第32話 「せめて一言欲しかった……」
そのままアルベヌに一礼して私を落とさないように両手でしっかりと包み込んだエラさんがバスルームに入って扉を閉めて少し静止して。
私は私サイズのバスタブの横に降ろされたあと、勢いよく迫って来た可愛い顔に仰け反ることになった。
「フォノ様怪我ないです?! 痛いところとかないです!?」
先程のポイポイと投げ飛ばされる様子に私とは違う恐怖を覚えていたらしい。顔を寄せてボソボソとした声で、両手で身体を確認するように触られながら安否確認をされる。
その様子に私は背中の羽根と頭を項垂れさせた。
「大丈夫……鬱血はしそうだけど、打撲にはなってない……んじゃないかな」
「それ大丈夫って言いませんが!?」
「やっぱり……?」
「荒療治過ぎますよぉ……チェルルやティレナなら卒倒してます。アタシで良かったぁ……」
相当焦っていたんだろう。割と平気そうな私の返答に安堵したようにへなりと脱力する姿に苦笑を返す。
それはそれとして、と身体を起き上がらせてエラさんは私をしっかりと見下ろした。
「お風呂の用意はこのように出来てますので、身体を洗わせていただきますね!」
「お手柔らかにお願いします……」
身体を洗われることにも慣れてない私は苦笑を深めて、大人しく服を脱ぎ始める。脱がなければ脱がされるし抵抗すれば服破けるし。良いことが無いから仕方ない。それにこの間お仕事させて貰えないって思われていたことも露見したしね。
大人しくしておこうと思う。
濡れても問題ない天板のあるチェストの上に置かれた私用の猫足バスタブと、少し先にある前アルベヌが私を入れてくれた桶。まずは桶に入れられてエラさんの手で泡立てられた石鹸で全身を洗われる。ついでにマッサージみたいなこともされる。打ち付けたところが痛んで身を震わせれば力が緩くなった。気分はもはやシャンプーされてる猫か犬かと言ったところだ。大きさ的にハムスターかもしれない。手乗りだから。
気にしないように心を無にして身を任せて、お湯に浸けられて泡を流されれば、次はこちらと猫足バスタブにソッと下ろされる。
洗ってる間に冷めないようにと少し熱めのお湯だが、我慢できない程じゃない。浸かってればちょうどよくなる。
「湯加減などは大丈夫ですか?」
「大丈夫ー……」
エラさんが声を掛けてくるのに答えて、バスタブに凭れる。
翼が邪魔に感じるが、自分の一部だからどうしようもない。さっきの特訓のおかげもあって少しは動かせるようになった付け根を動かせば揺れる羽根に嘆息し、そんな様子を見たエラさんが顔を寄せてくる。
「痛みが残ってます?」
「動かせるようにはなったけど酷い特訓だったなって思って」
「あぁ……ろくに説明もなくオモチャのようにポンポンとフォノ様を投げ始めるので何事かと思いました……」
「ほんとだよね……せめて一言欲しかった……」
大きな肩と小さな肩がそろって竦められる。そういえば、とエラさんを改めて見上げれば、エラさんは首を傾けた。
「フォノ様?」
「エラさんは魔力持ってないんだよね」
「もってないですね。セシィは持ってますよ。転生者だったんで当然ですが」
「転生者は絶対魔力持ってるんだ……?」
「言い伝え程度に聞いたことですが、そうらしいです。転生者は魔を滅ぼす勇者になるとかなんとかでそのためだとか?」
エラさんが応えてくれる言葉に私は瞳を瞬かせる。
魔を滅ぼす勇者。まぁ色んな意味にもとれるが、一体どういう意図で広がった話なんだろうか。そういえばアルベヌと宰相さんがきな臭いお話してたしなぁ、と思い出して。
「魔を滅ぼす……色んな意味に取れるけど……
ねぇ、そういえばこの国って別の国に嫌われてたりするの?」
「あぁ、お隣のソレイル帝国ですね……どうかしたんです?」
ソレイル。当然だが私は耳馴染みない国名だが、エラさんが顔を顰めたところからすると相当ひどいお国柄らしい。いったいどんな国なのやら。
「アルベヌと宰相さんが話してて。言うとおりに侵略してやったらどうだとかなんとか?」
「それ絶対宰相様が言った言葉ですよね……お隣の国は魔族を排他的に見ているんです。なので、魔族が王のこの国を魔界と呼んでいます。特に別次元にあるとか隠されてるとかでもないんですよ? 普通に他の国とも地続きですし」
「そうなの?」
「はい。ソレイル帝国は魔族を怖いものとして教え込んでいるみたいなので、こちらとは折り合いが悪いんですよ。
あの国に魔族はいませんし、いても奴隷だという話も聞いたことあります。人間が幅を利かせる、エルレやドワロンたち3種族限定の国で……その国の王は人間で、法王と呼ばれているようですよ」
「エルレとドワロンってなに?」
「ぁ、そうか知りませんよね。エルレもドワロンも人間よりは長寿なんですけど。エルレは人間の耳がちょっととんがっただけの種で、ドワロンは小さな、一番大きくても私の腿半ばですかね? それくらいの高さまでしか身長がないころりとしたフォルムの小さい種です。
エルレは魔法が得意で、ドワロンは見た目のわりに小手先作業が得意で力も強いんで、鍛冶とかを得意とする人が多いみたいです」
ほー。名前の響き的にそんな気はしてたけど正解だった。
エラさんの言葉を聞いて何となく想像していた、私の世界で言うエルフとドワーフのことだったと理解できてスッキリする。
魔族に排他的な国か。そこがちまちま嫌がらせしてるんなら、アルベヌもそれは腹が立つだろうなと頭をよぎる。特にこちらは襲うこともしていないのにあちらが無用なケンカを売ってくるのだから。事実、宰相さんと話してるときの彼の顔は相当げんなりとしていたし。はっきり言えば相手をしたくない、無視していたい事柄なんだろう。
そこでふいにぶるっと体が震える。よくよくお湯に意識を向ければ結構冷めてきていた。思いのほか話し込んでたらしい。
「エラさん、出るからよろしくお願いします」
「はい、ではフォノ様、失礼しま……お湯、足さなくていいです?」
バスタブの中で立った私を掬い上げようと手を伸ばしたエラさんの指が冷たくなってきつつある湯に触れて少し固まり問いかけてくる。
私はそれに首を左右に振って見せると、エラさんの手指は私を迅速に掬い上げてタオルの上に降ろして丁寧に身体を拭いだす。
渡された衣類も手伝ってもらいながら手早く着用した私は、濡れた頭と羽根をそのままにエラさんの手に乗せられてアルベヌの執務スペースに連れて行かれる。
「陛下、申し訳ありません。私ではペット様の御髪が」
「あぁ、そうだったな。かまわん」
いつもは魔法でティレナさんとフレイさん、チェルルさんの誰かが温風を魔法で出してくれるので頭もすぐ乾くが、エラさんは魔法が使えない。なのでエラさんだけで私の入浴をさせるときはアルベヌに私の頭を乾かす役目が回ることになる。まぁ、メイドさんたちが部屋付きになる前と同じということになるんだが。
執務机に近づいたエラさんの言葉に反応したアルベヌが私を見てから頷いて見せた後、エラさんから手渡された私を手のひらに座らせてから指を鳴らす。ブワッと瞬間的に生み出された少し熱いくらいの温風が身体全体を撫でて数秒。私の髪も羽根もからからに乾いていた。
「こんなものか。ククッ少しぼさぼさだな……エラ、頼む」
「はい陛下。ペット様、整えさせていただきますね」
喉の奥で含み笑い、私の頭を指先で撫でつけたアルベヌが私を再びエラさんの手に滑り落とす。私をしっかりと受け取ったエラさんが今度はドールハウスに私を連れて行き、ハウス内にセットされてる少し大きめの鏡台に私を座らせる。そこで人形サイズのブラシを使ってこれまた器用に私の髪を梳いて撫でてくるのだ。メイドさんたちの手先が器用すぎて本当にすごいと思う。
「痛かったら本当に遠慮なく教えてくださいね」
顔を寄せて後ろから言われるぼそりとした言葉に私はこくんと頷いて示した。初めのころは痛かったが今はもうそんなことはないので形だけの返事にはなるが。
ドールハウスの鏡台に座る私と、その背後から覗き込むエラさんの瞳が鏡越しに重なった。にこりと細められる瞳に、私も笑みを向けて返す。
「頭が終わったら羽根もしますからね」
「お手柔らかに……まだ感覚慣れてなくて……」
「善処します」
こそこそとした声量だが楽しそうな声色に、私は声上げないように気をつけようと決意を固める。
そうして頭のセットが終わり、次いで触られる羽根の感覚に必死に声をださないように努めて身を震わせて暫くした後。終わった瞬間にぐったりと鏡台に突っ伏す私がいるのだった。




