第124話「見れたかい?」
「ふふ、落ち着いたかな?」
「誰のせいだと……!」
あれからしばらくアルベヌが私を顔に押し当てて無事を喜んでくれていたあと、なんとか立ち上がってまたあのガーデンセットの椅子に腰かけていた。
私もテーブルの上の自分用のセットにまた降ろされている。
からかうように言葉を投げてくる悪戯っぽい創造神様の言葉に、目元を赤くしたアルベヌが憎たらしそうな声を上げるが。私は苦笑して見上げることしかできなかった。
「……それにしても、アルベヌ成人前に王様になってたんだね……でも、お酒飲んでなかった?」
「酒? 悪魔族は1500前後で人間でいうところの成人の身体にはなるからな。体つきがそうなったら別に、酒などを飲んでも問題視はされん。
人間ですら、この世界では16ですでに成人だ。酒は嗜んでいるはずだぞ? お前の世界は違うのか?」
「あの世界の私の国には、お酒は20歳になってから――って謳い文句があるくらいだったからね……」
長寿種族故のルールみたいなものがあるのがわかりました。
どうして20歳なのかって理由は確か……心身ともに20歳までは未成熟で、臓器に悪い影響を与えやすくて中毒とかになりやすいから、って感じだった気がする……うろ覚えだなぁ……
私が転生する少し前に18歳で成人ってなってた気がしないでもないけど……でもお酒はそんなわけで20歳から、というのは変わらなかったはず。
「ところで、穂花さん穂花さん」
ぼんやり考えていたところで、創造神様が楽しそうに掛けてくる声にそちらを見る。ニマニマと楽しそうに私とアルベヌを見つめるその瞳は、おもちゃを見る子供のようにも見えた。
「なんでしょう?」
「あの熱烈な告白に対する返事はないの?」
ごふっと上で吹き出される音がして振り返る。アルベヌが紅茶のカップを持って、ゲホゲホと咳き込んでいた。
悔しそうに創造神様を横目で睨むように見つめている。
「いくら創造神といえど……!」
「えー、いいじゃない。煮え切らないあなたはたぶん、あのいい加減な関係のままで終わらせようとしただろうけど……こうして気持ちを吐き出すことができたんだからさぁ。
それに、あなた。周りに悟られてることもわかってたよね? その自分自身にすら疎い心の奥底でさ」
創造神様の言葉にアルベヌが悔しそうに苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべ、誤魔化すように茶菓子を口に放り込む。私の方は見ずに顔を背ける様子は、なんだか思春期をこじらせた男の子のような様子に見えてしまった。
「……普段はかっこいいご尊顔なのに、今は照れ隠しに必死な男の子みたいな顔だね」
思わず言葉を上げれば見上げる大きな彼の喉が不自然に動いて、それに彼がまた咽てしまう。こんな姿は見ないので珍しすぎた。このサイズ差ではるかに巨大な相手なのに可愛らしいと思ってしまう。
それに創造神様が声を上げて楽しそうに笑う。
「あっ、はは!! これは脈無しかもね!?」
「ッ、黙れ!」
「怒んないでよー」
先程とは打って変わって和やかな会話だが、顔を赤くするアルベヌとそれを見て愉しげにからかう創造神様を見回し、うーん、と考えて。
「……アルベヌ」
静かに声を上げれば、ピタリと二人の口論が止まった。そろ、とアルベヌが困ったように私を見下ろしてくる。
彼のあの言葉には真剣に応えたいけど、今私はそんなことを考えれる状態じゃない。とりあえず、帝国が狙ってくる弱点が私だってわかったから。でも私を彼はずっと手元に置きたいといって手放さないみたいだから。それに、その。
あのタイミングでああいう風に言われても。創造神様が言うように本当に熱烈な愛の言葉なのか。それとも愛玩動物を手放したくないゆえなのかが、私には察することができない。
自分の気持ちも、よく分かってないし。
「……ごめん。愛しいって言ってくれたのは、嬉しいけど……ちょっと、急すぎて。よく、わからないの」
アルベヌの口が真一文字に引き結ばれた。グッと気難し気に眉根が寄せられる。
「だって、私、貴方のペットで……お友達、だったんでしょ?」
ぎりっ、と手が握りしめられる音がした。彼からえっと、と視線を思わず逸らしてしまう。こういうのは、慣れない。
「だから、その」
「なるほど。穂花さんはペットや友達としての愛しいか、恋人にしたいの方の愛しいか――っていうのがわからないんだね。
確かにあれはボクが無理やり言わせたようなものだからね。あの必死な顔を見ていない穂花さんは、そうなっちゃうよねぇ」
唐突に響く創造神様の声に弾かれたようにそちらを向く。
彼はニコニコと微笑ましいものを見るように私を見下ろして指を振る。
その瞬間に。私の前にごとんと、テーブルの上にあった紅茶セットと入れ替わりに水盆のようなものが置かれた。
「え。創造神様……?」
「覗いてごらんよ。ボクはあなたを見守る中で、その国王もずっと見ていたんだ。ボクの目から見ていたものを、あなたにも見せてあげる」
「な……!」
にっこりと言い放つその姿にアルベヌが反応する様子が感じられるも。動く様子はないようだった。私は水盆から目が離せないまま、顔を近づけて覗き込むようにする。
一瞬波が大きく揺れて映る私の顔が消え。映りこんだのは、第三者の目から見たアルベヌの執務室兼自室のようだった。
声はない。机で普段通りに仕事をしている合間だろうアルベヌが私を手に乗せて、私は疲れたような顔で彼を見上げて何か文句を言っている様子で。それに反応した彼が私に顔を寄せて、何かを言ってから両手で挟んでもみくちゃに撫でまわす。こんなシーンは日常茶飯事。
私はこのとき彼の手の中で。彼の作る温い明かりのない部屋に閉じ込められるようになってるから彼が見えなくて、気づいてなかったけど。
彼の、私を包んでいる手を見るその瞳はすごく穏やかなものだった。無意識かもしれないが、相当大事な誰かを慈しんで見るような眼差しだった。
手を開けば、私を見ていつものからかうような眼差しに戻っている。それに目を瞬かせたところで、次に映ったのは。
ジャスティアさんの前で私を握りつぶしたあの情景のようだった。
彼の手の上で吐しゃ物と血の混じるものを口から出す、気を失った私を丁寧に治療している様子。
その横顔はすごく痛々しいもので、下手したら彼の方が死んでしまうのではないかと言いたくなるほどの顔色の悪さだった。口が動いてるのは、呪文を唱えているのかと思いきや。形的に私の名前をずっと呼んでいるように感じられる。
それから景色がまた映り替わった。あの、ユウナちゃんたちに自己紹介を兼ねた集まりの日だ。
お披露目すると着飾られ、アルベヌの手で装飾されたあの籠の中に私がいて、ユウナちゃんたちと喋っている。
そんな私を話が終わったからと捕まえて、楽しそうに私と会話していたあのアルベヌは、私が彼から視線を外すと同時にどこか熱の篭る瞳、と言えばいいのか。そんな瞳を籠の私に向けているようだった。
それを見て、セシリスさんとユウナちゃんが戸惑っているような様子が見える。
あの瞳は、前の世界で見ていたドラマとかで何度か見たことがある気がする。直近でも見た。メイドのエラさんがそんな目をセシリスさんに向けていた。
まるで、恋焦がれる人を見るような。そんな瞳だった。
それを理解した後も、情景は色々映った。私が寝ているドールハウスに触れて、中のベッドで寝ている私を小さな窓越しに見るアルベヌの表情や、机の上のクッションで手持ち無沙汰にゴロゴロしている私を見下ろすアルベヌの表情。
創造神様が見ていたという、彼が私を見る顔を、瞳を、余すところなく。
「う……そ」
ふる、と身体が震えてしまう。何だこの少女漫画や恋愛ドラマで見ていたような表情は。しかも、それがこんな小さな自分に向けられている。
彼は、本当に、私のことが……好き……なの?
恋愛経験の浅い私は思わず自分のそんな考えに顔を赤く熱くしてしまって、目を見開いたまま固まってしまう。顔があげられない。
私が呆然としていたと同時に、水盆が消える。
茶器のセットが帰ってきて、紅茶に目を見開く私の顔が映った。
「……見れたかい?」
クスクスと楽しそうな創造神様の声に、ぎぎ、といつかのアルベヌのような動きで顔をそちらに向ける。
「フフ、ちゃんと見れたみたいで安心した。どっちの愛しいかわかったでしょ?」
「創造神……!!」
悪戯っぽい創造神様の言葉にアルベヌが噛みつくその声は震えていた。恥ずかしそうな感じに聞こえるけど、まさかアルベヌにも見せていたんだろうか。それなら羞恥で震えるのもわかる。あんな……
「……あんな表情……!」
普段は全く見せていない、愛しい恋人でも見るような表情が頭から離れない。
私の声が聞こえたのか、横の巨体が身じろぐ動きが感じられた。
「それで? 返事はどうするの?」
「返事……って、そんな、いきなりっ」
ボッ、と改めて顔が熱を上げる。こんな美丈夫にあんな顔を向けられていたら誰だってこうもなるだろう。たしかにこの人は私を大事に扱ってくれる。からかいながらもこんな小さい私を守ってくれる。
話してて楽しいとは思ってるし、怒ると怖いけどそれも優しさだ。わかってる。
そろ、とアルベヌを見上げて、彼がこちらを眉根を寄せて困ったように見下ろしているのを見ているのが視界に入れば、思わず目をそらしてしまう。
普段と違い過ぎて落ち着かない。
「……ホノカ」
名前を呼ばれて、ビクンと身体が跳ねた。翼もビンッと張ってしまった感じがする。
「恥ずかしい話だが……我もあのように叫ぶまで、あの感情の整理が、付いていなかった」
彼の言葉に羞恥に震える。思わず顔を覆ってしまった。顔が熱い。恥ずかしい。
アレを見せられて意識しない女がいるわけないじゃないか、と思いながらどこかで嬉しいと感じてしまっている自分もいて。
その場の勢いの照れなのか、それとも、いつからか私も好きになっていたのか。
自分でも混乱してしまっている。
「返答が、欲しいが……どう、だろうか」
どうだろうかと言われましても!
ぷしゅー、と煙が出ている気分だ。恥ずかしすぎる。
「ふはっ、二人とも初心過ぎてだめ! かわいいねー!!」
そんな空気をぶち壊すように、創造神様がケタケタと愉しげに笑う。それに私と、恐らくアルベヌもハッとした。ここには創造神様もいる。一瞬慣れない感覚で意識飛んでた。
「そ、創造神様!! 私もアルベヌも今はそれどころじゃなくてですね! 帝国! 帝国とのいざこざ終わらせないといけなくて!!」
照れ隠しに私が顔を上げて創造神に向かって声を張り上げれば、彼はくすくすと笑って悪戯っぽくアルベヌを見た。
「ざーんねん。返事は保留だって。頑張ってね! 魔族の王様の魔王様?」
「保留は置いておけ……! そしてその呼び名はやめろっ」
創造神様のからかいにアルベヌが唸るような声を上げているが、ごめんアルベヌ。お返事できない。混乱がすごすぎるので!!
二人の様子にまた頬を押さえて俯いてしまえば、そんな私を見た創造神様がくすくすと笑う。
「まぁまんざらでもなさそうだし。これは付けてもいいかな」
つける? 何を?
思わず顔を上げたところで、創造神様はニコリと柔らかく笑った。
「転生者の穂花さん。アルベヌ王が統べる今のペンダイル国の未来は本当にあなたに掛かってるから……帝国とのいざこざも、はっきり言ってしまえばあなた次第だ。
責任が重いだろうけど、あなたが率先して動く必要はないよ。あくまであなたは国とその王様の弱点なんだ。ただ、本当にそれだけのこと」
ふわ、と身体が浮き上がって移動させられ、ポスンと慣れた感覚の少し体温の低い肌の上に降ろされる。
上を見上げれば、アルベヌがこちらを見下ろしているあの顔がある。前より少しばかり戸惑ったような感じではあるけれど。
「国が一つなくなりそうな憂き目がなくなって安心させてもらったよ。
それじゃぁ、二人とも。創造神からの滅多にない祝福だ」
創造神様の言葉にそちらを見れば、彼は私たちに向かって笑顔を湛えたまま、厳かに……けれど歌うように口を開く。
「その生涯を存分に謳歌せよ」
その言葉と同時に視界が白んで、すべてが白に塗りつぶされた。目の前に創造神様の姿も。あの神々しい雰囲気も。何処にもない。