第113話 「去ねと言ったぞ」
馬車に揺られて暫く経って。私たちは馬車を降りて緑が生い茂る森の中に入っていた。
聖域への道は巡回のルートがあるとはいえ、木々が多いため足場が悪い。それ故に馬も通りにくいとの事で徒歩での移動になる、と馬車の中で聞いて。
そんな未開の地なのか聖域……と少し以外に思った。私の前世でも聖域だとか立ち入り禁止の森だとかあったりもしたけど、逸話があって立ち寄れる所だったら観光名所みたいになってるところも多いし、入り口くらいまでなら大抵行きやすいように整備されてるイメージあったからね……厳重に警備も置かれてるパターンもあるし……
そんなことを思いつつも、転生してから初めてのお城とお忍びで見た街中以外の光景。前世でもそうそう体感したことがない森の中の風景と空気におぉ、と感嘆した私は暫く隊から離れないように気をつけつつ飛び回って木やそこに止まる見たことのない鳥などを見ていたが、奥へ進むに連れて密度が増していく木々を見て。これは気を抜いたら迷子になりそう、と大人しくアルベヌの方に戻っていた。
歩き続ける彼の肩に座って髪を掴めば、それを感知したか顔がこちらを向く素振りをして指が伸ばされる。
その指は私の足をとんとん、と二度叩いて拘束魔法を掛けてきた。彼の肩に縫い留めるように光る紐が私の太ももを捕まえる。
今回のアルベヌは普段のローブではなく、動きやすそうなものを選んだのか。ジャケットタイプの軍服っぽく見える装いだった。ネクタイのように巻かれているスカーフ留めの装飾品が日に当たるとたまに鈍く光っている。
「また飛びたければ言え。その時は解く」
「うん」
そんな会話をしてしばらく経った頃。
私は両耳を両手で軽く塞ぐように押さえつつ、大人しくアルベヌの肩の上に座ったままだった。
大きな人たちの装いが軽装鎧のようなものとはいえ、私の耳には擦れる音などが少し響く。それに安全靴か何からしい靴が木の根などを踏むときの音がすごいことに落ち着いてから気づいてしまった。
そんな私を肩に座らせるアルベヌの前後には、兵士さんが二人ずつ配置されている。前方の二人組の前にいるのは、ジャスティアさんだ。
移動するにつれて少しずつ警戒心が増していくような周りの雰囲気に、私はアルベヌの髪をちょいちょいとひっぱる。
「なんだ」
「……みんなの空気がピリピリしてきた気がするけど、ここ、魔物とかいたりする……?」
「多少はいるな。だが、気にするほどでもない……まぁ、この人間の騎士たちに言ったところで暖簾に腕押しではあるが」
はぁ、とこれ見よがしに嘆息を零して首を僅かに左右に振る。その動きに動く髪を掴んでいたために引っ張られるが、拘束魔法のおかげで髪を手放すだけでとどまった。彼の服を掴んでバランスを整える。
「……無事か?」
肩の上の動きを感じたか、歩みは止めていないものの顔を見えにくいだろうにこちらに向けてきて、片手もそばに持ってこられる。
私はそばに来た手の指先の一つを叩いて、彼の横顔を見上げた。
「大丈夫。うっかり落ちても飛べるし、もしとっさに飛べなくても貴方の服掴んで一呼吸置くから」
「ならば良いが……ふむ。魔物を気にしているようだが怖いのか?」
「私の世界では魔物って一部除いて誰彼構わず襲い掛かってくるって創作されてるのがほとんどなんだけど?」
「一部というのが気にはなるが。まぁこちらの世界と似たような物ではあるな……」
似たようなもの。なにかが違うと言いたげな言葉にどういうことかとまた口を開こうとしたところで、私の耳にはドズ、と鈍い音が聴こえる。
アルベヌの身体が止まり、思わず前を向いた私の視線の先で騎士さん達が身構えているのが見えた。
先程の音は騎士さんの足を止める音だったのかもしれない。
「陛下、フォノ様……なにかいるようです。お気をつけ下さい」
「…………はぁ」
「抜剣許可!」
ジャスティアさんの声掛けに、アルベヌが疲れたように吐息を吐き出す。
それを聞いてか聞かずか、ジャスティアさんが高らかに上げた声に騎士さんたちが抜剣したのか、鞘の中で剣が滑る音が響く。
何かいる? 魔物? それともただの動物?
どっちにしても私はこの世界に来てから動物はあまり見ていないので興味が多大にある。モフモフは好きです。自分の羽は触る気にならないけど。
私のそんな雰囲気を感じ取ったか、アルベヌの肩が少し震えた。喉奥で僅かに含み笑われたような声が聞こえたような気もする。
周りの茂みや木の上の方でガサリと葉が揺れる音がして、茂みから大きめの狼のような頭が複数出てくる。
剣が見えているからか。グルル、と歯を剥き出して唸ってはいるものの。不思議とあまり怖さは感じない。
流石になにかおかしいと思ったところで、バサリと頭上で羽音がした。
「え」
振り向けば、大きな鉤爪のある足を持つ鳥がグルグルと旋回していた。
嘴の形状も鷲とか鷹とか、あんな感じの紛うことなき肉食系の鳥っぽい。
地上と空で囲まれてる。
まさか種族違うけど狩りは一緒にするタイプのヤツだったりするんだろうか。それとも先取りした方が勝ちとかそういうタイプ……?
思わず考えてしまっていた中、ガサリと音がして顔を戻せば狼もその姿を出したところで。馬の鬣のようなものを背中に生やしていることから、普通の獣では無いと考える。魔物、だろうか。
地上と空、両方とも何かを狙っているような動きをしているようで騎士さん達が身構える。空気がピリピリとして肌がひりついていくのを感じた。
「……アルベヌ……」
この場の空気が何となく怖くなってきて、思わず不安げな声を出してしまえば。彼はすぐに肩の私を片手で覆うように包み捕まえ、大きく嘆息を零した。
「去ね。ここにお前達の獲物は無い」
アルベヌの静かだがはっきりとしたその声が響いたところで、狼たちの唸りと頭上の旋回の羽ばたきが止まる。
暫く風の起こす音とたまに擦り合わさるアルベヌの手指の音しか聞こえない中。
「聞こえなかったか。去ねと言ったぞ」
アルベヌの言葉が、冷ややかでドロリとしたものを帯びた。そんな気がするほどゾッとする声がすぐ横から聞こえて、ビクンとその手の中で身を跳ねさせてしまう。
その瞬間に狼と鳥、両方が動いたらしい。葉っぱが荒々しく揺れるような音と激しい羽ばたきの音がする。どうやら逃げ帰るように離れていったようだった。
シン、と静まりかってしまった周りの音に聞き耳を立てていたところでアルベヌの手が私から退かされる。
危険だったのかはよく分からないが、一難は去ったらしいと理解してホッと息をついた。
離れ間際、指先が私をなぞる様にすべった。
「……周りであれだけ警戒が強まっていけば見に来ようというものだ。魔物もただの獣と大差ないからな」
「……どういうこと?」
「魔物はただ、魔力を持つ動物の総称でしかない」
「……?」
私が彼を見上げて首を傾げていれば、その視線を感じてか首を傾けてくる動きをして横目に私を見下ろしてくる。
瞬きで睫毛が揺れるのが見えてしまってじっと見上げていれば、その顔はまた前に向けられた。
「お前たち、ここは戦場ではないのだ。
我がいるからと変に警戒心をむき出しにして歩いてくれるな。人間や魔族ならともかく、獣には逆に気取られるぞ」
「申し訳ありません……」
アルベヌの心底呆れたと言った様子の声色を聞いたジャスティアさんが、やってしまった……といった様子で剣をしまい込みながら謝罪を述べる。
他の人たちも剣をしまい込んだようだった。鉄の擦れる音がする。
「向かってくる気配くらいは気づけるだろう。それだけを相手とすれば良い」
アルベヌの淡々とした言葉の後、その身体が前へと再び歩み始める。それに合わせてジャスティアさん達も足を動かし始めた。
私はアルベヌ肩の上なので彼の動きに身を揺らしつつ、綺麗な黒髪を掴んだままだったので。それをくいくいと軽く引っ張り意識を自身に向けさせようと動いた。
「……どうした」
「いや、アルベヌのさっきの言葉が気になって。魔物と動物って魔力の有り無しの差なの?」
髪を引っ張ったに関わらず、文句も言わずに反応を返してくれる様子に問いを投げれば。彼は首を縦に振って首肯を見せてくれる。
「帝国の人間どもは闇の眷属だ何だと言うがな。
魔物はただの魔力を先天的に持ちながら生まれた動物なだけだ。そのせいで力が同種より強かったり姿が変異したりする。
それが、魔物と動物の差だ」
アルベヌの説明に、そうなのかと私が納得したような顔をすればその雰囲気が伝わったのか。歩きつつも私を横目にチラリと一瞬だけ見下ろして視線をすぐ前に戻し、彼はまた口を動かした。
「ちなみに。その変異でヒトと近しい姿に変わり、共通語を歪ながら喋れるようになった者らが獣人……亜人となる」
「待って。獣人ってまさかの派生種族だったの……!?」
「あぁ。我が生まれる数千年前までは数が少なかった上に言語も乏しかったゆえ、ヒトとするか魔物とするかの議論があった――と、父や幼少時の講師から聞いたことがある。
今では個体数に加え、言語もちゃんと喋れる存在が増えたことでその存在が当たり前になった。我が生まれる少し前から獣人、亜人という名の種として自然と受け入れられるようになった……と教わってもいるな」
私が大抵読んでた異世界ものは獣人は獣人という種族でしっかり生まれていたと思うので、このタイプは初めての感じな気がする。
肩の上で私がそんなことを考えていたところで。
――チリリン――
「っ!?」
小さく聞こえた鈴のような音に、思わず身を震わせてきょろきょろと周りを見回す。
私の視界に映る鬱蒼と茂る大きな木々、前後には騎士さん達に真横にはアルベヌの首。そんな風景の中で響くのは、草木が風で揺れる音と皆の足音。そして魔物たちが去ってから響き出した鳥の鳴き声のみで。
耳を澄ましても聞こえない音に、空耳かな……と考えてから、はたと思う。
いや、この音に耳が慣れてきたのかもしれないけど、そんな小さい音が聞こえるもの? 大きな足音が複数響いてる中で、遠くで転がされたような感じの音が?
改めてなんだったのか、と思案しかけたところで。
「……何かあったか?」
私が肩の上で震えていたりしているからか、アルベヌから声が投げられる。
言った方がいいような気もするけど、ずっと聞こえてるわけでもないから、いいかなぁ……うん。問題起きたら素直に謝ろう。
「ごめん、何か後ろを通った気がして」
「後ろを? ……我は特に感じなかったが」
「なんか、ほら、虫とかが通ったかもね?」
「…………なら良い」
かなりの間を置いて、前を向いて歩きながらも納得のいかないような声色で言葉を返される。
察されてるかも……でもさっき決めたから。今は何も言わない。
それからは黙々と、ただ足場の悪い森の中を進んで。木々から入り込む空の色が夕方近くになった時に、少し開けた川辺のようなところにたどり着いていた。
「陛下。予定通り、本日はここで野営となります。支度をしますのでしばらくお待ちください」
ジャスティアさんの言葉と同時に騎士さん達が背負っていた荷物を各々おろしてテキパキとテントのようなものを作り出し、それを眺めたらしいアルベヌが私の足を固定している魔法を解いた。
「フォノカ。今宵は我もお前から離れることになるのでな……こやつ以外の騎士には断じて近づくな。良いな? 騎士団長、頼んだぞ」
「御意。
フォノ様。少しお早いですが私の方へおいでください。至らないことがありましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね」
「テント作ったらもう篭る感じ?」
他の騎士さん達への警戒が相変わらずすごいのはともかく。ご飯とか食べる時間作らずに、もう引っ込んで寝るんだろうか。
そう考えて声を上げた私がアルベヌの肩から飛んで二人の間に佇みながら、ストンと肩を落として私を見下ろすアルベヌを見上げる。
「てんと? 天幕のことか?
それならそうだ。予定通りに天幕を張れるか未知数だったからな……どちらにしろ今日は携帯食を食べる予定だったはずだ。それならばもう別れていた方が楽だろう? 我とお前は火を囲むことがないのだからな」
「フォノ様の携帯食はセシリス様がご用意してくださってますので、ご安心ください」
二人から言われる言葉にそういうことなら、とアルベヌを見上げていた身体を動かす。両手を広げて私を待つジャスティアさんの方に移動し、その手に乗って大人しく座った。
その様子を見下ろしてきていたジャスティアさんがニコリと美麗な顔で私に笑みを向けてから、次いで真剣な顔をしてアルベヌを見て首肯する形の礼をするのを見て。
それから私を意識してか、ゆっくりと方向転換をする。
視線の先では、あっという間にテントを二つほど組み上げた騎士さん達が、もう一つのテントを手早く作っているところだった。
「副団長。陛下を天幕にご案内しろ。
私とフォノ様、陛下が天幕に入ったあとは手筈通りにするように」
静かな声色だが良く通るジャスティアさんの言葉に、天幕を組み終えた騎士四名が敬礼のポーズを取って礼をする。
それから副団長さんがアルベヌの方に歩んで一つのテントに連れて行くのを眺めつつ、私もジャスティアさんに抱えられたままに。もう一つのテントに連れて行かれるのだった。