誰が友に飽きなどするというのだ!!」
びりりっ。と大きすぎる声量に体が震える。
大きな目の前の彼は、私の内の本能的に隠されていた本音が吐露されたのを聞いて、気にしていたのだろう。
声量に体が震える。耳がキンとする。だけど、目を離してはだめだ。
そう思って耳を押さえて体を縮こませながらも、魔王様から目を離さない。離しちゃいけない。
「確かに始めは珍しいからというのもあった、認めよう! 普段のお前の種族を扱うように触ってしまうこともいまだにあるのも、認める! それらがお前を抑え込んでいたのだろうなと先ほど理解もした! だが、今までただ300年余りを惰性に王として過ごしていた我の元にやってきた新たな刺激をくれたお前を! 飽きるはずがないだろう! まだこの世界に疎いお前をもちろん手放せるわけもない! 見縊ってくれるなよ!」
怒鳴り声が身体を貫く。それほどの威力のある声で吐かれた言葉。大きな肩が大きな呼吸に合わせて上下する動きに私の身体も揺れる。
耳から手を離す。若干耳鳴りするが、耐えきれないほどではない。位置を調整してくれたおかげもあるだろう。
眉根を寄せた顔が。怒鳴りながら徐々に変わっていたためにすごく苦しそうなものになっているのを、この魔王様は気づいているのだろうか。
本気でこの人は自分に向き合ってくれていたのかと改めて認識する。
「ごめん、なさ」
「謝罪はいらない。吐け」
酷いことを言ったと、そう思ったからこそ開いた口は。あの表情のまま、静かにまた声を出した魔王様の言葉に遮られる。
「我はすべて吐いたぞ。次はお前だ。怖いという本音は聞けたが、それだけではないだろう? あの時の思ったこと、すべて吐き出せ」
「え」
「思わぬ死を体験し、未知にたった一人で投げ込まれたのだろう。親族や近しい者への懺悔を吐いていたではないか」
指摘されて息が詰まる。胸の奥がどくどくと鼓動を早くする。
再び私を乗せる手が動く。視線が近くなるように顔の傍に連れていかれた。
「次は我が聞く番だ。そうだろう?」
大きな指先だろう感触が、手の上で座り込む私の後頭部から背中を押し込むように撫で下ろす。
前のめりになった身体を支えるために、思わず手のひらの皮膚に両手をついた。
いやほんと。何だろうこの状況。
「わか、んない……」
掠れた声が、口から零れる。涙が溢れてぼたぼたと雫が落ちる。
ぶるぶると身体が震えて、私はその広大な手のひらに、自分の両手をバシバシと叩きつけ始めた。
「わけわかんない……! なんでよ、なんで私だったの! 人並みに普通に仕事して、普通に生活してた! なのに多分殺されて! こんな、周りが何もかも大きなわけわかんない場所に気づいたらいてさ! 自分が人間でもなくなってるしさ! 巨人に怒鳴られるわ、鳥かごに入れられて売買かなんかされたと思ったら服剥かれて食べられかけるし!!」
私の最後の言葉にぐらりと私の座る場所が揺れて少し呻くような音がした気がするが、そんなのはどうでもいいと地面になってる手のひらに腕を叩きつけ続ける。
「そんなことされた後でいきなり友好的にされても怖いに決まってるし! いろいろ気を使ってくれてるのわかるけど大きさで振り回されるし!! なんなら部屋に来る他のおっきな人たち女だろうが男だろうがみんな恐怖の対象でしかないよ!! たまに獲物見る目で見てくるしぃ!! 私はご飯でもおやつでもおもちゃでもないんだよぉ!!!」
ひときわ強くバシンと手を叩きつけて、じりじりとしびれた痛みが腕に来る。
ぐずぐずと鼻が鳴る。涙が止まらない。動かなくなった私の背にわずかな重みが乗って前後に滑る。
「フォノ」
呼ばれて体が震える。ぎゅっと口を引き結ぶ。
「フォノァ」
「私は、穂花って名前なんだよ!!」
私の声に驚いたか背の感覚が離れる。泣きはらしている顔で上の顔を見れば。ぎゅっと眉根を寄せている魔王様。
「私はフォノァじゃない! ホノカなの! 名前まで……! 名前まで、っぅ、失くさせないでよぉ……!」
嗚咽交じりに声を上げて、本格的に泣き始めてしまう。
泣き続ける私の声だけ響いて、大きな体も動かなかった。そんな時間がどれくらい続いたかわからないが、やがて頭に重みが来る。思わずそれを跳ねのけようと腕を叩きつけるが微動だにしない。
「……痛いだけだぞ」
「ペット扱いもやめて……! 私、もともと、人間なの、に」
「そうか、なら……人間だった時の年齢はいくつだったのか、言ってみるといい」
身を捩って指先から逃れようとするも、うまくいかない。
それはそうだ。大きさが違いすぎるのだからどうしようもない。
「22歳よ……!」
望まれるままに応えれば、指の動きがぴたりと止まる。
魔王様の顔も、きょとりとしたものに変わっていて。
「……そうか。確かに人間ならば既に成人だな」
「働いてたって言ったじゃない」
「あぁ、そうだな。そうなのだが…… なぁ、今のお前は……なんだ?」
今の私。
問われて、落ち着いてきた涙をぬぐいつつ、私はうつむく。
「……お前は、この世界では小妖精だ」
「……っ」
静かに突きつけられ、唇を嚙む。
ふわりと空気が動く。多分、また乗せられている手が動いた。
「そして、小妖精は……その生まれ方ゆえに、寿命があるかないかもわからない種族と言われてもいる。気にされたこともない種族故に、把握されていないのだ。この意味が、分かるか?」
「え」
唐突な、何を言い出したかよくわからなかった言葉に顔を上げる。だいぶ近くなっていた大きな顔にびくりと身を震わせるも、その顔にある獣のような金の瞳は静かに細められるだけだった。
小妖精に、寿命が、ない?
「お前たちは自然の魔力の塊だ……それに、我らのような大きな種に捕獲され使用されてしまうモノでもある。道具は使ってしまえばなくなってしまうものはなくなる。お前たちがそういう扱いだからこそ、寿命など計るものはいなかった。まぁ、魔力が完全に霧散すれば消えると聞いたこともあるが、それはそれだ……つまり」
「魔力が尽きなければ……私……あなたより長生きしてしまうかも、ってこと……?」
思わず言葉を繋げてしまえば。ふっ、と笑うような音が目の前の顔から響く。
そうしてまた、背を指先で撫で下ろされた。
「そういうことだな。それらを鑑みれば、22歳など……赤子も同然だろう? 先ほどお前は自分は0歳だとのたまったが正解だったなぁ?
……そういうことで、我はお前をペット扱いしてはいない。幼子をあやすように対処しているだけだぞ?」
ひくり、と私は口角を引きつらせる。もはやこの魔王様、先ほどの様子はどこへやら。無表情ながら楽しげな口調で私をからかい撫でまわしている。
まるで、お風呂を願う前の時のような、いつも通りといえる様子。
「……物は言いようって、言葉知ってる?」
「さて、さて。わからんな……我は産まれたての時勢に疎い幼子を愛でているだけだからな」
「幼子いうな!」
いや確かにこの世界の時勢には疎いし生まれたてなんだけど! 中身! 元人間なの!!
私がそう思って声を張り上げるも、この魔王様には届いているのかいないのか。
「我の年齢はもう1000は越えているのだ。年齢という数だけで見れば人間という種族なぞ、みな幼子よ」
その言葉にそれはそう、と思わず口を噤んだ私をじっと見下ろしていた魔王様の瞳が少ししたのちに真剣なものに切り替わる。身を震わせる小さな姿に何を思ったのか、その手がゆっくりと巨体に寄せられていく。
「え、なに!? ちょ」
「幼子は胸に抱くものだろう?」
「いやだから私、わっ」
ぽすんとローブに包まれる胸板に押し付けられる。というよりは。添えられるといった方が正しい力加減。
ペット扱いと幼子扱い、どっちがマシなんだろうかとどこかズレたことを考え出す私を気にすることもなく。私をそこに支える手の指が頭に触れてきた。
「本当に。すまない……お前を食べようとしたこと。そのあとの扱い。名前の件……申し訳ないと思う」
唐突な謝罪に、目を見開く。じわ、とまた涙が滲んだ。
今日。泣いてばっかだ私。
「名前の件は、ひそかに練習していたりするのだが、どうも……発音が厳しい。不思議なものだな。ほかの事はちゃんと喋れているのに、お前の名前だけ言えないのだ。本当に口惜しい」
すり、と指先が頭を滑る。添えられている胸元のローブの分厚い布をぎゅっと握りしめて、顔を押し付ける。
「いつか必ず呼んで見せようとは思っているのだ。だから。名前の件はもうしばらく待ってくれ……それまでは。それまでは今まで通り、フォノと呼ばせてもらいたい……お前が勢いとはいえ、許してくれた呼び方だ。それに、甘えさせてはくれないか」
……なんかこれ、よくドラマとかで見るわがまま彼女に振り回されてる男みたいなセリフじゃないか?
一周回って落ち着いてきた頭が全然場違いな感想を浮かべるも、これ口に出したら雰囲気台無しだと理解もしているのでそれは言わないようにしようと奥底にしまい込み。
大きく息を吸って、吐き出す。顔を上げて、横を向けばちょうど頭に触れようとしていた指の腹が横顔を押してきた。感触の違いに、大きな指がぴたりと止まって離れた。
「いいよ……その……いつかちゃんと呼んでね……あと……っあと」
私の声は弱弱しく少し掠れたものだが、きっとまだ魔法は解いてないだろう。しっかりと聞こえているのか、大きな体は私の次の言葉を待っているようだった。
ぐす、とまた鼻が鳴ってしまう。目の奥がまた熱い。人前でこんなに泣いてしまったのなんていつ振りだったろうか。
「護ってくれてるのに、酷いこと言った……! ごめんね……! ごめんなさい……!!」
私の涙声の震える小さな謝罪は、しっかりとやはり届いていたらしい。
大きな手が震えている。少し力が込められて、震えをごまかすように胸板に押し付けられた。抱き寄せられた。
あぁ、確かに。子供が謝った後ってこうする人いる……幼子ポジだ、今の私。
頭の片隅でそう思いながらも、抱き寄せられるままに大人しくローブに身体を埋める。しばらくして私の涙と巨躯の手の震えが収まったところで胸から離されて、また顔が見えるようになったのだが。
「お前の気持ちがわかってよかった……改めてよろしく頼む、と言って終わりたいところだが。聞きたいことがある」
「ぇ、なに……?」
泣き疲れて声がかすれ、ある程度の精神状態が戻ったとはいえ、戻ったからこそ本能的に大きさの違いで覚える恐怖に身を少し引き気味に私が投げられた言葉を返すと同時に、金の双眸が少し影を帯びて細められる。バチン、と大きな空いていた片手が指を鳴らせば、周りを囲っていた壁が音もなく消えた。
防音魔法のようなものを解除したらしい。
「我の大事な大事な小妖精。我が壊さぬようにとしているお前を、獲物として見る不逞者がいると言っていたな?」
少し大きめの声で。おそらくわざと外の人たちに聞こえるようにしゃべる魔王様に思わずドン引く。
影を帯びた色をそのままに。うっそりと目の形が笑みに歪んだ。中々に歪な、凶悪なもの。自分に向けられていないそれとわかっていても、恐怖が背を駆けた。
「今度そのようにされたならそいつらの容姿を覚えるといい。そして、我に言え。絶対にだ……そのような不敬者、手ずからお前の目の前で処分してやろう」
「いや別に処分はいいかな……!」
「そう言うだろうとは思ったがな。少しは乗れ。友というのは悪乗りをするものだと聞いているが?」
「この世界にもそんな言葉あるんだ……」
本物の魔王のような言い回しに拒否の言葉を上げればケロッと無表情に戻して言い返してくる魔王様の様子に、思わず遠い目をしてしまう私がそこにいた。
とりあえず。あまり波風立てたくないからこの話はこれで終わりにしたい。
「フォノ。処分は半分冗談だが、本当に不快だと思う者がいたら言うように。絶対だ」
「その半分も冗談にして??」
いやほんと私の一言で大きな命の犠牲が出てしまうとか嫌なんで処分とかやめてください。
私の言葉にきょとんと不思議そうな雰囲気を出す巨体に対して、ぁっこれ本気でなんでかわかってない……と感じるも、もはや訂正の気力もない私は手の上で大人しく座すことを選んだのでした。