第108話 「日程が決まりました」
お祝いが終わった翌日。執務室の机について書類を眺めているアルベヌの所にアーヌストさんがやってきた。
昨日のお祝いなど遠い日みたいに普段通りに起きては今まで通りの私を連れた食事スタイルで朝食を取り。その後戻った静かな執務室で黙々と朝から仕事をしていた。私もびっくりするほど昨日の余韻が全くない。普通お祝いされた次の日ってもうちょっとこう、なんかあるよね? うまく言えないけど気分的なモノ。
淡々と無表情で机に視線を落としているアルベヌを見たアーヌストさんは、ツカツカと傍にやってきて机の前に立つと仕事をする様子を覗き込むように動いていた。その動きを感知したのか、顔を上げたアルベヌと視線をかち合わせたアーヌストさんはニッコリと笑みを浮かべる。
「やぁやぁおはようアル。早速仕事とはすごいなぁオマエは。昨日の余韻に浸ってはいないのか?」
「そんな暇があるか。我の周りは忙しい」
挨拶を返しもせずににべもなく。淡々と言い返すアルベヌがまた書類に目を落とすのを見上げた私はアーヌストさんに視線を移す。
冷たい息子のそんな仕草を気にもせず、アーヌストさんは笑みをそのままに軽く笑い声をあげていた。
「ハハッ! まぁそうだろうなぁ。あぁ、おはようフォノァ嬢! 普段はそこにいるのか」
言葉を返しながら私と視線が合って手をひらひらと振りながら挨拶をくれるアーヌストさんに、私はいつものクッションの上で立ち上がってからお辞儀をして応える。
さすがに相手が相手だから礼儀はちゃんとしたい。
「おはようございます、先王様。
……アルベヌも挨拶くらい返したら?」
声を上げて窘めるようにアルベヌを見上げれば、彼はチラと私に視線を一度投げてから、また書類に視線を戻して手に持つペンを動かしていた。
もう、せっかくこうして家族が会いに来てくれてるのに。
「今更だろう。だがこのような朝早くから来るとは……何用だ父上。朝食なら共にせんぞ」
私の考えなど気づきもせず顔は上げずに視線だけをアーヌストさんに向けたアルベヌの言葉に、またそんな冷たいこと言って、と私が嘆息してからアーヌストさんを見上げれば。彼は全く気にしていない様子で笑みを浮かべたままで口を動かし。
「あぁ違う違う。早いがワタシはもう出ようと思ってな」
「え」
アーヌストさんのあまりにも軽い感じで言われた言葉に、アルベヌではなく私が思わず反応してしまう。
え、だって実家に帰ってきてそうそう帰るなんてことある? それも隠居中だったお方が。お仕事なんてしなくても生きていける人と予想してるから余計に。
私が思わず零してしまった声は小さくて聞こえなかったか、アーヌストさんとアルベヌはお互いを見つめて各々笑んだり怪訝な顔を向けたりしているだけだった。
「前もそうだが、唐突に出て行くものだな」
「ワタシがここにいてもできることはないからなぁ。手伝いはオマエに拒否されているし。いてもいなくても同じならワタシは好きに動いていた方が性に合っている」
少し棘のあるアルベヌの言葉にきょとりとした顔を浮かべるも、すぐに口角を持ち上げたアーヌストさんのあっけらかんとした言葉を聞いて私がアルベヌを見れば、彼は肩をストンと落としていた。
「そうだな。そのように道化のように飄々と動いているのが父上らしい」
「おいおい、もう少し父親に対する評価をどうにかしないか。道化とは失礼が過ぎるぞアル? ……まぁ、適しているとは思っているが! ハハッ!」
その例えでいいんだ……? と、話を聞いて思わず遠い目になってしまった私と、私を見下ろしてきたアーヌストさんの視線が重なる。
ぁ、と思って頭を左右に振ってから改めて見つめ直せば、彼はニコリと私に向かって改めて笑みを向けてはそっと片手を……人差し指を伸ばしてきた。
握手か何かだろうかと思って私も利き腕を伸ばせば、見下ろしてくる顔の笑みが深まってその指で私の腕、というより手を掬い上げる。慣れないそれに驚いて目を見開き、アーヌストさんが頭を下げるように動くのを見上げて。
「フォノァ嬢。短い時間だったが会えて光栄だった。王を――……息子のアルベヌを、どうかよろしく頼むよ。わかっているだろうが、コレはあまり素直じゃない」
「おい」
私にやんわりと言葉を投げるアーヌストさんにアルベヌが唸るような声を上げるも、視線を私から逸らすことはせず。私も視線をアーヌストさんから離すことはなかった。
なんかすごいことをお願いされているような気分になる言葉を言われている気がするが、あまり深く考えないようにして。
アーヌストさんが私の手を掬い上げるようにしている指を見てから改めて彼を見上げて、こちらも笑みを向けて見せる。
「私こそ、アルベヌから軽くではありますが……お話を聞いていた先王様とお会いできて光栄でした。
アルベヌには確かに意地悪されたりしますが、彼は誠実に私と向き合ってくれていると感じていますから……えっと」
うまく言葉が続かない。できるだけ、なんて言葉は昨日言ってしまったし。私がこっそり唸っていれば、頭に何かがのしかかってくる。
ビクッと思わず身を震わせてアーヌストさんの指からも手を離して両手でそれを触れば、丸みを帯びた人肌の感触。
「まったくお前は……人好しが過ぎると何度も言っている。父上も変な言葉を言ってコレを困らせるな」
嘆息交じりなアルベヌの声が響くと同時にそれが頭を撫でる動きをする。ぁ、これアルベヌの指かと正体がわかってホッと息をついたところで、身体が背後から摘まみ上げられた。そのままクッションの次に慣れた彼の手のひらに持っていかれ、唐突に流れた景色に目を瞬かせてからその顔を見上げれば、彼は淡々とした顔のまま私を見下ろしてからアーヌストさんに目を向ける。
私もそちらを見ればアーヌストさんは瞳を瞬かせていたものの、すぐに目元を緩めて笑みをまた浮かべていた。この人は本当によく笑う人だなぁ、と思わず考えてしまう。
「コレはそういう社交辞令には疎いぞ」
「オマエの大事な友だというからお願いをしているだけなんだがな? ふむ、だがそうか。フォノァ嬢にとってこいつは誠実か……ふぅん?」
「なんだその含みのある言葉は」
「いいや? 特に意味はないさ。
さてさて、では挨拶はすんだことだしな。私は退城させてもらうとする。それじゃぁアル……フォノァ嬢たちに見限られないように頑張るんだな! ではまた会おう!」
アルベヌの言葉に対して揶揄うような声色で対応していたアーヌストさんが最後に声高に言い放って指パッチンをすると同時に、ボシュン! と音を立ててその場から消えていく。
転移の魔法だろう。マジシャンのように煙を残していくのは全く理由がわからないが。演出だろうか。そうだったら道化と言われても仕方ない気はする。部屋にいたメイドさん達もびっくりして固まっているようだった。
煙が消えてからしばらくしてアルベヌを見れば、彼は瞳をぐるりと動かして部屋を見回していて。暫くしてから嘆息を一つ零しながら私をそろりとクッションに戻す。
「……本当に行っちゃったの?」
「そのようだな。全く、次は何百年後に会えるやらだ……
あぁ、フォノカ。先ほどの父の言葉はあまり親しい者を作らなかった我を知ってるがゆえの言葉だろう。あまり深く考えなくていい」
私の問いかけに呆れ交じりで声を上げていたアルベヌが思い出したように言ってくる言葉。その内容に私がきょとんとした顔をしてしまう。
……さっき言葉に詰まったから、変に気を遣わせてしまったのかもしれない。
なんだか申し訳なくなってしまって、言葉もなく私が首を縦に振って返事をして見せると彼が瞳をゆるりと細めた。まだ傍にあった大きな手指で私の身体に触れて、私の右横顔からクッションまでのラインを指で撫で下ろすような。そんな動きをした後でその手を書類の方に戻し、彼はまた視線もそちらに落としていた。
彼が執務に集中し始めて少ししてから、私は邪魔しないようにと机から離れてメイドさん達にまた文字読みの練習をお願いする。やらないとわかんなくなるし。
そんな時間を過ごして昼も終えた午後。またも机に向かい書類を捌き始めたアルベヌを見て、彼の机の上にまた増えている紙の束を見つめる。
朝あんなにしたのになんでこんなにまた増えているのか。
私が瞳を瞬かせているところで、扉からノックの音が響く。
「陛下。日程が決まりました」
扉横のメイドさんが対応する前に響いた声は、ゲイルさんのものだった。
あれ。今日は防音魔法を掛けていないの? 最近は聞こえなかったはずの扉からの声が普通に届いて首を傾けた私の頭上から、疲れたような吐息が聞こえる。見上げればアルベヌが扉の方を見てペンを下ろすところだった。
「やっとか……中で聞く」
アルベヌの淡々とした声に応えるように、扉が開く音が連なった。
そちらを見れば扉横にいたチェルルさんが扉を開けていて、ゲイルさんが数枚の紙を持って部屋に入ってくる姿が目に入る。
机の前にやってきたゲイルさんは机の上に座る私を見下ろしてからアルベヌを見つめ、紙を差し出した。
「精霊王の森への行程と、編成などの資料になります」
真剣な声色で紡がれる内容に、私も思わず身を固くしてしまう。ゲイルさんの差し出した紙を受け取るアルベヌを見上げて、細められた瞳の金色だけが泳ぐように揺れるのを眺める。文字をひたすらに追ってペラペラペラと紙を捲り、最後の一枚を読み終えたらしい彼は。
「長い行程を選んだものだ。飛べば良いものを」
嘆息混じりに言いながら、行程が書かれているらしい紙の一部分を指で突いていた。
面倒だと言いたげな顔のアルベヌに見つめられながらも、ゲイルさんは真面目な顔をして同じ紙の一部をなぞる様に指先を這わせる。
「飛んでいくのも考えましたが、ジャスティア率いる騎士団には飛行種族がほぼおりませんので。
騎士団長殿が選んだ人員の結果、こうなっております」
「確かに人員は見た。能力値に問題はなさそうではあるが、フォノカのことをしっかりと視野に考えていたのだろうな?」
「口が固く、噂話などは好まない人員を出来るだけ選んだどのことですが」
「出来るだけ、というところが不安要素だと言っているのだが」
二人が言い合いをしている最中、アルベヌが一番上の紙を言葉を発しつつ机に下ろした。彼の視線はずっとゲイルさんに向けられていて、舌戦は止まることなく繰り広げられる。
「陛下。不特定多数にバラすのはやめた方が良いと言った覚えはありますが、また少数名にバラすのは良いのでは?」
「我が吹聴したように言うな。確かにお前と騎士団長には我が言ってしまったが、メイド達とルーはフォノカの行動の結果であるしあとは勝手に鑑定をされた結果だ」
頭上の二人の会話を聞きつつも、私はアルベヌが下ろした紙をそろそろと覗き込む。
地図のようなものが描かれている中で、点線が伸ばされているところがあった。
これが行程の道筋なんだろうなと考えつつ、この辺りこんな所なんだ。緑が多いってことは山や森が広がってるんだろうかと眺めていれば、バサリと紙のはためくような音。
なんだと私がそちらを見る前に勢い良く伸びた鋭利な爪のある指先がガツン、と地図を叩くのが視界に入った。そのまま重い音を立てて爪の先で丸が描かれているところを叩き始める。
やっぱり小さいから音とか勢いとか、改めてすごく感じて私は肩を竦めた。