第121話 「それでいいの……?」
私の様子に驚いたのか、創造神様の慌てたような言葉にならない声が聞こえる。だめだ、顔を上げないと……と目を開いて頭を動かそうとしたところで。
ヌッ、と目の前に布の塊が出てくると同時に。ぎゅむりとそれが顔に押し当てられた。
「んっ!?」
「……はぁ、やはり泣いているな……何を勘違いしている?」
アルベヌの声が聞こえると同時にグイグイと下から顔を布で擦られ、逃げようとすれば後頭部側に回された指だろう物に動きを阻害され。
まってまって息ができない!
バシバシと手でその塊を叩き、反応して力が緩められたのを感じた私はそこから頭を勢いよく抜き出して。私の頭をサンドイッチ状態にしてたであろうアルベヌを睨む勢いで見上げた。
彼は私の顔に押し当てていただろう布、多分ハンカチを手で軽く畳み直してから服のポケットにそれを収めつつ。私をジッと呆れたような表情で見下ろしている。
「いきなりなに!?」
「また泣いたのだろうと察して拭ってやっていただけだが?」
「ありがたいけど窒息するんですが!?」
「その方が一度気つけになろう」
「気つけって――ッ!?」
私の言葉の最中、彼の手が私に無造作に伸びて城でやるように私の両頬を挟むように指で顔を摘まんでくる。
思わず唇を引き結んで目を見開いてその顔を見上げていれば。まるで獲物を見据えた獣のように、私を見つめる少し苛立ちを湛えた獰猛な金目が妖しく細められた。
「お前も我が国に貢献している」
「……は?」
その瞳で見つめられながら言われるような内容ではない言葉に、私は思わず呆けた声を上げてしまう。
アルベヌはそんな私を見下ろしながら、手馴れた力加減でグイッと私の顔を摘まんだまま上に向けて顔を寄せてきた。
「セシリスが来て国の料理文化に幅が広がったのは事実。我があやつを城に召し抱えたのも、その料理技術を聞いたゆえだ。三年ほど前だったか……これは確かだからな。いくらなんでも直近過ぎることは忘れん。
人間の技術の進歩は早いもの……よって、あやつの年齢を鑑みれば技術はもう他国にも少なからず流れているはずだ。アレは貴族ではなく平民だったのだから、情報の規制など考えてもいないだろう。
……だからこそ、セシリスはもうこの世界に貢献していると言ってもいいと我は考える」
「そんなのわかって――ッ」
そんなのわかってるし何が言いたいのか、と声を上げようとした私の頬がキュッと押さえつけられた。
話を最後まで聞け、と言わんばかりに一瞬強くなった眼光に射抜かれたように思えて動きを止めた私を見下ろし。彼は小さく吐息を零してから私の顔に当てている指先を緩める。
「だが、お前たちの共通して持つ知識の全てをアレは流していない。
その証拠に、お前は我に――我らの国に、一つの政策の種を与えてくれている」
「え? 種?」
何の話か、ときょとんとした創造神様の声が聞こえるも、アルベヌはそちらを見ることはなく。
ジッと真剣な様子で見下ろされている私も、何のことかわからない、と顔にありありと出して彼を見上げていた。
まだわからないか、と言いたげに彼は嘆息を長く吐き出していた。
「召喚者らが言っていた……コウコウ? なる勉学の場について教えてくれたことがあったろう。
帝国とのことが終わったら、我と宰相はお前にその仕組みの教えを乞うつもりだったのだぞ」
高校の……学校の仕組みを教える? 私が?
嘆息の後、眉根を気難し気に寄せながら彼が投げてきたその内容。
思わぬ言葉に私がポカンとした顔を向けてしまえば。彼は私の顔から指先を離しテーブルに大きな手を置いて、さらに覗き込んでくるかのように顔を寄せてくる。
「……え。でも私、前世ただの営業事務で」
「エイギョウジムとやらはわからんが。この世界とお前たちの世界ではそも、勉学の規格や規模が違うはず。だからこそ、その知識をお前から得てできる限りの模倣をさせてもらうつもりでいたのだ。
それに加えて。我もお前が来てから国政に力を入れるようにはなった、と。臣下たちから聞いているだろう? よって、お前は我が国に貢献をしている」
いや最初は何となくわかる気がするけど最後。かなりこじつけじゃないかな。
でも、彼の言葉のおかげで胸の痛みが引いていく心地だった。
私のそんな様子を察したか、アルベヌの寄せられていた眉根が緩まった。瞳の真剣な感じの色も少し柔らかくなった気がする。
「例え、お前が創造神の身勝手な罪悪感で生まれ出でた転生者だと言われようが……セシリス同様、我が国――ひいては世界にとって益となる転生者に間違いはないのだ。
……お前が泣き虫なのは知っているが、変な勘違いをして泣くなど許さんぞ」
「泣き虫で悪うございましたね」
彼の少しばかり柔らかくなった声色でからかうような言葉に思わず言い返してしまうも、改めて言われたことを考える。
本格的なことはいらないから、大まかな仕組みだけを教えてもらえればいい、なんて。本当に、そんなんでいいんだろうか。
前世で公務員でも教職員でもないし、知り合いもいないし。そも知り合いいても教えてくれないだろうし。公務員は守秘義務が徹底してた気がするから。
自分が通ってた感覚で言えることしかない、半端な知識でしかないんだけど。
「……本当に、仕組みというか、形というかしか知らないけど、それでいいの……?」
「それで良い。この世界での勉学など、基本親が子に教えるしかない。貴族であれば、繋がりの中で得意な者に依頼して子らに宛がうくらいのものだ。
だがあの時話を聞いていたら、どうも個人間の場所でもなさそうな気がしたのでな……ことが終わったら、お前が説明できる限りを教えてほしいと……そう考えていた」
問いの内容に彼が真剣な表情になって私を見下ろし答えてくれるのを聞けば、この場しのぎの言葉とも思えない。
私は先ほどとは違う意味で胸が締め付けられる思いだった。さっきはただ痛かっただけなのに、胸が温かくも感じる。
そっか。私、役に立てるんだ。ちゃんとこの世界で言われるような転生者の役割通り、動けるんだ。
私を見下ろしていた金の瞳が一度瞬くと同時に、はぁ、と呆れたような溜息がその大きな顔から発される。
彼の指が顔に伸びて、私の目元に慣れた感覚で爪先を滑らせた。
「泣くなど許さんぞ、と言ったばかりだろうに」
そう言われたところで、目からぼろりと涙が落ちた。爪先が目元を擦って持ち上がっていくのを見つつ、自分の手で目元を拭って涙をこそぎ取る。
「本当の意味で、役に立てるってわかったから……勘違いで、泣いてないから……!」
「揚げ足を取りおってからに……まぁ、お前らしいと言えばらしいな。
――さて……我の友をかわいがったことに対する詫びはしてくれるのだろうな?」
泣きながら声を上げる私を見つつ、顔を離して普通に椅子に座る姿勢に戻した彼がクツリと笑みを零し……少しの間を置いてから冷たい目で違う方を見て上げる冷ややかな声色に、私もハッとしてそちらを見る。
創造神様が、驚きに満ちた顔で私とアルベヌを交互に見つめていた。
そしてアルベヌに視線を固定すると、興味深そうに見つめた後で安堵したような顔をする。
「へぇぇ……いやぁ、そういう視点で来るとは思ってなかったよ……技術のありなしじゃないんだねぇ。すごいや」
「我の言葉は聞くに値しないか?」
「いやいやごめんごめん感心しちゃったからつい!」
独り言ちるように呟く内容に、アルベヌが瞳に違わぬ冷たい声色のまま言葉を投げかけると。創造神様は慌てたように謝罪を投げてから私を申し訳なさそうな顔で見下ろしてきた。
「……えっと、穂花さん……あなたからすれば、転生させた理由はとても酷いものだったと思う。
だからこそボクはずっと君を気にかけて見ていたんだけど……本当にごめんなさい」
「っ!? い、いや、なんだかんだこうして特殊な私を保護してくれて大事にしてくれる人もたくさんできましたから……!
神様に頭を下げさせるなんて、恐れ多いのでどうか頭を……! ちょっとアルベヌ……!」
上げた頭をまた深く下げる姿に、私が椅子から立ち上がってあわあわとしてしまう。
創造神様だよ? 神様だよ? そんな存在に頭下げさせるとか何考えてんの!?
抗議のつもりでそう仕向けたアルベヌを睨むように見上げれば、彼は肩をストンと落として私から視線を逸らし、創造神様が用意していたカップを取り口をつけていた。
いや反応くらい返しなさいよ!?
あとは私に丸投げと言わんばかりの様子に頭を振ってから大きく息を吐き出し、私はまた創造神様の方に向き直って下げられている頭を見つめて両手を前に出して振りながら口を動かす。
「受け入れますから! とりあえず頭下げるのはやめてください!」
私の言葉に空色の頭が持ち上がり、その顔が私を見てにこりと笑んで見せてから頷いて返してくれるのを見上げてから私はまた椅子に座した。
とりあえず神様が頭を上げてくれたので一端の人心地はついたと目の前にある湯気立つ茶器に注がれる紅茶らしい飲み物を口に含めば、蜂蜜っぽい香りが広がった。思わずホッと息をついてしまう。
そんな様子を見られたか、クスクスと創造神様が笑う声が響く。
「二人を見て穂花さんの転生も必然だったかなって考えを改めたよ。だってあなたのおかげで、またボクの世界は発展しそうだし。
なにより……国も一つ救われたしね」
「っ!? ゲホッ!」
「フォノカ!?」
「ありゃ、大丈夫? 手拭き出したから使いなね」
「す、すみませ……――ってそう、じゃなくて……!
最後の言葉なんですか!?」
テーブルに現れた私サイズの手ぬぐいっぽい布を手に取り、吹き出したせいで汚れた口周りを拭いながら創造神様を見上げ声を上げれば。見上げられたその顔をきょとりとしたものにして、片手をひらひらと振りながら、もう片手に自身が出したお茶請けの菓子を摘まんで自身の口に持っていく。
「え、そのまんまだよー? あなた、意図せずペンダイル国を救国したの」
はい?
本日何度目になるかわからない呆けた顔を浮かべた私は、思わずアルベヌを見上げるも。彼も同様に、ジャスティアさんが女性だと分かった日と同じような顔をして私を見下ろして来ている様子で。
「どういうことだ……?」
少ししてから理解ができない、と言いたげに創造神様を見つめて口を開いた彼を見て。私も視線を戻し創造神様を見つめれば、その顔は少し意地の悪い笑みを浮かべて両肘をテーブルに乗せたあと、顎下に組んだ手指に顎を乗せてアルベヌを見据えた。